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【それでも世界は回っている -OZ-】
第1章「目覚めの草原」
第18話「名前の倉庫、記憶の渦」
──夜が明けても、村の空気は重かった。
昨日、突如吹いた“風”。
倒れたエンじいの呻き声。
そして──あの言葉。
「“風の魔導師”が……まだ、この村に……」
ドロシーは目を覚ますと同時に、胸の火種がざわつくのを感じていた。
それは熱ではなく、“存在の揺らぎ”──何かが、誰かの“何か”を削ろうとしている兆候。
朝の井戸端で、クロ婆が空を見上げながら言った。
「もう、隠せんやろ。……あの風は、“名前喰い”の風や」
「“名前喰い”……?」
「そや。風が名前を奪う。記憶を奪う。
そして、奪われたもんは、“空っぽの抜け殻”になってしまうんや」
ラセルが隣で小さく頷いた。
「“名前”や“記憶”──それは、単なる情報やない。
人の“存在そのもの”なんや」
ドロシーは、昨日倒れたエンじいの顔を思い出した。
呆けたような目。言葉を出せない唇。
「ラセル……それって、“魔力”と関係あるの?」
ラセルは一瞬黙ってから、真剣な声で答えた。
「魔力ってのは、本来──“存在の力”を燃料にして使うエネルギーや。
自分自身の、名前、記憶、想い。
それらを少しずつ削って魔法に変える。だから、制御も限界もある」
「……じゃあ、“風の魔導師”は……?」
「──他人の存在を喰っとる。
他人の名前を奪い、記憶を奪って、それを“自分の魔力”として変換してるんや。
本来なら、自分で払うべき“代償”を、誰かに押しつけとるわけや」
ドロシーの背筋がぞっとした。
「……そんなの……そんなの、許せない……!」
「せやけど──あいつは、まだ“姿を見せてへん”
せやからこそ、今日。名の記録庫を調べる意味がある」
*
倉は村の北端、断崖近くにある小屋だった。
傾いた瓦屋根、苔に覆われた土壁。
鉄扉の周囲には風よけの板が打ち付けられ、まるで“何か”を封じるかのようだった。
「中には、“名前”が記された帳面がある。
本来は、旅人が“風にさらわれないよう”記録するためのものや」
ラセルとクロ婆が鍵を回すと、扉は鈍い音を立てて開いた。
中はほこりと黴のにおい。
棚がいくつも並び、崩れかけた帳面や巻物が乱雑に積まれている。
──ラセルが指差した一冊。
『風に触れた名の記録 ─クロネ村記帳録─』
ドロシーがページをめくると、名前がびっしりと並んでいた。
しかし──ある箇所で、ページが不自然に破られ、
他の紙が上から貼り重ねられていた。
「……なに、これ……?」
ラセルが顔を曇らせる。
「“名前”が……抜き取られとる。
記録の中身が、意図的に“喰われた”ような痕跡や」
「名前を……“食べる”? どうやって……?」
「“風の魔導師”は、文字通り、名前を糧にして魔法を使うんや。
記録された“存在の力”──それを風に溶かし、吸い取ることで、魔力に変える」
「でも……それって、もしその人の“名前”や“記憶”が全部失われたら──」
「──“魔力の枯渇”と同じや」
ドロシーは思わず息をのんだ。
ラセルは真剣な眼差しで続けた。
「魔力が枯れたら、どうなると思う?」
「……魔法が使えなくなる……?」
「それだけやない。
“存在の核”を削り切ったら──
身体は生きていても、魂が機能しなくなる。
自力で食べることも、話すことも、感情を持つこともできなくなる」
「……まるで、“死んでる”みたいに」
「せや。石化する者もおる。
ただ、体が生きてるぶん、“死”とも呼ばれずに放置される。
でも、実質──それは、“命の空白”なんや」
沈黙が落ちた。
ドロシーは、火種を握りしめた。
「……やっぱり、ぼく……この“風の魔導師”ってやつ、絶対に許せない」
その瞬間、棚の奥から風のような音がした。
──ぺらっ
帳面が、ひとりでに捲れた。
──ぺら……ぺら……ぺら……
次々に、何ページも。
誰も触れていないのに、“名前”だけが記された紙が、風に撫でられるように震えている。
「……もう、来とる。姿は見せとらんだけで……」
ラセルが囁く。
クロ婆が外で待っているはずだった。
──が。
「──ラセル! ドロシー!」
叫び声が響いた。
ふたりが飛び出すと、クロ婆が地面に膝をついていた。
「……名前が……出てこない……わたし、自分の──」
目は見開かれ、口が震えていた。
「記憶が……名前が……全部……風に……!」
ラセルが駆け寄って肩を支える。
ドロシーはその場に立ち尽くした。
──風が。
──この村の誰かを。
──確かに、“奪っている”。
火種が、赤く、痛いほど熱を帯びた。
《第18話・完》