DESCRIPTION
「はぁ……」
夕暮れ時、俺は冷たくなり始めた風を受けながら帰路に就いていた。
しかし頬を撫でる風は普段なら寒いはずだが、今は火照った体を冷ますのにちょうどいい。
ジムでたっぷり動かした体はまだ熱い。
先ほど吐いたため息が白い。
ため息の理由は落ち込みや落胆から来るものではなく、何かに見惚れているときに出るような呆けたため息だった。
俺は運動不足を解消するためにボクシングジムに通い始めた。
ボクササイズでもよかったのだが、生憎こんな田舎と言ってしまっていいような町では施設が限られていたため、近くのボクシングジムにしたのだ。
幸いにも入会したところはガチガチにプロを目指すような方針のジムではなく、子供も女性も通いやすいような緩い雰囲気のジムだった。(本気でプロを目指している方も2人ほどいる)
田舎らしく、狭く古いジムではあるが……
入会後の初日は心臓が跳ねるほどに緊張しながら向かったのだが、ジムに入って15分ほどでその緊張はほぐれた。
見渡すと俺と似たような理由で通っているであろうおばちゃん達や、習い事で通っている子供たち、中には本気でボクシングをやっている人たちもいるが和やかに空気に馴染んでいるのか優しく頼もしい人たちだった。
「ここなら、続けられそうだ…!」
そんな中、皆から「かいちょう」と呼ばれている年端も行かない女の子がいることに気づいた。
まさか!とは思ったが、当然本当の会長ではなかった。
会長の娘だ。
当の「本当の会長」はプロを目指すボクサーにはしっかり指導はするのだが、ぶっきらぼうな性格だからかそれ以外の経営は上手くはないらしく事あるごとに娘にやいのやいの言われていたそうだ。
そうこうするうちにプロ志望を除くジムの全体的な指導や運営はほとんど会長の娘がやることになっていた。
話しやすく明るい性格と若いながらもしっかりした働きから皆から親しみを込めて「かいちょう」と呼ばれている。
かいちょうは性格もさることながら容姿も美しく、ジムどころか町中でも老若男女に好かれている。
田舎町にはもったいなく感じるくらいのまさに天使だ。
「今日もお疲れ様!頑張ってたね!」
ジムに会長の元気で透き通った声が響く。
紛うことなく俺に向かって発せられたねぎらいの言葉
天使の声だ………。
その声にジムで蓄積した疲れが吹き飛ぶようだった。
ありがとうかいちょう…………。
夜の時間帯に来る俺は終わるころにはよくかいちょうと二人になって戸締りして帰ることが多かった。
おれもバイトに学業と学生を謳歌しているとはいえ、決して暇ではなかった。
ジムに来れる時間帯は夜。
「いや~マジで疲れたあ、かいちょう明日もよろしく!」
流石親しみやすいかいちょう、少し人との距離感を掴むのが下手な俺でもすぐ仲良くなって話しやすい間柄になっていた。
打って変わって俺の話になるが、ジムに通ってみて俺に変化があった。
ボクササイズ目的で入会してみたのだが、これがまたボクシングが楽しくハマってしまった。
夢中になって続けていくうちに男の性なのか、ある感情が沸き上がってきていた。
「強くなりたい」
ボクササイズだけならサンドバッグを打ち、かいちょう提案の「バリバリ健康♪コース」のメニューをこなすだけでいい。
でも強くなりたかったら、それだけじゃきっとなれない。
ハードなトレーニングもいるし、実戦、つまりスパーリングをしなければ。。。。
1か月ほどジムに通ってわかったことがある。
俺が通う時間帯は子供たちは帰り残ったのはプロ志望の方、おばちゃん達、そしてかいちょうの数人になっている。
(もともと小さいジムだからそんな人数がいるわけでもないのだが…)
プロ志望の方は会長がつきっきりだし、限られた時間の中で俺が邪魔するのも悪い。
おばちゃんたちはボクササイズ目的だから当然スパーリングなどNOだ。
残るはかいちょう。
突然話は最初に戻るが俺がため息をした理由はかいちょうだった。
かいちょうは先ほど話したように才色兼備なのだが、ボクシングの技術もすごい。
話によると実戦経験もそれなりにあるとのこと。
……俺が知識不足だから悪いのだが、男女でリングに上がることは許されるのだろうか?それっていいのか?
でもかいちょうが一番スパーリングの相手や指導もしてくれそうだ。
「明日、かいちょうにスパーリングしてくれるか聞いてみよう…」
俺は「強くなろう」という決意とともに不安や少しの怖さを乗せ、次の日にジムに行ける時間を待った。
いろいろ考えているうちにしっかり体は冷えてしまい、体は寒空の下震えていた。