近代医学についての補足解説とおまけイラストです。
テーマが煩雑で広大でなおかつ人気がないというものでしたがいいね10くらいもらえて嬉しかったです。
誰も医学なんて興味ないんですよね。反ワクチンが流行るくらいだし……
おそらくこれを読んでいるあなたは超物好きに違いない!きっとそう。たぶんそう。
以下はいつものように読書メモ等からの引用などです。
なんかめちゃくちゃ長くなってしまいすみません!
全身麻酔の負の歴史
全身麻酔を見事成功させたモートン。しかしモートンや彼の麻酔技術を発展させた医師たちの末路は悲惨でした。「俺がやったんだ!」「僕が技術を確立させたんだ!」等の争い(もちろんお金を得るためです)で彼らは破滅していきました。モートンは最後惨めに野垂れ死んだと言われています。彼の初期フォロワーも同様。当時は彼らは超有名人ですが、モートンらの名が再び知られたのはじつは最近なんです。ああ無常!金のために破滅するとは……でも歴史の闇に消えなくてよかったね……
なお、モートンらの初期の全身麻酔は感覚と経験だけで麻酔深度を調整するので危険だし超職人技でした。こわいわねえ……
※当時の麻酔の宣伝は「一息吸うだけで紳士を自由にするガス」でした
確かにラリって自由になれるかも~!意識も飛ぶしね。
ヴィクトリア朝の医学について
「近代看護の出現は、病院の変化と時を同じくして起こりました。当初、病院は単にベッド数を増やすだけのものでしたが、新しい病院が次々と建設されました。これらの病院は、特定の患者(例えば小児)や耳鼻咽喉科などの部位、あるいはがんなどの疾患の治療に特化した、より専門的な診療を行うことが多くなりました。資金難が深刻化するにつれ、病院はより裕福で有料の患者を受け入れ、他の患者を補助するようになりました。」
→ヴィクトリア朝ではブラックジャック先生のような総合的な医師から特化医師の誕生。裕福な患者から金を取り、貧乏な患者を診るというのは今の国民皆保険と同じですね。お金持ちさん私の医療費をありがとう(泣)
「ヴィクトリア朝時代の薬局は、多かれ少なかれ一般大衆に医療を提供していました。病気の治療法や治療薬が入手できるようになったことは、大衆にとって革命的な出来事でした。もっとも、ほとんどの薬は古い信仰に基づいていたにもかかわらずです。(…)薬剤師が推奨する一般的な治療法には、体内の余分な血を吸い出すヒル療法などがありました。一般的に、治療法に関する多くの考え方は、体内の邪気を抜くことに関連していました。蝋と鉛、アヘン、乳香などの成分を混ぜ合わせた絆創膏は、様々な形で販売され、痛みや病気の原因となる過剰な体液を体外に排出するために体の各部に貼られました。また、不要な体液を体から排出するための調合薬も販売されていました。使用された成分の一つはアンチモンで、これは激しい嘔吐と下痢を引き起こし、体を健康的に浄化すると考えられていました。 」
→古代ギリシャの「医学の始祖」ことヒポクラテスの四体液説ですね。これは「病気は体内の四種類の体液のバランスが崩れるから起きる!だから体液を瀉血や下剤で出して、体液バランスを整えれば治る!」という説です。今ではえ…?となりますがヒポクラテスは当時の臨床から得た「実地の知恵」でした。化膿して腫れた部分をメスで切って膿や血液を出す、お腹が張ったら下剤でたまったうんちを出す…すべて「ある程度」は有効で、当時としては「エビデンスがあった」のです。問題は古代ギリシャから2000年経ってもそれを改善させないヨーロッパ人!!!ちなみにヒポクラテスは痔の治療にも自信がありました。現代とほぼ変わらないことをしていたのです。すごいわねえ。痔の話しかしない私もすごいわねえ。
聴診器
聴診器の始まりはラエンネックが女性や子供の胸に耳を直接当てるのを戸惑ったからです。これ解説イラストで描いたらいろいろ面倒ですので……「聴診器」という言葉はなく、「耳ラッパ」と呼ばれていました。
検眼鏡
「19世紀初頭、眼疾患の一部は「眼球内部」に起因するという仮説が生まれましたが、網膜を安全に観察する確実な方法はありませんでした。唯一の手がかりは赤色屈曲であり、患者はベッドの上でうつ伏せになり、医師は仰向けになってろうそくを手に持ちました。1851年になって初めて、ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ教授が検眼鏡を発明しました。彼はそれを「アウゲンシュピーゲル」と呼びました。」
「ヘルムホルツ以前に、生体の眼底観察の最古の記録は1704年にジャン・メリー博士によってなされました。彼は猫を水中に入れ、網膜血管が明瞭に見えることに気づきました。1825年には、ヤン・プルキンエが近視用の眼鏡とろうそくを使って簡素な検眼鏡を製作しました。しかし、彼の論文がラテン語であったため、彼の発見は長年認められませんでした。20年後、ロンドンのウィリアム・カミングは、光源から人の目に向けられた光軸と観察者の視線が一致すると、目が光ることを発見しました。」
「1847年、数学者であり発明家であったチャールズ・バベッジは、網膜検査のための機器を初めて開発しました。「バベッジ検眼鏡」は、光学的には現代の直像検眼鏡に近いものでしたが、眼科医のトーマス・ウォートン博士はバベッジの発明を「単なる平面鏡」と評し、価値の低いものとして却下しました。しかし、バベッジは、平面鏡の裏側と観察者の眼の間に-4または-5ディオプターのレンズを挿入し、そのレンズに2、3個の穴を開ければ、この機器が機能することを知りませんでした。」
「ヘルムホルツの検眼鏡は、光に対して斜めに置かれたガラス板と、患者と観察者の間の屈折異常を矯正するための緩い凹レンズが重ね合わされた構造でした。重ね合わせたガラス板は反射性と透過性の両方を備えており、現代の直線ビームスプリッター(ハーフミラー)の先駆けとなりました。」
→検眼鏡はみんな切磋琢磨してところどころで色々な発明が生まれていました。「目の病気は眼球内部の病気」というのは実は先進的な考えで、それ以前は目の表面で起こる説などがありました。結膜炎などのわかりやすい病気は目やその周りの表面に起きるのでそう考えるのも無理ない!
ハーフミラー式の検眼鏡を使うと目の中がよく見えるのでみなさんも見てみて~!逆に言うとこれがないとよくわからんよね。コンタクトレンズつけてるのでよく着脱の際に眼球を見る私もよくわからないよ~!
耳鏡
「耳鏡を使用すると、外耳道と鼓膜を観察および検査することができます。鼓膜は外耳道と中耳の境界にあるため、その特徴から中耳腔のさまざまな病気がわかります。
耳鏡の歴史は1363年のフランスにまで遡ります。当時、フランスの医師兼外科医であるギー・ド・ショリアックは、耳や鼻の痛みを訴える患者の診断に役立つツールを構想しました。実際の機器が誕生したのは、ドイツの外科医であるヴィルヘルム・ファブリーと医療機器販売員であるJJ・ペレが、それぞれ1600年代と1700年代に最初の試作品を開発してからのことでした。
19世紀半ば、ドイツで現代の耳鏡が本格的に形を整え始めました。ドイツの耳鼻科医、ヴィルヘルム・クラマーは、先端に漏斗状の鋼鉄製耳鏡を開発しました。後にとして知られるようになったこの器具は、1881年にA・ハルトマンが今日の耳鏡にほぼ近いデザインを考案するまで、医師が主に使用していました。 」
→耳鏡はフランスで始まり、ドイツで発展しました。とにかくこの時代は「光源」が大事で、今はLEDライトで簡単に目や耳を照らせますが当時はろうそくや鏡でなんとか光を得ていました。耳鏡は鼓膜や外耳を診るのですが、実はこれで耳の内部も推し量ることができます。これはかなり大事で、今の耳鼻科医も同じことをしています。
センメルヴェイスの無念
産褥熱の原因を発見したセンメルヴェイスは当時は受け入れられず、最後は精神病院に入れられて死にました。彼の「手を洗わない医者が病気の原因!俺達のせいなんだよ!」という意見を医者たちは受け入れずに彼を批判したのです。猛批判に彼の心は壊れて精神を病み、精神病薬もない時代なので治療もできず、失意の中、精神病院で亡くなったのです。わずか47歳でした。
医学の負の歴史ですね…
Twitterでも反ワクチンが医師を叩いていましたね…うーん…
疫学の誕生(ソーホー地区の井戸)
詳しくはおまけイラストを見てほしいのですが、このスノウ医師が「原因がわからないけどとにかく病気を止めた」事例は疫学の誕生と言われています。
疫学(Epidemiologie。古代ギリシャ語のνόσος ἐπιδήμιος, nósos epidēmios「伝染病、蔓延する病気」から出た言葉です)は、集団における健康関連の症状や事象の蔓延、原因、結果を扱う科学的分野です。この点が、個人の患者を助けることを目的とする臨床医学と疫学を区別します。要するに一人を助ける医学と全体を助ける疫学です。
「1854年、ジョン・スノウはロンドンのソーホー地区で発生したコレラの流行を撃退することに成功した。症例地図の作成に基づき、彼は公共の井戸が感染源であると突き止めたからである。彼は汚染された井戸を封鎖し、それ以降、症例数は大幅に減少した。スノウが医師で微生物学者のアーサー・ヒル・ハッサルと共同で得たコレラの原因に関する発見は、スノーの死後まで広く受け入れられることはなかった。この発見については、とりわけイギリスの統計学者ウィリアム・ファーが重要な役割を果たした。
ウィリアム・ファーの交友関係の中には、西洋看護学の創始者のひとりとされるフローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)もいた。 クリミア戦争中、彼女はセリミエ兵舎にあった当時のイギリス軍の中央病院、スクタリで初歩的な病院運営を確実に行い、クリミア戦争でのイギリス軍の死傷者の大半が負傷ではなく感染症によるものであることを発見した。
彼女はクリミア戦争での従軍で得た名声を利用して、イギリスの多くの医療改革に影響を与えた。クリミア戦争中に罹った病気のために、彼女は兵舎、病院、救貧院の状況について自分の意見をまとめることができなかった。そのため、データの収集、処理、分析を行い、そこから結論を導き出すことに専念した。アンケートは彼女の仕事にとって重要なツールだったが、ブルーブックと呼ばれる政府の公式報告書やイギリス当局の声明などの既存のデータも活用した。
彼女は軍隊の健康管理における深刻な問題を記録した。イギリス兵は通常20歳から35歳で死亡率の低い年齢層に属していたが、平時の死亡率は民間人のほぼ2倍であった。イギリス政府への報告書で、ナイチンゲールはこれについて明確な言葉で表現した。「民間人の1000人中11人が毎年死亡しているのに、イングランドに駐留する歩兵、砲兵、近衛兵の1,000人中17人、19人、20人が死亡しているとしたら、それは毎年1100人の男をソールズベリー平原に導きそこで銃殺するのと同じくらい犯罪的である」。
フローレンス・ナイチンゲールはそうしたデータのグラフィカルな処理の先駆者の一人と考えられている。」
つまり、ナイチンゲールやスノウは統計で病気と戦ったのです。「よくわからないが、統計的にこれが原因だ、これを防げば人が助かる……!」これが疫学の基本理念です。コロナパンデミックも実はこれで、ワクチンの効果や感染予防について多くの議論がありましたが、疫学的に「こうすればいいんだ!」とわかったのでみんな手を洗い、うがいをし、ワクチンを打ったのです。こういうのってFanboxでないと書けない!!!これが本質なんです!!!でも……言えないよねぇ……変な人いるし……
ということで医学についての補足解説おわり!
イラストを貼ります。最後におまけがあるのでぜひ見てみてね。
それでは読んでくれてありがと~!