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思い出のバイト

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社会人生活三年目、私は大分疲弊していた。というか、これから死ぬまでこんなんが続くのかと思うと気が滅入ってくる。結婚して辞めたい。働きたくない。日に日に私は大学の頃のバイトがどれほど楽だったかを思い知り、あっちの方が良かったなあと思い起こす時間が頻繁にあった。バイトといっても普通のバイトではない。いや普通のバイトもしたけど、私が戻りたいと思うのは大学二年目から友達の紹介で始めたあのバイト。それは誰にも言えない秘密のバイトで、言ったところできっと信じる人は少ないだろうと確信できるような不思議な内容だった。

大学生の頃、楽で実入りのいいバイトはないかと友達に冗談半分で聞いたところ、同期の黄土さんが「あるよ」と紹介してくれた。ちょうど一人辞めたところで空きがあるらしい。

「青葉さんなら美人だし受かると思うよ」

「えー、何それどんなバイト?」

内容は無茶苦茶らくちんで、ただ立っているだけで時給2000円らしい。専用の衣装を着て可愛いポーズで……というところで、私の警戒センサーは赤信号だった。やばいバイトじゃないの? それ。しかし黄土さん曰く、内容が普通じゃないのは認めるけど、別に何もされないししなくていいから大丈夫、とのこと。怪しすぎる。

しかし、黄土さんから自分の肌が綺麗なのはそのバイトのおかげなのだと明かされると、心がグラついた。彼女は大学内でも目を惹くような美しい肌の持ち主で、画像加工を一切必要としないほど。元から加工済みみたいな一点の曇りもない均質な肌色一色の皮膚。ともすればマネキンみたいに見えることもあるほどだった。しかも、そのバイトさえやってればこの肌は何もしなくても維持できるのだという。そんなことある? ますます怪しい。

駄目なら他の人に回す、この話は忘れて……と煽られ、私はじゃあ、とりあえず見学だけ……ということで、彼女のバイト先を訪ねてみることになった。

その日、黄土さんと共に訪れた先にあったのは稀に見る豪邸で、私は委縮した。こんなすごい家上がったこともない。

私たちは正面玄関から脇に回り、小さな出入口から家の中に入った。黄土さんはまるで自分の家みたいに鍵を開けて、長い廊下を物おじせず進んでいく。いやはや。

ドラマでしか見ないような廊下には、これまた現実では見ないようなものが置かれている。高そうな壺とか彫刻とか、よくわからない絵画とか。本当にあるんだこういうの。途中何度かお手伝いさんともすれ違い、挨拶した。

しかし一番驚いたのは、等身大の人形だった。ホールの目立つところに、テカテカした大きな人形がまるで高名な彫刻かのように飾られていたのだ。最初は人間かと思ってビックリ。まるで生きているかのような気力に溢れ、自信のある瞳で前を見据えている。しかし格好がこの場に不釣り合いだった。淡いピンク色のレオタードと肘まである長い手袋、後頭部にはアホほど大きなピンクのリボン。そんなトンチキな格好をした可愛い子が、笑顔であざといポージングをして時を止めている。……なんだか場違いじゃない? こういうところに飾るには。

私はその奇妙な人形から中々目を逸らせなかった。本当に人形なんだろうか。まるで写真の中に閉じ込められているかのようにピクリともしないし、肌も異常に綺麗だから作り物であることは間違いない……はず。でも、生きた人間に見えてくる。そこに生命の脈動を感じてしまう。怖かった。

黄土さんの方を見ると、ニヤッと笑う彼女の顔から、答えを察したような気がした。彼女の綺麗すぎる肌、立ってるだけのバイト、もしかして……。いやでもピンクの子、本当に一ミリも動いてないよ? それも結構維持がきつそうなポーズで。……そんなこと、ありえる?

その後、黄土さんに連れられ屋敷の主である庭瀬さんと会い、軽い面接のようなものを受けた。私の写真は既に黄土さんから渡っていて、来るなら採用は既にほぼ決まってたようだ。

問題はバイト内容なんだけど、私が想像している通りなら……ちょっとご遠慮しようかな……。

「君にはね、うちの中に飾られてほしいんだ」

やっぱりぃー! 私は心の中で天を仰いだ。

庭瀬さんは、どうしても「生きた人形」が欲しい人で、それを自分の家に展示しておきたいんだとか。変態だ。でも飾るだけで満足らしく、手は出してこないらしい。本当かなあ……。黄土さんはそう保証しているけど。

この屋敷の中には黄土さん以外にも数人が生き人形のバイトに従事していて、良いところに飾られているんだとか。あのピンクの子もそうだったのか。ていうか動かないでいるのきつくない? という私の疑問には、これまた突拍子もない答えが返ってきた。特殊な薬品に全身を浸すことで、身体を硬化させることが可能なのだと。さらに、肌も人形っぽくなるらしい。黄土さんが綺麗なのはこの薬品の……いやちょっと待って、大丈夫なのそれ? 健康に影響ない? 安心って言ってるけど本当に安心?

その後、黄土さんと一緒に「同僚」の元を巡った。黄緑のレオタードと手袋をつけた人、白い人、紫の人、確かに人間が人形と化して飾られていた。存在感は他の芸術品の比ではない。それもこれも、全部生きている人間だったからなんだ。納得と同時にやはり怖くもなる。生きているはずなのに、皆一切動かない。目線すら全く。一本足で立ってる子もいるけど揺れない。腹も呼吸で動かない。全部よくできた人形に過ぎず、私は騙されて遊ばれてるんじゃないかとも思ってしまう。

最後に黄土さんが「仕事を始める」とのことで、見学させてもらった。

お風呂のような部屋に案内されると、そこの浴槽には肌色の液体が満ちていた。まるで人を溶かして液体にしたかのような色合いで、声が出そうだった。

黄土さんは服を全部脱ぎ、全裸になってその浴槽に浸かった。息を吸って中に潜り、頭や髪まで全てを浸す。奇妙なお風呂から上がった彼女は、もうすっかり等身大のフィギュアのようにしか見えなくなっていた。均質な肌色一色の肌は、まるで樹脂みたいだ。髪の毛もまるでフィギュアか彫刻かのような切れ込みで表現された塊のように見える。

レモンイエローのレオタードと手袋を装着した黄土さんは、最後に黄色いリボンで髪をくくる。アニメ世界でしか見ないようなでっかいリボン。……察するに庭瀬さんの趣味なのだろうが、だいぶ恥ずかしくないこの格好? これで展示されるの? きっつ……。

しかしもう慣れているのか、黄土さんは特に気にする素振りも見せず、その姿で堂々と部屋を出て、廊下を闊歩していく。その度胸に私はちょっと感心した。

何も乗っていない空の台座に着くと、黄土さんは台座の脇にある制御盤を少し操作してから、台座に乗って可愛くポーズを取ってみせた。

「じゃ、私は今日夜までだから」

そう言うと、徐々に彼女の動きが鈍くなっていった。震えていた体が徐々に揺れなくなっていく。プルプルしていた指も僅かな空気の流れに動く髪の毛一本一本も、全てがスローモーになっていき、やがて全てが静止した。まるで時が止まってしまったかのように。

「……黄土さん?」

彼女は答えなかった。悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、彫刻のように動かない。さっきまで生きていたのが信じられなくなるぐらい。

お手伝いさんに呼ばれ、私も着替えて展示されるよう指示された。え、え、私まだ……ええっと、どうしよう。本当に大丈夫? でも黄土さん大学ちゃんと来てたしなあ……。まさか永遠にこのままってこともないでしょ……。多分。きっと。

ここまで来て断るのも気が引けたので、私はそのまま流されてしまった。さっきの風呂場に戻り、服を脱ぎ、湯船に浸かった。ちょっと粘性のあるドロドロした肌色の液体は、まるで私の身体を飲み込もうとしているかにように絡みついてくる。息を止めて中に潜っている間、私は

(あーあ、やっちゃった……何やってんの私……)

と軽い後悔に襲われた。

湯から上がると、私の全身はすっかり変身していた。さっきの黄土さんや飾られている「同僚」たちと同じ、人形みたいな肌に変わっていたのだ。全身がヌメヌメしている。しかし、急速に液体に覆われている感覚は消え去っていき、ほんの薄いクリームを塗っている程度の感覚になっていった。乾くの早いなあ……。お手伝いさんが用意した衣装は、水色のレオタードと手袋だった。やっぱ「こう」なのね……。今更後に引けないので着た。

水色のレオタード、肘まである水色の手袋。どちらもピチッと隙間なく張り付くように私に密着する。バルーンアートみたいにパンパンに膨れた水色の大きなリボンで髪をくくり、私はいよいよ先輩たちと同じ姿になってしまった。生き人形の、まだ生きている状態に。

お手伝いさんの案内で部屋から出るも、この格好で知らない家の廊下を歩くのは死ぬほど恥ずかしくいたたまれなかった。だって明らかに「そういう場」じゃないもの……。豪邸ではあってもリアルに日常を過ごすのに使われている家。場末のガールズバーとかの方がまだ開き直れた。

やはり上に何も乗っていない空の台座のもとに案内され、そこで制御盤のレクチャーを受けた。基本は簡単。時間を指定して硬化光をオンにするだけ。私の身体を覆ったこの薬品は、特殊な光線を浴びている間固まるらしい。この台座からはその光線が天井に向けて照射されるので、上に乗ってれば固まるというわけ。指定した時間を過ぎれば光線が止まるから自由になる。うーん、本当に大丈夫かな。一生ここで展示……はないか。餓死死体になっちゃう。

仕方なく私は二時間設定して、光線をオンにした。それから……台座の上に登り、前を見てまっすぐ立った。

「すぐポーズとった方がよろしいですよ」

「えっ!? あ、はい、ポーズ……」

しまった、考えてなかった。しかし、こんな格好で可愛いポーズとれとか言われてもできない。恥ずかしすぎる。ましてや真顔のお手伝いさんがガン見している前で。

遠慮がちに、私は両脚を閉じて直立したまま、両手を胸の前で祈るように重ねて、ぎこちなく微笑んだ。今はこれが精一杯。

次第に、全身が硬くなってくるのを感じる。思っていたのと異なり、芯から固まっていく。筋肉が全てカチカチに固まっていき、やがて表皮まで硬化の波が広がっていく。

(動けない……)

あっという間に、私はその場から一歩も動けなくなってしまった。ぎこちない、引きつった笑顔もそのまま保存されてしまい、表情筋一筋すら動かないほど強固にしっかりと全身がガチガチに硬化。髪の毛一本揺れることもなくなり、すぐに私は人形と化してしまった。

(あ、あ、ああ……)

やっちゃった。なっちゃった。人形に。これから二時間、ここに飾られているんだ。他の彫刻とか壺とかと同じものとして。

お手伝いさんは軽く私の脚をコツコツ叩いてから歩き去った。視界に誰もいない……。これから二時間こうして指一本動かせないまま立ちっぱなしか。辛そう……。と思ったのは最初だけ。全然辛くなかった。何しろ動こうにも動けないほどに身体が固められているから、肉体的な疲労は全く感じなかった。本当に時間を止められているみたいだ。単純に身動きできないことの精神的な辛さしかないけど、家でベッドに転がりボーっとしているのと大差ないかもと思った瞬間、あんまり辛くなくなった。

そうこうしている……いやしてないうちに、お手伝いさんが庭瀬さんと戻ってきた。

「うむ。こういう初々しさもよい」

とだけ言うと、ジックリ私を全身観察してから彼は視界から消えた。見られている間は鳥肌立ちそうだったけど、私は顔色一つ変えられないままジッとしていることしかできなかった。

その後はたまにお手伝いさんの誰かが視界を通り過ぎるくらいで、特に何もないまま二時間が過ぎた。身体の硬化が解けてくると、

(え、ちょ)

と逆に困惑してバランスを崩してしまうほど、私はすっかり固まった状態に慣れ切ってしまっていた。自分で意識して立ってないといけないなんて不便だなあと思ってしまうくらい。

今日はお試しで二時間だけだったものの、もっと長時間だとどうなるんだろう……。どうもならないか。ただ固まっているだけか。

黄土さんの言ったことは本当だった。楽だ。楽に儲かる。シャワーで薬品を流すと、完全には除去できないのかちょっと残った。つまり、肌がとても綺麗になった。

「どうだい? 続けてくれるかい?」

「……はい。よろしくお願いします」

私はこのバイトを続けることに決めた。これで4000円は本当にいい。実質何もしてないしされてないのに。ちなみにバイト代は現金だけ手渡しで、人にあんまり言わないでほしいと言われた。……やっぱ表沙汰にできない仕事なんじゃん。まあしょうがないか。

翌日、大学で人間に戻っている黄土さんとも会えたので、私は本当に安心できた。きっと大丈夫だろう。他にも人いるし。うん。

そうして、私の生き人形バイトが始まったのだ。

最初は照れもあって中々派手なポーズやかわいいポーズとかとり切れなかったけど、徐々にバイトと環境に慣れてくると吹っ切れて、次第にモデルやアイドルみたいなポーズで固まることもできるようになってきた。お手伝いさんたちに見られると恥ずいのは変わらないけど。庭瀬さんは最初はちょいちょい見に来たけど、次第に用もないのに見に来ることはなくなった。ホッとしたやら寂しいやらで、複雑な気持ち。そして段々長い時間硬化していることも怖くなくなり、シフトも増えた。ただ何もせず立っているだけで時給2000円なんだから最高。

ただ、たまーにお客さんが屋敷に来た時は二度とやりたくないと思うくらい恥ずかしい思いはする。私のことを人形だと思って下世話な論評したり、嫌らしい目つきで眺めてきたり、売ってくれとか譲ってくれとか目の前でいわれるとドキッとする。だって固まっている状態じゃ意思表示ができないし、逃げることも抵抗することもできないんだもの。もし庭瀬さんが売ろうと思えば私は何もできない。幸い全部断ってくれるからいいけど。

この生き人形バイトを続けたのは大学を卒業するまで。就職が決まり違う県に引っ越すとなれば当然。でも正直言ってまだ続けたいなという思いはあった。楽で儲かるんだもん。でもまあまともな仕事じゃないのは間違いないので、不健全なバイトを続けるより就職決まったんだから普通に働くべきと、当時の私はそう考えた。

今、私はそれを後悔している。あのまま屋敷に人形として本格就職……って道はなかっただろうか。そんな話一切出なかったから、まあ無かったんだろうけど。普通に働くのが本当につらく感じる。固まっているだけで2000円を経験してしまったからかもしれない。辛くなるとあの時のことばかり考えてしまう。

ある日、とうとう私は庭瀬さんの屋敷を訪ねた。近くまで来たので懐かしくなって……という体で。

屋敷の中には今も生き人形たちが飾られていた。メンツはすっかり入れ替わっている。が、美人やかわいい子がパステルカラーのレオタード姿で展示されているのは変わらない。私はその中に、水色のレオタードと手袋を着た子を見つけた。私の衣装だった水色は、すっかりその子のものとなっていた。若い溌溂とした笑顔と引き締まった肢体に私はショックを受けた。人形のような肌になっているのに、いやだからこそか、若さがハッキリと強調されているように感じた。今の私が生き人形になっても……この子に勝てないだろう。

軽く現況の報告や思い出話をして、私は屋敷を失礼した。戻りたいなんて言えなかった。あの水色の子の、天真爛漫な笑顔を見ると。もう私の台座はどこにもないのだ。

また月曜が来る。会社行きたくないなあと思いながら、すっかり元に戻った肌を擦りながら、私は帰りの電車の中で人形になりたいと愚痴っぽく願った。

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POSTEDSep 23, 2024
ARCHIVEDJun 10, 2026