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2. 殺意
天気予報も見ずに外に出たものだから、今日が12月にしては温かい日であるということに気づかなかった。
寒川 真冬はマンション自室を出てすぐ、マフラーを取った。
12月にこんなに温かい日が訪れると、思い出す。
五年前のあの、事件のことを。
あの事件が起きた日もちょうどこんなふうな温かい日だったのだ。
ずっと浴びていたくなる春のような日差しの下で、あの悲劇は起きた。
まだ通常の刑事課に属する刑事であった真冬が"金繭小学校"に駆けつけた頃には、"加害女児"は運動場へ続く階段に座っていた。
隣には、教師と思しき女性がいた。
友人を刺殺した少女──新城彩華は血まみれだった。
エメラルドグリーンのプルオーバーパーカーに染み込んだ赤茶色の無数の染みも、白い頬や首にまで飛び散った赤黒い液体も、鮮明に思い出せる。
発見者が当初、現場に立ち尽くす新城を見て彼女が大怪我をしたのだと勘違いしたのも無理はないと思った。
まさか、あんな小さな少女が人を殺したなど思わないだろう。
彼女を染めている夥しい量の血が、返り血であるなんて思わないだろう。
校庭へ続く階段で、真冬が新城彩華と初めて向かい合った時、彼女は特別、取り乱しているようには見えなかった。
勢いで殺害してしまってパニックに陥っているとか、呆然としているとか、そういった様子はまるでなかったのだ。
のちに彼女自身が計画して殺人を行ったことを認めている。
つまり、新城彩華にとって殺人は特別取り乱すようなことではなかったのだ。
でも、彼女は不安げであった。
校内に駆けつけたいくつもの警察車両や救急車を見て、鳴り響くサイレンを聴いて、慌ただしく走り回る大人たちを目にして、新城彩華はようやくことの重大さを認識したような、そんな具合だった。
彼女は当時12歳。子供だけど、その歳の子でも殺人という行為の重さは分かっているのが普通だと真冬は思っていた。
だけど、新城彩華は違った。
まるで、人を殺して初めて殺人の重さを知ったかのようなそんな様子だったのだ。
真冬から見て、彼女はそういう目をしていた。
あの目を思い出したくない。
新城彩華の目は、澱みのない純粋な色をしていた。
世間の一部では、新城彩華は呪われていたから殺人に及んだのだという風説が流れた。
彼女の経歴や、その理解し難い残酷な行為からそのような噂が流れるのは致し方ないと思うが、真冬はそうは思わない。
真冬は身柄を確保された新庄彩華と幾度も話をしたのだが、彼女からは…新城彩華からはそういった呪いの気配は微塵も感じなかった。
真冬は小学生から大学を出るまでずっととある神社で退魔師として活動していた。
だから、分かる。彼女に何かが取り憑いていたわけではないことも。
でもそれは残酷な話だ。
何かに取り憑かれているわけでもないなら、新城彩華は彼女自身の決断で友人を殺害したことになるのだから。
──腹が立ったから。ずっと我慢してたけど、
ダメだった。だから…。
かつて新城彩華は真冬にそう語った。
──大変なこと、しちゃったな。これからどうなるのかなぁ。
彩華の漏らしたその言葉はどこか、他人事のようにも聞こえた。
12歳という幼い少女による殺人事件というのは衝撃的ではあったが、過去に例がなかったわけではない。
約七十年前に起きた"星降谷郵便局員惨殺事件"の犯人は、彩華と同じ歳の女の子が犯人だったという。
この事件は様々な悲劇の集合体なのだと真冬は過去に本で読んだことがある。
犯人の少女は、抑えられぬ好奇心から殺害に及んだのだと──。
また、資産家一家殺害事件の犯人も少女であった。
だが、仲の良かった友人を、白昼堂々学校内で殺害したなんていう事件は前代未聞だった。
前代未聞。だからこそ、世間は大きく動揺し、騒ぎ立てた。
新城彩華は何故、凶行に及んだのか──。
加害女児は親から虐待を受けており、その結果、精神を病んで犯行に及んだ。とか。
学校で仲間外れにされた腹いせに殺人を犯した。とか。
加害女児は生まれつき精神に問題があり、快楽殺人者で興味本位で被害女児を殺害した。とか。
色々な風説が流れた。
真冬が思うに──どれも的外れだ。
事件後、真冬は向き合った。理解しようとした。新城彩華のことを。
彼女がなぜ、"殺意"を抱き、友人の命を奪ったのかを。
でも、分かったことといえば、新城彩華は、人見知りをする"優しい人間"だということだった。
それだけだ。
それは、真冬の求めていた答えではなかった。
友人を殺害した人間のことを優しいと感じるなんて。
でも、それは事実だった。彩華は、正義感がとても強い。
困っている人間を見れば放って置けないような性格だ。
あの事件が起きる少し前、彩華は友人たちと共に文字通り命をかけた戦いに挑んでいる。
それは、強い正義感がなければ出来ないことなのだ。
他にも、真冬がした質問に対する答えはどれも彩華の正義感の強さを象徴するものばかりだった。
なにより、彩華が見せた行動の一つ一つが優しさの滲み出るものだったのだ。
優しさを見せつけようとするのではなく、隠そうとして溢れ出しているようなそんな印象だった。
特に印象的だったのは、
──大丈夫ですか。ごめなさい。私のせいで。
彩華は事件後、付きっきりだった真冬のことを心配して来たことがあったのだ。
警察である真冬に優しく接することで罪を軽くしようとかそういう下心は見えなかった。
そもそも、そんな悪巧みをするのなら、反省してますとか後悔してますとかそういう言葉を裁判などで口にすれば良いのだ。何度も。何度でも。
だが、そんなことは、ただの一度も口にしなかった。
最後まで。
事件が形式上解決する最後の、最後まで。
彩華はただ、
──なんでああなっちゃったんだろう。なんであんなことしちゃったんだろう。
とぼやいたりする程度だった。
分からなかった。彩華のことが。
彩華は精神鑑定にかけられた。
しかし、同じ歳の子に比べて知能指数が異様に高かったという点を除けば彩華に特に異常は見つからなかった。
だが、異様に高い知能指数を理由に彩華は心身の発達に問題があると診断された。
確かに、異様に高い知能指数を持つ人間が心身の発達に問題がある場合というのはある。
それでも、真冬は彩華がそこに当てはまるように思えない。
勿論、真冬は精神鑑定に関しては素人だ。だから、精神科医の鑑定が正しいのかも知れない。
精神に異常があるから殺人を犯しました。というのはとても単純で、実に納得のいく理由だ。
実際にそういったケースはよくある。
無論、精神に問題のある人間が皆、犯罪に走るわけではないし、犯罪に走るものはごく一部なのだけれど。
精神に異常があるから。それでは真冬はやはり納得がいかなかった。
真冬は、自分だけでも彩華のことを理解したかった。
彼女の抱いた殺意とそして殺害に至った本当の動機を解明したかった。
でも、向き合えば向き合うほど分からなくなった。
彩華のことも。事件のことも。
凶行というのは──
憎かったから、金品や財産目当てで、自分とその周囲の安全のために──様々な動機がつきものだ。
動機があるから、人は殺意を抱いて殺人を犯す。そういうものだ。動機なくして凶行は成り立たない。
彩華の殺人には、はっきりとした動機がない。
正確には、あれほど目立つ環境であれほど残酷な殺害に及ぶに値する動機がない。
いくら問いただしても、彼女は、被害女児に対して腹を立てていたから、としか答えない。
それだけで、それだけであの優しい少女が殺人を犯すものか。
分からなくなった。
人は何故、人を殺すのか。
殺意とは何か。殺人に至る動機とは何か。
分からなくなった真冬は警察を辞め、特霊課として再び声をかけられるまで退魔師に戻っていた。
"白昼堂々の残酷な殺人"に至るほどの強い動機をもたない殺人を犯した彩華との関わりをきっかけに寒川は事件に関わる者と向き合っていく自信を失くした。
あの事件、金繭小事件は、複雑な裁判の末に彩華が"国立西方学院"という自立支援施設に送られることで決着がついた。
しかし、真冬の中ではまだあの事件は終わっていない。
何故、被害女児は殺されねばならなかったのか。
何故、彩華は友人に殺意を抱いたのか。
どのような動機で白昼堂々、学校内で殺人に及んだのか。
何もはっきりと分かっていないのだ。
当時、真冬は可能な限り事件に関する情報を集めた。
だが、手元に残ったのは事件関係者たちの当時の状況や交友関係などといった事実のみ。
事件の真実は一つも分からなかった。
真冬は、事件が決着を迎えるまでに彩華のことを理解せねばならなかったのだ。
それだけが、きっと真冬を事件の解決に導いてくれたはずなのだ。
それももう叶わない。
警察を辞めた後の真冬は、退魔師としてひたすら死者と向き合った。
死者を相手にする場合も、相手のことをよく識る必要があるという面では警察官の時とやることは変わらない。
それでも、生者を相手にするよりは、真冬は気持ちが楽だった。
生きた人間を相手にする仕事は、複雑だ。
それに比べて死者を相手にする退魔師のやることは、単純明快だ。
動機がどうとか、殺意がどうとか。そんなことは考えなくて良い。
その怪異は何故、死に至ったのか、誰を恨んでいるのか、何を求めているのか。
それだけを解明してやれば良いのだ。
いわく、死者というのは、生物として完結してしまった存在なのだそうだ。
だから、もう変化することはない。心のうちを読み取れないような変化を遂げることもない。
そして、怪異の浄化をもってして事件は解決する。命懸けではあるが、単純である。
だから、気持ちが楽だった。
ずっと、退魔師のままでも良いと思っていた。
だけど、やはり今でも真冬の考えを蝕むキッカケになった彩華のことが、あの事件のことが忘れられない。
あのままずっと、彩華とあの事件のことに蓋をし続けることだって出来た。
それでも真冬がそうしなかったのは、そう出来なかったのは、あの事件と彩華の存在が真冬の正義感を呪いのように蝕んでいるからだ。
金繭小事件は大きな傷痕を残した。
第一発見者である男児は
心に深い傷を負い、しばらく登校出来なかったという。
現場に駆けつけた教員もまた、精神を病んで入院するに至ったという。
彩華の一家は父親だけが金繭に残り、離散した。
父親が金繭に残り続けているのには理由があった。
西方学院では、中学生になると敷地内にある中学校に入学することになっている。
正確には、西方学院のそばにある中学校の"分教室"である。
そのため卒業証書には、分教室卒業という文字が刻まれてしまう。これでは施設上がりであることが明白だ。
そのため、西方学院では親の住民票のある地域の中学校に学生の籍を置くことになっている。
彩華の父親は、娘の学籍を地元の中学に置いてもらうために金繭に住み続けていたのだ。
──あの娘は金繭が好きなんですよ。
父は、そんなことを語ったという。
その後のことは知らない。
二年ほど前に西方学院が全焼したという話だけは知っている。
あの事件を解決出来ずにいて、退魔師として正義を振りかざすことに嫌気がさして来ていた。
真冬はだから今の役職に戻ったのだ。
警察でいれば、またあの事件に関わる日が来るかも知れない。そんなことを微かに考えていた。
金繭小事件は、形式上は、もう終わった事件…過去の事件だ。
再び警察が捜査することなどないのは分かっている。
真冬が待っているのは、死者となった彩華との邂逅である。
西方学院の火災は凄惨なものだったと聞いている。いまだに、生死の分かっていない者も多い。その中に、彩華がいる可能性は高いと真冬は見ている。
死者となった彩華相手になら真冬は──少しは堂々としていられる気がする。
その時はきっと、その時こそ、真冬は彩華との決着をつけ、自分の中の金繭小事件を解決することが出来るのだと思う。
勿論、彩華の死を願っているわけではないのだが──もしも、死しているならば、決着をつけたい、ということだ。
怪異を探すのなら、なにも警察官に戻る必要などなかったかも知れない。
でも、真冬には刑事という肩書きが必要だった。
彩華と出会った時、あの事件に遭遇した時の肩書きが。
それに、先のクーデターにより退魔師が自由に動けなくなった今、刑事としての身分は有利に働く。
大きな組織であるが故に自由に動けないことも多いけれど。
真冬は彩華を恐れている。
生きた彼女と出会えばまた、何もかもが分からなくなる気もする。
恐れているからこそ、退魔師時代も彼女のことを追わなかった。
生き延びている新城彩華と出会うのは、恐ろしいことだ。
それでも、もしもいつか再び生きた彩華と向き合う時が来たならば──
──真冬は向き合おうと思う。今度こそ。それは何よりも被害女児の無念のために、二度と悲劇を繰り返さないように。
──やっぱり、大変なことしちゃったのかな。でもどうせ──。
冬にしては妙に暖かな空の下、真冬の脳裏に彩華の言葉がよぎった。
激しい頭痛がして、真冬はくらりとバランスを崩す。
やはり、あの事件は終わっていない。
真冬は薄青い冬の晴れ空を見上げた。
──今は、目の前の事件に集中しないと。
旧姫咲学園旧校舎での失踪事件。
また、未来ある命が失われるかも知れない。
それだけはなんとしてでも避けないといけない。