「入れ替えアプリ? なんだそりゃ」
俺は手にしたペットボトルのお茶を飲みながら適当に言葉を返した。
俺がまともに話を聞いていなかったことに気づいているのかいないのか、友人の坂本涼介は興奮気味に話を続ける。
「マジですごいんだよこれが。普通なら手に入らないとんでもないアプリなんだが、俺の紹介でお前もダウンロードできるからしといた方がいぞ」
「ふーん」
このクソ暑い中だというのに坂本はやけに元気だ。
いくら教室内は空調が効いているとはいえ、外気温38℃という異常な環境においては流石に快適な空間とはなり得ない。
うちのオンボロ校舎の古い空調設備なら尚更だ。
その証拠に教室内はどいつもこいつもぐったりとしていて死屍累々だ。
「ほら、ダウンロードしといてやったから使ってみ?」
「え? おい、お前なに勝手に俺のスマホ触ってんだ」
ぼーっとしている間に机の上に置いておいたスマホを坂本が勝手に弄っていた。
慌てて取り上げると、画面上には『入れ替えアプリ(仮)』という変なアプリが表示されていた。
どうやら先ほど坂本が話していたアプリのようだ。
「おいー、勝手に変なもん入れんなよ」
「いいから使ってみろって。本当にすごいから」
「使ってみろって言われても、そもそも使い方もよくわからんし」
「あーもう、じゃあちょっと貸してみ?」
坂本は再び俺のスマホを手に取ると、細い指でスススっと操作をしていく。
横からスマホを覗くと、画面上には『入れ替える対象を選択してください』と表示されている。
「まずは簡単なことからやってみるぞ。とりあえず……今お前が飲んでるそれ」
「ん? これか?」
坂本は俺が手にしているお茶のペットボトルを指さした。
「それと……よし、あれだな」
坂本が見た方に目を向けると、クラスの女子グループが集まって話しているところだった。
そのうちの一人は手にジュースのペットボトルを持っている。
「この二つを今から入れ替えるぞ」
そう言うと坂本は俺のお茶と女子のジュースをそれぞれカメラで画面に映してタップをした。
「よし、入れ替え完了だ」
「?」
画面を見ながらニヤニヤ笑う坂本。
何がしたいのかよくわからず、俺は頭に疑問符を浮かべるばかりだった。
すると次の瞬間、いきなり大きな声が女子グループの方から上がった。
「ぶッ!? ちょっと、なにこれ!? あたしのメルティーマンゴーがお茶になってんだけど!?」
突然の叫びに教室内がざわつき始める。
どうやらあの女子の飲んでいたジュースの中身がいつの間にか別のものにすり替わっていたらしい。
「……そのペットボトルの中身飲んでみ?」
坂本がニヤニヤ笑いながら囁くように促してくる。
まさかと思いながらペットボトルに口をつけると、口の中にマンゴージュースの甘みが広がった。
いつの間にか、俺のペットボトルの中身とあの女子のペットボトルの中身が入れ替わっていた。
「お、おい!? どうなってんだこれ!?」
「入れ替えアプリの力だよ。例えどんなものでも、触れもしないで一瞬のうちに入れ替えることができるんだ」
「ま、マジかよ……すげえ……」
俺があまりの驚きに息をのんでいると、坂本は呆れたようにため息をついた。
「おいおい、こんなことで驚かないでくれよ」
「いや、でもこんなの有り得ねえじゃん。どんな原理なのかわけわかんねえし。つーか、お前だってすごいすごい言ってただろ」
「確かに言ったけど、入れ替えアプリの本当のすごさはこんなものじゃないんだよ。いいか? このアプリは『どんなものでも』入れ替えることができるんだ。その意味がわかるか?」
坂本は妖しく笑いながらこちらを見てくる。
坂本の言いたいことがわからず、俺は再び頭に疑問符を浮かべる。
「……俺から説明するのはここまでだ。あとはお前が考えるんだな」
「え、おい、どういうことだよ?」
俺は食い下がろうとしたが、そのときちょうどチャイムが鳴り授業が始まってしまったため、それ以上話を聞くことはできなかった。
────────
「坂本のやつ、勝手に帰りやがって……」
俺は一人で校門を出た。
坂本にはあれから何度も話を聞こうとしたがのらりくらりとかわされ、放課後になったときにはいつの間にかいなくなっていた。
仕方ない。
俺なりに自分で使い方を考えるしかない。
「どんなものでも入れ替えることができる、か……」
俺は朝のジュースとお茶の入れ替わりを思い出していた。
あのときの女子の表情は笑えたな。
中に入っているのが俺のお茶だと気づかずに思い切り煽って吹き出して。
「……よく考えたら、あいつは俺の飲みかけのお茶を飲んで、俺はあいつの飲みかけのジュースを飲んだんだよな。これも一種の間接キスか?」
想像すると、なんかエロいことをしたような気がしてきた。
なるほど、この入れ替えアプリは色々とエロいことに使えそうだ。
もしかして坂本はこのアプリをよく考えてエロいことに使えと、そう言いたかったんじゃないか?
だとしたら、どう使うのがいいだろうか。
こんな超常的な力なわけだし、色々面白いことができそうだが。
そんなことを考えていたそのとき。
「あーあ、俺も美少女と入れ替われねえかなー!」
いきなり聞こえてきた言葉に、俺は思わず目を見張った。
「あの映画の話か? 男と女が入れ替わるとかいう」
「そうそう。美少女と入れ替わった男子がさ、自分でおっぱい揉んだりすんの。すっげー羨ましいって思ってさ」
俺の前を歩いている大学生ぐらいの男二人がそんな雑談をしている。
この二人はきっと他愛のない妄想話をしているつもりなのだろう。
だか俺にとってそれは天からの啓示にも等しかった。
どんなものでも入れ替えられる。
ならそれはペットボトルの中身なんてチンケなものに留まらず、人間にも適応できるのではないだろうか。
俺は辺りを見回した。
するとちょうど、前から女子高生二人組が歩いてくるところだった。
俺はすれ違いざまに二人のことをこっそり観察する。
「ポテト食べたい気分なんだけどマック寄っていい?」
「えー、また? そんな毎日食べてるとまた泣きながらダイエットすることになるよ?」
小太りの友達にそう指摘した女子は、かなりの美少女だった。
目鼻立ちが整っていて、小顔で、そしてなにより胸がでかい。
俺は急いで入れ替えアプリを起動した。
そして坂本がやっていたように、前を歩く男と女子高生それぞれをカメラに映してタップする。
入れ替える対象を確定すると、画面には『入れ替えますか?』『はい』『いいえ』の文字が並んだ。
俺は興奮する気持ちを抑えながら指を伸ばす。
……美少女になりたいんだろ?
あんたの望み、俺が叶えてやるよ。
俺は静かに、『はい』の文字をタップした。
その瞬間。
「……あれ?」
「……ん? なんだ?」
俺の前の男と、後方の女子高生がほぼ同時に足を止めた。
二人はそれぞれキョロキョロと周りを見回している。
「え? なんで急に場所が変わって……んっ、なに、この声……なんか、変……」
「お、おい? どうしたんだよいきなり?」
「……え? あの、あなた、誰ですか……?」
「は? 何言ってんだよ斉藤、そういう冗談つまんねえからやめろって」
「だ、誰ですか斉藤って!? ちょっと、来ないでください! ……って、え? な、なにこれ……服が……なにこの手!? え、ウソ、そんな……私の体、どうなって……」
斉藤と呼ばれた男は泣きそうな顔になりながら自分の身体を触っている。
一方、後ろからも声が聞こえてきた。
「うおおおぉっ!? なんだよこれ!? 俺、女になってんじゃねえか!」
振り返ると、先ほどの美少女が鼻の下を伸ばしながら自分の胸を揉みしだいていた。
「これ、制服ってことは女子高生なのか? というか、おっぱいでっけえし、めっちゃ柔らけえ! はぁ……すげえ……最高……」
「ちょっと、琴音!? あんたなにやってんの!?」
「あ? なんだコイツ……ん? 同じ制服? ってことはもしかしてこの身体の知り合いとか? そもそも誰なんだこの身体は? 顔も見てえなぁ……どっか鏡とかないのか?」
琴音と呼ばれた美少女がガニ股で胸を揉み続けるのを隣の友人が止めようとしているが、本人にはやめる気配がない。
すると、斉藤と呼ばれていた男が琴音の方に近づいてきた。
「ちょっと! 私の体でなにしてるんですか!? あなた誰なんですか!?」
「うおっ、俺!? もしかして、この身体の本人か? ってことは、俺たち入れ替わってるってことか!? おいおい、まさか本当に女と入れ替わっちまうとは」
「どういうことですか一体!? もう、その胸触るのやめてください!」
未だ状況を理解しきれず喚く斉藤とは対照的に、琴音の方は自分になにが起きたのか気づいたようだ。
琴音は自分の胸を揉みながら斉藤に言葉をかける。
「どうやら俺たちは身体が入れ替わったらしい。なんでかは俺にもわかんねえが」
「入れ替わったって……あなた、じゃあこの体の……男の人なんですか!?」
「その通りだよ。君はこの身体の女の子なんだろうが……いやぁ、マジでイイもん持ってるよ……」
「だから、やめてくださいってば!」
琴音はその可愛い顔にいやらしい笑みを浮かべて胸を揉み続けている。
斉藤はそれを止めたいのか体をくねくねさせながら琴音の腕にしがみついている。
「すげえ……」
俺は思わず呟いてしまった。
女が男になり、男が女になっている。
そんな現実ではあり得ない光景が目の前に広がっているのだ。
自分の身体に興奮している美少女とそれに縋り付く男。
まるでそういうコンセプトのAVでも見ているかのような気分だ。
「ちょっと琴音!? 本当にどうしちゃったの!?」
「斉藤、お前なにやってんだよ!? 頭おかしくなったのか!?」
すると二人の知り合いが困惑の表情で近寄っていく。
あの二人からすれば隣にいた人間が突然おかしくなったかのように思えただろう。
困惑するのも当然だ。
だが、ああも騒がれては少し面倒だ。
変に大きな騒ぎになって入れ替えたのが俺だとバレると厄介なことになる。
一旦場を収めるためにも、二人を元に戻した方がいいかもしれない。
戻すためには、もう一度同じようにやればいいのだろうか?
そう考えてアプリの画面を見ると、『魂の身体適応を行いますか?』『はい』『いいえ』という文字が表示されていた。
なんだろうこれは。
よくわからないが、とりあえず『はい』の方を押してみた。
すると。
「もう、いい加減やめてくださ…………あ? 俺なにしてんだ?」
「はぁ、おっぱいやわらけ…………あれ? 私、なんで胸なんて触って……」
琴音と斎藤の様子が変わった。
さっきまで女の子らしい仕草で涙目になっていた斉藤はガサツな動きでボリボリと頭をかき始め、ガニ股で胸を揉んでいた琴音は恥ずかしそうな表情を浮かべながら内股になっている。
「斉藤……? 大丈夫か……?」
「ん? なんだよ急に。どうかしたのか?」
「こっちのセリフだ馬鹿! なんだったんだよさっきのは!」
斉藤は隣の男に小突かれながら前を歩いていく。
「琴音!? 大丈夫なの!? ねえ!?」
「わ、大丈夫、だけど……というか、何が?」
「何が、じゃないわよ、もう! びっくりさせないでよ!」
琴音の方も隣の友達と一緒に反対方向へと歩き始めた。
どうやら二人は元に戻ったようだ。
なんだかよくわからなかったが、今の操作をすることで入れ替えたものを元の状態に戻せるようだ。
今後も使うだろうから覚えておこう。
「しかし、こりゃあすげえな……」
どうやら俺はとんでもないアプリを手に入れてしまったようだ。
初っ端から面白いものを見ることができたし、まだまだ他にも色々楽しめそうだ。
俺は帰路に向かいながら次のターゲットを誰にするか考えていた。
────────
どういう二人を入れ替えたら面白いか。
俺は電車に揺られながらそれだけをずっと考えていた。
やはり人間を入れ替えるなら男と女を入れ替えるのが面白い。
容姿や立場が違えば違うほど入れ替わったときの混乱も大きくなって、見ているこっちも興奮してくる。
例えば、今俺の斜め前にいる女子高生とその後ろに立っているハゲたサラリーマンなんかちょうどいいんじゃないだろうか。
女子高生の方は縮こまって怯えたような顔をしている一方で、リーマンの方はハァハァ言いながら汚らしいにやけヅラを浮かべていて、まとってる雰囲気が全然違うし……。
「……って、ん?」
よく見ると、リーマンの手が女子高生の尻に伸びている。
どうやらあの二人は痴漢加害者と被害者のようだ。
あのリーマン、見た目も最悪だが中身も最悪らしい。
声を上げてあのリーマンを駅員に突き出してもいいが、せっかくの機会だ。
俺はアプリを起動した。
カメラに女子高生とリーマンを映し、それぞれタップする。
俺は、入れ替えを実行した。
「……ん? あれ?」
「……え? な、なにこれ……?」
二人は目に見えて動揺し始めた。
尻を触っていたと思ったら触られていて、触られていたと思ったら触っていたのだ。
混乱しない方がおかしい。
「なんで……目の前に、わ、わたしが……!?」
「なんだ? なにが起きて……うわっ、ぼ、僕が後ろに!? これ、まさか……」
女子高生は自分の喉を触ったり髪を触ったり胸を触ったりしている。
そして、何かを察したようにニヤニヤと笑い始めた。
「ふ、ふへ……僕が、あの子になっている……何が何だかわからないが、これはこれで
……はぁ、はぁ……」
女子高生が息を荒げながらぶつぶつ呟き始める一方、リーマンは自分の太い指や腕を見てわなわなと震えていた。
「な、な……なに、これ……声も、まるで、おじさん、みたいに……い、いやぁ……」
女子高生とリーマン、それぞれが自分の身体に反応を示していると、二人の行動を奇妙に感じた周りの乗客から目が集まり始めた。
しかし、二人はそれにまだ気づいていない。
「すごい……胸も、尻も、触り放題だ……んっ……柔らかくって、たまらないなぁ……ふへっ……」
「……あ……あ、あの……その体は、わ、わたしのものです……勝手なこと、しないで、ください……」
「悪いが邪魔しないでもらえるかい? 今は僕がこの身体の持ち主なんだから」
「そ、そんなの認めません……! あ、あなた……ち、痴漢、してましたよね……? 警察に、言っちゃいますよ……!」
「……あ、そうか。そうすればいいのか!」
女子高生は何か閃いたように満面の笑みを浮かべると、大きく息を吸った。
「助けてくださいっ! この人、痴漢です!」
「え……? え?」
リーマンはなにが起きたのか理解できないのか、目を丸くして固まっていた。
そうしている間にも周りの乗客たちがリーマンのことを取り囲んでいく。
「おい、あの子の言ったことは本当か?」
「ち、違います……! わたしは……」
「あたし見ました! そのオッサンがあの子のスカートの中に手入れてるとこ!」
「いい年した大人があんな女の子に……恥ずかしくないのか!」
「ま、待ってください! 話を……きゃっ!?」
リーマンはあっという間に乗客たちに取り押さえられてしまった。
少し離れたところでは女子高生がスーツを着た女性に保護されている。
「怖かったでしょう? もう大丈夫よ」
「はい、ありがとうございます」
女子高生はそう言いながら、リーマンの方を見て吹き出しそうになっている。
やがて駅に到着すると、リーマンは乗客と駅員によって確保され連れて行かれた。
「違うんです! わたしが本物の女子高生なんです! わたしが被害者なんです! 信じてください!」
「なにを訳のわからないこと言ってんだ! 大人しくしろ!」
「事情聴取をしたいのであなたもご同行ください」
「はい、私は大丈夫です。その代わり、あの卑劣な痴漢をちゃんと逮捕してくださいね」
泣き叫ぶリーマンと楽しそうに喋る女子高生の背中が見えたのを最後に、ドアが閉まり電車が発進した。
「……くっくっ……すっげえな……」
なかなか面白いものが見られた。
まさかあのリーマン、自分の身体を痴漢として突き出すとは。
自分が被害者だったはずなのに加害者として連行されたあの女子高生はどんな気分だったのだろうか。
想像するだけでも胸糞悪い話だが、その理不尽さが背徳感を刺激して興奮してくる。
期待以上のものを見せてくれたあの二人に感謝しながら、俺はアプリを開いた。
一応あの二人は戻しておいてやろう。
俺は画面に表示された『魂の身体適応』を実行した。
これであの二人は元に戻ったはず。
さて、それじゃあ次は誰を入れ替えて遊ぼうか。
俺はまだ見ぬ入れ替わりに胸を膨らませた。
────────
「うーむ、なかなかいい感じの二人がいないな……」
住宅地まで来ると周りに人がいなくなり、ターゲットとなり得る人物が見つからなくなってきた。
もう日が暮れているのもあり、この辺りで人を探すのは難しいだろう。
一旦人の多い駅前まで戻った方がいいだろうか。
そんなことを考えていたちょうどそのとき、前から女性が歩いてきた。
二十代ぐらいの綺麗な人だ。
一瞬心を弾ませたが、彼女と入れ替えて面白い相手が周りにいないのであれば意味がない。
落胆しかけたそのとき、俺は彼女が一人ではないことに気がついた。
彼女の手にはリードが握られている。
その先には小さな犬が繋がっていた。
「ハッハッハッ……」
犬種には詳しくないが、恐らくあれはチワワだろう。
口からダランと舌を出してパタパタ尻尾を振りながら歩いている。
それを見て、ふと俺は思った。
入れ替えアプリはどんなものでも入れ替えられる。
ならば、人間と人間以外のものでも入れ替えることができるのではないだろうか。
俺は物陰に隠れて見られないようにしながら、女性とチワワをカメラに映し、入れ替えを実行してみた。
すると。
「…………ハッハッハッ……」
女性はいきなり四つん這いになったかと思うと口からダランと舌を出した。
その様子はまるで犬そのものだ。
「…………くぅん? キャウッ!? アウッ!?」
チワワの方も急に立ち止まると取り乱して周りを見まわし始めた。
「ハッハッハッ! あぅーん……あんっ!」
「キャウッ!? キャンッ! ヴゥッ!」
人間とは思えないような奇声を上げる女性に、チワワは駆け寄りながら怒ったように吠えかかっている。
「あうっ? ゔー……あんっ、ゔぁんっ!」
「キャンッ!?」
すると、女性の方も負けじとチワワに吠え始めた。
自分より何倍も大きい相手に威嚇され、チワワは怖気付いたように後退する。
元の自分の顔に吠えられたのであれば尚更恐ろしいだろう。
「……ふぅーん、あぅー……」
女性は、自分に歯向かう小さなチワワを振り払って満足したかと思えば、今度は体をブルルッと震わせてソワソワし始めた。
切なげな声を上げながら近くの電柱に擦り寄って行く。
「あ、あうぅん……ふぅ……」
電柱に向かって片足を振り上げたかと思った次の瞬間、彼女のスカートがジワジワと湿り始めた。
やがてスカートがビショビショになるとそれは地面にまで伝わり、彼女の周りに水たまりができていく。
どうやら彼女は小便をしてしまったらしい。
人間であれば常軌を逸する行動だが、彼女は全く気にしていないどころか、どこか満足げな表情をしている。
「カッ……クフッ……くぅん……」
チワワはそんな女性の姿を見ていられないのか、頭を抱えるような姿勢でうずくまっている。
このまま放っておいても面白いが、誰かが来て
通報でもされては大変なのでここら辺で終わりにしよう。
俺はアプリを開き、『魂の身体適応』を実行した。
「ハッハッハッ…………あれ? 私なにして……って、嘘……やだ、なにこれ……私、漏らして……?」
女性はビショビショになったスカートをみて唖然としている。
一方チワワはスクっと顔を上げると口を開いて舌をダランと出し、女性のことを見上げていた。
「だ、誰にも見られてないわよね? もう、どうなってるの……?」
女性は泣きそうになりながらチワワを抱きかかえて来た道を小走りにかけて行った。
女性が去っていったのを確認した俺は電柱の前まで歩いて行く。
ツンとしたアンモニア臭が俺の鼻を刺激する。
「くくっ、あっはっは! おいおい、マジかよ!」
俺は笑いが抑えられなかった。
まさか、人間と犬を入れ替えることまでできるとは。
その絵面のインパクトは今までの比ではない。
ついさっき女がここで片足あげて犬のように小便をしていたのだ。
こんなシチュエーション、特殊なAVでもなければまずお目にかかれない。
それを俺はこの目で見ていたのだ。
これで興奮せずにいられるわけがない。
「いやあ、本当にすげえよ、入れ替えアプリは」
中身が犬になった女があんなにエロいものだとは思わなかった。
また一つ新たな知見を得ることができた。
人間と人間以外の組み合わせは色々な可能性がありそうだ。
どうやらこの入れ替えアプリはまだまだ俺のことを楽しませてくれるらしい。
────────
人間と人間以外の入れ替えという新しい遊び方を知った俺は、次のターゲットを求めて人通りの多い駅前まで戻ってきていた。
人通りが多いとは言っても、田舎のウチの地元では精々近くに商店街があるぐらいなのだが。
それでも誰もいないよりはマシなので早速見て回ることにする。
「さて、次は誰を入れ替えようか……ん?」
辺りを観察しながら歩いて俺の目に入ってきたのは、電気屋だった。
個人経営の小さな電気屋で、中は従業員以外誰もおらず、がらんとしている。
そこで、俺はふと思った。
人間と動物を入れ替えることはできた。
じゃあ、人間と無機物はどうだ?
俺はワクワクしながら電気屋の中へと入った。
「いらっしゃいませ、なにをお探しでしょう?」
若い女性の店員が俺の方へ近寄ってくる。
よし、この女にしよう。
ターゲットは決まった。
それじゃあなにと入れ替えるか、だ。
俺は周りの家電を見ていく。
電子レンジに洗濯機、冷蔵庫に扇風機。
どれと入れ替えてみても面白そうだが。
そのとき、あるものが俺の目に止まった。
『では、明日のお天気です。午前から午後にかけては強い日差しが続くでしょう。ただ、夕方からはにわか雨や雷雨の可能性もあるので、傘は忘れないようにしてください』
テレビの天気予報だ。
……もし人間とテレビを入れ替えたらどうなるのだろうか。
俺は早速試してみることにした。
入れ替えアプリを起動して店員とテレビの入れ替えを実行する。
すると。
「…………次のニュースです。全国各地で35℃以上の猛暑日となっており、熱中症で緊急搬送された人が相次いでいます」
にこやかな笑みを浮かべていた店員は急に真顔になり、滑舌のいい流暢な喋り方でニュースを読み上げ始めた。
どうやら入れ替わりは成功したらしい。
テレビの方を見てみると、さっきまでと変わらずニュース番組が映り続けている。
どうやら人間になったテレビはテレビのように振る舞うが、テレビになった人間の方は身動きを取ったり何かを表現したりはできないようだ。
それならあのテレビは放っておいていいだろう。
それより今気になるのはこの店員の方だ。
「コメンテーターの朝倉さん、如何でしょうか? ……うぅん、そうですねぇ、やはりこのまま円安が続くようであれば、国民の生活が苦しくなっていくのは間違いないですよねぇ……」
店員は一人でアナウンサー役とコメンテーター役を兼任していて、まるで自問自答をしているようだった。
喋り方まできっちり変わっている辺り芸が細かい。
しかしこの店員、どこまでテレビの機能を持っているのだろうか。
俺は試しにリモコンを向けてチャンネルを変えてみた。
「日本経済の今後を考えるなら、ピッ……ええやないか別にお前、先輩やぞこっちは! いやでもそれ、ピッ……つまり、この時間に被害者を殺害することができたのは、あなたしかいないというわけですよ。ち、違う俺じゃないっ! 俺は、ピッ……今よ! マナカちゃん! はいっ! いっけえ! プリティアロー!」
ニュース、バラエティ、ドラマ、アニメと、チャンネルを変えるたびに店員の喋り方がコロコロ変わる。
若い女店員が一人でこんな多彩な演じ分けをしていると思うと感心してしまう。
テレビだけでこんなのに色々と遊べるなら、ぜひ他の家電も試したくなってくる。
なにかいいものがないか探す俺の目に入ってきたのは、オーディオスピーカーだった。
リモコンで再生ボタンを押すと、すぐに歌が流れ始める。
よく知らないが多分今流行りの歌だろう。
これなら大丈夫そうだ。
俺は早速店員とオーディオスピーカーの入れ替えを実行した。
「やったわねマナカちゃん! はいっ! わたしたち……………………ずっとー、みつめーて、いたーい♪ わたしだけはー♪ あーなーたーをー♪」
アニメのセリフを読み上げていた店員が、今度はいきなりノリノリで歌を熱唱し始めた。
当然と言えば当然なのかもしれないが、まるで歌手本人のような歌唱力だ。
声にはかなり熱が入っているのに表情は真顔なのがなんとも笑いを誘ってくる。
「……山田さん? なにを騒いでるんですか?」
そのとき、店の奥の方から別の店員が出てこようとしていた。
まずい、他にも店員がいたのか。
俺は慌ててアプリの『魂の身体適応』を実行した。
「あーなただーけをー♪ あーいし…………あれ? 私、今なんか歌って……あっ、お、お客様! 失礼しました! なにか、お探しで?」
「いや、大丈夫です。それじゃあ」
俺はそのまま店の外に出た。
危ないところだったが、これならあの店員が怒られるぐらいで済むだろう。
それにしても。
「こういう使い方もあるのか。くっくっ……」
さっきの女店員を思い出す。
まるで一人芝居のようにテレビの内容を一人で淡々と演じる姿。
そして、プロ顔負けの歌唱力を披露する姿。
恐らくあの店員本人にはそんな演技力も歌唱力もないだろう。
それがああも完璧に機械のようにこなしてしまうようになるとは。
入れ替えアプリの力をまた一つ知ることができて満足した俺はそろそろ家へと帰ることにした。
────────
帰宅して自室へと入った俺は改めて入れ替えアプリをよく調べることにした。
さっきまでずっと基本の入れ替え機能しか使っていなかったが、どうやらこのアプリには他にもオプションが色々あるらしい。
「細かい設定が色々あるんだな……この認識阻害モードってのはなんだ?」
よくわからないがとりあえずこのモードをオンにしてみた。
この状態で入れ替えをしたらいつもとなにか変わるのだろうか。
「お兄ちゃーん! ごはーん!」
すると、俺を呼ぶ妹の声がリビングから響いてきた。
今いいところだったというのに。
俺はため息をつきながらスマホをポケットにしまい、リビングへと移動した。
リビングでは、母親が料理を器に移し、妹の里香がそれをテーブルの上に運んでいた。
「お兄ちゃんも手伝ってよー」
「あ? ああ……」
そう返事をしつつ、俺の頭は入れ替えアプリを試すことでいっぱいになっていた。
つい魔が差した俺は、里香と母親をカメラに映し入れ替えを実行してしまった。
すると次の瞬間、いつもとは違う現象が起きた。
さっきまで里香が立っていた場所に、母親が立っている。
その服装は里香が着ていた子供用の部屋着だ。
母親が立っていた場所には代わりに里香が立っており、母親が着けていたエプロンを着けている。
「もう、なにしてるの? 手伝ってって言ってるでしょ?」
母親が口を尖らせて俺に文句を言ってくる。
その仕草はまるでいつもの里香のようだ。
「あ、ああ、悪い……」
俺は言われたまま器を運ぶのを手伝う。
その間、里香も母親もなにも言わなかった。
明らかに身体がおかしなことになっているのに、それに対して完全に無反応だ。
「あ、いけない。洗濯物取り込むの忘れてたわ。私取り込んでくるからあんたたち先に食べてなさい」
里香はそう言うとリビングから出ていった。
「じゃあお先に、いただきまーす」
テーブルについてご飯に手をつけようとしている母親に、俺は何気なく声をかけた。
「な、なあ……なんか、変じゃないか?」
「ん? 変? 変ってなにが?」
四十を越えた女性が着るには流石にちょっとアレに思えるような可愛らしい格好の母親は、なんら違和感を抱く様子もなく、美味しそうに夕飯を頬張っている。
なるほど、そういうことか。
認識阻害モードというのは、入れ替わった人間が入れ替わっているということに気づけなくなるモードのことなのだ。
今ここにいる母親は中身が里香になっているはずだが、里香本人は自分が母親の身体になっていることになんの疑問も抱けないのだ。
これはこれで今までとはまた違った倒錯感があって面白い。
「お待たせ。……あら? あんたどうしたの? ご飯に手つけてないじゃない。調子でも悪いの?」
リビングに戻ってきた里香が大人びた喋り方で俺を気遣うように声をかけてくる。
まるでいつもの母親のように。
「いや、なんでもない……それより母さん、母さんはなんか変だと思わないか?」
「変? 私が? ……別になにもおかしいところはないと思うけど」
明らかに自分の体に合ってないサイズのエプロンを身につけた里香は、そのおかしさに全く気づくことなくこちらを見返してくる。
「いや、ならいいんだ……」
「もう、なに? おかしな子ね」
里香は優しく微笑むとテーブルについて夕飯を食べ始めた。
いつもと同じ家族と、いつもと同じように食卓を囲んでいるのに、俺の気分はいつもとは全く同じではなかった。
母親のように振る舞う妹と妹のように振る舞う母親に囲まれ、俺はついソワソワしてしまう。
「あんた貧乏ゆすりしてるわよ。それやめなさい」
妹から子供を諭すように言われてしまった。
この珍妙な気分、面白いが全く慣れそうにない。
すると、そのとき玄関の方からドアが開く音が聞こえてきた。
「ただいまー、いやぁ、エアコンの効いた部屋は生き返るなぁ……」
帰ってきた父親がリビングに入ってきた。
今日はいつもより帰ってくるのが早いようだ。
「ふぅ、汗がびっしょりだ。母さん、麦茶入れてもらっていい?」
「はいはい。お疲れ様」
すると、里香が席を立って冷蔵庫から麦茶を取り出して注ぎ始めた。
それを見て、俺は背中に冷や汗が流れるのを感じた。
しまった。
あまりにも自然に過ごしていたから父親が帰ってきたのに元に戻すのを忘れていた。
この明らかにおかしな状態を父親に気づかれてはまずい。
俺は慌ててスマホを取り出した。
しかし。
「はい、どうぞ」
「ありがとう母さん。……んっ、んっ、ぷはぁ!」
「お父さん、その飲み方オヤジ臭ーい!」
「なんだと里香? どうやらお小遣いを減らしてほしいようだな」
「わー、ウソウソ! お父さんいつもお仕事してくれてありがとう!」
父親と母親と里香はいつもと同じようにやり取りをしている。
どうやら父親もこの入れ替わりに気づいていないようだ。
つまりこの認識阻害というのは使用者以外の人間に入れ替わりを気づかれないようになる機能というわけか。
俺はほっと息をついた。
それにしても、父親が自分の娘を妻のように扱い、自分の妻を娘のように扱ってるこの光景もやっぱり異常だ。
いい加減背中がむず痒くなってきたので家族で入れ替わりを試すのはもうこれきりにしよう。
────────
あの後、二人には『魂の身体適応』を実行しておいた。
流石にいつもの二人に戻ってもらわないと俺の方がおかしくなりそうだったからだ。
俺は自室戻ってベッドに寝っ転がりながらスマホを見ていた。
「しっかし、本当にいろんな機能があるんだな、これ」
さっきの『認識阻害モード』に関する補助機能だけでもいくつかあるようだった。
ぱっと見ではよく意味がわからない機能が並んでいるのをなんとなく眺める。
すると、そのうちの一つに気になるものがあった。
「ん? 『他使用者の認識阻害を無効にする』……?」
その機能は現在オフになっていた。
これはつまり、他に入れ替えアプリで認識阻害モードをオンにしながら入れ替えられている人間がいたとき、俺がそれに気づけるようになる機能ってことか?
と言っても、俺の周りでこのアプリを持っている人間なんて坂本しかいないのだが。
しかし、このアプリに詳しそうな坂本がこの認識阻害モードを使っていないとは考えにくい。
もしかしたらうちのクラスの人間たちも、俺が気づかないうちに色々入れ替えられているのかもしれない。
「もしそうなら、是非とも拝ませてほしいもんだ」
あのスケベな坂本の考えることだ。
きっと俺よりエロい組み合わせを考えて入れ替えているに違いない。
俺は明日学校で教室がどうなっているか楽しむために、『他使用者の認識阻害を無効にする』をオンにしてみた。
その瞬間。
「……ん? え? はぁ!?」
俺は、突如猛烈な違和感に襲われた。
まず足。
ベッドに投げ出されているそれはすね毛の生えた逞しい俺の足ではなく、カモシカのように細くしなやかで華奢な足だった。
次に手。
骨ばったゴツゴツとした大きな手だったはずのそれは、片手でスマホを持つのも大変そうな小さく非力そうな手になっていた。
そして、声。
咄嗟に俺の口から飛び出した声は、どう聞いても声変わりを迎えた男のものとは思えないほど甲高いソプラノボイスだった。
トドメに髪。
いつも床屋で適当に切ってもらっているはずなのに、今の俺の髪は肩に届くほどに長い。
どこをどう見ても、今の俺は、元の俺の身体ではなかった。
「っていうか、女になってんじゃねえか!」
思わず叫んでしまった。
すると、ドアが開かれ里香がこちらを覗き込んできた。
「うるさいよお兄ちゃん。なに騒いでんの?」
「いや、悪い、なんでもない……」
俺がそう言うと、里香は何事もなかったかのように自分の部屋に帰っていった
里香は、俺が女になっているのに全く気にしている気配がなかった。
当たり前か。
認識阻害されているのだから。
しかし、なんでだ?
というか、いつからだ?
いつから俺は女になっていたんだ?
もし坂本が俺を女と入れ替えたなら、その反応を見るために自分の目の前に俺がいるタイミングでやったはずだ。
だが、今日の坂本にそんなことをしている様子はなかった。
それに坂本は以前から入れ替えアプリを持っていたような口ぶりだった。
つまり、もっと前から俺はこの身体になっていたというわけだ。
「ウソだろ……」
俺は自分でも気づかずに女の身体で男子トイレに入って小便をし、風呂に入って全裸になり、エロ漫画を見ながらオナニーをしていたというわけだ。
俺の記憶では昨日だって自分のチンコを扱いて射精をしたはずなのだが、実際のところどういうオナニーをしていたのか今となってはわからない。
「……そもそも、誰なんだこの女は?」
俺は自分の身体を見下ろしながら呟く。
スマホを取り出し、カメラを自撮りモードにして覗いてみた。
「こ、これ……!? 『トライルミナス』のヒカリじゃないか!?」
いつもテレビで見る大人気アイドルグループのメンバーがそこには映っていた。
そうか、入れ替えアプリで対象を認識するときには本人じゃなくても映像か何かさえあれば入れ替えることができるのか。
それならばこうして普段手に届かない人間を自分の周りにいる人間と入れ替えてしまえば、いつでもアイドルと一緒に過ごす気分が味わえるというわけだ。
なるほど坂本め、考えたな。
「って感心してる場合か! 俺がヒカリになってるってことは……」
俺はネットでトライルミナスについて調べてみた。
すると。
「うわぁ……これはひどい……」
最新のネット記事には、アイドル衣装を着てダンスを踊っている俺の写真が掲載されていた。
当然だが、入れ替わったヒカリは今俺の姿をしているのだ。
もっともこれを認識できるのは入れ替えアプリを持っている人間だけなのだが。
もしこの入れ替わりが世間に気づかれるようなことがあったら、俺はいったいどうなってしまうのだろうか。
「くそっ、坂本の野郎……勝手なことしやがって……」
俺の中で沸々と怒りが湧いてくるが、それはそれとして、今の自分の身体への興味も同時に湧いていた。
今まで色々入れ替えてきたが、自分と誰かを入れ替える気はあまり起きなかった。
身体を入れ替えられた他人を見ている方が面白かったし興奮したからだ。
だが、こうやって実際に自分が女にされてしまった今となってはなんで今までやらなかったのか不思議なほどに興奮している。
それに、今アイドルのヒカリは俺の身体になっているのだ。
俺がヒカリになっているように、俺の身体で息をして、俺の身体で活動している。
アイドル衣装のスカートの下に俺のチンコをぶら下げたままアイドルとして振る舞っているのだ。
本人も自覚がないままに。
それって、めちゃくちゃ興奮するじゃねえか。
「んっ……」
俺はズボンの中に手を入れ下着の上から股間を撫でた。
さっきからここがムズムズする。
これが濡れる感覚なのだろうか。
予想の通り、履いていたトランクスの股間の筋の部分だけ少し湿っている。
「あっ……んん……」
俺は隣の部屋の妹に聞かれないよう声を抑えながら、股間を撫で続けた。
下着の上からでも刺激的で、快感が身体中に広がっていく。
実際に触ったらどうなってしまうのだろうか。
俺はズボンとトランクスを脱ぎ散らかし、露出した股間にそのまま指を伸ばした。
「〜〜ッ!!?」
思わず叫びそうになる口を片手で必死に抑えた。
なんて敏感なんだ、これ。
ちょっと触れただけで身体が飛び上がりそうなほどの快感が電流みたいに駆け抜けていった。
男の気持ちよさと全然違う。
こんなの、クセになりそうだ。
「ッ……んッ……ッ!」
声を押し殺して指を動かす。
気持ちいい。
めちゃくちゃ気持ちいいが、それよりも何よりも、あのアイドルのヒカリの身体でオナニーをしているという事実が、俺を堪らなく興奮させた。
やばい、もう我慢できない。
「ん〜〜ッ! ……ッ、んッ!!?」
ビクンッ、と背筋がエビ反りになるほど大きく震え上がった。
それと同時に、ピシャッと股間から液体が飛び散る。
全身から力が抜けていき脱力状態になっていくが、快感はまだ体の中に留まってフワフワとした心地いい気分になっていく。
これが、女の絶頂か。
俺はヒカリの身体でイッてしまったようだ。
「ふぅ……ふぅ……」
まだ身体が熱い。
それに、興奮は全然治ってない。
男は射精したら終わりだったが、この身体はまだまだ快感を欲しているようだった。
もう一度だけ、やってみるか……。
俺は再びそっと指を股間に伸ばす。
そして、俺はそのまま、夜通しヒカリの身体でイキ続けることになったのだった。
────────
翌日の朝。
学校に着いた俺は呆然としていた。
「なんだこれ……」
教室内にいるはずのクラスメイトは、一人残らず別人の体になっていた。
これでは誰が誰だかよくわからない。
「あ、おはようっす」
「お、おう……おはよう」
今話してきたやつは制服からして恐らく男子だろうが見た目は今人気の局アナだ。
他のやつを見たところ、男子の制服を着ているやつはほぼ全員がタレントだのモデルだの配信者だのといった人気の美女揃いになっていた。
一方、女子はというと、男子と同じように美女と入れ替えられている人間も多いが、中には汚ならしい浮浪者のようなおっさんの姿をしているやつもいた。
女子の制服を着ている汚いおっさんは正直言って見るに耐えない。
あいつは多分、坂本のことをエロもととか呼んで馬鹿にしていた谷田だな。
なるほど、坂本の恨みを買うとこうなるのか。
恐ろしい話だ。
「よっ、入れ替えアプリはどうだった?」
すると、後ろから声をかけられた。
この言葉、恐らく坂本だ。
俺は振り返り、その姿を確認した。
「なっ!? お、お前……!?」
「お? その言い方、認識阻害は無効にしてきたのか」
俺は目の前に立つ人間を見て言葉を失った。
そこにいたのは、俺たちの話題によく上がる大人気のAV女優、田嶋伊月だった。
「なんで、その身体に……?」
「顔が良くて適度に開発の進んだ身体って言ったらAV女優はちょうどいいからな。いろんな身体を試した俺の結論がこれだ」
坂本は田嶋伊月の身体で胸を張っていた。
背が低くどちらかと言うとロリ系の女優だが、その割には胸が非常に大きい。
流石坂本、俺なんかでは及ばないほどにエロに対する執着心が違う。
「って、そんなことはどうでもいいんだよ! お前、なに勝手に俺の身体入れ替えてんだ!」
「なんだよ、なにが不満なんだ? いい身体じゃないか。うちのクラスじゃその身体が一番可愛いぞ」
「そりゃあ、まあ……俺もそう思うけど……ってそうじゃなくて! 楽しんだ後はちゃんと元に戻しとけよ! あの『魂の身体適応』とかいうやつで簡単に戻せんだから!」
俺がそう言うと、坂本は呆れたような表情でこっちを見てきた。
「……お前、魂の適応って元に戻すことじゃないぞ。というか完全に逆の機能だあれは」
「……は? どういうことだ?」
「あれはな、入れ替わった二人の中身……魂の方を身体に合わせて変質させる機能なんだよ。元に戻すどころか入れ替わった身体に適応させてもう元に戻さないようにするための機能が『魂の身体適応』だ。周りから見れば元に戻ったように見えるけど、中身は入れ替わったままなんだよ」
「え? それじゃあ……」
俺が今まで入れ替えてきたやつらは……。
琴音は今斉藤として生きていて、斎藤は今琴音として生きていて。
女子高生はリーマンとして生きていて、リーマンは今女子高生として生きていて。
チワワの飼い主はチワワとして生きていて、チワワは飼い主として生きていて。
電気屋の女店員はテレビになっていて、代わりにオーディオスピーカーが女店員として生きていて。
母親は妹として生きていて、妹は母親として生きていて。
俺が今まで入れ替えてきたやつらはみんな、入れ替わっていることにも気づかずに他人として生きているってことか?
それって、めっちゃ倒錯的じゃねえか……!
「……図らずも美味しいシチュエーションを作ってたみたいだな、お前。……よし、ちょっと来い」
「え、どこ行くんだよ? もうすぐ授業始まるぞ」
「別にいいだろサボったって。そんなことよりもっといいことしようぜ」
坂本に誘われるまま、俺は教室を後にした。
────────
「この時間ならここでいいか」
坂本が連れてきたのは図書室だった。
確かにここは空調も効いているし静かでいいが。
「いや、でもここ司書がいるだろ。流石に授業サボってるところを見られるのはまずくないか?」
「それなら大丈夫だ。俺たちは今石ころと立場を入れ替えてある。誰かに見られても石ころが落ちてるようにしか見えない」
「なるほど。便利な使い方だな」
どうやら坂本は入れ替えアプリを相当使い込んでいるようだ。
きっと他にも俺なんかでは思いつかない使い方をたくさん知っているのだろう。
「ところでお前、さっきの『魂の身体適応』の話聞いたときどう思った?」
「え? そうだな……本人が気づかないうちに他人の身体になって他人として生きてるって、倒錯的でエッロいなぁって」
「なるほどな。でも、実際のところはどうだ? 本人含めて誰一人入れ替わったことに気づいてない。周りからすればなにも変わってないのと同じだ。だったらそれって結局入れ替わってないってことになるんじゃないか?」
坂本がいきなりわけがわからないことを言ってきた。
「いやいや、そんなことねえだろ魂が入れ替わったままなんだから。というか、お前がさっきそう言ったんじゃねえか」
「確かに言った。だが、それはアプリ上でそういう説明がされてるってだけで、俺にだってそれは証明できない。実際にどうなってるのかなんてのは誰にもわからないわけだ」
「……さっきからなにが言いたいんだ? 結論を言ってくれ結論を」
俺はだんだんイライラしてくるのを感じながら坂本を急かした。
「俺が言いたいのは、魂なんて曖昧なもんは信じられないって話だよ。そんなものじゃあ自分と他人の区別すらつけられないだろっていう」
「いや、自分と他人ぐらいはわかるだろ。俺は俺だし」
「……本当か? お前は自分がお前だって証明できるのか?」
「……は?」
なにを言ってるんだ、こいつは。
俺は、俺に決まっている。
「元は他人だったものを、元からお前だったと思っているだけだとは思わないのか? 俺が既にお前の魂を別人のものから変えてしまっている可能性をどうして考えないんだ?」
「そ、それは……でも、認識阻害は無効にして……」
「認識阻害だけなら無効にできるが、魂が身体に適応したらもう気づけないぞ」
「で、でも……俺には俺として生きてきた記憶があって……こうやって考えて喋ってる以上やっぱり俺は俺だろ……」
「じゃあ、これならどうだ?」
坂本がスマホをいじった。
なんだ?
俺になにをする気だ?
「な、なに……? 私になにをする気なの……? ……え?」
今、私はなんて言った?
私って……。
いや、言っただけじゃない。
頭の中でも自分のことを私って呼んでる。
「ど、どうなってるの……?」
「お前の頭の中の大部分を、アイドルのヒカリのものと入れ替えたのさ。どうだ? 今の自分が誰かわかるか?」
「そ、そんなの……私はヒカリに決まって……あ、あれ?」
違う、私は男だった……はず、だけど。
元の姿も、名前も、なに一つ思い出せない。
それどころか、脳裏に浮かぶのはトライルミナスのヒカリとして活動してしてきたことばかり。
ち、違う。
これは、本当の私の記憶じゃない。
私は……。
「ヒカリちゃんかわいいよね。あたしずっとテレビ見て応援してたんだよ」
目の前の女の人が急に口調を変えて私の方に寄ってくる。
そもそもこの人は誰なんだったっけ。
「あたしは田嶋伊月。ヒカリちゃんと仲良くしたいなー」
「で、でも……あなたは、私を変えた人で……」
「そんなのどうでもいいでしょ? さあさあ、一緒に遊ぼうよ」
伊月と名乗った女の人はこちらに近寄ってくると、背後から私のことを抱きしめてきた。
そして、左手で私の胸を触りながら右手で股間を撫で回してくる。
「んあっ!?」
「いい反応だね。かなり敏感な感じ?」
そう言いながら伊月さんは私のズボンのベルトを外して中へ手を突っ込んでくる。
性器に直で手が触れた瞬間、私の身体はスイッチが入ったかのように熱を帯びて快感に酔いしれていく。
「ああっ、ダメっ、そこは……!」
「うわっ、すごいよ。もうあっという間にびっしょびしょ」
伊月さんが手を引き抜くと、私の性器から流れ出た愛液でびっしょりと濡れていた。
伊月さんはそれをペロリと舐めると、自身もベルトを外していく。
そのままパンツごとズボンを脱ぐと、伊月さんの股間にはとんでもないものが付いていた。
「え!? な、なんで……!?」
「入れ替えアプリではこんなこともできるんだよ。部分交換ってやつ」
そう言う伊月さんの股間には、女性にはないはずの固い棒状の性器が付いていた。
彼女の肌の色と比べると不自然に浅黒いそれは、固く大きく屹立していてビクンビクンと脈打っている。
「それじゃあ準備もできてるみたいだし、いただきまーす」
「ま、待って……んんッ!?」
たじろぐ私に伊月さんは容赦なく勃起した男性器を突き挿してきた。
身体の内側を異物が抉っていくこの感覚。
強い圧迫感に呼吸が乱れるほどに苦しくなるこの感覚。
そして、それと同時にもたらされる爆発的な快楽の奔流に押しつぶされそうになるこの感覚。
「あ、ああッ! きもち、いぃっ……!」
気持ちいい。
すっごく気持ちいい。
そうだ、この感覚だ。
この感覚こそが、私の至高の快感なんだ。
もっと、もっとこれが欲しい。
「すごい顔してるよ、ヒカリちゃん。気持ちよさそうで、よかったね。んっ……そういえば、あなたは本当は誰だったか、覚えてる?」
「んっ、あっ……わたしが、だれか……?」
本当の私?
そんなのどうでもいい。
元がどうだとか、私が誰かなんて本当にどうでもいい。
この気持ちいい感覚だけが、私の全て。
だから、もっと。
私を、気持ちよくしてぇっ!
「んんッ! あっ、あッ!」
「あたしも、もう出そうっ……中に、出すよっ!」
伊月さんが一際強く腰を押し付けてくる。
私も、もう、イッちゃうっ……!
「あっあッ、んん、あああぁッ!!?」
身体が激しく震える。
まるで痙攣するようにビクビク震えながら私は自分が絶頂に達したことを実感していた。
ああ、気持ちいい。
最高の幸せ。
至高の快感に満たされた私は、身体の力が抜けていくのと同時に深い微睡の中へと落ちていった。
────────
「……で? なんだったんだよさっきのは」
「身体に中身を合わせるプレイだよ。せっかく他人の身体使ってんだから、ああいうのも面白いだろ?」
坂本は自販機で買ってきたお茶のペットボトルをこっちに差し出しながらそう言った。
また勝手に色々やられた俺としては少し納得いかないが、気持ちよかったのは間違いないのであまり文句も言う気にもならない。
「俺が実は俺が俺じゃないかもしれないとか言ってたあれは?」
「あれはハッタリだよ。わざわざお前個人にそんな色々やる理由もないし」
「なんだよそれ……」
俺はため息をついた。
もしかしたら本当に俺は別人だったかもなんて思い始めていたのに杞憂だったというわけか。
「でも俺としては本当に別人になっちまうのもありなんじゃないかと思ってんだよな」
「え、マジかよ。自分が自分じゃなくなるって流石にやばくないか?」
いきなりとんでもないことを言い始めた坂本に俺はたじろぐ。
だが、坂本はまるでなんでもないことのように言葉を続けた。
「既に身体は他人のものだし、さっきまでは心だって他人のものになってたんだぞ? 今更元の自分なんていう存在にこだわる理由もなくないか?」
言われてみれば確かに。
さっきのプレイの快感を思い出すと、他人になるということに対する恐怖というのは今更気にするものでもないのかもしれない。
そもそも俺なんてどこにでもいる普通の男なわけで、入れ替えアプリを使えば簡単に他人になれる今の状況を考えれば後生大事にか取っておくような人間ではない。
「じゃあどんなやつになるんだ? やっぱり頭のいいやつとか? それとも金持ちのやつか?」
「いや、能力だとか資産だとかは後からアプリで簡単に入れ替えできる。それより幸福感を得やすい性格の人間なんかが狙い目だな。案外バカっぽいやつの方がいいかもしれないぞ」
俺と坂本はその後もどんな人間と入れ替わるか話を続けた。
冷静に考えると常軌を逸している会話だが、入れ替えアプリの力があればこんなことだって些細なことになってしまう。
俺は空恐ろしさを感じながら、入れ替えアプリと出会えたことに感謝した。
────────
「ただいまー」
「あ、おかえりー」
私がリビングで動画を見ていると坂本が帰ってきた。
坂本と言っても今は見た目も中身も完全に他人と入れ替わってしまって元の面影なんて一切ないから便宜上そう呼んでいるってだけだけど。
「なになに? なに見てるわけ?」
「ほら、これ。さっき結婚式場の前通ったからさ、新郎新婦をカエル二匹と入れ替えたの」
私は見ていた動画を坂本に見せた。
結婚式場の噴水広場の前で二匹のカエルがくっついている。
その後ろでは噴水近くで新郎新婦が四つん這いになりアホみたいな顔でぴょんぴょん跳ねている。
「アハッ、おもしろっ。これが本当の蛙化現象?」
「うまい! それで、そっちはなにかあった?」
「あたしはねー、ショールームの家具を全部従業員と交換してきた。人間椅子に人間テーブル。よくない?」
坂本の見せてきた動画には、オシャレな部屋の中で全裸の女性が無表情で椅子やテーブルになりきって佇んでいる様子が映っていた。
ときどき誰かが座ったりしているが女性たちは無反応のままなのがまた滑稽だ。
「いいねこれ。うちでもやってみない?」
「いや、絶対使いづらいでしょこれ。座り心地とか最悪だろうし」
「確かに。でもこの動画だけでめちゃくちゃオナれそう。後で使わせて?」
「おっけー。あたしの方もそっちの動画でオナりたいから後で貸してねー」
坂本はそう言うと自室に引っ込んでいった。
私は再び動画を見ながら股間に手を突っ込んだ。
……入れ替えアプリを手に入れてから、私たちは変わった。
身体も立場も性格も何もかも別人のようになったのだ。
今はこうして高級マンションの一室で二人暮らしをしながら適当に入れ替えアプリで遊んで暮らしている。
今の私は倫理観も貞操観念もかなり緩いのでどんな入れ替えをしても罪悪感を抱かないし、どこでオナニーをしたってなんの抵抗もない。
そして、お金は余るほどあるから生活にも困らない。
まさに最高の生活だ。
「あっ、イクッ、あっ……」
あとちょっとでイケそう。
そう思いながら目をつぶったそのとき。
「んんッ、イクゥ……………………って、あれ?」
身体から湧き出る快感の波が、一瞬にして引いていった。
なんで?
なにが起きたの?
私は目を開いて辺りを見回した。
「……どこ、ここ……?」
私は見覚えのないボロボロの小屋の中にいた。
ふと視線を下げると、薄汚れたTシャツとジャージを着た太った身体が目に入る。
「これ、入れ替わって……!?」
どうやら私は他人と入れ替わっているらしい。
しかも、これは恐らくホームレスの類だ。
最悪の体になってしまったことに頭を痛めながら、私は考える。
どうして急に?
私は自分ではなにもしていない。
それじゃあもしかして坂本が?
「……な、なにこれぇ!? なんであたしがおっさんと入れ替わってんの!?」
すると、小屋の外から叫びを上げる男の声が聞こえてきた。
あの喋り方、もしかして坂本?
坂本も私と同じように身体を入れ替えられた?
「いったい、どうして……」
冷静に考える。
私も坂本も自分からこんなことはするはずがない。
となれば答えは一つだ。
「私たち以外の誰かが、入れ替えアプリを使った……?」
想像もしていなかった。
自分たち以外に入れ替えアプリを使っている人間がいるなんて。
今までなにも考えずに好き放題入れ替えアプリを使ってきたのは自分たちしかこんなことができる人間はいないと思い込んでいたからだ。
もしどこかで入れ替えアプリを持っている人間の恨みを買っていたら、そんなの報復されるに決まってる。
「と、とにかくこんな身体からは早く抜け出さないと……」
私はスマホを探した。
スマホさえあれば入れ替えアプリを使って別の身体に逃げることができる。
スマホさえあれば……。
「……このホームレス、スマホ持ってない……」
私は絶望的な心境になっていた。
どうしようもなく詰んでいる。
これではもう元の身体に戻ることすらできない。
嫌だ。
こんな身体なんて。
こんな身体で生きて、こんな身体で死ぬなんて、そんなのは絶対に────
「……………………んあ? 俺なにしてたんだっけ……なんか、腹減ったな……」
そういえば今日はまだなにも食ってない。
俺はゴミ箱を漁りに行くために、小屋を後にした。