no preview
DESCRIPTION
3. 古井戸村五十人殺し
※
彼女はきっと誰よりも小心者だ。
彼女の放つ強い言葉も、傲慢な振る舞いも、何もかも臆病な心の裏返しなのだと思う。
そんなことは、最初から分かっていた。
それでも一緒にいたのは、この学校では彼女といることが最も安全だと思ったからだ。
高校に入るまで、私は荒野を生きてきた。
周りのほとんどが、敵に見えて、周りを見るのが怖くなって、姿勢の良かった私の背筋はあの三年間で随分と丸くなった。
もうあんな生活は、あんな荒野で生きるのは嫌だった。
だから私は、私たちは荒野の向こうにある緑豊かな丘を目指した。
丘には狼たちがいた。
私たちは、狼の長である彼女についていくことに決めた。
彼女は私たちを認めてくれた。
私は、彼女のような人間が苦手だった。彼女は、過去に私を苦しめた人間たちと同じような種族だから。
だけど、苦手だったからこそ、どのように振る舞えば喜ばせることが出来るかを知っていた。
だから、気に入られるのは簡単だった。
狼の群れでの生活はそれなりに楽しかった。
丘で一番強い長のいる群れにいると、敵に怯える心配がないし、彼女も仲間には優しかった。
彼女が、仲間にだけ見せる笑顔を見ていると、安心した。
この群れにいて良いのだと思えたから。
でも、私が彼と惹かれあってからは、彼女が私を見る目は獲物を見るような目になった。
恐ろしかった。
また、荒野に追いやられてしまうような気がした。
だから私は、彼から手を引こうとした。
でも、あの人に気づかされた。
弱いのは彼女自身なのだと。
彼女は、自分の未来に強い不安を抱いていると。
自分の未来は自分が決めるもの。
その未来を、不安に思うほど彼女は弱いのだと私は教えられた。
彼女は弱い。
それに気づいてから、私が彼女を必要以上に恐れることはなくなった。
彼と一緒になら荒野に戻っても良いと思った。
本当に好きな人たちといれるなら、どこで生きても良いと思えた。
私は自分の未来など怖くない。
何が起こっても、私には"うたい"がついている。
誰よりも私のことを好きでいてくれて、誰よりも強かった人。
本当に強い人というのは、その強さを表には出さない。
"うたい"のように。
うたいは死んでしまった。
私のせいで死んでしまった。
"うたい"の分まで生きると決めたその日から、私はうたいと一緒に生きている。
だから何も、怖くない。
未来も、荒野も、狼の長も。
※
──2022年12月16日金曜日──
また、玄関ドアが開くこともなく、インターフォンはぶつりと音を立てて切れた。
これでもう十軒連続で収穫無しだ。
放課後、羅那たちは学校周辺の住宅を訪ねて情報収集を行なっていた。
欲しいのは、過去に起きた姫崎学園での失踪事件についての情報と、そして──"藤島小百合"についての情報だ。
インターネットや過去の新聞記事など可能な限り調べたが、目新しい情報はなかった。
藤島小百合についても、情報提供者からのメールに旧校舎というワードが記してあったことから、藤島が恐らく姫崎学園関係者であること意外、なんの推測も出来ない。
そこで、学校周辺に住んでいる人々から情報を得ようと思った──のだが、皆、事件のことは知っていても詳しくは知らないと言う。
それもそうだ。いくら近くに住んでいようと、事件の詳細を知っているとは限らない。
それでも、羅那は足を止めなかった。まだまだ家は沢山ある。
愛維がいなくなったのだ。じっとしていられない。
こうなったのは自分にも責任がある。そう羅那は思っている。
でも、警察の邪魔は出来ない。
仮に退魔師でもない羅那たちが旧校舎に侵入したところで、被害を拡大するだけになってしまう可能性が高い。
だから今は、今回の事件と関連するであろう情報を少しでも集めておきたかった。
「やっぱりさ、いっそ一回だけ旧校舎に入って
名簿とか卒業アルバムとか漁ったほうが早いんじゃないかな」
乃恵がそう言って、人差し指で雑にインターフォンを押した。
どうせ、押したところで収穫がないと思っているのだ。
「流石に入れないでしょ。
警察の人がうろうろしてる」
叶夢は悔しげに唇を噛んで、首を横に振った。
「そうだね…サイトでも情報募ってるからそっちでも動きがあると良いんだけど…あっ」
乃恵と叶夢に話している最中にインターフォンの向こうから声がしたので、羅那は慌ててインターフォンの方を向いた。
「あ、すみません──」
カメラもついていないインターフォン越しなのに、つい腰を低くしてしまう。
羅那はもう十一回目にもなる同じ質問をする。
結局、また情報はなかった。
「はー。だめかー」
叶夢はブレザーのポケットからカイロを取り出してニギニギと握った。
そこへ、別行動をとっていた歌巴と澪が帰ってきた。
叶夢が二人に手を振ると、遠くにいる二人は手で大きく罰印を作った。
「駄目だったみたい」
叶夢が苦い顔をした。
歌巴と澪も数軒、回ってくれたようだが結果は羅那たちと同じだった。
「みんな何も知らないって」
歌巴は、はぁとため息をついた。隣では澪が寒そうに肩をすくめている。
「そっか…そうだよね。ごめんね…ありがとう」
羅那は苦笑いを浮かべた。
愛維のためにと捜査に乗り気だった乃恵と叶夢とは違って、歌巴と澪には羅那が頼んで協力してもらったのだ。
澪と歌巴の二人は当初、捜査は全て警察に任せておいた方が良いという意見だった。
下手に関わるのは、かえって捜査の邪魔になるのではないか、と。
確かにそう思うのも無理はない。それが間違っているとも思わない。
けれど、羅那はじっとしていられなかったのだ。それだけだ。
それだけだから、二人には絶対協力して欲しかったわけでもなかった。
ただ二人にも声を掛けないといけない気がした。
このままだと澪と歌巴が離れていくような気がして、良くない──気がしたのだ。
結局、ほとんどは乃恵の圧で二人には協力してもらうことになった。
協力は無理やりだから、無理に働かせたような気になって申し訳なさを感じる。しかも、結果は情報無しなのだから。
ぴゅうっと冷たい風が吹いてきた。
澪がぶるっと震えた。
「ねぇ羅那」
歌巴がとんとんと羅那の肩を叩く。
「愛維は…大丈夫かな」
歌巴が深刻そうな顔でそう言ったのが羅那にはなんだか意外だった。
正直、愛維と歌巴は現在関係が良好には見えない。それは多分、あの横井という男子が関わっているのだろうと思う。
歌巴は愛維から離れていくし、愛維はそんな歌巴に不満そうだった。
それでも、歌巴は愛維が心配なのか。
でもそれは考えてみれば、当然のことだ。
いくらちょっと仲違いをしたところで死んでしまえば良いとは思わないし、心配もするのだろう。
歌巴と澪が今回の捜査に乗り気ではなかったのも、警察の捜査に任せた方が愛維のためだと判断したからだ。
「ねぇ羅那。どうなの…かな」
歌巴はもう一度、そう言った。
すぐに頷きたかった。
でも、そんな無責任なことは出来なかった。
正直、彼女が無事である保証など、ない。
「大丈夫だよ」
はっきりとそう言い切ったのは叶夢だった。
歌巴と澪が意外そうに、叶夢を見た。
羅那も目をぱちぱちさせて叶夢を見つめていた。
「あの愛維だよ?相手がオバケでも、しぶとく生き延びるに決まってる」
叶夢はそう言って少しぎこちなく微笑んだ。
「そう考えた方が良いよ。そうじゃないとみんな…疲れちゃうでしょ。ここ最近…色々あったし…って感じどう?」
叶夢はハキハキとそう言って、最後に確認するように羅那を見た。
「えっ…。あー…そうだねその方が良いかも」
羅那はあははと笑った。笑って良いのか、分からないけれど。
羅那のスマートフォンが震えた。
羅那の運営するサイトのメールアドレス宛にメールが届いていた。
差出人の名前を見た時、羅那の心臓から熱い血が全身に送り込まれた。
差出人はsoki。この前、"藤島小百合"なる人物の名前をメールで送ってきた人物だった。
差出人: soki
件名: 旧校舎の件について急ぎ連絡
先日は突然のメッセージ失礼致しました。
早速ですが本題に入らせて頂きます。
私は40年ほど前に姫崎学園に通っておりました。
その頃はまだ、現在の旧校舎を学舎として利用していました。
藤島小百合とは、二年の時に知り合いました。
彼女は、心霊やオカルトにとても詳しい女子生徒でした。
重ねると失礼かも知れませんがちょうどラナさんのようなそんな具合でした。
私がこうしてラナさんのサイトを閲覧しているのも、元を辿れば藤島小百合から心霊好きの影響を受けたからに他なりません。
彼女には少し変わったところがありました。
彼女はしょっちゅう暴力的な行動で指導を受けていたのです。それはもう教師たちも手を焼くほどで、下手な不良生徒よりよっぽど恐れられていましたね。
それだけでなく、藤島小百合は過度な自傷行為にも及んでいました。
これはいわゆる手首を切るなどといったものではなく、例えば自作した釘まみれの板に自らの背面を押し付けたり、刃物で太ももを深く切り刻んだり、かなり過度なものだったのです。
当時、校舎(現在の旧校舎)裏には、物置小屋があったのですが、藤島小百合はその小屋でよく自傷行為に浸っているのを目撃されていました。
私は段々と彼女のことが分からなくなりました。だから、距離をとってしまった。
ある日、藤島小百合は自殺しました。
──自殺しました。
その文言を見た時、熱い血の巡っていた羅那の身体に寒気が駆け抜けた。
藤島小百合は、小屋にある大きな姿見の前で首を吊って死んでいたのです。
最初に発見したのは私でした。
ちょうど、距離をとってしまったことを彼女に謝りに行こうと思っていた時です。
何故、亡くなってしまったのか分かりません。遺書などもなかったようです。
ただ、彼女は校内でも異質な存在として多くの生徒から蔑まれていましたからそれを苦にして亡くなったようにも思います。
そして、唯一の友人であった私も距離を取ってしまった。
私は後悔しています。
彼女は最後にこう言っていました。
私は罪を償い続けたい。と。
どのような罪なのかは私にも分かりません。彼女の犯してきた数々の問題行動のことかも知れない。
彼女が亡くなってからしばらくして、校内では良くない噂が流れ始めました。
夜になると、古屋の鏡の中に、藤島小百合が現れるといういわゆる怪談です。
その噂はやがて校内の姿見にも広がりました。
噂は、単なる目撃情報にとどまらず、藤島小百合に鏡の中に引き摺り込まれてしまうという恐ろしい証言まで存在しました。
私は一度も、鏡の中の藤島小百合と会っていません。
私にそんな勇気はないのです。怪異となった彼女を前にする勇気も、再び藤島小百合と再会する勇気も。
ラナさんが何か調査される際には、くれぐれもお気をつけ下さい。
きっと今の藤島小百合は、生きていた時以上にとても危険ですから。
メールはそこで終わっていた。
添付ファイルには、姫崎学園の学生証の写真が入っていた。
羅那はしばらく何度もメールを読み返していた。集中し過ぎて、乃恵たち全員が羅那のスマートフォンの画面を覗き込んでいるのに気づかなかった。
「これ…」
乃恵がごくりとむばを飲む音が聞こえた。
「すごい大事な情報っぽい…」
歌巴が興奮したような恐怖しているようなどっちにも見える顔をした。
「藤島小百合が鏡の少女…」
叶夢が静かに呟く。
「罪を償うって…」
澪はメールに記された藤島小百合の遺した言葉を指差した。
罪。
罪とは。
罪を償うとは──。
羅那の脳裏に、あの奇妙な夢に出てきた不気味な女の言葉がよぎった。
"贖う者"。
まさか。
じわじわとこの季節には似合わない汗がこめかみを濡らす。
贖う者が、藤島小百合や今回の事件と関係があるのか。
「みんな…鏡の中に吸い込まれちゃったの…?」
歌巴が誰に聞くでもなく言った。
「だとしたら…今回の失踪事件って、この藤島小百合が…」
乃恵は静かに羅那の肩に手を置いた。
羅那は鏡の中の少女と遭遇している。
あの時、自分の追っていた事件の犯人かもしれない人物と。
あの時、彼女は羅那と水羽に旧校舎から出るように促していた。何故──。
どうする?
何を調べれば良い?
藤島小百合についてか。
いや、それは警察が既に捜査している可能性がある。
ならば、警察も知らないであろう彼女が言い遺した奇妙な文言の方を調べる方が良い。
贖う者。
それについて知っていそうなのは──。
「明日、物知りな知り合いの人にちょっと聞きたいことがあるから…そこに行こうかな」
みんなで行こうとは言えなかった。
「物知り?羅那より?」
乃恵が目を丸くした。
「うん。私なんかより全然ね…」
呪詛事件の中で知り合った武闘派でそれでいて知的な人──。
「じゃあお供するよ」
乃恵が柔らかな指で羅那の華奢な肩を揉んだ。ちょっとくすぐったかった。
「あ、ありがとう。けど、いいんだよ?せっかくの土曜日だから」
「いいって。やることないし。それに、愛維たちを早く見つけないと…」
乃恵は校舎のある方──愛維がいるかも知れない方──を見た。
「その人、私も会ってみたいからいくよ」
叶夢がぴょんと跳ねるように羅那の隣に並んだ。
「叶夢ちゃん。ありがとう」
自分の決断で着いてきてくれるのは、嬉しかった。
「ごめん羅那…」
澪の曇った声がした。
「明日…私と歌巴ちょっと予定があってさ…」
澪が最後まで言う前に、隣の歌巴が両手を合わせて頭を下げた。
「ほんとごめん!でも、協力は続けるから!何か分かったら教えて…!」
「あ、うん!全然平気!大丈夫だよ!」
羅那は慌てて首を横に振り、同時に両手も振った。
同行を強制するつもりはない。
そんなふうに思われるのは、嫌だ。
「それじゃあ…明日はお願いします」
澪はそう言い残して歌巴と共に学校の方へと戻っていく。
どうやら、男子バスケットボール部の練習を見にいくようだ。
「こういう時くらい協力してくれても良いのにね。って思ったでしょ」
乃恵が遠ざかっていく二人の後ろ姿を見ながら呟き、羅那の肩をちょんと指で突いた。
「えっ!?い、いや別に…」
「良いと思うけどね思うくらい。私は思ったから。実際に来れるかどうかは別として…愛維たちを助けたいって気持ちがもうちょっとあっても良い気はするよ。どうせ明日いけない理由も"男"だし。ね?叶夢」
「うん。まぁでも仕方ないよ。忘れそうになるけど、今って青春真っ只中なんだから」
叶夢は切なげに澪と歌巴を見つめた。
「あ。そう言えばさ…歌巴には今彼氏いるし、澪も愛維も少し前にはいたし…高校入ってからずっと彼氏いないのってこの三人だけだね」
叶夢は、自分と羅那と乃恵を指差した。
「あー。そう言えばそうかも」
乃恵は空を見上げた。
「乃恵なんて人気なのにね。断り過ぎてたらいつか売れ残っちゃうかもよ」
「いいって。っていうかそれ、叶夢もじゃん」
「いやそんなことないし」
叶夢は口をへの字に曲げた。
「ねぇ羅那はどうなの」
叶夢が山猫みたいな目を羅那に向ける。
「えっ。私は…そういうのはよく分かんないかなぁ」
分からない。本当に。
異性といて、ドキドキするとかそういうのは羅那の記憶にほとんどない。
心臓がよく動くのは大抵、怪異と遭遇した時とか、それこそ愛維や、乃恵や叶夢といる時くらいだ。
でも最近は、愛維や乃恵や叶夢といても平気になってきた。
たまに、乃恵なんかと触れ合うと不意に心臓がドクドクするけれど。
「分からないっていうのは、私も」
乃恵が曇った冬空を見上げながら言った。
「その分からないっていうの、分かるよ。じゃあ私たち仲間だね。同盟でも組む?」
叶夢はクスクス笑った。
乃恵も笑った。
羅那は自分の顔から、自然と笑みが溢れているのに気づいた。
心臓は静かだった。
──2022年12月17日土曜日──
「"贖う者(あがなうもの)"って…またお前、妙なのと接触したんだな」
"島崎神衣(しまざきかむい)"は眼鏡を額に上げ、読んでいた本から視線を移動させ、羅那を見た。
最後に会った時よりもまた少し、人間から離れたような気がする。
羅那は、神衣の赤い瞳を見てそう思った。
この世には、怪異を喰らう人々がいる。その行く末は、人外である。
神衣もその一人なのだ。
顔は美人だが、200cmを超す体躯とそれに見合った筋肉質な身体は明らかに常人離れしている。それが、怪異を喰らうことで得たものなのかどうか羅那は知らない。
羅那は夏の呪詛事件で神衣と知り合った。
神衣は基本的にはステゴロで怪異と戦う力自慢であるが、見た目に反して知識も豊富なのだ。この書斎を埋め尽くす膨大な本は全て彼女の蔵書である。
初めて神衣を見る乃恵と叶夢は、膨大な量の蔵書よりも神衣自身を見てぽかんと口を開けている。
当の神衣は気にする様子もなく、ぱたんと本を閉じた。
閉じられた本の表紙には『黒峰家全史』と書かれていた。
稀覯本だ。
羅那はつい、読みたいなとか思ってしまった。
「その昔、とある村があった」
神衣は眼鏡をテーブルに置いて、ゆっくりと立ち上がった。
背の高い乃恵が神衣を見上げた。
神衣は螺旋階段を登って二階の回廊に上がった。
「ある日、村でとある大事件を起こした女が現れた」
回廊から神衣の声がした。
「大事件…?」
羅那は回廊を見上げた。
「"古井戸村五十人殺し"って知ってるだろ」
神衣は回廊にある書架から本を一冊抜いた。
「五十人…!?」
乃恵が眉をぐにゃりと曲げた。
叶夢は聞いたことがあったのか、人差し指を顎に当ててあーっと唸っていた。
"古井戸村五十人殺し"とは、昭和初期に起きた大事件の一つだ。
余所者の一人の女が、一晩のうちに村人五十人を殺害した。
神衣が螺旋階段を降りてくる。どしどしと足音が響き、階段の近くにいた叶夢の身体が横に揺れていた。
「女は、村で最も重い罰である座敷牢での永久投獄に決まった」
「えっ。警察には…連行されないん…ですか?」
乃恵が不審そうに目を細めた。
「実際行ってみると古井戸村ってのは…山奥にあるかなり閉鎖的な村だ。村で起こった事件も大抵は村の中で処理してたみたいだな。まぁ流石に五十人も殺されたんなら警察に突き出しても良いと思うけど…村に閉じ込める方がずっと罪人を苦しめられると判断したんだろう。まぁ…古井戸村は少し前の大火災で今は消滅したけどな」
閉鎖的な村。そういう村というのは確かにある。
実際、昭和初期まで遡らなくとも数十年前までとある島にそういう村は、あったのだ。その村は邪神を信仰していた。
「村人たちは五十人殺しの犯人を毎日、苦しめた。まぁ、拷問だな。当時の手記を読み返してもかなりエグいことやってたみたいだ。最後の方は死体と見分けがつかないほど肉体の損壊が酷かったとか…。まぁ自業自得だな」
「拷問をされて…犯人は罪を償う気になるんですかね」
叶夢は納得がいかないように首を捻る。
「いや…それがどうもなぁ。当時のこんな記録が残ってる。女は…捕えられてすぐに自らが犯した罪と向き合い、自らが引き裂いた魂に許しを乞うた…と」
「捕まってすぐですか?」
古井戸村事件を知っている羅那もそんな話は初めて聞いた。
「どうもそうらしい。毎日毎日、神にでも祈るみたいに魂に許しを乞い続けたってよ。まぁそれでも村人からは少しでも罪を軽くしたいだけだと思われた。当然だな。だからお構いなしに拷問は続けられた。そしてある日──」
神衣はぺらぺらと本のページをめくる。
「──女は、座敷牢で"贖う者"になった」
神衣は開いたページを羅那たちに見せた。
そこには、何かのスケッチが描かれていた。
手脚を大の字に広げた女体がある。
その肉体には、黒々とした鎧のようなものが纏われている。
鎧のように見えるそれらは、無数の棘や刃、鋭利な黒い骨だ。それらが、いくつも肉体に食い込んでいる。
胸部には、機械仕掛けの装置のようなものがまるで心臓の代わりのように筋肉をえぐってめり込んでいた。
女は、苦悶の表情で顔を歪めている。
見ているだけで痛々しいスケッチだった。
──似ている。
羅那は、夢で見たあの赤い空の下の女を思い出した。
叶夢と乃恵もスケッチに見入っていた。
「贖う者と成った者は、自らが引き裂いた魂に与えた痛みや苦しみを永遠に自分の肉体に与え、味わい続ける」
「罪を償うために…ですか」
羅那は、夢に出ていた女の肉体が裂ける様を思い出す。
あの女も──。
「贖う者と成るには、自分の犯した罪と、引き裂いた魂に真に向き合う必要がある。それが認められた時…罪人は贖う者と成る」
「認められたって…誰に…」
乃恵が腕を組んで独り言のように呟いた。
「さぁなぁ。自らが引き裂いた魂に…と考えるのが普通だけど、そうじゃないなら神とか…かな。まぁ一説では、他の贖う者に認められないといけないとかそんな話もあるな」
贖う者と成るためには、人智を超えた存在による許可が必要なのか。
羅那は、"人間の手の届かぬ存在"の影をかすかに感じた。
「なにも自分自身でこんな拷問器具みたいな鎧をまとうわけじゃない。この鎧も、そして苦しみを死なずに永遠に味わい続けることも…超越した力無しではあり得ないんだならな」
神衣はスケッチをとんとんと指で叩いた。
「でもどうやって贖う者になるんですか?ただ罪と魂と向き合うだけですか…?」
それだけでは、この世の中の大罪人の多くが贖う者になっていてもおかしくないような…気がする。
「いいや。はっきりと分かってないけど、どうも条件ってのがあるらしい。一つはさっきと言ったように罪と魂との真の向き合い。ようは、心からの贖罪の気持ちを持つことだ。そしてもう一つは…"祭壇"」
「祭壇…」
羅那と乃恵は同時に言って、顔を見合わせた。
「五十人殺しの女は牢に入れられてすぐ、地べたに自分の血で奇妙な模様を書いた。それが贖う者と成るために必要な"祭壇"だと言われてる」
「待ってください。じゃあその女性は投獄されてすぐ…贖う者になろうとしてたってことですか?」
「そうなるな」
「じゃ、じゃあ…五十人を殺したのもまさか…」
古井戸村事件とは、一般的には村人に恨みを持った女が復讐のために行ったとされている。
だが、犯人の女は余所者だ。古井戸村とは何の関係もない。
だから、羅那は殺害の動機に納得していなかった。生存者の証言を読んでも、一般的な動機とは噛み合わず、腑に落ちないのだ。
でも、女が初めから贖う者と成ることを計画していたのなら。
だったら、五十人もの命を奪うその動機は──。
「真実は分からない。でも、その可能性はあるな。五十人なんて桁外れな人数を手に掛けたのも…自分にのし掛かる罪を重くしたかったからかも知れない」
「そこまでして…贖う者になる必要があるんですか…」
罪を犯してから贖う者になろうとするのならまだ理解が出来る。
でも、贖う者と成るために罪を犯すなんて考えられない。
「贖う者ってのは、いわゆる"超越者"の類だ。だから…贖う者と成り、大罪を贖い続けることで超越者の先──"神"と謁見できる…なんて説がある。あくまで伝説みたいなもんだけどな。贖う者に成ろうとする奴の中には、神との謁見目当てのやつもいるかも知れない」
神衣はそう言って本を閉じた。
「そんな下心があっても…成れるものなんですね贖う者に」
神との謁見目当てで人を殺しておいて、真に罪と魂と向き合うとは──。
羅那には分からない。
「どうなんだろうなぁ。贖う者に本当に神の存在が関わってるんなら…いや、祭壇が必要な時点で神は関係あるんだろうな。だからまぁ神への信仰心が強けりゃ成れるものなのかもなぁ。いやむしろ…その場合は神との謁見を望む思いが強ければ強いほど…贖う者に成れるのかも知れない」
神衣は考え込むように腕を組んだ。羅那の細い腕の何倍もある太い腕だ。
「まぁ当然、中には本当に罪を償うために贖う者に成ろうって変わり者もいるんだろうけどな」
神衣は腕を解いて手を広げた。
羅那は、少し俯いた。
神との謁見のために罪を犯すような人間がいないことを願いたかった。
神衣の言うことが真実ならば、古井戸村の五十人は、"生贄"だったということになるのだから。
神。
神とは何なのか。
人間たちに悪霊悪鬼を滅する力を与えてくれる人間の味方ではないのか。
勿論、神への信仰心があるからこその弊害も存在していると羅那は思っている。
先の妖怪戦争において、神を殺そうとした退魔師がいた。彼女はその弊害を無くすために動いた──と聞いている。
彼女の行動は評価出来ないが、その気持ちはなんとなく分かる気がした。少しだけだけど。
神はいるのだろう。
でもそれはきっと、人間のように"いる"のではない。
存在として、"在る"に過ぎない。
そういった曖昧な存在に羅那たち人間は、どうも振り回され過ぎているように思う。
「結局、五十人殺しの犯人は贖う者と成って…消えた」
「どこに…行ったんですか」
「さぁな。この世界以外のどこかだろうよ」
羅那の脳裏にまた、あの真っ赤な空がよぎった。
「私が見た夢…あれは現実なんですか」
「そう考えて良いと思うけどな。古井戸村の郷土史に…こんな記述があるんだよ」
──屍体の如き女が夢に出て言った。"お前たちが、"贖う者"の、"誓いの証明"となる日が近い"と。
神衣は再び本を開いてその羅那にとっては聞き覚えのある言葉を読み上げた。
文章を読み上げる神衣の声に、夢に出たあの悍ましい贖う者の声が重なる。
「この夢は、五十人殺しの起きる数日前に見たって話だ」
神衣が言うと、乃恵と叶夢が羅那に視線を向けた。
二人とも、顔がこわばっている。
「夢に出たそいつが言うように、お前の近くに贖う者になろうとしてる何かがいるってことだろ。
それがその"藤島小百合"とかいうやつかも知れないし、そうじゃないかも知れないってそういう話だ」
神衣は本をテーブルに置いた。
藤島小百合は贖う者に成ろうとしていたのか。
では何故、自死を──。
彼女の贖おうとしていた罪とは。
藤島小百合については、もう警察が突き止めている可能性はある。
だが、贖う者の知識無しでは彼女を解明することは難しいかも知れない。
もし必要ならば、こちら側が警察に情報提供するのも良いかも知れない。
「まぁ贖う者に関してはこんなもんだな。まだまだ謎は多い存在だ。資料も限られてる。藤島小百合ってやつのことはまぁ頑張って調べろ。それにしても…」
ほんと、お前はしょっちゅう厄介ごとの渦の中心にいるな。と神衣は苦笑した。
「失踪事件に首無しの怪異が紛れてるかも知れないなんて…俺なら…疑わしいやつはこうズバッとやっちゃうけどな」
神衣は大きな手をびゅんと振った。
そうだ。
首無しの怪異は。
「あ、あの神衣さん」
聞いておかねばならない。
「こ、この中に…その…」
羅那が何を聞こうとしているのか分かっているのだろう、叶夢と乃恵が緊張した面持ちでじっと神衣の方を見ていた。
「うん?ああ。お前らの中にもし怪異がいるんなら、ここに入ってきた時点で俺が喰ってるよ」
神衣は豪快に笑った。
羅那はほっと胸を撫で下ろした。
「でも油断するなよ。分かってると思うけど、怪異の中には厄介なのもいる。例えば、死んだと気づいていない場合や命への執着が強過ぎた場合…そいつは怪異である自覚がない。よって、完全に生者に溶け込んでやがることもある。なんたってそいつ自身も気づいてないからな」
神衣は赤い目で乃恵を、叶夢を、そして羅那を睨むように見た。
「そうですね…ありがとうございます。それじゃあそろそろ失礼しますね。あ、そうだ」
羅那は玄関に向かって伸びていた足を止めくるりと踵を返した。
「神衣さん、退魔師の"藤留聖美"さんに会ったら連絡いただけませんか?」
「聖美?なんで?」
「実は、雑誌の仕事で…退魔師についての記事を書いてて…この前、復活された最強の退魔師として藤留さんを特集したくて!けど…喜山神社にはもう籍を置いておられないみたいで…全然アポイント取れなくて。神衣さん、確か繋がりありましたよね!なので、よろしくお願いします!もちろん、お礼はするので!」
羅那は一方的にぺちゃくちゃとお願いをし、頭を下げた。
神衣はへいへいと軽くあしらうように頷いた。
ばたんとドアが閉じ、書斎に静寂が戻った。
「全く…あいつの口からお礼って言葉が出てきた時は突き出してやろうかと思ったぜ」
神衣は、大きな声でそう言って書斎奥を見た。
「冗談じゃないわ!」
裏返った声と共に、書斎奥のドアが勢い良く開いた。
均等にぱつんと切り揃えられた前髪。黒く長い髪は照明に照らされて紫色が浮いて見える。
退魔師──"藤留聖美(ふじどめきよみ)"は猫のような目を見開いて、ズカズカと神衣の方へやってくる。
「あの小部屋暑過ぎでしょ。空調つけなさいよ空調」
聖美はガミガミと文句を言いながら小部屋を指差した。
言動も、挙動も、何もかもがガキ臭い。
これで現代の退魔師では恐らく頂点に近いのだから笑える。
「暑いんなら出て来ればよかったろ」
「勘弁してよ。今はひっそりやってんだから。あんなインフルエンサーと会ったらどうなるか分かったもんじゃないわ。っていうか来るの知ってたんなら前もって教えなさいってば」
聖美は不満そうにソファにずしっと腰掛けた。
「それにしても…"贖う者"…ねぇ」
聖美は脚を組み、またすぐに解いて、ため息をついた。
◯
神衣の隠れ家を後にした羅那たちは、最寄駅までふらふらと歩いていた。
もう夕刻だ。青黒い空が徐々に完全な闇へと変貌してきている。
「あの人、めっちゃ強そうだったけど…協力してもらえないの?」
乃恵が羽織っている厚手のパーカーの紐をくるくると指で巻きながら言った。
叶夢が頷く。
「しかも知識も豊富だったしね」
「うーん…お金払ったらいけるかも…だけど、無理かな」
元々、神衣は退魔師ではない。
怪異を喰らう"怪喰み(かいばみ)"は、警察や退魔師からも追われる身なのだ。
──あんまり俺とは関わるなよ。お前、一般人じゃねぇんだから。
と、会うたびに神衣は羅那にそう警告している。
それでも羅那はしょっちゅう会いに行っているのだが。
「そっか…」
乃恵は残念そうに言った。
ぐぅ。と誰かのお腹が鳴った。
羅那は聞かなかったふりをしたのだが、叶夢が恥ずかしそうな顔で唇を内側へ巻き込んでいたのでつい可笑しくて笑ってしまった。
「だめ。お腹空いちゃった」
叶夢が観念したようにふうと息を吐いて、笑った。
「私も」
乃恵もお腹をさすった。
思えば、お昼ご飯はかなり早くに食べたから羅那もお腹ぺこぺこだ。
「そこのマック寄ってこ!」
叶夢がびしっと、薄闇に浮かぶ黄色いMの字を指差した。
羅那の足取りは重い。
お腹は減ったけど──
「いいのかな、こんなことしてて…」
羅那はこんな時でも愛維のことを考えてしまう。
本当なら寝る時間も惜しんで捜査に尽くした方が良い気がする。
「羅那。気持ちは分かるけど、英気は養わないと
でしょ。怪異相手なんだからさ」
叶夢がぱんと羅那の背中を叩いた。その反動で、ぐぅ、と羅那のお腹も鳴った。
そうだ。実際に相手にするのかは別として、羅那たちは怪異と向き合っているのだ。
睡眠や食事は怠ってはならない。
「そうだね…うん。いこう!
羅那が背筋を伸ばすと、乃恵が嬉しそうに微笑んだ。
「久しぶりだなぁ。何食べよっかなぁー」
叶夢がうんと伸びをする。
「とりあえずポテトでしょ。ポテト」
乃恵がパーカーのフードを被り、人差し指を立てる。
「私、野菜多いやつがいいかなー」
羅那はスマートフォンでメニューを確認しながらぼやいた。
「私はせっかくだからガッツリいこうかな。どうせ、晩御飯がわりだし。あーお腹減った」
叶夢が店のドアを開ける。
嗅ぎ慣れた、けれどとても食欲のそそる油の匂いが鼻腔に飛び込んできた。
羅那たちのお腹はそこでもう一度、鳴った。
この時はなんだか久しぶりに、事件のことを忘れることが出来ていた。
周りの席がカップルだらけで、肩身の狭い思いをしたけれど。