「当たった~!」「うわ~」「あ~」
皆でキャーキャー言いながら引いたくじ引き。引き当てたのは私だった。いや外れかも。初日潰れるし。
「よろしくね~」「土田さんファイト~」
去年は外れたのになあ。仕方ないか……。こうして私は展示役の初日を担当することになった。
この中学校の美術部には不思議な伝統がある。毎年秋に行われる文化祭で、部員一人が展示品になること。それが恒例だった。
三年の先輩方は早速「秘密ファイル」を取り出して化石粘土の作り方をおさらいしだした。黄色く変色した紙が数枚収められたファイル。いつ頃からかは知らないけれど、その中には常識では考えられないようなものの製法が記されているのだ。名を化石粘土。書かれている手順の通りに作った粘々した液体とも固体ともつかない粘液を人間の全身に塗りたくると、その人間を石像に帰ることができる。……明らかに魔法か呪いの何かのような気がするけど、特に誰も気にしない。毎年のことだし、健康面の問題もないし。いやそれもおかしいんだけど。
石像になっている間、身体に問題は起こらない。トイレ行かなくていいし、食事も必要ない。一日中同じポーズを取り続けていても体がバキバキになったりもしない。摩訶不思議な粘土なのだ。
そして、先輩たちの話だと石化中も意識はあるらしい。石になった眼で周りが見えるのおかしいと思うけど、目も見えるらしい。ほんとかどうか、今年身をもって知ることになってしまった。
「服どうする~?」
早速私をどう固めるかの相談が始まった。皆ノリノリだ。固める側からすればさぞ楽しいことでしょう。私も去年はそっち側だったからよくわかる。皆で一つの作品を作り上げるあの熱気。今年も楽しみにしていたのに、よもや作品側になろうとは。
「恥ずかしいのやめてよ~」
去年はスタイルのいい先輩だったのもあって、身体のラインが出るピチピチのチアリーダーの石像にしたんだっけ。中々評判が良かった。二日目も三年の先輩だったから割とスタイルよくて、ハロウィン用の悪魔のコスプレ衣装で固めた。しかし今年の私は……。
「今年は可愛い路線がいいと思いまーす」
「そうだね~」「土田さんはそっちだよね~」
皆が私を見ながらキャッキャと語る。はいはい、チンチクリンですよ。ええ、わかってましたとも。
「それだと今年は粘土多めな感じ?」
かさばる衣装ならその分化石粘土の量も必要になる。服も一緒に石化して展示するから当然。
「じゃあ週末行って見てこない?」
「いくいくー」
すぐに話がまとまり、近所のディスカウントストアにコスプレ衣装を見に行くことになった。毎年だいたいそこで買ってくることが多い。何故かというと、お金ないから。部費の多くは化石粘土の材料に使うから、展示役の衣装は皆で出し合う自腹の年もある。一番大きな理由は、使い捨てになるからだ。粘性のある灰色の液体にしっかりと浸けて石材みたいな質感で塗りつぶされることになるから、まあ二度と着れる状態にはならない。なので、あまり凝った姿で固まって見せるのも難しいのだ。……出来れば可愛く固まりたいけどね。どうせ展示されて皆にお披露目されるのであれば。
その後、店に行ってたっぷり話し合い、衣装はアリスと白雪姫に決まった。今年はファンタジーというわけ。初日の私はアリス、二日目の子は白雪姫で固まることが決まった。
ちょっと恥ずかしいかなぁ……。まあ仕方ないか。
文化祭前日、美術室で粘土を塗る作業が始まった。石をそのまま液体に変換したかのような、不思議な色合いを持つ灰色の液体。かなり粘っているので、ともすれば柔らかすぎる固体にも思える。複数の容器にわけて用意されたそれは風呂一杯分はある。
「土田さん可愛い~」
「どうも……」
皆が棒で化石粘土をグルグル攪乱している中、私は下着姿になってブルーシートの上に立った。茶色のウィッグで長髪にして、リボンカチューシャをくっつけた。アリスなら金髪がいいかもしれないけど、どうせ灰色一色になるから関係ない。石像になるのは色ではなく形状の勝負なのだ。
「じゃ、塗るよー」
浴槽があればそこに浸かるだけでよかったかもしれないけど、学校の美術室にそんなものないので頑張って塗るしかない。皆がニコニコしながらデカい刷毛とローラーを容器につけて、粘り気のある灰色の物体をその先に纏わせる。去年やった光景。ただ、今回は塗られる方だ。
べチャっと無遠慮に刷毛がくっつけられていく。灰色の液体が私の身体を飲み込もうとしているかのように、何故か刷毛ではなく私の皮膚にだけ粘性を発揮し始めた。
(うぇ……)
生暖かいネチョっとした感覚が全身に広げられていく。去年は全く気がつけなかったけど、やっぱこの液体色々とおかしい気がする。何なんだろう、一体。
手足に顔に、お構いなしに皆が化石粘土を盛りつけては塗り広げていく。和気藹々としたこの空気、塗る側で参加したかったなあ。皆で一緒に作品を作ってる感じで楽しいんだよね……塗る方は。塗られる方は思ったより大変だった。段々全身が重くなっていくし、塗られた側から感覚が鈍っていって変な感じだし。石の質感と色合いが私の皮膚に広がっていくたびに、何かに食べられているかのような不思議な悪寒が走る。一旦ムラなく塗り広げられた箇所は、何故か粘性を失い二度と剥がれ落ちなくなる。そして、次第にその硬度を増していくのだ。皮膚だけじゃなく、何故か私の身体の内部機構まで巻き込んで。
あっという間にほぼ全身灰色に塗りたくられて、私は生きた石像のような姿に変わってしまった。最初に塗られたあたりは既に動かしづらくなってきている。
「はいじゃあ、これ着ちゃってー」
容器の中に浸けられていたアリスのコスプレ衣装が引き揚げられた。哀れ灰色に染め上がった衣装は、質感が完全に石のそれだった。しかし、まだ布ではある。見た目と触った時の感覚が一致しないのは恐ろしく奇妙だった。着られる石の服なんて、世界でこれだけだろうな。そして今だけだ。
そそくさと袖を通して私は灰色のアリスになった。スマホで姿を見せてもらうと、もうすっかり石像にしか見えなかった。もしくは映画並みの特殊メイクでパントマイムしてる人か。
「乗って乗って!」
もう手足が固まりだしててぎこちない。皆の介護を受けながら台座の上に登り、私は徐々に動かなくなりつつある手足を懸命に動かした。いつもよりかなり力が要る。ちょっと腕を上げるだけで相当な集中力がいる。事前に決めていたポーズ……スカートの裾を軽く持って微笑む。棒のようになりつつある手足、握力測定並みに力を込めないと曲がらない指を必死に動かし、私はスカートの裾をつまむことに成功した。
(ふうっ……)
あとは背筋を伸ばして前を見て……。
(んっ、ふふっ、あ、あはは)
始まった。毎年恒例の……くすぐりタイムが。
(ちょっ、ん、きつ、きついってコレ、あ、はははは)
皆がそりゃもう心底楽しそうな笑顔で私の脇をくすぐり倒す。もうほぼ動かせない体がビンビン震える。笑いたい。身悶えしたい。しかし体は動かない。ものすごい焦燥感と快感にも似た苦痛が私の体内を支配し、目論見通り顔を歪ませた。顔面の筋肉が徐々にわらいを張り付け、そして……見事、笑顔で固まり二度と変わらぬ表情が私の顔に刻み付けられることとなった。
(はっ、はぁ……)
しばらくはくすぐり地獄からの解放への安堵と疲労でいっぱいいっぱい。石像になってしまったこと、身動きできないことへの苦痛は数分しないと実感できなかった。
「おぉ~」「いいじゃーん」「可愛いー」
片付けをよそに皆が写真や動画を撮り、記念撮影を開始。まるで観光地の看板か何かにされたかのようで、ちょっとイラついた。
「お疲れー」「また明日―」「土田さんがんばー」
片付けを終えて通常の展示も準備が済むと、とうとう部員たちが美術室から出て帰宅してしまう。私は笑顔でスカートの裾をつまんだまま、アリスの石像として美術室の中央に立ち尽くしていた。動けない。指一本、ピクリともしない。
(うぅ……こ、怖いよ~)
夜の学校に一人放置される。すごく怖い。美術室は電気点いたままだけど、窓の外はもう真っ暗。廊下だって……。お、お化けとか出たらどうしよう。逃げ……られない。私は今や均質な石の塊でしかなく、筋肉も関節も存在していない。最初からこの姿で彫りだされた石塊。もしお化けや不審者が現れても、私は逃げることもできず微笑み続けることしかできないのだ。それが私の恐怖を掻き立てる。抵抗できない。一切、何をすることも許されない……それがここまで怖く、心細いものだなんて思わなかった。
(でもさあ……)
冷静に考えたら、今の私こそが夜の学校のお化けみたいなもん……かもしれない。生きた石像、魂を宿す彫刻……だしね。
(はぁ……さっさと寝ちゃお)
体感一時間もすると流石に本能も状況に慣れてくるのか、動けないことへの苛立ちや焦りも落ち着きだす。石化中も寝られるって先輩言ってたし……寝よう寝よう。誰もいない夜の学校に一人なんて耐えられない。
私は気を静め、笑顔で台座に直立したまま眠りに落ちるのを待った。……生まれて初めてだね、こんな寝方。
目を覚ますとかなり混乱した。立ってるし動けないし……。そして自分が石像になっていること、学校の美術室で一人夜を明かしたことを思い出す。いよいよ文化祭かぁ……。動けないけど。回れないのが悔しい。一生の思い出がぁ~。
文化祭が始まると、次第に喧騒が近づいてきた。ああー、始まった。静かな朝の学校で物思いにふけるのもお終いかぁ。これ以上一人で固まってるの退屈で死にそうだったから助かる。
美術室の伝統はやはり目玉の一つで話題にもなるので、早々に十数人が美術室を訪れた。中には同じクラスの男子も多く、私は赤面……したような気がしたけど、実際には灰色一色のまま一切変化はなかっただろう。
(あぁ~、あ、あんまり見ないで~)
同級生の前でアリスのコスプレしてニッコリ笑っているだけで相当気まずいうえ、石像にされて皆の絵と同列に作品扱いで展示されているのがかなり恥ずかしかった。皆私に注目しちゃうし、近寄ってくるし……。
「すげー」
(あっ、ちょっと、撮らないで!)
撮影禁止と扉に書いているはずだけど、お構いなし。……私も去年先輩をバックに友達と記念撮影したから何も言えないけど……でもやっぱり撮らないでほしい。無理ぃ。
石像ではなく固めた人……「石像のフリしてる同級生」となれば、割とベタベタ無遠慮に触られもする。作品を汚したら悪いよねという規範が、私にだけは適用されないからだ。
(あーっ、こら!)
ベタベタ足を撫でられると怒鳴りたくなるけど、私は笑顔のままジーっと同じポーズで佇んでいることしかできない。反抗は一切許されない。スカートの裾を軽くつまんだままの姿勢で、全てを静かに受け入れる石像であり続けることしか。
そして、どこそこの出し物ふぁよかったとか、体育館での演奏が上手かったみたいな話が灰色の耳に入ってくるたび、自分も行きたかった、文化祭楽しみたかったなあという悔しさが募る。台座から下りてみたいけど……一歩も動かない。ウィッグの一本一ミリも揺れることがない。私の肉体はこの台座の上で全ての時間を停止されたまま、文化祭の展示の一つとして押し黙っていることしかできなかった。
初日の夜、ようやく私は解放された。秘伝のファイルに記された解除薬を作り、それをまた頑張って塗りたくるのだ。透明な解除薬はまるで上からコーティングでもされているかのようで、最初はちょっと不安だった。これで本当に戻る? 戻さないようにしてない? と。去年それで戻ったのを見てるのにも関わらず。やっぱ自力脱出がゼロパーセントにされてる状態だと楽観は影を潜めるみたい。
ともあれ解除薬は浸透して、徐々に私の身体とアリスの服はかつての色合いを蘇らせ、ツルツルした石の色は消えていった。徐々に手足も柔らかさを取り戻し、久々に「体を動かす」ことを思い出せた。
「ふうぅ~っ」
水をガブガブ飲んで一息つくと、皆が口々にねぎらいの言葉をかけてくれた。終わったぁ~。そして、アリスの石像と化していた私の写真や動画を皆がこれ見よがしに見せてくる。恥ずかしいなあもう。そして間を置かずして、翌日の作業に入る。二日目の展示を務める人を石像に変えるのだ。私の手で!
初日の復讐も込めて、石化作業はとってもとっても楽しかった。無遠慮に化石粘土を塗りたくり、ドンドンと豪勢に石化箇所を広げる。あー楽し。そして粘土に浸けていた白雪姫の衣装を着てもらい、台座に上がらせる。本人がポーズをとったら当然、恒例のくすぐりタイム。私も参加した。
やがて可愛らしい白雪姫の石像が動きを完全に止めると、その出来栄えに皆が感嘆した。私はちょっと嫉妬してしまった。私のアリスだって……中々じゃなかった?
それはそれとして記念撮影してから片付けをして、私は友達と一緒に美術部を後にした。白雪姫の彼女は今夜、一人学校で身動きできないまま過ごす。昨日の私のように。
二日目の文化祭を満喫しながら、私は何回か美術室に顔を出した。白雪姫の石像は中々の評判だった。そして同じクラスの男子に昨日の私よりいいとからかわれ、私は石像として優れたいなんて思ってないと強がりを返したが、内心は複雑だった。……私だってえー、結構可愛くできてなかった?
そして白雪姫の石の肌を軽くくすぐったのち、文化祭を回りに戻った。展示品じゃなく人間として参加できるのっていいな。うちの部が変なだけで、いたって普通の普通だけど。
その日の夜に白雪姫を石化から解放し、片付けをして、ゴミの分別をして、それで全てが終わりを告げた。べっちょべちょのアリス衣装は使い物にならないので無論捨てる。思い出にとっときたいという気持ちがなくはなかったけど、本当にもうどうしようもない状態なので諦めた。白雪姫の衣装も同じく。
秘伝のファイルは準備室の棚に収められ、来年までお預け。人が石になる魔法のような現象は、また来年まで息をひそめる……はずだった。
「でさ~、コイツ石にしてやったらおもろいんじゃないかって」
「……」
めっきり寒くなった期末。美術室を数人の嫌な集団が訪れた。同じ学年のいじめっ子グループ。クラスが違うから直接は知らないけど、結構酷い感じらしい。そして、床に捨てられるようにはいつくばっているのが石田さん……。彼ら彼女らの標的だ。制服は薄汚れていて、髪はクシャクシャ。顔にも痣がある。
「えっと……石にして、って?」
そんなことできるわけないじゃないですかー、とは言えない。文化祭で美術部が部員を石化して展示してるのはぼっちじゃなければ知ってることだ。それでも、あれは文化祭の限定で……と私は一応食い下がってみたものの、向こうの推しが強くて言い訳には使えなかった。
「いーじゃん、これからは冬の出し物ってことで」「ぎゃはは!」
「……」
石田さんは恐る恐る顔をあげて私たちを見上げていた。その顔には不安と恐怖が彫り込まれていて、断ってくれと強く願っているのが嫌というほど伝わってきた。
その場は材料ないから……という理由でなんとかお引き取りいただくことに成功したが、年明けにお札と一緒に再度頼まれた時はもう断ることができなかった。なんでも休み明けに石田さんが「生意気なこと」をしたらしい。彼女のこの世の終わりみたいな顔と震える体を見る限り、何も悪いことなんかしていないように見えるけど……だからなのかなあ。
自分たちがいじめに巻き込まれるのが怖かったし、何度も来られたくなかったので、私たちはいじめっ子グループに協力することになってしまった。一度やっちゃえばもう来ないだろう、と。
季節外れに化石粘土を生成し、私たちは全裸にひん剥かれた石田さんに灰色の液体を塗りたくった。小声でごめんね、と呟きながら。
まさかあの楽しい化石粘土をこんなことに使うことになるなんて……。私たちは終始無言だったけれど、悔しさと申し訳なさでいっぱいだった。
「ぎゃはは!」「マジ石像じゃん!」
いじめっ子グループの嘲笑と撮影の中で、灰色に染まり切った石田さんは徐々にその動きを鈍らせていった。女の子座りで股間を隠しつつ、両腕で必死に胸を隠しながら俯き、笑顔とは無縁の悲痛な表情を浮かべたまま、彼女は静かにその時を止めてしまった。
いじめっ子グループが満足するのを待っていると、
「あ、こいつあそこに飾ろうぜ」
と一人が言い出したことで、石田さんの人としての運命は終わってしまった。私たちは重い像を運ばされ、石田さんを美術室の後ろに設置されている石像……水着の少女二体が向かい合う彫刻の間に、彼女を設置させられた。水着の少女像二人の間に挟まれた石田さんの像は、すっかり本物の石像のように見えてしまう。
「いつバレるか賭けようぜ」
それはつまり、勝手に戻すなという意味であった。満足したらしいいじめっ子グループは何度か石田さんを蹴ってから帰っていった。
「……ど、どうする?」「ええっと……」
水着の少女の間に全裸で俯く石田さんの石像を眺めながら、私たちはヒソヒソ話し合った。戻してやるべきという声が大きかったものの、勝手に戻したらいじめの標的にされるかも……という意見の前に、戻す派は勢いを失った。結局、あいつらの言う通り「バレたら戻す」でいいだろうという結論になってしまい、私たちは解除薬を作らず解散した。目の前でこの話し合いを聞いていたはずの彼女は今どんな気持ちだろうと私は心配になったが、どうせ一人で解除薬は作れないので仕方ないんだと自分に言い聞かせ、美術室には戻らなかった。
翌日、美術室の石像が一つ増えていることに気づく人はいなかった。先生は誰も何も言わなかったし、今日美術の授業があったはずのクラスの人も、誰も何も言い出さない。まあ、たまにしか来ない部屋の後ろに飾ってある石像なんていちいち細かく覚えてないか。違和感を覚える人がいても、確信は持てないだろう。それに、石像が増えたからといって、大半の人にはどうでもいい話だ。毎日美術室に来ないといけない美術部員としては気が気じゃないけど。戻すべきという意見は出たが、今んとこ誰も何も言わないし……ということで、誰も音頭を取ろうとしなかった。誰かが動いたらきっと私は追随したろう。誰もがそうだったに違いない。しかし、いじめっ子グループが様子を見に来てしまったせいで、最初の一歩を踏み出す人は現れなかった。
二日、三日経つと段々私たちも話題に出さなくなっていった。今更戻したら「共犯」になってしまうどころか、あいつらのことだ、全部おっ被せられかねない。本来先生が気づくべきことなんだ。私は自分にそう言い聞かせながら、何事もなかったかのように絵を描くことに没頭しようとした。しかし、いつものように絵は描けなかった。チラチラと石田さんを横目で見ては集中できず、作業は全然進まなかった。
一週間、半月と長い時間が経つと、ますます言い出しづらくなっていった。だって責任が重すぎる。半月も石にしたまま監禁してたなんてことになったらえらいことになる。
そもそも、悪いのはあいつらじゃん。私たちは無理やりやらされただけだし。あいつらが責任を持って戻すのが筋だ。私はそういう理屈を組み立てて自分を正当化した。だから私たちが戻さなくてもいい、あいつらか先生が言い出さなければならないのだ、と。
しかし、とうとう誰一人石像が増えたことに言及する部外者は現れず、春休みがやってきた。そして、新たな学年も。三年生として美術室を訪れた時、私は驚いた。彼女が、石田さんがまだ少女像の仲間になったままだったからだ。いじめっ子グループの大半は卒業していった。戻してやれるんじゃないか。そう思ったけど、卒業したってことは逆に叱られるのは私たちとなり、何か月も彼女を苦しめていた当事者になってしまう。皆も同じことを思っていたのだろう、誰も言い出さなかった。そして……当然ながらも、五月になって入ってきた新入部員たちは全員、石田さんが人間だなんて想像すらしていない。最初からああいう三体の石像だったのだと思っているに違いなかった。正直、気が楽だった。どんよりとした鬱屈とした空気を一年生が壊してくれたことは。罪悪感と後ろめたい秘密の共有が薄まったことで、私たちは以前のように割と気楽に絵を描くことができるようになった。石田さんのことは忘れて……。
文化祭になると、毎年恒例の石化イベントを今年もやることになった。……が、流石に二、三年生は石田さんのことを思い出し、かなり及び腰となった。こんなことやっていいのかな? 石田さんの前で。いい加減戻してあげるべきなんじゃ? 皆が心の中でそう思っているのが嫌でも伝わってくるし、皆が無言でチラッ、チラッと石田さんの方を見る。が、事情を知らない先生が早く決めるよう言ってきたので、それを大義名分に私たちは今年も石化展示を行うことに決めた。去年まではあんなに楽しかった化石粘土の塗り作業が、とても恐ろしい、罪深い行為のように感じて手が重かった。素直に盛り上がる一年生だけが救いだ。
文化祭と石化展示は何事もなく無事終了し、解除薬で二日目の子を戻した時、このまま石田さんを戻すべきじゃないかと私は死ぬほど悩んだが、もう一年近くになる。今更戻したところで、もう彼女の一年は帰ってこない……。もうすぐ受験なのに、内申に決定的なダメージが入るのも避けたい……。
結局誰も何も言い出さなかったので、石田さんを戻すことはなかった。私たちは彼女の目の前で、余った解除薬を処分した。心の中で死ぬほど謝り倒しながら。
文化祭が終わると引退なので、私たち三年はずいぶん気持ちが楽になった。もう石田さんを視界に入れなくてもいいからだ。逃げるようにして受験勉強に没頭し、私は割とすぐに彼女のことを忘れてしまった。次に思い出したのは、受験が終わってから。同時に、今更戻しても彼女が中卒で放り出されてしまうだけだということを言い訳にして、私は自分を抑えた。
卒業式の日、最後に美術室に顔を出した。石田さんはあの日全裸で石像にされてしまったまま、一歩も動くことなくその場にとどまっている。本当なら卒業だったのに……私たちと一緒に。
(し……仕方ないじゃん。だって今更……)
私は逃げるようにしてその場を後にした。もう見たくもなかったし思い出したくもなかった。私のせいじゃない。私一人のせいじゃ。誰かが言い出したら絶対、戻してあげたもん。気づかない先生も先生だよ。誰も石像が増えてることに気づかないなんてさ。
その日が、私が彼女を見た最後だった。……学生としては。
何年も経って大学生となり、教育実習で母校に帰ってきた日。私は在りし日の過ちのことを思い出した。そういえばそんなこともあったなあ、と。美術室を窓から覗くと驚愕した。石田さんがまだ石化したままだったからだ。……嘘でしょ!? もう七年くらい経ってるのに!? 誰も戻してあげなかったの!?
自分を棚に上げて、私は憤った。酷い。七年も石像のまま放置だなんて。まだ中学生の子供を。……でも、そうしたのは私だ……。
実習の間、とうとう私は言いだせなかった。美術室の石像が一体、実は生きていることを。本来なら私と同い年なのに、中学生のまま永遠に時を止められている子がいることを。
……いや、止まってはいない。私は身をもって知っている。石化中も意識はあるし、目は見え声が聞こえることを。石田さんはずぅっと……あの場で動けないまま「生きて」いたはずだ。彼女の心境を想像すると、胃がギュッと縮こまる。
で、でも……今更。
責任、とれないよ。
私は彼女を放置したまま、実習を終えて大学に戻った。どうしよう。まさかまだ戻されてないなんて思わなかったよ……。いや、実行犯が何も言わなかったら当たりまえじゃん。誰もあれが人間だと気づかないんだから……。知ってる人が言うべきだ。でも……。
私一人が背負い込むのもおかしいじゃん。あの時の美術部員全員そうなんだから。私はそういうことに決めて、やはり学校側に何も伝えなかった。
就活で地元に寄った際、私は母校に顔を出してちょっとだけアプローチをかけた。美術室の石像綺麗ですよね、と。しかし手応えはなし。おお、そうですかなぁ、と適当な答えを返されるだけ。美術室の石像のクオリティとか、普通興味もないよね……そりゃあ。
そして、聞くところによると美術室の伝統は未だ続いているらしい。つまり、石田さんは毎年自分の前で石化解除を見ているわけだ。胸が痛い。サッサと私たちが戻してあげていればなあ。まあでも、いずれ誰かが気づいてくれることを祈ろう。あの石像、リアルすぎね? と。或いは、化石粘土製の石像と色合いや質感がそっくりなことに。そうしたら……誰かがおふざけで解除薬をかけてあげる日が訪れないとも限らない。
いつの日か石田さんが人間に戻れる日が来てくれるよう祈りながら、私は故郷を後にした。そして帰りの新幹線の中、私は心に決めた。就職は県外にしよっか。