昭和について書こうと思う。
思い出の昭和を自分なりに描き出してみよう。
昭和は長い。
政治も文化も生活も、年代によって大きく変化している。
昭和初期のモダン文化なのか。
軍部の動乱なのか。
ファシズムのことなのか。
焼け野原の闇市のことなのか。
戦後の復興期と新興企業の隆盛のことなのか。
学生運動のことなのか。
アングラカルチャーのことなのか。
オイルショックとバブル景気のことなのか。
昭和天皇の御代であった、ぐらいしか昭和には共通点がない。
科学と官僚機構が支配した時代ともいえるかも知れない。
だが、科学は平成も令和も進化しているものだし、国家の歳出は今も増加している。
「進歩」というものが良いイメージをもっていた時代と考えてみる。
だが「進歩」というものは現代でも良いイメージがある。経済成長率が上がれば、それにつれて株価は上昇する。
会社では売上の成長率は重要視されてるだろうし、個人も日々スキルの成長を望んで努力している。また昭和にも進歩を憎悪するような、反合理、反欧米、反資本主義はあった。世界が黙示録的に滅びてしまうような末世思想や革命的な行動もあった。
「進歩」は昭和という時代をえぐり出すテーマとは言い切れない。
でも、そうか。
昭和が明るい時代ではないと知っていながらも、それはやはり明るい時代ように思える。
自分はおそらく社会を恨んでいる。
しかも強めに。
無意識のうちに「壊せ」とか「焼け」と口ずさむときがある。
ネクタイを締めた人間とは目を合わせたくもないし、通勤時間帯の電車や住宅街を、ふと避けてしまう。学生時代の友人とは一切連絡を取っていないし、今後も変わることはない。
現代を憎んでいるがゆえに、昭和が輝かしいもののように感じる。
不健康だが、そう見えるのだ。
見えるように見てやろうと思う。
私は、昭和の明るさをみようと思う。
同時にそれは、現代と繋がっていなくてはならない。
昭和を明るいと感じる、自分の暗さを語るのなら、その陰気さの原因を探り、暗さと明るさとが繋がっていることを書くしかない。
大きな意味では現代としての昭和を、小さな意味では「私の昭和」を考えてみよう。
私は昭和を昭和50年代にみようと思う。
少子化が始まった。
1973年以降に出生数は減少し続けている。
確かに2000年前後に若干の増加はある。
またゼロ年代中頃からごく僅かながら、出生率は上昇している。だがこの上昇は団塊ジュニア世代が子どもを産むような年齢帯に差しかかる時期で、出生数が上がるのは当然である。
1970半ばから、子どもは減り続けている。
その傾向は今も変わらない
今と昭和50年代がちがうのは、少子化は始まっていたが、日本経済の未来は明るかったことだ。
1970年と1990年のGDPを比較すると、日本経済は5倍も大きくなっている。一方で2000年と2020年を比較すると、その規模はほぼ変わっていない。オイルショックがあり、高度経済成長が終わった「安定成長」時代の経済状況ではあるが、日本の経済は拡張し続けていた。
少子化が進行している。
子どもは貴重な存在である。
かつての沢山子供がいた時代とはいえない。
貴重な存在ならば、大切にあつかわなければならない。
日本の未来は明るかった。
子どもたちには無限の未来がある。
未来に夢があるなら、子どもたちには投資をしなくてはならない
夢があるなら子どもにもいまを楽しんでほしい。
金がある。
子どもは少ない。
少ない子供に夢と金を注ごう。
愛すべき彼らのために、多くの子ども文化が花開いた。
アイドル、ファミコン、ディズニーランド。
これらは昭和50年代に出現した文化だ。
その文化たちは、豊かな社会と子どもたちをターゲットにしていた。
ロスジェネは就職に難儀した。
収入がないのはつらいが、職を得られないことは、社会的な承認が得られないことも意味する。
だが、ロスジェネの子ども時代は、恵まれていた。
無限の未来を信じた社会と家族に、多くの投資を受け、勉強道具と玩具を与えられていた。
ロスジェネは愛されていたのだ。
少子化+日本経済の成長というのが50年代の風潮だろう。
オイルショックから立ち直り、子供の数が少ししずつ少なくなり、その子の顔立ちまでわかる時代。各家族で育つた団塊の世代が、郊外で核家族を再生産した時代。
豊かな昭和50年代の地盤の上に、ロリコンブームはある。
清岡純子が『聖少女』を発表したのが昭和52年。プチトマトが発行されるのが昭和58年年。
「芸術」としてではなく、ポルノとしての少女写真集『リトルプリテンダー』の発売は昭和54年。
オタクサブカルチャー方面に目を向けると、少女愛同人誌『シベール』の発行が昭和54年、『カリオストロの城』も昭和54年、『レモンピープル』の創刊は昭和54年、漫画ブリッコの編集長か大塚英志に交代するのは昭和58年。いわゆる「ロリコンブーム」は昭和55年から昭和59年とされる。
愛と性愛との区別はつかない。
大切にしたいという気持ちと破壊衝動は表裏一体である。
少女たちは生の塊だが、ロリコンには死が似合う。
生命を板にしてロリコンと少女は隣合わせだ。
大塚英志と中森明夫の対談『Mの時代』では宮崎勤の事件が「M君は家族を作ろうとしたのではないか」と語られている。
ロリコンブームは、子どもが貴重材になっていく転換点で生成された。
愛されたロスジェネはその後、辛酸を嘗める。甘やかされたツケを払っているとも言えるし、持ち上げられた高さの分だけ地面に叩きつけられたとも言える。その後ロリコンブームは衰退する。清岡の作品はわいせつ物の観点から発行できなくなり(児童の人権が原因ではなかった!)、宮崎事件も起こる。
ただ昭和50年代は、まだ宮崎事件は起こっていない。バブルの前夜であり、大不況期でもない。ロリコンは批判はされていたが、児童の人権の観点から批判されていたとは言い難い。つまり、児童は、人権と言えるかは別だが、豊かな社会によって守られていたのだ。だって彼らには、明るい未来が待っているはずなんだから。
次回作は明るい未来があった過去がテーマになるはずである。ゆっくり待ってください。