春の柔らかな日差しが、俺の部屋の窓から静かに差し込んでいた。放課後の穏やかな時間。ローテーブルを挟んで向かい側に座る彼女たちの姿を、俺はコーヒーを啜りながら見つめていた。
「彰人くん、このクッキー美味しいね。駅前の新しいお店のだよね?」
右側の頭ーー美奈が、小首を傾げて俺に微笑みかける。肩口で切りそろえられた黒髪がサラリと揺れ、真面目そうな大きな瞳が俺を捉えた。
「ああ、そうだよ。美奈ちゃん、甘いもの好きだったろ?」
「うん、ありがとう。……紗奈、私の分残しといてよ。」
美奈が少しだけ眉をひそめて窘めると、左側の頭――紗奈が、悪びれる様子もなくさらにもう1つのクッキーを一口で頬張った。
「もぐもぐ…いいじゃん別に。同じお腹に入るんだからさ。」
「私は味わえないじゃない。」
美奈は文句を言い、紗奈はニカッと快活に笑いながら俺に向かって悪戯っぽくウィンクを飛ばした。
中村美奈と中村紗奈。俺の恋人であり、同級生である彼女たちは、一つの華奢な首元から二つの頭部が分かれている結合双生児だった。首から下は完全に一人分の身体だ。黄色いVネックのセーターの右袖からは美奈の腕が、左袖からは紗奈の腕が伸びている。ラベンダー色のプリーツスカートから伸びる脚も同じく、右は美奈、左は紗奈が動かしている。
今、右手の美奈が文庫本のページをめくり、左手の紗奈がクッキーを摘まんで口に運ぶという、見事な連携でリラックスしていた。身体の中心線や呼吸だけは感覚を共有しているらしく、二人が同時に同じタイミングで息をつく様子は、何度見ても愛おしい。
「ちょっと、麦茶取ってくるわ。二人とも飲む?」
「あ、私は温かいお茶がいいな」
「え、美奈温かいの飲むの?じゃああたしも温かいお茶で!」
内臓を共有している彼女たちは、温かいものと冷たいものを同時に飲むとお腹が痛くなるのだそうだ。
「はいはい、ちょっと待ってて」
俺は立ち上がり、キッチンへと向かった。やかんに火をかけ、冷蔵庫から麦茶のボトルを取り出す。彼女たちとのこんな穏やかな日常が、俺にとっては何よりも代えがたい宝物だった。
しかし、その平穏は、数分後に唐突な終わりを迎えることになる。
お茶の準備を終え、マグカップとグラスをお盆に乗せて部屋に戻った俺は、扉を開けた瞬間に凍りついた。
部屋の空気が、先程までの温和なものから一変して、北極圏のように冷え切っていたのだ。
彼女たちは、テーブルの前に正座していた。いや、正確には、右手の美奈が何かを握りしめ、左手の紗奈がそれを覗き込んでいる。美奈の右手が掴んでいる「何か」の表紙を見た瞬間、俺の全身から血の気が一気に引いた。
艶やかな黒いレオタード、網タイツ、そして頭に輝くうさぎの耳。
それは、俺がベッドの下の収納ケースのに入れておいた、バニーガール専門の成人向け雑誌だった。彼女たちが来る前にした掃除の時に出てしまったのだろうか。
「あ……」
喉から間抜けな音が出た。お盆を持つ手がガタガタと震え、グラスの氷がカチャカチャと鳴る。
ゆっくりとこちらを向いた美奈の瞳には、一切のハイライトが存在しなかった。
「いや、あの、それは……友達の、山本のやつが勝手に……!」
古典的かつ最悪な言い訳が口を突いて出たが、美奈は言葉を発することすらなかった。ただ無言のまま、氷のように冷たい目で俺を射抜いている。普段、少しでも際どいテレビ番組が流れると真っ赤になってチャンネルを変える彼女にとって、俺の隠された趣味は、受け入れがたい衝撃だったに違いない。
隣の紗奈も、呆れたような、しかし少しニヤけたような視線を俺に向けていた。
「へー……彰人、あんたバニーガールって、そういうのが趣味だったわけ?」
「ち、違うんだ! それはただの芸術的資料というか……!」
弁明しようと一歩踏み出した瞬間、美奈が弾かれたように立ち上がった。右半身の急な動きに引っ張られるように、紗奈も慌てて立ち上がる。
美奈は俺の顔を一切見ようとせず、無言のまま乱れたスカートの裾を揃え、カバンを掴んだ。
「あ、ちょ、美奈! 引っ張んないでよ、転ぶってば!」
紗奈が文句を言いながらも歩調を合わせる。美奈は一言も発することなく、俺の横をすり抜けて玄関へと向かった。
「ま、待って! 美奈ちゃん、紗奈ちゃん!」
追いすがろうと手を伸ばしたが、バタン、と冷たい音を立てて玄関のドアが閉まった。後に残されたのは、まだ温かいお茶と、床に無惨に投げ出されたバニーガールの雑誌だけだった。
俺はそのまま床に崩れ落ちた。なんて馬鹿なんだ。なぜもっと厳重に、絶対に手の届かない場所に隠しておかなかったのか。
その夜、俺は何度もスマートフォンの画面を見つめていた。
『ごめん、本当にごめんなさい。あれは出来心で』
『嫌な思いさせてごめん。もう全部捨てるから』
謝罪メッセージを送信したが、画面には無情にも「未読」の文字が残ったままだった。
翌日朝、下駄箱で彼女たちの姿を見つけて駆け寄ろうとしたが、美奈は俺の姿を視界の端に捉えた瞬間、くるりと背を向けてしまった。紗奈はチラリとこちらを見て小さくため息をつくと、無言の美奈に歩調を合わせて去っていった。
授業中、いつもなら休み時間に他愛のない話で笑い合っていたのに。今は、彼女たちの席に近づくことさえ許されない、見えない壁があった。
バニーガールフェチ。それは俺にとって、誰にも言えない秘密だった。あの非日常的な衣装、引き締まったライン、うさぎの耳という可愛らしさと色気のアンバランスさ。それに惹かれるのは事実だ。しかし、それ以上に俺は、美奈と紗奈のことが好きなのだ。彼女たちの笑顔、二人が協力して生きる健気な姿、そして俺に向けてくれる優しい愛情。それら全てを失ってしまうくらいなら、あんな雑誌など一生見なくたっていい。
金曜日の夜を越え、土曜日になった。
雲一つない晴天の昼下がり。両親は朝から親戚の集まりに出かけており、夜まで帰ってこない。静まり返った家の中で、俺は一人、リビングのソファに深く沈み込んでいた。
時計の針が午後一時を回った頃だった。
ピンポーン。
静かな室内に、突然インターホンの音が響いた。
こんな時間に誰だろう。宅配便を頼んだ覚えはない。
重い身体を引きずり、玄関のドアスコープを覗き込む。
そこに映っていた姿に、俺は息を呑んだ。
美奈と紗奈だ。
私服のブラウスにスカート、カーディガンを羽織り、少し俯き加減で立っている。
慌てて鍵を開け、ドアを勢いよく開けた。
「美奈ちゃん! 紗奈ちゃん!」
二人はビクッと肩を揺らし、ゆっくりと顔を上げた。美奈の頬は少し赤く、紗奈はどこか気まずそうに頬を掻いている。
「あ、あの……」
美奈が、消え入りそうな声で口を開きかけた時、俺はたまらず頭を下げた。
「ごめん! 本当にごめんなさい! あんなもの隠し持ってて、気持ち悪い思いさせて……! もう全部捨てたから! 誓って、二度とあんなの見ないから!」
俺が必死に弁明すると、紗奈は左手でひらひらと制した。
「ストップストップ。とりあえず、中入れてよ。立ち話もなんだし。おじさんとおばさんは?」
「あ、うん。親戚の家に行ってて、夜まで帰らない。……どうぞ」
俺は道を開け、二人を家に招き入れた。
俺の部屋、彼女たちはいつも座っているローテーブルの前に立つ。部屋には奇妙な沈黙が流れた。俺はどう切り出せばいいのか分からず、ただ立ったまま二人を見つめていた。
ふと、二人が顔を見合わせ、小さく頷き合うのが見えた。
次の瞬間、俺は自分の目を疑った。
美奈の右手が、カーディガンのボタンに掛かる。同時に、紗奈の左手も下からカーディガンの裾を掴んだ。
スルリと、カーディガンが肩から滑り落ち、床に落ちる。
そして、その下に着ていたはずのブラウスのボタンも、美奈の震える指先によって次々と外されていく。
「ちょ、ちょっと待って! なにやって……!」
俺が止める間もなく、彼女たちは上着を脱ぎ捨てた。そして、そのままスカートのホックに手を掛ける。
バサリ、と音を立ててスカートが床に落ちた。
現れたその姿に、俺の思考は完全に停止した。
漆黒の、ボディラインにぴったりと張り付く艶やかなレオタード。
胸元は深くV字に開き、首元には白い襟と、黒い蝶ネクタイ。両手首には白いカフス。腰のあたりには、白くて丸い尻尾まで付いている。
彼女たちの長い脚を包み込むのは、太ももまである純白のサイハイソックスだった。
そして最後に彼女たちは鞄から取り出し赤い大きいうさぎの耳のヘアバンドを頭に着けた。
「こ、これ……」
声が掠れた。
それは、間違いなく、俺が隠し持っていたあの雑誌の表紙を飾っていたバニーガールの衣装、そのものだった。二人で一つの身体という彼女たちの特異な体型に、それは恐ろしいほどぴったりとフィットしている。
美奈は顔を真っ赤にして俯き、右腕で必死に胸元を隠そうとしている。
「美奈ちゃん、紗奈ちゃん……なんで、こんな……」
俺が呆然と呟くと、隣の紗奈が、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべ、左手を腰に当ててポーズをとった。
「なんでって、決まってんじゃん」
紗奈の声は、いつもより少し低く、艶っぽく響いた。
「彰人は、こういうのが好きなんでしょ?」
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
破廉恥なことが大嫌いな美奈が、わざわざこんな格好をしてくれたこと。そして、実はそういう知識に長けている紗奈が、俺の嗜好を理解し、あえてこの衣装を用意したこと。
「あ、あのね……」
美奈が、震える声で口を開いた。顔は真っ赤に茹で上がったままだが、その瞳はしっかりと俺を見据えていた。
「彰人くんが、そういう……えっちなのが好きだって知って、最初はすごく、ショックだった……」
「うん……ごめん」
「でも……」美奈は言葉を詰まらせ、右の指先をギュッと握りしめた。「彰人くんとずっと話せないのが、もっと辛かった。私たち、彰人くんのこと、大好きだから……」
その言葉に、俺の胸の奥が熱くなった。
紗奈が言葉を継ぐ。
「そういうこと。あたしたちもさ、別に彰人の趣味を全否定するつもりはないわけ。男の子なんだし、そういう妄想くらいするっしょ。」
「紗奈ちゃん……」
「それにさ」紗奈は、俺に向かって妖艶なウインクを飛ばした。「どうせ見るなら、本の中の二次元の女より、あたしたちの方が見たいでしょ?」
紗奈の左手が、挑発するように自身の太ももから腰のラインをなぞる。白いサイハイソックスと黒いレオタードの境目が、俺の理性を激しく揺さぶった。
「こんな服、恥ずかしくて死にそうだけど……」
美奈が、上目遣いで俺を見上げる。その瞳には、恥じらいと、僅かな期待が入り混じっていた。
「彰人くんが喜んでくれるなら……私、頑張るから」
二人で一つの身体を使って、少しぎこちなく、けれど精一杯の色気を振りまくように、本で見たようなセクシーなポーズを取ろうと頑張ってくれている。
もはや俺の理性は限界だった。