不条理と希望と死とが互いに応酬しあっているこの非人間的な問答劇を、特権的な立場から眺めるためには、粘り強さと明徹な視力とが必要である。
(シーシュポスの神話 カミュ)
こんなことを言っていた彼は交通事故で死んだ
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突き詰めて死を求めるその時の視野は非常に狭まっている。自分の肉体からも、思考からも解放される喜びと、飢えを凌ぐため雨水一滴でも逃さぬ貪欲さを死に急ぐ気持ち。大きな泥水を駆け抜けた先にある希望に見間違えるような誰にでも訪れるが歓迎されるべきではない人間の行く先を、今に今にと求めて、よろめきながら、向かう。
自分しか見えない。考えも止まり、ただただ身体は揺れる。それでも息を吸って、吐いている。心臓は動いている。つま先の向こうに求めていた全部がある。
自殺を失敗した私は、求めていたものがなんだったのか分からずぬいぐるみを抱きしめて救急車で搬送された。
非常に精神状態が悪い時期に突入した。
落ち着いているが、脳が騒がしい。ざわめきの奥では「二度とこんなことしません」だなんて、その場しのぎで言った医者への言葉と、「絶対に今死にたい」という気が滅入る本心が往復している。
犬の隣で漫画を読んだ。風は秋の風になっていた。私は幸せ者だと思った。それとともにこの記憶を最後にして全部終わりにしてもいいとまで思った。すぐそのような思考へ至るのが非常に大きな問題だが、これを解決するにはかなりの時間を要する。うまい言い訳を考えながら、誰をも脅かさないような言葉を選ぶ、考える。
生と死に執着している。
どちらも欲しい。眠りは死に似ていると言うが私に本当の眠りは訪れない、いつもわけのわからないとっちらかった夢に邪魔されて雑然と終わり目が覚めて何が何だか分からなくなるだけだ。
死にゆくときはいつでも四季であり花があり歌がある
それは私の支えであり、慰めになる。