離脱症状を起こしてから「無」の時間が怖くなってしまった。
ただ歩いている時間
風呂に入っている時間
シャワーを浴びている時間
何もしていない時間
このような時間が怖いことをなんと言語化したら良いか考えていたが、どこかで同じように風呂が怖い方が
「『無』の時間が怖い」
と表現していて、ああ的確だなあと思ったのでその言葉を借りて記事を書いてみた。
『無』の時間では痛みや訳の分からない症状に集中してしまい、大きな離脱症状を起こした時の恐怖が蘇り辛かったことが次々に思い出され、薬を飲んだ後悔、何もせず生きていることへの罪悪感、自責の念、希死念慮などが次々と湧いてくる。
さらには突き上げるような理由のない恐怖が襲ってくることもある。
特に風呂やシャワーは痛覚過敏からか水に当たると痛みが憎悪するので顕著にそれが出る。
音楽をかけたり歌ったりして気を紛らわせているけど、症状が強い時はどうしようもないこともあって困る。
離脱症状がひどい時は強烈な理由のない恐怖と焦燥感の中、『薬は脂溶性のため風呂に入って汗を流した方が薬が身体から排出される』という情報にすがるように強迫的に風呂に入っていた。
当時は強い音過敏があったので音楽を聴いたり歌ったりすることができなかったが不安感と焦燥感でそれどころじゃなかった。
ただ頭の中で買い物の時に聴いた西友のテーマソングが爆音で永遠に鳴り続けて気が狂いそうだった。
今も汗をかいた方が良いという情報は正しいと感じていて、できるだけ風呂に入るようにしているけど、この痛みと症状とフラッシュバックの洪水が襲ってくるこの『無』の時間とどうやって付き合っていったらいいんだろうか。
こうしてどうでもいい記事を書くのも『無』の時間を埋めたいからなのかもしれない。
できれば少しだけでいいから『無』の時間にボーっとしたりできる感覚が戻ってきて欲しい。