三日目、最終日の朝。集合場所はイオンモール大津京の敷地内に設営された屋外特設会場だった。
三つの店舗の中で最も大きな規模のイベントで、予想される観客数も最多だ。
「いよいよ最終日やね」
美咲がテント前で深呼吸する。
結衣と亜美も、これまでの二日間とは明らかに違う表情をしていた。
疲労は蓄積されているが、同時に自信と責任感が顔に現れている。
「天気予報、今日は38度やって」
亜美が眼鏡を押し上げながら報告する。
「今までで一番きついかも...」
結衣がつぶやく。
しかし、三人の表情に不安の色はない。二日間の経験で培った技術と精神力が、大きな支えとなっていた。
「でも、結衣ちゃんと亜美ちゃんなら絶対大丈夫やで!」
美咲が力強く言う。
その直後、山田さんがテントに近づいてくる。
「皆さん、おはようございます。いよいよ最終日ですね」
「はい!今日も頑張ります」
3人が元気よく答える。
「3人とも素晴らしい成長ぶりでした。スタッフ一同、とても感謝しています」
「今日も体調管理を最優先に、でも最高のパフォーマンスで子供達を喜ばせてあげてください!」
山田さんが労いながら続ける。
「あと一時間半ほどで本番なので、まずは軽くリハーサルをておきましょう」
「はい、お願いします!」
結衣と亜美が即座に答え、3人は荷物をテント内に運び入れてからステージに向かった。
◆ ◆ ◆
まずテントから出てきたのは結衣と亜美で、2人はすぐにステージ上に登った。
結衣はネイビーのTシャツに黒のスウェットパンツ、亜美は上下とも黒のTシャツとスウェットパンツという動きやすい服装を着ている。
「最終日だから、特に演出の絡み合いを重点的にやろ!」
美咲が提案し、2人は小さく頷く。
ステージ上で、結衣と亜美は真剣な表情でリハーサルに取り組んでいる。
美咲は自分が司会として立つステージの端に移動して、二人の真剣なリハーサルの様子を見守る。
二人のキャラクター同士の絡み合い、ポーズの確認、動線の最終チェック。
何度も繰り返し練習する姿に、山田さんも音響スタッフも感心していた。
美咲は特に結衣の表情に注目していた。
亜美はもちろんだが、結衣の表情がいつもとは全く違って特に真剣な様子だった。
いつもの人懐っこい笑顔ではなく、集中しきった真剣な眼差し。
その時、美咲はふと結衣の胸元に目が向いた。
「あれ? なんか今日の結衣ちゃん、胸がいつもよりボリュームあるように見える...」
美咲は気のせいかとも思ったが、昨日よりも明らかにボリュームがあるように見える。
「結衣ちゃん、あんなに胸大きかったっけ?」
「でも、今日は大きめのTシャツ着てるから、目の錯覚かもしれへんな...」
と思い、美咲はそれ以上気にしないようにした。
結衣は自分の胸のサイズを少しコンプレックスに思っているところがあった。
たまに美咲や亜美を羨ましがって「いいなあ、二人とも大きくて」と言っていたやり取りを思い出す。
可愛らしい結衣らしい悩みだった。
リハーサルを見守っていた山田さんと音響スタッフの間では、三人の成長ぶりが話題になっていた。
リハーサルの様子を見ている山田さんが音響スタッフに小声で言う。
「本当にプロみたいですね」
「そうですね、初日とは別人みたいですよ」
音響スタッフも同感だった。
そして二十分ほどのリハーサルが終わり、三人はテント内に戻った。
◆ ◆ ◆
リハーサルを終えてテント内に戻った三人。外の暑さもあり、軽く汗をかいた結衣と亜美の顔には、最終日への気合いが漲っていた。
「お疲れさま」
美咲が二人を労う。
「本番は大丈夫そうやね!」
「うん、ありがとう」
結衣が少し汗を拭きながら答える。
「結衣、準備まで時間があるから、着ぐるみの最終チェックをしとこう」
亜美が提案し、結衣と亜美は更衣スペース内に入るとそれぞれの担当キャラクターの着ぐるみを念入りに確認し始めた。
「ティア・リリアンの衣装は全部揃ってるし、目立った傷もないから多分大丈夫やと思う。大丈夫やんな?」
結衣が水色のドレスを広げて丁寧にチェックする。
「うん、大丈夫やで。綺麗やん」
亜美がティア・ニャミーの白い衣装と見比べながら答える。
二人は衣装の細部まで確認していく。
フリルの状態、リボンの位置、装飾品の取り付け具合。
最終日だからこそ、完璧な状態で臨みたいという気持ちが強かった。
「マスクの紐の状態も確認しておこう」
亜美がティア・ニャミーのマスクを手に取る。
「そうやね。そこ一番大事やわ」
結衣もティア・リリアンのマスクを慎重に調べる。
マスクの内側のスポンジの状態、視界を確保するためのスリットの汚れ、呼吸用のスリットの詰まりがないかを一つずつ確認していく。
結衣はティア・リリアンのマスクを手に持ち、少し寂しそうな表情でマスクを見つめている。
「今日で終わりかあ...」
結衣が少し寂しそうにつぶやく。
「結衣、ちょっとお願いがあるんやけどさ」
亜美が声をかける。
「どしたん?」
「リリアンのマスク、ちょっと被らせてくれへん?ニャミーのマスクとどのくらい違うんか確かめてみたくて」
「うんいいよ!じゃあ私もニャミーのマスク被ってみる」
二人は互いのマスクを交換して装着してみた。
まず結衣がティア・ニャミーのマスクを被ると、いつものティア・リリアンとは違う感覚だった。
「どう?なんか違う?」
「うん、ニャミーのマスクは、リリアンよりも少し顔が大き以下ら圧迫感は多少ましやけど、視界がリリアンよりも狭く感じるかも」
結衣がマスクの中からくぐもった声で言う。
「そうなんや。じゃあ私も被ってみよ」
今度は亜美がティア・リリアンのマスクを被ると、明らかに違いを感じた。
「リリアンのマスク、やっぱりニャミーよりも小顔やから圧迫感があるなあ。でも視界はちょっと広めかも」
「でも息苦しさはどっちもほとんど変わらへんね」
結衣が付け加える。
マスクを外した二人は、鏡で自分たちの顔を見比べた。
結衣の顔や頭部が亜美よりも少し小さいため、ティア・リリアンのマスクは亜美が被るよりも結衣に合っているようだった。
「やっぱり配役はこれで良かったんやね」
亜美が納得したように言う。
「うん、お互いにちゃんと合ってる気がする」
結衣も同感だった。
「汗拭きシートとタオル、多めに準備しておいた方がいいかな」
結衣が自分のカバンから取り出す。
「今日は昨日より暑いから。私も予備を準備してる」
亜美も同様に準備しながら、二人は着替えの順序も改めて確認した。
全身タイツ、衣装、フード、そして最後にマスク。
「美咲には着替え中はやっぱり見られたくないし、カーテンもしっかり閉めような」
亜美が念押しする。
「うん。プリティアの着替えってなんかやっぱり照れ臭いもんね」
結衣も真剣にうなずきながら衣装をハンガーに掛け直し、マスクを適切な位置に配置する。
着替えがスムーズに行えるよう、必要なものを手の届く場所に整理する。
「よし、準備万端やね」
「最終日、楽しもう!」
亜美が満足そうに言い、結衣が決意を新たにする。
そして更衣スペースを出た二人の表情には、確固たる自信と責任感が表れていた。
午前の1回目公演が始まるまであと40分程。
30分前になったら二人はキャラクターへの着替えに入る予定になっており、美咲は司会の準備で忙しくしており、テント内は静寂に包まれていた。
◆ ◆ ◆
会場の下見
テント内での準備も最終段階に入った頃、結衣と亜美は互いの眼差しを交わした。
二日間の経験で培った連携と信頼。今日という最終日への特別な思いが、二人の間に静かな緊張感を生み出している。
「亜美ちゃん、ちょっと外の様子見てきてもいい?」
「うん、うちもいくわ。どんな感じか見とこ!」
結衣が提案したのは、単純な好奇心からではなかった。
これから自分たちがプリティアとして立つステージ、そこに集まってくる人々の期待を肌で感じておきたいという、演者としての本能的な欲求だった。
彼女達にとっても、観客席の様子を事前に把握することは、演技への集中力を高める大切な準備の一部だった。
二人はテントの入口から外に足を向けた。
イオンモール大津京の敷地内特設エリアに足を踏み出した瞬間、二人は會場の規模の大きさに改めて驚かされた。
三日間のイベントで最も大きな会場だ。
特設エリアの幅は約二十メートル、青空が広がり開放感がある。しかし、その分日差しも強く、既に朝の時点で暑さが感じられる。
午前中にも関わらず、特設エリア周辺にはベビーカーを押した若いお母さん、小さな手を引いて歩くお父さん、祖父母と一緒に来ている三世代の家族など、多様な親子連れの姿が目に付いた。
「あ、あそこ」
結衣が小声で亜美に囁く。
特設エリアの入口付近、プリティアのイベントを知らせる大きなポスターボードの前に、四、五歳くらいの女の子が立っていた。
ピンクのフリルワンピースを着た女の子は、ポスターを見上げながら興奮気味に両親に何かを話している。
「ママ、ティア・リリアンとティア・ニャミー、本当に来るの?本物?」
女の子の澄んだ声が、屋外の開放的な空間に響いた。
「うん、本物よ。もうちょっとで会えるよ!」
お母さんが優しく説明している。
その声には、娘の期待を大切にしたいという愛情が込められていた。
「やったー!ティア・リリアンに会える!」
女の子が飛び跳ねて喜ぶ姿を見て、結衣の胸に温かい感情が湧き上がった。
(あの子に会うのが私なんや...)
それは誇らしさと同時に、大きな責任感を伴う気持ちだった。
あの純粋な期待を裏切ることは絶対にできない。女の子が思い描くティア・リリアンそのものになって、最高の思い出を作ってあげたい。
亜美も同様の気持ちを抱いていた。
ポスターの向こうから、ティア・ニャミーの優雅な姿を見上げている子供たちの姿に、自分が演じるキャラクターの重要性を改めて実感する。
(うちが今からティア・ニャミーになるんやなぁ...)
会場を歩きながら、二人はさらに詳しく環境を観察していく。
さらに特設エリアを歩いていると、設営中のステージエリアが見えてきた。
屋外用の特設ステージが組まれており、スタッフたちが音響機材やマイクのテストを行っている。ステージの周囲には既に観客用のロープが張られ、後ろの方には大人用の立ち見スペースも確保されている。
観客席の前の方、子供たちが座るであろうエリアを見つめながら、結衣は改めて実感した。
(ここに立つんや、みんなの前でティア・リリアンになって)
狭いマスクの視界で、あの広いスペースの子供たち一人一人と触れ合う。
考えただけで緊張が高まってくるが、同時に期待感も大きくなってくる。
「こうやって見たらやっぱ結構広いステージやね」
「うん、昨日までより観客も多いみたいやね」
「そうやね。でも、その分たくさんの子供たちに会えるってことやん?」
結衣が前向きに捉える。
特設エリアの入口付近では、イベントスタッフと思われる女性が、プリティアのイベント案内を持ちながら通行人に声をかけていた。
「プリティアショー、十一時からです。握手もできますよ」
その案内に興味を示す親子連れが何組かいる。
まだ開始まで時間があるというのに、既に関心を寄せる人々がいることに、二人は驚きと共に身の引き締まる思いを感じた。
歩きながら、二人は会場の物理的な環境についてもしっかりと把握しておこうと考えていた。
歩きながら、二人は会場の物理的な環境も観察していた。
屋外の特設会場は日陰が少なく、朝の時間にも関わらず強い陽射しが既に照りつけている。
会場入口の気温表示を見ると、すでに三十二度を記録している。
「今日、めっちゃ暑くなりそう...」
「マスクの中、大丈夫かな...」
結衣も亜美も同じような心配を抱いている。
しかし、そんな心配を吹き飛ばすような光景が目に入った。
特設エリア内を歩いている親子連れの中に、明らかにプリティア好きと分かる家族がいるのだ。
小学校低学年くらいの女の子は、ティア・リリアンのカチューシャを着け、お気に入りのプリティアグッズを入れたと思われるトートバッグを大事そうに抱えている。
その隣を歩くお母さんも、娘の楽しみを理解している様子で、穏やかな表情を浮かべていた。
「ママ、リリアンに会える?」
「うん、会えるよ。ちゃんと挨拶してあげるんよ」
「はーい!ティア・リリアン大好きって言う!」
女の子の無邪気な会話を聞きながら、結衣の心臓の鼓動が早くなった。
(この子にとって、私は本物のティア・リリアンなんや)
それは単純な着ぐるみショーではない。
この子の心の中に、一生残るかもしれない特別な思い出を作る瞬間のはず。
亜美も同じような親子連れの姿を目にして、深く感じ入っていた。
「あの子たちの期待に応えたい」
二人の観察は続く。大人たちの反応も気になるところだった。
しばらく観察を続けていると、二人の存在に気づく大人たちが現れ始めた。
三十代くらいのお母さんが、友人と話しながら二人の方を見ている。
「あの子たち、もしかして...」
「演者さんかな?大学生くらい?」
二人はその視線に気づき、少し気まずい思いをした。
大人には、どうしても自分達が演者だということがバレてしまう。
でも、そのお母さんたちの表情には、非難や詮索ではなく、理解と労いの気持ちが込められていることが分かった。
一人のお母さんが、小声で友人に言った。
「大変そうやけど、子供たちが喜ぶから頑張ってくれてるのよね」
「本当にそう。うちの子も去年参加して、すごく嬉しそうやった」
「ありがたいわあ」
その会話を聞いて、結衣と亜美は改めて自分たちの役割の意義を感じた。
大人たちは、自分たちが演者であることを薄々察していても、それを口に出さず、子供たちの夢を守るために協力してくれている。
まさに大人たちとの無言の共謀関係。子供たちの純粋な世界を守るための、心温まる協力体制なのだ。
結衣は、演者としての責任と同時に、多くの人に支えられているという感謝の気持ちを強く感じた。
家族全体でこのイベントを楽しみにしてくれている。
その期待に応えるためにも、最高のパフォーマンスをしなければという使命感が湧いてくる。
歩きながら、二人は会場の熱気を肌で感じ取っていた。
まだ本番まで時間があるというのに、既にプリティアへの期待で満ちている空間。
子供たちの興奮、大人たちの微笑ましそうな表情、スタッフの準備の様子。
すべてが、これから始まるイベントへの期待感を高めている。
そろそろテントに戻る時間になってきた。十分に会場の様子は把握できた。
「そろそろ戻ろうか」亜美が時間を気にしながら言う。
「そうやね。準備の時間や」結衣も同意する。
二人は会場の雰囲気を十分に感じ取りながら、テントに向かって歩き始めた。
道中、結衣が小声で亜美に話しかける。
「亜美ちゃん、今日は最後やし絶対に最高のショーにしような」
「そうやね。あの子たちの笑顔のために頑張ろう!」
二人の間には、これまでの二日間で培った信頼関係と、最終日への特別な決意が流れていた。
テントに向かう途中で、さらに視線を感じるようになった。
明らかに演者だと察している大人たちの視線だった。
しかし、その視線には好奇心や詮索ではなく、労いと応援の気持ちが込められていることが分かる。
(あのお母さんにも多分バレたけど、私たちを応援してくれてるはず)
それは演者としての誇りを感じさせる瞬間だった。
単なるアルバイトではない。
子供たちの夢を作り、大人たちにも感動を与える、尊い役割を担っているのだ。
二人がテントに近づくにつれて、スタッフたちの姿も見えてきた。
テントに近づくにつれて、山田さんや音響スタッフの姿が見えてきた。
彼らも最終準備に追われているが、二人を見ると安心したような表情を浮かべる。
「皆さん、会場の確認はいかがでしたか?」山田さんが声をかけてくれる。
「はい。たくさんの親子連れが来てくださってます」結衣が報告する。
「子供たちもすごく楽しみにしてるみたいで」亜美も付け加える。
山田さんの表情に、深い信頼と期待が浮かんだ。
「そうですか。では今日も素晴らしいパフォーマンスをお願いしますね。でも、絶対に無理は禁物ですよ」
音響スタッフの一人も、機材の調整をしながら声をかけてくれる。
「三日間、本当によく頑張ってくれて。今日で最後だと思うと、ちょっと寂しいですね」
そのスタッフの言葉に、二人は改めてこの三日間の意味を感じ取った。
単発のアルバイトとして始まったこの仕事が、多くの人との繋がりを生み、自分たちにとっても特別な経験になっている。
「こちらこそ、ありがとうございました」亜美が丁寧に答える。
「最後まで精一杯頑張ります」結衣も決意を表明する。
スタッフたちの温かい励ましを受けて、二人の心には確かな自信と使命感が芽生えていた。
テントに入った美咲も、二人の表情の変化に気づく。
テント内に入ってきた結衣と亜美を見て、美咲は二人の表情の変化に気づいた。
会場に出る前と明らかに違う顔つき。
緊張はあるものの、それ以上に強い決意と責任感が表れている。
最終日への特別な思いが、二人をより一層成熟した演者へと変えているようだった。
「2人とも、良い表情してる」美咲が感心したように声をかける。
「最終日やからね。ちょと気合い入ってるかもやわ」
結衣の声には、三日間の経験に裏打ちされた自信があった。
「子供たちの笑顔、楽しみやな」
亜美も目を輝かせている。
彼女の言葉には、単純な期待だけでなく、演者としての深い責任感が込められていた。
美咲は二人の成長を心から誇らしく感じた。
初日の不安と緊張に満ちた表情から、今日のプロ意識に満ちた顔つきまで。
この三日間で、二人は本当の意味でプリティアの演者になったのだ。
そして何より、子供たちの笑顔を作ることへの純粋な喜びと責任感。
それが二人を最高の演者へと押し上げている。
「もうちょっとで準備やね!」美咲が最終確認を始める。
外では既に開始を待つ親子連れの列が形成され始めている。
子供たちの期待に満ちた声、大人たちの協力的な雰囲気、スタッフたちの万全な準備。
すべてが整い、いよいよ最終日の開幕が近づいていた。
二人のプリティアが、最高の思い出を届ける時間が、もうすぐ始まろうとしていた。
◆ ◆ ◆
着替えの時間
会場の雰囲気を十分に確認し、子供たちの期待を肌で感じ取った結衣と亜美がテントに戻ってくると、時計は本番30分前を指していた。
「あと30分で本番や...」
美咲が時計を見ながらつぶやく。
最終日の朝だというのに、いや、最終日だからこそ、三人の気持ちは特別だった。
「結衣ちゃん、亜美ちゃん、準備始めよう。今日は最後やから、最高のパフォーマンスにしようね」
テント奥の更衣スペースを仕切るカーテンの向こうから、二人の返事が聞こえた。
「はーい」
「りょうか〜い」
美咲は司会の原稿を最終確認しながら、二人の着替えを待っていた。
カーテンの向こうからは、衣装の擦れる音や二人の小さな会話が漏れ聞こえてくる。
更衣スペース内では、結衣と亜美が互いに協力しながら着替えを進めていた。
「いよいよ最終日やね」結衣が私服のTシャツを脱ぎながらつぶやく。
「そうやね。なんか寂しい気もするけど」
亜美も同様に着替え始める。
二人はインナーだけの姿になり、プリティアの肌となるベージュ色の全身タイツを手に取る。
「最初の日は、この全身タイツ着るの恥ずかしかったなあ」
結衣が苦笑いする。
「まぁ今でも少し恥ずかしいねんけどね」
亜美が同感する。足先から慎重に全身タイツに足を通していく。
タイトなフィット感が足首から膝、太ももへと上がっていく感覚。
腰まで上げると、体のラインが完全に露わになってしまう。
「結衣、タイツのファスナー上げるわ」
「ありがとう、亜美ちゃん」
亜美が結衣の背中のファスナーをゆっくりと上げていく。
首の付け根まで上がると、結衣の体が完全にベージュのタイツに包まれた。
「はあ...毎回この瞬間は不思議な感覚やわ」
結衣が自分の体を見下ろしながら、今度は亜美のファスナーを上げる。
同様に、亜美の体も首から下が別人の様相を呈していた。
「ずっと思ってたけど、これなんか宇宙人みたい」
亜美が鏡の前で苦笑いする。
ベージュ色の全身タイツに身を包んだ二人は、普段の大学生の姿から一歩キャラクターへと近づいていた。
肌色のタイツが体に密着し、体温で少しずつ温かくなってくる感覚も慣れ親しんだものになっていた。
「でも、これ着ると気持ちが切り替わるよね」
「うん。プリティアになる準備が始まったって感じ」
次は衣装。
結衣はハンガーにかかったティア・リリアンの水色のドレスを大切そうに手に取る。
「ティア・リリアンの衣装、何回見てもめっちゃ可愛い」
結衣が改めて衣装を見つめる。
「最初見た時から、絶対に着てみたいと思ってた」
「ティア・ニャミーも上品で素敵やで」
亜美が白い衣装に触れる。
「この衣装着ると、自然と姿勢も良くなるしな」
二人は手際よく衣装を身に纏っていく。
まず下半身のスカート部分を履き、ウエスト周りを調整する。
続いて上半身の部分を着て、背中のファスナーを互いに上げ合う。
フリルの位置を細かく調整し、リボンを丁寧に結び、胸元の装飾を整える。
袖の膨らみ具合、スカートの広がり方、一つ一つを完璧に仕上げていく。
「このフリル、ちょっと内側に入っちゃってる」
亜美が結衣の衣装を直してくれる。
「ありがとう。亜美ちゃんのリボンも少し曲がってるで」
結衣も手伝う。
細かな装飾品を身に着け、アクセサリーを取り付けていく。
ティア・リリアンの水色に輝く小さなハット、ティア・ニャミーの上品なカチューシャ。
鏡に映る自分たちの姿を見て、二人は改めてその完成度に驚いた。
「すごいね...本当にプリティアになった」
結衣が感嘆する。
「顔以外は完璧やで」
亜美も同感だった。
「でもこの姿も、今日で終わりなんやね..」
少し寂しさを含んだ表情で、二人は鏡の中の自分たちを見つめた。
次に髪をまとめる作業。
慣れた手つきで、自分の髪の毛を首の付け根にきちんと束ね、ヘアゴムでしっかりと固定していく。
「亜美ちゃん、もうちょっと上の方がいいんちゃう?」
「こんな感じかな?」
「うん、完璧!」
「じゃあ今度は結衣の番ね」
同様に亜美も結衣に手伝ってもらい、髪をまとめる。
長めの髪をくるくると丸めて、頭の上の方で固定する。
「これでOKやね」
そしてフードの着用に移る。
全身タイツに一体化したフード部分を、慎重に頭に被せていく。
「息がちょっと苦しくなるね」結衣がフードを被りながら言う。
「そうやね。でもマスク被ったらもっと苦しくなるで」亜美も同様にフードを被る。
首から頭頂部にかけてのファスナーをゆっくりと上げていく。
顔の部分だけが開いた状態で、首から上もタイツに包まれる。
顔以外が完全にタイツに包まれた状態になった二人は、鏡の前で顔を見合わせた。
二人の表情には、緊張と期待、そして最終日への特別な思いが込められていた。
その時、亜美がふと結衣の胸元を見ると、胸がいつもより大きくなっていることに気づいた。
いつもの結衣は、どちらかというと華奢で控えめなスタイルなのに、今日は明らかにボリュームがある。
「あれ、結衣。今日なんか胸大きくない? 衣装のせいなん?」
亜美が率直に聞く。
結衣は瞬間的に顔を真っ赤にして、照れながら胸を隠すように腕を組んだ。
「えっ? いや... こ、こんなもんやって...」
すると亜美はすぐに気付き、ニヤッと笑いながら近づいた。
「あんた、さてはちょっと盛ったな!?」
「だ、だって...」
結衣がさらに赤くなって、目を泳がせる。
「もうちょっと大きい方がリリアンの衣装も絶対に映えると思ったんやもん。亜美ちゃんは元々大きいからええよな!」
結衣の羨ましそうな表情に、亜美は心から笑い出した。
「あんたまだそんなこと気にしてたん!? 十分可愛いのに」
そう言いながらも、亜美は興味深そうに結衣の胸を見つめていた。
確かに、普段よりもはっきりとしたラインができている。
「でもどうやって盛ってんの? パッド?」
亜美が好奇心旺盛に聞く。
「も、もういちいち聞かんといてよ〜!」
結衣がますます恥ずかしがっているが、でも少し嬉しそうでもある。
「ちょっと厚めのパッドにしただけやから...」
「でも効果絶大やん。めっちゃ綺麗に見えるで!」
亜美が純粋に感心する。
「ほ、本当?」
「うん。でも結衣の可愛い胸も十分魅力的やで?」
「もうほっといて!」
結衣が照れながら言って着替えを続ける。
二人は衣装を最終調整しながら、鏡の中の自分たちを見つめた。もうほとんどプリティアの姿だ。
顔だけが普通の女子大生のまま。この不思議な状態が、いつも変身への期待感を高めてくれる。
「じゃあ、マスクやね...」
結衣が改めて緊張した表情を見せる。
「最終日やから、今まで以上に気合い入れないと」
「うん...」
亜美も同様に真剣な顔つきになる。
しばらく静寂が続いた。
二人とも、これまでの経験を思い出しながら、最後の本番への覚悟を決めていた。
その時、亜美の目がきらりと光った。
「あ、そうや結衣! 面白いこと思いついたんよ!」
「今度は何?」
結衣が振り返る。亜美が悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
まるで小学生の時にいたずらを思いついた時のような表情だ。
「今日一日、着ぐるみに着替えてからマスクを外すまでは、完全にキャラクターになりきらへん?」
「どういうこと?」
結衣が首をかしげて興味深そうに聞く。
「着ぐるみ着てる時は、テント内でも出来るだけ声は出さずに、身振りと手振りだけで美咲に接する。で、より完璧にキャラクターになりきってた方が勝ちで」
結衣の目が一瞬で輝いた。
競争と聞くと燃え上がる性格だ。
「面白そう!でも、勝負やんな? 負けたらなんかするん?」
「負けた方が勝った方と美咲にコーヒーを奢る。ケーキ付きやで!」
「それめっちゃいいやん! 絶対負けへんで!」
亜美がにやりと笑う。
「面白そうやろ? 実は夜に考えててん! ちゃんとしたルールもあるで」
亜美が指を立てて、まるで作戦会議のように説明し始める。
「まず第一に、水分補給はマスクを外さなあかんから、この更衣スペースの中だけでする。更衣スペースから出る時は、全部私服に着替えた状態か、キャラクターの衣装を着てマスクも装着した完璧な状態だけ。中途半端な姿は絶対にダメ!」
「なるほどぉ、徹底してるなあ」結衣がうなずく。
「で、一番重要なのは美咲は絶対に更衣スペースに入れたらあかん。もし入ろうとしたら、二人で協力して全力で抑止する」
「子供たちと同じ扱いってことやね」
「そう!プリティアのマスクを外している状態の中身を見ても良いのは、私たちだけ。美咲にも山田さんにも、絶対に中間の状態は見せたらダメってことで」
亜美の表情が真剣になった。
遊び半分の提案だったが、プリティアとしての責任感も込められている。
「ショーが終わったら休憩と水分補給の為に必ずここに戻ってくる。その時に、お互いの演技について感想を言い合って、次の回に活かす。どっちがよりキャラクターらしかったか、客観的に評価し合うってのはどう?」
結衣が手を叩いて賛成する。
「それ面白い!負けたくないから、より真剣になりそうやし、実際に演技の練習にもなるし!」
「あ、でも完全に声出し禁止にすると危険やから、衣装を着た状態であっても、キャラクター同士なら声を出して会話してもOKって事にしよ。ただし、声を出す時は相手のマスクに耳元を近づけて、他の人に聞かれへんように!」
「それは助かるわ、意思疎通ができひんのは流石に不便やもんね」
「うん、安全第一やからね」
亜美がうなずく。
「最後に、美咲には最初から最後まで本物のティア・ニャミーとティア・リリアンとして接してもらって、全部終わってから事情を説明して、どっちがより完璧やったか勝敗を決めてもらう」
「美咲ちゃん、驚くやろうなあ」
「絶対びっくりするで。でも、結果的に最高のパフォーマンスができるはず」
二人は顔を見合わせて、お互いの闘志を確認し合った。
「じゃあ、やろう!絶対に負けへんで」
「こっちこそ負けへんで!」
結衣も対抗心むき出しで言い返す。
二人は手を合わせて、真剣な勝負の約束を交わした。
握った手には、友情と同時に競争心も込められている。
「でも、どっちが勝っても、結果的に子供たちが喜んでくれたらそれが一番やんね」
「そうやね。それが一番大事」
競争はするが、最終的な目標は同じ。
子供たちの笑顔のために、最高のプリティアを演じること。
「じゃあ、マスクを被ろっか!まずは結衣から」
「は〜い」
亜美がティア・リリアンのマスクを手に取り、結衣の頭に被せる準備をする。
「位置合わせするから、ちょっと下向いて」
結衣が下を向くと、亜美は慎重にマスクを結衣の頭に被せていく。
マスクの内側の冷たい感触が、結衣の顔に触れる。
額、頬、顎に貼られたスポンジが、徐々に結衣の顔に密着していく。
「目の位置、大丈夫?」
「うん、見える。大丈夫」
マスクの中から結衣のくぐもった声が響く。
呼吸用のスリットの位置も確認し、最後に後頭部で紐をしっかりと固定する。
「大丈夫?苦しくない?」
「うん、大丈夫。じゃあ、ここからはリリアンとして頑張ね。亜美ちゃんもよろしく」
マスクの中から、結衣のくぐもった声が聞こえる。
続いて、結衣が亜美のティア・ニャミーのマスクを装着する手伝いをする。
同様の手順で、亜美もティア・ニャミーへと変身していく。
マスクを被った瞬間、亜美も同じ感覚を味わった。
視界が狭くなり、呼吸が浅くなり、自分の息の音だけが大きく聞こえる。
「準備完了!」
亜美の声がマスクの中から響き、もう外にはほとんど聞こえない。
二人は鏡の前に並んで立った。
そこにいたのは、間違いなくティア・リリアンとティア・ニャミーだった。
もう結衣と亜美の面影はどこにもない。
完全にプリティアとして生まれ変わった二人が、そこに立っていた。
結衣が手で合図を送る。
親指を立てて「頑張ろう」という意味のポーズだ。
亜美も同様に応じる。
胸の前で小さくハートマークを作って応答する。
もう声は出さない。
ここからは完全にキャラクターとしての勝負が始まった。
友情と競争心、そして子供たちへの愛情を込めて、最高のプリティアになるという誓いを、二人は静かに心に刻んだ。
◆ ◆ ◆
完璧なプリティアの登場
更衣スペース内で完璧な変身を遂げた二人。マスクを装着し、秘密の勝負のルールも確認し終わった今、いよいよ美咲の前に姿を現す時がきた。
「結衣ちゃん、亜美ちゃん、準備できた?」
美咲が更衣スペースに向かって声をかける。
カーテンの向こうから、衣装の擦れる音と小さな動きの気配が聞こえてくる。
最終確認をしているのだろう。
「もうすぐ本番やで」
美咲が時計を見ながら付け加える。
その瞬間、カーテンがゆっくりと、まるで舞台の幕が上がるように開かれた。
その瞬間、美咲が息を呑んだ。
そこから出てきたのは、完璧な姿のティア・リリアンとティア・ニャミーだった。
最初に現れたティア・リリアン。
水色の髪が柔らかく揺れ、水色のドレスのフリルが上品に広がっている。
歩き方一つとっても、軽やかで弾むような足取り。
首の角度、手の位置、すべてがティア・リリアンそのものだった。
続いて現れたティア・ニャミー。
白い衣装が陽光に映え、上品な立ち振る舞いが自然に流れ出ている。
ゆっくりとした動作、優雅な手の動き、落ち着いた佇まい。
まさに理想のティア・ニャミーが目の前に立っていた。
二人の姿勢、立ち振る舞い、歩き方、すべてがキャラクターそのものだった。
まるで本当にプリティアの世界から出てきたかのような完璧さ。
美咲は呆然として、思わず口が半開きになってしまった。
「二人ともすごい...」
美咲は無意識に更衣スペースの奥を見た。
そこには、さっきまで結衣と亜美が着用していたネイビーのTシャツと黒のスウェットパンツ、そして亜美の黒い上下が綺麗に畳んで置いてあった。
カバンも二つ、壁際に並んで置かれている。
確かに結衣と亜美がティア・リリアンとティア・ニャミーに着替えたという物的証拠がそこにある。
論理的には、目の前の二人は間違いなく結衣と亜美のはずだ。
しかし、目の前に立っているティア・リリアンとティア・ニャミーには、結衣と亜美の面影が全く感じられなかった。
結衣の人懐っこい笑顔も、亜美のクールな表情も、そこにはない。
代わりにあるのは、ティア・リリアンの無邪気で愛らしい雰囲気と、ティア・ニャミーの上品で優雅な気品だけ。
「あの...結衣ちゃん?亜美ちゃん?」
美咲が恐る恐る声をかける。
その瞬間、二人は顔を見合わせた。
まるで「あ、やってしまった」というような、マスクの中でのアイコンタクト。
ティア・ニャミーがティア・リリアンの方に近づき、白い髪がさらさらと揺れる。
そして、リリアンの耳元にマスクの口の部分を近づけながら、小さくくぐもった声で話しかけた。
「結衣、ちょっと美咲に一個だけ伝えとくから」
声は外にはほとんど聞こえないが、美咲にはティア・ニャミーがティア・リリアンに何かを伝えているのがわかった。
ティア・リリアンは、ティア・ニャミーの方を見つめながら小さくうなずき、右手で小さなOKサインを出す。
その仕草も、まさにティア・リリアンらしい可愛らしいもの。
続いて、ティア・ニャミーが美咲に向かってゆっくりと近づいてきた。
白い衣装が上品に揺れ、歩き方も完全にティア・ニャミーそのもの。
美咲は少し緊張しながらティア・ニャミーを見上げる。
ティア・ニャミーは美咲の耳元に口を持っていくと、マスクの中からくぐもった声で言った。
「美咲、今はうちらニャミーとリリアンやから!わかった!?」
その声には、確かに亜美らしい、少し怒ったような調子が含まれていた。
ティア・ニャミーは美咲から少し離れると、両手を腰に当てて、注意するような仕草を見せる。
上品でありながらも、きちんと叱っているという雰囲気。
その様子を見ていたティア・リリアンは、左手を口元に持っていって、肩を少し振るわせた。
マスクの中で結衣が笑っているような感じが、外からでもよくわかる。
ティア・リリアンらしい、無邪気で楽しそうな雰囲気。
「あ...ごめん、ごめん」美咲が慌てて謝る。
でも、美咲は確信していた。
目の前にいるのは、間違いなく結衣と亜美だ。
ティア・ニャミーの中から聞こえてきた亜美の声、ティア・リリアンの笑い方。
完璧にキャラクターになりきっていても、どこか二人の面影を感じることができる。
そして、美咲はふとティア・リリアンの胸元に目を向けた。
昨日までとは明らかに違う、ふくよかなライン。
水色のドレスが、より美しく、より魅力的に見える。
(あ...結衣ちゃん、やっぱり盛ってるんやな)
美咲は内心で苦笑いしたが、口には出さなかった。
多分、聞かない方が良いんだろう。
結衣なりに、ティア・リリアンを完璧に演じるための努力なのだから。
二人は声を出さずに、それぞれのキャラクターらしい仕草で美咲に改めて挨拶した。
ティア・リリアンは首を少し傾げて、可愛らしくお辞儀をする。
まさに結衣がよく知っているティア・リリアンの特徴的なポーズ。
ティア・ニャミーは両手を重ねて胸の前に置き、上品に一礼する。
こちらも、アニメで見たことのあるティア・ニャミーの仕草そのもの。
美咲は混乱した。
頭では分かっている。この二人は結衣と亜美だ。
でも、目で見ている限り、そして今の一連のやりとりを見ている限り、本物のティア・リリアンとティア・ニャミーにしか見えない。
「ほんま、すごいわ...」美咲が思わずつぶやく。
プロ意識が半端じゃない。
子供たちの前に出る前から、もう完全にキャラクターとして行動している。
美咲のことすら、一般の人として扱っている。
これは、もう本物のプリティアと言ってもいいレベルだった。
本番開始まで、あと十分。
二人は静かにストレッチをして体をほぐしているが、マスクの中では激しい心境の変化が起きていた。
結衣(ティア・リリアン)は、マスクの小さな視界スリットから周囲を見回していた。
目の前には美咲の姿がぼんやりと見える。
上下左右の視界は制限されているため、首を動かさないと全体が見えない。
マスクの中は既に自分の息で温かく湿っぽくなっている。
(はあ...はあ...もうマスクの中、息苦しい)
自分の息がマスクの内壁に当たって、温かい空気が顔全体に戻ってくる。
特に口周りが熱く感じられ、唾液を飲み込むのも意識的にしなければならない。
額や頬には、マスク内のスポンジが密着して圧迫感がある。
視線を左に向けると、ティア・ニャミー(亜美)の姿が見えた。
白い衣装に包まれた亜美の立ち振る舞いは、本当に完璧だ。
手の置き方、足の位置、首の角度、すべてがティア・ニャミーそのもの。
(うわ...亜美ちゃん、完璧すぎる。負けてられへん)
結衣の競争心に再び火がついた。
マスクの中で小さく深呼吸して、自分も完璧なティア・リリアンになろうと決意を新たにする。
一方、亜美(ティア・ニャミー)も同様にマスクの中で集中していた。
眼鏡をかけていない状態での視界制限は、普段以上に不安を感じさせる。
マスクの中の湿度が高く、息をするたびに温かい空気が顔に当たる。
(こんなに息苦しいのに、結衣はこんなに自然に動いてる...)
右斜めに見えるティア・リリアン(結衣)の姿に目を向ける。
水色の髪が軽やかに揺れ、体全体から発せられるティア・リリアンらしさ。
立っているだけなのに、キャラクターの魅力が溢れ出ている。
(負けるもんか。絶対に完璧なティア・ニャミーになったる)
マスクの中で、亜美は静かに闘志を燃やしていた。
テントの外からは、子供たちの楽しそうな声が聞こえてくる。
マスクを通して聞こえる音は少しこもっているが、期待に満ちた雰囲気は十分に伝わってくる。
結衣は、マスクの視界スリットからテント内の様子を改めて確認した。
美咲が最終準備をしている姿、壁にかかった他の衣装、床に置かれた小道具。
普段なら簡単に見渡せる光景も、マスクの狭い視界では首を動かして少しずつ確認しなければならない。
(この視界で、ちゃんと子供たちと触れ合えるかな)
少し不安になるが、すぐに気持ちを切り替える。
二日間の経験で、この視界にも慣れている。
大丈夫、きっとできる。
亜美は、マスクの中で軽く口を動かして発声練習をしてみた。
声は出さないが、口の形だけでティア・ニャミーらしい表情を作る練習だ。
マスクの中では誰にも見えないが、気持ちを作るために大切な準備。
(今日は勝負やからね。絶対に手を抜かへん)
二人とも、マスクの中で汗が滲み始めていた。
まだ本番前だというのに、緊張と集中、そして暑さで体温が上がってくる。
結衣は、再び亜美の方を見た。
ティア・ニャミーの完璧な佇まい。
微動だにしない上品な姿勢。
まるで本物の妖精のような存在感。
(本当にすごい...でも、私も負けない)
亜美も同じように結衣を観察していた。
ティア・リリアンの愛らしい雰囲気。
自然に流れ出る親しみやすさ。
子供たちが絶対に喜ぶであろう魅力。
(結衣の演技、本当に上手になったなあ。でも、今日は絶対勝つで)
二人は、マスクの中でそれぞれの決意を固めながら、本番開始の時を静かに待っていた。
お互いの演技を認め合いながらも、絶対に負けたくないという気持ちが、より完璧なプリティアを目指す原動力となっていた。
その時、美咲がふとティア・リリアンの後ろ姿を見ると、後頭部の首の辺りから肌色の細い紐のようなものが少しはみ出しているのを発見した。
「あ、リリアンちゃん」
美咲が小声で呼びかける。
「マスクの紐がはみ出てるから、直してあげる」
ティア・リリアンは振り返ると、小さくお辞儀をして了解を示した。
美咲はティア・リリアンの背中側に回り込み、はみ出している紐を見つけた。
マスクを固定している肌色の紐が、全身タイツのフード部分から少し出てしまっている。
「ちょっと失礼するね」
美咲が指先で紐を掴んで、慎重にマスクの中に押し込もうとした瞬間、指先にマスク内の熱い空気が一瞬触れた。
「うわ...」
想像以上に熱い。
マスクの中は、まるでサウナのような温度になっているようだ。
紐をタイツの中に押し込む際、美咲の指先は全身タイツの内側に収まっている結衣の柔らかい髪の毛の感触を感じ取った。
束ねられた髪が、タイツの薄い生地を通して指に触れる。
そして同時に、既にタイツのフード部分の表面が汗で湿りつつあることも感じられた。
「結衣ちゃん、大丈夫?もうこんなに...」
美咲が心配そうにつぶやく。
ティア・リリアンは、じっとして美咲が紐を直してくれるのを受け入れている。
動かずに待つその姿勢も、まさにティア・リリアンらしい素直で信頼に満ちた雰囲気。
美咲は目の前のティア・リリアンの華奢な肩のラインを見つめながら、改めて中に入っている結衣の存在を強く感じ取った。
いつも見慣れた結衣の細い肩が、水色の衣装に包まれて、まったく別の存在になっている。
その時、ティア・リリアンのマスクの中から、微かに結衣のゆっくりとした深呼吸するような呼吸音が漏れているのが聞こえた。
「はあ...はあ...」
意識的に呼吸を整えようとしているような、静かで深い息遣い。
マスクの中で、結衣が呼吸を整えようとしているのが伝わってくる。
「はい、直ったよ」美咲が紐を押し込み終える。
ティア・リリアンは振り返ると、両手を合わせてお礼のポーズを取った。
マスクからは声が出ないが、感謝の気持ちが十分に伝わってくる。
美咲は改めて感じた。
この小さな体の中に、結衣の強い意志と責任感が込められている。
子供たちのために、暑さや息苦しさに耐えながら、完璧なプリティアを演じ続けようとしている。
「頑張ってな」
美咲が小声でティア・リリアンに声をかけた。
ティア・リリアンは小さくうなずき、再び本番に向けての準備姿勢に戻った。
三日間で確実に上達はしていたが、これほどまでに完璧ではなかった。
初日は着ぐるみに慣れるのに精一杯だった。
二日目でもまだ、動きの中に結衣と亜美らしさが垣間見えていた。
でも今日は違う。
完全に別人...いや、別のキャラクターになっている。
「本物みたい...」美咲が感嘆の声を上げる。
まるで、アニメの中からティア・リリアンとティア・ニャミーが飛び出してきたかのような錯覚を覚える。
美咲は慌てて頭を振る。
でも、やっぱり信じられない。
「調子はどう?」美咲が試しに聞いてみる。
ティア・リリアンは元気よく親指を立てて「大丈夫!」のサインを送る。
その動きも、まさにアニメの中のティア・リリアンがしそうな仕草だ。
ティア・ニャミーは優雅に手を胸に当てて、安心してほしいという意味の仕草を見せる。
その上品さは、まさにティア・ニャミーそのもの。
「完璧やね...」美咲が呟く。
本当に、何から何まで完璧だった。
プロの演者にも負けていない、いや、それ以上かもしれない。
美咲は改めて二人を見つめた。
朝一番に見た、疲れが蓄積しているけれど決意に満ちた結衣と亜美の表情。
そんな二人が、今は完全にプリティアになっている。
この変身ぶりは、もはや魔法と言ってもいいレベルだった。
「それにしても、二人に何があったの?」
美咲は内心で困惑していた。
二日間でかなり上達していたが、これほどまでに完璧ではなかった。
まるで本当にティア・リリアンとティア・ニャミーが実在して、そこに立っているかのようだった。
最終日だから気合いが入ってるのかな?
ティア・リリアン(結衣)は、少し首をかしげて可愛らしくお辞儀をする。
ティア・ニャミー(亜美)は、上品に両手を重ねて丁寧にお辞儀をする。
「す、すごい...本物やわ」
二人は声を出さずに、手振りで「ありがとう」という気持ちを表現する。
その動きがあまりにも自然で、美咲は本当にプリティアが目の前にいるような錯覚を覚えた。
「もうすぐ本番やけど、大丈夫?」美咲が聞く。
ティア・リリアンが親指を立てて「大丈夫」のサインを送る。
ティア・ニャミーは優雅に手を胸に当てて、安心してほしいという仕草を見せる。
「完璧やね!」
二人は顔を見合わせる。
マスクの中で、秘密の賭けを思い出して少し笑いそうになるが、必死に堪える。
「じゃ、最終確認しよう」
美咲がマイクのテストをする間、二人は静かにストレッチをして体をほぐす。
その動きも、まさにプリティアらしい優雅さを保っている。
ティア・リリアンは水色の髪を軽く揺らしながら、軽やかなステップを踏む。
ティア・ニャミーはゆっくりとした動作で、丁寧に体をほぐしていく。
「二人とも、本当にキャラクターになりきってるなあ」美咲が改めて感心する。
外から子供たちの声が大きくなってくる。
開店まであと五分だ。
「いよいよやね、頑張ろう!」
ティア・リリアンとティア・ニャミーが、それぞれのキャラクターらしい仕草で「頑張ろう」の意思を示す。
ティア・リリアンは両手でハートを作り、ティア・ニャミーは上品に手を合わせて祈るようなポーズを取る。
「もう完璧すぎるで!絶対子供たちも喜ぶ!」
開店のアナウンスが聞こえてきた。
いよいよ本番開始だ。
「行こう!」
美咲がテントの入口に向かう。
二人のプリティアも、それぞれのキャラクターらしい歩き方で後に続いた。
ティア・リリアンは軽やかで弾むような歩き方、ティア・ニャミーは落ち着いて上品な歩き方。
歩き方一つとっても、キャラクターの個性が表現されている。
◆ ◆ ◆
1回目公演:最高の演技
完璧な変身を遂げて会場に現れた二人のプリティア。美咲の司会で、ついに最終日最初の公演が始まった。
「みなさん、おはようございます!今日は素敵な仲間たちを紹介したいと思います!」
美咲の司会が始まった。
テントから出てくる二人のプリティアを見て、子供たちから大きな歓声が上がる。
「わあ!プリティアだ!」
「本物?本物なの?」
「かわいい!」
ティア・リリアンは子供たちに向かって、元気いっぱいに手を振る。
ティア・ニャミーは優雅にお辞儀をして、一人一人に丁寧に手を振る。
美咲は二人の完璧な演技に感動していた。
声を一切出さずに、ここまで表現豊かにキャラクターを演じられるとは思わなかった。
握手会が始まると、二人はそれぞれの持ち味を活かして子供たちと触れ合った。
結衣(ティア・リリアン)は活発で親しみやすく、子供たちと目線を合わせて優しく手を握る。
時々、くるくると回って見せたり、跳ねるような動きで子供たちを楽しませる。
マスクの狭い視界の中で、結衣はティア・ニャミー(亜美)の動きをちらちらと観察していた。
うわ...亜美ちゃん、完璧すぎる...
亜美のティア・ニャミーは、一人一人の子供と向き合う丁寧さ、優雅な手の動き、品のある立ち振る舞い、すべてが本物以上に本物らしかった。
悔しい...このままじゃ負けてしまう
結衣の競争心に火がついた。
より一層愛らしく、より一層ティア・リリアンらしく振る舞おうと決意する。
一方、亜美(ティア・ニャミー)も結衣の様子を見ていた。
結衣のティア・リリアン...可愛すぎる
子供たちと無邪気に触れ合う結衣の姿は、まさに理想のティア・リリアンそのものだった。
自然な笑顔(マスクの中だが)、軽やかな動き、子供たちを惹きつける魅力。
思わず、亜美は結衣に近づいてそっと抱きついてしまった。
ティア・ニャミーがティア・リリアンを抱きしめる微笑ましい光景に、子供たちから「かわいい!」という声が上がった。
しかし、マスクの中で亜美は闘志を燃やしていた。
でも、絶対に負けたくない
より上品に、より丁寧に、完璧なティア・ニャミーを目指そうと心に誓う。
三十分の公演が終了。
テントに戻った三人。
「お疲れさま! 二人とも完璧やったよ!」
ティア・リリアンとティア・ニャミーは、疲れているはずなのに、まだキャラクターのポーズを保っている。
お互いに「お疲れさま」の手振りを交わし合う。
「本当にすごかったわ! 最後まで完璧な演技やった」
二人は顔を見合わせる。
マスクの中で、賭けのことを思い出して内心燃え上がっているが、表には出さない。
「水分補給せな!」
美咲がペットボトルを差し出そうとして、更衣スペースに向かう。
その瞬間、二人のプリティアが慌てて美咲の前に立ちはだかった。
「え?」
美咲が困惑する。
ティア・リリアンが「ダメ」のポーズで手をバツにし、ティア・ニャミーが丁寧に「入らないで」という仕草を見せる。
「あ...そっか」
美咲が理解する。
「プリティアの着替え場所は、子供たちと同じように私も入っちゃダメなんやね...」
二人は安堵の表情(マスクの中で)を見せ、更衣スペースに向かった。
◆ ◆ ◆
休憩時間の熱戦
30分間の激しい演技を終えた二人。表面上は完璧なプリティアを演じきったが、マスクの中では限界ギリギリの状態だった。
ティア・リリアンとティア・ニャミーが更衣スペースに入り、カーテンを閉めた途端、何かの糸が切れたようにその場に倒れ込んでしまった。
「ドサッ」「ドサッ」
二人の体が床に崩れ落ちる音が響く。
「はあ...はあ...はあ...」
「はあ...はあ...」
マスクの中から激しい呼吸音が響く。
三十分間の緊張と集中、そして勝負への意識が一気に解放された瞬間だった。
「え? ちょっと、大丈夫なん?」
美咲が慌てて声をかける。
「結衣ちゃん、亜美ちゃんどうしたん? 何か倒れるような音したで?」
しかし、返事がない。
二人はマスクの中で必死に呼吸を整えるのに精一杯だった。
「返事して!大丈夫? 中、入るよ?」
美咲がさらに心配そうに言う。
その瞬間、ティア・ニャミー(亜美)がティア・リリアン(結衣)の方を見つめた。
床にうずくまったまま、二人は必死にアイコンタクトを取る。
直後、リリアンは左右に首を振って「ダメ」のサインを送る。
ルールを守らなければならない。
ニャミーは小さくうなずくと、ゆっくりと立ち上がった。
足元がふらつきながらも、カーテンに向かう。
カーテンがわずかに開くと、ニャミーが少しだけ顔だけを覗かせる。
そして、手を振って「大丈夫だから入ってきちゃダメ」という仕草をした後、再びカーテンを閉じた。
「亜美ちゃん...」
美咲が理解する。
「キャラクターの着替えやもんね。でも、ほんまに大丈夫? こっちからしたらすごく心配なんやけど...」
ティア・ニャミーに大丈夫という仕草をされ、美咲は中に入るのを諦めて外で二人が出てくるのを待つことにした。
しかし、心配は募る一方だった。
更衣スペース内では、衣装を脱いで私服に着替えている。
二人が互いに協力しながらマスクと衣装を脱いでいた。
まず、お互いのマスクの紐を解く作業。
大量の汗を吸って膨らんだ紐は、なかなか解けずに苦労する。
「結衣、紐きつく結ばれてる。ちょっと待って」
亜美が後ろから慎重に紐をほどいていく。
「うう...早く外して〜」
結衣がマスクの中から苦しそうな声を出す。
ようやくマスクが外れた瞬間、結衣は深く息を吸い込んだ。
「はあ...やっと外れた」
マスクを外した結衣の顔には、深いマスクの跡がくっきりと残っていた。
額、頬、顎にスポンジの跡が赤く付いている。
髪の毛は汗でぺったりと頭に張り付き、普段のふんわりとしたヘアスタイルの面影はない。
続いて結衣が亜美のマスクを外してあげる。
同様に、亜美の顔にも深い跡が刻まれていた。
「お疲れさま」二人が同時につぶやく。
「はあ...やっとまともに喋れる」結衣が汗を拭きながら言う。
「お疲れさま」亜美も眼鏡をかけ直す。
水分補給をしながら、早速勝負の感想戦が始まった。
「亜美ちゃん、めっちゃ完璧やったね!あの上品な動き、本物以上やったで」
「ありがと! でも結衣のティア・リリアンの方がすごかったで。 子供たちとの距離感とか、完璧すぎて思わず抱きついてしまったもん」
「あれ、めっちゃ可愛かった!子供たちも喜んでたし」
「でも、次は絶対負けへんで」亜美が闘志を燃やす。
「こっちこそ!」結衣も負けじと言い返す。
「二回目はもっと子供たち一人一人を大切にして、より丁寧に接する」
「私はもっと活発に、ティア・リリアンらしさを全開にするわ」
お互いの演技を認め合いながらも、次への対策を練る二人。
友情と競争心が入り混じった、独特の空気が流れていた。
次は衣装を脱ぐ作業だ。
汗で体に張り付いた衣装は、思っている以上に脱ぎにくい。
「ファスナー、汗で滑って下がらへん」
結衣が後ろ手に背中のファスナーを掴もうとして悪戦苦闘する。
「後ろ向いて。手伝うわ」
亜美が結衣の背中に回る。
ファスナーをゆっくりと下ろしていくと、結衣の背中全体がタイツ越しに汗で濡れているのがわかる。
「うわあ、背中びしょびしょやで」亜美が驚く。
「そんなにかいてた?」結衣が振り返る。
衣装を脱ぎ、全身タイツだけの状態になった二人。
タイツも汗を吸って肌に密着し、いつもより濃い色になっている。
その時、亜美の視線が再び結衣の胸元に向いた。
「そういえば結衣、さっき聞きそびれたけど、胸何カップから何カップになったん?」
亜美が率直に聞き、結衣はすぐにに顔を真っ赤にして、両手で胸を隠した。
「もうええやん!ほっといてよ〜!」恥ずかしそうに背中を向ける。
「ちゃんと教えてよ。参考にしたいねん」亜美が笑いながら追求する。
「だ、だから...」
結衣がモジモジしながら、小さな声で答える。
「Bカップの厚めパッドで、Dカップぐらいになった...かな」
「すごいやん!二つも上がってる」
「でも、めっちゃ窮屈やったわ...慣れへん」
結衣が苦笑いする。
「衣装ちょっときつくなってて、息するの大変やったもん」
「そりゃそうやろうな。でも効果は抜群やったんちゃう?」
二人は全身タイツのファスナーを下ろしていく。
首から足首まで続く長いファスナーを、お互いに手伝いながら開けていく。
タイツを脱いだ瞬間、二人の体から湯気のような温かい空気が立ち上った。
「体めっちゃ熱い」結衣が自分の腕を触る。
「私も。お風呂上がりみたい」亜美も同感だった。
下着姿になった二人は、まず汗を拭き取ることから始めた。
持参したタオルで体を丁寧に拭き、汗拭きシートで首筋や腕をさっぱりさせる。
「はあ...生き返った」結衣が扇風機の前でタオルを頭に巻く。
「本当に。マスクの中、窒息するかと思った」亜美も眼鏡の汗を拭く。
私服に着替えながら、二人は今の演技を振り返る。
「今日の勝負、どっちが勝ってるんやろう」
結衣がTシャツを着ながらつぶやく。
「わからん。必死やったもんな」
亜美もスウェットを履く。
「美咲ちゃん、気づいてたかな?」
「さあ...でも、いつもより完璧やったって言うてたから、何かは感じてるんちゃう?」
着替えを終えた二人は、鏡で自分たちの姿を確認する。
さっきまで完璧なプリティアだった面影は、もうどこにもない。
ただの疲れた女子大生が二人、そこに立っていた。
「なんか不思議やね。さっきまでティア・リリアンやったのに」
「うん。あの子たちにとっては、本物のプリティアやったんやもんね」
二人は衣装を丁寧にハンガーにかけ、マスクを乾かすように並べて置いた。
次の公演に備えて、きちんと管理するのも大切な仕事だ。
「よし、出よか」
「うん」
しばらくして、更衣スペースのカーテンがゆっくりと開き、中から汗だくで髪の毛が湿った結衣と亜美が出てきた。
「お疲れさま!」
美咲が声をかけると、二人の変わり様に驚いた。
結衣の髪は汗で完全に湿っており、普段のサラサラな髪が首筋や額に張り付いている。
顔は深く紅潮していて、まだ軽く息切れしている様子だった。
Tシャツの首元や背中にも汗の跡がはっきりと見える。
亜美も同様で、眼鏡をかけ直しながら額の汗を手の甲で拭っている。
普段はクールな印象の亜美も、顔は赤く、呼吸もまだ荒い。
眼鏡のレンズも少し曇っていた。
「うわあ...本当に大変やったんやね」
美咲が心配そうに見つめる。
その時、美咲は更衣スペースの奥を垣間見た。
そこには、ティア・リリアンとティア・ニャミーの衣装が壁に丁寧に吊るされている。
衣装の下には、あの精巧なマスクが内側を乾かすように並べて置いてあった。
水色と白の美しい衣装。そして先ほどまで完璧なプリティアの顔だったマスク。
さっきまでの素晴らしいプリティアたちは、間違いなく目の前の疲れ果てた結衣と亜美が演じていたのだと、美咲は改めて実感した。
「あ!」
亜美が気づいて慌ててカーテンを閉める。
「衣装、見えちゃった」
「別にそのくらい、大丈夫やで」
美咲が優しく微笑む。
更衣スペースから出てきた結衣と亜美は、完全にいつもの二人に戻っていた。
美咲は安心すると同時に、少しだけ寂しさも感じていた。
あの完璧で神秘的なティア・リリアンとティア・ニャミーは、やはり結衣と亜美だったのだ。
でも、マスクを外した瞬間、二人は再び普通の大学生に戻ってしまう。
あの魔法のような存在は、もうどこにもいない。
「大丈夫?すごく疲れてるみたいやけど」
美咲が心配そうに聞く。
「だ、大丈夫...ちょっと暑かっただけ」
結衣が努めて笑顔を作る。
実際は、マスクの中で自分の吐息が顔にかかり続ける不快感と、視界の制限、そして勝負への集中で、想像以上に体力を消耗していた。
「思ってたより体力使ったかも。マスクの中もサウナやったし...」
美咲が用意していた冷たいお茶とおしぼりを差し出す。
「はい、これで少し涼んで」
「ありがとう」
二人が同時に受け取り、おしぼりで首筋や額を拭く。
テント内には小さな扇風機が置かれていて、そのそばで二人は体を休めた。
冷たいお茶が喉を潤し、徐々に体温が下がってくる。
「でも、今日の二人、本当にすごかったよ! 完全にプロやったし、子供たちもめっちゃ喜んでた!」
結衣と亜美は顔を見合わせて微笑む。
秘密の勝負のことは言えないが、確実に手応えを感じていた。
しばらくして、結衣がふと立ち上がった。
「ちょっと外の様子、見てくる」
「あ、私も行く」
亜美もついて立つ。
二人はテントから外に出て、会場の雰囲気を確認しに行った。
さっきまで自分たちがプリティアとして立っていた場所に、今度は普通の大学生として立っている。
店舗の前では、親子連れが楽しそうに買い物をしている。
さっきプリティアと握手した子供たちも何人か見かける。
「あ、あの子、さっき握手した女の子や」
結衣が小声で亜美に言う。
その女の子は、お母さんにプリティアとの思い出を嬉しそうに話していた。
「プリティアちゃんね、すごく優しかった!」
その声が聞こえて、結衣は胸が温かくなった。
さっきまで自分がその「プリティア」だったなんて、この子は知らない。
今目の前を通り過ぎても、ただの大学生としか思わない。
「不思議な感覚やね」
「うん。さっきまであの子たちの前でプリティアやったのに、今は透明人間みたい」
二人はしばらく会場を歩いて、子供たちの様子や次の公演を待つ人たちの雰囲気を確認した。
次の回も、たくさんの親子連れが楽しみにしている様子が伝わってくる。
テントに戻ると、美咲がスケジュールを確認していた。
「次は2時からやね。あと1時間ちょっとある」
「お昼ごはん、少しでも食とこっか」
美咲は用意されていたお昼ごはんを三人分取り出し、テント内での軽い昼食タイム。
「なんかさ...二人とも特に気合い入ってない? 昨日までとなんか違う感じがして怖いんやけど?」
結衣と亜美は、お互いを見て苦笑いする。
勝負のことは秘密だが、確かにいつも以上に真剣だった。
「最終日やからかな」
結衣がごまかすように答える。
「そうそう。気持ちも引き締まるし」
亜美も同調する。
昼食後、三人はそれぞれ思い思いに休憩時間を過ごした。
結衣は持参したタオルで髪の毛を乾かし、亜美は眼鏡を丁寧に拭いて、美咲は司会原稿の最終確認をしていた。
「でも今日ほんと暑いなあ...」
結衣がテント内の扇風機の前でつぶやく。
外の気温は37度を超えている。
午後の公演はさらに過酷になりそうだった。
「水分補給、しっかりしておこう」
「そうやね。倒れるわけにはいかへんし」
1時半頃、山田さんがテントに顔を出した。
「皆さん、1回目お疲れさまでした。調子はいかがですか?」
「はい、順調です」
美咲が代表して答える。
「素晴らしい演技でしたよ。お客さんからの評判もとても良いです」
「このまま2回目もよろしくお願いします。ただ、気温がかなり上がってきているので、無理は禁物ですよ」
「ありがとうございます。気をつけます」
山田さんが立ち去った後、三人は顔を見合わせた。
「いよいよ2回目やね」
美咲が時計を見る。
外では、次の公演を待つ親子連れの列ができ始めていた。
子供たちの楽しみにしている声が、テントの中まで聞こえてくる。
「亜美ちゃん、次も頑張ろうな」
「うん。子供たち、待ってくれてるもんね」
「さて、準備始めよか」
美咲が司会用のマイクを手に取る。
結衣と亜美は顔を見合わせて、心の中で秘密の勝負の続きを意識しながら、再び更衣スペースに向かった。
◆ ◆ ◆
2回目公演:熱戦
1時間の休憩を経て、2回目の公演時間が近づいていた。外の暑さはさらに厳しくなり、二人の疲労も蓄積していたが、秘密の勝負は続いている。
午後二時。
二回目の公演が始まった。
気温は37度を超え、テント内も蒸し暑くなっていた。
二人の秘密の勝負は、より激しさを増していた。
一回目の公演で互いの実力を確認し合った今、さらに高いレベルでの競い合いが始まっている。
「みなさん、こんにちは!」
美咲の元気な司会で二回目がスタート。
テントから現れた二人のプリティアを見て、観客席からまた大きな歓声が上がる。
午後の陽射しに照らされて、ティア・リリアンの水色とティア・ニャミーの白が一層美しく映える。
しかし、マスクの中では既に厳しい状況が始まっていた。
結衣(ティア・リリアン)のマスク内は、自分の息で湿度が急激に上昇していた。
額に汗が滲み、それが目に入りそうになる。
でも、手でマスクの上から拭くわけにはいかない。
瞬きを何度も繰り返して、汗を散らそうとする。
(あ、暑い...でも、負けへん)
亜美(ティア・ニャミー)も同様に苦しんでいた。
マスクの中の温度がどんどん上がり、呼吸が浅くなってくる。
でも、ティア・ニャミーらしい上品な立ち振る舞いを崩すわけにはいかない。
この回では、偶然にも昨日出会った田中さんと佐藤さんが、また子供たちを連れて見に来ていた。
田中さんの姪っ子が、ティア・リリアンの前で嬉しそうに手を振る。
「ティア・リリアンちゃん、昨日も会ったよね!覚えてる?」
結衣は一瞬ドキッとした。
マスクの中で汗が一気に吹き出る。
でも、すぐにティア・リリアンとして反応しなければ。
首を傾げて考えるような仕草をした後、心から嬉しそうに手を叩いて見せる。
その演技は完璧で、まるで本当に思い出したかのようだった。
「わあ!覚えてくれてる!」女の子が大喜びする。
田中さんと佐藤さんは、少し離れたところからその様子を見守っている。
田中さんが佐藤さんに小声で言った。
「本当にすごいな。昨日よりもさらに完璧になってる」
「ええ。プロの演者さんでも、ここまでのレベルは珍しいんじゃないでしょうか」
二人とも、結衣の成長ぶりに心から感動している様子だった。
握手会では、さらに激しい競争が繰り広げられた。
結衣は一人一人の子供とより深く関わろうと、膝をついて目線を合わせる頻度を増やした。
暑さで体力は消耗するが、子供たちの笑顔を見ると力が湧いてくる。
亜美は逆に、ティア・ニャミーの上品さをより強調した。
一つ一つの動作をゆっくりと丁寧に行い、子供たち一人一人に特別感を与えていく。
そして三十分の公演が終了すると、二人はふらつきながらテントに戻った。
「お疲れさま!」
美咲が声をかけるが、二人の疲労は明らかだった。
リリアンとニャミーは美咲に頷いて見せながらすぐにテントの奥に向かっていく。
更衣スペースに入った二人は、マスクを外すなり倒れ込むように座り込んだ。
「はあ...はあ...きつい...」
結衣が汗を拭きながらつぶやく。
「二回目、やばかったかも... まだ三回目が残ってるのに」
亜美も息を切らせている。
水分補給をしながら、二人は感想戦を行った。
「でも結衣、今回もすごかったで。田中さんの姪っ子との絡みとか、完璧やった」
「亜美ちゃんもや。あの上品な握手の仕方、真似できひんわ」
お互いを認め合いながらも、まだ勝負は終わっていない。
「次が最後やね」
結衣が決意を新たにする。
「最後やからこそ、絶対に手を抜けんわ」
亜美も同じ気持ちだった。
しかし、二人とも体力の限界が近づいているのを感じていた。
◆ ◆ ◆
限界への挑戦
2回の公演を終え、疲労が蓄積する中でも、二人の勝負への意欲は衰えていなかった。しかし、体力的には明らかに限界が近づいていた。
午後三時半。
いよいよ最終回、三回目の公演の時間が近づいていた。
テント内は、まるで巨大なオーブンの中のような状態になっていた。
外気温は38度に達し、アスファルトからの照り返しと、午後の強烈な西日がテント内の温度をさらに押し上げている。
設置されている小さな扇風機は必死に回っているが、熱風をかき混ぜているだけで、涼しさを提供するには程遠い状況だった。
「うわあ...外、やばいことなっとるわ」
美咲がテントの入口から外を覗いて、思わずつぶやく。
陽炎が立ち上り、通路を歩く人々も明らかに暑さでぐったりしている。
子供連れの家族も、日陰を求めて移動している様子が見える。
「これで最後やからな...頑張らんと」
美咲が自分に言い聞かせるように呟く。
時計を見ると、開始まであと20分。
準備の時間だ。
更衣スペース内では、結衣と亜美が最後の着替えに取り掛かっていた。
しかし、二回の公演を終えた今、二人の疲労は明らかだった。
「結衣、大丈夫?」
亜美が心配そうに聞く。
結衣は扇風機の前でタオルを首に巻き、額の汗を拭っていた。
「うん...なんとか。でも、めっちゃしんどい」
結衣の声には、正直な疲労が表れていた。
二回の公演で、体力をかなり消耗している。
特に、マスクの中での呼吸困難と、衣装内での大量発汗が体力を奪っていた。
「私も...正直、三回目できるか不安やわ」
亜美も同様に疲れきっていた。
眼鏡を外して、レンズの汗を拭いている。
普段のクールな彼女からは想像できない、疲労困憊の表情。
二人は黙って、ハンガーにかかったティア・リリアンとティア・ニャミーの衣装を見つめた。
美しい水色と白の衣装。
しかし、今の二人には、その美しさの裏に隠された過酷さの方が強く意識される。
「でも...」
結衣が立ち上がる。
「最後やからね。子供たち、待ってくれてるし」
「そうやね。それに...勝負もまだ決まってへんし」
亜美が苦笑いを浮かべる。
疲労の中でも、二人の競争心は消えていなかった。
まず、全身タイツの着用から始める。
しかし、汗で濡れた肌にタイツを着るのは、思っている以上に困難だった。
「うわ...なんか張り付く」
結衣がタイツの脚部分に足を通そうとして悪戦苦闘する。
汗で湿った肌に、ベージュのタイツ生地が貼り付いてしまう。
「私も...滑りが悪いわ」
亜美も同様に苦労している。
通常なら5分程度で着られるタイツが、今日は10分近くかかってしまった。
タイツを着終わった二人は、鏡を見て改めて自分たちの状態を確認した。
タイツの下では、既に汗がにじんでいるのがわかる。
これから衣装を着て、さらにマスクを被る。
想像するだけで、気が重くなってくる。
「頑張ろうな」
結衣が亜美に声をかける。
「うん。最後や」
二人は手際よく衣装を身に纏っていく。
しかし、疲労のせいで動きが鈍い。
ファスナーを上げるのにも、普段より時間がかかる。
「結衣、ファスナー上げるわ」
亜美が結衣の背中に回る。
ファスナーを上げながら、亜美は結衣の背中が既に汗でうっすら湿っているのを感じ取った。
タイツ越しでも伝わってくる体温の高さ。
「亜美ちゃんも暑そうやね」
結衣が振り返る。
亜美の額にも汗が滲んでいるのが見える。
衣装を着終わった二人は、しばらく扇風機の前で涼んだ。
しかし、すぐにフードを被らなければならない。
「はあ...これ被ったら、もう暑さが倍増するんよね」
結衣がフードを手に持ちながらため息をつく。
「でも、やらなあかん」
亜美が決意を固める。
フードを被った瞬間、二人の世界は一変した。
頭部が完全にタイツに包まれ、外気との接触が断たれる。
顔の部分だけが開いているが、首から上が密閉状態になる。
「うわあ...もう息苦しい」
結衣がフードの中でつぶやく。
「我慢や...あとマスクだけ」
亜美も同じように苦しんでいる。
そして、最後のマスク。
二人にとって、最も過酷な装備品だった。
「結衣から先にいこう」
亜美がティア・リリアンのマスクを手に取る。
マスクは、二回の使用で既に内部に汗の匂いが残っている。
「準備はいい?」
「うん...来て」
結衣が覚悟を決める。
マスクが頭に被せられた瞬間、結衣の世界は激変した。
視界が一気に狭くなり、呼吸が浅くなる。
マスク内のスポンジが顔に密着し、圧迫感が襲ってくる。
「うう...」
マスクの中で結衣が小さくうめく。
しかし、すぐに呼吸を整えようとする。
続いて、亜美のマスク装着。
ティア・ニャミーのマスクが亜美の頭に被せられる。
同様に、亜美の世界も一変する。
眼鏡をかけていない状態での視界制限は、さらに不安を煽る。
マスクの中は、すぐに自分の息で湿度が上がってくる。
二人は鏡の前に立った。
そこには、完璧なティア・リリアンとティア・ニャミーがいた。
しかし、マスクの中では、二人とも既に苦しんでいる。
「はあ...はあ...」
「はあ...はあ...」
まだ公演も始まっていないのに、マスクから呼吸音が漏れてくる。
テントの外からは、子供たちの楽しそうな声が聞こえてくる。
三回目の公演を楽しみにしている親子連れの列ができ始めているようだ。
「みんな、待ってくれてるで」
美咲が更衣スペースのカーテン越しに声をかける。
二人は顔を見合わせた。
マスクの中で、それぞれが最後の決意を固めている。
(これが最後。絶対に手を抜かない)
結衣の心の中で、ティア・リリアンとしての責任感が燃え上がる。
(完璧なティア・ニャミーを演じきる)
亜美も同様に、最後の気合いを入れる。
二人は立ち上がった。
足元がわずかにふらつく。
疲労と、マスク内の酸素不足の影響だ。
「大丈夫?」
美咲が心配そうに聞く。
マスクの中からの呼吸音が、明らかに荒くなっている。
ティア・リリアンとティア・ニャミーは、それぞれのキャラクターらしい仕草で「大丈夫」のサインを送る。
しかし、その動きには明らかに疲労が表れていた。
テントの外では、山田さんが最終チェックをしている声が聞こえてくる。
音響スタッフも、機材の動作確認を行っている。
「皆さん、あと5分で開始です」
山田さんの声が聞こえてくる。
美咲がマイクの最終確認を行う。
二人は、テント内で静かにストレッチをして、最後の準備を整える。
しかし、動作の一つ一つが重い。
「今日は本当に暑いから、無理しないでよ」
美咲が心配そうに言う。
ティア・リリアンとティア・ニャミーは、手振りで「大丈夫」という合図を送るが、マスクからの呼吸音は相変わらず荒い。
外の気温は38度。
テント内は、それ以上の温度になっている。
マスクの中は、もはやサウナ状態。
それでも、二人は立ち上がった。
最後の公演のために。
子供たちの笑顔のために。
そして、お互いの勝負に決着をつけるために。
「最後の公演、頑張ろう」
美咲が二人を見送る。
二人は互いを見つめ合い、小さくうなずき合った。
テントから現れたティア・リリアンとティア・ニャミー。
しかし、今度は明らかに動きが重い。
歩き方も、これまでの軽やかさが失われ、一歩一歩を慎重に踏み出している。
それでも、子供たちの前に現れた瞬間、二人は再び完璧なプリティアとしての演技を見せ始めるのだった。
結衣(ティア・リリアン)のマスク内は、もはやサウナ状態だった。
大量の汗が顔を流れ、呼吸も浅くなっている。
視界もやや霞んで見え、集中力を保つのに精一杯。
(でも...子供たちが待ってる。最後まで頑張る)
亜美(ティア・ニャミー)も同様に限界に近づいていた。
マスクの中は自分の息で充満し、酸素が薄くなったような錯覚に陥る。
足元もふらつき気味だが、ティア・ニャミーとしての品格を保たなければ。
(これが最後。絶対に完璧に演じ切る)
「みなさん、最後のプリティアタイムです!」
美咲の声に、大きな歓声が上がる。
最終回ということで、観客も少し多い。
たくさんの親子連れが、プリティアとの最後の触れ合いを楽しみにしている。
握手会が始まると、二人は最後の力を振り絞った。
結衣は、一人の小さな女の子が恥ずかしがって近づけないでいるのを見つけた。
通常なら待つところだが、今日は自分から近づいていく。
膝をついて女の子と同じ目線になり、優しく手を差し出した。
女の子が恐る恐る手を伸ばし、ティア・リリアンと握手できた瞬間、満面の笑みを浮かべた。
「ティア・リリアンちゃん、大好き!」
その言葉を聞いた瞬間、結衣のマスクの中に涙が溢れた。
暑さと疲労で限界だったが、この瞬間のために頑張ってきたのだと実感する。
亜美は、車椅子の男の子のところへ向かった。
ティア・ニャミーらしく優雅に近づき、男の子の目線に合わせてゆっくりと膝をつく。
男の子の母親が感動で涙を浮かべているのが見えた。
「ティア・ニャミーと握手できるなんて...ありがとうございます」母親が小声で言う。
亜美は、マスクの中で深く感動していた。
このために演じているのだと、改めて実感する。
しかし、時間が経つにつれて、二人の状態は悪化していった。
結衣は立っているのがやっとの状態になっていた。
マスクの中の汗が目に入り、視界がぼやける。
でも、子供たちの前では笑顔を絶やさない。
亜美も足元がふらつき始めていた。
呼吸が浅くなり、酸欠のような状態。
それでも、ティア・ニャミーとしての優雅さは失わない。
最後の子供との握手を終えた時、二人はもう限界だった。
「ありがとうございました!」
美咲の締めの言葉と共に、観客から大きな拍手が起こる。
二人はふらつきながら手を振って、何とかテントまで歩き続けた。
テント内に入った瞬間、糸が切れたようにその場に倒れ込んでしまった。
「ドサッ」「ドサッ」
二人の体が床に崩れ落ちる音が響く。
ティア・リリアンとティア・ニャミーは、まるで電池の切れた人形のように、その場にうずくまってしまった。
マスクの中から、絶え間なく激しい呼吸音が漏れてくる。
「はあ...はあ...はあ...」
「はあ...はあ...」
胸が大きく上下し、呼吸に合わせて肩も激しく動いている。
三回目の公演、38度の極限状態で演じ続けた結果、二人は完全に体力の限界に達していた。
その時、テントの入口から山田さんが駆け込んできた。
「お疲れさまでした!」
山田さんの声に、二人は顔を上げる。
立ち上がろうとするが、足に力が入らずふらついてしまう。
「ああ、座ったままで大丈夫ですよ。無理をしないで」
山田さんが優しく制止する。
二人は床に座ったまま、それでも山田さんにお辞儀をしようとする。
その健気な姿に、山田さんの胸が熱くなった。
「本当に、本当によく頑張ってくださいました。三日間、これほど素晴らしい演技を見せてもらったのは初めてです」
山田さんの声には、心からの感謝と敬意が込められていた。
「今日の三回の公演、どれも完璧でした。特に最後の公演では、あの暑さの中で子供たち一人一人に丁寧に接してくださって...本当にありがとうございました」
山田さんが深くお辞儀をする。
その瞬間、ティア・リリアンとティア・ニャミーが同時に首を振って、マスクの中からくぐもった声で答えた。
「こちらこそ...ありがとうございました」
声は疲労でかすれ、マスクでこもっているが、確かに感謝の気持ちが込められていた。
ティア・リリアンが震える手で胸に手を当て、ティア・ニャミーが両手を合わせて祈るようなポーズを取る。
キャラクターとしてのお礼の仕草だった。
「貴重な経験を...させていただいて」
ティア・ニャミーの中から、亜美の声が微かに聞こえる。
山田さんは改めて二人の献身的な姿勢に感動した。
その時、美咲もテント内に駆け込んできた。
「二人とも、本当にお疲れさま!」
美咲の目には涙が浮かんでいた。
会場から見ていて、二人がどれほど苦しい状況だったか痛いほど伝わってきたからだ。
「今日の演技、本当に素晴らしかった。子供たちみんな、すごく喜んでたよ」
美咲が二人の前に膝をつく。
二人の呼吸音は相変わらず激しく、マスクの口元の部分が呼吸に合わせて微かに動いているのが見える。
「はあ...はあ...はあ...」
「はあ...はあ...」
まるでマラソンを走り終えたランナーのような呼吸。
衣装越しにも、二人の心拍数の速さが伝わってくる。
美咲は、ここで言おうと決意していたことを思い出した。
三日間、ずっと言いそびれていたこと。
今日がその最後のチャンス。
「あの...山田さん」
美咲が立ち上がり、山田さんの方を振り向く。
「はい、何でしょう?」
「リリアンちゃん、ニャミーちゃん、辛いところ本当に申し訳ないんやけど、もう少しだけそのままでいてもらえる?」
美咲が二人に向かって申し訳なさそうに頼む。
二人は首をかしげながらも、小さくうなずいた。
美咲は山田さんに向き直る。
「実は...最後に三人で記念撮影をさせてもらえませんでしょうか?」
美咲の声には、真剣な想いが込められていた。
「三日間、一緒に頑張ってきた記念に。この三人での最後の思い出を、形に残したくて」
山田さんは少し考え込んだ。
通常、着ぐるみでの撮影は禁止されている。
しかし、三日間の二人の頑張り、そして美咲の真摯な想いを見ていて、特別に許可してあげたい気持ちになった。
「わかりました」
山田さんが微笑む。
「ただし、条件があります。その写真は皆さんだけのものにしてください。SNSはもちろん、他の友達に見せたり送ったりすることは絶対にしないでください。それをお約束いただけるなら、特別に許可します」
「はい!絶対に約束します!」
美咲が大きくうなずく。
その表情は、まるで子供がプレゼントをもらった時のような喜びに満ちていた。
美咲は急いでスマホを取り出し、山田さんに手渡す。
「お願いします」
美咲がテントの中央に立つ。
ティア・リリアンとティア・ニャミーも、互いに支え合いながらゆっくりと立ち上がる。
まだ呼吸は荒いが、この特別な瞬間のために最後の力を振り絞る。
三人が横に並ぶ。
真ん中に美咲、左にティア・リリアン、右にティア・ニャミー。
「はい、いい感じですね」
山田さんがスマホのカメラを構える。
ティア・リリアンは疲労で震える手で小さくピースサインを作り、少し首をかしげてキャラクターらしいポーズを取る。
ティア・ニャミーは上品に手を胸の前で合わせ、優雅な立ち姿を保つ。
美咲は真ん中で満面の笑みを浮かべ、元気よくピースサインを作る。
「はい、撮りますよ」
山田さんがシャッターを切る。
パシャ、パシャ。
二、三枚連続で撮影する。
「今度は、いつも通りの仲良し三人組の感じでお願いします」
山田さんがリクエストする。
ティア・リリアンとティア・ニャミーが顔を見合わせる。
マスクの中で、結衣と亜美がアイコンタクトを交わしているのがわかる。
二人は小さくうなずき合うと、両側から美咲に近づいていく。
ティア・リリアンが左から、ティア・ニャミーが右から、美咲をハグするように身を寄せる。
三人がぎゅっと寄り添い、全員でピースサインを作る。
その瞬間、美咲は驚いた。
二人の衣装越しに感じる体温の高さ。
肌に直接触れるマスクの近くから聞こえてくる、激しい呼吸音。
「はあ...はあ...」
「はあ...はあ...」
二人がどれほど過酷な状況だったか、身体的に実感する。
でも同時に、二人が最後のこの瞬間まで、美咲のために、そして記念撮影のために力を振り絞ってくれていることが痛いほど伝わってきた。
美咲の胸に、温かい感情が湧き上がる。
三日間、確かに沖縄旅行のためのアルバイトとして始まった。
でも、それ以上の成果があったんじゃないかと思える。
この貴重な体験。
子供たちに夢を与える仕事の尊さ。
そして何より、こんな素敵な友達に囲まれている状況。
美咲は思わず涙がこぼれそうになった。
「はい、完璧です!」
山田さんがシャッターを切る。
その瞬間を、しっかりとカメラに収めた。
三人がポーズを解くと、ティア・リリアンとティア・ニャミーの呼吸音が再び大きくなる。
もう限界を超えていた。
「ありがとうございました」
美咲が山田さんからスマホを受け取る。
画面を見ると、そこには三人の最高の笑顔(二人はマスクだが)が写っていた。
一生の宝物になる写真だった。
「本当にありがとうございました」
美咲が山田さんに深くお辞儀をする。
山田さんも微笑みながら、もう一度二人に声をかける。
「お二人とも、本当にお疲れさまでした。今すぐ休んでください」
ティア・リリアンとティア・ニャミーが、最後の力を振り絞って山田さんにお辞儀をする。
そして、互いに支え合いながら、ふらつく足取りで更衣スペースに向かった。
美咲は心配そうに見守りながらも、今撮れた写真と、この三日間の素晴らしい体験への感謝で胸がいっぱいだった。
◆ ◆ ◆
山田さんとの記念撮影を終え、ついに二人がマスクを外す時がきた。更衣スペースでの最後の着替えと、三回の演技を振り返る時間だった。
更衣スペース内では、汗を大量にかいたせいでマスクの紐が水を吸って膨らみ、外すのに十分ほど苦労した。
ようやく二人のマスクが外れた時、顔には深いマスクとタイツの跡がくっきりと残っていた。
「今回は本当にきつかった...でも、やり切った」
「最高の演技ができたんちゃう?」
「あの子たちの笑顔、忘れられん」
二人は水分補給をしながら、三回の公演を振り返った。
「結果発表は美咲に任せよう」
「そうやね。でも、どっちが勝ったかもうわからへんわ」
亜美が疲れきった笑顔を見せる。
「お互い必死すぎやったしな」
二人は顔を見合わせて笑い出した。
勝負のことよりも、最高のパフォーマンスができたという達成感の方が大きかった。
そして何より、子供たちの最高の笑顔を作ることができた。
それが一番の勝利だった。
◆ ◆ ◆
秘密の種明かし
すべての公演を終え、私服に着替えた三人。ついに結衣と亜美が美咲に、今日一日隠し通した秘密の勝負について打ち明ける時がきた。
三回目の公演が終了した後、三人はテント内で今日の振り返りをしていた。
「今日も本当にお疲れさま」
美咲が二人を労う。
結衣と亜美は顔を見合わせて、ついに秘密を明かすことにした。
「美咲ちゃん、実はな...」
「今日、秘密の勝負をしててん」
「勝負?」
美咲が興味深そうに聞く。
二人は交代で、最終日の舞台裏で行われた秘密の賭けについて説明した。
完璧なキャラクター演技を競い合うゲーム、更衣スペースでの水分補給ルール、美咲を入れないという約束。
「えー!そんなことしてたん!? どうりで今日はなんか違うと思った!」
「最初は遊び半分やったけど、だんだん本気になって」
「結果的に、すごく良い練習になった」
美咲が真剣な表情になる。
「でも、二人の頑張りのおかげで、子供たちは本当に幸せそうやったよ。プロの演者さんにも負けてなかったよ」
「ありがとう」
二人が同時に答える。
「それで、勝負の結果は?」
美咲が聞くと、結衣と亜美は顔を見合わせた。
「引き分けでお願いします」
「二人とも必死すぎて、どっちが勝ったかわからへん」
美咲が手を叩く。
「それが一番や!勝負に勝者はいない。三人全員が勝利ってことや」
「三日間、本当によく頑張ったね」
しばらくして、山田さんがテントに入ってきた。
「皆さん、三日間本当にありがとうございました。素晴らしい仕事でした」
「こちらこそ、貴重な経験をさせていただいて...」
美咲が代表して答える。
「本当にお疲れさまでした。報酬の件ですが、予定より少し多めにお支払いさせていただきます。皆さんの頑張りに対する、ささやかなボーナスです」
三人の目が輝いた。
「え、本当ですか?」
「はい。後日、合わせてお振込させていただきますね。」
これで沖縄旅行の資金が確実に確保できた。
テントの片付けを手伝った後、三人は近くのカフェに向かった。
「やったね...やり遂げたね」
「うん。きつかったけど、本当に良い経験だったと思う」
亜美がうなずき、美咲が立ち上がる。
「よし! 沖縄旅行の計画、本格的に立てよ!」
「うん!」
「楽しみやね!」
結衣と亜美も笑顔で頷く。
◆ ◆ ◆
エピローグ:新たな夢への一歩
三日間の過酷なプリティア演者としての体験を終えた三人。予想以上の報酬を手にし、念願の沖縄旅行へと向かった。
それから二週間後。
三人は念願の沖縄旅行を満喫していた。
エメラルドグリーンの海を眺めながら、ホテルのテラスでかき氷を食べている。
「本当に来れたね」結衣が感慨深く言う。
「プリティアのおかげやな」亜美がうなずく。
美咲がスマホの写真を見せる。
「これ、最終日の子供たちとの写真。みんなすごい笑顔でしょ?」
写真には、ティア・リリアンとティア・ニャミーに囲まれて嬉しそうに笑う子供たちの姿が映っている。
「このリリアンとニャミー、私と亜美ちゃんなんやね」
結衣が微笑む。
「この時の、うちらマスクの中で必死なんやけどな...」
「でも、子供たちの笑顔を作れたと思うよ」
美咲が立ち上がる。
「さて、明日はシュノーケリングの予定やけど、その前に大事な話があんねん」
「何?」
二人が振り返る。
「実は...山田さんから連絡があってさ」
美咲がスマホを取り出す。
「他のイベントでも、私たちに声をかけさせて欲しいって」
結衣と亜美の目が輝く。
「本当? またプリティアになれんの?」
「でも、就活もあるし... どうする?」
美咲が聞く。
三人はしばらく考えた。
「私、保育士になっても、時々プリティアの仕事したいな」
結衣が笑顔で言う。
「子供たちと接する良い練習にもなるし」
「私も同感」
亜美がうなずく。
「プリティアを演じることで、表現力や責任感も身についた気がする」
美咲が嬉しそうに笑う。
「じゃあ、決まりやね。また三人でイベントやろ!」
「うん!」
「やろう!」
三人は笑顔で新たな誓いを立てた。
沖縄の青い空の下、三人の友情はより深く、そして新たな夢への第一歩を踏み出したのだった。
そして数か月後、三人はまた演者、司会のお姉さんとして、より多くの子供たちに夢と笑顔を届け続けている。
あの三日間の体験が、三人の人生を大きく変えたのだ。
時には過酷で、時には息苦しく、時には正体がバレそうになる恐怖もあった。
でも、子供たちの純粋な笑顔と「ありがとう」の言葉が、すべての苦労を忘れさせてくれた。
マスクの中で流れる汗も、疲労で震える足も、すべては子供たちの夢のため。
三人は今日も、どこかでプリティアとして子供たちと触れ合っている。
そして、いつも心に刻んでいる。
「私たちは、子供たちにとって本物のプリティア。この責任を、絶対に忘れてはいけない」
夢への一歩は、こうして確実な歩みへと変わっていった。
―完―