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ニス研究所喫煙室vol.5

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ニス研究所喫煙室vol.5
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 どうもニスです。なんだかネガティブな話題が続いているような気がしますが、人生という長い道程において、その答えを知るべく研究者は日夜知的好奇心を満たそうと奮起しているものなのです。かく言う私もその一人。研究を通して様々な答えを導き出したいものなのです。


 さて、語りましょうかねと言っておいて1ヶ月もしたら何を話そうとしていたのかなどさっぱり忘れてしまっております。こんな状況になるのがわかっているならバトンを残すなという話ではありますが…

 どんなことをすれば相手が喜ぶのか、というのはどんな時でも答えに悩む人生の課題の一つだと思います。例えば、自分が生きているという価値を求める場合、大抵の場合は承認欲求から他者のためになることをして認めてもらおうとするものだと思います。しかし、この方法はわかりやすいものの明白な欠点を有しており、他者が存在しないと成り立たないという非常に難しい問題にぶつかります。

 人間、自分のことすらも全てはわからないものなのに、他者を理解するというのは更に難解です。それなのにそんな理解が及ばない者達、しかもそれが大勢であるという場所で他者のためになることをするのは中々に成立しないでしょう。

 そんなことを考えつつも私がなおも冒してしまう失敗のひとつが「ファンアートを描く」です。

 大抵の場合、贈り物を頂いた場合嬉しいものです。しかし、その度合いはどうしても、内容によって変化することは防ぎようがありません。私は相手方との接点を持つためにこの贈り物をすることが多いです。これが私にできる最大級の好意の表現だと思っているところが大きいからだと思います。

 ただ、この考えがすべての人に当てはまることはありません。ニスの絵に価値を見いだせないことはもちろん、ニスという存在自体に何も見いだせない人も多数いるでしょう。突然知らないところからあなたのお子さん描きましたなんて言われたら確かにちょっと怖いかもしれない。レギュレーションにこだわりがある人かもしれません。絵より物や富、名声が欲しい人かもしれません。人に対して付けられる価値同様に、贈り物自体にも多様な価値が付けられます。

 はっきり言えば、私が創作にかけている時間は普通では考えられないくらいのものであり、どうしてそこまでするのかという中で、良い物を見たとき、それを自分のイラストに興してみたいという気持ちに駆られることが多いです。その衝動こそが率直に言って自らの負担を増やしている行為に他ならないと考えてはいます。でもどうしても防げない欲求が溢れ出すのです。不思議なものです。自分が良いと思ったものを反芻し自己解決する方法なのでしょう。

 こういった類のものは喜んでもらおうと思って贈ることは止めたほうが良いと私は思っています。私の中ではあくまで、自分が納得するために行ったことである、別に他者に見せる必要のない落書きではあります。しかし、どうしても私が良いと思ったのですという感情を、伝えたくなってしまう、伝わるといいなという甘い夢を同時に見てしまうものなのです。


 最近は、期待という行為は基本的に自らを強く縛る自虐行為の一種ではないかと考える私がいます。そう考えたくない私もいます。私の中で常に議論が止みません。しかし、期待というものはあえて外れた時の悲しさを増強させるという呪いを課しているという考え方ができると思っています。自分の行ったことを自己発散できるようにする。今はこの境地に辿り着いてみたいと考えています。

 小難しい話になってしまいました。もっと適当なことを言っていきたいですね。うんこ。ちんちん。


 常に実験である。


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POSTEDMar 29, 2026
ARCHIVEDMar 29, 2026