自分の人生は順調だと思っていた。
国に三つしかない公爵家の嫡男として生まれ、何不自由なく育ち、最高水準の教育を受けてきた。出来も悪くなくて、ある程度のものは適当にこなせるし、それでいてみんな褒めてくれるから、この調子で人生が進んでいくんだろうと疑うこともしなかった。
このまま公爵家を引き継いで、国の要職について、可愛いお嫁さんをもらって適当に権力闘争しながら引退して、最後の最後まで満足して生きる。それが順風満帆なおれの人生プランだった。
それがどうだ、たった一度転んだだけですべてがひっくり返ってしまったんだから。
この転んだは文字通り、庭先ですってんころりんしたってことで、考え事をしながら歩いていたら躓いたんだ。
だけど、その拍子に頭を打ったからか、おれの中にここじゃない世界--つまるところ前世の記憶ってやつがぶわっと蘇ってきた。
「……へ?」
大の字になって空を見上げながら、何とも間抜けな声が漏れ出した。
メイドたちがわらわら寄って来て心配してくれるけど、おれはもうそれどころじゃなかった。記憶の奔流に飲みこまれ、理解するのに一生懸命だったんだ。
適当に会社員しながら働いて、帰ってゲームして一日を終えるだけ。楽しみなのは新作のゲームだけで、友人としゃべりながら遊ぶのだけが生きがいだった。
なのにある日の帰り道、急に心臓が痛くなって……そこで記憶は途切れてるから、多分おれは死んだんだろうな。
あーあ、もう少しで楽しみにしてたゲームの発売日だったのに。
そして……ああそうだ、思い出した。
ここはロトライム王国。その名前を知らないはずがない。
だってここは、『宙に咲く花の災禍』の世界そのものだってわかってしまったのだから。
あのドはまりしてたゲームの世界に、おれは来てしまったのだ。
「は、はは……」
もう笑うしかない。何が順風満帆だ。馬鹿も休み休み言え。
だって、このゲームの中でのおれは完全なる悪役。
――――最後には死んでしまうただの中ボスだ。
****
『宙に咲く花の災禍』は乙女ゲーでもありRPGでもある、主人公でもあるヒロインがかっこいい男たちとパーティを組んで世界を救うお話だ。
ヒロインは宙の女神から加護をもらったことで、平民でありながら王立星冠学園に通うことになった聖女であり、ゲームはそこを卒業してから始まるわけだ。
……普通の乙女ゲームとしては学園物とかでもよくないかと思ったけど、開発陣がどうしてもRPGを作りたかったらしい。おかげで学園生活とかいう花形イベントがすべて未実装という奇抜なシステムになっている。
一応ファンディスクの過去編として、出はしたけど推しがいないので買ってないから詳しくは知らない。
この国にはびこる悪にも負けずにメンバーたちと絆を深め、最後には個別エンドもある! そのスチル回収のためにおかげでかなり周回した。
確かにゲームバランスとしてはもの申したいところもあったけど、粗削りながら面白かったんだよな。おかげで男性ユーザーからの評判もよく、特におれのようなケモノ趣味にとってはなかなかおいしいゲームだった。
そう! おれの推し!
おれがゲームの世界に転生したってことは、ここにはおれの推しが! 生きている!
はぁー考えるだけで尊いな。正直前世の記憶とか戻っても、おれはもう生まれも育ちもロトライムだから未練とかは実感できないし、それなら今を謳歌すべきだろうとも!
……まあ、性癖は終わっちゃったけどね! 完全に前世に引っ張られた。それもこれも推しがかっこよすぎるのが悪い。実物を見たら死ぬかもしれない。
「……いや、そう! おれ、死ぬんだった!」
豪華な私室でおれは頭を抱え、ベッドに転がった。前世のおれの部屋何個分だよと言いたくなるほど広い部屋には、中世ファンタジー的な家具がきらきらと輝いている。
普段であればメイドや執事の誰かしらがいるはずなんだけど、さすがに前世を思い出して悶々とする姿を見せたくはないので退出してもらっている。
実際今、人に見せられない行動してる自覚はあるから。現代社会と貴族マナーが頭の中でごちゃごちゃになって、結構気持ち悪い。早く慣れたいところだ。
白虎の顔は正直かなりかっこいいし、記憶が戻る前からイケメンだという自覚と共に生きてきた。平均より身長は高いし、後継者教育で武術も習っていたから体つきも悪くない。
ゲームしてた時は仲間にならないかなとか思ってたキャラが今のおれ。なんでだよ。
そして、おれはこのままだと死ぬ。それも家族全員道ずれにして。
おれの生家であるステリアル公爵家は王家の傍流みたいな立場で、肥沃で広大な領地にいくつかの鉱山を持ち、さらには商会や銀行を経営しているという、戦後日本だったら解体されててもおかしくないほどの力を持つ家だ。
さらに膨大な魔力を持つ家系でもあり、おれも例にもれず魔法が大得意。小さい頃から神童という名をほしいままにしてきたものだ。
ここに前世知識でブーストしたらチートだったのにと思うが、なんかもう今でも十分チートだなおい。家柄も資産も能力もあるってなんだよ。おれ、前世で何かいいことしたっけ。
「……まあ、死ぬんだけどさ」
おれが死ぬ理由は簡単だ。
国家反逆罪。これ。
おれことリローダン=カラ=ステリアルは、主人公であるヒロインのことが死ぬほど大好きなのだ。宙の女神の加護を受け、皇太子からも行為をもらっているあの最強ヒロインのことが、死ぬほど、好きだった。
うん、転ぶ前もあの子が好きなものを送ろうと、るんるん気分で歩いてたからね。そのせいで性癖が終わったよ。今のおれはたくましいケモノが大好き。貴族としてどうなんだとは思うけど、このままだったら死ぬだけだからまだよかった。
自分に振り向いてくれないヒロインに業を煮やして、禁術に手を出して敵対する役目。それがこのおれだ。
パーティメンバーの中には皇太子もいるおかげで、おれは晴れて国家犯罪者。領地も何もかも取り上げられ、ステリアル公爵家の取り壊しまで行われてしまう。
しかもそこをメンバーの一人に統治させるんだから、もう出来レースも大概にしてくれ。おれは当て馬じゃねえかよ。いくらおれがハッピーエンド好きとは言え、シナリオのご都合主義に消費されるのは御免だ。
「リローダン様」
ノックされたので入室を許可すると、犬の執事カラサールがなにやら手紙を持ってきた。
「なんだそれは」
「聖女リアラ様も参加なさる舞踏会の招待状でございます」
「あー……」
そうだ。皇太子主催の舞踏会。リアラが参加するからって、数日前まで張り切ってた。
今は……別に行かなくてもいいんだけど、皇太子主催となれば公爵家としてはどのみちでないと駄目だろうな。うまくいけば、推しも来るかもしれないし。
「明日には礼服を新調するためのデザイナーや、リアラ様への贈り物を見繕うために商人も手配してございます」
「ああ……そうだった。商人の方はキャンセルしといてくれ」
「……はい?」公爵家につかえる執事の鉄面皮がわずかに崩れた。「えっと、よろしいのですか? 毎回豪華な宝石をお渡しされていたはずですが……」
「さすがに金の無駄だ。我が公爵家の財はそれしきの宝石で揺らぐことはないが、それで手に入る女心など私には不要だと気づいたのだ」
「…………」
うわ、何と言おうか迷ってる顔だ。いつも冷静で有事の際には戦うこともできる頼れる人なんだけど、さすがに動揺してる。
まあこんな急に心変わりしたんだ。びっくりするのも当然か。
でもさすがにもう興味もない人のために時間を割くのはめんどいんだよね。お金もかかるし。
「わ、わかりました」
「デザイナーにはリアラへの好みとは関係なく、流行と格式をうまく取り入れたものにするよう指示しておいてくれ。さすがに皇太子主催だと、手を抜くわけにもいかんからな」
「かしこまりました。そのように手配します」
「頼んだ。一人で考え事がしたい。部屋にはまだ誰も入れないようにしておいてくれ」
「……かしこまりました」
じっと無礼を承知でおれを見つめる目。疑いを隠し切れないようで、所作に少しの緊張がうかがえた。
うんうん、さすがに本物か気になるよね。魔法もあるファンタジーだから、変装を疑うのもしょうがないけど。
でも前世を思い出したとか説明するのも無理だし、慣れてくれとしか言えない。一応魔法を使っておくか。おれの魔法はステリアル家特有の月の魔法だ。これ以上身元確認に有効なものはないだろう。
「疑うのもわかるが、心配するな。私は変わりない」
小さな満月を部屋に浮かばせて、執事の体を月光で包み込む。月の魔法は人を助ける魔法。RPGで言うなら、サポタンクみたいなやつ……うん、思い出した瞬間俗な言い方が染みついたな。
月の魔法も使われては、公爵の血筋を疑うことはないだろう。そも、下の者が公爵の嫡男にぶしつけな視線を送るのは無礼を叱っても問題ないのに、わざわざ証明してみせたんだ。
執事が慌てて頭を下げ、震える声になるのも当然か。
「申し訳ございません」
「よい。職務に熱心なものを私は罰しない。その調子で公爵家に仕えてくれ」
「私の忠誠は揺らぐことなどございません。寛大な処置に感謝いたします」
これで変な噂が立つことはないだろう。まあ、噂なんてどうでもいいんだけど。おれの家はそれくらいで揺るがないし。
一人になったとたん、ベッドに突っ伏して今後のことを考える。急に思い出したから人格が分かれたように感じられたけど、だんだん混ざって一つになってきた気がする。
それにしても、魔法はちゃんと使えたな。幼いころからみっちり仕込まれてるんだ、例え記憶が増えても体に染みついてるんだろう。
礼儀も忘れてないようで、内心の一人称はおれになってるけど、しゃべるとちゃんと私としてふるまえる。
いやまあ、おれは顔も家柄もよく『白月の貴公子』とか呼ばれてるので、こういうキャラなんだろうな。……今思うとくっそダサいけど。中世ファンタジーのセンスというか、ゲーム開発者のセンスな気がする。
「はあ……さて、これからどうするかな」
とりあえず当面の目標は、おれは死なずに、家族に迷惑をかけない。
家族は良い人だし、巻き込まれ事故ですべてを失うのはかわいそうだ。
ゲーム開始は学校卒業後から。つまり、もう始まってるんだ。
皇太子主催のパーティってゲームのイベントじゃ……あーあったわ。何週もしたから覚えてる。
確かリアラに思いを寄せる男が完全に振られてしまったために、魔王にそそのかされて魔力を汚されちゃったんだよね。それで主人公らと敵対して、負けて、領地取られて……。
……いや、おれの悪落ちイベントじゃん!
うわっ、ぎりっぎりのタイミングで思い出せてよかった! もう少しで死ぬところだった!
つまりこの時期だと聖女のパーティの一人が、ステリアル公爵家の血を引いてることがもうばれてるわけだ。それを正当性にして領地を取ってくわけなんだけど、この生活を手放すのは無理。
「……ん? つまりもうパーティメンバーはそろってる時期……ってことは」
推しが! もう! いる!
「んぐうぅぅぅぅっ!」
この世界にもう推しがいることを自覚したら、心臓が急にうるさくなって死にかけた。
今度の舞踏会に来る。推しが……礼装で、あの推しがしっかり着飾って……。
なんでこの世界にカメラはないんだ! 画家を呼べ! 肖像画が欲しいいいいいっ!
「はあっはあっ! まずい、今度の舞踏会……完璧にしなければ!」
おれは推しに貢ぐことに何の躊躇もない男だ。その性根が変わってないことは、リアラに貢いできた過去が証明している。魂レベルでオタクかおれ。
だが、だが……この時期だとリアラにちょっかいをかけていたおれの印象は最悪。話すことも難しいかもしれん。
嫌われていたらどうしよう……いや絶対に嫌われている。
あ、泣きそう。もっと早く記憶が戻っていれば……。
別に仲良くなりたいというわけではない。おれは推しの健やかな姿を見られればそれでいいんだ。
おれは壁や空気になって、推しが聖女に向けるあの温かい瞳をおすそ分けしてほしいだけ。本当に、それだけでいいんだ。
でも嫌われてるのは違うじゃん~~~~!
嫌だよ~~~~! おれに侮蔑の視線を向ける推し!
……いや、それはそれでいいんだけど。世界で一番かっこいいので。
だけどできれば近づいても嫌がられないくらいの距離感がいい。おれのせいで、推しに煩わしい思いをしてほしくない。おれは、空気になりたい……!
「カラサール! カラサーーーール!」
速攻執事を呼んで、対策をしよう。こうなったらできることはただ一つ。
――――金の力だ!
****
この国は太陽と月と星によって成り立ったと言われている。
世界が闇に閉ざされたとき、その三つの力を授かった者が邪竜を打ち破り、光をもたらした。そして、国を守るために三つの力を分け与えた守護者を任じ、自身は王として君臨することで国を興したのだ。
太陽の力を持つイリカザート。
月の力を持つステリアル。
星の力を持つシュヴァン。
それらを統べる王家ロトライム。
これがロトライム王国の建国神話であり、今の王家や公爵家の発祥だ。
そして、魔王こと邪竜が最近復活しそうだから何とかしてくれってことで、宙の乙女が選ばれたことで、物語が始まる――
ってのが、『宙に咲く花の災禍』の大まかな設定とあらすじ。
そしてこれはRPG。つまり装備品がいる世界だ。
そしておれは公爵家嫡男。つまり金をじゃぶじゃぶ使える身分だ。
それらを加味すると、おれにできることはただ一つ。
「……パトロン、ですか?」
可憐な少女がおれに向けてきょとんとした瞳を返した。
豪奢なホールではすでに音楽も落ち着いたものへと変わっており、参加者たちが思い思いの雑談に興じている。チャンスは今だろうと機を見計らって、適度な距離感を保ちながら話しかけた。
腰まであるロングヘアーは青みがかった銀の色をしていて、群青の裏地に光沢が散ってキラキラと瞬いている。マントとか髪とかの裏地にグラデをかけるってゲームではよくある描き方だけど、現実でも踏襲されてるんだと、今更ながら感慨深くなってしまった。どうなってるんだあれ。
あと大きな瞳にも光沢が散って、光彩が深い紺の中を泳いでいる。ゲームの立ち絵そのままだと気づいたおれは、二次元をそのまま持ってきた見た目してることに内心で小躍りした。だって推しもそうだってことだから!
「ああ、今まで君に迷惑をかけたお詫びにぜひ受け取ってほしい。魔王討伐の旅は過酷になるだろうし、装備は万全にしておくに越したことはないだろう?」
「それはそうですけど……いいんですか?」
「もちろん。言っただろう、お詫びだと。恋に浮かれて無様をさらした男の、精いっぱいの見栄だよ。慰謝料と言ってもいいだろうね。本当に、すまなかった」
「いえっ! リローダン様に頭を下げてもらう必要はありません! 確かに、少し怖かったこともありましたけど、好意から頂いたものですから……」
さすが聖女、優しさのステがカンストしてる。
でもね、リアラはそう言うけれど、背後に控えるパーティメンバーたちは無言で謝れって圧かけしてるんだ。めちゃ怖だね。
うちの傍系に皇太子に太陽の公爵家三男に……と、まあ多種多様な男たちがリアラを取り巻いている。ハーレムって傍から見ると結構圧が強いな。
全員イケメンと呼ばれる部類だが、それはおれも負けてない自信がある。だから勝てると思ってアタックし続けたわけなんですが。
「……ところで」どうしても聞きたいことが口から漏れる。「ダンドランが見えないようだが、どうしたのか聞いてもいいだろうか?」
おかしい。メンバーがほぼ全員揃っているのに、なぜ、おれの推しだけがいない。
「ああ、ダンドラン様は体調が悪いからと、先ほど風に当たりに行きました。私が治そうとしたのですけど……やはり難しいようで……」
「そうなのか。彼がこのような場所に来たこと自体が珍しいのだ。少し休ませてあげるのが良いだろう」
「そうですよね……」
推しの今を慮って、リアラが痛ましそうに顔を伏せる。あまりにおれが常識的な会話をしたせいで、背後ではメンバーたちがいぶかし気におれを見ているが、さすがにお前らに証明する時間も義理もない。
推しが! 苦しんでるんだぞ!!!!!
「ダンドランはどちらに?」
「確か、庭園の方かと」
「わかった。どうもありがとう」
「向かわれるのですか?」
「ああそうしようと思う。私は月の魔法使い、リローダン=カラ=ステリアルだ。何か助けになるかもしれないからね」
実はパーティメンバーにステリアルの傍系がいるんだけど、おれは知らない情報だからね。推しに会う口実としては問題ないだろう。
聖女一団への好感度上昇ムーブは終わったから、今度は推しへの印象を上げねばならない。むしろそれが本題だ。
あまりの豹変ぶりに、リアラも困惑の表情だ。この日のためにあつらえたドレスは可憐なのに、そんな顔をしていたら台無しじゃないか。……今のリローダンが出てるな。完全に前世と混ざり合ってる。
「ふふっ、そんなに不安そうな顔をしないでくれ。言っただろう、慰謝料だと。私にできることはさせてほしい」
「す、すみません……!」
はい、麗しい白虎のスマイルで好感度アップ。おれは自分の顔がいい自覚があるんで、っていうかゲームの登場人物だからそうなんだろうけど、この顔はしっかり使っていかないとね。
さて視線が痛いのでさっさと去るとしようか。みんなおれを猜疑で見てる。リアラへの対応は変えたくらいで、他はちゃんと『白月の貴公子』なんだけど。おれってどこまで信頼がなかったんだ。
「では、必要なものがあれば遠慮なく言ってほしい。皇太子殿がいらっしゃることは承知しているが、助けは多い方がいいだろう? 君の旅の成功を祈っているよ」
「ありがとうございます。ふふっ、こうしてリローダン様と普通にお話できてうれしかったです」
うわーお、笑うと一気に周囲が明るくなって、可憐さが眩しい。清楚な花って感じ。これは確かに男が放っておかないだろうな。おれの趣味ではないが。
リアラは真っすぐないい人だから、おれが疑われることはないはず。傍系の彼とかはステリアル家を嫌っているが、おれが問題を起こさない限り何もすることはないだろう。
両親は真っ当で、国王陛下からの覚えも悪くない。下手な手を打たない限り、おれの生活は安泰だ。
だがもうそんなことよりも、だ。ホールを優雅な足取りで歩き去るおれの脳内は、推しのことでいっぱいだった。
王城だけあって、庭園は優雅を極めた造形をしている。完璧に手入れされた植物が並び、魔法で管理された花々が色味を添えて華やかさを醸す。正直あまりにも作り物めいていておれは好きじゃないんだけど、夜だけは別だ。
庭は柔らかい明かりに照らされて、ほのかに幻想的な雰囲気を帯びている。暗がりで灯る夜光花の数々が道を作り、この庭園に温かみを添えていた。
動物の侵入すら許されない聖域には噴水の奏でる水音だけが流れ、自分の足音が夜空へと突き抜けていく。喧騒から隔絶された心地よい暗夜ヴェールはおれの白すら隠してしまいそうだ。
普段は四角四面な庭園が、夜には全く別の顔を見せる。豪華なだけで堅苦しい王宮の中で、おれが一番好きな場所だった。
そんなところに、彼はいた。
「……ぐ、ぁ」
おれの上背を優に超すであろう長身に、筋肉という筋肉を詰め込んだ屈強な体躯。おれだって後継者教育で武術も学んでいるはずなのだが、彼を前にすると赤子にしか見えないだろう。
夜よりもなお濃い黒の鱗に、前へと伸びる赤みを帯びた角が彼の凛々しさを際立たせ、あまねくすべてに格の違いを知らしめる。竜の口唇からのぞく牙は鋭利だが、苦しみを帯びた吐息を抑えることはできていない。
歪んだ相貌は――こう言うと不謹慎なのだが、とてもかっこよく、一目見た瞬間からおれの心臓は暴れまわって狂い始めている。もはや表情の平常心を保っていられるのが不思議なくらいだ。
最高にして最高のおれの推し、ダンドラン=フォン=シュヴァンがうずくまってそこにいる。
「ダンドラン」
声をかけて近寄る。……けど、おれの声震えてないよね。大丈夫だよね。
「……リローダンか」息も絶え絶えな中でおれの名前を呼んで。「こんなところに何の用だ。ここにくれば……リアラに会えるとでも、思ったのか?」
「いや、私は君に会いに来たんだ」
「俺に……? 今度は何を企んでいる」
敵愾心むき出しの目は最高にかっこよくて、推しが目の前にいる現実に感謝を捧げずにはいられない。こうして呪いにむしばまれていても、黒星ダンドランのかっこよさはみじんも揺らがないのだ。
「リアラには謝罪をしてきた。これまでのことをな。和解できるといいのだが、それは向こう次第だ」
「なんだと……どういう心境の変化だ……?」
「現実を見た、ということかな。どれだけ思いを寄せても、彼女の心は手に入らない。そんなことにようやく気づいたんだ」
「ふんっ、今更か……それで、俺に何の、用だ……?」
「君の手助けができないかと思ってね。私の持つ月の魔法が、君の呪いに役立つかもしれない」
山のような体躯は今日のための礼装で綺麗に整えられている。黒い体躯に黒の礼装、さらに黒の肩掛けジャケットと、黒ずくめなのだがそれがいいっ。最高っ。
正直触るなどおこがましくて無理だから、少し近寄るだけにして魔法を使おう。
星の公爵家、シュヴァン家は邪竜の血を引くと言われている。初代国王が魔王を倒した時、復活を阻止するために力の片りんを奪い取った。それを身に宿しているのが、シュヴァン家だ。
そのため、シュヴァン家は公爵家でありながら、呪われた家と蔑まれている。三大公爵家の一角だというのに、北方の貧しい領地を治め、日々呪いと戦うことを義務付けられた家なのだ。
星の魔法は人を癒す魔法。RPGでいうならヒーラーだというのに、あまりに扱いが悪いと思う。病の困りごとの時にはみんな頭を下げるのに、内心では見下しているなんて、あまりに貴族的で不愉快だ。……まあ、前のおれもそうだったんだけどさ。
そう、黒竜はこの体のごつさでヒーラー枠だったりする。はあ、好き。
もっとも、家系全員がこんなに隆々とした体躯というわけではない。シュヴァン家はまれにダンドランのような邪竜の姿に似た者が生まれ、呪いに苦しむ人生を送ることになる。
邪悪な魔力にむしばまれ、星の魔法で治癒し続けなければ心が悪に染まってしまい、狂ってしまうのだ。そんなことはおれが絶対にさせないけどね。
ゲームでは呪いに耐えながら戦い、リアラと交流する話がメインで、それはもういい話だった。最後に呪いを解くんだけど、その時の推しの顔と言ったら、もう……もう……!
「……貴様、何をしている?」
やばい。目の前に推しがいる幸せに思考が飛んでいた。
貴族たるもの動揺を顔に出すべからず。この教えが無ければ完全にでれでれした不審者に成り下がっていた。両親の教育に感謝しながらおれは魔法を起動する。
月の魔法は人を助ける魔法。治癒とまではいかないけれど、その人がもつ強さを引き出してどんな逆境でも立ち上がれるようにする魔法。
星の魔法と合わせれば、かなり症状の改善ができるはずなのだ。
淡い月明りがダンドランを包み込み、青い光がいきわたる。黒竜の体を蝕もうとするばい菌め! 推しを煩わせるな! 死ね!
おれの持つ全魔力を使って、強化を付与していく。体中が倦怠感を訴えていくが、そんなことより推しの役に立つ高揚感が強い。今のおれを止めることなど誰にもできん!
「…………っぷはぁ!」
短期間に魔力を使いすぎて、脳が酩酊を起こして足元が揺れた。おれは立つことも難しくなり、視界が傾ぐのをぼんやりとした思考で眺めるだけ。
推しの役に立てたのだ、何の悔いがあろう。たとえこのまま気絶して朝を迎えたとしても、笑って帰れる自信がある。
「……あれ?」
だが、おれを受け止めたのは硬い地面ではなく、硬い腕だった。
「あわ、あわわわわわっ……!」
貴族たるもの動揺を顔に出すべからず。なんて教育は一瞬のうちに消えた。ごめん無理。
だって、おれを受け止めてくれたダンドランの顔がものすごく近いんだから!
「おい、大丈夫か?」
「わわわっ……」
「一時的な魔力不足だろう。少しすれば回復するはずだ。まったく、そこまで一生懸命しろなど、俺は頼んでいないぞ」
月を背におれをのぞき込む黒竜の顔が、ダンドランの顔が! 推しの! 顔が! 良すぎる! 誰か助けてくれ! おれの推しが尊い!
しっかりと筋肉のついたおれをやすやすと抱きしめる剛腕は土管よりもたくましい。背中に当たる感覚から、かなりの太さだと分かってしまう。
昔から呪いに負けないよう鍛え上げてきた分厚い肉体だ。竜の長い口唇より張り出した胸が、おれの体に押し付けられている。礼服越しでもわかる豊満さに挟まれて、動揺を隠すのは不可能。
意図せず推しの体を感じてしまったおれは、もはや脳みそキャパオーバーで。目を見開いて推しを凝視することしかできない。
……もうこのまま死んでもいい。おれは素直に昇天。
「……だが、楽にはなった。感謝する。まさか、リローダンに助けられるとはな」
「なに」教育が戻ってきた。ありがとう教育。「君はリアラのパーティにとっての生命線だ。無事でいてもらわなければね」
「ふん、やはりまだリアラに未練があるのか。今回のことの礼として、うまく言っておけばいいだろう?」
「いや、そんなことをする必要はない。私は君が無事ならそれでいいんだ」
「……どういう心変わりだ。呪われた家など、聖女にふさわしくないとあれだけ言っていた奴が」
そんなこと言ってたの?! ……言ってたわ。おれの! 馬鹿!
穴があったら入りたい。殺してくれ。
「……すまなかった」
全身全霊の謝罪。今のおれにできることは過去のおれの馬鹿さを悔いる事だけだ。
「嫉妬だったんだ。私ではなく、なぜ君がと」
事実、前のおれは嫉妬で怒り狂っていた。今にして思えばあまりにも幼稚すぎるけど、恋は盲目ってマジだったんだな……。
「そのせいで君に心無い言葉を何度も浴びせてしまった。許してほしいとは言わないが、これから君を呪いから守る手助けをすることで、少しでも償わせてくれないだろうか」
「……なぜ、そこまでして俺に取り入ろうとする。俺は呪われた家の忌み子だ。貴様は月のステリアル家嫡男。俺に恩を売る必要もない」
「売っているわけではない!」
思わず竜の顔を引き寄せてしまった。推しに対する献身は自己満足であり、他者からの評価など求めているわけでもない。ましてや、恩などと。おこがましいにもほどがある!
グッズを買うのは公式への応援という意味はもちろんあるが、おれが欲しいから買うのだ。愛の証明でも、見せびらかすためでも、断じてない! おれの決定だ!
だから恩を感じるなんてことをしなくていい。おれは推しが元気でいるだけで十分なのだから!
そこを勘違いされたら、本当に困る。ダンドランには気兼ねなく、おれの自己満足を受け取ってほしい!
「これは私の自己満足だ! 私がしたいからしている! 私は、君が、大事だから! すべての魔力を捧げた! 見返りなどいらない! 君が息災であれば! これからも、それは変わらない!」
「は、はぁ?!?! 貴様、な、何を言っているんだ?!」
「わかってくれるか?」
「わかった! わかったから顔をどけろ! その無駄に整った顔を近づけるな!」
視界いっぱいに叫んで開く推しの口、最高~~~~! 真っ赤な口腔内にある鋭い牙も丸わかり。フィギュアで見た通りで感動すら覚えた。
このままかじられてもいい。おれを血肉としてくれ。
……だがふと我に返ったら、これはかなりまずい状況なのではないか?
夜の庭園で顔を近づける男二人。白虎の腰は黒い手を回して支えられ、竜の顔には白い手が添えられている。
誰がどう見ても逢瀬。言い訳のしようもないくらいデートだ。
他の人に見られたら、ダンドランに迷惑がかかる! ダンドランにはこれからリアラとの素晴らしいイベントの数々を体験してもらわねばならないのに!
おれは慌てて抱擁から逃れ、竜と向き合った。まだ少しふらついているが、立つだけなら問題ない。
「すまない、君の手を煩わせてしまった。助けになろうとしてきたのに、ふがいない限りだ」
「いや……まあ、呪いは納まったし楽になったぞ。月の魔法は試したことがあったんだが、ここまで効果が出たのは初めてだ」
「私はステリアル家の直系だ。月の祝福を強く受けているし、私ほど月の魔法が得意な人はいないと自負しているよ」
おれの魔法が推しのためになると知って、内心喜びの舞。明日からもっと訓練を頑張ろう。
「これからと、言ったな」
ダンドランがうなるように言葉を紡ぐ。にらまれてはいるがかっこいいので問題ない。肩にかかったジャケットを直す仕草も様になっている。
「つまり貴様は、俺の呪いを鎮める手伝いをこれからもしてくれるということか?」
「もちろん」
当然のことを聞かれるものだから、食い気味に応えてしまった。
推しが乞うならば、何でもしよう。
「今のことからも、私の魔法は君に有用だと確認できている。呼んでくれれば、いつでも応えよう」
「そうか……貴様の家ほど裕福ではないが俺も公爵家の一員だ。できる限りの礼は用意しておく」
「だからいらないと言っているだろう。これは私の償い。ただの自己満足に報酬など不要だ」
「それだと俺の気が収まらん。公爵家の嫡男を駆り出しておいて無償などというのは、シュヴァン家ではなく、ステリアル家の面子に関わることだろうが」
ああ、ステリアル家が顎で使われているという噂が広まれば、格が下がるだろうってことか。貴族なんてプライドで生きてるところもあるし、それはよくないとたしなめてくれているんだ。結構ひどいことを言ってきたおれのことを、そこまで心配してくれるのか……。
そう。ダンドランは見た目も怖いし口調も荒いところがあるけれども、根はすごくいい人なのだ。そういうところも好き。
だけどこうなった推しは引かないだろうな。どうしたものかと思っていたら、リローダンの口は勝手に動いていた。
「……それなら、笑ってくれないかい?」
「なんだと?」
「言ったはずだ、私は君が息災であればいいんだと。だから、元気な時は笑ってほしい。無理にとは言わないが、私は君の笑顔があれば何でもできるのだから」
「…………貴様、なんっ……なんだと……え?」
黒い竜の顔が驚愕でわなないているが、おれの本心だ。
ダンドランが推しになったのはエンディングのスチルを見た時だった。魔王を倒し、呪いから解放されたダンドランがリアラに向けて微笑む一枚絵。
普段は呪いにむしばまれているせいで険しい顔をしているダンドランが魅せた、素の柔らかい笑顔。慈しみを湛えた竜の相貌に、おれは心を奪われたのだ。
もちろん、そんな国宝級の笑顔を安売りしろとは言っていない。ただ、やはり、この竜には笑顔が一番似合うのだから、笑っていた方がいいというだけ。
ステリアル家の月の魔法を笑顔一つで買えるかと問われれば、そんなことは断じてない。
女神からの贈り物である月の魔法に値段なんて付けられないし、家の権力を高める材料でもあるため振りまくなんてもっての他だ。
だけど、おれにとってダンドランの笑顔にはそれだけの価値がある。推しのためなら、どれだけでも魔力を使える。
「どうだろうか?」
「どう……どうとは、なんのことだ?! き、貴様、やはり俺をからかって遊んでいるのではないだろうな?!」
「そんなわけないだろう。君には笑顔が似合うのだから、そう言っているだけだ」
「だから……そういうところが……この、この……女たらしが……!」
「すまない、怒らせるつもりはなかったんだが……」
『白月の貴公子』と呼ばれるくらいだ。まあ、記憶が戻る前はいろいろやっていましたとも。そのせいで信用が無いのは自業自得なので、これから積み重ねていこう。
ダンドランは牙をむいてうなり、おれを威嚇し続けている。太い尻尾もうねり、いつでもおれを殴れるようにしていた。あれで殴ると木ですら折れることを、おれは知っている。
豹変しているせいで、警戒されるのはしょうがない。笑顔を浮かべて無害アピールをしておこう。
「もういいっ! そこまで言うのなら、貴様っ! これからこき使ってやるから覚悟しておけよ!」
「ああ、よろしくお願いしよう」
こうして、月夜の庭園でおれは推しとの接点を手に入れた。
これから紡がれるお話を最前線で見ることができる特等席であり、推しにこれまでのことを償うための接点だ。
本当ならおれは壁とか空気になれればそれでいいんだけど、ダンドランの役に立てるなら惜しむことはない。
不審がられないために、白虎の顔をにやけさせずに笑う。
ああ、前世を思い出せてよかった。心をスキップで弾ませながら、魔法の訓練を倍に増やす予定を立てるのだった。
****
あの白虎はリアラに振られて狂ってしまったともっぱらの評判だった。
俺の仲間たちは口々に罠だとかリアラの気を引く作戦だとか語ったが、どうもそうは見えなかった。
「……貴様、魔法の扱いがうまくなっていないか?」
「ああ、最近は訓練の時間を増やしてね。師からも褒められているよ」
俺の家、シュヴァン家の別棟で白虎は優雅にお茶に口を付ける。その所作もいちいち様になっていて、あいつの一挙手一投足に花が舞っている錯覚を見るほどだ。
平均より高い背丈は彫刻のように整っていて、手足の長い体型は芸術品にも劣らない。鍛えた体に付いた筋肉はシルエットを整え、リローダンの造形美を服の上からでもわかるくらいに仕立て上げている。
筋肉で膨らんだ俺のような邪竜とは全く違う、人々から愛される姿。今まで何度も相対していたが、こうも間近で見たのは始めてだ。これはたしかに、女たちが放ってはおかないだろうと分かってしまった。
あの庭園での一件以来、リローダンはたびたび俺の家に来ている。
呪いに負けない体を作るために月の魔法を使ってくれることで、日々の生活がだいぶ楽になった。仲間にも月の魔法使いがいるが、やはり本家は全然違うのだと思い知る。
おかげで夜にしっかり眠れるようになった。常に我が身を苛む痛みが月の魔法によって軽減されているから、仲間たちに迷惑をかけることも少なくなっていた。
「ダンドランは体調が悪いとかはないのかい?」
「……おかげさまで、リアラの足を引っ張ることなく戦えている」
「それはよかった。怪我などは君の専門分野だからとやかく言えないが、それでも、君が無事で何よりだ」
「……そうか」
カップから口を離して、白虎は俺に笑いかける。心の底から嬉しいと、見ているこっちにも伝わるほどの顔で。
この白虎は体形だけでなく、顔も整っている。リアラの愛欲しさにわめいて時には気づかなかったが、こうして向かい合うとその美しさがよく分かった。こんな笑顔を向けられれば、女はたまらないだろうな。
前まで、リローダンは傲慢で軽薄な、お世辞にもいい人とは言えない存在だった。だが今は温和で優しく、まるで別人だと社交界の噂にもなっている。
少なくとも、こんなにも温かい笑顔をするような人ではなかった。
仲間たちは未だ疑っているようだが、俺は……。
「そういえば、今度天山ヤーバルを解放しに行くんだって。装備は十分なのかい?」
「お前からの援助もあるから、心配するな。今度も無事戻ってくる」
こいつは俺らが魔王の影響を取り除きに行くと知るや、毎度このような懸念を投げかけてくる。言えばどんなアイテムも買ってくれるが、頼みすぎるのも気が重い。
最初こそ普通に受け取っていたが、なぜか、気が進まなくなってきたのだ。
「別に遠慮する必要はない。君も知っているだろう。最近私の事業は好調なんだ」
確かにリローダンが手掛ける事業はどれも成績を残し、おかげでステリアル家の財産はますます富んでいる。画期的なアイデアの数々はどれも衆目を引きつけ、今やリローダンと言えば流行を作り出すやり手の事業家としても有名だった。
そんなステリアル家相手に俺が渡せるものはない。富も名誉も力も、この白虎はすべて持っているのだから。
「準備するときに足りないものがあれば遠慮なく言ってくれ。なんでもそろえよう」
「その時は貴様に頼むさ。それが一番確実だ」
「ああ、そうしてくれ」
何でもないような話の最中だというのに、リローダンの顔がふわりと開花する。今までリアラしか俺に向けてこなかったような、優しい笑顔が俺だけに。
どうしてこいつがそんな顔を見せるのか理解できない。
俺はシュヴァン家の忌み子。邪竜の呪いを身に宿した、黒星の竜なのに。
家族すら俺を見放して、直系でありながらこうして別棟に隔離されている。日々体を食いちぎられるような痛みに耐えねばならず、気を抜けば淀んだ魔力に犯されて発狂してしまう恐怖と隣り合わせに生きることしかできない。
体と理性を分厚くするために死ぬような訓練や勉強を強要され、幼いころから自由などかけらも存在しなかった。発狂して家に被害を出さないように、飼い殺しにされるだけの日々を俺は過ごしてきた。
魔王を倒すためにリアラが仲間を必要としていると知るや、家族は俺を差し出した。死ぬかもしれない戦いに身を投じるのだ。跡取りではなく死んでもいい俺を送るのは当然と言える。
このリローダンも、そのせいで当主から参加を禁じられている。愛されているのだ。俺とは違う。
こいつはあの晩、リアラの傍にいる俺に嫉妬していたと言ったが、嫉妬しているのは俺の方だ。
家族に愛され、誰からも愛される容姿や才を持つこの白虎を、俺はひどく嫉妬している。
貴様は毎夜体の痛みに眠れないつらさを知っているのか。
貴様はいつか自分が狂ってしまう恐怖がそばにある苦痛を知っているのか。
貴様は誰からも愛されず近寄る人もいない孤独を知っているのか。
知るわけがない。こいつは俺とは違う。
リアラがいなければ、別棟を出ることさえできなかった。
だから俺はリアラのために戦う。それだけが、俺にできることだから。
なのに……。
「ふふふ、今日はとっておきの話を持ってきたんだ。お茶を飲みながら聞くと、噴いてしまうかもしれないから、あまりお勧めはしない」
「また貴様の与太話か。いい加減俺を笑わせようだなどとくだらないことは止めろ」
「いいじゃないか。今回も魔力を使いすぎて、歩けるようになるまでに時間がかかる。もちろん、君に用事があるのなら優先してほしいが……」
「はあ……そんなものはない。俺に用がある奴など、貴様くらいのものだ」
「なら、もう少し君を独占できるね」
何故貴様はそんなにも嬉しそうに笑うのだ。
醜い嫉妬を持つ俺に、綺麗な笑顔を向けないでくれ。
リローダンの微笑みを見ていると、自分がひどく汚い存在だと思うようになった。
自分が愛されないのは呪いのせいだと言い聞かせているのに、この白虎はそれを怠惰だと叱責する。もちろんこいつにそんな意志はないだろう。だが、こいつを見ていると、俺に足りないのは愛嬌だったのではないかと思わずにはいられない。
俺は笑えない。こいつのように、リアラのように、綺麗な花のように笑えない。
それから案の定、こいつの話で俺が笑うことはなく、ただ時間だけが過ぎていく。
互いに菓子を頬張りながら、お茶を飲むたわいない時間だ。俺が今まで味わったことのない空気はむずがゆく、俺の部屋だというのに自分が場違いな気分になってしまう。
だというのに、白虎は何が嬉しいのか微笑みを絶やすことなく、空間に華を添えている。こいつが来るだけで、陰気な部屋が明るくなる気がする。それは白く整った毛並みや、合わせて白い服装のせいだ。そうに違いない。
「さて、長居してしまったね。そろそろお暇させてもらおうか」
「回復が早いな。魔法にも慣れてきたか」
「みたいだね。毎回君を拘束するのも申し訳ないし、早く上達したいところだ」
「何度も言うが、月の公爵家を無料で使えているなどと破格がすぎる。俺の時間ごときが対価だと言うのなら、貴様が気にすることはない」
「私が嫌なんだよ。私は君の邪魔をしたくない。空気ぐらいがちょうどいい」
こいつはたまに意味の分からないことを言う。問い詰めようとしたのだが、それよりも白虎が席を立つ方が早かった。
「それに、今日は父君から話があるからできるだけ急いで帰らないといけないんだ。どうせ見合いのことだろうがね」
「見合い……?」
「まあ、リアラへの恋心が無くなったんだ。父君が結婚を急がせるのもわかる。公爵家嫡男として、私も責務を果たさねばならない」
それは当然の話だ。俺たち貴族は権力と魔法の維持のため、見合った家柄や血筋の人と添い遂げなければならない。
呪われた俺には縁のない話だが、こいつは違う。こいつは誰からも愛される、すべてを持つ者だ。
「……そうか」
わからない。何故俺の手は震えている。カップの茶が波打って、そこに映る俺をひどく不安定なものにしている。これだけ頑強な体を持っているくせに、なぜか足元がおぼつかない気がしていた。
舌が張り付くから言葉を紡ぐのも不快で、口にできたのはこの一言だけ。自分の愛嬌の無さが嫌になる。
だが、この白虎の笑みはいささかも揺るがない。とても眩く、恨めしい。
「もちろん、見合いがあろうと結婚しようとも、君への魔法は定期的に行うから心配しないでくれ。君は世界を救うために必要な人だ。これからも協力させてほしい」
「どうして貴様はそこまでして……俺に構うんだ」
それはもう何度も口にした言葉だ。俺がどんな態度を取っても眩い笑顔を向けてくるこの白虎に実感がもてず、つい飛び出てしまう猜疑。
日課となったせいだろう、リローダンの返答も素早いものだ。
「それはもちろん、私にとって君は大事な人だからね」
「だったら……」
だったら……なんだ。俺は何を言おうとしている。
胸中に鉛を流し込まれたような不快感に、かきむしりたくてたまらなくなってきた。喉につっかえた感情は胃へと落ちてはくれず、慟哭となって俺を揺さぶってくる。それが何かもわからないくせに、衝動だけは俺を急かしてやまない。
カップを机に戻す仕草も荒くなり、ガシャンと、硬い音が部屋の空気にひびを入れた。
これは嫉妬だ。そうに違いない。
俺とは違いすべてを持っているこいつが、さらに幸せになろうとしているんだ。
その光景を想像するだけで、叫びだしたくてしょうがない。認められないと、俺の全身がわめいている。
俺はリアラと一緒でなければ、外にも行けないというのに。
こんな感情は生まれて初めてで、どうすればいいのかわからない。ずっと部屋に閉じ込められていた時は、外がこんなに眩しいなんて知らなかった。こんな眩しい存在がいるなんて、知らなかった。
ああ、嫉妬とは、こんなにも醜い感情なのか。
「ダンドラン? どうかしたのかい?」
「……何でもない。貴様が早くいなくなってせいせいすると思っていただけだ」
「どうやら話がお気に召さなかったかな。今度はもっと面白い話を持ってくる。期待して待っていてくれ」
その顔がいつも通り眩しくて、俺は直視できずに目を伏せる。
俺もこいつのような愛嬌があれば、今頃……。
『……手に入れてしまえ』
「ん……リローダン、何か言ったか?」
「いいや何も。どうしたんだい?」
「いや……どうやら気のせいだったようだ」
話題を打ち切るために俺も席を立ち、白虎を外へと案内する。こうして並ぶと頭一つ以上低い背丈だというのに、こいつはいつも俺を見上げて笑ってくれる。
俺はそれを無表情で眺めつつ、心に何か汚い物が渦巻いていくのを感じていた。汚泥のようなそれは感情を湧きたたせ、自分をひどく矮小な存在へと落とし込めようとしている。
感情のまま行動してしまえば、きっとこいつは俺に失望するだろう。それを忌避する心が何とか体の暴走をせき止めてくれていた。
こんな汚い感情をこいつに知られたくはない。俺はその一心で、取り繕ったまま白虎の背中を見送った。
****
やはり、推しは人生の活力。
推しのおかげで毛皮の艶もいいし、魔法の技術も向上した。もともと神童とか言われてたくらいなのに、今ではすっかり天才扱い。
我ながらスペックがおかしいと思うけど、どうせ死ぬキャラだからって適当に盛ったんじゃないか説がおれの中で有力。多分そう。
まあおかげで推しの役に立っているからいいんだけど。
それに、前世の知識チートを使うことで事業も順調だ。リアラへのパトロン活動も順調で、おれの名声はうなぎのぼり。
……というか、そもそもが傲慢くそ野郎だったのでスタート地点が低かったというのはある。ようやくいい意味で有名人になってきたかも。
リアラへの支援は推しのため。ダンドランのヒーラーとしての活動を楽にするためだ。
金を惜しむ必要はない。おれの金で推しが生きるなんて、最高の推し活じゃん!!
だから仕事も楽しいし、人生最高。推しに直接お布施できたら、QOLが向上しないわけがない。
副産物として、おれが活躍したことで家での発言力も上がってるし、結婚相手は融通が利きそうでよかった。推し活を許してくれる人じゃないと死んでしまうので、まじの死活問題。
リアラに何の興味もないおれが魔王にそそのかされる心配はないし、このまま長生きできそうだからな。相手は慎重に選ばないと。
まあ、今度父君の持ってきた候補を吟味するところから始めようか。父君もまだ選びあぐねているみたいだし、今は仕事だ仕事。
もうすぐダンドランに魔法をかけに行く日だ。仕事はしっかり終わらせておかないとね。待っていてくれおれの推し! いや、待っていなくてもいい。おれがすぐに行く。どこにでも行く。困っているなら、どこにだって駆けつける!
おれは自分の執務室で書類を眺めながら、頬をでれでれに緩ませていた。部下を全員外にいかせて、ようやく推しに思いをはせることができていた。
『白月の貴公子』の二つ名は泣いているが、別にいらないから問題ない。むしろ、そろそろ誰かもらってくれないだろうか。
大きな木製の机には書類の塔が立っているが、まあ喫緊の課題はなさそうだし急がなくてもよさそうだ。事業を増やして成功させたのは良いけど、管理がめんどいのでそろそろ何か考えないとなぁ。
「リローダン様、お手紙が届いております」
とか思いながら仕事をこなしていると、執事が手紙を持ってきてくれた。
差出人は……リアラ? 何か必要なアイテムでもあるのかな。でも、ヤーバルの攻略が終わったばかりで、今は次の目的地を決めてる段階のはずなんだけど。
「…………ふむ」
「どうなさいましたか?」
「緊急事態だ、カラサール」
「……推しのことですか?」
さすがに身近な人にはもう色々ばらしているので、犬の執事は察しがよかった。
手紙に書いてあることが本当なら、由々しき事態だ。そして、聖女がおれに助けを求めるくらいだ、おそらく手詰まりなのだろう。
「そうだ、今すぐ準備を整えるぞ!」
前世では童貞オタクだったが、今世は遊び人だった貴公子だ。
その経験を活かして、推しのケアを万全に行わなければならない!
……その結果、おれと推しは街の中を二人で歩いていた。
「それにしても、良く俺の外出が許されたものだ」
全身黒づくめが素敵なダンドランが、首をかしげておれを見る。
今日も今日とて筋肉の詰め合わせみたいな体躯に肩掛けジャケットが最高に決まっている。いつ見ても本当にかっこいいから困る。困らない。
「ああ、君のご両親に相談してね。最近は落ち着いているから、外に出てもいいだろうかと聞いたんだ」
「あいつらは北にある自分の領土にいるはずだが……事前に準備していたのか?」
「いつか必要になると思ってね」
王都は活気に満ち溢れていて、人々の陽気な声が響き渡っている。整えられた商業区には、綺麗な店や屋台がいくつも並んでいた。
二人で出歩きたかったから、比較的治安の良い地区を選んだ。そもそもおれもダンドランも強いので必要ないのだが、やはりもしもというのがある。なので、うちの騎士たちを遠くにこっそり配置していた。推しを傷つけるやつ、絶対許さない。
「それで、どこに行くつもりだ?」
「君の行きたい場所ならどこへでも。私なら君の願いを全て叶えられるとも」
「だからまたそんな歯の浮いたような言葉を……」
どうにも遊び人だった時のくせが抜けないせいでジト目で見られてしまったが、本心でもあるんだ。そもそもここら一帯はおれの事業関係のものが多く、大体融通が利く。なので、せっかく外出許可が出たんだ、ダンドランのしたいことをさせてあげたかった。
こうして並ぶと、本当に大きいな。横も縦も規格外で、筋肉ではちきれそうだ。でも、こうして見上げる推しの顔が最高の角度なので、おれは隙を見つけては視線を上げて網膜に焼き付けている。具体的には赤みがかった角が太陽を浴びて輝いているところとか、しゃべろうとして口を開いた時に光る牙とか、あとは全部。
「貴様……人の口をじっと見つめて、何をしているんだ……」
「いやなに、今日こそは君を笑わせようと企んでいるだけさ」
「だから、貴様、この……女たらしが……!」
わなわなと震えながらにらみつける顔もかっこいい。正直、ダンドランがどんな表情をしても、ガッツポーズできる自信がある。
見た目こそいかついが、中身は優しいのだ。これまでの付き合いから、本気で怒ることもないと理解している。
案の定、鼻息一つで無視することに決めたようで、腕を組んで顔をそらし、吐き捨てるように言葉を投げた。
「ふんっ……話を戻すが、街に関しては貴様の方が詳しいだろうが。俺はリアラと戦いに出る時以外、家を出たことはないんだ。急に引っ張り出されたところで、予定を決められたりはしない」
「……ふむ、なら私に任せてくれるかい? そろそろ『星間祭』だろうから、今のうちに街の姿を見ておくのがいいと思うよ」
『星間祭』とは宙の女神に感謝をささげる祭りだ。聖女であるリアラを主賓に、パーティメンバーであるダンドランも当然参加する。この日ばかりは家の外出禁止もないから、存分に楽しめるはずだ。
それに、リアラとの尊いスチルの数々がある交流イベントなのだ! 草葉の陰から見るつもり満々なので、今から楽しみで心臓がはちきれそう。
「『星間祭』か、話にしか聞いたことはないが、その日も俺を誘うつもりなのか?」
「まさか、君は聖女の名誉ある仲間じゃないか。私なんかと一緒にいるより、仲間を優先するべきだよ。教会も君を招くはずだしね」
「そうか、貴様のことだ、どうせ女でも誘うんだろう」
「今のところそんな予定はないけど……でも、きっといい思い出になるはずさ。今日はその予行練習といこうじゃないか」
もちろんおれ、というかリローダンはできる男なので、こういう場合に備えてお店の予約もばっちり。オーナーがおれなので下準備の最適化も問題ないわけ。やはり持つべきは権力よ。
その後は屋台をいくつか回って、買い物の楽しみを知ってもらおう。公爵家ともなると商人が家に来るけれど、こうして自分の足で見つける楽しみというものもあるんだ。
ああ、ブティックに行くのもいいかも。ダンドランは見ての通り筋肉の山なので、全部オーダーメイドだ。それでも自分の好きなデザインを探すのは楽しいはず。
「さあ、それならまずは食事にしよう。おすすめのお店を紹介するよ」
歩いて行こうとしたおれは、ついうっかり、本当に自然とエスコートする手を出してしまった。
「…………あっ!」
やってしまったっ! 尻尾がぴんと硬直し、思わず耳が立つ。
遊び人時代のくせが、体に染みついてるんだよ! 前世を思い出す前は女の子しか相手にしてなかったから……!
やばい、男にエスコートを申し出るとか、この世界じゃ男扱いしてないって怒られるんだ! しかも推しに! これじゃあエスコートにかこつけてお触りしようとするクソマナーオタクになってしまう! おれは推しと健全な関係を築きたいのに!
「す、すまない……つい手が出てしまった。気を悪くしないでくれ」
「まったく貴様は、こんな大男をどう間違えたら女性扱いできるんだ。これだから女たらしは……」
人によっては侮蔑と言われても仕方ないし、最悪殴られるかもしれない。
完全に油断した。せっかく今まで推しに嫌われないようにしてきたのに、こんな初歩的なことで……!
だけど、おれが慌てて戻そうとする前に、そっと黒く大きな手が乗った。
「……え?」
「案内……してくれるんだろう?」
「あ、ああ……」
黒竜はじっとおれを見ながらも、瞳孔は不安定にさまよっている。握る手の圧も強く、緊張が丸わかりだ。おれは手袋越しとはいえ、大きさとごつさは隠せない。雄々しくたくましい雄の手って感じ。最高。
脳みそ沸騰しそうになったおれは降ってわいた幸運に土下座で感謝を伝えそうになったけど、それよりもまずお礼を言うべく口を開く。推しの気遣いを無駄にしてはならない!
「すまない、気を使わせてしまったようだね。私の面目を守ってくれて、感謝するよ」
「そんなつもりはない。ただ、俺はここらを知らないから……貴様の案内に乗ったほうがいいと判断しただけだ」
「ふふっ、そういうことにしておこうか」
差し出した手を取られなかったら、それはそれでおれの面子がつぶれる。めんどくさい貴族の常識ってやつ。
だからダンドランは怒ることもせず、おれのエスコートを受けることで面子を守ってくれたのだ。二人きりだからそこまで気にする必要はないと思うけど、その心意気はまるで慈雨のごとくおれの幸福をすくすくと育ててくれた。
本当に心が広い。推しの優しさで今日も生きていける。
最初に会った時もそうだったが、推しの優しさは五臓六腑に染みわたる。おれは設定を知っているから、ダンドランがどんなひどい生活をしているのかわかっているつもりだ。それでもこの優しい心で育ってくれたことに、感謝しかない。
お店自体は近くにある場所を選んでいるので、すぐ手を離せるはずだ。
……それにしても、推しの手ごつすぎるな。これでヒーラーなの、開発者絶対わかってるだろ。ありがとうと言わせてくれ。
「…………」
並んで歩くダンドランの口元が、もどかしそうに震えているのが見える。国でも有数な巨体の雄だという自覚があるだろうし、やはりリードされるのは恥ずかしいに違いない。申し訳ないことをした。どうやって償おう……。
「もうすぐ着くよ。嫌なら離しても……」
「貴様」
「ん、なんだい?」
「何故そんな嬉しそうなんだ。俺をエスコートして、何が楽しい」
顔に出てた……。貴族たるもの動揺を顔に出すべからず。なんて教え、もう脳みそに残ってないかも……。
推しと握手することが嬉しくないオタクはいないし、ましてや失敗をカバーする優しさを受けた後だとなおさらだろうが! 今全世界の幸運が集まってると錯覚するほどだぞ。
なんて全部言えるわけがないので、何重にもオブラートに包むしかない。
「君が優しかったからだよ。私の失態を、君は怒ることなく受け入れてくれた。君は本当に優しい人だ」
「違う、俺は優しくなど……」
「ふふっ、そんなこと言わないでおくれ。私は君の優しさを良く知っている。だから、こうして手を握っているだけで、私は幸せなんだよ」
「だから貴様は! そんな、甘ったるい言葉を……この、この……貴公子が!」
「すまない。君がこういう言葉を嫌いなことなど、わかっていたはずなのに」
男相手にエスコートしながら口説くような言葉を吐くなんて、本当に殴られても文句言えない。リローダンのくせ、ちょっと抑える努力しないとな……。
だけど、黒い顔を真っ赤にして怒る竜のかっこよさ、百億点。
……それはそれとして、貴公子って悪口かな?
「ふんっ! 貴様にそんなことを言っても無意味だと、俺も理解している。だが、貴様が愚かしくも、俺をエスコートするのが楽しいとぬかすなら……」
「ん、なんだい?」
「せ、星間祭の時も、俺をエスコートさせてやる……!」
「ええっ!」
え、それっておれと星間祭を回るってこと?
リアラとのイベントは? 仲間との交流は?
それらが無いと、ダンドランのエンディングスチルにたどり着かないはずだ。彼らとの絆が、あの尊い笑顔を作り出したのだから。
さらに言うなら、やはり祭りにはトラブルも付き物で、ダンドランに自由時間があまりないことをおれは知っている。ここはやんわり断っておく方が、推しも傷つかないはずだ。
「嬉しい申し出だけど、言っただろう? 君は聖女の仲間として、主賓となって祭りに参加する側だ。私の相手など、している暇はないだろうね」
「それはそうかもしれん。だが……少しくらいならいいだろう。俺が人前に出たところで、誰も歓迎なんぞしない。いくら聖女の仲間とはいえ、俺は黒星のダンドランなのだから」
「そんな卑下することはない。君が優しくて魅力的だということを、私はよく知っている。きっと、他の人たちもすぐに理解するだろうさ」
「……どうだかな。ふん、貴様と回れたら楽だろうと思っただけだ。他意はない」
家に閉じ込められて育ったダンドランにいくら言葉を投げかけても、実感できないのはしょうがない。だからこそ、リアラたちと楽しく祭りを過ごしてほしかった。外は明るくて素敵なところだと、理解してくれたらおれも嬉しい。
でも推しにここまで言われて断れるやつなんていないんですよね~!
「わかったよ。君の手が空いたら、私を呼んでくれ」
「本当か……?」
「ああ、君のために予定を開けておく。でも、リアラたちを優先してくれよ。君たちは世界を救う仲間で、お祭りの主賓だ。しっかり楽しんできてほしい」
当日はイベントを追ってこっそり推しを見守る気満々なので、呼ばれなくても全然かまわない。リアラたちとの尊いイベントが生で見れるのだから、そっちを優先してくれて問題ないくらい。
「わかった……ありがとう」
「どういたしまして。星間祭、楽しみだね」
「ああ」
簡素につぶやくダンドランは、安堵するかのように息をついた。誰かを遊びに誘ったことなど当然ないだろうし、緊張したのかもしれない。
そして会話の区切りがつくのと同時に、目的の店へとたどり着いた。
さすがに店内でもエスコートするのは恥ずかしいだろうと思い、手を下げようとしたのだけど、大きな手は握ったまま放す気配もない。ただじっとおれを見つめる竜の目が、先導を求めているだけ。
ええいままよと内心冷や汗をかきながらも、おれらは足を踏み入れる。これから話したいこともあったので、一番いい個室を取っておいた。
「どうぞ、ダンドラン」
おれは椅子を引いて最後のエスコートを成し遂げる。
「ああ……」
「どうしたんだい?」
「何でもない。ただ、頑丈そうな椅子だと思っただけだ」
筋肉の塊であるダンドランの周りは、すべて特注だ。衣服のサイズから家具の大きさまで。巨体でも生活に支障が無いように配慮されている。
そしてもちろん、おれの店もそう。推しに不便をかけるなど切腹ものなので、ここはダンドラン専用の部屋に調節してある。扉の大きさや家具もすべて、黒づくめの大きなダンドランが映えるように作ってあるから心配しないでほしい。
「ふふっ、君をエスコートするんだ、もちろん気を配ったよ。だから、気にせずくつろいでくれ。ここは私が経営する店だからね」
「最初から俺をここに呼ぶつもりだったのか」
「食事はね。リラックスするのは大事だろう?」
「……貴様は本当に手慣れている」
「誉め言葉として受け取っておくよ」
ダンドランが椅子に座れば、おれのエスコートはおしまい。
おれらは向かい合って料理を待つことになる。こうして見ると、本当にダンドランは大きく、特注の家具に囲まれていてもでかさが際立っているな。ゲームでは体力特盛だが素早さが無いヒーラーという微妙な評価で、そんなステがそのまま反映された見た目だ。
一見するとこわもてな竜だが、座る姿勢もしっかりとしていて、育ちの良さを隠しきれていない。黒一色でまとう気品がすさまじく、動くたびに後光が見える。はあ、寿命伸びたわ。
エスコートしてしまうというハプニングはあったが、このままいけば推しは十分楽しんでくれるに違いない。
普段の会話から食事の好みもしれっと引き出しておいたので、ダンドランの舌に合うコースになっているはず。シュヴァン公爵家も名家ではあるが、ダンドランへの扱いを考えると普段どういう食事を食べているのかわからないからな。
ここは全力で! 推しに! 美味しいものを食べてもらいたい!
「どうかな? ここの料理長は王宮でも通じるくらいだと思っているのだけど」
「美味しい。見た目も華やかで、味も透き通っている。雑味が無い。美味いというのはこういうもののことを差すのだな」
ごつい体でナイフとフォーク(もちろん大きめ)をさばく姿が最高にかっこいい。眼福。
よしよしよし、おれが管理する系列で一番の店を選んだかいがあった。
「でも、そんなに硬くなって食べなくてもいいよ。どうせここには私たちしかいないんだからさ。君には気楽に過ごしてほしいんだ」
「……そうか、なら」
竜が少し口ごもり、恥ずかしそうに視線を下げる。なんであろうと叶えるから安心してほしい。
「金なら払うから、お代わりを……もらえるだろうか」
「もちろん。ああ、お金はいらないよ」
そりゃこの巨体だ、健啖家に決まっている。準備はばっちりだとも。
おれも鍛えた体だから平均よりよく食べる方ではあるけれど、ダンドランには勝てない。コース内容も量を倍にしていたけれども、この竜の胃を満足させるには至らなかったみたいだ。
「料理の代金くらい、さすがに払わせてくれ。この椅子や机、食器にいたるまで、俺のためにあつらえたんだろう? 貴様からもらってばかりだと、居心地が悪くていけない」
「なに、最初に言っただろう。自己満足だと。気にしなくていい、金ならある」
「はあ……貴様は俺を愛玩動物か何かだと思っている節があるな。こんな俺に貢いで、何が楽しいのやら」
おれとしてはこうして推しの食事シーンを間近で見れるだけで金銭以上の価値が発生しているのだけど、この価値を理解してもらうのは難しい。そしてキモイ自覚があるので、笑ってごまかすことにした。
ダンドランにはもっと楽しんでもらわなくちゃね!
****
わからない。こんな俺に貢いで、こいつに何の得がある。
すぐさまやってきたお代わりを食べながら、俺は渦巻く感情を整理するのに一生懸命だった。
俺に会う時の白虎はいつだって笑顔だ。眩しいくらいに輝いて、俺の嫉妬すら包み込んでしまう。
さっきのこともそうだ。エスコートしているときも頬が緩んでいて、嫌悪などみじんも見えなかった。こんな巨体の男のエスコートを喜ぶなんて、変人としか言いようがない。
でも、それは俺も同じ。
こいつに手を出されたとき、とっさに重ねてしまったのだから。
無視もできず、困惑させてしまったが、今でも感覚が掌に残っている。
俺より小さいが、硬い手だった。手袋越しとはいえ、こいつの熱を感じてひどく落ち着かず、尻尾のせわしないことに気づかれなかったか心配だ。なぜか放したくないと思って、結局最後まで付き合わせてしまった。
日の下にいるこいつは白く輝いていて、俺の行く先を明るく照らし出す。リアラだけが連れ出してくれると思っていた外に、こいつは連れ出してくれた。
しかも端正な顔に喜びを湛えて、歩調を合わせて導いてくれるだけじゃなく、俺の体格に合わせた場所を整えていた。
食事だって、こいつは何も言わないが、俺の好みを中心にしていることぐらいすぐに分かった。この部屋にあるすべては、俺のためにある。それがどうしようもなく嬉しくて、苦しい。相反した感情は形にならず、悟られないように必死だ。
俺は今まで、他人に対してここまで気をかけたことがあっただろうか。呪われていると蔑まれ、コミュニケーションを諦めた俺にとってこの白はまぶしすぎた。
その眩さは人を魅了するから、リアラと仲直りし、仲間たちも受け入れ始めている。ああ、それを素直に受け入れられないのは、俺の嫉妬だ。
誰からも愛される完璧な白虎。俺とは違う、眩しい存在。
「ダンドラン、料理に合わせたお茶を頼もうと思うのだけど、一緒でいいかな?」
「ああ、頼む」
笑いかけられると直視できずに料理を食べてごまかした。こうして向かい合うと、こいつの造詣がよくわかる。視線の動きが、よくわかる。
俺のカップの中身が減っているのを見て、先回りしたんだろう。女たらしで有名だったこいつはこういう仕草を呼吸するかのように行える。
リアラに突っかかっていた時は、こんな奴がどうして人気なのかと訝っていたが、実際交流してみるとそれも当然としか言えない。
根回しと手際の良さ、そして魅力的な笑顔。俺にないものをすべて持っている。
最初こそ、好意の出所がわからず警戒したが、こいつは本心から俺に貢ぐことを喜んでいるとすぐに分かった。シュヴァン家の忌み子に媚を売ったところで何にもならないというのに、それでもこいつは笑顔を絶やさない。
だから俺はこいつといると、自分が特別になったような錯覚に陥ってしまう。こいつの隣には俺がいるのだと、ありもしない妄想をはかどらせる。
そんなはずはないのに。俺は自分がいつ狂ってしまうのかもわからない、呪われた竜だぞ。そんな爆弾を誰が好き好んでそばに置きたがる。誰が……愛してくれる。
「そろそろデザートにしようか。もっと食べたいなら追加するが、どうする?」
「いや、もう十分だ。これ以上食べると、貴様の店をつぶしてしまうかもしれん」
「あはは。そこまで喜んでもらえるなら、私は構わないよ」
そうしてこいつはまた輝いて、見目麗しいデザートが俺の前に並ぶ。
俺とて隔離されてはいるが公爵家の一員だ。これだけの料理を準備するのに、どれほどの労力が必要なのかの概算はできている。どれもが精巧な一品で、かなりの金をかけたはずだ。
いくらこいつが事業を成功させているとはいえ、そうやすやすと払って良い額ではない。
俺が過ごしやすいようにと作られたこの部屋も、俺のために作られたこの料理も。こいつはどれだけ俺のことを考えて用意したのだろう。
だが俺は……どんな顔をしてもらえばいいのかわからない。人からこんなに何かをもらったことなど、今まで一度もないんだ。嬉しくて苦しくて、今すぐにでも狂ってしまいそうだ。
「どうかな、君の生まれ故郷である北方の料理を参考にして作らせたんだけど、気に入ってもらえただろうか?」
「……ああ、悪くない」
「ふふっ、それはよかった」
だから、そんな顔で笑わないでくれ。勘違いしてしまいそうになる。俺は特別なんかじゃない。ただの嫉妬にまみれた醜い竜なんだ。
そう叫べたらどれだけ楽なことか。でもこいつの落胆した顔を見たくないから、俺は鉄面皮の維持に終始する。
これは嫉妬だ。それ以外ありえない。
俺の欲しいものをすべて持っている白くて眩しい星が、はるか上空から俺を照らし続けていることが妬ましくてしょうがない。俺はスポットライトを浴びた道化でしかなくて、自分の醜さを延々と突きつけられている。
だが、それならなぜ。
こいつが笑うと嬉しいのだろう。
「そういえば」
デザートも食べ終わり、食後の茶をすすりながら、白虎は言う。
「リアラから聞いたのだが、この前のヤーバル攻略の時、だいぶ調子が悪かったそうじゃないか」
「…………そうだな、その通りだ」
ヤーバルを魔王の影響から解放する戦いは熾烈を極めた。
魔王の力によって汚された場所は命を蝕み、魔物を生み出す混沌のるつぼだ。早く解放しなければならず、それができるのは聖女であるリアラの力だけ。
だから、彼女を守ることが俺の使命だというのに、あの時はずっと他のことに気を取られていた。
運よく致命傷はなかったが、リアラはそれを心配してこいつに相談したのだろう。
「もし呪いが強くなってきたとかあればすぐに言ってほしい。私はどこにいたって、君の所に駆けつけるよ」
「そうではない。ただ、自分の気持ちがわからないだけだ」
「気持ち、かい? 私でよければ相談に乗るよ」
そう言いながら白虎は真っすぐ俺を見つめてくる。醜い心の中を見透かされそうで、俺はカップの中身を飲み干してごまかした。
なあ、リローダン。最近誰かが俺にささやくのだ。
あの星を手に入れろと。力づくでもいい。自分の物にしてしまえと。
それは俺の感情が叫ぶ声なのだろう。俺は呪われし黒星、いつか狂ってしまう竜だから、こういう声も聞こえるのかもしれない。
だがこの声に従えば、俺はきっと貴様に合わせる顔が無くなってしまう。貴様の眩しさに耐えられなくなってしまう。
今でさえ、貴様はこんなに眩しいのに。
それが原因で、ヤーバルでは不覚をさらした。今は落ち着いているが、汚染されたヤーバルでは幻聴が特に酷かったのだ。魔王の魔力が濃いせいだろう。
「そうだな、もしその時が来たら頼むとしよう」
「絶対だよ? 君はすぐ私に遠慮するんだから」
ただ、狂気にささやかれると、どうしても考えてしまうんだ。
もし貴様を手に入れることができたのなら、俺はこの醜い感情から解放されるのだろうかと。
胸の奥が締め付けられるような痛みは絶えず俺を蝕んで、貴様のことを考えるたびに寒さを覚えるようになった。自分の心に穴があいた気分だ。今まで当たり前に見えていた景色に、物足りなさを覚えてしょうがない。
俺は狂わないように、幼いころから理性を制御するすべを叩き込まれている。なのに、どうしようもない感情に焼かれてしまう。自分自身を制御できずにいる。
誰からも愛される白虎が妬ましくて、うらやましくて。なのに無性に会いたくてしょうがない。外に出ると聞いた時から、俺が、どれだけ今日という日を楽しみにしていたのか、貴様は知らないだろう。
部屋の中と戦いしか知らない俺の手を取って連れ出してくれたのは貴様なんだ。
それなのに、太陽を浴びて笑う貴様を見ていると何故だか無性に泣きそうになった。図体だけは無駄にでかい俺の影が貴様を覆うと、ここにいていいのかと自問自答してしまう。誰からも愛される綺麗な星を、俺なんかが隠してしまうなんて。
ああ、まったく、貴様といると自分が弱いのだと突き付けられる。狂わないように強くあれと育てられたくせに、どうしようもなく貴様は俺を弱くする。
幻聴のことといい、俺は狂いだしているのかもしれない。
触りたいのに、触りたくない。近づきたいのに、近づきたくない。
こうして向かい合って食事をしているだけでも、体が熱くてたまらない。この感情は、ああ、俺は白虎の顔を見ることもできず伏せてごまかした。
「今日は飛び切り頑張って魔法をかけるとして、だね」
俺が無言を貫いていると、白虎は席を立って俺に近づいた。そしてまた、思わず見とれるような笑顔を向けて手を差し出した。
さっきエスコートをした時は気まずそうな顔をしていたくせに、今度は自分の意志で俺へと手を伸ばす。早くこっちに行こうと、感情に惑わされそうな俺を導いてくれる。
おそらく俺が悩んだ顔をしていたからだろう。自分がここにいると主張するために、白い毛皮をなびかせて颯爽と俺の前に現れた。
誰もがうらやむ白い綺羅星は、いつだって俺を真っすぐに見つめて笑うのだ。
「まだまだ時間はあるんだ。たくさん遊ぼうじゃないか」
これは嫉妬だ。そうに決まっている。
……そうであってくれないと、俺は耐えられない。
****
リローダンと街を歩いた日は俺の人生で一番幸せな日だった。
俺は自分の部屋でベッドに腰かけながら、あの日に思いをはせていた。
あいつと店を回っていろんなものを見たが、思い出せるのは白くて綺麗な笑顔だけ。俺を着飾って何が楽しいのかわからないが、あいつはずっと笑っていた。
そもそもこんなに楽しい食事をしたのはなかった。
父も母も会いに来たことはなく、俺は一人で食事をすることが当然だったから。
今でこそリアラや仲間がいてくれて、慣れたつもりでいたのだが、あいつと食べるといっそう美味しく感じられた。
それでも笑顔ができない自分に嫌気がさすものの、あの日の思い出があれば、俺はまだ戦える。
あいつといると、例えどれだけ体が痛もうとも前に進める気がするのだ。最初こそ俺にできることはそれしかないからと、リアラについて戦っていたが、お前を守るためだと思えば俺はどんな敵にも向かっていける。
「もうすぐしたら、また戦いに行く。だが、帰ってきたら星間祭だ」
あいつと一緒に祭りを回れる。だから絶対無事で帰って来ようと思うのだ。戦闘訓練や装備の新調もぬかりなく、油断は絶対にしない。前回のヤーバルでは不覚をさらしたが、次は心配をかけないようにしなくては。
エスコートしろとは、我ながら恥ずかしい物言いだったが、それでも頷いてくれてよかった。あいつは俺にリアラたちといてほしいようだったが、無理を言って頼んだかいがある。
俺はリアラのパーティメンバーに呼ばれるまでは北にあるシュヴァン家の領土に引きこもっていたから、星間祭というものを名前しか知らない。太陽と月と星を模した様々な飾りが街にあふれ、この日ばかりは夜と朝の区別がつかないと聞く。
華やかに彩られた街をあいつと歩きたかった。一緒に回るなら、あいつがいいと思ったのだ。
リアラたちには話を通してあり、俺は先に抜けることにしてある。主賓が抜けることに対して何か言われるかと思ったが、リアラは笑いながら認めてくれた。
「……まったく、こんなに浮かれて馬鹿なのか俺は」
など漏れた自嘲が部屋に響くが、どうせ誰も聞いてはいまい。メイドたちもみな、俺を恐れて部屋になど入ってこないのだ。
「ダンドラン様、お手紙が届いております」
広いだけの部屋にノックと無機質な声が響く。あいつがいつも嬉しそうに弾んだ声を出すものだから、どうしても気になるようになってしまった。こんなこと、いつものことだというのに。
手紙を渡したらすぐさまメイドはどこかへ消える。おそらく、こんな部屋に長居したくはないのだろう。
だが、封蝋がステリアル家のものだと見たとたん、そんなことは思考から消えた。
俺は急いで封を開けて中身を確認すると、そこにはやや誇張された綺麗な文字が並ぶ。昔なら鼻に突くと眉をひそめた字体だが、今はあいつらしいと受け入れている。
「……そうか」
文字を追うにしたがって、俺の声は沈んでいく。そこには星間祭の日に父親が勧める婚約者を案内しなくてはならなくなったことが書かれていた。
だから、俺のエスコートはできないのだと。
大仰なほど連ねられた謝罪の文にあいつの苦悩が見て取れる。きっとあいつのことだ、心底申し訳ないと思っているのだろう。
「…………」
浮足立った俺の感情が、一気に突き落とされて冷えていくのを感じていた。あいつが俺をどれだけ特別だとささやいたところで、これが現実なのだ。
俺では、あいつの隣に立つことはできない。
いつの間にか力んでいたようで、鋭利な竜の歯がギリリと音をたてる。胸中に苦しさがあふれ出し、それと同時に不快感を訴える慟哭が体中に響き渡った。
これは嫉妬だ。でも、それはあいつに対してじゃない。あいつの傍にいることを望まれている、顔も知らない誰かへだ。
あいつに対しての感情は嫉妬ではない。そんなこと、とうの昔に気づいていた。周囲に向けるものをあいつに対してだと言い聞かせ、俺は自分をごまかし続けていたのだから。
だけど、こうしてそれを突きつけられてしまえば、俺の見栄なんてものは、安っぽいメッキよりも脆く崩れ去ってしまう。そこにあるのは何とか見ないようにしてきただけの、無視できないほど膨れ上がった想い。
今になって俺を押しつぶしてしまうほど肥大化した、決して報われることのない、愚かな男の恋慕だ。
なぜなら、気付いたとて、俺に何ができる。
俺は呪われた黒星である以前に、男だ。公爵家を背負う嫡男の相手に選ばれることはありえない。
「ああ……だから、気付きたくなかったのに」
それはリローダンの手紙からもわかる。このまま婚約者を優先していけば、あいつは俺の下からいなくなってしまう。
それが正しい。何も間違ってはいない。
いつか狂ってしまう男なんかにうつつを抜かす暇があるならば、由緒正しき家と縁談を結んで権力を維持すべきなのだから。それが貴族であり、俺たちが恩恵を受けていることに対する責務でもある。
あいつの幸せを想うなら、これでいいんだと俺は流さなければならない。
……なんて頭ではわかっているのに。
「うぅ、すまない……俺は……」
目の前がにじんで、頬を雫が伝う。俺はいやしくも未練がましく、あいつの傍にいたいと願っている。許されるのなら俺だけを照らしてほしいと、わがままを言いたかった。
本当はずっと、あいつにとって特別だったらいいのにと期待していた。リローダンが優しくしてくれるたびに、もしかしてと浮足立つ心があった。そうだったらどんなにいいだろうかと、馬鹿みたいに尻尾を振っていたのに。
「リローダン……リローダン……」
シーツを握り締めて、ベッドに泣き声を染みこませる。泣いて、泣いて、落ちてこない星を呼んで。それしかできないから。俺に許されるのは、次に会う時に応援することだけ。それが正しい対応なんだ。わかってる。わかってる。
心が張り裂けそうだ。このまま死んでしまえたらどれだけ楽だろうとすら思う。だけど、俺は戦う。そうじゃないと、リローダンの世界が闇に閉ざされてしまう。
それだけは認められない。例え星が俺のものにならなかったとしても、あいつからもらった恩に報いるにはそれしかないから。
……そう思っていたのに。
『私が星を落とす手伝いをしてやろう』
その声が聞こえた時、俺の心臓は跳ねた。いつもの幻聴かと思ったそれの正体を、俺は今更気が付いたのだ。
「貴様……魔王か……」
『お前が焦がれる星を手に入れろ。お前にはその力がある』
「やめろ……っ! 俺の心に入ってくるな!」
『このままでは、お前はまた孤独に戻るだろう』
「そんなことはないっ! たとえあいつが俺を選ばなかったとしても、そばにいてくれるはずだ!」
『本当にそう思うのか?』
「黙れっ!」
あいつは呪われた俺に優しくしてくれた。外を見せてくれた。光で照らしてくれた。
それだけで満足しなければならない。これ以上望むのは罰が当たる。
俺ではあいつの隣に立つことはできないのだから。
『あいつはいつかお前を忘れる。お前はあいつに何も返せていないではないか。どうして星は常にお前を照らす必要がある』
「うるさいっ……もう、やめてくれ……!」
『星の瞬きは刹那のもの。お前のものでは断じてない』
「そんなことくらい、わかっている……!」
『だが私なら、人の心を操ることができる。お前の星を、お前だけのものにしてしまえる』
「……っ!」
『そうでもしないと、お前は永遠に星を逃すだろう』
甘言は俺に染みこんで、正邪の天秤に不均衡をもたらした。いけないとわかっていても、心は呪いを受け入れ始めている。
黒いもやが手紙を俺の前まで運ぶ。呪いが俺の心を撫でると、涙の代わりに怒りが沸き上がり、世界の不条理への憎悪が芽吹いていく。これはよくない兆候だと理解していても、すでに呪いは俺を掌握していた。
俺は今まで籠の中の竜だった。生まれた時から呪いを刻まれ、あいつの助けが無ければ満足に寝ることさえできない、か弱く狂った竜。
誰からも愛されず、外に出ることもかなわず、飼い殺しにされて死ぬだけの定めだった。
どうして俺がこんな目に合わなければならないのだ。あの星が離れてしまえば、俺に何が残る。
あいつを手に入れるためには、こんなものは邪魔だ。体は手紙を握りつぶして、感情のままに魔力で焼き消してしまう。荒ぶった魔力が俺の中で渦巻き、呼応した呪いが肥大化して俺の欲望を刺激する。
あの星を抱き隠して、俺だけのものにしてしまいたい。あいつさえいれば、俺はもう何もいらない。たとえ世界がどうなったとしても、あいつの傍でなら俺は笑って死ねる。
なんて汚い感情が俺の中で膨れ上がって、ああもう、止まらない。
その気持ちにふたをする理性は、とうに呪いによってむしばまれて朽ちている。やはり俺は醜い竜なのだ。こんな自分勝手な願いを叶えるために、世界を裏切ろうというのだから。
だけど星よ、どうか俺の下に落ちてきてくれ。
『手に入れてしまえ。お前の欲しいものをすべて』
「俺の欲しいものはただ一つだけ……」
自分が汚染される感覚がして、思考がぼやけていく。俺の呪いが、邪竜の魔力の片りんが、ゆらりと立ち昇って包み込む。
どうしようもなく狂っていくのがわかる。俺は今、人道から外れようとしていた。だがあれだけ狂うのが恐ろしかったのに、今は狂気が心地よい。この声に従えばあの星を手に入れられるのだから、何を恐れることがある。
『そうしなければ、お前は手に入れられない』
「わかっている」
『私が力を貸そう』
「ふんっ、何が望みだ邪竜よ」
物心ついた時からこの忌まわしい魔力と一緒だったのだ。この世界で誰よりも、魔王と呼ばれる邪竜に詳しい自信がある。
普通の人なら理性を無くしてしまうだろうが、俺は違う。だからこそ、自分が狂っていく過程を実感できてしまうのだが、そんなことはもうどうでもよかった。
『私の望みはただ一つ。世界を夜で包むこと。そうすれば、人々は幸せに眠ることができる』
「貴様の大願になど興味はない。いいから対価を言え」
『お前はすでに我が配下だ。あの白い星と添い遂げる夜をくれてやる。だから、私のために働け』
「いいだろう、約束は違えるなよ」
もう何も余計なことを考えなくていい。俺はただ、あの星を目指して進むだけ。
ああ、覚悟を決めてしまえば、こんなにも頭がすっきりするものなのか。
リローダン、貴様の優しさを裏切る俺を許さなくてもいい。
だから、俺の傍にいてくれ。
それだけでいいんだ。
それだけで、俺は世界の敵になれるから。
****
星間祭の前に行われたリアラたちの冒険が失敗に終わった。魔王から解放することができず、その土地は未だ汚れた魔力が根付いたままになっている。
その知らせはおれの心臓を思いっきり打ち据えるには十分ショッキングなものだった。
「なんでだっ?!」
執務室で頭を抱えるおれは、その原因をなんとか探ろうとした。
装備は完璧だった。おれが手配できる最高級のものをあてがったし、なんならサブイベントでしか手に入らないような装備品だって頑張って探した。
使える魔法から見てレベルも十分足りているし、おれのアドバイスという攻略情報もあるから、失敗なんてありえないのに。
「何か不確定要素が絡んでいるのか? まあ私が生きているくらいだ、何か不測の事態が起こってもおかしくはないが……」
頭をかきながらうなったところで、原因は全く見当もつかない。負ける可能性なんて考えていなかったせいで、ショックが大きいな。
調べる必要がある。リアラにも話を聞きたいし、ダンドランの様子が心配だ。
ゲームだと死んでも大丈夫だったけど、それはやっぱりゲームだからだ。この世界では死んだら終わり。いくらゲームの世界で魔法があったとしても、今はここが現実なんだ。
推しが大怪我してないことを祈るしかできないなんてもどかしい。こんなに魔法が使えるようになったんだし、おれもパーティ入りしたいよ~~。推しと冒険したい!
とか馬鹿なことを考えていないで、仕事しないと。やることは山積みだ。星間祭は書き入れ時でもあるから、当日に向けて様々なことを決めておかねばならない。
だから書類の山という山がおれを圧迫している。早く人手増やして、お願い。優秀な人材はいつでも募集してるからさ。おれに推しと触れ合う時間をくれ。事業を急拡大したせいで、いろんなものが足りないなぁ。
今のおれは完全な推し不足。街で遊んだのを最後に、顔を見れてない。気持ちはすぐにでも飛んで行って謝り倒したいのだけど、今は本当に手が離せないんだ。今度の冒険を成功させるためにもお金は必須。シナリオを進ませないと推しの呪いが解けないから、おれにとっても至上命題なのだ。
ああ、ダンドランの別棟に執務室が欲しい……。
星間祭の前にこんな結果を出してしまえば、聖女たちの名誉だけでなく祭りの盛り上がりに関わるだろう。正直ダンドランに会えなくなった時点で祭りなんてどうでもいいのだが、父君の顔を立てる意味でもエスコートはちゃんとしないとなぁ。
「てっきりうちの分家から魔法が得意な人を選ぶと思っていたのだが、まさか王家の姫でくるとは……おかげで断れなかったではないか。しぶっていたら特大の爆弾を落とされた……推し活を許してくれるかどうか……」
許してくれないと干からびて死ぬ。その代わりいい夫になるから本当に許して。お願い。
そりゃまあ、今のおれは魔法の天才で事業を成功させた資産家なので、権力の増強を目指すのは間違ってはいない。他の二家が許すかは別として。
皇太子との和解も一応できているから問題はないんだろうけど、王家の血を入れたら権力構造めんどくさくなる未来しか見えない。
「でも、エンディング後の世界を治めるには、権力はあっても困らないしなぁ。リアラが誰ルートのエンディングにいくのかまだ予測は立たないし、一応誰に行ってもいいように準備はしとかないと」
おれとしてはダンドランルートが最高におすすめなんだけど、それを選ぶのはリアラだ。おれにできるのはエンディングまでの手助けをするだけ。
……なのは分かってるんだけど、仕事が多い。推しが足りないよ~~!
「リローダン様、ダンドラン様よりお手紙が届いております」
「え、本当かい?!」
欲しいときに来てくれる。おれの推し最高。
一瞬でときめきと喜びが満開になって、カラサールがもってきてくれた手紙を恭しく、だけれども即座にかすめ取る。
犬執事のげんなりした顔なんて無視無視。っていうかこいつ、鉄面皮はどうした。
手紙の中にはできるだけ早く来てほしいと書かれていた。文字を読むにしたがって、おれの心にやる気が灯る。
推しが! おれを! 呼んでいる!
仕事だるいとか言ってる場合じゃない。おれは月の魔法を発動し、二十四時間働ける状態へとシフトする。人を助ける魔法は、社畜にとっても有用なのだ!
「カラサール」
「……非常に嫌な予感がするのですが、なんでしょうか?」
「返信を送ってから、書類の仕分けを手伝ってくれ」
問答無用でカラサールにも魔法をかけ、仕事へと引きずり込む。推しが待っているんだ、手段は選んでいられない。
鉄面皮で忠誠心の塊であるはずの犬執事はあきらめのため息を吐き、返信の筆が止まるのを待つことにしたようだ。まあ、嫡男の命令なのでどのみち拒否権はないんだけどね。中世ファンタジーの悪いところだ。もちろん、労働条件はしっかり整えてるよ。
おれは美辞麗句を並べたダンドランへの返信をしたため、ついでに最近事業に使おうと思っている花を一輪入れておく。匂いでリラックス効果があるこれは、この前リアラたちが解放した天山ヤーバルから取れるものだ。呪いのせいで睡眠が浅い推しのために開発したアロマが今後出るから、楽しみにしていてほしい。
手紙に誤字脱字なし。よしっ。
前世のおれが見たらギャグかと疑うような言葉遣いだが、リローダンからすればいつも通りだ。女の子口説きまくってたからなおれ。これでも抑えてるんだけど、怒られないか少しだけ不安。
だが、これで背水の陣は成った。おれは期日までに仕事を終わらせ、推しを摂取しにいくんだ!
「うおー! ダンドランー!」
机の引き出しに入れてある小さな肖像画からエネルギー補給をして、おれは書類の山へと立ち向かう。
推しさえいれば、おれは無敵! だてに転生チートしてないんだわ!
こうして自分で仕事片付けちゃうからどんどん来るんだよね、知ってる。現代社会でもそうだから。
でも、今は、推しのために、頑張るしかない!
そして、死に物狂いの結果、おれはなんとか仕事を一区切りつけることができた。
おれを送り出した時のカラサールのぐったりした顔を思えば、ちょっと申し訳ない気持ちになる。体力もメンタルも魔法で補給できるのだけど、忙しいというのはやはりこたえるのだろう。おれは推しのためだから全然平気だったけど。
星間祭のことでの謝罪も兼ねているので、今日はケーキを手土産にしている。この前一緒に食べたレストランで作ってもらったケーキだ。きっと気に入ってくれるはず。
「ダンドラン、失礼するよ」
いつもは応接間でお茶をしていることが多いのだけど、なぜか今回は寝室に通された。お詫びケーキを食べようと画策していたので、ちょっと予想外。
「……急な呼びつけだったのに、来てくれて感謝する」
「いいんだよ、私も謝らないといけないことがあったからね。手土産を持ってきたんだ。良かったら後で食べてくれ」
「ああ、わざわざありがとう」
しっかり決まった黒一色の肩掛けジャケットを着こんだ推しにさっそくお土産を渡す。ダンドランは自然に受け取って、それをサイドチェストに置いた。いつもなら目を逸らしたりして、付き合いきれないと言わんばかりな態度なのに、今日はやけにおとなしい。
それどころか、なんというか雰囲気がちょっと違う。なんだろう。
普段のダンドランは体のでかさもあって一見すると怖いのだが、その実話せばすごくいい人がにじみ出ている。
だけど、今のダンドランはなぜか少し怖い。推しを見続けてきたおれの本能が、警告を放っていた。
そもそも、なんでケーキをサイドチェストに置くんだろう。寝室とはいえ、テーブルくらいあるのに。
「リローダン」
その答えはすぐに分かった。ダンドランはおれの手を取ると、勢いよくベッドに引き寄せてきたのだから。
「……え?」
いくら鍛えているとはいえ、さすがに筋肉の塊であるダンドランに不意を打たれたらどうしようもない。
おれの体はベッドに沈み、のしかかった竜を見上げる形になってしまった。一瞬で反転した視界では、推しの凛々しい顔がドアップ。普段なら小躍りするようなシチュだが、今はなぜか心臓が冷えていた。
「ダンドラン、これはいったい……? ひょ、ひょっとして、怒っているのかい? 私が約束をほごにしたから……」
黒い竜はただ無表情におれを覗くだけで、反応を返してくれない。何とか逃れようとするのだが、ぎしぎしとベッドが鳴るだけだった。
推しのこんな顔、見たことが無かった。ゲームでもこの世界でも、ダンドランはいつだって無表情ながらも優しい顔をしていたのに。
「……はぁ」
熱っぽいため息がおれに吹きかかる。ごつごつとした手がおれの毛皮をすいて、手触りを確認しているようだ。今日のために整えた体はどこもふわふわで、黒く大きな手が沈んではそこに跡を残していた。
身動き取れないおれに構うことなく、ダンドランは執拗に撫でさする。おれがどれだけ身をよじっても、拘束の緩む気配がない。ただここにあることを確かめるような手つきで、おれの輪郭をなぞっていた。
……なんだこの状況?!?!
え、これは乙女ゲーであってBLゲーじゃないよね。どうなっているんだ。
一体全体なにが起こっているのか、急な展開に頭が付いて行かない。そもそもこんな話、ゲームになかったぞ!
「最初から、こうすればよかったのだ。そうすれば、俺は悩まずに済んだ」
「……何の話だい? どうしてこんなことを」
「ああ、貴様はいつも眩しいな。安心しろ、例え世界が夜に包まれても、貴様だけは俺が守ってやる」
「夜に……だが君たちはそれを防ぐために戦っているんじゃないか。確かに今回は失敗したかもしれないが、また挑戦すればきっと……」
「はははっ!」
「……え?」
ダンドランの笑い声が暗い寝室に響き渡り、おれはようやく事態の異常さを知る。
おれはずっと、ダンドランの笑顔が好きだった。推しになったのだって、最後のスチルが尊かったから。優しさがにじみ出したような微笑みに目を奪われ、貢ぎたいと思うようになったのだ。
それをずっと、この世界で見たいと思っていた。不器用ながら頑張るダンドランがかっこよくて、おれはなりふり構わず応援してきたつもりだ。
だけどそれはこんな顔じゃない。瞳をぎらつかせながら牙をむく、こんな攻撃的なものなんかじゃ。
「何度やっても変わらんぞ。俺が足を引っ張るのだからな。貴様の支援を無駄にしたことだけは申し訳なく思うが、まあ、それだけだ」
「……本当に、ダンドランなのかい?」
「ああ、俺は俺だ。哀れで醜い、狂った竜。分不相応な星を求めて寝返った黒星のダンドランだ」
「……私の知っているダンドランは少し不器用なところはあるが、優しく良い友だ。このようなことは決してしない、信用できる人だと思っていた」
「友か……」
竜の口角がゆがみ、苦々し気にその言葉を噛み砕く。おれはダンドランと出会ってから初めて、隙間から見える牙を恐ろしく思った。
理性的であれと育てられたダンドランは感情を表に出すことを不得手としているはずだ。それなのに、今はどうだ。真っ赤に裂けた三日月が、喜悦を表している。何が嬉しいのか、おれを撫で続ける黒い手はねっとりとしていた。
本当にダンドランは狂ってしまったのだろうか。こんな話はゲームにない。おれは豹変した推しを前に、困惑と悲しみをぶつけるしかできなかった。
「だが貴様がどう思うと関係ない。大事なのは、今俺の手の中に貴様がいること。それだけなのだ」
「私をどうするつもりだい……」
「どうもしない。ただ俺の傍に置くだけだ。これから魔王が世界を夜で覆うその時まで、貴様は俺の傍にいて、俺だけを照らせばいい」
「魔王……?」
ダンドランの呪いは魔王の魔力から来ている。狂うということは、魔王の眷属になるということなのだろうか。その設定をおれは知らないから確かめようがないのだが、今のダンドランを見ているとそうとしか思えなかった。
力で勝てるわけもなく、かといって月の魔法を使って逃げることもできない。いつの間にかおれの魔法は封じられていて、ダンドランから漏れだした黒い魔力が首輪のように絡みついていた。
「……く、はぁっ! んぐっ!」
「少し苦しいかもしれないが、我慢してくれ。じきに慣れる。魔王が貴様を操れば、貴様は俺だけを見てくれる。ああ、これで、ようやく星が俺のものになる!」
山のような巨体がおれを抱きしめ、筋肉で包み込む。その手つきは押し倒したとは思えないほどに優しく、体重をかけないようにしてくれていた。
こんなに柔らかく人を抱くことができるのに、その行動はまるで似つかわしくなかった。黒い魔力はおれの思考を閉ざそうと浸食し、呼吸苦と相まって眼前の視界すらおぼつかない。
「ダンドラン……だん、どらん……!」
「俺はここにいる。俺だけの星! 俺だけのリローダン! 貴様がいてくれるなら、俺はどんなことも厭わない!」
でも、狂ってしまったのだというのなら、おれの魔法で何とかできるはずだ。
月の魔法は人を助ける魔法。理性を分厚くし、狂気からも守ってくれる。
だけど、魔王の淀んだ魔力がおれを蝕んでいるせいで、魔法はうまくまとまらず、ただ暴走した魔力が発する痛みだけが産まれてしまう。
これは確かに魔王戦で見たことのある状態異常だ。魔法を使うたびに体力がかなり削られるから、苦戦した記憶がある。
「かはっ……!」
「無駄だ、今の貴様に魔法は使えない。おとなしくしていれば痛みもすぐに終わる。だから、待っていてくれリローダン。痛めつけるのは本意ではないんだ」
「どう、し、て……私に、そこまで……魔王になんて、頼らなくとも……私は、君の傍にいるのに……戻ってきてくれ、ダンドラン。君は狂気に負けちゃ、いけないよ……!」
「だがそれでは、俺はまた一人になってしまう!」
「どういう、意味だい……?」
「それは……」
言葉に詰まったダンドランは、少し間を開けてから口を開く。
上からおれを見つめる竜の目が泣きそうに歪んでいる。こらえきれない感情を湛えて揺れる瞳が、儚い光を降らせていた。
「俺は、ただ、貴様を独り占めしたかった! 貴様からあふれる光を、誰の目の届かないところに隠してしまいたかった! そうでなければ、貴様は……俺から離れてしまうから……!」
ダンドランの声は震えていた。一言一言噛みしめるようにささやいて、自分の内面をさらけ出すことへの恐怖を超えて伝えようとしている。
ただ、おれが欲しいと訴えて、きつい抱擁を。本当におれを隠してしまいそうなほど、大きな体で覆ってどこにも逃がすまいとしていた。
その体の熱を感じながら、おれは呆然としていた。
おれは女の子と結構遊んでいたから、ダンドランが何を言いたいのかすぐに分かってしまった。
でも、なんで……ここは乙女ゲーの世界で、ダンドランだってもしかしたらリアラとのルートに入って幸せになれたかもしれないのだ。
だから、ダンドランは女の人と結ばれるのだろうと疑いもしなかった。
呪いが解けたエンディングの後、たとえリアラがルートに入らなかったとしても、好きな人を見つけて幸せになるんだって。
「ほ、本当なのかい、ダンドラン……君が私を欲しいというのは、つまり……?」
意外だという感情が言葉に出たので、黒い山の肩が震えた。ダンドランは気持ちがばれたことを悟って、頭を上げて顔を向かい合わせる。
なんとも弱々しい顔だった。先ほどおれを押し倒した時とは違う、怯えが前面に現れて竜の相貌を儚くしていた。
ダンドランにとって、この気持ちはとても大事なのだろう。拒絶されたくないと怯えて、だけど、おれに知ってほしいと何とか声を絞り出そうとしていた。
「本当だ……俺は……」
潤んだ目で何度か呼吸して、黒竜は体に言葉と覚悟を溜めていた。
真っすぐ向かい合ったダンドランから、大きな雫がおれへと落ちる。苦しそうな泣き顔は痛みを赤裸々に訴えていて、落ち着かない呼吸が相反する感情の合間で揺れていた。
ややあって、こらえきれない感情が喉からあふれ出して、ベッドに沈むおれへと降り注いだ。
「き、貴様の思った通りだ! おかしいだろう? 俺は男で、貴様も男だというのに、気持ちが抑えられなくなってしまったんだ!」
「おかしくなんてないさ……人の気持ちは、制御……できるものじゃないからね」
でもそれはおれが前世を思い出しているからであって、この乙女ゲーの世界でそういう話は聞いたことが無い。少なくとも、昔のリローダンなら絶対断っていた。
「どこまでいっても、貴様は俺を受け入れるのだな……! 俺とて公爵家のものとして教育を受けている! これがどれだけ異端なことか、わかっているつもりだ! ましてや、貴様は嫡男で、俺なんかを受け入れていい立場ではない! なのに、なのに……」
言葉の合間に嗚咽が混じり、シーツを握る黒い手が強くなる。自身でも持て余すほどの慟哭は激しく、部屋の暗闇へと響き渡った。
「貴様に優しくされて、俺はおかしくなってしまった! 舞い上がって、舞い上がって、白く輝く綺羅星に手が届くのだと錯覚して……結局何もつかめないと思い知る! 俺のようないかつい男が! 呪われた黒星が! そんなもの、手に入れられるわけはないのに……!」
「だん、どらん……!」
「知らなければよかった! 貴様が笑うたびに嬉しくなることも! 貴様が手を握ったときに心臓が跳ねることも! 貴様がいないと部屋が暗く感じることも! すべて! すべて! すべて!」
自分で自分を否定して、黒竜は痛ましそうに泣く。
そういう例を探せばあるかもしれないが、貴族であれと育てられたおれらは知らない。だから、おれらの世界ではそれは異端なのだと、少なくともダンドランは信じている。
隔離された公爵家の別棟だけが、黒竜の世界だったのだから。
おれは叫ぶダンドランに圧倒されて、涙をぬぐってやることもできなかった。ただ泣き叫ぶ竜の顔を見ると、ひどく心が痛い。おれはただ、推しに笑ってほしかっただけなのに。
「苦しいのだ、リローダン! 貴様のことを考えると、どうしようもなく苦しくなる! 俺はもう、一人で暗い部屋にはいられない! 生まれた時からずっとそうだったくせに、貴様がいないと耐えられない! 俺はこんなにも弱くなってしまった……! 俺は、俺は……」
大粒の涙を浮かべて、絞り出すような声で、竜は言った。
「――――貴様のことを愛しているんだ」
今にも消えそうなほどか細い告白だったのに、それはおれの耳にはっきりと届いた。
黒い巨体から不安が滲み出し、暗闇をより濃くしているようだ。こんなに大きくてたくまし竜が今にも溶けて消えそうなほど儚くなっている。
否定されることを恐れながらも、それでも言わずにはいられないほど育った恋心がダンドランを圧迫し続けていた。
何かを言わなければと、おれはまだまとまらない感情を拾って言葉に組み立てようとした。だがダンドランは答えを求めていないようで、聞くのが怖いと、おびえた顔でまくし立てる。
「こんな醜い俺が誰かに愛されるかもしれない夢を見たせいで、怖くてたまらなくなったのだ。俺は男で、呪われていて、貴様には何も釣り合わない黒星でしかないから。俺はずっと、何もつかめない手を伸ばして……貴様が俺から離れる時を恐れていた!」
ダンドランからあふれる邪悪な魔力が密度を増して、おれにのしかかる。今までため込んできた衝動をぶつけて、おれの主導権を奪おうと染みこんでいく。
それに抗おうとするのだが、黒い手がそっと頬を撫でて浸食に発破をかける。おれを縛り付けようとする魔力には、悲しみとやさしさが煮詰まっていた。
「だから魔王と契約をした。手を貸せば、貴様を俺のものにできるとそそのかされて。醜く汚い俺を許さなくていい。だが、傍にいてくれ、お願いだリローダン……俺を一人にしないでくれ……」
すがりつきながら汚染を早め、ダンドランはおれを求めている。おれを抱きしめて愛をささやき、一緒に狂ってくれと誘う。
もともとダンドランは誰からも愛されない自分が嫌いで、一人狂っていくことに恐怖していた。
誰もいない部屋で痛みに耐えながら、すり減っていく理性でずっと救いを願う生活だった。いつ狂うのかもわからない、それでも痛みは永遠に続いていく。誰か、誰かと、呼んだところで誰も来ない。
それは出口の見えないトンネルを延々歩き続けるよりなおひどく恐ろしいことだ。誰でもいい、そばにいてくれと、ダンドランはがむしゃらに誰かを求め続けていた。
過去回想で見た孤独の凝縮は、その時はまだ推していなかったおれですら心を痛めたほど。孤独と狂気への恐れを、訓練と勉強でごまかし続けてきたのがダンドランという男なのだ。
だからおれは、ダンドランが笑えるようにしたかった。
月の魔法で痛みを軽減して、呪いが解けるまでサポートすることで、ダンドランが痛みと狂気に悩まされず幸せになる未来をあげたかった。
なのに、こんなことになってしまった。
本当に、本当に本当に本当に、自分のうかつさが嫌になる。魔王の魔力で誰かを隷属させようとする。これをおれは知っていた。
――――これはおれのイベントなんだ!
リアラに振られたリローダンが、彼女を手に入れるために魔王にそそのかされて悪落ちした、あのイベントそのままだ。ただ、おれの配役がダンドランに回ってきただけ。
普通に考えればそれも当然だ。ダンドランは魔王の魔力を受け継いでいるから、他の誰よりも堕としやすいに違いない。おれが候補から消えれば、真っ先にやり玉にあがるのはダンドランしかいないと、少し考えればわかることだったのに!
「ダンドラン……すまない……」
おれは推しに会える喜びに浮かれていて、大事なことを忘れていた。もっと考えるべきだったのに。ゲームとは違うシナリオになった可能性を吟味していれば、気付けたかもしれなかった。
だから、この苦しみは自業自得だ。シナリオを変えたことでダンドランが狂ってしまったなら、おれの責任なんだ。
推しに迷惑をかけるなんて言語道断すぎて、自分が嫌になる。おれはただ、ダンドランが幸せになればいいと思って行動していたのに。
「何故貴様が謝る。貴様は何も悪くない、ただ、狂った竜に目を付けられただけだ」
「私の、せいだよ……」
体の制御もおぼつかない中で、おれは黒く大きな体を抱き返す。狂わないようにと育てられたのに、おれのせいでこんなことになってしまった。
痛みで夜も眠れず、無性に苛立ってしまう日があったことをおれは知っている。
狂うのが怖いとリアラに吐露したシナリオをおれは知っている。
誰からも愛されないと嘆き悲しんで涙した夜をおれは知っている。
おれは全部知っている。おれとは全然違う優しい竜がもつ悲しみを。
そんな彼に少しでも、幸せを感じてもらいたかった。
だからおれはあがこう。それだけが、おれにできる償いだから。
「すまない、だが……君だけは、助けるから、安心してくれ……」
魔法も封じられて意識もおぼつかないけれど、おれは全魔力を集中させてダンドランを淡い月明りで照らした。
無理矢理魔法を使ったせいで、体が拒否反応を起こして暴れ出す。皮膚は裂け、毛皮に赤が混じりだすが、その程度でおれを止められると思ったら大間違いだ。
おれが知っているのはゲームのシナリオじゃなくて、ダンドランの人生だ。この竜はずっと、孤独と不安の中で痛みに耐えて過ごしてきた。それがどれだけ辛いかなんて、おれには想像すらできない。
だからこの程度の痛みなんて、ダンドランの心に比べたらどうってことない!
「り、リローダン……! 何をする! やめるんだ! 今魔法を使ったら、死んでしまうぞ! それはただの封印じゃない! 魔王の魔力によって浸食された……俺と同じような状態だ! そんな状態で抗えば、体がもたない!」
「大丈夫、私はこれでも……んぐ、強い魔法使いなんだ。師からは、天才と……ゴホッゴホッ……!」
「リローダンっ!」
必死な顔で叫ぶ竜の顔には驚愕が浮かび、魔法を止めさせようとしているようだが、月明りは依然としておれらを明るく照らしていた。
体に力も入らなくなってきて、ダンドランがおれの抱擁から抜け出して肩をつかんで揺さぶる。その顔が迷子の子どもみたいだから、おれは口端から血を流しながらも、安心させようと微笑んだ。
「なんで、貴様は……こんな時でも笑うのだ……! 全部俺のせいだぞ! 俺を恨め! 蔑んでくれ! だから俺を助けようなんて思うな!」
「だいじょう、ぶ……私は、君を恨んだりなんかしないよ……」
「俺は自分の意志で狂ったのだ! 貴様を手に入れるために! そのためだけに、世界を裏切った悪しき竜だ! 救う価値などない! だから、もう……やめてくれ……!」
それは嘘だ。狂ってしまっても、やっぱりダンドランは優しいね。あんなに狂うのが怖いと言っていたのに、おれのせいで狂ってしまった。ごめん、今助けるよ。
月の魔法は人を助ける魔法。心も体も、月明りに包まれて、安らぎを与えてくれる。
たとえ悪しき魔力だったとしても問題ないなんて、ダンドランに魔法をかけ続けたおれが実証済みだ。
魔法を使うたびに、体中が引き裂かれるような痛みに襲われる。口からとめどなく血が溢れ、言葉を話すのすら億劫になる。
だけど、これはダンドランが浴びてきた痛みだ。今までずっと、彼はこの痛みと共に生きてきた。
苦痛だったはずだ。一つの体に二つの魔力を宿しながら、それでも星の魔法を使って戦ってきた。慣れないおれが魔法を使うと邪悪な魔力が暴発して体に害を出しているというのに、ダンドランはこんな体でずっと生きてきたのだ。
「お願いだ、やめてくれ……! 俺は貴様にそんな顔をさせたかったわけじゃない……! 俺の魔法ですぐに治してやる!」
星の魔法は人を癒す魔法だ。だけど、黒い魔力にはじかれて、おれにそれは届かない。
「魔王っ! なぜ邪魔をする!」
『そいつの魔法は危険だ。いなくなってくれるなら、その方がありがたい』
「約束が違うだろうが! 俺は星を手にしたいと願ったはずだ!」
『そいつの死体に私が入れば貴様の願いは叶う。貴様は我が配下として、永遠に傍にいられる。何も間違ってはいない』
「……貴様ァ!」
おれにも聞こえた、暗くおどろおどろしい声。本当なら、おれが真っ先に聞くことになるはずだった、魔王の声だ。
だけど今はそんなことより、言わなければならないことがある。
ぎゅっと泣いている迷子の竜を抱きしめて、吐血混じりになんとか言葉を紡ごう。
「だん、どらん……」
「リローダン……魔法を止めてくれ……貴様がいなくなったら俺は、また一人になってしまう……! だったら狂ってしまったほうがましなんだ! こんな世界に、俺を残していかないでくれ、お願いだ……!」
「愛して、いるよ……」
「…………っ!」
見開き驚いて揺れる目はまるで水面に映った満月を思わせる。ダンドランはおれから聞こえた言葉が間違いないのかと、必死に水へと手を伸ばしてすくい上げるように確認を求めた。
「今、なんと……? リローダン、なんと言ったのだ……?」
「私にとって、君は、特別で……君の笑顔を、見るために頑張って、いたんだ……」
「だが、貴様は嫡男として、嫁を取るつもりで……」
「そうだね……だけれど、私は愛していたんだ……ふ、ふふっ……見上げていたのは、私の方さ……君が大きいから、いつも私は顔を上げて、そのたびに……喜びを感じていた……私はずっと、君の隣にいたんだよ……」
「……あ、ああ……」
「君は、誰からも愛されない存在なんかじゃ、ないんだよ……私だけじゃない、リアラも、仲間たちも、みんな……君を愛している。困難の中で……ぅぐ、育ったのに、優しい、優しい君を……みんな愛している」
推しのために死ねるかなんて、前世では考えたこともなかった。
でもそれは二次元の話であって、今この目の前のいる竜のためだと同じことを問われたら、おれは間違いなく首を縦に振ることができる。
だって、おれはダンドランを愛しているから。
傷ついておびえながらも、誰かに愛してほしいと願い続けたダンドランがおれを選んでくれるなら、全力で応えたい。今までの交流を通して、もう推しという言葉じゃくくれないほど、大きな存在になっていたんだ。
好きな人への投資は自己満足だ。ダンドランが笑ってくれるなら、おれはなんだってできる。
「ダンドラン……世界で一番、愛おしい竜……だから君は、私がいなくても、幸せに……なれるんだ……孤独なんかじゃ、ないんだよ……」
月明りで狂気を追い払うために、ダンドランを照らそう。
これから先の幸福を祈りながら、薄れゆく意識でおれはただ魔法を紡ぐ。
体の痛みもなにもかもが遠のくなか、それでも魔法だけは途切れさせない。もう抱きしめていた腕に力も入らなくなって、おれがベッドに落ちる。でも、枯れない涙を流す竜が心配しないよう、おれはできるだけ笑おうと努めた。
ダンドランの行く道が幸せでありますように。それだけが、おれの望みだ。
「りろー、だん……ああ、あぁ……」
「ごほっ……カハッ!」
「貴様は、こんな俺でも愛していると言ってくれるのか……。貴様とは何も釣り合わない、救いようがないほど醜い俺を……」
「そんなことは、ない……けほっ、君は、いつだって……輝いているよ……」
「そう言ってくれるのだな……リローダン、愛している。この世界で誰よりも愛している。貴様だけが俺の綺羅星なのだ。貴様が灯ってくれるから、俺はどこまでも歩いて行ける。それだけで、良かったのに……俺は星を落とそうと目論んだ……なんと愚かなのだ」
力のないおれの手を取って、ダンドランは愛おし気に頬に当てる。硬い鱗の感覚は涙で濡れていたけれど、とても暖かかった。
「星を落とそうなど、無理な話だった。貴様はこんなにも眩しい。いつだって、今だって、俺を導いて救ってくれる」
「でも……私は、遠くになんて、いない……私はいつも……」
「ああ、俺の隣にいてくれた」
黒竜の体から強い光があふれ出て、薄暗い部屋を満たしていく。とても眩い星のきらめきはダンドランが魔王の支配下から離れたことを意味していた。
月と星のべールは邪悪な魔力をはじき、もうおれらの間を邪魔するものは何もない。おれの命が尽きる寸前に、どうやらダンドランを狂気から助けることができたようだ。
これで思い残すことはないのだけれど、星はおれに瞬いてくれる。
まだ生きろと、竜の涙がそう言うんだ。好きな人に泣かれたら、どうしようもないよね。
ダンドランを笑顔にするためにも、こんなところで死んではいられないらしい。
「俺は愚かだ……貴様の気持ちを聞くのが怖くて、魔王に加担してしまった……。こうして向かい合えばよかったのに……」
『お前……私を排除したところで、星は手に入らないのだぞ! どうあがいたところで、社会がお前らを認めない! それが可能なのは、私だけなのだ!』
「そうかもしれない。だがもういいのだ」
ダンドランの口がゆっくりと近づいていく。星明りはおれの怪我を治してくれて、痛みも減っているから精悍な竜の顔がはっきりと見えた。
いつ見てもかっこよくて大好きな推しの――ダンドランの顔は柔らかく笑っている。これがおれの見たかった、大好きな星だ。それがおれだけに向けられているという事実が、こんなにも嬉しい。
「たとえ誰が否定しようとも、俺の歩く道は決まっていた。俺はただ星と共に、この手を取って並んで歩ければどこでもよかったのだ。愛している、リローダン」
「私も愛しているよ、ダンドラン」
そして、おれらの距離はなくなって。
まばゆい光の中、初めてのキスをした。
****
「さて、これで大体落ち着いたかな。おつかれ、ダンドラン」
「問題ない。貴様が根回ししてくれたおかげで、かなり快適に過ごせたぞ」
贅沢の粋を集めた我が家に、黒くて大きくてかっこよくて最高に素敵な竜がいる。
今日初めてこの部屋に来たダンドランだったけど、さすがに夜になると慣れてきたみたいだ。今はいつものきちっとした黒い礼服ではなく、ゆったりとしたシャツの部屋着だ。もうここはダンドランの家なのだから、着飾る必要もない。
筋肉で膨らんだ体のせいで胸元が大胆に空いており、無自覚に魅力を垂れ流しているな……。前世の童貞オタクだったら耐えられなかっただろう。
あれからダンドランの生家であるシュヴァン家と話し合った結果、引っ越しを認めてくれたのだ。
ダンドラン用に整えた部屋は塵ひとつないほどに完璧だ。家具の大きさから窓の向きまで、何不自由しないために最善を尽くして整えておいた。すべておれのお金なので遠慮しないでほしい。ダンドランに貢ぐために稼いでいたのだから、本望でしかない。むしろおれの稼いだ金が竜の生活に反映されるの、最高の課金じゃん。さいこ~~っ!
……なにしても最高の課金とか言ってる自覚はある。
そんな部屋を前にした竜は申し訳なさそうにしながらも。嬉しそうに尻尾が揺れていた。
「まだ少し実感がわかないが、本当に俺が貴様と暮らせるとはな……」
「あの事件で君を抑えられるのが私くらいしかいないと、向こうもわかったみたいだからね。暴走されるよりかはってことだろうね」
まあ呪われた黒星とはいえ、今は聖女パーティの一人だ。その名誉をかすめ取る算段をしていたのだろうが、さすがにその聖女本人からも頼まれては断れない。ありがとう聖女。
おれは内心でリアラにお礼を言いながら、ダンドランに部屋の説明をしていく。メイドに任せればいいかもしれないけど、好きな人が初めて来てくれたのだ、できる限りのもてなしをしたかった。
「ここが居室で、扉の向こうが寝室だ。で、あっちが浴室になっている……のはさっき使ったから知ってるね。君の世話をするメイドや執事に関してはすでに見繕ってあるから、心配しないでくれ」
「手際がいいのはわかったが、いいのか……? 俺の世話など、誰もやりたがらないだろうに……」
「何のために君をあの家から連れ出したと思っているんだい。この私が、そんな人材をあてがうわけないだろう? それに、今の君は普通の人と変わらないよ」
大体呪われて困っているのは本人だけなのだ。触っても問題なんてない。ダンドランに不義理を働くやつがいたら、おれがクビにするから安心して。
そんな考えを植え付けたシュヴァン家にちょっと怒りを覚えつつ、これから精いっぱいの愛情を注ごうと決めた。
「……ありがとう、リローダン。貴様がいてくれるから、俺を人として扱ってくれるのだな」
「私は当たり前のことしかしてないよ。好きな人と暮らすのに、気を回さないわけないじゃないか」
「う、うむぅ……そう言ってくれると、俺も、嬉しいが……」
どうやらダンドランはまだ恋人という関係になれていないらしく、あからさまに目を泳がせた後、目についた扉を指さして話題を逸らすことにしたようだ。
「あ、あれは何の部屋に続いているのだ?」
「ああ、あれは寝室だね」
「寝室? それはあっちだと……」
「うん、だからあれは私の部屋と繋がっている寝室だよ。あの部屋を通れば、私の部屋に入れるよ」
「え………………」
その意味するところを瞬時に理解したんだろう、黒い竜の顔が真っ赤になってしまった。知識だけはあっても実戦が皆無だから、うぶな反応をしてしまうのだろう。正直可愛すぎて死ぬ。なんだこのかっこよさと可愛さを掛け合わせた最強生物。
赤らんだ竜だったが、どうやら懸念点があるらしく、何度か深呼吸をしてから言葉をまとめてきた。
「嫡男たる貴様の部屋に続いているのか、俺の部屋は……? それは正妻がもつべき特権なのだと思うが……」
「私に君以外の人を娶る気はないよ」
「ほ、本気で言っているのか?! 仮にも貴様、ステリアル家唯一の直系男子だろうが!」
「父君はまだ存命だよ」
「そういうことではないっ!」
まあ正妻と部屋を離している家の方が多いと思うけど、おれがね、いつでもダンドランに会いたいから金に物を言わせて改築しました。同棲するのに別の棟とかおれが無理。
「ステリアル公爵閣下は何も言わなかったのか……?」
「いや、大変なお冠だったよ。なにせ君と結婚すると息巻いて、決まりかかっていた王族との婚約も白紙にしたからね」
「なんだと……そんなことしたら、貴様の公爵家での立場がないだろうが!」
「大丈夫だよ。私は魔法の天才で、事業を成功させた大金持ち。別に公爵家を追い出されても生きるのには困らないし、それに追い出すなんてこと、絶対しないと思うよ」
だって、追い出して市井で子ども作ったなんてことになったら、かなりめんどくさいことになるからね。おれの血筋と魔法の才能を受け継いだ子どもって、追い出した公爵家にとって目の上のたんこぶすぎるから。月の魔法は独占しておきたいだろうしね。
それにおれの稼ぎは公爵家の稼ぎでもある。金の生る木をそう簡単に捨てはしないだろう。
なんて打算もあるけれど、父君はいい人だからなんだかんだ許してくれそうだ。ダンドランを呼びたいと言ったときも、結局は認めてくれたしね。
「そういうことではなく、俺の所為で貴様が肩身の狭い思いをしてほしくないのだ……俺のために、そこまで……」
「何度も言ってるじゃないか。私がしたいからしている、これはただの自己満足。君には笑ってほしいんだ」
「本当に貴様は……」
仕方ないなと言わんばかりの態度なダンドランだけど、喜色がにじみ出ている。おれが結婚するからって悪落ちしたくらいだ、本心では絶対独占したいと思ってるはず。
大きな窓から見える夜空には、綺麗な星と月が浮かんでいる。ダンドランは視線を上げて眺めた後、こちらに顔を戻して柔らかく笑う。今の竜はこんなにも素直に笑うことができるのだ。
「だがそれが貴様の望みなら、俺は最後まで笑って暮らすさ。星が夜空から消えることは、永遠にないのだからな」
「君にそう言ってもらえるなんて、私はとても果報者だ。よければ向こうの寝室も見てみるかい?」
「我が星の導きのままに」
そっと手を差し出せば、当然のように黒い手が重なる。もはやエスコートも慣れたもので、おれらは当然のように歩みを合わせることができた。
共通の寝室はダンドランと寝ても大丈夫なくらい巨大なベッドがメインではあるが、つい立ての奥にはお風呂が完備されている。さらに広い庭園の一つを一望できるようになっているベランダには二人用のソファが置いてあり、並んで夜風に当たることもできる。
まあつまり、完全に夫婦の寝室ってやつ。やることやるための設備が万全に整っている。
でもさすがに引っ越し初日にやるのはがっつきすぎだと我ながら思うので、今日は案内だけのつもりだ。
だけど、重なった手から感じる熱がだんだんと強くなっていて、横を見れば、口元を引き締めた真っ赤な竜が緊張で瞳を揺らしているのが映った。
「ふふっ、そんなに身構えなくて大丈夫さ。君が嫌なら私はしないよ」
「いや……そうでなく、だな……こんな部屋を作るということはやはり貴様……その」
「なんだい?」
「お、俺に欲情するのか……?」
「へ?」
なんか急に当たり前のことを言われたので、リローダンらしくない声が漏れてしまった。だってそれ、『甘いもの食べたら甘いと感じる?』と同レベルの質問だったし。
「貴様は俺を愛していると言ってくれるが、あの日以来キスはしてくれないし、手を出すそぶりもなかったから……女にばかりうつつを抜かしてきた貴様は、俺のような図体のでかい男に興奮しないのではないかと……」
「あー……」
「だから、もし興奮しないのなら、俺の方から正妻を持つよう進言しようかと思っていたのだ。貴様を縛るのは、本意ではない。俺は貴様から照らされているだけでいいから……」
あまりに丁寧に扱いすぎて、不信感を持たれてるぞこれ。まあ確かにシュヴァン家に軟禁されていた関係上、手を出すタイミングはなかったけど、キスくらいはしても良かったかもしれない。
ダンドランは誰からも愛されない日々が長かったせいで、自分というものに自信がない。怖がらせないようにと段階を踏んでいたつもりだったが、かえって不安にさせていたみたいだ。
ここが男同士とか珍しい世界観だったから、つい失念していた。こういう価値観のずれは前世を思い出した弊害だな。
「リアラたちからは大事にされていると諭されてはいたのだが……俺は醜い竜だから、どうしても気になってしまって……」
「そんなことはないさ。君は魅力的だよ。むしろ、君がこういう行為に慣れていないから、時間をかけたほうがいいと思ってね」
「その気持ちは嬉しいが、俺は貴様が求めてくれるならいつでも構わなかった。……いや、はぁ……全く俺は……あの時と同じことをしているな。貴様とちゃんと向かい合わず、また鬱屈としていた。すまない」
「いいよ、私の方にも非があるんだ。どうにも私は君を大事にしすぎて、不安にさせるところがあるようだ」
「俺が大事されるということに慣れていないのだ。仲間からも奥手すぎるとは言われていたから、経験不足が出ているのだろう。だから……」
手を振りほどいた竜はベッドへと上がり、おれへと向き直る。
そしてシャツのボタンを一つ、また一つと外していけば、筋肉で豊満になった山のような肉体があらわになっていく。最近実戦を知った肉体は雄々しさの権化ともいえる造形をしていて、内皮が空気を含んでいるかのように膨らんでいる。
この世界有数の巨体が白いシーツの上で身をよじりながら脱いでいく光景は、現実味がまるでない。こうして同居する関係になった今でも、都合のいい妄想なのかと疑ってしまうほどだ。
誰よりもかっこよく、誰よりもたくましい竜のアプローチを受けて、おれは食い入るように見つめている。今まで遊んできたくせに、まるで初体験のような反応をしてしまった。
そんなおれを確認したダンドランは安堵の息をついて、中途半端にシャツを脱ぐ。いかつく盛り上がった肩が明かりに照らされて、黒曜石のような光沢が言葉に乗っておれを発情させる。
「リローダン、貴様が俺に欲情してくれるというのなら……もう迷うことはない。俺は貴様が欲しいのだ。この身に余すところなく貴様の光を受け、貴様を感じたい。愛しているというのなら、どうか、俺と一つになってはくれないだろうか」
「いいのかい?」もつれかけた舌を駆使して、この一言だけを何とか取り繕う。
「もちろん。子も生せぬ行為ではあるが、貴様が欲しいと体が訴えている。俺だけの星よ、大事にしてくれるのは嬉しいが、貴様の欲を隠す必要はない。俺も、貴様を受け止めたいのだから」
貴族なんて血統主義、しかも魔法が絡んでくるからなおのこと、男同士のまぐわいに何の意味があるのかと世間は言うだろう。
だけど、おれらは違う。おれらが肌を合わせるのは、互いが欲しいからだ。どうしようもなく焦がれた感情が、心と心をひきつけ合ってやまない。
薄明りの中、ほのかな光をまとう屈強な体躯を視界に入れて、おれの口は勝手に言葉を紡いでいた。
「綺麗だよ、ダンドラン」
「そ、そうか……俺なんかを綺麗と言うのは、貴様くらいのものだ……。俺からすれば、貴様の方がずっと綺麗だというのに」
「そんなことないさ。こうして見て、そのたくましさに改めて驚いたよ。これは君が狂気に負けないよう鍛えた証じゃないか。人としていようとした有りようを、私は素直に美しいと思う」
見た目だけの話じゃない。呪いに負けないよう日々を耐え抜いた黒竜は存在自体が尊いのだ。
そんなダンドランの決意を無駄にするなんてできない。
覚悟さえ決めてしまえば、体はすんなりと動いた。
分厚い竜に体重を預けて、そのたくましい胸板に指を這わせる。お風呂上りでしっとりとした内皮から、心拍の荒れ狂う振動が感じられた。言葉をどれだけ重ねても、それだけですべてわかってしまう。
「やかましいだろ?」黒竜が頬を染めながらも苦笑して。「貴様が待ち遠しくて、たまらない。正直、この日をかなり夢見ていた。俺のようないかつく醜い竜が、女のようになるのだ。人によっては、なんと無様だと嘲笑するだろうな」
「私は絶対にそんなこと言わないよ。そして、そんなことを言う人なんて無視すればいい。君は誰よりもかっこよくて、素敵なダンドランだ。醜いなんて思ったこともなければ、これを恥ずかしいとも思わない。私を受け入れてくれて、感謝すらしているよ」
「貴様はいつもそう言ってくれるのだな。なら……俺が情けないところを見せても、なんだ……幻滅しないでほしい。男同士どころか、人とするのが初めてなのだ……」
幻滅とかするわけがない。黒竜は初体験を前に緊張と興奮を混ぜ込んで体をこわばらせているけれど、その仕草すら愛おしいのだから。
胸筋は張りもあり、手触りもいいけれど、リローダンとしての経験が指を放していく。本当は心行くまで揉みたいところだけど、きちんとリードすることを優先しよう。
口を寄せると、意を察した竜の目が閉じる。ちょっと強くつぶるところに可愛さを感じつつ、おれは軽いキスを送った。
「……っ!」
そして同時に、腕に引っかかっていたシャツを脱がし、そこらへんに放り投げる。おれも視界を閉ざしているからわからないが、触り心地だけでもわかるほど屈強な体だった。
「ダンドラン、舌、入れていいかい?」
「あ、ああ……」
白虎の顔を傾けることでマズル同士を深く交錯させて、奥へと舌を差し込んでいく。初めて舐めるダンドランの唾液は、味なんてしないはずなのにおれを夢中にさせる。
こわばってまごついている竜の舌を誘って、一緒に踊ろう。おれらの口から鳴る卑猥な音をバックに、互いの遺伝子を飲みこむんだ。
「ちゅっ……脱がせるよ……」
「んっ、はぁ……くちゅ……!」
そうしている間に、ダンドランをベッドに押し倒し、今度はズボンへと手をかけた。そこはすでに盛り上がっていて、先端を撫でると喉奥から声が噴きかかる。あまりに巨体過ぎて持ち上げられないのがわかっているので、ダンドランは腰を上げて脱ぐ手伝いをしてくれた。
「んふぅ、んっ……むぉ……ちゅっちゅぅぅ……!」
こうしてキスで興奮を昂らせている間、おれは葛藤を迫られている。
早く目を開けて、生まれたままの姿になっているダンドランを見たいというのに、こうして粘膜で互いを感じる時間が愛おしくて離れがたくなっているのだ。
口接は次第になりふり構わないものになっていき、唾液をすすることに躊躇が消えていく。おれらにとっては美酒でしかないから、耽溺するのに時間はかからなかった。
おれは元よりダンドランも、愛しているとささやくよりも雄弁な舌使いで感情を紡ぎ合っていく。
体はどんどんと熱を帯びていき、石けんに混じって竜の色香が立ちのぼる。発情は汗を促してフェロモンを濃くしていくものだから、おれの口も捕食者の一面をのぞかせてしまう。
竜もそれに応えてくれて、舌同士で汗だくのダンスを。唇がふやける心配なんて頭からはじき出されて、わずかに暗い部屋で欲情を響かせた。
「り、ろーだん……ふぁ……んむぅ、んっんっうぅ!」
ダンドランが呼んでくれたから、少し理性が戻ってきた。視界をあければ薄目になった竜が相貌をうっとりと染めているのが見える。口の端から唾液がこぼしながらも、おれの服をつかんでいた。
「すまない、苦しかったかい?」
「ち、違う、そうではなくて……俺ももっとしていてもよかったのだが……これ以上すると、本当に、死んでしまいそうだ……胸がどきどきして、でも嫌いじゃなくて、多分俺はキスだけで夜を明かすことができるかもしれん」
サイドチェストに置いてあるナフキンで口を拭いてあげると、心底幸せそうな顔でそうつぶやいてくれる。この瞬間が、おれも幸せなのだ。
好きな人にこんな顔で笑われて、ときめかない人なんていない。
「死んでしまうのは困るな。それなら今日はキスだけにしておくかい?」
「う……貴様のそれは優しさだとわかってはいるが、たまに意地悪なんじゃないかと思う時がある。俺のここを見ても、まだそんなことを言うのか……」
恥ずかし気に袖を引っ張られ、視線を下へ。そこにある堂々とした肉塔はスリットからそそり立ち、どこよりも鮮烈な赤が明かりを反射していた。
巨体に見合った存在感はすでに濡れそぼっており、ダンドランの中で渦巻く興奮が嵐のように荒れ狂っているのだと示している。その余波が吐息を湿らせ、この夜を熱していく。
初めて見るダンドランの生々しい欲望はどんな炎よりも眩しく燃え盛り、おれに情欲が伝播する。三本目の角を思わせるほどに硬く、いきり立った竜の一物。触れば火傷するほどに熱いに違いないと、うごめく血管を見れば一目でわかった。
「俺のここは、こんなにも逸っている。出したくてたまらんのだ。貴様はこれを俺一人で処理しろというのか。リローダン、俺は今日、キス以上を求めている」
雄の臭気を芬々と振りまきながら、竜の指先はおれの服をついばんで誘う。お返しのつもりなのか、ぎこちない仕草で理性の鎧をはいでいこうとしていた。
おれが自分で脱ごうとしたのだけど、やんわりと押しとどめられてしまった。おれの白い毛皮が夜になびくたびに、黒い竜の瞳に情欲が灯っていく。
「はしたない男だと、笑ってくれてもいい。だが、俺の綺羅星よ、どうか今宵は貴様に抱かれる夢を見せてはくれないだろうか。その白い腕で孤独を排し、俺の身に愛を刻んでほしいのだ」
「もちろん、喜んで。夜空に浮かぶ月に誓って、一夜限りにはしないと約束しよう。君が願いをかけるたびに、星は応えてくれるはずさ」
ダンドランのたどたどしい手つきではがされたおれの理性の下では、同じように赤が立ち上がっている。強大な竜よりかは小さいが、一般的には巨根と称される部類の、おれの興奮。
「ああ」竜がほっと一息をついて。「貴様も同じで安心した。俺だけがこのような激情に流されているわけではなかったのだな」
「これで私が君に欲情してると信じてくれたかい?」
「う、改めて聞かれると、やはり恥ずかしいな……」
「ふふっ、今更過ぎるよ」
歯の浮くようなセリフには躊躇が無いくせに、直接的な言葉には耐性が無いんだ。そういうところも可愛いけれど、口に出すより前に竜が毛皮に触れてきた。
全身をさらけだされたおれらの間を邪魔するものはなにもなく、いかつい指が毛先に絡む。くすぐったくて身をよじれば、自然と口には笑みが浮かぶ。
「綺麗だ。貴様ほど綺麗な星を、俺は知らない」
「私もさ。君ほど綺麗な星を独り占めできるなんて、夢のようだよ」
「黒星を愛でるのは貴様くらいのものだ」
「そんなことないさ、だから私は君が黒星でよかったと思っているよ。夜空にあっても、私にしか見えないのだからね」
「ああ、俺が呪われた黒星だから、貴様が見つけてくれたのだ。それだけで、俺は報われている」
ダンドランはおれのいたるところを撫で、人の形を確かなものにしようとしている。星座をなぞることで、今が現実なのだと自身に教え込むように。
強大な竜がおれに与える刺激は、何とも優しいものだ。おれも辛抱たまらなくなって、屈強な体へと手を伸ばし、鱗の艶に指紋を付けよう。
そうすると次第にエスカレートして、おれらは掌だけじゃ満足できなくなっていた。手だけでなく足も絡ませて、体中で互いを感じたくてシーツの海でもがくようにじゃれ合った。
これまで二人を隔てていた地位や遠慮をはぎ取って、生まれたままを感じ合う。ダンドランはどこを触ってもたくましく、肉の密度が高すぎてすべてがずっしりと重い。限界まで詰め込んだ部位はボリューム満点で、鱗がはじけ飛ばないか心配になるほどだ。
「綺麗だよ。それに大きくてたくましい。私じゃ君を抱ききれないね。こんな夢でも君は満足できるのかい?」
「ふぅ、ああ、当然だ。貴様の温かさが俺をまどろみに連れていってくれるのだから」
それからしばらく、シーツの衣擦れの音と鼻を抜ける呼吸音だけが、空気を震わせる時間が続く。手を握ったり抱き着いたり、鼻面をこすり合わせたり、肌を重ねることで心音を共鳴させる。
おれらはこれまでできなかった時間を取り戻すように、ただただ互いを貪った。
「ダンドラン、愛しているよ」
「俺も愛している。リローダン、俺だけの綺羅星」
幸福に揺蕩うダンドランの鼻面に軽いキスを送ると、お返しがおれの鼻面に返ってきた。性欲を発散させるためだけではない、感情を確認する行為。それが幸福を反響させて、一人で抱えきれないほどに増幅させていた。
でも、こんなに幸せなのに、それでもより多くを求めてしまうおれらは貪欲なのだろう。
行きつくところまで行ってしまいたいと、二本のそびえる怒張が叫んでいるんだ。
その叫びを聞いたダンドランはおれの股間に触れ、興奮した愚息から汁を掬いとる。大きな手に絡む興奮の残滓は光を反射して、黒い指先で糸を引いていた。
他人の汁なんて初めて見た温室育ちは嫌悪の一切も浮かばせず、呆けたまま口へと放り込んだ。まさかの行動に瞠目するおれに構うことなく、指の隙間から赤い舌をのぞかせて丹念に舐めとっていく。
ダンドランが、おれの先走りを舐めた……?
あまりのことに理解が追いつかず、指をしゃぶる黒竜を前に血流が盛んになっていく。今まで女の子とやったときには、こんなに興奮したことなかったのに。
「んっ、これが、貴様の味か……美味くはないのだが、嫌いではないな……」
「まさか君がそんなものを舐めるなんて思わなかった……」
「だから言っただろう。貴様は俺を大事にしすぎているのだと。俺は……貴様と繋がりたいと思っているし、舐めたいとも思っている。貴様が思うよりずっと、欲にまみれているのだ。それに、貴様のものなら汚いと思うわけがない」
唾液まみれの指先をおれの口に当て、恥ずかしそうしながらも竜は唇をなぞる。おれはようやく、事ここにいたって、推しとして見ていたダンドランを美化している傾向があることを、認めざるを得なかった。
どれだけかっこよくて素晴らしい存在だとしても、好きな人と興奮を高めあったのなら、行きつく先はひとつしかないのに。
「確かに、女性であったならこうすると喜ぶのかもしれん。だが俺はあの日からずっと待っていた。口づけを交わした時から、貴様の興奮を胎に収めることを。だから、俺はもう待ちきれないのだ」
美化した幻想を、現実の竜が食い破ろうとしてくる。
グローブのような手がおれの興奮を握り、先走りを塗りたくる動きで撫でまわす。思わず腰が引けてしまうが、ダンドランは止まってはくれなかった。
「ふ、あぁ……ダンドラン……強い……!」
「ああ、これが貴様の興奮か。リローダン、俺はこれが欲しい。子の産めぬ胎だとて、好いた者の愛を注いでほしいと希うことに性別など関係ない。俺の中を、貴様で埋めてくれ……!」
「わかった、よ……だけど、私は君を大事にしたい。例えやりすぎと言われても、君を守りたいんだ」
幻想を自覚はしたけれど、おれの行動理念は変わらない。ただ少し欲をぶつけてもいいとは思うようになったが、それでもだ。
ずっと待たせていたことは申し訳なく思うけれど、やはり、初夜は大事にしたい。ダンドランの初めては、しっかりと気持ちよくなってほしいんだ。
ダンドランにおれを覆いかぶさるようにしてもらい、それぞれの股間に頭が来るように体勢を整える。いわゆる69と呼ばれる体位だが、この世界にそんな名前はないと思う。
「おおぉ……」間近におれの肉槍を見た竜が恍惚と。「リローダンの濃い匂いだ。それに、なんとたくましい……貴様は見た目だけではなく、ここまで整っているのか」
「好きにしていいよ、ダンドラン。その間に、後ろをほぐしておくから。いくら君が巨体とはいえ、初めては慎重にしないとね」
「……うぅ、貴様を見るのは嫌いではないが、自分の欲を見られるのは恥ずかしいものだ」
「ふふ、それこそお互い様だよ。私の方こそ、君の蒸れた匂いが……」
「い、言わなくていいっ! 先ほどから興奮が止まらんせいで、割れ目の中がひどいことになっているのは想像がついている!」
ダンドランの言う通り、凶器のような巨根が飛び出すスリットからは、内壁の赤がしとどに濡れているのが見えている。肉槍の先端からは絶えず残滓が漏れ出ていて、おれへと降り注いでいた。
平均以上の体躯を誇るおれよりもはるかに大きい竜だ。尻を上げる体勢になってようやく互いの股間が鼻先にくる。平均身長以下だったら、そもそもこの体勢すら無理だっただろう。
「ああ、リローダン。貴様が俺に欲情してくれることが、こんなにも嬉しい」
竜は鼻面を根元に押し付け、肺一杯におれを吸っている。両手で肉棒を撫で、おれの興奮がどれだけ熱いのかを掌で感じ取っては、嬉しそうに尻尾を揺らしていた。
その顔をおれは見ることができないものの、陶酔と目を細めているのは想像に難くない。興味津々な手つきが浮かんだ血管をつぶしたり、カリのくびれに指で撫でたりと、生で見る性器を堪能している。
「リローダン……」
だが、ダンドランは触るだけでは満足できなくなったようで、ぬるりとした感触を根元から駆け上がらせた。竜の舌はそれ単体が生き物であるかのようにうねり、おれの汁を唾液で置換しようと丁寧に這いずり回る。
「うぁ、ダンドラン……ふふっ、気に入ってくれたようだね……!」
「んふぅ……れろ、んっ……う、ううぅ、俺は礼儀も学んだ公爵家の一員だというのに、こんな、はしたなく……口が止められん……!」
「いいんだよ、ここには私たちしかいないんだ。君の好きにしてくれた方が、私も嬉しい」
本心を言うなら、おれもダンドランの一物にしゃぶりついたり、でかすぎる臀部にまたがられたいのだけど、リローダンとして遊んできたプライドがあるせいで、どうしてもスマートに振舞う癖がついてしまっている。
だから、目の前に赤々とした興奮の火が灯っているにもかかわらず、おれはそれに釣られることなく指を尻へと向かわせる。子どもの胴体ほどある脚を支える双丘は掌でつかみきれないほど膨らんでおり、撫でると竜の赤塔が大きく震えた。
「大きいねぇ……しかも硬くて張りもある」
「ふあぁっ、リローダン……俺の尻を、そんないやらしい手つきで……んっ、撫でるとは……!」
「ごめんよ。じらすつもりはなかったんだ。すぐに挿入できるようにするから」
「いや、構わない……俺が貴様の一物に耽溺しているのだ。貴様もそうしなければ、不公平だろう。俺の体が貴様を悦ばせられるなら、ためらうことなど何もないっ」
語気強く言い切るあたり、恥ずかしいという感情はぬぐい切れていないようだ。
それでもおれのものを巻き取る舌の動きは変わらず、竜の長い口唇によって完全に覆い隠されてしまった。
不慣れな口淫ではあるが、好きな人にされているという補正もあって、思わず腰が浮いてしまいそうだった。えずかせたくはないので平常心を保ちたいのだが、貪欲な吸引のおかげで喉奥を突かないようにするのも一苦労だ。
「はふっ、はふっ……んっんぅ……ちゅぅ……!」
「う、はぁ……気持ちいいよ、ダンドラン……!」
自身とは違う外付けの精巣にも興味をそそられているようで、二つの玉が両手に弄ばれている。ふかふかな袋の手触りがお気に召したのか、ダンドランの巨大な掌の中で玉がこすれてもみくちゃにされていく。
「んっ……!」
しゃぶられながら急所をいじられると、どうしても感じてしまうのは雄の性だ。ダンドランは制御できない興奮に襲われているようで、遠慮というものが消えている。初体験な上におれが我慢を強いていたようなので、竜の暴走はしょうがないだろう。
でも拙い奉仕だから、落ち着けばまだ余裕がある。今のうちに後ろの準備を済ませておこう。
おれの顔よりでかい臀部を横切って、その中心へ。黒い砲弾のような肉に守られていたのは、綺麗なピンクをした粘膜の蕾だ。
肉槍より楚々とした赤にほんのりと色づいており、誰も触れたことのない未開の清純。おれの接近を感じ取って何度も震えるそこを、指先で軽く叩いた。
「……んはあっ!」大きな下半身をぶるりと振るわせ、口から肉棒を吐き出した竜が。「う、ぁ……ついにそこを触るのか。ううぅ……綺麗にはしたが、やはり、慣れないな。俺の汚いところを、貴様に触らせるなど……」
「大丈夫、汚くないよ。優しくするから安心して」根元で軽くキスの音をたて。「でも痛かったらすぐに言ってほしい」
「も、問題、ない……どうせ怪我をしても俺の魔法で治せる……」
「私が嫌なんだ。君の綺麗な体に傷をつけるなんて耐えられない」
なので月の魔法でしっかりと保護をかけておこう。これで裂けることはないけれど、ほぐすのは必要だから
そうして準備を済ませ、指を一本潜り込ませていく。サイドチェストに備えたローションをまぶした指はすんなりと入り込み、とろとろになった熱い柔肉に包まれる。
「……がふぅ!」
「痛くないかい?」
「痛みはない……だが、変な感じだ。俺が女になろうとしている。覚悟は決めていて、俺自身もそれを望んでいたのに、いざこうされると……」
「急な変化を怖がるのは誰だって当然さ。ゆっくりでいいんだよ」
「き、貴様はだから、俺に優しすぎる……! 貴様の欲望はこんなに硬くそそり立っているのだぞ、気にせず進めてくれ」
そう言いながら、黒竜は気を紛らわせるためにおれの一物をまた口に含んだ。熱心な舌使いからどういう顔をしているのか大体想像がつくけれど、実際に見られないのはやはり惜しいな。
今の会話で時間をかけたので、引っかけた指の熱が肛門を少しほぐしてくれたはずだ。この巨体にはおれの指程度誤差だろうから、もう一本入れよう。
ずぶずぶと飲み込んでいく瞬間を間近で観察すると、どうしたって劣情に油が注がれる。ダンドランにはおれがどれほど興奮しているのか、口でわかってしまうことだろう。
「ふぅふぅ、ふっ……! うぉ……んちゅ、んぐんぐ……!」
「うん……これなら問題なさそうだね。順に四本まで入れていくよ。悪いが、私のを入れるとなるとそのくらいほしいんだ」
「んふぅ、構わ、ないぞ……この感覚にも、慣れてきた……んっんっ、どうか俺を、貴様を受け入れられるようにしてくれ……」
「おぉ……早くしないと、君の口に暴発してしまいそうだ」
「俺はそれでも問題、ないのだがな……んむぅ」
根元をちゅっちゅっとついばみながら、丁寧にダンドランの中を広げていこう。
黒竜の熱はとどまることを知らないようで、割れ目の隙間からじっとりと汁が満ちていくのが見える。凝縮された色香におれの嗅覚はすっかり虜になってしまって、鼻面を当てては熱心に幹を舐め上げる。
下部位しか舐められないのはダンドランの一物がでかすぎるせいだ。しゃぶれば確実に喉奥をやられる凶器の先端が、鎖骨に先走りをこぼしている。
「む、おおぉ……広がる、俺が……ああぁ、リローダン、欲しい……貴様が欲しいっ!」
「もう少し待ってくれ。怪我する可能性がある以上、ここだけは私の気のすむまで丁寧にやらせてもらうよ」
「んくぅ、なんともどかしい……眼前には貴様がそびえ、俺の胎は準備ができているというのに……! 俺は貴様の優しさを愛しているが、飢えに理性が飛びそうだ!」
ダンドランの秘孔は四本の指を受け入れ、湿潤な音を奏でている。魔法で強化していることもあって、切れるそぶりはみじんもない。それでも、おれは指をまばらに動かして、竜の柔肉を調べていく。
柔らかく熱い肉の壁に覆われた内部は、ダンドランの言う通り飢えで蠢いていた。肛門は異物を奥へ咥えこもうと何度も収縮を繰り返し、排出器官であることさえ忘れているようだった。
蕾を無理矢理開花させる所業は渇望を刺激し、ダンドランはシーツを握り締めて尻を振っていた。牙の隙間からこぼれる甘い吐息が、おれの興奮を燃やそうと吹きかかる。たまに竜の鼻面がぶつかって汁が飛び散っているせいで、その刺激にビクンと反応してしまう。
本当に、顔が見えないのがもったいない。
「んあ、あっあっあぁ……気持ちいぃ、俺が、リローダンのために作り変えられていくようだ……! 一人でやったときは、ここまでではなかったというのに……」
「え、いじったことあるのかい?」
「んあっ?!」しまった言わんばかりに尻尾がぴんと立った。「その……貴様が俺を受け入れてくれた時から、こういう日が来るのではないかと思ってな……。どういうものか知ろうと試しに……」
「そうだったのか……準備してくれてありがとう、ダンドラン。君のおかげで、早く終わったよ」
そこまで想ってくれていたのに、欲情されなかったら正妻を進言するつもりでいたのか君は。ダンドランはおれを優しすぎるというけれど、おれからしたら君だって十分優しいじゃないか。
最初会った時もそう、この竜は自分が思う以上にいい人で、そんなところが愛しいのだ。
「ダンドラン、愛しているよ」
「ああ、俺も愛している」
感極まった言葉が漏れると、当然のように返ってくる。もはや確認するまでもない言葉なのに、こうして何かあるたびに口を衝いて出てしまう。
だから、星へと手を伸ばすのはおれも同じなのだと、同じ気持ちなのだと、くすぐったい気持ちが心地よくおれらを包んでくれる。
早く次に進みたい。一つになりたい。
おれの中でもそんな感情が膨れ上がって、丁寧にリードしようとする理性を圧迫し始めてきた。
煩悩を抑えつけながら指をまとめて引き抜けば、尻尾につられて臀部も大きく跳ねる。塞ぐものが無くなった肛門は開閉を繰り返しており、いつでもおれを受け入れると話しかけていた。もはや楚々とした蕾然とした姿はそこになく、愛欲によって焦がれるダンドランの精神を反映させた淫靡な部位へと進化している。
「ひゃぁ……リローダン、これから俺はどうしたらいい……」
振り向いた竜の顔は想像通り口周りをべたつかせており、不安と期待に揺れる瞳で指示を求めていた。
「もう後は一つになるだけだよ。ダンドランはどういう体位がいいか、希望はあるかい?」
「そうだな……貴様の顔が見えるようなものがいい。つながっているのが貴様なのだと、感じたいのだ」
「わかったよ。私も君の顔が見たかったからね」
おれの顔も割れ目からこぼれた汁で毛皮がへたって、あまりかっこよくはないだろう。けど、おれらは何も言わず、顔を拭く手間さえ惜しんで先を急ぐのだ。
ダンドランには仰向けになってもらい、おれは股の間に入り込む。正常位の形が、おれらの希望を叶えるのにふさわしいだろう。胴体横に手を置いてたくましい竜に覆いかぶされば、熟した顔が近くなる。緊張はだいぶほどけて、欲望に素直になったところもまたかわいいものだ。
「少し汚れていて申し訳ないのだが、キスしてもいいかい?」
「確認などいらん。それに、俺の方が汚れている」
「それなら」
触れるだけの簡単な口づけを送り、おれは体を起こす。こうして見ると黒い肉体の分厚さはすさまじく、鍛えたおれでも動かすのは大変そうだ。
でもそっと太ももを撫でれば、意を察して開いてくれた。赤らんだ顔の竜はうっとりとした目でおれを見つめ、リードを受け入れて合わせようとしているのがわかる。
そのお礼として手を取って甲にキスをすると、くすぐったそうな笑みが返ってきた。気が付けば尻尾が肩に乗っており、今度はおれが頬ずりをして返す。
ただ欲を発散させるだけでは感じられない幸福が、間隙に慈しみを込めた行為を繰り返すことで満たされていく。女の子を数多く抱いてきたけれど、今が一番幸せだと胸を張って言える。
「君はいつも自分なんてと言うけれど、私からすれば、君こそ美しい綺羅星さ。その光は私を盲目にして、他のことなんて目に入らなくなる。私だけの、黒くて綺麗な君。あの庭園で君に出会った時から、私は君の幸せを願い続けてきた」
「だが、俺の幸せには貴様が必要だ。貴様が隣で輝いてくれなければ、俺はすぐに道を見失う。白くて美しい貴様。俺の笑顔が見たいと言ってくれた、俺の綺羅星」
おれらの体は欲によって燃えている。毛皮は湿り、鱗には汗が浮かんで、あぶられた情欲が雄の色香となって互いの鼻をくすぐるのだ。
今まで会う時は香水などできちんとエチケットを守っていて、その上衣服で貴族としての体面を整えた姿だった。近寄ってもここまで互いが香ることはなく、誰が選んだのかわからない香料を竜の匂いだと認識していた。
だけど、今はそんなものなどなく、地位も名誉も脱ぎ捨てた一人の雄としての魅力が直に伝わっている。
そのむき出しの欲が互いを昂らせ、いっそう雄を強めていく。ここからは止まれないと本能が訴えるから、おれは剛直をあてがう前に愛を落とすことにした。
「ダンドラン、愛しているよ。今後ずっと、君だけを抱くと誓える。私の浅ましい欲望に無理して付き合う必要はないけれど、ね」
「構わない。俺はどれだけでも付き合える。だから……俺を照らしてくれ。貴様に求められるのは悪い気がしない。このままでは、俺ばかりが貴様のことを好きみたいではないか」
「結構抑えているだけさ。そんなことを言って、後悔しても知らないよ?」
「むしろ後悔するくらい求めてほしいものだな。なにせ俺は、貴様に会うまで、ずっと一人で誰かを求め続けてきた黒星だ。愛する星に捧げられるのなら、何をためらうことがある」
「じゃあ、慣れてきたらいろんなことをお願いしようかな」
「……任せておけ」
何を想像したのかはわからないが、真っ赤になってうなったことから相当恥ずかしいことなのだろう。嫌なことならしないつもりだし、無理におれに合わせなくても愛想をつかすわけもないのに。
孤独だった時期が長い竜だから、捨てられないように必死なのだろうか。それは悲しいから、安心させてあげたいな。
なんて考えていると、頬を尻尾の先端が突っついた。
「貴様が何を考えているのか、大体わかるぞ。そんな悲しい顔をするな。俺はしたくてやっているのだ」
「そんな分かりやすい顔をしていたかい?」
「とてもな。だから言っておく。貴様が俺への献身を自己満足だというのなら、俺もそうなのだ。俺は貴様に喜んでほしいし、笑ってほしい。そのためなら多少恥ずかしいことくらい、なんてことはない。それに……俺も興味が無いわけではないからな……」
「ふふっ、そっか……嬉しいよダンドラン。それに、私の可愛い星はエッチなことが好きなんだね」
「貴様とする時だけだぞ! 貴様以外に股を開くつもりなど毛頭ない! だから、そろそろ……」
「ああ、そうだね。私ももう限界だ」
これ以上ないほど煮えたぎった欲望を原動力にして、おれは動き出す。赤々とした怒張が冗長なトークを牽制し、発散を訴えて涙を流しているんだ。
そっと肛門にあてがえば、上ずった声を漏らして黒い巨体が跳ねる。それから竜の瞳はあてどなく彷徨って、恥ずかし気におれへと戻ってきた。
互いの顔が見れるようにこの体位を選んだのだ。つながる瞬間こそ、おれらは視線を繋げなければならない。
「入れるよ、準備は良いかい?」
「頼む、リローダン……俺に貴様をくれ……! これ以上俺が惑わないように、刻み付けてほしいっ!」
期待に色づいた竜を確認して、おれは慎重に腰を進ませる。
敏感な先端が受け入れられ、外気から柔肉へと飲みこまれていく。いくらおれらの間で空気が熱を帯びているとはいえ、ダンドランの中はけた違いに温かい。へたすれば蕩けていきそうな内壁を、肉槍が割り開いて進む。
「ぐぅ、あっあぁ……ついに、ああついに……!」
「きついのに、柔らかい……! 気持ちいいよ、ダンドラン」
「俺もだっ……自分が満たされていく感覚が、なんとも心地よい……ああ、それなのに、まだ入ってくる……貴様が、俺の奥に……っ!」
ダンドランはうわ言のように喜びをつぶやき、いきり立つ赤を震わせる。この様子だと痛くはなさそうなので、そのまま奥へ。
もっと深くに当たるように太ももを抱えてあげると、きゅうっと締まった。それから限界まで進ませ、腰同士がぶつかることでようやく止まる。
内部に備わっているヒダという牙に噛まれ、おれは腰を押しとどめるのが精いっぱいだった。こんなに体は大きいというのに、内壁はきつく、肛門の圧も強い。油断すると食いちぎられそうなほど貪欲な陰部でおれを締め付けているくせに、ダンドランは上気した笑みを向けて喜んでいた。
「ふぅ、これで全部か?」
「そうだよ。これが、私の興奮の全容だ。痛くはないかい?」
「まさか。俺の中は昂り、初夜が成ったことへの喜びに満ち溢れている。こんな大男を犯す貴様の一物は依然として固く、それが嬉しくてたまらない。愛する人に求められるというのは、俺に幸せを教えてくれた」
なじませるのに少し時間を置くため、おれはダンドランの腹を撫でて入っているのだと実感させる。ごつごつした筋肉の手触りは雄々しさの権化だが、その内部ではおれの一物が埋まっているのだと思えば、意識せざるを得ない。
それは竜も同じだろう。感覚が鋭敏になっているのか、肌をこする手に合わせて鼻から息が抜けていく。重ね合わせれば自然と指が絡み合い、おれの腰が動き出す。
引いて入れる単調な動きが、何倍にもなって夜に響いていく。握る黒い手が強くなり、幸せにゆだっていた相貌が切なさを増して、竜の荘厳な口腔から興奮の赤をのぞかせた。
「ふ、あぁぁ……っ!」
「きつかったら、すぐに言うんだよ。なにせ君は、初めてなんだから……!」
「構わん……! そのまま、あっあっ……俺を貪ってくれっ! この快楽が、愛がっ! 俺を人たらしめるのだ!」
抽挿を激しくしたところで、頑強な竜の体はびくともしない。だが、焼きごてのような肉槍はおれの感情を快楽に置換して、ダンドランを徐々に火照らせた。
勢いよく打ち付ければ、竜の目が大きく見開かれる。はち切れそうなほど筋肉を詰め込んだ巨躯から、猛々しくも淫らな咆哮が飛んだ。
「うおっおおぉおぉぉっ?! 一瞬、脳裏に星が散ったぞ……っ! すごいなこれは……貴様の一物が、俺になじんでいく……! 貴様をより感じるよう、より感じてもらえるよう……んおおっ! なんとも、光栄なことだっ!」
「ふぅ……慣れてくると、もっと気持ちよくなれるはずさっ! でもまさか、初夜でこんなに昂るなんて、思わなかったなっ! これは、またすぐに頼むことになるかも、っくぅ、しれないね……!」
「構わないっ! 貴様に求められるなら、俺はいつだって応えてみせる! だから俺の綺羅星よ! どうか、俺の孤独を照らしてくれ! ぐうぉおっ! この弱い竜が一人で眠ることの無いように!」
「もちろん、せっかく一緒に暮らすんだ……! 毎晩だって、毎朝だって! 私は君の側にいるよっ! 君はもう、一人の夜を過ごすことなんてないんだっ!」
「ああ……リローダン……」
生まれた時から孤独に苛まれてきたダンドランにとって、夜はきっと寂しいものだったのだろう。だけどこれからはおれがいる。黒星が瞬く夜には、いつだって白い星があるんだ。
感極まった言葉が喉を振るわせた後、竜の瞳は湿度を増して、雫が鱗を滑り落ちる。負荷をかけすぎたのだろうか。驚いて動きが鈍るおれに、竜は首を横に揺らしてねだった。
「やめないでくれ……俺の綺羅星っ! お願いだ! これはただ、嬉しいだけ……んうぅ、俺が本当に貴様に見初められたのだと、実感が、あっ……こぼれただけにすぎん……!」
「それでも、私は君を大事にしたい」
「そう思うのなら、どうか、最後までやってくれっ! 俺は幸せだ! 貴様に照らされて、愛されて、この上ない幸せに溺れている!」
それからおれらは何度も何度も互いの名を呼んで、何度も何度も接合を繰り返す。
泣いている竜が迷子にならないように、必死に奥へと叩きつける。
おれがもっと大きければ、この体勢でも抱きしめてあげられたのに。現実は涙をぬぐうことが精いっぱいで、体を倒せば胸に顔が埋まるだけ。キスをせがむことすら難しく、愛しい星を慰めるには行為を続けるしかないのだ。
ダンドランに喜んでほしい。おれはただその一心で、起き上がって竜の中をえぐった。
「んあああぁっ! たまらんっ! 性行為とは、こんなにも、気持ちが昂るものなのか……! 嬉しいのに、涙が止まらん……!」
幼いころからの痛みと孤独で笑顔を失った竜が、幸せでも泣くしかできないなんてかわいそうすぎる。嗚咽の合間に嬌声を響かせて一物が幸福を示しているのに、顔だけは迷子のままなのだ。
おれは快楽に翻弄される表情筋を駆使して口角を上げた。汗で毛皮を湿らせた情けない顔だけど、この感情だけは本物だと胸を張って言えるんだ。
「私も幸せさ! 君のような星が側にいてくれて、世界一幸せだとも! 愛しい黒星! 君がどれだけ夜空にまぎれようとも、私は必ず君を見つけ出す! そして、何度だって愛を誓おう! だからどれだけでも泣いていい! 私が全部、受け止めるっ!」
おれはダンドランの笑顔が好きだ。だけど、無理に笑う必要なんてない。
代わりにおれが笑ってみせる。幸せだと、ずっとささやいてやる。
「リローダン……!」
竜のたくましい両手が伸びて、おれを誘う。
断る理由なんてないから大きな胸に飛び込んで、巨木のような体幹に腕を回して抱きしめた。すぐに応えは返ってきて、白虎の体は筋肉の鎧に埋まる。
体格差のせいで白はすっかり黒に覆いつくされて、四肢でがっしりと固定されていた。縋り付くような圧に息が詰まり、呼吸しようとあがけばダンドランの芳香が入り込む。それは燃料として染みこんで、おれの心臓を駆動させた。
むせかえるほど濃い竜の匂いの中、腰だけは動きを止めることはない。汗ばんだ内皮にくっついた毛先が乱れても、嬌声が溢れても、表情だけは幸せを体現すると決めたんだ。
「俺は幸せ者だ……こんなにも綺麗な星に見初められて……! んぅ……あっ、愛してくれる……! 俺も、その気持ちに応えたい……だから、貴様も……気持ちよくなってくれっ!」
「もちろん、そのつもりだよ……ふたりで一緒にしてるんだからね……!」
盛り上がった胸から頭を引くと、ダンドランの泣き笑いの顔が間近に来ていた。
そこまで無理しなくてもと思うと同時に、おれに合わせて幸せを伝えてくれようとしているんだと嬉しくなる。
できる限り背を伸ばし鼻面だけをくっつけてから、体を起こして腰を振る体勢へと戻ろう。黒い手はすんなりと放してくれて、笑顔で見送ってくれた。
だけれど逆に竜の内部は緩む気配がなく、少し動くだけで快楽が膨れ上がってくる。そう考えると、今おれを放した手はどれだけの覚悟が必要だったのか。代わりに両手の指を絡ませて、思いっきり突き上げよう。
「ひ、あああぁぁっ! すごっ、うあっ……んうぅ! 硬いっ、おぉっ……リローダンっ! リローダンっ!」
「私はここにいるよっ! どこにもいかない! ダンドランっ!」
肉棒が内壁をかき混ぜるたびに、竜から上ずった声が飛び出していく。たくましさの塊のような男からこんな弱々しい声が漏れてくることを知っているのは、世界広しと言えどもおれくらいだ。
それにこんなにも興奮してしまうのは、おれがダンドランを愛しているからだ。前世なんて関係ない。おれという男が、この竜を求めている。
おかげで愚息は痛いくらいに張り詰め、血管を浮かばせている。ここまで興奮して、おれの方が恥ずかしい。
ダンドランは自分ばかり好きみたいだと言ってくれたが、こっちだって大好きなのだ。
だから、それを伝えよう。シーツをぐちゃぐちゃにしながらも、懸命に剛直を突き立てることで、ダンドランの心に好きを届かせる。
「う、くぅっ! 絡みつく、っはぁ……気持ちいいよっ!」
「俺もだっ! 貴様がどこを突いたとて、俺はっ、うおおおぉっ! 喜んでしまう! ああ、もっと! その心で、俺の不安などぉ、吹き飛ばしてくれ!」
「私の星が願うままにっ!」
黒と白は絡み合いを加速させ、湿潤な音を嬌声の合間に響かせる。不安を吹き飛ばそうと響く竜の咆哮は懇願の色が濃く、まぐわいを以て心を通い合わせようと努めた。
大事にしながらも、強く中を穿つ。とたん、噴きあがる嬌声と肉のぶつかる音。
もはやおれの燃え盛る情欲は制御なんて振り切って、意地に近い熱意をダンドランにぶちまけている。この行為を通して愛欲を理解してもらおうと、これまでの経験すべてを駆使して竜へ快楽を送り続けた。
「あぁ……リローダンっ! 貴様の必死な顔を見ていると、ぬぉっ! あの時を思い出す……! あの時も、貴様は俺を助けようと……そんな、ああっ! 凛々しい顔で、俺へと手を伸ばしてくれたっ!」
「ははっ、今は、ただ……っふぅ、性欲を発散させるのに、忙しいだけさ……! 君と繋がれていると思えば、どれだけでもできそうだよっ!」
「俺もだっ! この浅ましい欲望に限りはなく、貴様を孕みたいと俺は昂り続けているっ! ん、なあぁっ! あぅ、あっああぁ……! 体内を駆けるこの衝動が、ぅう、こんなにも、愛おしい……んぅ!」
薄明りに汗が反射して、きらびやかな黒星がまどろむような笑みを向ける。慈愛を多分に含んだ表情が竜にはよく似合う。魅力が欲望に直結するから、うねる内部への挿入が加速して、黒い巨体がベッドを揺らす。
「ぐぅおおぉっ……! はぁ、熱い……! 気持ち良すぎて、どうにかなってしまいそうだ……! 俺の一物は、爆発しそうなほど、んあっ……張り詰めて、あっあ!」
艶やかに喘ぐダンドランの一挙一動がおれを刺激してやまない。大きく膨らんだ体躯には汗が滴り、薄暗い夜を蠱惑的に照り返す。礼服を着こんで毅然とした昼とは違う、生々しい欲を吐きだそうとする夜は、この竜に魔性を付与している。
立派な牙の隙間から甘やかな声で歌い、立派な肩幅を作る僧帽筋が快楽に翻弄されて左右に揺れた。張り詰めた胸筋にはいじったこともないであろう突起が、いじらしく起立している。
「……ダンドランっ!」
この竜のすべてが素敵だ。だから、おれはもう耐えられそうもなくて、紳士然とした仮面を脱ぎ捨て牙をむいて愛しい人の名前を呼んだ。
野性味あふれる、リローダンが決してしない表情。虎としての勇猛さを示すような雄々しい顔で、限界を訴える。
「ああ、なんだ……貴様も、そういう顔がっ! んぅ! できるのではないか! どんな貴様も好きだが、それも悪くない……!」
「す、すまない! 怖がらせるつもりは、なかったんだ……! ただ、私はこのまま果てそうだと、はぁ……伝えたかっただけで……!」
「いいんだっ、んっんっ……貴様は綺麗なだけでなく、男前なのだな。んふぅぅ、だが果てそうなのは、ああっ、俺も同じ……貴様と一緒にいけそうで嬉しいぞっ!」
当然のようにのろけてくれる竜の内壁がさらにうねっているところを見るに、その言葉に間違いはないのだろう。実際、突き入れるたびに腹に当たる竜の剛直が、双方の腹に糸を引きながらのたうっているのを眼下に見てきた。おれ以上にいきり立っているそれはいつ破裂してもおかしくない。
おれは最後の一押しとばかりに、竜の肛門を遮二無二荒らす。これまでの経験から感じてもらえる場所を、全力で打ち据える。
これにはダンドランもたまらず胸を張って、一物の先端から予行演習の汁が飛ぶ。握った手はきつく力んだが、おれらはすでに痛みなど感じる間もないくらいには耽溺していた。
「ああっ! 俺のリローダン、孕めぬ俺の胎にどうか……!」
「そういうのは関係ないんだ。私は、君に出したいっ! 受け取ってほしいっ! ……お腹を壊したらすまないね」
「構わない……! 俺が欲しいと願ったのだ! んああっ! 早く、注いでくれ! 俺の中にっ!」
懇願は言葉だけではなく、締め付けでもって補強する。ヒダが貪欲に噛みついて、おれから搾り取ろうとする動きも顕著だ。ダンドランは体と心のすべてで、おれが欲しいと叫んでいた。
それはおれも同じ。この竜を孕ませたいと、太古から続く本能が番と認識して、精巣が勇み足を踏もうとしている。前までのおれならきっと自分勝手に出していたんだろうが、ダンドランの期待に満ちた目を見ていると、そんなこと許されないと自重できる。
おれらは呼吸を合わせながら上り詰めて、そしてついに、頂へと至る。
「ダンドラン、中がすごく締まったね……そろそろ、かいっ?」
「うぅ、そう言われると恥ずかしいが、そうだ……俺はもう、こらえきれない……! き、貴様はどうだ?」
「うん、私も限界さっ。だから、一緒に……」
「ああ、一緒にいこうっ!」
疲労する体に鞭打って、最後の一押しを。
最も深くを目指した挿入は、とどめとなっておれらの精巣をこじ開ける。
「あ、あぁ……出るよ、ダンドラン……!」
「んぐぉおぉ……来てくれ、リローダンっ!」
そして、すべてを白く染め上げるような射精が、二人の間に響き渡った。
「くぅぅぅっ!」
「ぐおおぉっ!」
竜の打ち上げる白濁はおれの頭を越え、黒い自身へとぼたぼた降り注ぐ。赤く腫れそぼった怒張は何度もしゃくりあげ、だんだんと威力を弱めながらも絶えず撃ち続けていた。
腹筋の隙間を粘液で埋めながら、ダンドランは恍惚とした顔をしている。力なく開いた口から呆けた声を漏らし、目を細めて余韻に浸っている。だが、それは自分の射精ではなく、中へと注がれるおれの熱に感じ入っているからだろう。
「ああ、リローダンの熱が、こんなに……! たまらん、なんと熱いのだっ! 俺も、はしたなく一物を揺らして……んっ、止まらんっ! 女の快楽に、これほど悦を感じるとはっ! リローダン、もっと、もっとくれっ! 貴様の欲で、俺を満たしてほしいっ!」
「んくぅ、ダンドラン……! すごい、ずっと締まって……あっ、搾り取ろうとしてくる……! 私の星は、とても淫らなのだね……」
「うぐっ……! だ、だが、止まらんのだ! 貴様の熱が俺を狂わせ、満たされる幸福が俺を急かす! 胎で受ける寵愛は格別で、星を宿そうと体のほてりが加速するのだ! 一人で自分を慰めたことはあれど、これほどではなかった……」
「私も、自分がこんなに出すとは、思わなかったよ……んああっ!」
おれの射精はこれまで出してきた量を凌駕するもので、肉棒がもっていかれそうになるほどに強い快楽を浴びていた。
興奮しているとは感じていたが、まさかこれほどとは思わなかった。
女性であったなら確実に着床させられるほどの濃さが尿道を圧迫し、間欠泉のように飛び出すのだ。歯を食いしばって荒い息を吐く白虎は貴公子でも何でもない。ただの獣同然の振る舞いで、愛しい星へと種を注いでいく。
「ふぅー! すまない、止められなくて……!」
「いいんだ……俺は嬉しい……! おおぉリローダン、貴様はこんなにも、俺で興奮してくれた! その事実が、ああ、愛おしくてたまらん……!」
そうして、両手の指をほどいてから、おれらは自然と顔を近づけていく。筋肉で膨らんだダンドランにとって頭を持ち上げる体勢はきついだろうが、構うことはないようだ。おれも毛皮が竜の精液にぶつかるが、そんなことはどうでもいい。
ただ、この幸せを噛みしめたまま、キスをしたかった。
青臭く汚れたおれらは互いの汗にも気を止めず、そっと口先を合わせる。腕を背中にまわし、もう言葉もなくして感情の共有を。
奥へ注ぎ込む白虎と、ただ漏らし続ける黒竜の絶頂はしばらく続いたが、それらが収まった後も、キスは終わらない。
「んっ……ダンドラン、愛しているよ」
「俺も、愛している」
一物を抜いたおれは竜の横へと倒れ込み、乱れたシーツの上でもがくように絡み合う。先ほどしたじゃれ合いよりも深く、淫らな行為。性の残滓をまとうことで、遠慮が溶け切ったむき出しの感情だ。
もはやこの竜のすべてが愛おしく、輝く内皮に何度もキスを落とした。そこにできる跡を黒い手が優しく撫で、お返しにと首筋にキスが降る。すると今度は口同士がまぐわい、呼吸の共有を熱心に行う。
性欲は落ち着いたが、愛が沈静化することはない。おれらはここに来るまで、ずっと我慢していたのだから。
ダンドランがシュヴァン家にいた時にはできなかったことを、おれらはじっくりと堪能する。ようやく恋人らしいことができるのだ、止められるわけがない。
この愛おしく大きな竜に欲情しないなんてありえない。
そのことを、ダンドランは知ることになるだろう。
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「はあ……」
大きく息を吐いたダンドランは、ベッドに腰かけるおれの肩を抱き寄せて頭に顎を乗せる。浴室で綺麗にした体からは石けんの香りが漂っているが、背後からは未だ行為の残滓を漂わせている。後ろに目線を送れば、乱れたシーツが汗や精で汚れきっているのが映るはずだ。
結局あの後また昂り、数回にわたって吐精した。おれらは普段の姿が見る影もなくなるほど乱れ、互いを求め続けた。
朝日が昇ろうかという頃になってようやく落ち着きを取り戻し、体を洗ってここに座っている。
「疲れたのかい? さすがにやりすぎてしまったからね……」
「違う。俺は幸せ者だと、改めて噛みしめているだけだ。寂しくない夜を過ごしたのは、生まれて初めてのことなのだ」
硬い太ももに手を置けば、黒い手が重なる。
「これからは毎晩一緒だよ。……仕事が忙しくなければね」
「そのことなのだが……貴様さえ許せば、俺も手伝おう。これでも教養はあるつもりだ。タダ飯食らいは性に合わんのでな」
「でも君はこれからまた戦いに行くのだろう? 世界のためには、そっちの方が重要さ。そんな負担を強いるのはできないよ」
「……だが、この戦いが終わったら必要になる。俺は貴様の側にいるのだからな」
「ダンドラン……」
ダンドランが思い描く未来には、隣におれがいる。それは虎の尻尾を躍らせるくらいには嬉しい。
笑いかけると竜はおれを抱きしめ、大きな体で包み込む。その力は強く、少し震えているようだったので、背中を優しく撫でてあげた。
「ん、また幸せすぎたのかい?」
「ああ、その通りだ……俺は今、幸せを恐れている」
「幸せが、怖い……?」
「馬鹿げているだろう? 幸せすぎて怖いなど、考えたこともなかった。誰かに愛されたいと願い続けたくせに、いざ愛を受け取ると、今度はそれを無くすのが怖いと嘆くのだ。ああ、俺は何と弱い男だ」
ようやく孤独を排したダンドランにとって、この生活はまぶしいくらいに大事なのだろう。過去を知っているおれは、孤独がトラウマになっているのだと理解している。だから、そんなことはないよと言い聞かせるように、柔らかく撫でた。
「私はどこにもいかないよ。だから、安心してくれ」
「だが、考えてしまうのだ。目が覚めると俺はまだ北方にあるシュヴァン家の実家にいて、寒い中一人で部屋にいたらどうしようと。誰も俺を見に来ない、教師もメイドもまともに目を合わせてくれない、父も母も俺のことをいないものとして扱う。そんな自分に戻ってしまったら、俺はもう耐えられない……」
幼いころからの孤独は竜をずっと苛んでいる。今この時も、ダンドランは過去に縛られ続けていた。
それは一朝一夕で解決できるものではないし、ダンドラン自身が乗り越えないといけないものだ。おれはずっと側にいるけれど、できるのは手助けすることくらいで、竜をこうやって抱きしめることしかできない。
「これが夢なのではないかと、いまだに疑わずにはいられない。貴様が俺を愛してくれる、なんて都合のいい世界だと。醜い黒星である俺が、こんな幸せになれるわけがないと。貴様はこんなにも温かく、俺を抱き返してくれるというのに……信じられない自分の弱さが嫌になる」
初夜を済ませて、許容量を超えた幸福が反動を産んだのだろう。自分を卑下する傾向にあるダンドランは、あふれる幸せを受け取ることに慣れていない。
だから、黒い体から幸福がこぼれないように、できる限り強く抱きしめた。これが竜の新しい日常なのだと、信じてもらうために。
そうして、空が白んでくると同時に嗚咽のような震えも治まると、バツの悪そうな顔をした竜が沈んだ声をあげた。
「情けないところを見せてしまってすまない。貴様の前だと、俺はずっとこんな調子だな。だからリローダン、俺は、その……重たい男なのだ。貴様の優しさに甘えて依存しないように努力はするが……たまにこうなると思う」
「ふふっ、さすがに今更じゃないかい? 私のために世界を裏切った君が、軽いとは思っていないさ。それでも私は、君を選んだんだよ」
孤独じゃないのに、孤独を引きずる竜。常に足元におびえ、後ろを振り返ってしまうおれの愛しい人。
ならおれはずっと側にいることを、ダンドランには嫌ってほど知ってもらう必要がある。
「ダンドラン、少し待っていてくれるかい?」
「ああ、構わないが……どうしたんだ?」
「君に見せたいものがあるんだ」
急いで部屋へと戻り、あるものを持ってくる。これはおれがダンドランのために準備したものだ。いつか絶対に必要になるだろうと、待ちきれずに用意しておいたんだ。
「こっちへ」
竜の手を引いて、向かう先はバルコニー。二人で星を見ようと作った場所は十分広く、風が心地よく毛皮を揺らしてくれる。すでに朝日が地平線から顔を出しており、空には朝と夜が混ざり合っていた。
おれらはまだ服すら着ていないから、これを渡すには不適当かもしれない。
本当はもっと準備して、機会を見計らって、最大限豪華にしたかった。ダンドランへの気持ちを込めた、最高の日に仕立て上げようと計画していた。
でも、それは結局おれの都合でしかない。ダンドランを幸せにしようと頑張って、結果狂気に導いたような、おれがただ理想を押し付けたあの時と同じ。
同じ轍を踏むわけにはいかない。
目の前の竜は、今ここが、夢ではないと信じたいんだ。
だったらもう、迷うことなんてないだろう。
「どうしたのだ、見せたいものとは……その小箱のことか?」
「そうだよ……ゴホン、ダンドラン=フォン=シュヴァン」
おれは竜の前で跪き、その小箱を差し出す。
ふたを開ければ、宝石のはまったリングが朝日を反射してキラリと瞬いた。
「君の手に小さな星を送ろう。例え暗闇で目覚めても、いつだって現実に導いてくれる、私の君への愛を込めた小さな星だ。これさえあれば、君はもう迷うことはない」
「リローダン、それは……」
「そして私は、この星に誓う。君が願いをかける時、私は必ず君を照らしに行くと。これは今必要なのだと思う。だから私の綺羅星、どうか――」
「待てっ! 待ってくれリローダンっ! 貴様は本気で俺を娶ろうというのか……! 俺をここに連れてくるための方便などではなく、本気で……!」
広大な庭に竜の焦りが響くが、おれは前言を撤回したりはしない。作法は前世とも変わりないから、おれの本気が竜に伝わったはずだ。
朝日は昇り、バルコニーに光が差し込んでいく。横顔を照らされる竜は自身に降ってわいた最高の幸福を飲みこみきれていないようで、しり込みしながら尻尾を下げる。
おれは何も言わずじっとダンドランを見つめ、続きを口にする機会をうかがっていた。表情は取り繕っているが、心臓は早鐘のように鳴っている。一世一代の告白なのだ、瞬きだってできやしない。
「お、俺は子を産めぬ。貴族の妻としては、不適格な男だ……!」
「構わない。我が公爵家は分家筋もしっかりしているし、私が子を作らないからといって落ちぶれるような家ではない。だが、君との子は欲しいから、そういう魔法を研究してもいいし、もしくは養子を取ってもいいだろうね」
「俺は呪われた黒星だぞ……!」
「それは理由にならない。だって君は聖女と一緒に世界を救うんだろう? そうしたら君の呪いだってきっと解ける。私は信じているよ。それとも、これはまだ重かっただろうか」
「そんなことはない! そんな、ことは……」
今更のことを掘り返しても、おれの決意は変わらない。それらすべてを承知の上で、おれはダンドランを選ぶんだ。
その決意は家に招いた時から固めていた。そして、おれはずっとそれを伝えてきたつもりだ。
だから、おれを信じてほしい。
「本当に俺でいいのか? 貴様の隣に立つのが、俺で……」
「もちろん。あれだけ愛を紡いだじゃないか」
「あ、愛さえあれば何とかなると信じられるほど、俺は子どもではない。だが、夢見なかったと言えば……嘘だ。それがこんなに早くとは思わなかったが……」
恐る恐る、竜の口が動く。迷子が救いを求めるような、そんなゆっくりとした速度で。
「幸せすぎて、いまだに信じられない。貴様は俺をあの家から出してくれて、愛をくれて、そして家庭をくれるというのか。この俺と人生を歩んでくれると、そんな幸せを……う、うぅ……」
ダンドランの目からぽろぽろと涙がこぼれて、光を浴びる。透き通る感情の発露は、決して悲しみから来ているものではないと、おれは理解していた。
孤独の暗闇は君の居場所じゃない。君がそこを怖がると言うのなら、おれがどれだけでも照らしてみせる。
「貴様がそれを望んでくれるなら、俺は、俺は……貴様の隣を歩きたいっ! これからも、ずっと……貴様が照らす道こそが、俺の歩むべき道なのだと! そう信じても、いいのか……?」
「もちろん。だからダンドラン」
太陽を浴びておれは愛しい人を呼ぶ。
そして竜の目を見て、はっきりと言おう。おれの決意を、知ってもらうために。
「――――私と結婚してくれませんか」
おれはダンドランの笑顔が好きだ。エンディングのスチルで見た、慈しみを湛えた相貌はどんなものより尊かった。そこから、おれとダンドランの縁はつながったんだ。
でも、おれに向けられているのは、今まで見たことが無い笑顔。
泣きながらも口角を目一杯上げ、幸せだと見た人すべてがわかってしまうような、そんな眩しい笑顔だ。朝日に照らされた竜の顔は、この世で最も尊いのだと断言しよう。おれはこの笑顔を見るためだけに、今まで生きてきたんだと思う。
この笑顔があれば、おれは何でもできる。
君が笑ってくれるなら、どんなことでもできる気になるんだ。
まばゆい光の中、愛しいダンドランは左手を差し出して――――
「ああ、喜んで」
おれはその薬指に、そっと誓いをはめるのだった。