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かつて世界最高峰、エベレストに挑んだ男はこう言った
山になぜ登るのか それは、そこに山があるからだ。と
巡り巡って、現代
100年前と違って登山装備の質も値段も比較にならないほど改善された現代では、登山もかつてほど危険で無謀な挑戦ではなくなっていた。
若い男性のみならず、中年を過ぎた男性が余暇を楽しむためであったり……
若者や女性が「映え」を求めて山に登るようなこともまた、珍しくはない。
(…………ついに、か。私の密かな夢……日本百名山巡り……)
(全部は無理だけど、大学の休みに都心から近くの山を巡るこの計画……)
俗に言うところの「山ガール」。登山趣味が大衆化して久しい現代だからこそ見られる、若い女性の登山客。
朝も早くから高速バスに乗り込んだ、ボーイッシュながら落ち着いた印象の女性は密かに旅へ思いを巡らせていた。
「……あ、水島 瑞希です。よろしくお願いします」
運転手にスマホの予約確認画面を見せ、席へと向かう。
せっかくなので乗車中も景色を楽しもうと選んだ、窓側の席。
山の上から見る景色も大事にしたいけれど、道中の車窓から眺める景色もそれはそれでかけがえのないものだ。旅の思い出を彩る、大切な1ページ……
「うぐっ……」
……しかしその旅のページに、さっそくくすんだ記憶が書き込まれようとしていた。
自分の座席に近づいた彼女を迎える、むせるような異臭。
昨今では逆に珍しい、衣服にこってりと染みついたヤニと煙の臭い……
彼女の横、通路側の席へ先に着席している男性の放つ、濃厚なタバコ臭。
さすがに禁煙のバス車内で吸うことはないのだとしても、これほどまでの悪臭は吸っていなくてももはや害だ。隣にいる彼女の服や髪に移ってもおかしくはない。
こんなのを隣に9時間も一緒にいなくてはならないのだと思うと、いきなり気が沈む。
(…………実際に吸わない限り何か言うつもりはないけどさ……人様の趣味だし……)
(けど、人前に出るならせめて洗濯ぐらいしようよ……)
(……はあ。これが夜行バスの洗礼ってやつか……)
だがこれも、ある程度までは覚悟の上。
新幹線や電車、飛行機と比べて遥かに格安な高速バス。その値段の安さはすなわち、客層もそれ相応になるリスクを孕んでいる。
当然貧乏人が全てモラルハザードを起こしているわけではないし、富裕層が全てモラルに満ちているわけでもないが……
しかし綺麗な服を買うなどの身だしなみにコストをかけるかで言えば当然、富裕層と比較してかけない傾向が強いのは仕方がない。
汚れたり臭いの染みついた服を捨て、新しい服に金をかけることはしたがらないだろうから。
日々の暮らしに追われる貧乏人には、新しい服などぜいたく品なのである。
(ま、クサいだけなら我慢するか……)
覚悟を決めて、席に着く。
瑞希の旅は、タバコ臭とともに幕を開けるのだった。
__________________
9:00
高速バスの旅。それは多くの観光ツアーバスと同様、道中で幾度かの休憩を挟む。
しかしその休憩の頻度は観光バスと比べ、格段に少ない。
なぜか?それは高速バスがそれら観光バスより遥かに長距離を走行するためだ。
観光バスでは走らないような長距離を走る高速バスで、そうそう何度も停車していては到着時間が遅くなってしまう。今回の旅は6時に出発して15時に現地へ到着という、実に9時間もの長旅であるが……
それで例えば1時間に一回、10分程度の休憩を挟んだとすれば休憩だけで1時間半近くも延びてしまう計算だ。あまりにも時間のロスが大きい。
なので今回のバスでは、休憩は3時間に1回となっており、今がまさにその時間なのだ。
…………なのだが……
「……………………」
その休憩時間を迎えた瑞希は、額に青筋を浮かべていた。
なぜなら通路席にいる例の男性が、思いきり足を組んだまま寝ていたから。
窓側席にいる彼女が外に出ようと思うなら、当然通路席にいる男性の前を通らなくてはならない。が、そのスペースは男性の脚によって塞がってしまっている。
起こしてもいいが、ここまで態度とマナーのなっていない相手が素直に言うことを聞いてくれるだろうか?はっきり言ってこの有様の相手を信用するのは難しいだろう。
むしろ逆上、逆切れされてただでも台無しな旅の思い出がさらに台無しになってしまう可能性も……
(へし折るぞジジイ……)
(…………仕方ない、か。次でもこのザマならさすがにぶん殴るけど……まだ大丈夫だし)
(……念のため、トイレ行っとこうと思ったんだけどな……)
長いバス旅では当然と言える、こまめなトイレ休憩。
次がかなり遠い時間になる以上、行けるうちに行っておくのは当然の自衛だが、それは叶わない。
そして「念のため」程度の意志で上記のように無駄なリスクを背負うこともしたくはなかった。
(でも、次は絶対いく。このジジイが何を言おうと、絶対……)
(…………あ、このお茶おいしい)
横の男性への不快感を振り払うように、持ち込んできたお菓子に手を付け……
車内で配られた、旅先の名産らしいお茶を詰めたボトルに口をつける。
どうしても気が滅入る長旅に、旅先の名産を添えるバス会社の粋な計らい。それは彼女の機嫌をやや上向かせてくれた。
(うん、お菓子にも合う。いいな、これ……)
さくさく、ごくごく、いらいらを消し去ろうとするように、ティータイムへ勤しむのだった。
________________
11:00
「…………………………」
(やばい…………)
高速道路を走るバス内で、瑞希はそっと太ももをさする。
やや前傾の姿勢で、その目はバスの時計と高速で過ぎ去る景色をねめつける。
(……いらいらしたからって、バカやった……飲み過ぎた……)
(…………トイレ…………)
横の男性へのいらいらを消し去ろうと、無理にでも楽しい空気を作ろうと勤しんだひとりお茶会。その反動が今、彼女を蝕んでいた。
車内で配られるお茶は、9時間分の水分補給も兼ねてかボトル2本分。それを勢いのまま1本半も飲み干してしまったのは迂闊としか言いようがない。
そうせざるを得ないほど横の男性への怒りが募っていたことも事実ではあるが、やはり迂闊なのは間違いない。
(それなりに山登りやってきて、トイレには自信あったけど……それが裏目に出たかな……うん、バカだわほんと)
(次こそ絶対トイレ行かなきゃ……)
自分の愚かさを省み、次こそはと決意を固める瑞希。1時間後にある休憩を、今か今かと待ちわびる。
12:00
12時。正午の時間。
ちょうどぴったりにパーキングへ到着することのできたバスは、やはり10分間の休憩時間に入った。
普通の観光バスならお昼時には少し長めの昼食休憩を取ることもあるだろうが、これは移動のみを目的とした高速バス。
会社にもよるのだろうが、少なくとも瑞希の乗るこのバスにそんなものはなく、ただの普通の10分トイレ休憩。
さて、そんな時間に追われるトイレ休憩であるが、肝心の出だしは……
(…………よかった。あのジジイも降りるみたい。普通に通れる……)
前回は爆睡していた横の男性もここで下車するのか、快適に降りることができた。
すでにお腹はぎっしりとした重みを伝えており、瑞希はやや前傾姿勢でトイレへと向かう。
(うう、ほんと飲み過ぎた……トイレ、はやく……!)
だが、そんな彼女の眼前に
「………………えっ」
信じがたい光景が飛び込んできた。
トイレに向かった彼女の目に映る、何人もの人、人、人。
女子トイレに向かって並ぶ、ずらっと並んだ行列。
「……う、そ」
それは余りにもショッキングで、絶望的な光景だった。
よくよく考えれば大学の休み、すなわち世間一般における連休シーズンに、百名山があるような観光地に向かう途中のパーキングが混雑しないはずはない。
ことに時間がかかってしまいがちな女子トイレである。需要が殺到する行楽シーズンの女子トイレなど、混雑していない方が珍しいだろう。
(なん、で、なんで……っ)
だが、ここしばらくいらいらと尿意とで冷静な判断力を失っていた彼女にそれを想定するのは難しく……
先ほどまで思い浮かべていた、トイレに入って思い切り尿意を解放する想像とは真逆の事態に焦るばかり。
高速バス特有の事情である休憩時間の短さも相まって、彼女の脳はぐちゃぐちゃに乱れていた。
(こ、これ、まにあう、かなっ……!?いやパーキングだからトイレ多いし、大丈夫とはおもうけどっ……)
(……もし、する前に休憩終わっちゃったら……)
ここに並ぶ大多数の女性と異なり、個人旅行や観光のような時間に余裕がある人たちと異なり、彼女に許された時間はたったの10分。
それで果たして、ここに並ぶ20人近くもの人間が用を足し終えることができるのだろうか。
(ど、どうしよう……!なにか、なにか方法は……)
「…………っ」
きょろきょろと辺りを見回すうち、彼女の目にあるものが飛び込んでくる。
例えばもし、ここだけじゃなく売店の方にもトイレがあったら。そんな一縷の望みを探すその目に映る、パーキングエリアの端も端……
山を切り抜いて作った道路とパーキングゆえ、どうしても存在する人工物と自然との境界線。
低いガードレールの向こうに広がる、鬱蒼とした茂み。
(……あ、あそこ……なら……)
あそこでなら、植物の陰になるところでなら、もしかしたら
尿意に曇る目がそれを認識した時、もう彼女の視線はそこに釘付けとなってしまって。
(……っ、なに、かんがえて……!?だめ、ぜったいだめっ……!ま、万が一誰かに行くとこ見られたら、してるとこ見られたら、死ねる……!)
(ま、まにあうから……だいじょぶだから、トイレで、ぜったいできるからぁ……!)
ヴー!ヴー!
「…………あ、れ……?」
そんな邪念と理性とがせめぎ合うただ中に、突如としてスマホの振動が割り込んでくる。
それは電話でもなく、チャットアプリの通知でもなく……
休憩時間があと3分で終わるため、早くバスに戻ることを促す告知だった。
「あ、れ、もぅ……?」
そう、10分休憩とは休憩だけで10分という意味ではない。
行って、戻ってくるまで全部を含めて10分なのだ。
今からバスに戻って、席について、ちょうど10分休憩が終わる。そんな時間……
「う……あ……!」
(も、もどんなきゃ……!バス……またせちゃだめだから……!)
(だって、私の……トイレのためになんて……)
(そんなの……恥ずかしすぎて死ぬ……!)
ここから遅れれば、バスの発車が遅れる。彼女ひとりの為に、乗っている乗客全員が迷惑を被ってしまう。
それも彼女の、恥ずかしい生理現象が原因でなどと……
そんなのは、彼女には耐えがたい屈辱だった。
(が、がまんする……!つぎの、つくまで、がまん……!)
(……だ、だいじょぶ……私遠いし、まだよゆうだから……)
そして瑞希は、前に並ぶ十数人を名残惜しそうに見やりながらバスへと戻っていくのだった。
_____________
13:30
「………………っは……っ」
「は……っ、ふ、ぁ……!」
窓の外をねめつけながら、落ち着きなく太股をすり合わせる。
かと思えば脚を上下に揺すり、迫りくる感覚を少しでも誤魔化そうと必死になっている様子が伺える。
横の男性が寝ているのでなければとてもできないような仕草の数々は、それだけ彼女が追い詰められていることの証左だった。
(と……いれ……といれ、いきたい……っ)
(ほんとならわたし、さいしょのきゅうけいでっ、とっくに……!)
(おなか……くるしい……ぼうこう、ぱんぱん……)
最後に彼女がトイレを済ませてから、いったいどれだけ経っただろうか。
彼女がバスに乗ったのは、朝の6時。だが高速バスの乗り場に着くまでにもしばらく電車に乗っていたし、家を出たのはそれよりかなり前だ。
それら諸々を考慮するなら、最後に彼女が済ませたのは5時より前。起きた直後、朝食を食べるより前……
それからの水分摂取量を鑑みると、軽く3回はトイレに行ってもおかしくないのをこれまで一度も行けていないのだ。
(トイレ行きたい……っ、といれ……)
(……おしっこ、したいぃ……!)
14:30
『…………ねえ、あれ……』
『……だ、大丈夫かしら……』
目的地まであとしばらく。長い旅も終わりが見え始めた頃……
高速バスの車内が、にわかに騒がしくなっていた。
口々に心配を口にする乗客たち。その視線の先にいるのは……
「は…………ッ、ぐ、んグ、あッ……」
両手で思い切り前を押さえつけ、鬼気迫る表情で尿意を耐える一人の女性の姿。
もはや見た目を気にしている余裕もないほど切羽詰まった、オシッコ限界の瑞希だった。
『ちょっとアレやばいんじゃ……』
『運転手さん、どこかで止まれませんか?さすがにアレは……』
『大丈夫?息をそっと吐いて、落ち着いて……大丈夫、大丈夫だから……』
「はあ……ッあ、はっ……ひ、はひゅ、はひっ……」
その様子を見て取った車内の人たちが、こぞって瑞希を助けに入る。
男はなるべく見ないように、女性は彼女に声をかけて励まして。
運転手もまた可能な限りの策を講じ、なんとか状況を打開しようとしていた。
『……えー車内の皆さまにお伝えいたします。到着地までご休憩できるところはありませんが、可能な限り最速で到着できるよう速度を上げての運行をいたします。少々揺れるかもしれませんのでくれぐれもお立ちにならないようお願い申し上げます……』
車内が一致団結する中、瑞希の最後の戦いが始まった。
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14:45
それからバスは、可能な限りの最高速でかっ飛ばした。
最高時速150キロ。熟練の運転技術によって成し得る、警察に取り締まられないギリギリの範囲での高速走行。
追い越し車線を爆走し、飛ばしに飛ばして……
ようやくバスは、目的地へとたどり着いた。
「あ……あっ!!つい……っ」
「ごめなっ、ごめなさっ、おろし、おろして!!はやくおろしてェェェッ!!!」
助けてくれた人たちの、心配の視線を一点に浴びながら瑞希はバスを降り、一目散に駆け出した。
もう膀胱に衝撃を与えないなどと言ってはいられない。ただただ、時間との戦い。
今から彼女が行ける場所、トイレの場所には二つの選択肢があった。
ひとつは予約したホテルまで行くこと。駅からさほど遠くないビジネスホテルは、歩いても5分前後といったところだろう。
そしてもうひとつは……
「ご、ごめんなさい!といれっ、といれっ、かしてくださっ……!」
駅という立地の都合上、ほぼ必ずと言っていいほどある便利の象徴。コンビニエンスストア。
田舎の過疎地ならいざ知らず、観光地としてそれなりに栄えた街の駅である。コンビニを探すのにもさほど苦労はなかった。
『えっ、あ、あー……すみません、今ちょっと掃除中でして、洗剤撒いちゃったとこですからあと何分か待っててもらえると……』
「う……あ……」
だが、現実は非情だった。
恥も外聞もなく、成人女性が思い切り前を押さえつけるほど追い詰められたこの状況で告げられる、使用不能の宣告。
その話をしている最中にも彼女の水門はこじ開けられようとしていて、突き出されたお尻は落ち着きなく左右に振られている。
もう一刻の猶予もない彼女に、あと数分の我慢などはできそうにもなくて。
瑞希は何も言わず、コンビニを後にした。
「はあっ、はあっ、はあっ……!」
(おしっこしたいおしっこしたいおしっこしたい……!)
鬼気迫った顔で辺りを見回す瑞希。もう、ほんの少しのロスも許されない。
もう、あと、ほんの少しで始まってしまう。
そして街を駆ける彼女の前に、あるものが。
ビルとビルとのすき間。ちょうど人が一人入れるくらいの、ちょうどいいすき間。
じゅじゅっ……
「あ゛っ!?ああ、まって!?まっ……!」
「………………っううううぅぅっ!!!」
そして今、まさに、この瞬間
我慢の限界を迎えた美海の水門から、先走りが溢れ出す。
ちょろちょろと熱い感触を感じた瑞希はもう迷っている暇などなく……
カチャカチャとデニムのベルトを外しながら路地へと駆け込んでいく。
そして表通りから数歩入った程度の、路地と呼ぶにはまだまだ浅いところで
びしゅうううううぅぅっっ!!!!!しいいいぃいいぃいいいいーーーーーーーーっっっ!!!!!ばちゃばちゃばちゃばちゃっ!!!
「あっ、あ……」
「ふ……ぁ、はあああぁ……」
デニムを引き下ろし、我慢に我慢を重ねたオシッコを解き放った。
中腰の姿勢でお尻を突き出し、地面に高圧の水流を叩きつける。
盛大な噴射音と、地面を叩く力強い音は彼女のこれまでの我慢を物語っていて。
『…………なー、あのアレがさ……』
「………………っっっ!!!?!?」
(ひ……あっ、ひと、ちかっ……!あれ、もっとおく、いったはず……)
(や、やばい、きかれるっ、おと、きかれ……っ、おさえな……!)
ぶしゅうううぅううううううううーーーーー!!!!!びちちちちちっっ!!!!
「あ、ああああぁ…………」
(だ……め……もぅ、わかんな……)
(あたま、ぼーっと、する……ぅ……)
周りに気付かれないようにする努力も虚しく、大きな音を立てて迸るのだ。
我慢した分長く勢いよく、たっぷり2分近くもかけて。
___________
ぷしゅうぅっ、しょろ、しょろろろ……
「……はあ……」
(おわ……った……すご、かったぁ……)
長い長い野外放尿を終えた瑞希は、そそくさその場を立ち去ろうとズボンを引き上げる。
その瞬間股間に感じる、ひんやりとした湿った感触……
「ひっ……!?」
「え、あ、こんなに、濡れっ……!?」
彼女の脚のラインをくっきり浮かばすデニムに、黒々とした染みが。
彼女の「失敗」を物語る、隠しようもない染みが。
「う、うそ、だってこれ、替えとか持ってきて……なぃ……!」
今回の旅行は山に登って帰る程度の、軽い小旅行。上半身のはともかく、下半身の衣服についてはデニムということもあって着替えは持ってきていなかった。
つまり、この染みつきズボンを履いてホテルまで行くしかない。
「……っ、さいあく……っ」
瑞希は、顔を真っ赤にしながら……
リュックでお尻を隠そうと無駄な努力を、ホテルまで続けるのだった。