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あどけない南方人の少女が……南方人の少女そのものの姿に変貌したエヴランが、その褐色の肌をほんの少し紅潮させて、鏡に映った自身の姿を食い入るように見つめる様子を静かに見守っていたエレアは、彼に優しく声をかけた。
「どうやらご満足いただけたようですね……エヴラン様、ご自身の望まれたお姿を手に入れた……お気持ちはいかがですか?」
エヴランは鏡に映る自分を見つめたまま、深く息を吐いた。
胸に渦巻いていた不安は恥じらいに変わり、潜んでいた憧れはどこか浮きたつような気持ちに変わっていた。
「……不思議だな、僕がこんな姿になってしまうなんて……まるで、夢みたいだ」
エヴランは思わず呟いた。
その呟きを聞き、エレアはそっと微笑んだ。
「夢などではありません。ご自身の望みが形となったお姿……それを受け入れていただけたようで何よりです」
エヴランは、少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
鏡に映る自分の姿を見ていると、自分の中で渦巻いていた複雑な感情が静かに溶けていき、いつしか穏やかなものになっていくようだった。
エレアは、穏やかな声で続けた。
「どうぞ、そのままで……次の段階に進みましょう」
エヴランは、静かに頷いた。
驚くべき変身を経験した今となっては、すべてをエレアに任せれば良いように、エヴランには思えた。
エレアはテーブルの脇にかがみこむと、そこに置かれた箱を開けた。
そこから取り出したのは、見慣れぬ衣装と装飾品だった。
深い青色をした布地はやや粗雑ではあるが、複雑な模様が織り込まれている。
それはサミラの故郷であるパナパウのものであった。
エヴランはその衣装に見覚えがあった。
同じ衣装に身を包んだサミラの姿がエヴランの脳裏に浮かんだ。
これを自分が身にまとえば、どうなるだろうか。
そのことを想像してエヴランは思わずつばを飲み込んだ。
だが次の瞬間、エレアが最後に箱から取り出したものを見て、エヴランは目を剥いた。
それは木綿の下着だった。
飾り気や少しもなく、繊細さにもかけているがそれは明らかに少女が身に着けるものである。
「さて、エヴラン様。パナパウ人の女の子に成りきろうというのであれば、それなりの恰好をしなくてはなりません」
そう言って、エヴランの目前に下着を差し出したエレアの目には、まるでエヴランの反応を見て楽しむかのような色が、確かに浮かんでいた。
エヴランは頬を赤く染め、しばらくの間立ち尽くしていた。
だが、いつまでも裸でいるわけにはいかないし、かといってエヴラン自身の衣類を身に着けるわけにもいかない。
考えてみれば、こうなるということは、エレアの誘いに応じたときから明らかではないか。
そんな風に自分を納得させると、エヴランはおずおずと手を伸ばしエレアが差し出した下着を手に取った。
最初に手に取ったのはパンツである。
少しごわつく触感に戸惑いながら、エヴランはゆっくりとそれに足を通した。
それから同じような素材でできた全身を覆うシュミーズドレスを頭から被る。
どこか気恥ずかしく、鏡の方に目を向けないようにしてエレアの方を窺う。
「……とってもよくお似合いですよ」
エレアの声のあくまで落ち着いた穏やかな調子はまったく変わらない。
だから、そこにからかうような響きを感じ取るのは、エヴランの自意識が過剰なのだ。
エレアはパナパウの青いワンピースのドレスを手に持ち、顔を真っ赤にしたエヴランに差し出した。
エヴランはそれを受け取ると、しばし息を整え、頭から被った。
普段自分が着ている衣装との感触の違いに戸惑いながら、被り終えたワンピースを整える。
衣装をつけ終わったエヴランは、頼りない柔らかさに全身を覆われていた。
空気が動き、スカートのすそが足を撫ぜるたびに、体の奥からくすぐったいような湧き起こっている。
わずかに呼吸を荒くしながら、エヴランはもう一度鏡の方に視線を向けた。
もちろんそこには、青いワンピースドレスを纏った南方人の少女が映っている。
その雰囲気は記憶にあるサミラの姿と重なるようにエヴランには感じられた。
衣装を纏ったことで鏡の中の少女は現実感を増し、エヴランが体を動かすたびに鏡の中の少女も全く同じく体を動かす。
エヴランは、思わず自分の体を抱きしめた。
手が自身の腰や胸のなだらかな曲線に触れると、それが自分のものであるかのように手の感触が伝わってくる。
エヴランは頬を赤らめたまま目を伏して、そっと吐息をついた。
「さて、御髪の方も少しだけ手をいれましょう」
そう言うとエレアはエヴランの髪に手を伸ばし、優しく指先で梳きながらまとめていった。
彼女の手がゆっくりと動くたびに、エヴランはくすぐったいような気持ちを味わっていた。
「御髪が伸びるまではこれを使います」
エレアが取り出したのは、ひもで結ばれた黒色の髪の束だった。
エレアはエヴランの髪につけ毛を編み込むと後ろにまとめ、ポニーテールのように束ねた。
髪が柔らかく肩に落ちる。
次にエレアは小箱から細かな飾りを取り出すと、エヴランの髪に慎重に留め始めた。
それは小さな金属の飾りや色とりどりのビーズで、パナパウの人々がよく用いる独特のデザインだった。
髪を整えたことによって、鏡に映るエヴランの姿は先ほどよりもずっと美しさを増し、それが自分の顔であるというのに、目を合わせるのが気恥ずかしくなるほどであった。
「いかがですか、エヴラン様」
エヴランの背中からエレアが静かに声をかけた。
エヴランは息を整え、鏡越しにエレアの方に視線を向けた。
「……」
エヴランは何と答えてよいのか分からなかった。
エレアは満足そうにうなずき、彼の目をしっかりと見据えた。
「これで、もう、あなたはどこから見てもパナパウのかわいらしい女の子にしか見えません。誰も、あなたが本当はレオナー・ラグラウス様のご長子であるエヴラン・ラグラウスなのだとは気づかないでしょう」
「僕が……パナパウの……女の子?」
エヴランは、思わずエレアの言葉を繰り返して口にした。
自分の姿が異邦の少女に塗り替えられてからずっと感じていた体験したことのないような心の揺らぎがますますと強くなっていく。
それは驚きと、甘美な戸惑いが入り混じっていたような感情であった。
エレアは、最後の小瓶を取り上げると、穏やかな声で告げた。
「仕上げに、声にも少し変えてしまいましょう。女の子として、自然な話し方ができるように」
エヴランは息を呑んでエレアを見つめた。
だが、声までも変えてしまえるということであろうと、いまさら驚くようなことではないのかもしれない。
エレアは小瓶をエヴランにそっと手渡すと、中身を何滴か舌の上に垂らし、飲み干すように勧めた。
エヴランは少しの間ためらうように間を置いたが、結局その指示に従った。
瓶の蓋を開けると、甘い香りと刺激臭が入り混じった匂いが立ち上った。
中身を舌の上に垂らすと、かすかな甘みとともに、下の上にほんの少しの刺激と熱を感じた。
エレアの言うとおりに思い切ってそれを飲み込む。
舌の上の刺激と温かみが喉の奥に広がっていく。
その刺激が徐々に消えていき、無くなった後も、喉の感じがどこか変わってしまったように感じられた。
エヴランは自分の声がどう変わったのか確かめるようと、そっと言葉を発してみた。
「……これで、」
ひとこと発して、エヴランは両手で口を押えた。
その声は今までよりもずっと高く、柔らかな響きに変わっていた。
まさにそれは、さえずるような少女そのものの声色であった。
「これですべて終わりました。その声であなたが、例え自分はログレス人の男性だと言っても、誰も信じる人はおりません」
エレアは満足そうに微笑んでいた。
どこから見てもパナパウ人の可憐な少女に変身してしまったエヴランのことを自分の作品のように眺めているふうにも見えた。
声を発するのがどこか気恥ずかしくて、エヴランは押し黙っていた。
エレアは、そんなエヴランの前で両手を合わせた。
「さて、パナパウの女の子には、パナパウの女の子にふさわしい名前が必要ですね」
そう言うと、エレアはしばしの間をおいてから、囁き声で告げた。
「ナシラ」
エヴランははっとした。
その名を聞いた瞬間、彼の脳裏に幼い頃サミラが語った話が蘇った。
サミラがかつて失った幼い娘……ナシラとは、その娘の名前だった。
その面影を自分に重ねて見ていたかのようなサミラの優しい眼差しを、エヴランは思い出した。
「ナシラ……」
エヴランはその名を口の中で転がすように小さく呟き、改めて自分の姿を鏡に映して見つめた。
どうしてその名をエレアが知っているのかは分からない。
だが、その名は今の自分には……サミラの面影に塗り替えられた今の自分には、ふさわしい名であるように感じられた。
その様子を静かに見守っていたエレアが、柔らかな声で問いかけた。
「どうやら気に入っていただけたようですね……ナシラ」
エヴランは放心したように、エレアの言葉に思わず頷いてしまった。
エヴランの反応に満足したエレアは、ここに来るときにエヴランの着ていた衣服や持ち物を取り上げると、テーブルの脇に置いてあった箱にしまい始めた。
すべてを箱にしまうと掛け金を降ろし、それからエヴランの方に向き直った。
「さて、それではナシラ。エヴラン様の持ち物は私が責任をもって預かっておきます……どうしてあなたのような子がそれを持っていたのかはわかりませんが」
「え……?」
一瞬、エレアが何を言ったのかが分からず、エヴランは当惑した表情を顔に浮かべた。
エレアは、エヴランの反応など知らぬ気に言葉を続けた。
「エヴラン様がご不在の間は、私が責任を持ってこのお屋敷を管理しなくてはならないのです。ナシラ。私の言っていることが解りますね」
そのエレアの言い様に、エヴランは、目を白黒させた。
エレアが、エヴランのことをナシラであるかのように扱っているのだ。
「……これからあなたを家まで送って差し上げます。いいですか、ナシラ。ここは貴族のお屋敷なのです。勝手に立ち入るようなことは、本来、許されることではないのですよ」
そして、その物言いはだんだんと不穏な内容になっている。
「……僕の……家?」
思考が追い付かず、エヴランはやっとのことでそれだけ答えた。
「そうです、ナシラ。あなたのような素性も知れぬ女の子がこのラグラウス邸に居ることはできません。ご心配なく、そこは今のあなたにふさわしい居場所として用意してあります。あなたはしばらくの間、そこでナシラとして……パナパウの女の子として、生活を送るのですよ」
「で……でも……」
必死に言い返そうとしながら、エヴランにはエレアの言葉の意味をやっと理解し始めた。
ことの始め、エレアはエヴランに体験させると言ったのだ……サミラのような、パナパウ人の少女であることを。
それはもちろん、単に見た目を変えるということだけを意味していない。
つまり、これはある種の、冒険の提案なのだ。
それに、考えてみればエヴランが今の姿のままこの屋敷で過ごすというのもあり得ない話ではないか。
「ご不安でしょう。大丈夫ですよ。お約束します……これはほんのしばらくの間のことです。あなたはすぐにこのお屋敷に戻ってくることになりますよ」
エヴランに念を押すようにそう告げると、エレアはいつもと変わらない穏やかな微笑みを浮かべた。
(つづく)