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私は目を伏せ、秋空の茜色に照らされる地面をじっと見つめていた。
私の目線の先には、彼女を含めた私を囲む何人かの影が長く伸びていた。
「生徒会長は生徒の悩みに寄り添うんだろ?
あたしたち腹減って困ってんだよ。ほら、これでなんか買って来いよ!」
髪を明るく染めた彼女が、私の足元に小銭を不躾に投げつける。
彼女がその集団のリーダー的立ち位置であることは明白だった。
ジャラジャラと音を立てながら、夕日を浴びて金銀銅に光る金属が私の足元に散らばった。
「ギャハハハww」「早く拾えよww」
取り巻きの男子生徒たちがこれでもかという大きな声でまくしたてる。
「・・・・」
またか。もうこれで何度目だろう。
お腹が空いているなんて、嘘に決まっている。
だけど、生徒会長という立場上、生徒に困っていると言われたことを無視するわけにはいかない。
言い返したくなる気持ちをぐっと飲み込み、地面に散らばり砂のついた小銭を1枚1枚集める。
「そーそー。さすが生徒会長はお利口さんだねぇ♡」
彼女がスマホを取り出し、私が小銭を拾う姿を撮影しようとする。
「乞食みてぇだなwww」
男子生徒の笑い声が大きくなった次の瞬間、背後から怒声が聞こえた。
「おい!やめろよ!」
ビクッとして振り返ると、副会長の三橋君が肩を張ってずんずんと近づいてくる。
「・・・はぁー・・・。出た出た。正義の副会長さんが助けにきましたよっと」
「き・・・君たち会長に何の恨みがあるんだっ!?」
「はぁ?恨みなんかねぇよ。腹減ったから生徒として頼み事してるだけ」
「嘘だ!何回も大勢で会長に絡んできて・・・そんなの自分で買いに行くのが普通だろ!」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ!副会長だか何だか知らねーが痛い目見てぇのか?」
彼女の取り巻きの大柄な一人が、三橋君の胸倉をぐっと掴んで引き寄せた。
「っっ・・・。何か不満があるなら、生徒の悩みとしていつでも受け付ける・・・!
でも、暴力は良くないだろっ・・・!」
自分よりも大柄で威圧的な相手に怯みながらも、三橋君はしっかりと言葉を返す。
「・・・口の利き方がなってねぇな副会長。直接体に教えてやろうか!?」
正論に対する鬱憤が頂点に達し、三橋君に理不尽な拳が降り下ろされようとした、その時。
「おいお前ら!何やってんだ!!」
教諭が揉め事を発見し、一括した。
「やべっ、逃げろ!」
大柄な男子生徒は三橋君の襟元から手を放し、その他の取り巻き達も慌てて方々へと散っていく。
「おい、こなつ!また遊ぼうなぁ!」
キャハハと嘲り笑うような甲高い声を上げながら、彼女は走り去っていった。
彼女と私は、同じ施設で育った。彼女の名前は結城ちひろ。私は昔から彼女を、ちーちゃん、と呼んでいる。
お互いに両親がいない私たちは、小さい頃から姉妹のように接していた。同い年だけど、私が妹で彼女がお姉ちゃん。お互いに決めるわけでもなく、自然とそんな関係が出来上がっていった。
彼女はもともと勝ち気な性格だった。施設には意地悪な子が何人もいたけど、彼女はどんな相手でも私が何かされれば立ち向かい、相手が男の子でも年上でも最後には(物理的に)組み伏せてしまう。そんな場面をたくさん見てきた。
血はつながってないけど姉妹のような私たちの関係が、彼女をそうさせたのかもしれない。
私はずっと彼女の強さに甘えっぱなしだった。
「こなつは、あたしがずっと守ってやるかんな!」
誰かとけんかをして傷だらけになった顔でにこっと笑う彼女の顔が、今でも忘れられない。
彼女はその闊達な性格のせいもあって敵も作りやすかったが、同じくらい友達もできやすかった。
「・・・へぇ~。 こなつさん、彼女とそんな関係が・・・。」
生徒会室に戻り、私は三橋君に彼女との生い立ちについて話をしていた。
二人だけの時には私のことを会長ではなく、こなつさん、と下の名前で呼ぶ彼。
時々うん、うんと相槌を打ちながら、彼は真剣な目で私の話を心底興味深そうに腕組みをしながら聞いている。
私は彼女とは対照的に、本を読むのが好きだった。
私の知らない外の世界について書かれた本が所狭しと並ぶ施設の図書室。今に至るまでに、私は施設にある本という本を読みふけり、その一冊一冊の場所まで記憶してしまっている。
よく、寝る前に本で読んだ物語を彼女に話していたっけ。
そして彼女は眠くなるどころか目を輝かせながら「それで?次はどうなったの?」と私に話をせがんできたっけ。
彼女は私を、妹のように守ってくれる。私は彼女に、おもしろいお話をしてあげる。
微笑ましいその記憶と、今の彼女との関係の対比に私の心がずしんと重くなる。
もともと知識欲が旺盛だった私は、中学校の頃から成績は常に10番以内。
「勉強している」というよりも、知らない知識が無限に提供される授業という時間にのめり込んでいくような感覚だった。
それができたのも、彼女がずっと傍にいてくれることに安心していたからだ。
彼女とは去年まではずっと同じクラスで、姉妹のような親友のような、そんな関係が続いたように思う。
しかし、高校2年生に進級した今年から、クラス分けで彼女と離れ離れになった。
教室で頼る人がいなくなった私は、今まで以上にまじめに勉強するようになった。
今までと違って、友達を作るのが苦手な自分と周囲を遮断するように。
そしてクラスから生徒会長候補を選出しなければいけなかった時、半ば多数決で私が強制的に推薦されてしまった。
「おめでとう!」「こなつちゃん適任だよ!」
普段あまり接することのないクラスメイト達は、張り付けたような笑顔と賞賛の言葉を私に贈った。
“生徒会長?めんどくさいし大変に決まってる。真面目で何も言わなそうで成績優秀なこなつちゃんでいいんじゃない?”
表面上祝福はしていても、クラスメイトたちが集団心理として心の内で思うことが透けて見えるようだった。
そのまま選挙でもなし崩し的に当選してしまった私。
予想していた通り、生徒会の運営は面倒なことばかりだった。
1人で黙々と集中していれば進捗する勉強に比べて、
周囲の人に協力してもらうことがこんなにも大変だということを痛感する日々だった。
そんな私が曲がりなりにも生徒会長として今日までやってこられたのは、三橋君のおかげ。
困っている人を見過ごさず、常にまっすぐに生きる彼は、私以上に生徒会の顔と言える存在だった。
彼女と別々のクラスになり、さらに生徒会長に押し出され、親友と呼べる人がいなかった私は交友面でも三橋君に頼りっきりだった。
教室での居心地が悪く感じて、特に用事がない時でも私は生徒会室に顔を出すようになり、
私に付き合ってくれるように三橋君も生徒会室で過ごす時間が多くなっていった。
「クラス分けで私も寂しかったから何度も彼女のクラスに行って声をかけたりしてたんだけど、生徒会活動で忙しくなり始めたあたりからすごく私に冷たくなって。」
「。。。」
「今まで優しかったのが嘘みたいに、さっきみたいな感じで私に接するようになったの。もちろん何度も理由を聞いたり、ちゃんと話そうとしてるんだけど・・・全然真面目に答えてくれなくて・・・」
「こなつさんは、今も彼女と同じ施設に住んでるんだよね?学校終わってから施設で会ったりしないの?」
「最近、施設に帰ってくるのがすごく遅いみたい。さっきの男子たちみたいに、ちょっと危なそうな友達と毎日夜遅くまで遊んでるらしくて。」
「こなつさん、彼女のことが心配なんだね。」
「。。。うん。。。」
もちろん、私へのいじめのような態度に対して恨みや怒りを感じていないわけではない。だがそれ以上に、お姉ちゃんのような元の彼女に戻って欲しい、何より急に変わってしまった彼女の本心を打ち明けてほしいというのが切な願いだった。
「それでね、三橋くん。いつも協力してもらってばかりで本当に申し訳ないんだけど。
2か月後に、文化祭があるでしょ?そこで女子ボクシング部が公開練習のために体育館にリングを設置するじゃない?公開練習が終わったあと、ちょっとそのリングを借りたくて。
ボクシング部に相談したいんだけど、手伝ってくれない?」
「リングを借りる?生徒会として何かイベントでもやるの?」
「……彼女と、ボクシングで試合をしたいの。」
「…………え?」
三橋君が拍子抜けしたような声を上げた。無理もない、彼にとってはあまりに脈絡のない話だったろう。
私は特段運動が得意なわけではなく、まして格闘技なんて一度たりとも経験がなかった。
だけど、私には彼女との関係を取り戻すための一つの考えがあった。
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「おーぅ、こなつじゃん。どしたん?生徒会長クビになったん?w」
昼休みに、廊下で彼女が通るのを待っていた私。私を見つけると、嘲るようないつもの口調で彼女が話しかけてきた。
取り巻き達がおらず彼女一人なのは好都合だった。
「ちーちゃん、話したいことがあるの」
「はぁ?お前と話してもつまんねーっていつも言ってんだろ?さっさと教室帰れや」
シッシと手払いする仕草で私をいつものように軽くいなそうとする。
「来月の文化祭で・・・私とボクシングで勝負しようよ」
「あーはいは・・・・今、なんつった?」
私から出て来ようはずのない単語に、彼女は思わず聞き返した。
「ボクシングで殴り合って、勝負しようって言ったの。」
「・・・はぁ?お前頭おかしくなったの?お前がケンカで私に勝てるわけねーじゃんw 今までどんだけ守ってやったと思ってんだよww」
彼女はまだ薄ら笑いで冗談か何かだと思っている。私は拳をぐっと握って勇気を振り絞り、言葉をつづけた。
「怖いの?私に負けるのが」
「・・・あぁ?」
「怖いんでしょ。怖くないなら勝負してよ。そして私が勝ったら、もう意地悪するのやめてよ」
「てめぇ・・・舐めんのもいい加減にしろよ。上等だよ、やってやる。10秒で終わらせてやるよ。あたしが勝ったらあたしの言いなりになれよ。」
申し込まれた勝負は堂々と受ける彼女は、やはり昔と変わっていなかった。彼女は踵を返し自分の教室に戻っていった。
やった。どうにかうまくいった。心臓が飛び出しそうだった。
勝負を申し込んだり挑発したり、慣れない行動で短時間のうちに負荷をかけた私の体はしばらく地に足がつかないようなふわふわした感覚だった。
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文化祭当日。
体育館にて女子ボクシング部の公開練習が終わり、片付けのため関係者以外は退場するよう館内放送が流れる。
「次どこ行く?」「メイド喫茶行こーぜ!」
公開練習を見終わった観客たちがぞろぞろと退場していく。
しばらく経ってから、体育館は先ほどとは比べ物にならないほどの静けさを取り戻し、出入口が一時的に施錠された。
体育館内には、この件に協力してくれる女子ボクシング部員と、私と、彼女だけが残された。
薄暗い中でリング上だけがスポットライトに眩しく照らされ、その空間だけ異様な雰囲気を纏っている。
上半身を露わにし、ボクシンググローブの紐を結ってもらい、キャンバスへと続く階段を踏みしめる。
彼女とはまだ目を合わせられていないけど、鼓動は早くなるばかりだった。
“落ち着け、私。練習通り、練習通り・・・”
自分を鼓舞し、思い切って顔を上げる。彼女は既にリング中央に立ち、私を睨みつけていた。
「早く来いよ。せっかくトップレスなんだから全身ボコボコにしてやるよ」
彼女はその見事な裸体を私に向け、自信満々に挑発してくる。
普段活発に動き回っているせいか、腹筋は綺麗に割れ、その四肢は適度に絞られ、無駄な肉が一切ないように感じられた。
「・・・私だって、負けないから。」
私よりも一回り大きい彼女の圧に押されないように、必死に睨み返した。
レフェリーを買って出てくれた女子ボクシング部部長が最後のチェックを私たちに告げる。
「3分、3R。本番形式のトップレスなので、ダメージ入りやすいです。2人ともボクシングは初心者ですし、危なくなったら止めますから。いいですね?会長。」
「はい。協力してくれて、ありがとうございます。」
「いいから早く始めろよ」
彼女は今すぐにでも殴りたいと言わんばかりに悪態をつく。
「両者、ニュートラルコーナーへ」
「・・・BoX!」
ゴングと同時に、彼女は猛攻を仕掛けてきた。
私はガードを固めて守ったが、その一発一発はガードごと刈り取ろうとしているような、暴力的な威力のパンチだった。
「オラオラァッ!!お前から勝負したいって言ってきて、その程度かぁ!?」
初めて経験する彼女の拳は、彼女の実戦経験の多さを物語るように自信にあふれ、私の体勢を崩しにかかる。
真正面から殴られるという初めての経験に戸惑いながら、必死に守りを固めて彼女の動きを見つつステップとスウェイで動き続ける。
もしグローブがなく、何でもありの殴り合いだったらこのまま気圧されてしまいそうだ。
「ちょこまか動くんじゃねぇよ。逃げてねぇで殴り合えよ!」
彼女にとって勝ちは揺るがないもので、私をどういたぶろうか考えているような口ぶりだった。
当然だ。彼女にとって私は“弱い人間”。だけど、それが私にとって突破口になり得るのだ。
「めんどくせぇ。もう終わりにしてやるよ!」
彼女がまた先ほどの猛攻を仕掛けてくる。そして次の瞬間、初めて私は自分から手を出した。
彼女の大振りの合間に、ジャブを何発か彼女の顔面に命中させた。
「・・・っ!?」
彼女が少しよろめくと同時に、女子ボクシング部員から「おぉっ」という声が上がった。
「こんのっ・・・!」
さらに大振りになった彼女の顔面に、またジャブを合わせる。そして距離をとる。
やった。ちゃんと練習の成果が出せている。
「・・・効くかよ、こんな軽いパンチ。」
強がりを言いながらも、彼女は顔面に何発か被弾したことにフラストレーションがたまっているようだった。
「こんなもんじゃないでしょ?来なよ。」
さらに大振りを誘うために、彼女を挑発する。
格下だと思っていた相手にパンチを入れられたうえに、この挑発。
この時点で彼女の憤怒は頂点に達し、豪速球のような大振りの左が繰り出された。
「っオラぁっ!!!」
ここだ。カウンターの大チャンス。間近で通過するパンチの迫力に怯みながらも、私はそれをかわしつつ、自分の左を合わせた。
「ぐぶっ!!」
カウンターは彼女の顎にクリーンヒットし、彼女は嗚咽をあげた。
彼女の突進力が乗った分、力が強い方ではない私の拳にも十分すぎるほどの手応えがあった。
彼女の足は体を支える力を失い、彼女は最寄りのロープにしがみつくように体を預けた。
その光景を目の当たりにし、人を初めて殴り倒したという事実に対し両の手が震える。
今までの練習がここまで明確に効果を発揮することが空恐ろしくさえ感じた。
「ロープダウン!ワーン・・・ツー・・・」
レフェリーのカウントにハッとして我に返る。
ダウンには変わりないが、彼女はロープにもたれかかり完全に倒れることを拒否しているようだった。
表情は朦朧としているが、その目からは強い意志が伝わってきた。
「こっ・・・んのっ・・クソがぁっ!!」
カウントが7を過ぎた時、彼女は一気に上半身を持ち上げ、同時にファイティングポーズをとる。
「ぜってぇボコボコにしてやる・・・!」
呼吸は荒く膝は震え既に余裕はなくなっていたが、彼女の闘志は衰えていない。
立ち上がった彼女の迫力に怯みかけた時、第1R終了のゴングが鳴った。
「両者、ニュートラルコーナーへ!」
インターバルの間、私は今日までの練習を思い出していた。
三橋君にこの計画について話したあの日から、私はボクシングに関する本を読み漁り、
短期間で習得しようと猛勉強した。
勉強していくうちに、ボクシングというスポーツの完成度の高さと緻密さに驚いた。
だけど、頭で理論を理解したからといって、体を動かさない限り技術は身につかないこともわかっていた。
そこで私は三橋君に頼み込み、ミットを持ってもらってコツコツと動きを練習した。
相手がいることで反省点や改善点を教えてもらえたのも、とても効果的だった。
もちろん、施設に帰ってからもジョギングや自分の部屋での反復練習を怠らなかった。
その練習の成果もあり、今こうして彼女と渡り合えている。
でも、私の本当の目的はまだ先。もっともっと攻めないと。
「セコンドアウト!」
腰を上げようとしたとき、足が急に重くなった。
練習してきたとはいえ、素人にとって1R3分の負荷の大きさを実感する。
「BOX!」
第2R開始後も、彼女は一直線に私に突進してきた。
「オラぁっ!」
私がガードを固めるとわかっていても、彼女は力任せの連打を私にぶつけてくる。
私よりも手数が遥かに多く、1Rのダウンでダメージも大きいはずなのに、この運動量。
さきほどと違って無駄口をたたく余裕もなく、彼女の呼吸がどんどん荒くなるのがわかる。
スタミナも後先も考えず、今の全力を出す。それが彼女の戦い方なのだろう。今までもそうしてきたのだろう。
私がバックステップで距離をとっても、彼女は私の動きに食らいついてくる。
私が倒れるまで殴るのを止めないと言わんばかりの気迫で。
大きなクリーンヒットをもらっていないにも関わらず、自分の体が重く、呼吸も相当荒くなっていることに気づく。
落ち着け、相手の動きを見れば大丈夫。
あれ?腕が思うように動かない?
ガードの上からパンチを受けすぎたから?
そうだバックステップ!距離を取って・・・
うそでしょ!?これもついてくるの!?
ガードの上からでもパンチは少なからず効いてくる。
そのダメージの蓄積と彼女の迫力に押されながら、私は少しずつパニックになっていった。
一端、押し返すしかない!
凡そ冷静とは言えないその決断で、フックともストレートとも判別できないような中途半端な左が空を切る。
次の瞬間、固く重い何かが私の脇腹に突き刺さった。
「っあぉっ・・・うぇ」
嘔吐に近い急激な不快感が私を襲い、私の口から大量の唾液が吐き出された。
体がくの字に曲がり、動くこともままならず顔面をさらけ出した私に、彼女の右ストレートが叩き込まれた。
一瞬、私の視界の端で大きな火花が散り、世界が暗転し、平衡感覚が失われる。
次に感じたのは、背中に押し付けられるロープの感覚。
どうやら、私はロープのおかげで辛うじてまだ立っているようだった。
ぼやけた視界の中で、彼女が私に迫っているのを捉える。
足が動かず、ガードを固めて凌ぐしかなかった。
まともにいうことをきかない腕の上から、再度衝撃が伝わる。
気を少しでも緩めたら簡単に倒れてしまいそうだ。
あと何秒かはわからない。
まだ、ここで倒れるわけにはいかない。まだ終われない。
彼女だってダウンから立ったんだ。
耐えろ、とにかく耐えろ・・・
そして、ついに2R終了のゴングが鳴った。
レフェリーが私たちの間に割って入り、永遠とも思える苦難から何とか解放された私はニュートラルコーナーにドスンと腰を沈めた。
さっきのボディと顔面へのクリーンヒットを受け、私の体力は汗と一緒にほとんど流れ出てしまったように感じた。
それほどに体が重く、座っている時でさえコーナーに背を預けていないと辛かった。
歪んだ視界の中に移る照明を一点に見つめ、荒い呼吸を繰り返しながら少しでも回復しようと努める。
彼女の強さ、しぶとさを身に染みて経験した私の中で、まだやれるという自分ともうやめたいという自分が葛藤していた。
ふと彼女に目をやる。彼女は前にかがむような姿勢で、マットを見つめながら大きく肩で息をしていた。
その姿は、試合前の自信に満ち溢れた彼女の姿からは想像もできないようなものだった。
そうだ。彼女も苦しいんだ。
消耗している中であれだけ動いて、私を倒すことに本気だったんだ。
いつも強がっているけど、彼女だって必死なんだ。
次が最後のラウンド。私の本当の目的のために、力の限りを出し尽くすことを決めた。
再開の掛け声とともに、足に渾身の力を込め、立ち上がる。
彼女も何かを決意したような真剣な表情で、ファイティングポーズを取った。
「ファイナルラウンド!BOX!」
思うように体が動かない中で、私はよろよろと彼女に詰め寄り、自分から手を出した。
細かいパンチが彼女のガードの上にヒットする。それに対し、彼女も反撃する。
疲れ切っているせいか、彼女のパンチの威力もかなり衰えていた。
彼女のモーションにカウンターを合わせようと何度も試みるものの、
足や腰の動きが追い付かない。お互いに急所を捉える決定打が入らず、パンチを交錯させる展開が続く。
それでも残り少ない体力はどんどん消耗していく。呼吸はさらに荒くなる。
苦しさから、無意識に距離をとり、体を休めようとしてしまう。
「残り1分だよ!」「最後最後!出し切れ!」
いつの間にか女子ボクシング部員のみんなが盛り上がり、私たちに声援を送っていた。
・・・そうだ。これで最後だ。
その声援に押されるように、私は力を振り絞って彼女の顔面めがけて拳を繰り出す。
同じタイミングで、彼女のパンチも私に迫っていた。
「ぐぶぇっ」「んぶっ・・・ん」
放ったパンチの手ごたえを感じつつ、私も同時に頬を打ち抜かれた。
一瞬、視界が白くなり、足から全身の力が一気に抜ける。
途切れそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら、残された力で倒れまいともがく。
しかし、もう自分一人では体を支えられなかった。
彼女がどこにいるかもわからなかったが、私は目の前に必死に両腕を伸ばし、彼女にすがるしかなかった。
運よく彼女にクリンチする形で、私たちは抱き合ったままよろよろとロープに体を預けた。
「ち・・・ちーちゃん、わたし、負けない、から・・・」
「あたし・・・だってっ・・・負けねぇっ・・!!」
激しい呼吸の合間合間で言葉を発し、私たちは必死に自分を奮い立たせる。
彼女も限界が近いようだった。そして、クリンチしたまま彼女が言葉を続けた。
「あたしが、お前を守ってやってたのにっ・・・・ずっと、守ってやってたのにっ・・・!」
「あたしと・・・離れた途端に、生徒会長にまでなりやがってっ・・・!!」
「あたしはっ・・・三橋のことが好きだったんだよっ!それなのにっ・・・
お前はっ・・・あたしの好きな人まで・・・奪いやがってっ・・・!!」
「お前のことを・・・ずっと守ってきた私はっ・・・・何だったんだよっ・・・・!」
そうか。そうだったんだ。
やっと聞けた、彼女の本心。
彼女は昔から、互角と認めた相手に自分の心中を吐露することが何度もあった。
ケンカや殴り合いでたくさんの人とわかり合ってきた、彼女ならではの癖というようなものだろうか。
これが、私の本当の目的。
彼女の腕の中に昔のような温もりを感じ、彼女の本音を聞けた充足感に誘われる形で、私は彼女に抱きつきながら意識を失った。
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「こなつ、意地悪してごめんな。」
「・・・うん。前みたいに戻れるならそれでいいよ。」
文化祭が終わり、彼女は晴れ晴れとした表情で私に謝罪してきた。結果的にあの試合は私の負けだったけど、勝ちとか負けとか、もうそんなことは私たちにとってどうでも良かった。
彼女は彼女なりの理由で、その行き場のない思いを“いじめ”のような形で私にぶつけていた。
彼女からしたら、守っていた妹に突然自分だけが置いて行かれ、好きな人まで奪われたような感覚だったのだろう。
でも、私も生徒会長になりたかったわけでもないし、彼女から三橋君を奪ったわけでもない。
「ちーちゃんがずっと私を守ってくれたことは本当に感謝してる。・・・それと、三橋君と私は別に付き合ってるわけじゃないよ?私友達少ないし、色々頼れるのが彼だけだったっていうか・・・。」
「え、そーなの?だってお前ら下の名前で呼び合ってるって噂だし、なんか生徒会室からパンパンヤッてる音してくるとか聞いたけど。」
「し、下の名前で呼んでくるのは三橋君だけだし、たぶんそれミット打ちで練習してた音だよっ!!」
「・・・へぇ~・・・やっぱ練習してたんだぁ。じゃないとあんな強くならないよなぁ~。ま、それでも私の方が強かったってことか☆」
彼女はからかうようににやりと笑う。
「つーわけで、あたしも生徒会に入れてよ。なんか面白そうだし。」
何が「つーわけ」なのかわからないが、彼女はすでに生徒会に入る気満々のようだった。
「それはいいけど・・・あのヤンチャそうな人たち・・・あの人たちとはまだ遊んでるの?」
「どーせあたしの体目的でつるんでた単純な奴らだから。色々むしゃくしゃして遊んだりしてきたけど、あいつらには私から謝って縁切ったよ。あ、まだヤらせてねーよ?」
危なそうな友達の件以外にも、彼女の三橋君への想いも気になっていた。
「ちーちゃん、その・・・三橋君のことが好きなら、ちゃんと言葉で伝えた方がいいと思う。今回の私たちみたいに、気持ちがすれ違ったままだとまた変な方向に行っちゃいそうで・・・」
「わ、わかってんよ!・・・お、お前こそ三橋のことどう思ってんだよ?下の名前で呼ぶってことはあいつお前に気があるんじゃねぇの?」
そういえば、なぜだろう?三橋君が私のことを“こなつさん”と下の名前で呼ぶことに関して深く考えたことがなかった。
「お前ってほんと、そういうの鈍いよな」
「う、うるさいな!」
顔が熱くなるのを感じながら、私は三橋君のことを急に意識し始めていた。
だけど、その気持ちの正体がよくわからなかった。
「・・・ま、お前の気持ちは知らねーけど、三橋にはいずれちゃんと伝えるから。
じゃ、とりあえず握手でもしとくか?」
少し照れ臭かったが、私は彼女の目をまっすぐ見つめ、差し出されたその手を固く握った。
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お久しぶりです。多分過去最長です。
絵より文に苦しみました。
なんか秋になると学園物っぽいやつを描きたくなるのは何故なんでしょうか。(これが学園物になってるかどうかは別として)
ストーリーを面白くできる人、本当に尊敬します。
本当にその才能が欲しいです。
あと、もしかしたら投稿が今まで以上に不定期になるかもしれません。