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目覚めたらドールハウス2

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9日目

今日も我がマスターさんは午前中ほとんど家にいるようだった。二日連続で休みということは、土日? 今日は日曜なんだろうか。いや職種にもよるかな。自力で脱出を図るのならば、彼の行動パターンを把握することは不可欠。今後は真面目にあの巨人の生態を考察していく必要がありそう。

午前中はずっとパジャマ姿のまま、私はいかにも寝ぼけているかのような表情を取り繕って応対した。午後からどうしよう。また彼を喜ばせるような服を着ないといけないんだろうか。昨日はメイド服を着てあげたけど、今日はうーん、どうしよう。またメイド服だとガッカリされるかな……。気に入った感出せばいける? いやそれだと今後ずっとメイド服固定パターン入るかもしれない。かといって、他の衣装はもっと恥ずかしいものばかりだし。人を拉致監禁するような男のために、どピンクの魔法少女コスプレをするのも、ねえ……?

時計の針が十二時を指す頃、私はベッドに並べた衣装を前に、次に着る服に悩んでいた。魔法少女とロリータ系列は嫌だ、となると……チアかアイドル衣装か。それとも、唯一の「私服」に手を出すか。引き出しの中で一種類だけ「衣装」ではない服がある。パステルカラーのピチピチとしたシャツにスカート。小学生ぐらいの子が着るような服……。やっぱりマスターさんはロリコンか。流石に今年二十五になる身としては、これを着るのは憚られる。まあ可愛いっちゃ可愛いけど。もう自分が着ていい服じゃないよ。

ウンウン唸っていると、天井が外れた。私はカーペットに座って並べた服を見下ろしたまま、全身が固められてしまった。彼の顔すら見えない。

「おっと、ごめんね」

短い、ぽわぽわした発砲音が頭上で響く。天井が被せられる。体の自由が復活すると、私は力なく床に倒れ込んだ。見られちゃったかぁ、服で悩んでるところを……。午後には絶対どれか着てあげないといけない展開だ。全身に疲労感が溢れる。同時に、悔しくてたまらない。彼はきっとこう解釈したに違いない。彼女はそれにここでの生活を、そしてこれらの服を彼のために着てあげることを楽しんでいる、と……。

(……絶対、許さない……)

悩んだ末、私は「女児服」に袖を通した。これ以上ノリノリだと勘違いされるのは自尊心が許さない。だからアイドル衣装だとか魔法少女のコスチュームだとかには手が出せなかった。

鏡の前に立つのは勇気が要ったが、思いのほか痛々しい仕上がりではなかった。デフォルメされた顔、常に修正状態みたいな綺麗すぎる肌、そしてアニメみたいなピンク色の髪。素直に可愛いと思ってしまえるような女の子のフィギュアが映っていた。とりあえずホッとした。いやしていいの? 安堵する気持ちと惨めに思う気持ちがせめぎあう。もし私が人形になってなかったら。元の二十五歳のまま縮められてここに監禁されていたら大惨事だったろうな。同じ服を着た本来の自分を想像し、私は惨めな思いの方を強くした。でもなんだろこの顔。絶対に本当の私じゃないんだけど、でもパッと見で何となく「自分だ」と思えるようなところがある。……私の顔を思いっきり美化してアニメっぽく描いたらこんな感じの顔になるだろうか?

三時頃、マスターさんがドールハウスに接近する気配を感じ、私はベッドに腰を下ろして顔を上げた。天井が外され、巨大な顔が私を覗く。やはりモザイクがかかっていて彼の顔はわからない。

「それにしたんだ。いいね、似合ってるよ」

ポワンバァンという発砲音が鳴る。彼が何か言っている。でも空気の振動としてしか聞き取れない。彼の言葉が言葉として伝わってこない。昨日何度も観察されたからだろうか、一週間の成果か……。彼が何を思っているのか、次第にわかるようになってきた。モザイク越しとはいえ表情が動いていることはわかる。そしてモザイクのかかっていない首から下の動きとで、何となく全体的な空気は感じ取れる。好感触だったようだ。天井が戻され、彼の視線から外れた私は自由を取り戻す。何とか今日は乗り切った。でも明日からはどうしよう。そのさらに明日、その次……。これから一生こうやって彼のペットとして生きていくんだろうか。上機嫌な彼と裏腹に、私はいたく落ち込んだ。

10日目

起きた時には十時ごろ。マスターさんの気配はない。仕事かな。やはり昨日までは土日で、今日は月曜か。嫌だったなあ、月曜。大した給料もでないのに夜遅くまで働かされて。また仕事だと思うと全身がけだるくて。まあ、土日もあっという間に過ぎ去って休めた記憶あんまりないけど。こんな時間までぐっすり寝られる生活なんていつぶりだろう。……いや、決してここの生活が良いとは思ってないけど!

しかし彼がいないと打って変わって暇になる。彼のためにお着換えしてあげる必要がないからだ。でも帰宅時間にはまた何か着てあげないといけないのかな。とりあえずそれまでは自由時間だ。

私は意味もなくドールハウスの中を歩き回った。本当に何の意味もなかった。ここには何もない。ネットもテレビも、本さえも。一人で漠然と時が過ぎるのを待つだけだ。脱出の糸口をつかもうにも、やっぱり出入り口は天井しかないし、私はそこまで手が届かないし。口紅を足場にしてもジャンプでギリギリ手が触れる程度だったな。テーブルは学習机より大きいから載せられないし。他に動かせる家具はないから、どうしようもない。

無意味だとわかっていながら、ドアの取っ手を回そうとしたり、窓をつついたりした後、私はベッドに腰かけた。

(はぁ……)

何かないのかなあ。なんもないや。やることやれることが。テレビぐらい置いといてくれてもよくない? ……なんか、ここで暮らしたがってるみたいでヤだな。娯楽やタスクを求めるの。

まあ、ないことはない。娯楽兼タスクのつもりであろう、お着換えが。私は引き出しを開き、昨日着てしまった女児服を取り出した。もっと奥にあるコスプレ衣装たちを覗き込む。……うーん、思い出すと頭を抱えてのたうち回りたくなってくる。何で昨日の私はこんな恥ずかしい格好を……。冷静に振り返ってみるとゴスロリとかの方がマシな気がしてきた。

でもやってしまったものは仕方がない。私は引き出しを限界まで開け、奥の服もチェックし、今後どうしていくべきか考えた。同時に、なんで私がお着換えのことで悩まなくちゃいけないんだ、と怒りも湧く。結局マスターさん、誘拐犯の思い通りに動こうとしている自分が情けなかったし、悔しかった。でも露骨に反抗してもいい結果に結びつくことはないだろう……。

魔法少女とかアイドルとかロリータとか、あまりに豪華な服を着るのは憚られた。捨てきれない意地がある。かといって女児服も……うーん。

答えの出ないアホのような問題に苛まれながら、私は床とベッドを行き来するだけの無為な時間を過ごした。気づけばもう午後六時。まだピンクのゆったりしたパジャマのままだ。どうしよう。その時フッと、頭が自己正当化のため理屈を捏ねた。

(今日はこのままでもいいんじゃない?)

二日連続で着替えてあげたんだから、一日くらい休んでも……パジャマ姿のままでも、急に殺されたりはしないでしょ。きっと。多分。

(そうだ)

名案が浮かんだ。床に服を色々並べておこう。「悩んだが、決められなかった」「昼間に着て遊んだあと」みたいな感じに受け取ってもらえるかもしれない。

再び引き出しを限界まで開け、ガッとレールがストッパーに引っかかった瞬間。私の頭に電流が走った。

(……これ、外せる?)

引き出し自体……枠、箱は床に接着されていて動かない。でも、この引き出し単品は? こうして動く、出し入れできるってことは……いけるんじゃないの? 取り外せる? もしも外せたら? 私は顔を真上に向けて、ドールハウスの天井を眺めた。

引き出しの底と側面にそれぞれ手を回し、私はガチャガチャと上下左右に動かしながら引っ張った。感触は良かった。レールから外せばこの引き出しは自由になる。なにか絶対外せないような仕組みがあるようには感じない。普通の……いや、小さいせいか普通より単純で簡素な作りだ。ミニチュアサイズの家具にそこまで凝った仕掛けを施せるわけない。

(あっ)

数分もしないうちに、道が開けた。外れた。レールから。そっと引っ張り出すと、解き放たれた引き出しが奥までその全身を露出した。いっぱいに詰まった衣装が一望できる。心臓……あるかないかもわからない心臓が鼓動を早める。いけるかもしれない。ここから出られるかもしれない。絶たれたはずの希望が今、また蘇った。

にわかに神経が研ぎ澄まされ、周囲の物音や気配が気になって仕方なくなった。大丈夫? 誰もいない? 彼は? マスターさんはいない?

時計を見る。既に午後の六時を過ぎている。帰ってきてもおかしくはない。だったら……。うん、焦る必要はない、はず。天井を外そうとしている真っ最中に彼が帰ってきたりしたら最悪だ。それだけは絶対に避けないといけない。

私は引き出しを元に戻そうと押し込んだ。入らなかったらまずいな……。早くしないと。

数分の格闘の後、何とか元通り引き出しをレールにはめることに成功。ドールハウスは何事もなかったかのように静まり返った。

さらに十数分後、マスターさんが帰宅。私は急いでベッドに寝転がった。今日はうん、遊び疲れて寝ているということにしよう。

天井がガパッと外され、マスターさんの視線を背中で感じた瞬間、全身が寝ころんだまま硬化した。どうだろ。彼は少し息をもらして、静かに天井を被せた。失望のため息ではない。まさしくお昼寝中の幼児を見たかのような、笑いを含んだ温かみのある息だった。どうやら上手くいったみたい。今後はずっとこれで……というわけにもいかないか。ま、ちょくちょくなら。

11日目

目覚めてからずっと、私はドアの絵が描かれた壁に体をピタリくっつけ、彼が不在であることを確認し続けた。家の中、つまりドールハウスの外側からは何の生活音も聞こえてこない。振動もない。時間は朝の九時過ぎ。マスターさんは仕事にいった、家にいない、そう結論付けてよさそうだ。

今からならば、時間は充分。私はベッド下の引き出しを引っ張り出し、中の衣装を全て取り出した。空になった引き出しをよいしょと持ち上げ、学習机の上に乗せる。幅が結構ギリギリだったけど、何とか机からはみ出ることなく収まった。これなら土台として安定するはず。

(よし!)

思った通り。いい嵩上げになってくれた。まだ時計は十二時にもなっていない。大丈夫。

今度は机の脇にある口紅を持ち上げ、机上、いやその上の引き出しに乗せる作業だった。これが結構大変。今の私にとってこの口紅はちょっとした丸太みたいなサイズ感。嵩上げした机上に乗せるにはちょっと頑張らないといけなかった。膝などで支えつつ持ち手を下の方にずらし、うんしょと高く持ち上げ、引き出しの上に設置する。ふう。次は私だ。

ランドセルを踏み台にして引き出しの上に登った私は、体重を預けるには不安な口紅を眺めた。いよいよ……いよいよだ。

前回同様、学習机の棚を足掛かりに私は口紅のキャップに両足を乗っけて、倒れないよう慎重に、重心を口紅の上空に移動させた。よし。あとは壁から手を離せば……。

そうして私は、遂に口紅の上に座り込んだ。グラグラする。怖い。床から高いし。でもいよいよだ。あとは立ち上がるだけで、間違いなく天井に手が届く。

そーっとそーっと、口紅が倒れないよう気をつけながら立ち上がる。中腰の段階で視線を上げると、もう天井は目の前だった。手を伸ばせば届く距離に。心臓がドキッと跳ねた。いける。いって……いって大丈夫? 本当にいいの? このままドールハウスから出ちゃっても? 不安が胸の中で急速に広がっていく。まだ早いんじゃないの? 他にやるべきことは? 準備はいらない?

そっと右手を掲げ、天井に伸ばした。小さな五本の指が天井を捉える。私は息を呑んだ。あとちょっと。このまま右手をもう少し上げたら……。

緊張しながら、私は左手も天井につけて、ゆっくりと持ち上げた。ロックはなかった。やはり天井は被せただけの構造で、いとも簡単に動いた。外せる――。

瞬間、私は両手を天井から離し、しゃがみ込んだ。恐怖が心臓を打つ。勇気が出なかった。出ない。出せないよ。口紅の上で小さく縮こまったまま、私は震えていた。

天井に手は届いた。勢いよくバンと持ち上げてしまえば必ず外せただろう。外にも出れた。

でも、その後は? どうなるわけ? ドールハウスから脱出して、それで……。今度はマスターさんの家から脱出しなくてはならない、よね? どうやって彼の部屋から家から逃げ出すわけ? 十倍スケールの、巨人の家を。ドアノブに手は届く? 無理だ。足場になりそうなものを動かせる? 見つけられる? 重い玄関の扉を今の私の力で開けられる? 絶対に無理だ。

窓から逃げようにも同じ問題が立ちふさがる。窓に上れるか、窓の鍵を動かせるか。ドールハウスからの逃亡が現実味を帯びた瞬間、今まで考えもしなかった次の障害たちが恐ろしい敵となって私の心を襲う。どうすればいいの? 対策なんてわからない。だって、外に出たことないんだもん。マスターさんの部屋が家が、どういう構造になっているのか、どこに何があるのか、サーッパリ何もわからない。全てぶっつけ本番になる。

しかも、悠長に考えている暇もない。一度ドールハウスから出てしまったら、もう二度と戻ることはできない。何故なら、天井を外すことはできても、何事もなかったかのように元通り被せることは今の私には不可能だからだ。天井を外してしまったが最後、私は絶対に必ずその日のうちにマスターさんの家から脱出しなくてはならない。だってドールハウスの外で見つかったら、それは……もう絶対に確実に、「逃げようとした」証拠、現行犯になる。何をされるかわからない。ていうか、彼の視界に入った瞬間に全身がカチンコチンになって動けなくなるんだから、即アウトだ。見つからなければいい? でも私には勝手を知らない巨人の家でぶっつけ本番の生死を賭けたかくれんぼをやる勇気なんかない。酷い目に遭わされるか、最悪殺されるかもしれない。万が一お咎めなしでドールハウスに戻されても、口紅没収されて引き出しをクローゼットか何かに更新されたら一巻の終わりだし、これ意外に脱出ルートがあるようには思えない……。

何時間も、私は口紅の上にしゃがみ込んだまま葛藤した。逃げるなら早いうちに。でもそうしたら後戻りはできない。自分は逃げずに外部へ通報だけして戻ることはできない? 無理だ。「魔法で人形にされてドールハウスに監禁されているんです、助けてください」なんてメッセージを信じる人間がいるとは思えない。例え動画を送れても無意味だろう。私は私自身を、生きた人形という証拠品を持って逃げ出さなければ助からない……。

気づけば時計は三時近くを指していた。私は驚いた。そんなにも長い間、私はグズグズと逃げ出す決心ができずに悩んでいたんだ。

(今からじゃもう間に合わない。そうだよね? だからしょうがないよね?)

私は口紅から降りた。口紅を小突き、床に落とす。胸がモヤモヤする。やっぱり逃げるべきだったんじゃないの? いやでも無謀過ぎない? もうちょっと情報収集して準備出来てからの方が。でもどうやって? 今後もずっとドールハウスの中で飼われるだけなら、マスターさんの家の構造がわかるチャンスなんてない。

(でも……でも)

私は落胆しながら、引き出しも床に落とし、衣装をしまい始めた。体は逃げ出さないことに決めたらしい。私の心もそれに従うことにした。別にタイムリミットがあるわけじゃないし、今のところは暴力とかもないから、慌てる必要はない。だよね?

引き出しを元通り閉めた時、涙がこぼれ落ちた。ああ、私はまだ泣けたんだ。今日、逃亡を決行しなかったことを私は後悔している。でも、安堵してもいる。少なくとも安全に、生きて明日を迎えられる選択をしたんだ……。

その日の晩、私はメイド服を着てマスターさんを出迎えた。彼はいつも通り朗らかな空気で私を鑑賞した。私は指一本動かせない身体の中で、上手く言葉にできない鬱屈とした気持ちを抱えていた。何となく居心地も悪く、私はマスターさんの顔が見えないように、視線を落としたまま静かに固まっていた。

12日目

朝早く目が覚めたので、今日は出勤前にドールハウスを覗いていくマスターさんの姿を見れた。私はパジャマ姿で停止し、彼のモザイク顔をジッと眺めることになった。なんで昨日は顔を見れなかったんだろう。彼の嬉しそうなオーラにあてられると、何だか申し訳なくなってきた。こんな私がここにいていいんだろうか。逃げようとした私が。

天井が被せられ体が自由になると、私はベッドに戻り、頭から布団を被った。……なんで私が罪悪感を抱いてるんだろう。そもそも私を攫って人形にして監禁したのあの人じゃん、全部あいつが悪いはずでしょ。私はどうしたって何やったって自由なはず……。

布団の隙間から、床に倒れたままの口紅を覗く。ああ、元通りにしてなかった。でもいいか。どうでも……。

今日は逃げるの? 逃げないよ。どうして? どうしってって……。別に昨日と状況変わらないし。今後も変わらないんじゃないの? 永久にここで彼のお人形になっているつもり?

(なんだっていいでしょ!)

私は布団の中で丸まり、時間が過ぎるのを待った。ドールハウスどころか、布団からさえも外に出ることができず。

昼を過ぎると、ようやく布団から出て口紅に近づいた。床に転がっている口紅を立て直し、壁際に飾る。今日はもういいよね。今から逃げても逃走時間が確保できないし。うん。

何も起こらず、何もやることのない時間が静かに過ぎていく。本当にいいのかな。でも、確実に逃げられるかわからないんだから、しょうがないよね? やっぱりもうちょっと様子を見てもいいかもしれない。きっとその方がいい。

私は意味もなくドールハウスの中をウロウロした。食事の楽しみすらない生活。でも食べなくても生きていけるっていうのは本当に楽でもある。働かなくてもいいし。……そういえばここから逃げて元に戻れたら、また働かないといけないのか。何だか信じられない気分だった。ほんの二週間前まで当たり前だったことが遠い遠い世界のことに思える。私はなんであんなにあくせくと酷い会社に身をやつしていたんだろう。ろくに自分の時間もとれない生活をずっと続けていた。今は自由だ。日中ずっと何をしてもいい。全部自分の時間。

(いや、違うよ)

自由なわけないじゃない。監禁されてここから出られないんだから。……そりゃそうだよ、わかってるよそんなこと。でも私には、元の生活よりはここにいる今の方が自由でいられているような気がしてしまう。逃走が現実的な話になってきたからだろうか。気づかないうちに私は逃走後、つまり元の生活に戻るとどうなるか、ということを今の人形生活と天秤にかけ始めている。それを察した時、私は物悲しくなった。逃げなかった、逃げないでいる、ということは……私はこのドールハウスで暮らす方がマシだと思っている、ってこと……なのかな。でもダメだよ。知らない人に監禁されている方がいいなんてあっちゃダメで、ありえないことなのに。とはいえ私の体はいつまで経っても口紅を机上に運ぼうとはせず、ドールハウスの中でぼんやりとしているだけだった。

13日目

(昨日も逃げなかったなあ)

寝ぼけたまま固まり、マスターさんに見下ろされながら昨日の反省をした。今日はどうしよう。でも昨日と今日とで別に状況が違ったわけでもない。天井が閉じて自由になっても、私は動き出すことなく二度寝した。

昼前。ベッドから降りて引き出しを開ける。何でもいいから、昨日とは違うことがしたかった。でもこのドールハウスの中でやれることは一つしかない。着替えることだ。でもまともな服は一着もないし、これらの服を着るということはマスターさんの好みに合わせてあげるということでもある。彼に屈服するようで嫌だけど、ただ何もしないまま無気力な日々が過ぎていくことにも耐えられそうにない。

メイド服と女児服には袖を通した。あと残るはフリフリ衣装たち。しかし抵抗があった。やっぱりこう、年齢的に……。あとマスターさんからロリコン臭を感じる。けど衣装はどれも丁寧な作りで、ちゃんと服になっているのがすごい。人形用の粗雑な服じゃない。生きた人間が、私が着ることを前提に作られている。気持ち悪いのはそうだけど、凄いことなのも間違いない。手間暇かかってる。お金もかけたかな。私のために。……いや、私は頼んでないけどね。向こうが一方的にやってることだから、感謝なんて抱いてはいけない。うん。そもそも拉致監禁だし!

魔法少女のコスプレをする気にはなれなかった。パステルカラーの子供部屋で魔法少女のコスプレに興じる二十五歳、それは流石に超えたくない一線だった。いつか超えることになるんだろうか。恐ろしい。ずっとここで暮らしていたら、いつかその日が来てしまうんだろうか。想像できないけど。

第三の衣装として私がセレクトしたのはチアリーダーだった。ピンクを基調に白のラインが入ったチア衣装。そして手に持つアレ、名前知らないけど……ポンポンが二つ用意されている。

パジャマを脱いでチアに着替えた私は、例によって鏡の前に立って確認した。髪から服までまっピンク。頬もピンクに染まる。こんな格好したの生まれて初めてだ。何をやってんの私は。でもまあ……可愛くない? 元の私なら痛いコスプレおばさんかもしれないけど、アニメキャラみたいなフィギュアになっている今の私にはこの衣装もそれほど……それほどは……まあ。

両手にポンポンを持つと、さらに気恥ずかしくなった。そしてベッドに突っ伏して悶える。何で逃走はしないのにコスプレはやってんの。……でも他にやることないし。

気を静めてから、再度鏡の前に立つ。うー、やっぱり恥ずかしい。いい歳して何やってんだって思いがずっと心の中で自分を責め続ける。ましてや、誘拐されて監禁されているというこの状況下で。逃げることも不可能ではないはずなのに。他にやるべきことがあるはず。わかってる。わかってるけど……。

夕方になると、私はチア衣装を脱ぎ、女児服に着替えた。チア姿はマスターさんに見られたくなかった。自分でも十秒以上直視できないぐらい恥ずかしいのに、人になんて見せられない。

帰宅した彼の前でいつものように身動きできないフィギュアと化している間、私は思った。服は着るけど、見せはしない。というのはアリなんじゃない? 今の私にできる唯一の、ささやかな反抗。今の私に留飲を下げる方法があるとすれば、きっとそれだけ。

14日目

魔法少女になるかならないか、ずっと考えていた。いやでも流石にそれは……。見せなければバレない。でもちょっとやっぱり……。ロリータ衣装の方ならいいかな? いやあっちの方も魔法少女に負けず劣らずヒラッヒラだし、私にはあんなの無理だって。……でも、よくよく考えたら私の歳でもロリータファッションの人とか魔法少女のコスプレしてる人、いるよね。じゃあ私がそういう服着ても特別おかしいって訳にはならないかも。……それに、考えてみたら今の私はデフォルメされた顔と常に修正状態の綺麗すぎる肌を持ったフィギュア体だから、実際に現実でそういう服着てる人たちより遥かに似合うはず。

(っていやいや! 何考えてんの私は!)

なんでいつの間にかあのフリフリ衣装を着る方向に思考が寄ってるんだろう。誘拐されてあんな服着ろって言われてホイホイ着ちゃったらほんとに馬鹿じゃない。

またメイド服でいいか。そう思ってベッド下を見た時。

(あれ?)

引き出しが増えている。初日から昨日までずっとあった、ベッド下の引き出し。その隣に、同じタイプの引き出しがもう一つ。こんなのあったっけ? いやなかったよ。記憶にない。昨日は……昨日もなかったような。いつ増えたの? 私が寝ている間にマスターさんが増やしたの? それとも気のせい? 私が気がつかなっただけ? いや、初日ここに誘拐されてから、このドールハウスは散々に探索しつくしたはず。こんな大きな家具を見落とすなんてありえない。ということはやっぱり……追加家具だ!

私は早速新しい引き出しを開けた。何だろう。何が入っているのかな。

中身は衣装だった。これも服、これも……これは靴。黒いハイヒール。私は戸惑った。一目見てすぐに、これまでの衣装とは明確に異質なことがわかったからだ。可愛くない。いやデザインが酷いという意味じゃなくて、何というか、路線が異なっている。これまで私に与えられてきたような、少女趣味な可愛さ全ぶりの衣装とはまるで違う。体のラインを強調し、露出も多いセクシーな衣装とその付属品ばかりだった。最初の引き出しにはメイド服とチア衣装があったが、新しい引き出しにもある。私のメイド服は長袖ロングスカートだけど、こっちのメイド服は広げてみるとセパレートタイプ。スカートも短い。チア衣装もへそ出しだ。私のは露出しないのに。

他にはバニーガール、レオタード、ビキニの水着、露出の激しい水色の魔法少女……? などなど。

(え? え? これどういうこと?)

困惑する。着ろ、ってこと? 何だかショックだった。結局マスターさんはそういう……はぁ。

ひょっとしたら、私があまり積極的に既存の服を着なかったせいで、こういう服の方が好みだと誤解されたのだろうか。最悪。でもわざわざ追加してきたってことは、明確に着ろってメッセージだよね……。

露出の激しいメイド服を手に取り、鏡の前に立つ。私の上半身にメイド服の上部分をかざすと、違和感があった。型が合わない。明らかに体のラインを強調するデザインなのに、私の体型と一致せず、ブカブカだ。よく見たら胸のサイズも合ってない。大きすぎる。胸のラインにピタリ沿うことを前提にしているであろうエロティックな意匠があるのに、私の胸では不足だ。

(?)

私は新規衣装全てに目を通した。どれもこれも私とサイズが合わない。なんで? 可愛い服たちはどれも私にピッタリだったのに。サイズ間違えた?

その日、マスターさんが帰宅するまで長い間、私は新しいセクシー衣装たちを調べては戸惑い、彼の真意を図りかねた。どういうこと? 直接訊いてみたくなる。けれど私は、マスターさんに見られている間はうめき声一つ漏らすことのできない完全な人形に変えられてしまう。だったらどうするか……。

六時前。いつもならそろそろ帰宅する頃合い。私は思い切ってバニーガールに着替えた。サイズ間違ってますよって伝えるために。上下ブカブカのバニー姿は、中々にみっともない。子供が背伸びして大人の衣装を着ようとしている感じ……。私の童顔も相まって、全然似合っていなかった。これを見たらマスターさんは一体なんて言うだろう。まあ、言葉はわからないけれど。

六時を過ぎる。来ない。七時。帰りが遅い。残業? まあ、今まで帰りが早すぎたよね。

九時。十時。私は間抜けな姿のまま、ずっと待ちぼうけをくらわされた。遅い。どこで何やってるの。ひょっとして今日は帰らないの?

諦めて寝ようかと思った時、ようやく振動がドールハウスに伝わってきた。ああ、帰ってきた。なら、すぐだ。

だが、そこからさらに私は待たされた。彼は間違いなく帰宅している。音もするし、声……発砲音も時たま聞こえてくる。せわしない足音も何度も響いてくる。けれど、一向に私に会いに来ない。ドールハウスを覗いてくれない。

(いい加減にしてよー! 早く来て!)

何時間も二重の意味で合わないバニーガールの服を着たまま放置された私の頭は沸騰寸前だった。いつもは帰ったらすぐ私を覗きに来るのに、今日はどうしてこんなに遅いわけ!?

ドアの開く音がした。彼が近づいてくる。やっとだ。この歩みはドールハウスを覗く時の流れ!

天井が持ち上がり、モザイク処理された巨人の顔が空を覆いつくす。瞬間、私はブカブカのバニースーツを手で押さえ、天井を見上げた姿のまま固められた。一ミリも動けない。ここまではいつも通り。

(……あれ?)

朗らかな笑みは、モザイクの下から読み取れなかった。沈痛な空気が流れ、マスターさんは……初めて見るリアクションをとった。静かに首を横に振る。彼が初めて見せた否定の意志、明確にネガティブな感情。表情筋の一筋も動かせない硬化した体の中で、サーっと肝が冷えていく恐怖の感覚が私を支配した。

(え? え? 嘘……ダメ?)

「それはね、君の服じゃないよ」

マスターさんの顔がゆっくりと視界から引っ込み、天井がドールハウスを封じる。私の体は硬化を解かれた。だけど私は、一歩も動くことなく同じ姿勢で震えることしかできなかった。マスターさんからこうまで冷たい反応をされたのは初めてで、どうしていいかわからない。何? 何がいけなかったの? 私はやっちゃダメなことをしちゃったの?

バニーガールの衣装が合ってなかったから駄目だったんだろうか。……いや待って。サイズ合ってないんだから仕方ないじゃない。というか、それをわかってほしくて私は……。

心臓が鼓動を早め、胸の奥がギュゥッと締め付けられる。冷や汗が流れるような錯覚も感じる。どどどどうしよう。怒らせちゃったのかな。マスターさんに見捨てられたら私は……どうなるの? まさか無事に解放されるってことはないよね……。処分される? 殺される?

十数分の沈黙の後、私はぎこちなくバニー衣装を脱ぎだした。全身が小刻みに震えている。心なしか寒く感じる。普段着であるピンクのパジャマに着替えた後、バニー衣装を丁寧に元の引き出しに戻す。引き出しを閉めると、涙が滲んだ。なんで? なんで、着ちゃいけない服を追加したの? 私はあなたがこれを着ろって言うから……そういう意味だと思って……。

こんな理不尽な仕打ちある? それとも、着こなしていなかったのがいけなかったのかな。でもサイズが合ってないから……。当てつけのように「サイズ合ってませんよ」みたいな空気を出したのがよくなかったかも。あああ……どうしよう。

消灯。ドールハウスの外が暗くなったのがわかった。私も静かにベッドに潜った。でも中々寝付けなかった。恐怖と不安で胸が張り裂けそう。恥ずかしいの我慢して彼に媚びて、安全を確保できた……と思ってたのにな。明日酷い目に遭わされたらどうしよう。

でも……でも、私悪くないじゃん。着てほしくない服どうして入れたの? これもう罠でしょ。どうすればよかったのさ……。

私は顔まで布団を被り、声を絞って泣いた。

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POSTEDFeb 8, 2026
ARCHIVEDFeb 8, 2026