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■直樹視点
俺の名前は厚田直樹(あつた なおき)。4月から学年が一つあがり新しいクラスになる。
前年と変わらないやつもいれば、新しく一緒になるやつもいる。
「直樹とは3年間ずーっと一緒だな」
「まあそうだなー」
「クラスもずっと一緒。部活でも俺らふたりはキャプテンと副キャプテン」
「必然ってやつ?ん~直樹好き好き~~!」
「うげえ~!気持ちわりいから離れろ!」
今年も一緒のクラスとなった八ツ田明人(やつた あきと)とだべっている最中、ひとつ気になる光景を見つける。
クラスの後ろ隅。何人か…いや何十くらいだろうか、それくらいの生徒が集まっている。ひとりの生徒を囲むようにして。
「…あそこなんかやってんの?」
「ん?ほんとだ、すげえ集まってんじゃん。なんだろうな。」
人の隙間から囲まれている生徒の顔が見える。少し長めの髪にメガネ。色白で特にスポーツをやっている風ではない。
とりあえずわかるのは、今まで一度も同じクラスになったことがないやつということだ。
「初めて見る顔だわ」
「俺もだな」
俺と八ツ田はクラスの掲示板に張り出されている座席表を見る。一番後ろ端の席はー…才野育秀(さいの いくひで)ってやつか。
いや、本当に申し訳ないんだが、まっっったく知らない名前だ。八ツ田も同じく、こいつの名前は初めて聞いたそうだ。
しかし、あいつを囲っているあの光景は、人気者とか慕われているとかそういう雰囲気ではなく…俺の目にはなんか不気味に怪しい集団のように映っていた。
*
それからしばらく才野のことが気になる日々が続く。気がつけば俺の視線はあいつを捉えてしまう。
そして大体あいつの周りには誰かしらいる。初日の何十人という数ではないが、誰かしらあいつの席の近くにいる。
「人気者なんだな」と八ツ田が言う。
「いや、だとしたらよ…少しくらいは噂で流れてくるもんだろ。でもそんな噂一回も聞いたことないんだぜ?」
「そういうやつもいるんじゃねえの?たぶん」
俺の熱量の1/100くらいの反応をする八ツ田。
「いる…いるかもしれないけど。ほら見ろよ。同じ部の遠藤も話に行ってる。あいつは俺とずっと一緒のクラスだったからわかる。絶対才野の一緒のクラスになったことなんてない。話したことなんてない!でも今はなんかよくわかんないけど楽しそうに話している。だから…」
「だから?おかしいって?」
「おかしい…だろ。言っちゃ悪いけど、遠藤はうちの部のエースだぞ?そのスポーツバリバリやってますっていう遠藤が、才野と話すことなんてないだろ」
「まあわからんでもないけどな。考えすぎだよ」
八ツ田はあくびをする。なんでそんな他人事みたいに考えられるんだ。絶対おかしいだろ。おかしいって!
「八ツ田はあいつと話したのか?」
「いんや。興味ねえもん。才野のことと、あいつがあんだけみんなと仲良くやっていることなんて」
「いや、でもさ…おかしいって。もう少し興味持てよ。おかしいだろって…」
「うるせえな。考え過ぎだ。もうこの話終わり」
八ツ田によって強制的に話は終わらされてしまった。しかし俺の中のもやもやは未だ解消されないままだった。
*
そんな事があった次の日、珍しく八ツ田が悩んでいた。
「うっす、おはよ。どうした?」
「…え。ああ…んー…ちょっと聞いてくんね?」
「なんだよ」
それは昨日帰り際の話。八ツ田はいつものように友達とだべったあと、帰るために生徒用玄関に向かっていた。
そこで見たという。廊下で才野が生徒と話しているところを。まあ別にここまでは変なふうには思わなかったらしい。
ただそこを通り過ぎようとしたときに見たらしい。才野と話している生徒の顔を。
「なんつーか…寝てるわけじゃないんだけど、ぼーっとしてる顔…?」だったらしい。
「無理矢理にでも話を通すなら、その生徒が寝不足で、才野と話しているその一瞬だけ眠たそうな顔だったのかもしれない。とか?」
「そんなわけねえだろ」
八ツ田は珍しく温度感高く俺に言う。そう、八ツ田がそんなふうに声を荒げ否定するのには、ちゃんと理由がある。
「ちょっと会話が聞こえたんだよ。才野が『じゃあこれで僕の友達だね。ちゃんと言うこと聞いてね』って言ったらさ、その生徒が『はい、わかりました…』って。おかしいだろ、こんな会話」
そう言って八ツ田はまた頭を抱えこむ。
「あ~~~…気持ちわりい…なんだよあの会話。なんか耳にこびりついて離れねえんだよ」
俺は掛ける言葉も見つからず、ただ黙っているしかなかった。
…このとき、一言でも声をかけていれば、このあと起こるあの出来事はなかったのかもしれない。
*
翌日。教室に入って気がつく。いつも俺の席近くに座って待ち構えている八ツ田がいないことに。
時計を見る。8:25。うん、いつもならいる時間だな。どうしたんだろうな、教室を見回して、いつも見慣れた後ろ姿を見つけた。
「やつ…」と名前を呼びかけて俺は声を止めた。…あいつが立っている場所は才野の席の前だったからだ。
嫌な汗をかく。荒くなる呼吸を無理やり整えて、俺は自分の席に向かう。カバンを置いて席に座る。それからなにかするふりをして、二人のいる方を見る。
…才野は席に座って、八ツ田は机の前に立っている。お互いが向かい合っている構図だ。しかしここから少し遠いため、ふたりの表情や口の動きまでは細く見えない。
(…気になったまま一日過ごすのはやだよな)…俺は意を決してふたりに近づく。
俺が声をかけるより先に才野が気がつき「おはよう直樹くん」と声をかけられた。
「え…っ…いあ…あ、おはよう」人見知りのガキみたいに俺は緊張していた。ぎこちない笑顔を見せたあと、八ツ田の肩をつかむ。
「よう八ツ田、おはよう。才野と話してたのか?」
「…」
しかし八ツ田は返事をしない。しないどころか俺の方を向こうともしない。
「なあって」
ぐいと無理矢理に肩を引っ張る。そして顔がこちらを向いた。
「…っひ!?」
俺は思わず気持ちの悪い叫び声を上げてしまった。
それは、八ツ田の顔がまるで生気のない顔をしていたからだ。
「…っ…や…っ…あ…」
俺は思わず後ずさる。八ツ田は俺が無理に肩を引っ張りこちらを向かせた姿勢から変わっていない。
生きている感じがしないその顔と、その不自然な姿勢から、そこにいるのが八ツ田ではなく、まるでそっくりなマネキンが立っているかの用に感じる。
「だめだよ直樹くん、そんな乱暴にしちゃあ」
動かない八ツ田と、動揺する俺のことなんて一切気にしていない才野。
「八ツ田くんは、僕の友だちになったんだよね?」
その問いかけに八ツ田は才野の方を向く。
そして「ああ…俺は才野と友だちになった」と張りのない声で返事をする。
「…う、うそつけよ……才野、おまえ八ツ田になにし…」
キーンコーンカーンコーン…俺の言葉は授業開始のチャイムに遮られる。才野が八ツ田の背中をぽんと叩くと、八ツ田はハッとした表情になり慌てて自分の席にもどった。
「…」
「直樹くん、早く席に戻らないと先生に怒られるよ」
その忠告に従った訳では無いが俺は自分の席に戻った。
*
その日俺は八ツ田と才野を避けるように過ごし、帰りのホームルームが終わると同時にすぐ教室を出た。
確信した。昨日八ツ田が言っていたことは本当だ。弱みを握っているとかそういうことではない。たぶん催眠とか無理矢理にでも従わせるそういう手段を使っている。
そして八ツ田はその餌食となった。昨日その現場を見られたことから口封じされたんだろう。
才野を説得して…いや、殴ってでもしてわからせてやって全員をもとに戻させるべきだろうか。それとも今後一切関わりを持たず学校生活を送るべきだろうか。…八ツ田には悪いが。
帰宅してすぐに自分の部屋にこもり、スマホで催眠術について調べる。こんなことしてどうこうなるなんて思ってもいないけれど、なにか解決の糸口があれば…。
「直樹ー、八ツ田くん来てるわよー」…ドキッとした。
俺は慌てて部屋を出ようとする。八ツ田であれ今はとにかく誰も部屋に入れたくない。誰とも接したくない。
しかし俺がドアを開けると八ツ田が立っていた。…ただ、ここで俺は安心する。あのとき見せた表情ではなかったから。いつものあのちゃんと生きている顔をしている。
「…あ」
「ん、元気そうだな。いや、なんか今日おまえにすげー避けられている感じがしてさ。ちょっと…まあ心配になって来ちゃった」
凍りついていた心臓がじわっと溶けていくようなそんな気持ちだ。体から力が抜け、俺はその場にへたり込んでしまった。
「お、おい!大丈夫か!?」
俺は「大丈夫…」と返事をしながらも、八ツ田に肩を借りて部屋に戻った。
*
ただここで安心するのはまだ早い。
「ちょっと調べものあるから、適当に漫画でも読んでて」
八ツ田には悪いと思いながらも俺はスマホでひたすらに調べる。
『催眠術』『催眠 解き方』『催眠 もどらない』…しかしいろいろ調べてみたものの出てくるのはただのオカルトマニア系のサイトだけ。何個か有益な情報はあったが、これという解決策はなかなか出てこない。
「何見てんだよ。アダルトサイト?」
「うおっ!?」
あまりに集中しすぎて後ろから八ツ田が覗き込んでいることに気が付かなかった。俺は慌ててスマホを隠す。
「なんだよ。俺にも見せられないものなのかよ。あーやっぱりアダルトサイトだな。いやいやお盛んですな」
気づかれたかと思って焦ったが、いつものふざけた反応をしめす八ツ田に俺はまた安心する。
俺はついさっき見たサイトを思い出す。『催眠にかけられた者は、かけた人がなにかしらのトリガー(合図など)をしない限り、再度催眠状態にはならない』…今の八ツ田はいつも八ツ田。才野がなにかしらトリガーを仕掛けなければ、催眠状態にはならない。ということは、今のうちにこいつに情報や暗示を施しておけば…なにかしらの防止策になるかもしれない。
「八ツ田、ちょっと話したいことがある」
「はいはい。なんですか?」
俺はすべてを話す。昨日お前が見たことは事実で、今現在おまえも才野の毒牙にかかっている。だから何かしらの対策をすれば、お前を救えるかもしれない。
「ひゃっ…こっっわ…え?まじで?てか俺を避けていた原因ってそれ?」
「そう。早めに伝えたかったけど…ちょっと急展開でいろいろありすぎて伝えられなかった。だから…」そのとき、八ツ田のスマホが鳴る。
「あ、わり。電話だ」
「うん」
…そのとき一瞬見えた。着信の画面に『才野』と表示されていたのを。
「八ツ田!だめだ!出るな!」…時すでに遅し。八ツ田はスマホを耳に当てていた。
「どうした?え?………ぁ…………………」八ツ田の顔から生気が失われていく。表情が剥がれ落ちる。電話に受け答えするその声からも力が失われていくのがよくわかった。
「はい…今、直樹の家にいます…はい。わかりました…直樹を取り押さえます」
手がだらんと垂れてスマホは床に落ちる。そんなことも気にせず八ツ田は俺の方を向く。
「八ツ田…だめだ。目を覚ませ!八ツ田!…んぐぅ!?」
八ツ田は俺の方を掴み乱暴にベッドに押し付けた。ぼーっとした顔。確実に催眠に堕ちてしまっている。
「八ツ田!頼む!離してくれ!」
「…これは命令。才野様の命令…」
俺の声は届いていない。ただぶつぶつと独り言のように呟いている。力が強くどれだけもがいてもその拘束ははずれはしなかった。
もがけばもがくだけ俺の体力がただ消耗される。俺が諦めた頃、また母さんの声がしてドアが開く。
「まさかこんな形で直樹くんの家にお邪魔させもらうことになるなんて。あはは」
ずいぶんと余裕な笑顔で才野は俺の部屋を見渡す。そして視線は俺にうつる。
「朝のあの出来事を君に見せつけて印象付けさせた。そうすれば多分君は動くと思ったんだよね。なんとかして八ツ田くんを助けなきゃって。」
「…」
才野はベッドにおいてあった俺のスマホを手に取る。
「うん。やっぱりね。催眠解き方なんて検索してるし。ははは。ちゃんと思った通りに動いてくれた」
「…」
「それとどちらにせよ八ツ田くんを君のもとに送り込む予定だった。催眠状態にしてね」
「…へえそうかよ。それで電話したときにちょうど八ツ田が俺の家にいてくれたもんだから、そこで催眠状態にして俺を取り押さえるように命令したってことか」
「お、説明してくれてありがとう。そのとおりだよ。…とまあどうでもいい説明はこれくらいにしておいて。直樹くん君も僕の友達にしてあげようと思ってさ。八ツ田くん、拘束は解いてやっていいよ」
「はい、才野様」
八ツ田はゆっくりと力を緩める。拘束が解かれ、押さえつけられていた手にじわりと血が戻っていくのを感じた。
「…ずいぶんと余裕なんだな。自由にさせればお前をぶん殴ってやることだってできんだぞ」
「怖いなあ、やめてよ。僕は君と友だちになりたいだけだってば」
「友達ねえ。お前の思ってる友達と、俺の思ってる友達っていうものには随分と違いがあるみたいだけど」
「そうかもね」
俺は強く拳を握りしめる。隙があればこいつを殴ってでも、計画を止めてやろうと考えている。
「直樹くん」
「なんだよ」
「残念だけどね…君が僕に勝てる確率はほぼ0%だよ」
「あ?」
いよいよふざけたことを言い出しやがった。
「へえそうかよ。それを今から1%でも上げる方法は?」
「ないね」
「そうかそうか…」
俺はゆっくりと立ち上がる。才野は一歩も退いたりはしない。
「本当に0%なんだな?」
「うん、そうだよ。君が勝てる確率は0%」
俺はそれに対し何も言い返さず拳を振り上げた。
「止まれ」
小さく囁かれた声が耳に届き、拳は才野の顔に当たる直前で止まった。
「な…。」唖然とする俺を見て才野はニヤリと微笑む。
「…体が動かねえ」
「直樹くんって馬鹿なんだね。僕がまだ君に何もしてないと思った?」
「…っ!?」
動けない俺の顔を視姦しながら続ける。
「君が今日僕の席に来たときだったかなあ。あのときにちょっとだけ施しをさせてもらったんだ」
「施し……?」
「そ。あんまりバラしたくはないけど、僕は自由自在にどんなふうにでも催眠をかけられる。だからあのとき、軽くだけど催眠をかけさせてもらった」
「そんなデタラメ通じるかよ」
「今もまだ動きを止められて間抜けなポーズで止められているっていうのに信じてくれないんだね。いや違うか…信じたくないだけか。あはは」
心の内をすべて見透かされているようで腹が立つ。
「信じたくないなら、信じてもらえるまでいろいろ見せてあげよう。…こうやって君の前に指を一本出して…」
才野が人差し指を俺の目と目の間にかざす。そして「この指を目で追え」とささやいて、指で空中に文字を書くように動かし始めた。
俺の目と顔はそれに合わせてその指を追い続ける。抗おうとしても「才野の指を追わなくてはならない」という思考が頭を支配して、言われたままに行動してしまう。
指の動きが止まる。
「その姿勢もつらいでしょ?僕を殴ろうとして少し屈んでいるんだもんね。気をつけ」
操り人形のように見えない糸に引っ張られ俺の姿勢が変えられる。
俺は才野の前で指先まで伸ばした気をつけの姿勢となる。
「面白いね。体は命令通り動いているけど、直樹くん自身は抗おうとしてるんだろうなあ」
「うるせえな!早く催眠術をとけよ!」
「は?勘違いしちゃ困るよ。君が僕に勝つ確率を上げるんだ~なんて言って始めたことじゃないか。ほら早くその0%の確率を上げてみてよ」
才野は余裕の笑みを見せる。
「く…そ…がよぉ…!」
俺は無理矢理にでも動いてやろうと、身体にすべての力を込める。わずかながら動いているような…そんな雰囲気を感じる。
「お。すごいね~。八ツ田くんは全然だめだったのに。ねえ?」
「はい、私は抵抗しようとしましたが、才野様の催眠の力の前ではすべてが無駄でした」
八ツ田は問いに対しなんの抵抗もなく淡々と答える。無表情で、無機質な声で。
「そうやって余裕ぶっこいて笑っていたことを後悔させてやるからな…」
「おお~かっこいいセリフ。いいねいいね。…でもさ、八ツ田くん。君から見て直樹くんは僕に勝てるかな?そこんとこちゃんと直樹くんに言ってあげて」
「はい。直樹、俺ら下等な愚民は才野様の催眠の前には抗えない。たった一人、おまえが歯向かったところで無理だよ。諦めろ」
「やめろ!八ツ田!それ以上言うな!」
「才野様はな、そういうおまえのクソみたいな正義感ってのが一番嫌いなんだよ。やめてくれ。うざったい。そんな飾りでしかない正義感はさっさと捨てろ。」
これまで何年もの間、ともに歩んできた仲間からの言葉。それはあまりにも鋭利で俺のの心を貫いた。そして数時間前までメラメラと燃えていた「こいつを助けなければ」という炎はふぅっと消された。
思い切り歯を食いしばって込めていた力は、パンクしたタイヤのようにいとも簡単に抜けていってしまった。
「うわあー…きっついこと言うよねえ…八ツ田くんも」
「……」
「あれ?直樹くんどうしたのかな?もう少しで助けられそうだったのにね。動けそうだったのに」
「…いい」
「え?」
「もういい…どうにでもしてくれ…」
「ははは。意外と弱いもんだなあ…。直樹くんならもう少し粘ってくれるのかと思ったんだけど…。それを見込んで最後まで残していたのにねー」
最後の抵抗か…俺は無意識に才野を睨んでいた。
「睨まれてもなーんも怖くないよ。はい残念でした。さよーなら」
俺の前に出された才野の手。親指と中指が重なり…パチッ…と音を立てる。同時に俺の目の前は真っ暗になった。
*
■第三者視点
直樹の部屋。本来の主である直樹は、才野の指の音を聞いたあと膝から崩れ落ちた。そのとなりには八ツ田が気をつけをして命令を待っていた。
それを見て才野は「あーあつまんないの。あっさりと終わっちゃったなあ」と言いながら椅子に腰掛けた。ギイと背もたれに体を預け足を組み、出来上がった奴隷ふたりを眺める。
「八ツ田くんには、昨日ちゃんと友達になる儀式をしたもんね?」
「はい。昨日、才野様より儀式を施していただきました。ありがとうございます」そう言って深く頭を下げる。
「じゃあ直樹くんにもちゃんと儀式をしてあげないとね。八ツ田くん、彼を僕の前に座らせて」
「はい、かしこまりました」
八ツ田は直樹の脇に腕を入れ立たせる。そして才野の前に座らせる。
「…直樹くん、顔上げて」
「…はい」
視線を上げた直樹の表情は、催眠と現実の間をさまよっているようなぼんやりとした顔だった。
「はい、じゃあ僕の指を見て」
「…はい」
顔の前に人差し指が立てられる。直樹はそれを見つめる。ゆっくりと左右に振られると、目がそれを追う。それから僅かなタイムラグがあって顔も動く。
「今はどんな気持ち?」
「……海に沈んでいっている…ふわふわとした…そんなかんじ…」
指を追いながら直樹は答える。まだ多少の自我があるからか、言葉の抑揚も少し残っている。
「うんうん。そうだね。…じゃあもっと深く沈んでみようか…気持ちがいいよ」
「…もっと沈む…深く……」
直樹の顔にわずかに残っていた表情は消え失せる。完全なる無表情となる。
「沈む。沈む。沈む…」
「…しずむ…し…ずむ……しずむ……」
「もう…戻れない。戻らなくていい…そのまま…沈んでしまおう」
「…は…い。……しずむ………し……ずむ…………」
言葉がゆっくりになるのに合わせて才野は指を止めてゆっくりと下に下ろす。合わせて直樹も、無表情で目を開けたまま、こくりとうなずくように頭を下ろした。
直樹は堕ちた。完全に自我は消え去ってしまった。深く深く暗い催眠という海の底に沈んだ。
「直樹、僕の言う言葉を繰り返せ」「はい」
「直樹は僕の"友達"になる」「俺は才野の友達になる…」
「僕に対して敵意は持たない」「才野に敵意は持たない」
「僕の言うことは何でも聞きたくなる」「才野様の言うことはすべて聞き入れる」
「僕の頼み事は喜んで実行する」「才野様の頼み事はすべて喜んで実行いたします」
繰り返される言葉も徐々に才野を敬う言葉へと変化していく。
それは、直樹の心に新しい自我が刻まれていっている証拠であり、同時に才野の"友達"という名の下僕になっていく証拠でもあったのだ。
「じゃあ最後に僕の前に立って宣言してみようか」
「はい」
返事のあと直樹はスッと立ち上がり姿勢を正す。そして宣言が始まる。
「私、厚田直樹は才野様の友達として、敵意を一切持たず、言われたことは全て聞き入れ、頼まれたことは全て喜んで実行いたします」
その言葉を聞いて、才野は笑顔で拍手を送った。
*
数日後。直樹と八ツ田のいるクラスでは帰りのホームルームが開かれている。
今は先生が連絡事項を伝えている最中だが、真面目に聞いている生徒もいれば、スマホをいじったり隣の友達と話したりと、なんとなくざわついている。
「なあ八ツ田、帰りにコンビに寄らない?」
「んぁ?ああ、いいよ」
直樹と八ツ田もいつもと変わらない感じで喋っている。
「はい、じゃあ寄り道とかしないで帰るように」先生の連絡が終わり、ふたりは席を立って教室の出口に向かう。
「直樹くん、八ツ田くん」
そのふたりを後ろから呼ぶ声がする。振り返ったふたりの視線の先には才野が立っていた。
「どうしたよ」
「なんか用か?」
「ちょっと今日は君たちふたりで遊びたいなって思って。だからさ、僕の家に来てもらおうかなって」
そう言って才野は指を鳴らした。
その音を聞いたふたりは姿勢を正し
「「はい、かしこまりました才野様」」と声を揃える。
いつしか才野が言ったように、このクラスの生徒は全員才野の"友達"である。そのため、ふたりがこうなっている状況を誰も不思議には思わない。
「うん。じゃあ早速行こうか」
教室を出ていく才野のあとを追うように、直樹と八ツ田も教室をあとにした。