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『聖なる少女たちの昭和』のあとがきにかえて

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『聖なる少女たちの昭和』のあとがきにかえて
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「ブルセラというのは平成のものなのだ」と書き終わってから気づいた。清岡はブルマやセーラー服をテーマにした写真は特に撮っていなかったはずだ。そもそも清岡は「着衣」をメインにはしていない。そしてなによりも、このぬる暖かい昭和の空気は、宮崎事件以前の話である。宮崎の狙った少女は、思春期以前の幼女である。思春期以降(10歳以降)の少女をメインにしていたロリコンブームとは、間接的にしか繋がっていないと思う。清岡の写真誌は宮崎事件以前に廃刊になっているし、宮崎事件以降に創刊されたロリコン雑誌もあるし、ブルセラも宮崎以降の話である。宮崎事件は残虐な事件である。だが、それ以上に人々は事件を区切りにして、何かを変えたかったのだ。事件以降の眼でみれば、やはり昭和は遠くなったとも思える。


この本はノスタルジーにまみれている。恨み言しか俺は書いていないように思える。ただ言い訳がましいが、ロスジェネ的なものに、砂をかけてやったつもりでもいる。ロスジェネの怒りは、結局昭和時代に散々甘やかされて育ってしまったことにある。明るい未来を見せられ過ぎたせいで、就職や恋愛に失敗したときに立ち直れなくなったのだ。郊外で一軒家を建て恋人と結婚した両親を目の前に見たせいで、子供部屋から出られないことに強い劣等感をもってしまったと。内なる昭和という牢獄から出るには、現代は昭和ではないことを再認識するしかない。『ロリータ』の悲劇は、主人公ハンバートが失われたヨーロッパをアメリカに見出してしまったことにある。ハンバートはアメリカとの摩擦を直視できず少女を連れ去ったのだ。失われた昭和、内なる昭和。その甘さは、ポルノとしては最高のものだ。


ロスジェネが育った郊外は、団塊の世代が死ねば空き家だらけになるだろう。甘い夢を抱えたまま街は沈んでいく。ただし首都圏は別だろうが。しかし空いた家には誰が住むのだろうか。核家族数は減り、子供もどんどん減っている。広い家に住むのはクールなことではない。ところで俺は、そんな空き家を安く買いたたいて住んでやろうと思っている。その時に、昭和の甘さが発作的によみがえって、頭を掻きむしるかも知れない。


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POSTEDJul 15, 2024
ARCHIVEDJul 15, 2024