「私、スリムになりたい」
彼女は突然、そんなことを言い出した。
いつもの、デート後。
恒例になりつつある、部屋アフター。
相変わらず、恋人同士の濃厚な時間・・・とはならなくて。
今日は、買い物デートの戦利品の整理がメインの理由だった。
これから暑さを増す季節に備え、お互いの夏服を買い揃えたのだ。
「え、でも」
服を買いに行く前に言うのであれば、まだわかる。
だけど、もう既に服は買った後で。
買う前に、試着して確認を済ませてある筈。
「そう、なんだけど」
彼女は何処か、歯切れが悪い。
「開けて、着てみて良い?」
「うん。良い、けど・・・」
僕は彼女に促され、後ろを向く。
ガサゴソ・・・ビリッ。ガバァッ!
紙袋から買った服を取り出し。
着ていたセーターを脱いで、着替える衣擦れの音。
「・・・っ」
僕はつい、生唾を飲み込んでしまう。
もう既に何度も、彼女の生着替えは経験済。
とはいえ、美人な彼女の艶めかしい肢体に相対すると、やはり緊張する。
トン、トン。
「・・・?」
僕は背中側から、肩を軽く叩かれた。
声を掛ければ良いのに、と思いながら振り向くと。
「っ!?」
彼女は、薄手の生地のブラウスを着ていた。
清楚なデザインで、彼女のルックスにピッタリ。
・・・なんだけど。
「それ、どうしたの・・・?」
「・・・・・」
彼女は、答えない。
正確には、声を発していないだけ。
目線は、ちゃんと僕を見て応えていた。
「だ、大丈夫・・・?」
「・・・っ」
彼女は首から上だけを動かして、頷いた。
「何で息、止めてるの?」
彼女は何故か、息を止めていた。
襟口がキツくて首が締まっている、ような感じはしない。
明らかに自分から進んで、呼吸を止めている。
ミチ、チ・・・。
「~~っ」
彼女の顔が、徐々に赤くなって行く。
ミチ、ミチ・・・ッ。
「何で、そんな無理を・・・」
そう言って、僕はやっと違和感に気付く。
買ったばかりの服なのに、彼女の上半身はパツパツになっていた。
薄い生地が肌に張り付き、筋肉の凹凸がハッキリとわかる程。
「それ、合ってるの?」
「~~~っ」
遂に、彼女は首肯すら出来なくなっていた。
酸素が足りず、徐々に顔が青ざめて行く。
ミチ、ミヂヂッ!
ブラウスの前ボタンが、ドンドンと隙間を広げて行く。
これが噂に聞く、『天使の小窓』か・・・なんて思った矢先。
「~~~・・・ぷはぁっ!」
彼女が堪え切れず、大きく口を開けたと同時に。
ブバァッ、バツッ、バツンッ!
・・・チュイッ、チュインッ!
「う、わぁっ!?」
僕の両頬を、何か弾丸のような物が通り抜けて行った。
「あ、あぁぁぁ~っ」
ビリッ、ビリリリリィッ!!
彼女の嘆きの声を、ブラウスの断末魔が遮る。
「・・・これ、って」
僕は、床をコロコロと転がる物を手に取る。
それは、少し前までブラウスの前面に付いていた、ボタンだった。
チャックボーン、ならぬ。
ボタンパージ、とでも言った所だろうか。
「あ~あ・・・」
彼女の、落胆の声。
しかし、何処か覚悟していた、という風にも聞こえる。
「買う時に、試着しなかったの?」
「うん。だって・・・」
彼女の言い分としては、“試着しても仕方ない”ということだった。
それは、単純な話で。
お店で、好きなデザインのブラウスを見付けて。
お店に有る在庫の内、最大サイズを買った、って事だった。
「ギリギリ、行けると思ったのにぃ・・・」
肺の中の空気を吐き出して、体積を極限まで小さくして。
それでもまだ、あんなピチピチでパツパツの状態だったらしい。
「は、はは・・・」
彼女の上半身は、ビリビリのボロボロ。
まるで、暴漢に襲われたかのような様相を呈していた。
肩口は、袖がバッサリと切り離されてゴツゴツとした三角筋が露わ。
袖は、分離されて支えが無くなったにも関わらず、腕に張り付いたまま。
どうやって通したのかわからない大きな力瘤が、生地を固定しつつ裂け目を作っている。
「食べるのは好きだし、筋肉が付くのも良いんだけど」
「けど?」
「好きな服が着られなくなるの、困る」
既製品が着られなくなるのは、年頃の女子にとっては由々しき問題。
お店で気に入ったデザインを見付けても、着られないって事になってしまう。
「じゃあ、運動してみる、とか」
「そうなる、のかなー」
彼女いわく、これまで自発的な運動は殆どやったことがないらしい。
まともな運動は高校が最後で、大学は必修科目ではないみたい。
「・・・ん? あー、また胸見てるー」
「あ、いや。その、ごめんっ」
僕はつい、彼女の露わになった胸元に目線を置いてしまった。
ボタンが全て吹き飛んだ事で、法被みたいになったブラウス。
黒い色のブラジャーに詰め込まれたメロンバストが、深い谷間を形成している。
彼女の身体は筋肉モリモリだけど、決してムキムキではない。
程良い感じの脂肪が全身に残っていて、女性らしい豊満さを失っていない。
「それなら・・・」
ダイエットは、胸から脂肪が落ちるって聞いた事がある。
彼氏としては、それだけは何としても避けたい。
「ふ、腹筋とか、どうかな?」
「え、腹筋?」
正直、胸に影響し難い運動なら、何でも良かった。
「まあ、運動なら何でも良いかもだけど」
お互い、わざわざトレーニングジムに行く程ではない、のは同意。
ただ、一人で外に出るジョギングとかは提案し辛くて。
今のご時世、軽装な女子一人が定期的に外に居るのは防犯上、良くない。
「それも、そっか。食べた分を消化すれば良いんだもんね」
「じゃあ・・・」
一先ず、僕が実践して見せる事になった。
「イ、ッチ。ニ、イ・・・」
床に仰向けに寝て、上体を起こす。
「サ、・・・ッン」
う、っく。キツ、い・・・。
そもそも、僕自身も特に体育会系という訳ではない。
慣れない体力運動に、全身が直ぐに悲鳴を上げる。
「こ・・・はぁっ。んな、はぁっ・・・感じっ」
ホンの数回の腹筋運動で、既に息も絶え絶え。
「だ、大丈夫?」
「はぁ、はぁっ・・・だっ、だいじょぶ」
彼氏としては、少し格好悪い気がする。
「じゃあ、私やってみるね」
「あ、うん」
僕と、位置を交換。
「イッチ、ニィ」
「・・・・・」
ぶるんっ。
「サン、シィ」
「・・・っ」
ぶるるんっ。
「ゴ、ロク・・・」
彼女が、ピタッと止まる。
「・・・どうしたの?」
「だから、胸を見過ぎだってばー」
彼女は口をプクーッと膨らませながら、僕の視線を咎める。
バレてた、か。
「ひょっとして、“そういうつもり”だったの?」
「いや、違うよっ」
ホントかなー、と彼女は訝しげに僕を見る。
彼女に誓って、決してそんなつもりは無かった。
あくまで、偶然の副産物。
「じゃあ、“こう”しちゃう」
「・・・あ」
彼女は、空いた両手で胸を押さえてしまった。
「ジュウ、ジュウイチ」
彼女は胸が揺れないよう両手を置いたまま、器用に腹筋を続ける。
「・・・サンジュウ、サンジュウイチ」
「え、ちょ」
「・・・ゴジュウ、ゴジュウイチ」
「う、っそ・・・」
僕は、頭を両手で抱えて無理矢理に勢いを付けて、やっと数回出来た程度。
それを彼女は、両手分の重さを胸に置いた状態で、既に二桁後半。
「・・・ヒャー、ック」
「・・・・・」
彼女は規則正しいテンポで、あっという間に『百回』もの腹筋を熟(こな)してしまった。
「つ、疲れてないの?」
「んーん、全然」
彼女は、ケロッとしている。
『百回』の腹筋に対して、所要時間は『二分』と経過していない。
素人目に見ても、かなりのハイペースで熟した事はわかる。
「やり方、合ってるのかなー」
彼女自身、全く効いていないと言わんばかりだった。
「・・・・・」
しかし、彼女の上半身は薄く上気して、ほんのりと汗ばんでいる。
腹筋運動が、彼女に作用しているのは間違いない。
腹筋は文字通り、腹直筋に負荷を与える運動。
上半身というウェイトを、腹筋で以って持ち上げる。
彼女自身、これまで腹筋運動の経験が無かったというだけで。
既に、ブロック状の素晴らしい“六隆起”な腹筋を持っている。
後から調べた知識だけど、人間の上半身は凡(およ)そ体重の七割らしく。
単純計算で約『150kg』近いウェイトを『百回』、彼女の腹筋は持ち上げた事になる。
「あー、今度はお腹見てるー」
「・・・あ、うん。ごめん」
今回ばかりは、僕の視線に嫌らしい意図は全くない。
腹筋の怪力振り、というのも良くわからないけど。
少なくとも、刃物程度で傷が付かないのは、然(さ)もありなん。
「じゃあ、さ。“こういうの”は、どう?」
「ふむふむ」
僕はスマホで検索して、『とある運動』を見せてあげた。
「これなら、僕が“重り”になれるし」
僕は、この時の台詞を後から悔いる事になる。
『レッグレイズ』。
文字通り、仰向けに寝て両脚を上方へ挙げる運動。
「あ、まさか・・・」
「い、いや。そんなつもりは・・・」
今度も、偶然の産物。いや、ホントなんだけど。
彼女はスカートを穿いている。
つまり、寝そべって両脚を挙げれば必然的にスカートの中身が露わになる訳で。
「えっちー」
彼女はそう言いながら、上手い具合にスカートを丸めて腰に仕舞い込み。
スカートの生地が提灯みたいになって、秘所を覆い隠してしまった。
「・・・ヒャク」
またしても、あっという間に『百回』が終わってしまった。
「どう?」
「うーん、あんまり・・・」
僕が勧めた手前、彼女は言い淀んだけど。
多分、全く効いていないのだろう。
『百回』でヤメたのも、特に意味があった訳ではなくて。
キリが良い所でヤメないと、ずっとやり続けてしまいそうだから。
「じゃあ、“乗る”ね」
「うん、お願い」
彼女も、僕に下心が無いことをわかってくれたのか。
両脚の向こう脛に乗る事を許してくれた。
僕は、すっかり忘れていた。
『レッグレイズ』は、両脚を床に対して垂直まで挙げる運動。
それはつまり、僕が乗った“土台”が垂直になる、って事で。
「イーッ、チ」
グンッ!
「う、おっ、わあぁっ!?」
発射台に載ったロケットの如く。
僕は、天井目掛けて打ち上げられた。
「きゃあっ!?」
「うぎぁ」
ドガッ、と天井に頭を打ち付け。
そのまま、自由落下。
「ごめんなさいっ!」
彼女は慌てて、立ち上がり。
頭を下にして落ちて来る僕を、何とかキャッチしてくれた。
「う、っぶ」
でも、キャッチという程、華麗ではなくて。
どちらかというと、プロレス技の『パイルドライバー』みたいな体勢。
「だ、大丈夫っ!?」
「だ、だいじょ・・・」
『パイルドライバー』とはいえ、僕の顔は彼女の方を向いていて。
更に受け止めた関係上、僕の頭は彼女の太腿でガチッとホールド。
「・・・ぉ」
ムチッとした、彼女のボリュームのある太腿。
おっぱいとはまた違う、柔らかい女性らしい肉感が僕の頬を包み込む。
・・・なんて思えたのは、ホンの一瞬だけだった。
メキ、メキキ・・・。
「・・・いぎぃ!?」
僕は急激な圧迫感に、呻き声を上げてしまう。
メギ、メギョ・・・。
「う、が・・・ぁっ」
普通に成人男性な体重の僕を、軽々と打ち上げてしまう脚力。
片脚だけで、僕の胸周りと同等な太さの剛脚。
それが左右から、僕の頭を挟み込んでいるのだ。
メギョギョ・・・。
「・・・ぁ」
万力に頭を挟まれるって、こんな感じなのかな。
僕は薄れ行く意識で、走馬灯を見ながらそう思うのだった。