【Free public article】 Grimm Glitter short story "The most special you in the universe" / グリムグリッター掌編 「宇宙で一番特別なあなた」
「葵……これはいったい……どういうことかしら」
机の上に山と積まれた小箱を見て、香は暫しの間凍り付いた。そのいずれもが、リボンやテープでかわいらしくラッピングされていて、箱の形にはハート形のものまで混ざっている。その中身がいずれもチョコレートであることは確かめるまでもないだろう。今日はバレンタインデー。日本においては、女性が想いを寄せている男性にチョコレートを贈る恋のイベント、とされている日だ。
「どういう、って……? クラスのみんなとか、後輩の子とか……あと、男の子からもあるかな。逆チョコってやつ?」
射貫くような視線をものともせず、まるで戦果でも誇るかのようにそれらを紹介して見せる少女こそ、香が想いを寄せている少女、葵である。ミディアムの茶髪で、いかにも活発そうな明るい女の子。男子からも女子からも好かれるタイプであろうことは机の上のチョコの山が証明している。
ゆえに、だからこそ。
香は今自分が手にしているチョコレートがその山に加わることが看過できなかった。
「香も、ありがとうね……っ!?」
葵が受け取ろうとしたチョコレートは、その手をヒョイと避けて空中に逃れる。もはや無意識での反射なのではないかと思えるほどに素早く。
「ごめん、葵。これ無し。やっぱ無し」
「え、えぇ……!? なんで!?」
葵は眉をハの字にゆがめて困惑する。一番の本命であるはずの香からチョコがもらえなくなってしまいそうだ。それも、デパートで買えば5000円は下らなさそうなめっちゃいいやつが。
「あ、もしかして香、ひとつももらえなかっ……きゃん!?」
5000円分の重みが、葵の顔面を直撃した。
「うるさい。私はあなたからもらえればそれでいいの! これは私が自分で食べる」
葵が鼻を抑えている間に、香はその高そうなチョコレートを鞄にしまい込んでしまった。
「あげる、あげるよもちろん! だから……」
「落ち着きなさい、この食いしん坊。別に誰もあげない、なんて言ってないでしょ……これじゃダメなのよ」
あたふたと慌てる葵を指先で制して、香はにやりとその口角を吊り上げる。それを見て葵もようやく香の意図をなんとなく悟った。これは……ろくでもないことを考えているときの顔だ。
かくして2時間後、葵は宇宙空間にいた。
「すごーい! 地球が丸ごと全部チョコになっちゃった!」
目をキラキラと輝かせて、葵はその地球だったものに向かって手を伸ばす。
「ふふ、喜んでくれて何よりよ」
そんな彼女を眺めるのはもちろん香。月に腰かけて、ニコニコと満面の笑みを浮かべている。それはもう、怖いくらいに。
しかし葵はその表情を見て取ることができなかった。今の葵にとっては目と鼻の先にあるはずの月。地球の4分の1ほどの直系を持つ月に腰かけられる香は十分巨大なはずなのだけれど、しかし地球を指先でつまめるほどに巨大化した葵にとっては1センチにも満たない小人でしかない。
むしろその事実は、今となってはすっかり性癖のねじ曲がってしまった葵にとって興奮材料の一つでしかなく、香の浮かべる笑みに隠された意図に彼女が気付くことはまずないだろう。
「ねえ、食べていい? いいんだよね?」
「もちろん。どうぞ召し上がれ」
葵が地球をつまみ、その口に運ぶ。その様子を見て、香の笑顔は最高潮に達した。
葵は、あの地球をただのチョコレートの塊としか認識していないだろう。よもや、そこに生きている人々が意識を保ったままチョコレートに変換されていようなどとは考えもすまい。
人間を生きたままチョコやキャンディーに変えることなど香の能力をもってすれば容易いこと。むしろ、プレイの一環としてよくやるので得意分野だった。
(ふふ……葵に手を出すから悪いのよ……?)
おそらくはあの地球のどこかにいるであろう、葵にチョコを渡した身の程をわきまえない人間に向かって、香はほくそ笑む。今頃は体を動かすこともできず、空一面に広がった想い人の顔に助けを求めていることだろう。しかし、彼女だか彼だかが想いを寄せていたその葵は大きく開け、そしてその口が空いっぱいに広がっていく。まるで、この世界すべてを飲み込んでしまうかのように。
愛らしい少女の顔で覆われていた空は今やぬらぬらと照り返すピンク色の肉に置き換わり、地平線の果てには白い巨岩のような何かが見える。この惑星が少女の口の中に入ってしまったのだと理解できたものはどれほどいただろうか。地球上を覆いつくす甘い香りと、残酷にも残されてしまった視界から自分たちが何に変えられたのかを理解していた人ならば答えにたどり着いていたかもしれない。不運にもそれが理解できてしまった者は、つまり自分たちの運命も理解してしまうことだろう。
チョコは食べ物だ。
「んっ……甘い……」
それが、大陸一つとそこに住まう1億以上の意識を一瞬で削り取った葵の感想だった。自分のしでかしたことにまるで気づいていないその淡白な感想に、香は思わず絶頂しかける。危なく、月の海を本当の海にしてしまうところだ。
「そ、そう……それは……よかった……」
地表は今頃、葵の唾液が高さ数10kmもの津波となって押し寄せているに違いない。その津波は、葵に想いを寄せていたであろう誰かのもとにも間違いなく届く。そして、その暖かな津波に触れたチョコレートがどうなるかなど考えるまでもない。
「どうかしら、葵。葵にチョコをくれた人たちの味は」
香は葵に、わざとらしく尋ねる。その声の節々に、抑えきれない興奮が震えとなって表れていた。
「ふぇっ……!?」
葵は思わず口元に手を当て、そして香の意図にようやく気が付いた。普通、人類は地球上にしかいないのである。地球全部を食べる、ということは葵の知っている誰もかれも全てがそこに含まれている……その認識がすっかり欠けていたようだ。
「ごめんなさい、葵。一つ黙っていたことがあるんだけど……」
香は葵に説明する。さっきまで葵がおいしそうになめていた地球上には、80億人分の意識がはっきりと存在していたこと。そして今それが一つも存在しなくなったことを。
「ちょっと!! 香っ!! 何やらせてるの!?」
葵はあわてて口の中のものを吐き出すも、それはもはや球とは呼べないほどにドロドロに溶けたただのチョコレートだった。
「ごめんなさい、でも今はもう意識のないただのチョコレートの塊だから」
そんなことは言われるまでもなく見ればわかる。葵は香にお仕置きをするべく、目と鼻の先……地球から38万キロ離れている月に手を伸ばした。
「でも、葵……興奮してるわよね? それを聞いて……」
月へと伸ばされた葵の指がぴくりと震える。
「だって……そこに誰もいなかったら、ただチョコを食べるのと同じでしょう? 小さな小さな人間がいて初めて、あなたは惑星を食べる巨人でいられるのよ」
「そ……それは……」
香はその反応に、満足げにほほ笑む。やはり葵はもう手遅れだ。巨大化と興奮が完全に紐づいてしまっている。まさに香の望んだ、香好みの女の子だ。
それをあらためて確信すると、香は葵と同じ大きさにまで巨大化し、彼女を優しく抱き寄せた。
「うぅ……こんなに何もないとこで興奮させて……責任、とってよね」
香の腕の中で、葵が恥ずかしそうにもごもごとささやく。どうせ今この太陽系には、葵と香以外の人間なんていないのに。
「そうね。精一杯、バレンタインを楽しみましょうか」
香は葵の手を引いて、太陽系惑星食べ放題の旅に出るのであった。
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今回も掌編をレヴァリエさんに書いていただきました。
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