no preview
DESCRIPTION
三学期の期末試験も終わり、まるで消化試合のような登校日もあと数日で終わる。
楽しい春休みはもうすぐそこまで来ていた。
高2に進級した後の勉強の事などそういう鬱陶しい話はひとまず頭の外に置いて、クラスの皆は春休みには何をして遊ぼう、どこへ行こうとそんな事ばかり話している。
稲葉真綾(いなば まあや)にも、そういう浮かれた気持ちは全く無いわけではなかったが、周囲に比べると聊か地に足の着いたことを考えていた。
父子家庭である彼女の家では春休みだからといって他のクラスメート達のように自分の予定の事だけ考えるわけにはいかない。
それでも、折角の休みだから普段は挑戦する事の出来ない凝った料理に挑戦してみようかとか、じっくり長編の小説でも読んでみようとか、彼女なりの春休みの満喫の仕方を考えていた。
HRが終わり、今日は塾も無い。
いそいそと帰り支度をしていると、友人達に声をかけられた。
「ねー、マーヤ、さっきの話だけど、どう?行ける?たまにはマーヤも羽伸ばそうよ~、行こうよ~」
身を乗り出してきた彼女達に、真綾は曖昧な笑みを返すことしかできなかった。
今日の朝に、彼女達からいわゆる合コンというものに行かないと誘いが来ていた。
女子高ならともかく、この高校は共学である。
どうしてわざわざ他の学校の男の子に会いに行くのか、真綾にはあまり理解できなかった。
「いや、スペックが違うんだってば!奈美の今カレが青学通ってんだけどぉ~、あたしらのためにイケメン限定で声かけてくれるって約束してくれたんだって~!青学のイケメンだよ??ありえないっしょ!」
要約すると、どうやら友人が進学校に通う彼氏に頼んでかっこいい男子達だけの合コンを企画してくれた、ということらしい。
テンションの高い彼女には申し訳ないが、それを聞いても真綾には全く興味を引かれなかった。
それが嫌でも伝わるのだろう、相手の方も躍起になって真綾をその気にさせようとあれこれと言葉を変えてくる。
「マーヤ、折角可愛いのに、いっつも弟の世話ばっかりしてるとか、年頃の女の子としてどうなんって心配してんだよ~?ウチら」
「……私、そんな可愛いとかないし、別にいやいや弟の世話してるわけでもないし…。」
それに、正直言って学力が高いとか、容姿が良いとかいう条件でまるで検索でもするようにして男の子を選別する思想はあまり好きではなかった。
彼氏になってくれる男の子とはもっと自然な出会い方をしたい。
それ以前に、今の真綾には男の子とそういうお付き合いをしたいという気持ちはほぼ無いに等しかった。
真綾の傍には既に、とても大事な男の子が1人いた。
怒涛のような追求をどうにかやり過ごすと、真綾はなんとか教室を出て帰路についた。
その間も、友人達の誘いを断ったことには若干の罪悪感はあった。
真綾本人は、本気で友人達が自分の事を気にかけて声をかけてくれたのだと信じていた。
実際のところはイケメンを揃えてくれるという相手に対して少しでも容姿レベルの高いメンツを集めて全体の平均値を上げたいという思惑あっての手前勝手な誘いだったのだが、そんなこと真綾にはわからない。
異性に対して頓着の無い真綾はあまり着飾るということをしない。
しかし、だからこそ素材の良さが分かりやすく、その清楚な雰囲気が男子受けの良さを予感させる。
ショートに切りそろえられた艶のある黒髪、顔立ちは整っているが、ややたれ目気味の目元が柔らかな愛嬌を醸している。
端的に言って、スレンダーな美少女と評することができた。
道中、真綾が「弟」にメールを飛ばすと、彼も学校が終わってまっすぐ帰っていると返事が返ってきた。
「今日は餃子をたくさん作るから一緒に手伝ってくれ」と頼んでいたのを覚えてくれていたようで、真綾は一人口元に笑みを浮かべる。
自宅マンションに着くと、家の前で男の子が1人壁に背を持たれていた。
その足元には使い古した青いランドセルも転がっている。
もうすぐ4年生に進学する、真綾の弟の悠太だ。
「早かったね、今鍵開けるわ。」
「うん。」
真綾がポケットから鍵を出してドアを開けると、悠太はその後ろからひょこひょことついてきて「おじゃまします」と一言口にした。
[newpage]
「今更、お邪魔しますも何もなくない?」
苦笑する真綾に対して、悠太は至って真面目な顔で首を振る。
「だって、お母さんがちゃんと挨拶してからお邪魔しろって言うんだもん。自分の家じゃないんだから、て。」
「菜穂さんらしいと言えばらしいけど…」
悠太の言葉に少し寂しさを覚えつつ、真綾は事前に用意していた餃子のタネと皮を冷蔵庫から出してテーブルに置く。
真綾の弟、白井悠太(しらい ゆうた)少年は、実際のところは血縁上の弟でもなんでもない、隣室に住む母子家庭の一人息子である。
多忙な彼の母親に代わり、この家で悠太を頻繁に預かるようになって、もう3年ほど経つだろうか。
きっかけは、当時中学生だった真綾が自宅の前で鍵を無くして途方に暮れていた悠太を見かねて保護したことだった。
家に入れ、簡単にご飯を食べさせてお風呂に入れてやると、人見知りだったその男児はぽつぽつと簡単な言葉で自分の境遇を話してくれた。
お父さんはおらず、お母さんはカイゴシ(介護士)でいつも遅くまで働いているから、家に帰ると就寝の時間近くまで殆ど一人で過ごす生活。
まだ小学1年生で母親が恋しいだろう年齢の子供がそんな事を話すのを見ながら、当時の真綾は思わず泣きそうになってしまった。
そこから帰宅した父親とも相談し、都合がつくときはいつでもご飯を食べに来たらどうかと悠太の母親に提案することにした。
悠太の母親の菜穂は、息子が世話になったことに驚きつつも感謝の意を告げ、提案に対しては恐縮しながらも数日後に自ら願い出てくれた。
息子の食費を世話代も含めてやや多めに添えさせてほしいという条件も付いてきた。
悠太の話を聞いた時の印象よりも良識を感じる女性の対応に真綾は好感を持った。
そんな白井家との付き合いが始まってから真綾の生活もそれまでとは一変した。
「ねーちゃん、こんな感じでいい?」
真綾と一緒に、さっきから悪戦苦闘しつつ餃子の皮と格闘していた悠太が、彼なりに頑張ったのであろう歪なジャンボ餃子を得意げに見せてきた。
「皮の大きさに対して、具がちょっと多すぎるよ。その半分くらいでいいのに。」
「ちぇーーー、でもこれ、おれが食べるからいいもん。」
ちっちゃな唇を尖らせてトレイに自作の餃子を置く弟を真綾は目を細めて見ていた。
弟として可愛いのは勿論、単純なルックスという意味でも悠太は可愛いらしい子供だった。
活発そうな浅黒い肌に大きな黒目がちの目、笑った時に覗く白くて大きめな歯が特にチャームポイントだと真綾は思っていた。
こう見えて、昔はもっと人見知りで内向的な子だったのだが、今では見た目通りに立派なやんちゃ坊主。
悠太が現在のように明るい表情を見せるようになったのは真綾達のおかげだと、彼の母親には感謝されたこともある。
ちょうど全てのタネを使いつくしたところで、真綾の父親が帰ってきた。
「おかえり」
「ただいまー、おっ、今日は餃子かぁ?」
「そうだよ、餃子定食だよ~。ちゃんとニンニクなしにしてある。」
真綾の父、耕助は近所の総合病院に勤務する小児科医だ。
ある意味では接客業ともいえる彼の為に、翌日勤務の日には匂いの強い食材は控えている。
「悠太くん、いらっしゃい。」
「おじゃましてます。」
ぺこりと頭を下げる悠太。
3年もの付き合いで大分打ち解けているとはいえ、悠太にとってはよその家のお父さんだ。真綾に対するほどは砕けた態度は取らない。
そんな耕助の容貌はいかにも中年太りのおじさんといったところだ。
決して男前とは言えないが、たれ目とダンゴ鼻が温和そうな印象を与える。
医者という職業にあってはその容姿は相手に警戒心を与えにくいという点で利点でもあった。
「真綾ももう高2かあ、早いなあ。すぐ大学がどうとかいう話になるなぁ。悠太くんも、4年生かぁ。ついこの間までこんなにちっちゃかったのに。真綾と一緒にお風呂も入ってたのに。」
「そんなのすごいちっちゃい時の話じゃん!今は普通に一人で入ってるよ!!」
「悠太顔赤いよ~?今日久しぶりに一緒に入る?」
「やだ!!一人で入る!!!」
やはり、3人揃って食卓に着けば、学校の話などしてみんなで楽しく歓談する。
たっぷりの餃子にサラダにお吸い物というシンプルな定食を突つきながら、今度は3人で春休みの予定についても話し始めた。
食卓を片付けてお茶を飲んでいると、悠太の母の菜穂も帰宅してきた。
「やあ、どうもこんばんは。悠太くん、今日もいい子でしたよ~。」
「こんばんは、あら、本当ですか?何かご迷惑かけたらいつでも言ってください~。」
「迷惑なんか、かけないよー!!」
大人二人のいつものわざとらしいやり取りに、これまたいつものように憤慨してぴょんぴょんと飛び跳ねる悠太。
「菜穂さん、よかったら菜穂さんもご飯食べていってよ。沢山作ったからまだいっぱいあるの。」
「ほんと?いいの~?実はすぐ帰ってきたから、まだ何も食べてなくて。ありがとう。」
真綾が菜穂にも食事の用意をすると、彼女は「娘」の自作の定食にとてもおいしいと舌鼓を打ってくれた。
そして、今度は家族4人で歓談する。
合コンなど行くよりもこの家族団らんの時間をこそ、真綾はとても愛していた。
ともすれば、本当は自分達が何の血の繋がりも無い他人であるということを忘れそうになるほどに。
悠太がこくり、こくりと船を漕ぎ始めた時間帯に、白井親子は隣室の自宅へと帰っていく。
「あ、これ来月分です。本当にいつもお世話になって、受け取ってください。」
帰り際、菜穂が現金の入った封筒を父に渡している姿を見た。父も、頭を掻きつつその封筒を恭しく受け取る。
毎月、この瞬間にいつも真綾は現実に引き戻された。
家族が半分になり、急に静けさが広がってきたリビングに戻ると、真綾はソファに寝転がる父親を覗き込んで言った。
「ねえ、お父さんって、そろそろ誰かと再婚とかってしないの?」
「う~~~ん………そうだなあ………。」
それは真綾が父に時たま尋ねる質問だった。そのたび、父は少し困ったような笑みを浮かべる。
その表情は昼間、真綾が友人からの誘いに対して浮かべた表情に奇しくも似たものを滲ませていた。
何も真綾は言葉通り父に今から再婚相手を探せと勧めているわけではない。
今や家族同然の、白井親子と本当の家族になる気は無いのかと言外に聞いているのだ。
「誰か、周りにそういう人いないんだったらさ………。」
こういう時、父は何も答えずに有耶無耶に終わらせることが殆どだったが、今日は真綾の方を向いて、おどけて言った。
「お前が菜穂さん慕ってるのはわかるけどなぁ、こんな冴えないおじさんとどうこうなんて、菜穂さんは考えてないと思うよ、お父さんは……」
「ええ~~~そんな事無いと思うよ?女の人から見たらまた違うよ~?」
確かに、父と菜穂は10歳近く年が離れているし、すらっとした美人の菜穂に対して小太りかつ野暮ったい父は見た目にはお世辞にも釣り合いが取れてるとは言えない。
が、妙齢の女性から見てそんな条件は結婚相手としてそれほど優先事項とも思えなかったし、何より医師である父は娘から見ても尊敬できる知性はあったし、経済力などの甲斐性にも事欠かない。
脈は十分にあると思えた。
「それに、お父さんがそんな下心を持ってるって知ったら、悠太くんも嫌な気持ちだろ。」
「そんなことないってば~!」
むしろ、悠太も自分の母親と真綾の父親が結婚してくれることを望んでくれていた。
慕っている真綾が本当の「ねーちゃん」になってくれることを望んでくれていたし、弟か妹が欲しいとも言っていた。
自分が今、弟として真綾にいじられているからだと聞いた時は、真綾は思わず笑ってしまった。
「う~~~~ん………でもなぁ………。」
父と菜穂もお互いに対して好意のようなものがあるように見えるのに、どうして行動に移さないのだろう。
子供サイドはこんなにも自分達が本当の家族になることを望んでいるというのに、大人の方は子供にはわからない複雑な何かを抱えているように見える。
そうだ、高校生とはいっても自分もまだ子供なのだ。
あまりずけずけと親達の事情に踏み込めるほど世の中を知っているわけではない。
「私は今の4人が本当の家族になれたら素敵なのに、って思ってるけど、最後に決めるのはお父さん達だよね。」
その一言だけ残して真綾は自室に戻っていった。
菜穂からお金を受け取って悠太の託児を請け負う今の関係がもどかしかった。
仮にどちらかの家族が事情で引っ越しでもしてしまえばこの関係はあっさりと終わる。
既に悠太を弟、菜穂を母のように思っている真綾には今の関係がそんなはかないものであることがつらかった。
子供の悠太は、まだそんなことまで考えていないだろうし。
二人が結婚すれば父には菜穂を専業主婦にしてあげられる甲斐性もあるし、きっと四人、今よりもずっとしあわせな家庭を築けるはず。
自身で自覚のある通り、まだ高校生の子供に過ぎない真綾は心の隅で一人、そう確信していた。
[newpage]
春休みに差し掛かり、どこかに遊びに行きたいとごねる悠太に耕助の提案で花見に出かけることになった。
折角だからと菜穂も休みの日に、ドライブがてら少し遠出して山の手にある大きな公園を目的地にした。
今や両家はこうして家族旅行にも出かけるような間柄だ。
少なくとも、相当に距離が離れるでもない限りは突然に関係が断ち切れることはないだろう、と真綾は自分にそう言い聞かせて安心を得ていた。
空調のいらない季節。
車の窓を大きく開け、春先の空気を楽しむ悠太に身を乗り出さないよう注意をしながら二人で見慣れない景色を楽しんだ。
悠太のリュックには500円分のおやつがしっかりと詰められ、トランクには真綾と菜穂が二人で作った豪華なお花見弁当が載せられている。
それだけで子供達のテンションは上がっていた。
「ねーねー、から揚げ入ってる?おにぎりの具はなぁにー?」
菜穂と料理中も悠太はそわそわと落ち着か投げに自分達の周りをうろうろして、それがうっとうしくも微笑ましかった。
今は働いて振舞う機会が少ないとはいえ、菜穂は実は料理を始め家事全般に長けた女性だった。
真綾も菜穂に教えてもらうことで料理の腕もレパートリーも増えたし、それ以外の家事の要領も向上した。
本来なら母親に教わっていたはずの多くの事を真綾は菜穂から学んだ。
真綾が菜穂に母性を感じるのはそういうところにも根拠があった。
ナビに従って目的地に到着すると、春休みだけあって、広い公園にはそれなりに人影がある。
それでもなんとか大きくて立派な桜の樹の下を確保すると、シートを敷いて、お待ちかねのお弁当を堪能した。
笑ってしまうほど花より団子の悠太が両手におにぎりを掴み、まるで金魚のようにぱくぱくとから揚げをお腹に入れていく姿に真綾は幸せを感じる。きっと菜穂もそうであっただろう。
腹ごなしにと4人揃ってフリスビーで遊んだり童心に帰って木登りや鬼ごっこなどしていると、学校で友達とテレビドラマや男の子の話をするよりもずっと心が癒された。
昼もとっくに過ぎ、そろそろ帰ろうかという時刻が迫るとその前に真綾はお手洗いを済ませに向かった。
用事を済ませて戻ろうとしたところで、ふと逆の方角の少々小高い山になったところに細い石階段が隠れているのが目に入った。
あれ、あそこ、昇れるんだ。
そう思った時には、なぜか吸い寄せられるようにその石段を踏み外さないよう、気を付けながら登っていた。
昇っている間、不思議と周囲の景色が意識に入らなかった。
まるで周りが霞に隠れて、見えないかのように。
体感時間としてはほんの数分のことだったろうか。最後の階段がもうすぐという時になって既に昇った先に拡がる光景が真綾の目には移り込んでいた。
そう大して広い空間ではなかった。
木や草がまばらに生えている以外は何か朽ちた木造の、小屋のような建物が鎮座していて、それ以外に大きな何かを持ち込める面積は無い。
近づいてよく見ると、どうやら神社のようだった。
どうやら、と付けなければならないほど元の建物の原型からは大きく変質していた。
雨風に晒され続けたと思われる石段はあちこち風化し、木材部分はところどころ腐って崩れ、鈴など金属部分に至っては錆で覆われ尽くしていて触るのを思わず躊躇わせる。
あちこちから草や苔が生え茂って、建物全体を緑に染めていた。
「すごい………何百年前からあるんだろう、これ。」
廃寺という言葉があるが、さしずめ廃神社といったところだろうか。
決して明るい気持ちになる風景ではなかったが、けれど不思議と真綾はこの場所に心惹かれた。
廃墟の風景を好む趣味の人間というのは一定数いるがそういう人間には好ましい光景と言えるかもしれない。
真綾もこれまで意識したことは無かったが、今自分がいる場所に悠久の時の存在を感じてなぜだか心惹かれた。
「不可……?…願……?叶……?…………?」
賽銭箱と思われる木箱のすぐそばに文字の書かれた木板が掲げられていた。
その殆どは擦り切れて消えてしまっていたが、端々でなんとか旧字で書かれた文字を拾うことが出来た。
「……不可能な願いも叶う?みたいな、ことかな…?」
確かに神社ならば、願掛けをしておかしいということは無い。
もう既に神も何も去っていなくなってしまったような風情の場所ではあるが、折角来たのだからと戯れに真綾は財布を出して小銭入れを開いた。
迷った挙句、一枚だけあった100円を軽く放り投げると真綾は一心に願った。
どうか、お父さんが決心して、私達4人が本当の家族になれますように。
いや、これだとなんだか自分一人だけのエゴのような気がする。
折角だから、4人みんなの望みが叶って、幸せになれますように。
願いを終えて、目を開けるとそこにはさっきまでと何も変わらない風景が静かに広がるばかりだった。神様がやってきて、杖を振るってくれるでもなく。
「さて、帰ろっと。」
その前に記念にと、神社の写真を一枚だけ撮影すると、元来た階段を下りていく。
トイレの前に戻ってきた途端、携帯に着信が入った。父からだった。
「おいおい、いったいどこのトイレに行ったんだ?菜穂さんが探しに行ったけどいないって心配してたんだぞ?」
「あーーー、ごめん!ちょっと寄り道しちゃった!!すぐ戻るから!!」
慌てて小走りで3人が待っている駐車場に向かうと、3人は既に車の中で真綾の事を待ってくれていた。
「ねーちゃん、長かったね、うんこ。」
おどけたのか気を使ったのか、悠太の言葉に助手席の菜穂はこらと叱り飛ばす。
今日ばかりはそんな悠太に真綾の方からはお叱りは無く、逆に3人に謝り倒していた。
帰りの車でも談笑しながら、陽が沈む頃には一番はしゃいだ悠太が真っ先に寝息を立て始める。
そんな悠太の頬を突いたりして遊びつつ、いつしか真綾も弟と寄り添うようにしてしばし意識を手放した。
[newpage]
新学期が始まって間もなく。
いつもならとっくに帰宅して夕食の手伝いをしてくれるはずの悠太がその日に限ってなかなか来なかった。
携帯に電話をしても繋がらず、いよいよ本当に心配になってきたところで、父の耕助から電話があった。
「悠太君、帰ってないだろ?今うちの病院にいるんだ。足首を骨折しちゃってね。」
「骨折?どういうこと?」
寝耳の水の話に真綾が心配のあまり甲高い声で尋ねると、どうやら悠太は昼間、学校で遊んでいるときにジャングルジムのてっぺんから落っこちたようだった
父の口調からして命に別状はなさそうだが、語られた内容については中々に恐ろしいものだった。打ち所が悪ければもっと悲惨なケガを負っていてもおかしくはない。
「心配するだろうから、学校が終わるくらいにと思って連絡したんだ。菜穂さんももうこっち来てるよ。」
事情を知った真綾は通話は早々に切り上げてすぐに外出の用意をし、総合病院へと向かう。
父の職場は自転車で10分程度の目と鼻の先にあった。
指定された病室に入ると、既に白衣を脱いだ父と菜穂、そしてベッドでは悠太が左足を宙づりにされたまま、母の剥いたリンゴを食べているところだった。
「あ、ねーちゃん。」
痛々しい外見とは裏腹に本人はのほほんとしたものだ。
真綾の姿を目にするなり白い歯を見せて笑む悠太の顔に、脱力する。
「あ、ねーちゃん、じゃないよ。もーーー心配したよ。」
父母のすぐ隣の椅子に座り、真綾は可愛い、今は擦り傷だらけの弟の顔を覗き込む。
「ジャングルジムから落ちたって?ドジねぇ。そんなに運動神経無かったっけ?」
真綾の言葉に悠太は軽く膨れるも、代わりに父がいやいやと首を振ってフォローした。
「運動慣れしてる子の方が動き回るからよくケガするもんだよ。小児科にもしょっちゅうそんな子が来るよ。CTも撮ったけど、脚以外に異常は無かったし脚もこの分なら却って丈夫になるさ。」
そう言って頭を撫でる父の大きな手に、悠太は恥ずかしそうにしつつもまんざらでもなさそうに小さく頷いた。
どうやら手術など大掛かりな治療を行うほどではないらしく、その点でも真綾は胸を撫で下ろす。
それでも数日は脚の固定治療や経過観察のための入院が必要らしく、その為の着替えなどを取りに一度戻る必要があった。
「ねーちゃん、そしたらスイッチと充電器も持ってきて。」
ちゃっかりゲーム機をリクエストしてくる悠太。
一瞬呆れかけるも、確かに退屈しのぎもいるだろうと思い直して、災難に遭った弟の為に言うとおりにしてやったのだった。
[newpage]
幸せになりたいと願った矢先に大事な悠太に降りかかってきた不幸に凹んでいたのは、わずかの間。
父の言う通り悠太の骨折は却って骨が丈夫になるようなもので、一週間で退院することが出来た。
とはいえ、その後は定期的に通院してリハビリを行い、あわせて全治2か月程度とのことであった。
ただ、通学復帰に関しては校内での移動や登下校時の毎日の送迎が困難なことなどから、しばらくは課題をこなしながらの自宅療養という事になった。
悠太からすれば、学校に行かなくてもいい反面、友達と会えない寂しさのジレンマに挟まれることになる。
それを少しでも紛らわすべく、そして悠太の生活指導のため、療養の間、悠太の事は稲葉家で面倒をみることとなった。
菜穂はやはり気兼ねなようではあったが、誰もいない自宅よりも真綾や医師である耕助が傍にいてくれる環境は確かに安心には違いなく、結局は耕助の提案を受け入れていた。
そして、真綾にとってもそれは嬉しい展開だった。
悠太がずっと家にいて、おかえりと言ってくれる。
いっそこのまま菜穂さんも、うちで一緒に暮らしてくれたらいいのに。
「ただいま。悠太くん、お土産だよ。あとで一緒に食べよう。」
いつものように夕食の準備をしているところに帰宅してきた父がケーキ屋の箱を片手に帰ってくると、子供二人、おかえりなさいと揃って明るく迎える。
真綾が休みの日は真綾が、父が休みの日は父が悠太の相手をし、なるべく悠太が寂しがらないようにローテンションを組んでいた。
休みの日ではなくても、父はこうして定期的にお土産を買ってきたりなど、場を盛り上げようと一役買っている。
「ちっちゃい子じゃないし、そんな、あんまりべったりしなくてもいいよぉ…」
寄ってたかって自分を甘やかしてくる2人に、そうは言いつつ悠太はにんまりと締まりのない顔を浮かべていた。
小学校の友人達もわざわざ悠太の見舞いにやってきてくれた。
その中には男の子も女の子もまんべんなくいて、学校では意外と人気者なのかな、と自分の知らない弟の一面を知ることが出来るなど、真綾の方も発見があった。
真綾だけでなく、父の方にも変化はあった。
いつも家にいるからか、これまで以上に悠太を実の息子かそれ以上に可愛がるようになり、自分の部屋で悠太とゲームをしたり、同じベッドで悠太を寝かせるようになった。
脚の動かせない悠太をお風呂に入れるのも、同性である父の役目となった。
流石に4年生の男の子を真綾がお風呂に入れるのは、真綾は良くても悠太が恥ずかしいだろうという配慮である。
お風呂から出れば、父の買ってきたケーキを一緒に食べ、父とゲームをして、父と寝る。
ある夜など、部屋の前を通りかかるとお風呂から上がって間もない悠太の弾んだ声が聞こえた。
何事かと、真綾が父の部屋を覗く。こんな状況でもなければ、真綾が父の部屋に入ることは滅多に無かった。
すると、ベッドの上で寝そべる父の立派なお腹の上に、悠太が抱えるようにしてのしかかっていた。
「こらー、トランポリンじゃないぞー。ゆさゆさするなー。」
「ひゃっひゃっひゃっ!あ、ねーちゃん、見て―。おじちゃん、トトロみたい!!!」
そう言って、父のお腹を大いに跨いで苦笑する父の顔を見下ろす悠太に思わず真綾は噴き出した。
「あんな可愛くないでしょ~。というか、お父さんそろそろビールやめた方がいいんじゃない?そのおなか、ホントやばいよ。」
娘と息子、揃っての言葉の攻撃に父は言葉に詰まりつつ、ご機嫌の悠太を脚に障りが無いように丁寧に抱えつつ、自分の隣に寝かせる。
「おりゃ、やりたい放題言いたい放題しやがって~こいつ~~~!!」
そして、今度は逆に自分が悠太を胸にかき抱くと、小さな体のあちこちを節くれだった手で擽る。
悠太の泣き声のような笑い声がけたたましく上がり、近所迷惑を気にした真綾が口をふさぎにかかる。
それはどこからどう見ても、どこにでもいる家族の平和な日常の一コマだった。
同居から3週間も経つ頃には悠太は以前とはうってかわって、おじちゃん、おじちゃん、とすっかりお父さんっ子になっていた。
耕助も、元から悠太に対して決して邪険にしたりすることはない優しいおじちゃんではあったが、今までに比べて随分と積極的に悠太とべたべたするようになった。
変心したというよりは、躊躇や遠慮が無くなったという表現の方が近いかもしれない。
二人が仲良くしていて嬉しい反面、決して本当にうちの子になったわけではない悠太に対しての父のその変わりように、真綾はわずかな違和感を覚えることがあった。
[newpage]
ある日の夜中だった。
なんとなく寝付けなくて水でも飲もうかとベッドから出て、キッチンへ向かうその途中で微かに声のようなものを聞いた。
断続的に耳に届くすすり泣きのような声は、若干甲高くはあるが不思議とあまり女性っぽくはない。
意識して聴覚を研ぎ澄ますと、声は意外に近いところから聞こえてきた。
声の聞こえる場所を辿っていくと、悠太が寝ている父の寝室の前までやってきた。
そもそも真綾以外にこの家で声を出せる生き物はこの部屋の中にしかいない。
んっ……んひっ…っくっ……んっ…ひゃ……おじ…ちゃ…っ……や…やぁ…っ……
子犬がくぅんと甘えるような、子猫が寂しがって鳴くような、そんな声だった。
どう聞いてもそれは悠太の声でありながら、悠太らしからぬしおらしさを感じさせる。
さらに耳を澄ますと、ぼそぼそと低い声が一緒に聞こえてきた。
おそらく父のものだろうが、悠太と違って意味のある言葉を発している父の声は低すぎて内容までは聞き取れない。
いったいどういうやり取りをしているのだろう。とにかく、悠太の方が心配だった。
「おとーさん?……起きてる?……悠太、泣いてない?どうしたの?」
ノックをした後、ドアノブをがちゃりと音を立てて回したが扉は決して開かない。どうやら施錠されているようだ。
絶えず声をかけ、ドアをたたき続けているといつの間にか悠太の声は聞こえなくなっていた。
しばらくするとドアは開錠し、中から父が出てきた。
「あー、ごめん。起こしちゃったか?うるさかったかなー?」
下着のシャツをしわくちゃに着こなした父が頭を掻きながら謝罪すると、真綾は首を横に振る。
「通りかかったら悠太が痛がってるような声がしたから。大丈夫?悠太。」
部屋の中に首を突っ込んで、父のベッドへ視線を向けるとパジャマの悠太がうつ伏せに臥せったまま、まるで風呂上がりのように耳を赤く染めているのが見えた。
シーツに顔を突っ込んだまま、しゅう、しゅう、と呼吸の音だけをさせ、だびじょぶ……と、あまり大丈夫では無さそうな声を出す。
状況が分からず眉を潜める真綾に、父は笑って
「悠太くんが足がまだ疼くっていうからマッサージをしてあげてたら思ったよりくすぐったがっちゃって。それだけだよ。ほんと、ごめんな。騒がせちゃって。」
早口でまくし立てる父に、まるで追い立てられるようにして部屋の外に戻ると父は「もううるさくしないから」と一言だけ付け加えてドアを閉めた。
ドアの向こうから再び照明を消す音が聞こえた後、他にどうしようもなくて真綾は自分のベッドへと戻っていった。
マッサージ。
本当にそれだけなのだろうか。
父の言葉を疑うわけではないし、嘘を吐く理由もわからない。
ただ、状況の不自然さのようなものがどうにも拭えなくて、ベッドに戻っても真綾は首をかしげてしばらくその事ばかり考えていた。
そもそも、なぜ施錠をしていたのか。
夜中に父の部屋を訪れたことはこれまで無かったから知らなかっただけでもしかしたらそういう習慣があったのかもしれないが、本人にそこを追求することはあの場では出来かねた。
考えると眠れなそうで、今夜のところは父の言う通り、ただのマッサージだったと強引に結論することにして思考することをやめた。
水を飲みにベッドを出たはずなのに、その事はすっかり真綾の頭からは忘れ去られていた。
[newpage]
悠太の脚もすっかり完治し、小学校にも再び通常通り通えるようになる頃には季節はすっかり夏めき、ちょっとコンビニにでもと出かけただけで、汗がうっすら伝うほどだった。
折角学校に通うようになっても、時期はもうすぐ夏休み。
悠太と父と、いつものように3人で食事を摂っていると、話題を一つ思い出した真綾はああ、と思わず声を出した。
「お父さん、今日友達から夏休みに一緒にUSJに行かないかって誘われたんだけど、行ってもいい?」
「友達?男の子か?」
訝しむ父に真綾は笑って
「んなわけないじゃん。女の子の友達だけだよ。親戚のおじさんが近くに住んでるから泊まらせてくれるんだって。だから宿泊費浮くからどうかって。」
メールでのやりとりなどを証拠として見せると、父は納得し、頷いた。
「そうだな、行きたいなら行ってくればいいさ。たまにはお前も羽伸ばさないとな。」
金銭的に不自由させてないとはいえ、日ごろ家事など面倒をかけている娘に対して父は笑顔でそう言った。
父娘間のやりとりはそれで円満解決のはずだった。
が、今度はそれまで黙って聞いていた悠太が主張を始めた。
「いーーーなーーー!USJ!おれも行きたいよぉーーー!!」
一瞬目を丸くした真綾がひらひらと手を振る。
「USJって割と大人向けだよ?悠太ならディズニーランドの方がいいんじゃない?」
「そんな事ないよ!!ハリポタとか、ポケモンとかいっぱいあるの知ってるもん!!」
「だからって自分だけ弟も一緒に、なんて図々しくて言えないよ。」
何も真綾だって意地悪で悠太を拒絶してるわけではない。
実の弟でさえ図々しいと言われてもしょうがないのに、ましてや実際には本当の弟ではなく隣家の子だ。言えるわけがない。
「それに女の子の中に男の子が1人だよ?恥ずかしいよ?」
真綾のその指摘は小学校中学年の男子の心には非常に効果的に作用した。
なおも駄々をこねていた悠太が、その一言でとうとう撃沈した。
駄々を捏ねるのをやめたかと思えば急にしょんぼりしだす悠太に、今度は真綾が罪悪感を感じる羽目になってしまった。
「それじゃあ悠太くん、俺と一緒にUSJ行くかい?」
すると、それまで黙って聞いていた父が二人の攻防が止むと同時に明るい声で言ったので、悠太の表情が一気に輝いた。
「ホント!?」
「ああ、菜穂さんがいいって言ったらだけどね。」
「お父さん、そんな事簡単に約束していいの?忙しいんでしょ?」
本当に悠太をUSJに連れていけるのならばいいが、その場しのぎの軽々しい約束をしてそれが果たされなかった時の悠太の心境を思うと真綾は安易に賛同出来なかった。
「ん?忙しいといったって、たまに3日や4日の連休を取れないほどブラックじゃないよ。それに、お前がいない間は結局二人で外食にでも行くことになりそうだからな。ならいっそ旅行もいいかもって。」
「ちょっと!まさか日程も同じにするつもり!?」
友達と一緒に旅行した先で父親と弟にバッタリ、なんていくら真綾でも流石に恥ずかしい。
「だったら微妙に日程をずらせばいいじゃないか。で、旅行の予定は具体的にはいつなんだ?」
真綾の旅行は8月の1~3日。
1日目は大阪で買い物や食べ歩きをして、2日目にUSJを満喫するというコースになっていた。
「そうか。じゃあ、ワレワレは1日目にUSJに行くことにするか。」
「うわあぁい!!!USJ~~~~~~~!!!」
すっかりのぼせ上った悠太が父の首に抱き着くのを、それを父が嬉しそうに抱き寄せるのを、真綾は何とも言えない顔で見ている。
「菜穂さんにちゃんと了承取れてから、そういう話しようよ。ていうか、菜穂さんと3人で一緒に行けばいいのに。」
男子2人水入らずでの旅行でも問題はないはずだが、真綾は一言付け加えた。
菜穂と3人で行ってほしいというよりは、なぜだか、なんとなくあまり2人だけで行ってほしくなかった。
その理由を真綾自身、明確に言葉にすることは出来なかった。
「お母さんも一緒に行ける?」
「うーん、菜穂さんは、忙しいからなあ。勿論、菜穂さんも一緒に行けるなら誘ってみような。」
素敵な計画が実現するかもしれない、しないかもしれない。
浮かれていいのかいけないのかわからずうずうずしたままの悠太を抱き上げ、父はソファへダイブする。
さらに一時間後、悠太を迎えにやってきた菜穂に事情を話すと菜穂は恐縮しつつも息子の為に快諾し、今度こそ悠太は盛大に浮かれたのだった。
ただ、生憎菜穂自身はその日程一杯しっかり仕事が詰まっていて、同行する事は出来なかった。
「それじゃあ、また明日からゆっくり旅行の計画を練ろうか。またね悠太くん。」
「うん!!!おじちゃん、またねーーー!!!」
これまでに見たことのないくらいご機嫌な悠太を見送ると、父は早速ノートパソコンを開き、USJやその周辺について悠々と調べ始めた。
こんなに子煩悩な人だっただろうか。
やはりどうにも最近の父の悠太に対する態度には何かこれまでと違うものを感じられた。
悠太は悠太で、父との心の距離感がどんどん無くなっているように見える。
それは真綾が望んだことではあったが、あまりにも変化が急すぎる。
何かがおかしいと思いつつも、何がおかしいともハッキリとは言えない。
遡れば、悠太が骨折をしたあたりからだろうか。
ここ最近、大切な癒しの場であったはずの家庭内で真綾はそんなもやもやした気持ちになることが増えていた。
結局最初の予告通り、耕助と悠太、男同士水入らずの旅行は真綾達と同じ日程で2泊3日で催されることになった。
1日目はUSJを堪能し、2日目は大阪の大きな電気屋で最新のおもちゃやゲームを物色。夜には京都の花火大会を見物し、温泉旅館でお寿司でも。
そんな夢いっぱいの旅行計画を聞かされた悠太の反応たるや、そんなに興奮しては鼻血でも出して倒れかねないのではというほどだった。
[newpage]
世間は夏休みに入り、待ちに待った大阪旅行の日がやってきた。
それは普段の真綾には滅多にない友人との交流であり、楽しいイベントではあったのだが、やはり道中もたまに父と悠太の事に思いをはせていた。
一緒に家を出た時の、悠太のあの幸せいっぱいの顔を思い返すとやはり心が和む。
真綾自身はそれほど旅行という行事に思い入れがあるわけではないが、多忙な母親の元で旅行の思い出などそう易々作れるわけもなく、もしかするとずっと悠太なりに我慢していたのかもしれない。
何も考えずに悠太の前で旅行の話などしてしまった事を真綾はあの後に後悔していた。
ただ、結果的にこうして悠太の旅行も実現したのだから、それだけを見れば悪い事をしたとまでは思わないが。
一日目の大阪を楽しんだ後、友人親戚の家で皆でカードゲームなどしながら、その合間に折を見て電話を掛けた。
どんな様子でいるかと気を揉みながら携帯に耳を当てていると、底抜けに明るい悠太の声が聞けて安堵した。
『ねえちゃ~ん、元気~?』
「はいはい、元気元気。そっちは?どう?楽しかった?」
『すんげーーーーーー楽しかった~~~!!!ポケモンの乗り物めっちゃ乗ったよ!!さっきステーキ食べた!!おいしかったーー!!』
『ふーん、いいねー。こっちは普通にお好み焼き食べたよ。美味しかったけど。』
向こうはどうやら随分豪遊しているらしい。父もかなり奮発しているようだ。
真綾にも、旅行のお小遣いに随分と色を付けてくれていたのを思い出す。
「あ、おじちゃんが呼んでるから、もう切るね~。またね~。」
しばらく互いの旅行の話をしていると、悠太の方があっさりとそう言って通話を切ってしまった。
ふーんだ、私抜きで楽しんでるようで、何より。
通話の切れた電話口でそう言って携帯をしまうと、真綾も友人の輪へと戻っていく。
一旦家族と離れてみると、最近のもやもやの中になんだか自分だけかやの外に置かれて二人だけで楽しそう、という気持ちもあったことに、自分で気づいてなんだか情けなかった。
そんなのは、もしかしたらこれまで父だって感じた事があったかもしれないし、普段母親らしいことも中々出来ない菜穂の事を考えれば実に子供じみた感情と言えた。
一時自分も、父や弟の事は忘れ、友人達との団欒を楽しむことだけ考え、その夜は実際その通りに日付が変わるまでゲームやおしゃべりに興じた。
[newpage]
翌日、真綾達もUSJを満喫しその日は友人の親戚の好意で少しいいレストランで長い夜を過ごすことになった。
ラストオーダーも間近という時間になって、真綾の携帯に父からの着信が入った。
『元気かー?悠太くんの写真、見たいだろうから送っとくぞ~。』
そう書かれたメッセージと一緒に言葉通り悠太を撮影した画像が次々に添付されていった。
送られてきたのは言葉通り悠太の画像で、時折父と一緒に映っているものがある以外は全て悠太一人が被写体になっていた。
USJの巨大なビカチュウ人形に抱き着いて目尻を下げている悠太や、少し緊張顔でスリル系アトラクションに乗り込んでいる悠太。
おもちゃ屋で沢山のおもちゃをかごに入れて御満悦の悠太に、夕べのステーキを前に目を輝かせている悠太。
真綾の携帯画面は、みるみる悠太尽くしとなっていった。
「へ~~~これ例の弟くん?4年生?やば~、かわいいねー。うちの弟と替えてほしい~。もう中3でむっさいけど。」
両脇からのぞき込む友人に、悠太だけではなく父の姿も見られて少し恥ずかしくはあったが、最愛の弟を褒められてそれ以上に嬉しさが真綾の中では勝ってしまう。
次々に送られてくる画像を皆で眺めていると、花火大会で星柄の浴衣姿を披露している悠太に皆で可愛い可愛いと黄色い声を上げ、店員に注意を受けてしまった。
浴衣なんて持ってたのだろうか。場所が京都だけあって、もしかしたら現地で調達したのかもしれない。
何から何まで至れり尽くせりで、結構なことだ。
「ちょっ…えっっ!??」
そして、さらに最後に送られてきた画像にはそれまでとは違う音色の声が上がった。
携帯の中で露天の温泉に入っている悠太が、自分の元気な男の子を惜しげもなくぶらさげたまま元気なピースをしていた。
一瞬の沈黙の後、真綾以外の全員の爆笑の渦が起こり、その中心で真綾一人赤くなったまま慌てて画面を切り替えていた。
「はっはははは!!!!マーヤ、その画像あたしにも送って!!」
「やだよ!もーーー、何送ってんのお父さんは………。」
帰ったら一言文句言ってやろう。
それより、ちゃんと悠太に許可を得て送ってきたのだろうか。
そうでないなら猶更いけないことだ。いくら子供相手とはいえ。
宴の最後に思いがけない笑いをプレゼントした真綾は、その後も帰って皆が力尽きるまで、話に花を咲かせたのだった。
[newpage]
楽しい時間はいつだってすぐに過ぎ去ってしまう。
先に帰宅した真綾がお茶の用意をしていると、父と悠太が一緒に大きな荷物を抱えて帰ってきた。
「ただいまーー!!」
「おかえり。超楽しそうだったね。こっちも、ゆっくり羽根伸ばしたよ。」
悠太は帰ってきてすぐは未だ夢心地で、ピカチュウのぬいぐるみを抱きかかえたまま楽しい思い出に浸っていた。
そんな悠太に代わり、父がお茶を片手に満足げに頷く。
「ああ、しかしまあ暑かったなぁ~。こっちはついてくのに精いっぱいだったよ、アハハ。」
「悠太の浴衣、よく似合ってたね。あれ、どうしたの?買ったの?」
「そうそう、折角だからお父さんも、甚平買っちゃったよ。これがまた着心地がよくてなー。寝間着にしようと思って。」
そう言って、花火をバックに浴衣の悠太と一緒に並んで映っている甚平姿を画像で見せてくれる父。
父の甚平はともかく、悠太の浴衣は良いお土産の一つになったのではないだろうか。
同行することが出来なかった母親の菜穂にとっては、あの画像だけでもさぞ心の潤いになることだろう。
すぐに画像を送ることも出来たが、ぜひとも菜穂の生の反応を見たくて画像は添付せずに後に取っておいていた。
「おーい、悠太、何が一番楽しかった?ん~?」
ソファで寝そべる悠太にのしかかって、こちょこちょと弄る父の姿は紛れもなく我が子を可愛がる父親そのものに見えた。
悠太の方も黄色い声で身を捩りながら、恰幅の良い父の体に自分から飛びついていく。
「へへへぇ、全部楽しかったよー。おじちゃん、大好き~。」
「そうか、そうか、おじちゃんも楽しかったぞ~?また行こうな。」
「また、行ってもいいの?あんなに楽しかったのに…。」
「悠太がいい子だったら、また来年の夏休みもどこかに連れてってあげるさ。」
「うん!!おれ、いい子になる!!!!!」
まるでハートが飛んできそうなほどお互いに睦みあっている父子に真綾も満たされた表情でお茶を飲んでいると、インターホンが鳴った。
推測するまでもなく、来訪者は仕事終わりで帰宅してきた菜穂だった。
「まあ、まあ、こんなに色々していただいて………。」
「いやいや、今年は悠太君も大変だったから、これくらいのご褒美が無いと………。」
二人で持ち帰ったお土産の数々にも菜穂は言葉を無くしていた。
少々非常識と言われても仕方ないほどの父のもてなしぶりではあったが、真綾の心配とは裏腹に画像の中でこれまでの一年分ぐらいの笑顔を見せている息子の姿に、菜穂が胸いっぱいになっているのも感じていた。
「折角だから浴衣、着てみてよ、私も見た~い!」
「えーーー、今からゲームしようと思ったのにー、買ってきたやつ……。」
菜穂に対して気を利かせた真綾のリクエストに、悠太は面倒臭がりつつも荷物の中から紺色の浴衣を出し、真綾の着つけで皆の前で披露した。
浴衣の柄は画像で見たように男児向けの星柄で、真綾や母が褒めるとその場でくるりと回って存分に可愛い息子の義務を果たす悠太。
父はそんな3人を泰然と眺めながら一人、コーヒーを飲んでいた。
[newpage]
楽しい思い出をいくつも作った夏休み。
その夏休みが無情にも終わりを告げ、毎日の登校が再開して間もない頃だった。
真綾は同じ階に住む主婦のおばさんに呼び止められて、妙に心に引っかかる話を聞いた。
「真綾ちゃん。お父さん、本気で菜穂さんとの再婚考えてるみたいねぇ。」
真綾からすればそれが本当なら願ってもない話だったが、そわそわと浮足立ったのもつかの間、おばさんの話の核はそこから先にあった。
「こないだの夕方、朝日橋の、河原のところでお父さんと悠太くん、一緒に遊んでるとこ見かけたのよ。もー、ほんと仲良しの父子みたい。」
ホホホ、とわざとらしく笑っているおばさんが、真綾からさらに情報を聞き出そうとしているのはありありと分かった。
彼女からすれば、若く美しい未亡人を射止めるためにまずは馬である息子の悠太を手なずけようとしている、と見えてもそれは当然だっただろう。
自分達と白井親子はもはやそんな薄っぺらい関係ではない、と主張したところで何の栓も無いことだった。
それより確かにこのところ、帰りが遅いと思ったら二人揃って遊んで帰ってきたということが何度かあった。
たまたま帰り道で一緒になって、と本人達は言ってはいたが。
「悠太くん、もうすっかりお父さんに懐いちゃってるのね。だっこされて嬉しそうにしちゃって、あれじゃまるで恋人同士みたい。」
おばさんの茶化したその一言に、真綾ははっとした。
やはり、赤の他人の目からしても、今のあの二人のべったりぶりは不自然に見えるのだと第三者の口から初めて聞いた。
話を早々に切り上げて家に戻り、夕食の支度をしていると今日も二人一緒に帰ってきた。
以前ならば、特にメールで指示をしなくても自然と夕食の支度の手伝いをしてくれた悠太だが、今ではあまり早い時間に戻らなくなっていた。
そして、菜穂が迎えに来ても、そのまま家には戻らずに父の部屋に泊まるという日も、あの骨折の件以来、頻繁にあった。
それでも、そうしょちゅうお世話になるのは、とある夜、菜穂が悠太を連れて帰ってしまった。
その機を逃すことなく、真綾は父に進言したのだった。
「お父さん、悠太を可愛がるのはいいけど悠太は菜穂さんの子供で、お父さんは悠太とはほんとは何の関係も無いおじさんだよ?わかってるの?」
それは、ついこの間までの自分であれば信じられないほど冷徹かつシビアな指摘であった。
悠太が所詮はよその家の子供で、稲葉家とは吹けば飛ぶような関係なのだということを、一番認めたくないのは真綾自身のはずだった。
本心を言えば、だから悠太と距離を置けと言っているのではない。
悠太を息子として可愛がりたいのなら、それなりの手順を踏むべきだと言いたかったのだ。
なぜ父が突然悠太に対する父性に目覚めたのかは知らないが、今の段階で菜穂を差し置いて悠太の親面をするのは筋違いというものだ。
「わかってるさ、そんなこと。」
父は煩わしそうにそう言って、その場からさっさと立ち去って部屋へ戻ってしまった。
娘の自分に対してあんなに憮然とした態度を取る父を初めて見たかもしれない。
今まで一緒に暮らしてきた中で父はいつも鷹揚で、それでいて良識のある人だった。だからこそ尊敬しているのに。
真綾も一人テーブルについて、軽く頭を抱えた。
どうしてこんなことになってしまうのか。
悠太と二人で耕助と菜穂の、それぞれの親同士の再婚を思い描いてはしゃいでいたのも今は昔。
その後、当の悠太に父との事をそれとなく尋ねても、なぜだか赤くなってそのまま口をつぐんでしまうばかりだった。
父どころか、悠太にまで自分との心の距離を置かれているような気がする。
あとで思えば、こうしてただ思い悩んでいるだけでよかった時期はまだ気楽な方であった。
真綾にとって、真に苦悩と言える日々はここから始まったのだから。
[newpage]
「しあわせかぞく 中編」へ続く…