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人と言う字は、人と人が支え合ってできている
人同士の密接な関り、あるいは助け合いの精神を説くこの言葉。この言葉の持つ意味は果たして、単なる「絆」のみを指すのだろうか
むろん発言者がどう思っているのかは当人にしかわからないが、人と人との支え合いとは単にその心のあり様だけのものではない
発展し、複雑化した資本主義の中においてはむしろ、精神に依らないシステム的相互補助の側面が非常に強いのだ。
食べ物ひとつを得るのにも、原料を作る人がいて調理をする人がいて販売する人がいるもの。そしてそれを適切な対価で購入することで生産者の生活を支える。特に意識をするまでもなく、誰かが誰かを支えて支えられているのがこの社会なのだ。
「ん……うぅん……」
だがそんなシステム化した助け合いの世界では、往々にして個々人が置き去りにされてしまいがちになる
食べ物を作る人が休んでしまえば、誰が皆の食生活を守るのか?
お店を運営する人が休めば?建築に携わる人がいなくなれば?
誰かを支える「システム」そのものを守るため、その土台となる人間が犠牲となることもまた、往々にして起こりうる。
「ん……んぁ……?…………はっ!?」
そのひとつのモデルケースとも言うべき女性が今、独り身のアパートで目を覚ました。
覚醒後の寝ぼけ眼で、スマホの時計を見る。そこに記されていた時間は……
【7:00】
「…………………………」
「ね………………」
「寝坊したああぁぁぁっっっっ!!!!!」
勤務開始が8:00。通勤にかかる時間は、比較的職場から近くに借りたアパートの力を以てしてもなお最速で30分かかる。
オフィス街真っただ中にある職場へ徒歩で向かえるような賃貸はなく、あったとしてもそれだけで給料の半分以上が消し飛ぶようなところ。残念ながらこれ以上の通勤時間短縮は不可能だ。
今から家を出て、最高速で電車に乗り、職場に駆け込んで……
移動に30分とするなら、準備にかけられる時間はどう長く見ても20分がいいところ。女性の身だしなみをその時間で終えるのは至難の業だ。
「き、着替え、メイク……!歯みがき……は無理か。せめてうがいだけでも……!」
「朝なんか食べてる時間ない……とにかく出なくちゃ……!」
トップスピードで身だしなみをととのえ、出発前に社員証の確認。
栗林 詩葉(ことは) 25歳 オフィスのコールセンター業で働くOLであり、勤続3年目。ようやく仕事にも慣れてきたと思った矢先の大事件である。
こんなタイミングで遅刻騒ぎなど起こそうものなら、SVへの道が遠のいてしまい、ひいては収入が……
「そ、それだけは勘弁……!」
服装をはじめとした身だしなみ以外の準備もそこそこ、彼女は家を飛び出していった。
この先、遅刻騒ぎなど霞むような不幸の数々が降りかかるなど予想だにすることもなく。
_________________
【9:00】
「はい……はい、ええ、そうでしたか……!はい、大変失礼いたしました……!」
【9:30】
「ええ、はい、こちらが至らず大変申し訳ございません……」
【10:00】
「ええ……そちらにつきましては、担当によく伝えておきますので……」
【11:00】
「はい、はい……」
『……栗林さん、まだ捕まってるの?』
『アレですよアレ、自称社長の知り合いっていう例の』
『ああ……さっさと出禁にすりゃいいのにねえ』
『仕方ないですよ。うちみたいな下請けじゃ、カスハラ対策なんか夢のまた夢ですから』
遅刻をなんとか免れ出社した一華を待っていたのは、また地獄だった。
留まることのないクレームの嵐。肥大した承認欲求のもたらす言葉の絨毯爆撃。
誰かの上に立ちたいという欲望が、客という後ろ盾を得て牙を剥く。
カスハラ。それは現代社会の抱える病理か、それとも野性から続くマウンティングの一種に過ぎないのか。
客と従業員。本来なら対等であるべき二者の関係が、カネを払うというその一点だけを以て不必要に歪められた状態。それを是正するため「カスタマーハラスメント」という言葉を神輿に改善の動きも出てはいるが、それには企業そのものの動きが必要不可欠だ。
会社そのものが従業員を盾に客へ媚びているようでは、その改善は見込めない。残念ながら詩葉のいる会社もその類だった。
とはいえカネ払いはよく、SVという実績と貯金を獲得したら他社に移る……という踏み台的役割は十分に果たしてくれるのだが。
「ええ、はい……」
(クレーマーって、何が楽しくて生きてるんだろう……)
しかしその実績を積むまでの間は、やはり普通に大変なもの。特に矢面に立つことの多いコールセンターであればなおのことだ。
もうしばらくの辛抱だと思いつつも、詩葉は目の前の苦行に対して心の中で毒づくのだった
【11:30】
カシュッ
「……あ~~~~~~ほんとやってらんねぇわ~~~~~~」
『お、お疲れ様です……』
(始まった……栗林さんのやけモンス……)
(ふだんはいい人なのにストレス溜まるとアル中おやじみたいになる悪い癖……)
(ほんとこれさえなければなぁ……)
コン カシュッ……
「社長の友達ってさぁ……なら本人に直接言えよって話じゃん。なんで末端なんかにクダ巻いてんだよ暇人の嘘つき野郎が……」
(二本目いった……!?)
その後、3時間以上も一人のクレーマーに付き合わされた彼女は疲れた顔でエナジードリンクを一気飲みしていた
それが仕事と言えばそうなのだが、仕事だからといって何でも許されるかというとそうでもない。此度のクレーム……もといカスタマーハラスメントは、そういった限度の枠を超えていると言って差し支えない。
客商売の人間たちの間でまことしやかに囁かれる「カスハラのカスはカスのカス」というのも、それだけの怨念が籠っていることの証明であると言えるだろう。
しかも今日は遅刻騒ぎで、出勤時点で既に疲れている。朝食すら摂っていない彼女に、朝からこれほどのクレーム対応はストレスどころの騒ぎではないだろう。
その苛立ちを、密かなる依存相手のエナドリにぶつけてしまうのもまた無理もない。
「あ……」
(まあ……いいか。あとちょっとで休憩だし)
そしてその苛立ちは、彼女にとって大事なあることを麻痺させ、気づけずにいさせる効果をも与えていて……
この時後回しにした「あること」。これが後に、大きな災難を彼女にもたらすことになる。
【12:00】
「休憩、行ってきますね」
勤務開始から4時間。ちょうど折り返しに差し掛かった彼女は昼休憩のため職場を後にし……
一目散、ある場所に向かっていた。
それは朝からこっち忙しなく、行く暇がなかったもの……
その身を襲う尿意。それを発散できる場所。
(まったく、朝からほんとついてない……!寝坊はともかく、あんなゴミに引っかかるなんて……!)
(ううぅ、電話中はムカつきすぎて気づかなかったけど、結構限界……!はやくトイレ……)
なにしろ彼女は今朝、行く暇すらなく家を飛び出し、出勤後はあの有様。昨晩からこっち解消できていない尿意は、知らず知らず深刻なレベルに至っていた。
少々忙しない足取りでトイレに着いた彼女だが、その眼前にあったのは……
水道管改修のおしらせ
オフィス内水道設備の老朽化により、一部で水道管破裂の被害が出ております。つきましてはこの度、水道設備の全面改修を行います。下記日程の間、水道設備全般が使用不可となります。
〇月〇日 12:00~14:00
「……なに、これ……」
そこにあったのは、水道管改修のお知らせ……
どうやら彼女の知らないところで破裂騒ぎがあり、それを機に彼女らも使うトイレも含めた水道設備の全面改修を行う……という報せのようだった。
「え、じゃあトイレ行けないってこと?え?ウソでしょ?」
そこに記載されていた日付はちょうど今日。そして今まさにこの時間。
張り紙によると改修工事はこのビル全体で行われるものの、利便性の観点から時間はずらして行うようだ。つまり今彼女の入ろうとしているここのトイレは今この時間だが、違う階のトイレなら入れるはず。
しかし問題が幾つかある。というのもこのビルは複数のテナントが入っているオフィスビルであり、「彼女の所属する会社」はこの階だけ。つまり他の階のトイレは別の企業が入っている場所であり……
昼休憩という性質上、どう考えても混みあうことが予想される。その上……
『あれ、トイレ使えない感じ?』
『前から水道の出悪かったしそれじゃない?面倒だけど他のとこ行くしかないっしょ』
トイレが使えない以上当然起こりうること。使えるところへの一極集中。
行列のできたトイレに並び、用を足して戻り、それから抜きにした朝の分も栄養補給を行い……
しかも時間が無さすぎたため弁当を作ることも、途中で買ってくることもできていない。つまり一度オフィス外に出て、コンビニかどこかのレストランに行かなければ朝昼の二食を抜く羽目になる。
さっきからぐるぐるとうるさいお腹が、はやくはやくとごはんをせがむ。尿意と空腹とのせめぎ合いの末、下した結論は……
(……こ、コンビニに行ってお昼買って、そこで借りれば……!)
お昼は今しか食べられないが、トイレなら後でだって行ける。まだ我慢できる。そう考えて、彼女はコンビニへ行くことに決めた。
コンビニであればトイレのある確率も高い。ある程度の勝算に裏打ちされた判断ではあったが……
しかし「お上りさん」の上、普段はそこまでコンビニを使わない彼女は知らなかった。都会のコンビニ、そのトイレ事情を。
_______________
【13:00】
「も、もどりましたー」
(う、うそだ……コンビニにトイレ、ないなんて……!安全対策って、どういうこと……?)
休憩明け。どこか精彩を欠く様子の彼女がデスクにつく。
コンビニエンスという言葉のとおり非常に便利なコンビニ。雑貨から食料品からATMからトイレまで、大抵のものが揃うこの場所だが……
人口の極度に多い都会において、この中で唯一トイレだけは治安の問題から近年省かれるようになっていた。
そこにはホームレスが長時間滞在するとか、人口密集地ゆえの危険物設置への懸念がありはするが、客から見れば不便そのもの。
もちろん経営側が様々な事情を考慮しての判断ではあるのだが、少なくとも今の彼女にとってそれは最悪のシナリオだった。
(と、とにかく14時……あと一時間耐えれば行けるから……!それまで我慢……)
とはいえ予定通りならあと一時間で改修も終わる。さしもの業務中とはいえ、トイレということであれば離席はまったく問題がない。
あとはそれまで、仕事のほうで何も起こらないことを祈るばかりだ。
(頼むからここでクレーマーなんて来ないでよ……!)
切なる願いを胸に、業務に就くのだった。
【13:30】
「はい、栗林がお受けいたします。いかがされましたでしょうか?」
「はい、はい……当社の製品に……」
「ええ、ええ……」
「……そ、それは大変申し訳ございません……!」
休憩が明けてから30分。トイレが使えるまでもあと30分の折り返し地点にて、詩葉は……
彼女の会社で取り扱っている商品で起きた不良に対する意見の電話を頂戴していた。
しかもそれはかなり温度感。すなわち相手側の感情が昂った状態であり、かなりの難物である。
どうやらその不良によって馬鹿にならないレベルの怪我をしてしまったとのことだが……
「はい、はい……いえ!当社としましてはそのような意図は……」
「はい、はい、仰る通りでございます。つきましては治療費も含めた補償につきまして……」
その怒りのはけ口を求める相手に対し、一応の加害者である会社側にできることは限られる。
相手の溜飲が下がるまで、ただただ謝り続けること。カスハラ対策の無い会社であればそれはことさら顕著で。
カスハラ、すなわち「カスタマーハラスメント」というのはつまり客側がその権利を過剰に行使してしまうことに起因するハラスメント。なのでいくら相手が金を払った客であり、いくらその対価として買った商品に不良があったとしても、適切な範囲を超えた対応を要求すればそれはハラスメントだ。
しかしその「適切な範囲」を会社が定めていない以上、どこまで言っても言ったもの勝ちにしかならず……
客がこれを妥当な怒りだと思っている時点で、彼女の命運は決していたのだ。
【14:00】
「……っ、はい。再発防止策につきましても……っ」
(ねえ、栗林さんさっきから……)
(どう見てもアレ、アレだよね……)
(栗林さんかわいそう……代わってあげたいけど……)
(相手にその気がなきゃ無理だし……)
インカムで応対しながら、椅子の上で膝をすりすりとんとん。
もはや隠し通すこと叶わなくなった尿意の波が彼女を襲う。
断続的に襲い来る高まりが言葉を詰まらせ、思考を奪う。電話応対、それもクレーム対応というただでさえ頭の回転が要求される場面で。
それが彼女からさらに余裕を奪い、その我慢をより派手なものに仕立てていく。
その動きは当然ほかの社員たちにも伝わり、心配の声がそこかしこから聞こえてくるが……
だからといってそのほかの社員たちにできることはない。
相手の怒りを鎮めようという時に、たらい回しというのは火に油を注ぐだけなのだから。
助けの手がないまま、詩葉はひとりクレーマーに立ち向かい続ける。
本来なら改修工事も終わり、トイレに行けていた時間を過ぎても、まだ。
【14:30】
「そ、それでは担当の部署に……っ」
「い、いえ!そのようなつもりは……!ただこちらとしまして、せんもんのぶしょでのたいおうを……!」
(と、トイレ……!はやく、トイレに……!)
ぎしぎし、彼女の座る椅子の軋む音が響く。
インカムを構え対応する彼女の、机の下の下半身はまるで水中の鴨のようにせわしがなく。
くねくね腰を揺すりながら、本日二度目の大クレームと戦い続けていた。
これまでも何度か怪我を含めた補償について提案し、そういった対応を専門に行う部署への引継ぎを試みてはいるのだが……
どうやらそれは相手の望みと違うものだったようで、怒りの火を鎮火するどころか燃え上がらせるだけに終わる。
だがそれでも、もはや彼女にこのまま電話を続けていられる余裕がないのは確かで。
社会人として、大人の女性として恥ずかしい「オシッコ我慢」をこうまであからさまにしないといけないほど切羽詰まったそれが、彼女から冷静な思考を奪う。
早くトイレに。そんな切なる願いはしかし、怒りに燃えるクレーマーによって踏み躙られるのだ。
【15:00】
「………………っ」
それからしばらくして、彼女の様子が変わる。
電話をしながらしてその手は、何かを探すようにデスク上を彷徨い……
何かを入れられそうな空の容器を手に取っては、そのあまりの小ささに絶望しながら戻し。それを何度も何度も繰り返す、異様な動作。
彼女が求めていること。したいこと。それは……
「ぁ…………」
血走った彼女の目に、あるものが映る。
それはこうした職場でよく用いられる、透明の持ち込みバッグ。
個人情報など社外秘に触れることの多いこうした職場では、情報漏洩防止のためこうした透明バッグを使うことが多い。それはカメラやメモリなど情報を記録し、持ち出すことのできる機器や筆記具などを持ち込ませないため。視認性を引き上げて、持ち込んでも問題ないものだけを持ち込ませるための措置がこうした透明バッグであり、つまり丸見えの容れ物である。
だがそれでも、入れることのできる容量がある。もう今の彼女に、それ以外は何も考えられなくて。
中身を全部ひっくり返して広げ、下着を下ろして出口にあてがう。そして……
びゅしゅうぅうぅうううぅううううぅうっっっっっ!!!!!ぶじゃじゃじゃじゃあああああーーーーー!!!!!
『えっ……!?ちょ、ちょっと栗林さん!?』
『み、みんな見ちゃダメ!あっち向いてて!』
ぶじゅうううぅうぅうぅーーーー!!!!じゅぼぼぼぼぼぼぼ……
(あ……ああぁ……おしっこ……できた……ぁ……きもち……ぃ……)
職場の中で、同僚のいる中で始まった詩葉のオシッコ。朝のトイレに行けず、利尿作用が高い二本のエナジードリンクによって醸成されたまっ黄色のそれが、透明かばんをみるみる濃いオシッコ色に染めていく。
電話越しに響く怒声も今は遠く、半日以上ぶりに解放された快感に浸る。
我慢した分だけ盛大な放尿音をオフィスに響かせながら、ずっと、ずっと。溜めてきたものが空になるまで。
_____________
【17:00】
「お、お疲れ様でした!!」
盛大な容器放尿から2時間。やっと退勤の時間を迎えた彼女は、他の追随を許さない圧倒的速さで退勤していった。
その理由は言わずもがな。手に携える、黄色く染まった透明バッグ。
振動で溢れさせないよう慎重に、それでいて迅速にその場を後にした彼女の後ろで、同僚たちがこっそりと会話を交わす。
『……栗林さん、すごかったね……』
『ね。バッグの中いっぱいになるくらい……』
『どんだけ我慢してたんだろ……』
『エナドリいっぱい飲んでたし、ずっとトイレも行けてなかったし……』
『1リットルくらいはいってる?もっと?』
『なんかちょっと興奮するよね……』
『『『わかるーーーーー!!!』』』
同僚たち(♀)から向けられる邪な視線に気づくことなく、バッグのオシッコを流しに捨て、きれいにバッグを洗って返却した彼女は自宅へと帰っていく。
道中で人身事故に見舞われ、電車が遅れるなどのアクシデントは起きたものの今はすっかり膀胱も空。何も恐れることはなく。
恥ずかし半分すっきり半分で帰宅した彼女は、明日もまた黒と白との狭間で労働に勤しむのだ。
なお今日以降、ほかの女子社員からやたらとエナドリや紅茶などの飲み物を奢られることが増えたようだが、それがどうしてかはわからない。
(ああ来た!隣に!隣に栗林さんが!!!)
(ああ……いい音……エナドリあげてよかった……耳がしあわせになる……このために生きてる……)
(おしっこっていうかなんかもう……噴射……ノズルとかのそれに近い……人間高圧洗浄機……推しのおしっこ……尊い……っ)
(もっと我慢させたい……もっと盛大な音を聞きたい……ああ……栗林さん……!)