「香み~けっ!」
学校の校門脇。創立者の胸像を抱きかかえるようにして立っている女の子の石像。それを指さして俺は叫んだ。
石像はうんともんすんとも言わなかったが、俺は拳で突いて、追撃した。
「おいっ」
するとようやく観念し、石像が徐々に色づき出した。硬くツルツルした石の造形が、生気に満ちた人間の表皮に塗り替わっていく。数秒で石像は生きた人間の女の子に変わり、胸像から手を放して降りてきた。
「見つからないと思ったのになあ」
「見つかるに決まってんだろ」
俺は香の手を握り、先に見つけたやつのところへ連行した。
香は小二の時近所に引っ越してきて、それ以来よく一緒に遊んでいた。他の女子と違うユニークなやつだったので、面白くて目をつけたのだ。初めてあいつの能力を目にした時はそりゃもう驚いた。そう、転校生・石田香は能力者だった。石になることができるのだ。彼女はいつでも任意に、自分の全身を石化させることができた。かくれんぼで石像の中に混ざる芸を初披露された時は最後まで見つけられなかったし、だるまさんが転んだでは無敗を誇った。当時、俺も実は自分にも何か能力があるのではないかと思ったが、残念ながら俺は今日に至るまで凡人である。
香とは男女でグループがわかれていく年齢になっても、変わらず一緒につるんでいた。自分の能力を使いたがるあいつの性格と、俺の悪戯好きがマッチした。小学校の七不思議のひとつ、夜に現れる生きた石像の正体はあいつである。俺がプロデュースした。中学でも、町にも、新たな怪談を作っては遊んでいた。美術室で石化してドッキリとかもしかけた。
付き合いが続いた理由はもう一つ。俺の両親が半分趣味でやってる喫茶店。香はそこで飾られる遊びをしていたからだ。気軽に石像になれる場所というのは限られている。あいつの自宅は古いし狭いしで、あまり石化するには向いてないらしい。床が抜けるからやめろと叱られるので、最終的にうちの店に落ち着いた。店の奥の壁際に、二つの観葉植物で挟まれた石の台座がある。上には何も載っていない。空の台座って案外みないので、初見のお客さんなどはよく見つめている。一番興味を引くのは、あいつがそこで石化している時だが。
「ただいまー」
高校になった今も、香の石化場所としてうちは使われ続けている。俺はあえて喫茶店のドアから帰宅することが多い。あいつがいるかもしれないからだ。
今日はいる日だった。メイド服を来た女性高生の石像が、観葉植物に挟まれ、優しい照明にてらされ存在感を醸している。この石像目当てでうちに通うお客さんもいる。すっかり看板娘である。よその子のくせして。まあ、気持ちはわかる。そんじょそこらの石像とは比較にならないクオリティだからな。生きた人間がそのまま石になっているんだから当然だが。リアルかつ精緻で、生きた迫力に満ちた像は、うちの店の口コミでもよく言及される。これ見るためだけに来店する価値ありと。コーヒー評価してほしいが。
部屋で宿題を終えてから店の方を覗くと、人間に戻った香が親と談笑していた。
「おかえり俊樹ー」
メイド服のまま俺を見て香は言った。
「ここお前ん家じゃねえぞ」
「いいじゃん別に」
やれやれ。うちの両親とはすっかり仲良しだから始末が悪い。高校生になってからは石像以外に普通のバイトとしてもうちに来ている。
香は俺にコーヒーを淹れた後、また台座の上に戻った。まるでアイドルみたいなポーズをしてから、俺の方を見ながら全身が灰色に染まっていった。石の塊になったあいつは、もうピクリともしない。さっきまで生きて動いていたのが嘘みたいだ。
幼馴染が自分の家で石になって飾られているという、ちょっと普通じゃ考えられない状況だが、俺にとってはすっかり日常風景である。俺はあいつを視界の端に捉えながら、静かにコーヒーを飲みほした。
なんであいつがこんなことをやっているのかだが、始まりは割と単純な動機で、男の俺にも……いや男だからこそわかる理由だった。見せびらかしたい。普通の人間にない異能をもって生まれたのだ。できれば使ってみたいし、人にも見せたいというのはよくわかる。もっとも、自分が石化するだけじゃ、バトルや人助けには役に立たない外れ能力だが……。悪戯か、あるいはこうして飾られているしか使い道はないので、自然とこうなった。小さいころ、石になっている間苦しくないのか疑問に思って尋ねたことがある。あいつ曰く動けないのは困るけど、意外と苦しくもないらしい。何故なら全身が一塊の石に変わっているからだ。そう、香の能力は厳密には石化ではない。石像になる能力といった方が正しいだろう。人間の体の構造そのままに素材が石に置換されるわけではないのだ。髪の毛は一本一本独立せず、彫刻やフィギュアと同じように、髪っぽく見えるよう表面が彫られただけの状態になっているし、身体と服も一体化して隙間は同じ石材で埋まっている。そう、あいつの石化は自分の身に着けている服とかアクセサリーとか、手に持っている鞄とか傘とかも巻き込む。手を繋いでいる他人とか動物とかは石化できない。まあ、常識的な感覚でいうとこの「自分」を石化するのだろう。
普通、人間をガチガチに拘束したり病気で寝たきりになったりしたら苦しいはずだが、そういうわけで今のあいつは骨も筋肉も最初からもっていない、あのポーズで掘り出された一つの石材である。だから動けなくても苦しいとは感じないらしい。動くという概念そのものが体から無くなっているのだ。そんな状態にも関わらず意識と五感はあるのだから、魔法としか言いようがないな。
半ば強制的にぼーっとしていられる分、むしろリフレッシュできるとはあいつの談である。本当かね。
そんなわけで、香は小五のころからうちの店でちょいちょい石像になって飾られているようになった。女子としては当然、可愛い姿で石化したいらしく、普段じゃ着ないような服をよく着ている。今日みたいにメイド服とか、なんかフリフリの服とか。普通の服じゃない理由。石化すると色や柄は無意味になるから、形状が大事だと奴は言う。確かに石化したフリルは綺麗で、目を見張ることもある。あまり接近してジロジロ見るとあとでからかわれるから横目で見るだけだが。
俺はあいつが人間に戻るのを待たず、部屋に戻った。あいつがうちの店で石像になっているのはいつものことであり、注目すべきようなことではないからだ。特にメイド服は頻度多いから見飽きてるし。
そんなわけで、俺の幼馴染は、うちの石像でもあった。高校生になっても変わらず続く、俺の日常である。
とはいえ、流石に高校生ともなると、いつまでも小学生みたいな間柄でもいられない。香はすっかり女らしく成長したし、俺も男になった。互いに意識していた。……と思う。香は俺が他の女子とどっか出かけたりすると不機嫌になった。彼女でもないくせに。まあ俺も誰それが石田さん狙いらしいよと聞くとソワソワして落ち着かなくなるのだが……。
香は俺がいないとこで外野から冷やかされたりからかわれたりすると違う違う、そんなんじゃないって~と否定するらしいのだが、俺と一緒にいる時に彼女扱いされると特に否定しない。俺が否定すると不機嫌になる。そのくせたまに攻めてみると、石像になって逃げる。
「聞いたんだけどさ、お前、俺と付き合ってるって土田さんに言ったらしいじゃん」
「へっ!?」
香が顔を見る間に赤くして、俺を見上げてから、顔を逸らした。
「何で?」
「いやっ、それはまあ、なんか話の流れっていうか、冗談……」
しどろもどろになりながら、香は顔をさらに熟れさせた。顔を逸らした先に回り込むと、反対方向に逸らして下を向いた。
「……」
そして最終的に、黙ってそのまま全身を灰色に塗りつぶした。
「あっお前!」
おいおい、こんなところで石化するやつがあるか。自転車置き場の脇に突如出現した石像は、他の生徒たちの注目の的だった。
(くっそー……)
こうなるとお手上げだ。詰問続けるわけにも、放置して帰るわけにもいかない。ズルい奴。意識があるとわかっていても、石像に話しかけるのって正気度削れるんだよな。
「わかったわーった、もういいって」
一分くらいすると、石像に命が宿り始めた。地球上に二つとない出来栄えの石像は、その辺にいる女子高生に早変わり。
「じゃー、帰ろ」
まだ少し顔を赤らめているし照れが残っているが、勝手に土田さんを牽制した件はこれでお終いとなった。はぁ。
綱引きしている間に三年間は過ぎゆき、結局明確に恋人関係になることなく、でも恋人みたいに二人でどっか出かけたり部屋で遊んだりはしながら、受験シーズンを迎えた。俺は結構高めの目標に挑むつもりでヒーコラいっていたが、香は地元の大学を受けるつもりだったので割と気楽にやっていた。俺と違い余裕があったので、年末に友達とスキーに行くのを誰も止めなかった。あとで死ぬほど後悔することになるとは、夢にも思わなかった。
スキー場近くで起きた雪崩に巻き込まれ、香は帰ってこなかった。救出された生存者の中に香がいないと知った時、全身の血の気が引いたのをよく覚えている。俺が石像にでもなってしまったかのように、しばらく動くことができなかった。
巷でいうところの限界である72時間が過ぎても、香は救出されなかった。だが、一縷の望みはあった。何故なら遺体も出てこないからだ。石田家、俺、俺の親、全員が同じことを考え……いや、祈っていた。香は石像になって耐えているはずだ、と。
現地で香の両親が娘には石化能力があるんですと訴えはしたらしいが、まあ真面目に取り合ってはもらえなかった。雪崩の下から石像が出てくることもなく、香は行方不明になったまま、最終的に捜索は打ち切られてしまった。
香がいなくなった日々のことはよく思い出せない。何もかもが猛スピードで過ぎていったような気がする。ただ、空の台座を見るたびに心がうずいた。逃げるようにして受験勉強に没頭しながら、俺は件のスキー場から石像が発見されるニュースを待った。生きているとしたら可能性はそれしかない。いや生きているはずだ。香が死ぬはずはない。これからもずっと一緒だと思っていた……。
大学受験本番は、驚くほど落ち着き、よくできた。共通テストも二次も、頭がすっきりしてよく冴えた。香を言い訳にして失敗してはいけないという思いと、何故か受験に成功すれば香が帰ってくるのではないかという、祈りにも似たよくわからない妄執が俺の中でずっと渦巻いていた。
俺たちを哀れんだ天がそれを聞き届けたのか、第一志望である東京の大学に合格し、スキー場が雪解けした時、香は発見された。遺体ではない。生きて帰ってきたのだ。やはり石像になることで、香は凍死も圧死も餓死も免れ、数か月を雪の下で生き延びたのだ。東京から地元に帰り香の顔を見た時は、俺も生き返ったような気分だった。
しかし香が帰ってきても、これで何もかも元通り平穏な日々が帰ってきたかと言うと、そうもならなかった。別に受験できなかったから香が浪人しないといけないとか、そういうくだらない話ではない。香は石像になってしまった。どういうことかと言うと、人間でい続けることができなくなったのだ。石化を解いても、本人の意思と無関係に能力が発動し、またすぐ石像になってしまう。そういう状態になってしまった。何か月もぶっ続けで石化していたのが悪かったのか、或いは「石化を解いたら死ぬ」という状況で何か月も一人、雪の下に埋もれていたトラウマか、原因はわからない。両方かもしれない。香は数分しか人間でいることができず、24時間のほとんどを石化して過ごさなければならなくなった。
両家話し合いの結果、本人の意向もあり、香は俺の実家の喫茶店に飾られることになった。石田家だと床が抜けるし本人も気が滅入るばかりだろう、ということで慣れ親しんだ我が家の定位置で香は本当の石像となった。
前期が終わると、俺はすぐに帰省した。香はいつもの場所に、高校時代のように飾られてはいたが、布面積の多い可愛らしい服装とは対照的に、どこか怯えたような、寂しげな表情で石化していた。俺の顔を見るとすぐ人間になって抱き着いてきた。
「ただいま……」
俺はそう言って香を抱き返したが、すぐに突き返された。このまま石化したら迷惑だから、と。香は台座に戻って座り込み、覇気のない笑顔を俺に向けながら、また石になってしまった。
話に聞いていた通り、香が動けるのは数分だけだった。すぐ再石化してしまう。コントロールできないらしい。受験どころじゃないな、これじゃ……。高校時代に、冗談で話していたことがある。もしも石になったまま戻れなくなったらどうするか、と……。「大事にしてね」と笑っていた香。あの冗談がもう冗談じゃなくなっている。治す方法はないのだろうか。もし治らなかったら、本当に香は実質ただの石像として、うちの飾りとなるのだろうか……。
しかし、夏休みの間、香と接しているうちに、徐々に人間でいられる時間が伸びてきた。一時的なもので、このまま元に戻れるのではと全員楽観ムードになったが、俺が東京に戻ると伸びた時間がゼロになったという知らせが届いた。
「なんでだよ、夏いた時は三十分くらいいけただろ」
「それが、また数分が限界に戻ってしまって……。それでな、俊樹。石田さんたちと相談したんだが……」
数日後、俺の部屋に香がやってきた。いや、届いた。石像……物品扱いで。体育座りで顔をうずめた姿勢で、丁寧に梱包された香が。マジかよ……。いや。こうなることは何となく察していた。だから俺は、でかい石像を置いても大丈夫な物件を選んだのだ。生還した香が東京に遊びに来た時のことを考えて……。
トラウマが原因だとするのなら、安心感が必要だ。人間になっても死なないという実感が。で、俺がそれを与えろというわけだ。
体育座りしていた香が人間に戻った。ちょっと照れ臭い沈黙のあと、用意していた服に着替えてもらった。流行りの、普通の服……のつもりなんだが、向こうが妙に恥ずかしがるので、俺にもそれが伝染した。
「あはは。似合うかな~これ」
「ああ。似合う似合う。綺麗だぞ」
香は頬を染め、はにかみながら石化した。……部屋のど真ん中で石化されると困るな。
そうして、奇妙な同居が始まった。台座はないため、部屋の角で石化してもらうことにした。朝起きて大学に行くまで、数分間だけ香が人間に戻る。再石化する直前にいってらっしゃいと言って部屋の角に退避する様は、少し切ない。もう少し自由にさせてやりたいが、夏の間はどうしていたっけか……。
大学で安心感を与えるにはハグが良いと聞いた俺は、実践してみることにした。香は提案に対し、「え、えぇ~」と顔を赤くして少し抵抗感をみせたが、じゃあやめるかと言うと「……やって」と小声で呟いた。
ハグはかなり効果があった。最初は俺の腕の中で冷たい石に変わっていくのに、俺が恐怖を覚えるくらいだったが、徐々に人間でいられる時間が伸びていった。ハグ以外のスキンシップも取り入れ、俺たちはかなりイチャイチャするようになっていき、それに比例して人間タイムはさらに伸びた。
俺が留守でも数十分くらい人間でいられるようになり、掃除や洗濯をやってくれるようになったのでかなり生活が助かった。お互い口にしなかったが、なんか結婚したみたいで楽しい日々だった。帰った時は石像状態で無言だが……。
そんなこんなで、石像彼女との同棲大学生活が始まり、一年ほどで香はほぼ自由になった。家に帰っても石像ではなく、人間の香が出迎えてくれる。幸せだった。
ただ、問題解決とはいかず。香が自由なのは家の中だけで、外に出るとたちまち石化してしまうのだ。家の中に運び込むのがもう、死ぬほど大変なので、家の中ほどスムーズに実験や挑戦も進まない。二年経ってもこの問題は解決せず、どうも限界らしいと悟らざるを得なかった。香は家の中でだけ人間でいられるが、外に出ると石像になってしまう。引きこもって暮らすには問題ないが、それじゃなあ……。
でも、自分でも恥ずかしくなるぐらい俺たちは現状イチャイチャしている。治療のためという大義名分が俺たちのブレーキを破壊していたからだ。世の大半の新婚より甘々している自信がある。なのにこれ以上進まないのか。他のやり方が必要なのか。
(ん? 待て。新婚……)
満足いく内定を取った後、俺は香にプロポーズした。最後の賭けだった。香はこんな自分でいいのかと泣いた。俺は彼女を抱きしめ、構わないと誓った。たとえ一生石像だろうと、いい。
式は身内だけ……といっても、スタッフの人たちには死ぬほど困惑された。花嫁と称してウェディングドレスを着た女性の石像が運び込まれたら、そりゃな。無理もないだろう。
「えー……このモノを妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「誓います」
神父さんは、もう露骨に香をチラチラ見ている。頭おかしいと思われてるだろうな。説明は通しているんだが。
「……夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「……」
香は少し上を見上げたまま、眉一つ動かさない。神父さんはだいぶ疲れてるように見えた。石像に話しかけるのって妙に精神削られますよね、わかります。
「では、誓いのキスを……」
俺は香の前に回り、口づけした。冷たい、石のヒンヤリした感触。ザラつきのない、とても滑らかでツルツルした硬い石の唇。離れかけた瞬間、ふと体温を感じた。唇から徐々に灰色が抜け落ちていく。石の身体全体に波紋が広がり、顔が、髪が、ケープが、ふさわしい色合いに染め上げられていく。灰色一色だったドレスが純白を取り戻し、さっきまで石像だった花嫁は、生きた花嫁に大変身した。
どよめきがスタッフたちの間に広がっていく。互いの両親の拍手を背景に、俺は人間の香と、再度唇を重ねた。