沈鬱とした部屋に勢いよく飛び込んで切る人影が一人。
それはこげ茶の熊で、飛び出した腹も相まって巨体としての圧を強めている。腕回りも太く、掌にできたマメなどもあって、戦う男であることがわかるだろう。
そんな熊は呼吸を整えることもなく、肩で息をしていた。とある知らせを聞いてからいても立ってもいられず、全速力で駆け抜けてきた。
「ジギタリス……」
その後ろから荘厳な法衣を来た赤い龍が落ち着くように声をかける。同じ距離を走ってきたにもかかわらず、龍の巨躯は汗ひとつかいていないようだった。
「なあ、本当か?」赤い龍の静止を振り切って熊が言う。「本当に……」
暗い部屋にたたずむ金の犬とリカオンを見渡して言葉を飲み込む。口にしてしまえば、真実になりそうで怖かった。
だけど確認せずにはいられないから、ジギタリスは逸った気持ちをそのままに、叩きつけるように叫ぶ。
「本当に――――アスモが死んだのか?!」
****
おれがその話を聞いたのは今から数か月前、三人でお茶を飲んでいる時だった。デザートを頬張っている最中だったのに、思わず叫んじゃって質素ながらも整った屋敷に明るい声を響かせる。
「養子をとるっ?! ユランが?!」
いやもうびっくりだよ。青天の霹靂。おれはとっさに浮かんだまま固まっちゃった。
膨らんだ体に黒スーツを着込んだ黒虎のおれは、細い尻尾で自分の頬を突いてみたけど現実は変わらない。ただ、目の前でいつものようにユランが不機嫌そうな顔をしているだけ。
「なんだ、そんなに変なことを言ったか?」
垂れた耳を持つ金犬は、温和そうな造形を圧倒的殺意の表情で上書きしておれを睨んだ。いつものことだけど、日常会話に殺気を混ぜすぎ。これから養父になる男の顔じゃないよ。
おれは頭には角がって、細い尻尾と蝙蝠のような羽を持った悪魔で、普通の人相手なら気圧されるなんてありえない。
でもユランは別。戦っても勝てないから。慣れてきたとはいえ、たまに肝が冷えるもん。
「うーん、別に変なことじゃないけど、いきなりだから驚いただけ」
「決めたのは俺じゃないからな。それに、養子を取るのは俺じゃない。俺の父……あの阿呆だ」
金の犬は舌打ちしながら吐き捨てる。黙ってれば美丈夫なのに、表情が怖すぎるって。
ユランは家だというのにしっかりと騎士服を着こんでいる。自分の家なんだからもっと楽な格好をすればいいのにね。そうしたら抱き心地もいいのに。
……いや、そんなことはないかも。
全身鋼みたいな筋肉で肥大化させた体は戦うために特化していて、抱き着いても木にしがみついてるみたいな硬さがある。でもおれは好きだよ。
決めたのがユランじゃないなら、答えは一つしかない。それを問うたのは、隣にいるリカオン、タラタネラだった。
「ああ、じゃあユランのお父さん……カラレス様が決めたんだね」
「そうだ、あの馬鹿が、悪魔憑きの俺に当主の座は渡せないと難癖をつけてな。勝手に養子を取ってきた。どうやら俺を嫡男の地位からどかしたいらしい」
あ、だったら養父じゃなくてお兄ちゃんか。どちらにしろ、こんな殺意溢れる家族嫌だけど。
「それはまた……君らの家族仲が良くないことは知ってるけど、大胆な手に出たね。王太子スウェンガル様に陳情したら、何とかなると思うけど……」
「どうでもいい。そもそも俺は爵位に興味などないからな。オリーブ家は由緒ある伯爵家とはいえ、俺は直系だから責務を果たしているに過ぎない。馬鹿当主がそうしたいというのなら、好きにすればいい」
「ユランらしいよ……」
答えをわかっていたんだろうね。タラタネラは苦笑しながらお茶に口を付けた。おれもユランならそう言うと思ったし、別に驚かない。
ユランは責務で動いているだけで、特に出世欲や自己顕示欲があるわけじゃない。殺意を振りまきすぎてるから勘違いされやすいけど、根っこは超が付くほどのお人よしだ。騎士をしているのも、誰かを助けるためだって公言してはばからないからね。
「でも……そうなったら荒れるだろうね」
リカオンが少し困ったようにつぶやいて、カップを置いた。横で見てれば顕著だけど、屈むと胸が窮屈そうに騎士服を押し上げている。全身むちむちで雄とは思えないほどの巨乳、おれは大好きだけど苦しくなったりしないのかなっていつも不思議に思う。
「ユランがカラレス様から騎士団長の座をもらって、実質オリーブ家はユランがトップだった。でも中立派のユランが当主になれないとなれば、カラレス様の意向が大事になってくる」
「そうだな。あの馬鹿は意思が弱く篭絡しやすい。スウェンガル様の戴冠が濃厚になってきた今、さすが馬鹿な真似をするとは思わんが、可能性がないわけではない」
「それにユランにも話がかかるよ。オリーブ家の当主になることを手伝う代わりに、コネを得ようって輩とか、うちに婿養子に来ないかって家とか」
「知らん。きな臭い動きを見せた奴は全員殺す」
だからなんでユランはいつも物騒なんだよ。
しかも本人はすました顔でお茶を飲んでるだけなのに、殺意が荒れ狂ってるし。おれとタラタネラには効かないからって、この犬、羽目を外しすぎじゃないかな。
鉄壁で潔癖な騎士、ユランデータ=オリーブは騎士の中の騎士と市井からの評判もいい。曲がったことが大嫌いで、清廉潔白なふるまいは王宮内に信奉者がいるくらいだ。腕前もオーラを自在に操るマスターで、タラタネラと並んで国一番の腕前と評されている。
そんなユランが当主になれないとすれば、スウェンガルも大変そうだ。あのシェパードは結構ユランのことを頼りにしてたし。本人はあくまで中立だから、最低限の礼儀だけでそっけない感じあるけど。
荒れそうだなんて、魔界から出ておれは人に詳しくなってるからそれくらいは想像がつくよ。魔王との戦いも経て、かなり成長してると自負してるからね。
「……そんなに心配するな」
金の犬はおれらを見ながら口を開いた。
「お前らが思うほど俺は落ち込んでなどいない。爵位などどうでもいいからな。継げないのなら、家に縛られることもないということだ。だから、養子が育った後、旅に出てもいいだろう」
「ああまあ……ユランが騎士団長の座に就いたのも、お父さんのふるまいが目に余ったからだったし、団長の座にも興味なさそうだよね……」
「まあな。俺は騎士として正しくあればそれでいいんだ。あの馬鹿のようにはならないと、昔から言い聞かせてきたからな。だが、こうも毎回突っかかってこられるとさすがに疲れた」
あのユランが弱音を吐くなんて珍しい。タラタネラもちょっと驚いてる。
でもおれらはユランの家にたびたびお邪魔してるから知っている。カラレスはユランのことを目の敵にしていて、何かあればすぐあざけってくるってこと。おれは魔界で両親に愛されて育ってきたから、他人事なのに見てて心が痛くなっちゃう。
「だから……俺が死ぬまで、一緒に世界を見て回るのはどうだ?」
「え」
虚を突かれて、口があんぐりと空いた。ユランは真面目な顔のままで、からかっているようには見えなかった。
「責任が無くなれば、こんな家にいる必要なんてない。お前も俺らに付きっきりだし、いい経験になるだろう?」
「それはそうだけど……でも、タラタネラが……」
ユランと双璧をなす騎士、タラタネラは近衛隊長だ。責任ある立場で、これから戴冠する王太子を支える未来も確約されている。
そんなリカオンは突然の提案に一瞬だけ固まったけど、すぐに優しい笑みを浮かべてくれた。
「いいね。どうせ真面目なユランのことだ、団長の立場を譲るのも遅れるよ。その頃には私らも歳をとっているだろうし、楽しい余生の過ごし方じゃないかな」
「じゃあ、一緒に来てくれるってこと……!」
「当然。むしろ、私をのけ者にするつもりなんて、ユランにはないだろう?」
「当たり前だろうが。お前みたいな淫乱を放置していたら、国の風紀が乱れる。アスモには最後まで面倒を見てもらわないといけないからな」
「そ、そこまでじゃないだろ?!」
むっつりスケベなむちむちリカオンが顔を真っ赤にして否定する。けど、タラタネラが清純だと思っているのは、本人だけなんだよ。いい加減気付いて。
二人は死んだ後、悪魔になっておれと一緒にいることが契約で決まっている。だからタラタネラなんか、貴族から来た婿養子の誘いを全部断った。平民出身なせいで苦労したのに、おれのために断ってくれたんだ。
もちろんこれからもずっと、責任を取るからね。おれは二人の事大好きだから。
「気持ち悪い顔をするな。殺したくなる」
「ふふ、素直になればいいのに。私は近衛隊長の座を退いたらなにも残らないからね。教官に斡旋はしてくれそうだけど、みんなで旅をするのも悪くない」
「だろう? 俺とタラタネラは訓練ばかりで世界を知らないところがある。これから悪魔になるのだから、見聞を深めるのも必要だ」
二人は当然のように未来の話をしてくれる。自分が悪魔になって、魔界で暮らす時の話を。
おれはそれがとても嬉しい。二人がいれば、おれはもう寂しくなんてないんだ。
感極まって隣のリカオンに思いっきり抱き着いた。もはや慣れたものだから、タラタネラもぎゅっと返してくれる。本当はユランにも抱き着きたいけど、照れ屋だから逃げられるんだ。
「アスモも嬉しいってさ」
「ふん、こいつは感動するとすぐ抱き着くな」
「ユランも羨ましいならくればいいのに」
「殺すぞ」
「今更だと思うけどねえ」
おれを抱きながら笑うタラタネラの雰囲気は柔らかい。ユランの童貞を食ったのはタラタネラだし、おれらはもう3Pを経験済みだ。ハグくらい誤差でしょ。
キス大好きなおれらが自然と舌を入れ合うのを見て、ユランはため息。遠慮が無くなってきたタラタネラと違い、ユランにはまだ常識が分厚く残っている。おれはユランともいつでもキスしたいのにさ。
「はあ、話を戻すぞ。だから今度、養子のお披露目パーティが開かれる。あの馬鹿が張り切っているが、どんな家が招待されるかで勢力が見えてくるはずだ」
「ああ、なるほどね」リカオンがおれの鼻面を舐めてから。「だからカラレス様がどういう政治的意図を持っているのか、確かめるなら絶好の機会ってことだね」
「そういうことだ。お前はスウェンガル様にこれを渡してこい」
テーブルに置かれた綺麗な便せんは招待状だ。王太子直々に参加して、カラレスを取り込んで来いってことだね。
「万が一スウェンガル様に招待状が届かなかった場合。これを使って参加しろ」
「助かるけど……中立の君が珍しい」
「恩には恩で返しただけだ。スウェンガル様には、アスモの魔法部所属の口添えと、悪魔騒ぎの時にタラタネラが近衛隊長でいられるよう便宜を図ってくれた恩義がある」
「……ねえ、ユラン」
「なんだ?」
「今猛烈に、アスモみたいに君に抱き着きたいのだけど、構わないかい?」
「殺すぞ。前々から思っていたが、お前はアスモに感化されすぎだ」
いや、タラタネラの気持ちはわかるよ。だって、ユランはおれとタラタネラへの恩義を、自分のことのように扱ってくれたってことだから。つまり、おれらはユランの身内と同様ってことだもん。そりゃ嬉しくなるよ。
「ねえタラタネラ、今日は3Pしたくない?」
「え? ……ええっと、まあ、そう、だね。私もユランと、し、したい、かも……」
だからなんでタラタネラはいつもスケベ振りまいてるくせに、本番になると急に奥手になるの。もっと自分を解放しよう。二人ならユランを押し倒せるよ。
「殺すが?」
ドストレートな言葉と刃のように鋭い殺意によって、おれの喉は勝手にひえって言葉が漏れた。慣れたと思ってもすぐその上を行く殺意をばらまくのやめて。
「これから養子が来るんだぞ。教育に悪いことをしようとするならば、タラタネラでも追い出すからな」
「じゃ、じゃあ、私はどこでやったら……あ、いや、別にユランの家に来るのはそれだけが目的じゃ当然ないんだけど……!」
「はあ、どこでもいいだろ。イーラガッタの家ならアスモの部屋もあるんだ。今度からそこで集まればいい。その方があの龍も喜ぶ」
以前の事件でおれのセフレになった聖獣を思い浮かべると、確かに会いたくなってきた。あそこにはおれの部屋というか、研究室もあるから定期的に通ってるし、そろそろ全員でセックスする布石を作ってもいいかも……。
「だったら5Pか……」
「俺を巻き込むな」
「いいじゃんいいじゃん。三も五も変わらないって。イーラガッタは契約によっておれとセフレになってるし、当然の権利だよ!」
「ジギタリスは違うだろうが」
「ジギタリスはタラタネラのおっぱいに弱いから大丈夫。この前イーラガッタとタラタネラで左右からおっぱい攻めしたら、ものすっごい顔してたし」
うんうん、あの時の4Pは楽しかったね。ガチムチ熊をおっぱい攻めしながらおれがタチしてたら、ジギタリスったらいきっぱなしだったよ。
「だから後はユランが来てくれれば完璧なんだ! ねえ、やろうよー!」
「殺す」
おれの鼻先を残像が駆け抜けて、言葉を断ち切った。ユランの体勢から、どうやら手刀がかすめたみたい。こっわ! オーラマスターの肉体攻撃なんて、気絶どころか首の骨が折れるよ! ただでさえおれは完全後衛型で、肉体強度はそこまでないんだからね!
「しつこい。やらんと言ったらやらん」
3Pはしてくれるのに、ジギタリスたちは入れてくれない。おれとしては、ユランのかわいいところをもっと広めたいんだけどなあ。
汚い喘ぎ声をあげるタラタネラもかわいいけど、真っ赤な顔でこらえるように喘ぐユランもかなり良いんだ。おれはいつでも二人とやりたいって思ってるよ。
でもこれ以上やると本気でぶっ飛ばされそうだから、タラタネラを抱きしめて我慢しておこう。
「そういえば、養子養子って言ってるけど名前くらいは知ってるんだよね?」
「ニトグリン。遠縁の男爵家で、地方で騎士をしている家系だ。あの馬鹿がどこから見つけてきたのかは知らんが、剣の基礎くらいはあるだろうと期待している」
「ちなみに挨拶とかって……」
「していない」
「……はあ」リカオンがこめかみを押さえながら。「ユラン、君の意向じゃないとはいえ、兄になるんだからある程度の歩み寄りは必要だよ」
「わかっている。だが、あの馬鹿が目を光らせていて、まだ接触できていないんだ。どうせ剣は俺が教えるというのに……不合理すぎる阿呆が……」
「あ、あのさ……」
眉間にしわを寄せてうなるユランを見ていられなくて、おれはそっと口をはさんだ。
「仲良くしてあげてね。ニトグリンも緊張してるだろうからさ」
「善処する。あの馬鹿に何か吹き込まれていなければいいんだが……」
この親子は互いを毛嫌いしているとはいえ、ニトグリンに罪はないんだ。ユランにはおれらがいるけど、田舎から出てきたばかりで孤独を感じるだろうし、寄り添ってあげてほしい。
「アスモと話していると、悪魔より人の方が怖い気がするよ」
「ふん、悪魔らしい悪魔だったら、魂なんぞくれてやるわけないだろうが」
「本当に素直じゃないよねえ……。悪い気はしていないくせに」
「どうせ筒抜けなんだ、素直に話す必要もないだろう」
「開き直ったよ。私らならいいけど、部下とかニトグリンには伝えるようにね」
タラタネラが優しくたしなめて、お茶会は温かい空気で進む。コミュニケーションの齟齬さえ無くせば、ユランはいい人だから大丈夫。おれらでちゃんとフォローしないとね。
養子かあ、仲良くなれるといいんだけど。
おれは新しい友人が増えるかもと期待して、楽しそうに尻尾を揺らした。
****
豪華に着飾った人たちの間を飛びながら、おれは上機嫌に鼻歌を奏でた。姿を隠す魔法を使って、タラタネラとユランにしか見えないようにしている。
にぎやかな話声と明るい照明に、豪華な食事。絶対ユランが手配してないのがわかるセンスだ。たまにはこういうのもいいと思うけどね。
パーティなんて初めてだから存分に楽しむ気満々だ。ふよふよ漂ってはバレないように食事をつまみ、噂話を肴にいろんな人の顔を見渡していく。契約取れそうな人がいたら、ちゃんと覚えておかないとね。
ユランは主催側だから忙しいし、タラタネラも近衛の仕事で王太子の傍だから話し相手がいない。だからのんびり会場を一周して、主賓の下へと戻ることにした。
新たにオリーブ家に加わった人、ニトグリンは緊張にこわばった体で挨拶に精を出している。
ニトグリンはハスキーの青年で、骨太な体をまっすぐに伸ばしている姿はすごく初々しい。あどけなさが残る顔だけど肩幅は広く、ちゃんと鍛えているのがわかる。
まあ、ユランやタラタネラと比べるとどうしても小さく見えるのは、あの二人がおかしいだけだからね。目標は高すぎるだろうけど、頑張ってほしい。
その傍にはユランに似た金の犬が楽しそうに客人たちと会話している。さすが親子だ、デザートを食べながら間近で観察してみても、似てるとしか言えない。
でも似てるのは顔だけで、着飾った服の豪華さとか、前線を退いてからちょっと緩んだ体とか、雰囲気はかなり違う。ユランが作り物めいた肉体美なら、こっちは生々しい肉体って感じ。おれはどっちも好きだけどね。
なんて服の下に思いを馳せていると、ハスキーの青年が金犬に尋ねた。
「あの、カラレス様。ユラン様はどちらでしょうか? パーティが始まってから、お姿を見ていないのですが……」
「ああ、あれは気にしなくていい。話したところで時間の無駄だ。それより王都に来たのだから、顔を売ることを第一に考えろ」
「わかりました」
相変わらずだなあ……。ユランは裏方で料理の手配とか頑張ってるのに。
おれに見られてるとも知らないで、カラレスは来客には見せない尊大な態度で養子と話している。さすがに当主に言われたら逆らえないから、ハスキーは居心地悪そうにしながらも会話に食らいついている。
「カラレス様、この度はご招待いただきまして、誠にありがとうございます」
「ああレンジ。よく来てくれたね」
お、なんかふくよかな羊の人が来たぞ。身なりはいいけど、ちょっと成金的すぎるかな。ユランやタラタネラは質素ながらもいいものを着てるから、比べると悪目立ちしてる気がするな。
「初めまして、レンジと申します。しがない商人ですが、カラレス様にはよくしていただいております」
「彼にはうちで使う武具などを扱っているんだ。お前も今後良く会うだろうから、覚えておくように」
「はい、わかりました。二トグリンです、よろしくお願いします」
ふーん、オリーブ家お抱えの商人ってことか。類は友を呼ぶというか、なんか似た者同士な雰囲気があるなあ。何かあったらすぐ裏切ってきそう。
ニトグリンも大変そうだ、笑顔の下で策略張り巡らせているなんてここじゃあ日常茶飯事だし、早く慣れると良いね。
今度おれとタラタネラにも紹介してくれるって話だし、その時にまた挨拶しようっと。今はおいしいご飯をお腹いっぱい食べるんだ!
それからおれらとの顔合わせも終わらせて、ニトグリンの新しい生活が始まった。
「お邪魔しまーす、調子はどう? ……ってまあ、そうなるよねえ」
非番のタラタネラと一緒にオリーブ家の訓練場に行くと、案の定そこは地獄絵図だった。
すました顔のユランの足元ではいつくばっているハスキーの青年は、今にも死にそうなほど荒い呼吸をしている。毛皮も汗でまとまってぼさぼさだし、相当きつい訓練してたんだろうな……。
ジギタリスの時もそうだったけど、基本的にユランは人を限界まで追い込む。本人曰く効率よく鍛えているらしいけど、受ける方からしたらたまったものじゃない。
「そうか、今日はイーラガッタから食事に招待されていたな」
「ユランのことだから遅れることはないだろうけど、呼びに来るついでにニトグリン様にもご挨拶をと思ってね」
平民のタラタネラからすれば、養子とはいえ伯爵家の跡取りには敬語は必須で大変そう。いろいろ活躍目覚ましいんだから、一代限りの爵位でもくれればいいのにね。
「いえ、自分のことは呼び捨てで構いませんから!」
「でも伯爵家の嫡男ですから……」
「それでも、オーラマスターで近衛隊長のタラタネラ様にそんな態度を取られるほど、僕は偉くないです!」
立つこともできないので地面の上でもだえながら弁明してる。体が動いてたら頭を下げてそうな勢いだ。
「なら俺らだけの場では気安く接してやれ。どうせいつかお前にも扱いてもらう予定なんだ。師匠らしくしておいた方が威厳もでていいだろ」
「わかったよ、それならこれでいいかな」
しゃがみ込んでにこっと笑うリカオンに、ハスキーは何度も頷いて返す。目線を合わせようとする行為は優しいタラタネラらしいんだけど、おかげで胸を突き出してるようにしか見えないんだよなあ。あおり視点だと相当すごいことになってそう。
「うおぉ……!」
ほら、ガン見してる。非番故に薄手のシャツだから乳首まで浮いてるんだ、そりゃそうなる。早くも嫡男の性癖ぶっ壊そうとしてるんだけど、ねえユラン、あれ大丈夫なの?
「予想は付いていたことだ。駄目でもお前の魔法で無理矢理子作りさせるから問題ない」
「おれさ、たまにユランが人権って言葉を知らないんじゃないかと思う時があるんだよねえ……」
「貴族にとって跡継ぎを産むことは義務だ。ニトグリンが来なければ、俺もそうしていた」
「ううん、そういうものなのか……」
おれとしてはエッチするなら楽しくしたいんだけど、多分これ、子どもを産めない悪魔の考えなんだろうな。でもさすがにこれ以上青少年の性癖を壊すのも忍びないので、指を鳴らしてハスキーの体を浮かせよう。
「ええっ?!」
「せっかく来たんだし、回復魔法でもかけてあげるよ。ユランの訓練は大変だろうけど、頑張ってね」
「あ、ありがとうございます……」
おっかなびっくりな態度には、まだ不慣れなぎこちなさがある。悪魔から無償で回復してもらえるとは思ってなかったんだろうな。顔見せからずっと、ニトグリンはなかなかおれに慣れてくれない。
「やっぱセックスかなあ」
「アスモ、欲望が口から洩れてるよ」
「体のつながりがあればもっと仲良くなれると思わない? おれとタラタネラ……むごぉ!」
言葉の途中で口をふさがれた。なんでそんなに純情ぶるんだよ!
「ニトグリンの教育に悪いでしょ」デカパイがなんか言ってる。「ユランに切られるよ」
「それは嫌だけどさ……じゃあ今日終わったらやろ?」
「い、いいよ……元からそのつもりだったし……」
よし、今日こそ5Pをするぞ!
「いいか、ニトグリン。ああいう大人になったら大変だからな」
「わかりました……ですが、自分はもう成人していますけど……」
「そうだったな、太刀筋が甘いから間違えてしまう。悪いな」
「はい……」
さらっとひどいこと言ってる! ユランと比べたら大体の人は未熟だよ!
「冗談だ」
「だから君の冗談はわかりづらいんだってぇ……」
「うーん、これは私も擁護できないなあ。ユランは冗談を言うよりも、もうちょっと褒めてあげた方がいいよ」
浮かんで休憩しているハスキーを見て、リカオンはにこりとほほ笑む。ユランには出せない柔らかい雰囲気でニトグリンを包み、癒そうとしていた。
「話しかける前に少し見せてもらったけど、よくできていると思う。そのまま成長すれば、団長にだってなれるだろうね」
「ほ、本当ですか!」
おお、嬉しそうに目を輝かせている。マスターからのお墨付きとくれば、やっぱり嬉しいよね。
「ユランの教えは厳しいけど効率的だから、任せて問題ないよ。でも、力任せに剣を振ってるところがあるから、そこは意識した方がいいかな」
「そこは俺も気になっていた。体幹が弱いせいだろうな。振り下ろす時に制御できていない」
「でも見た感じ体はできてそうなんだけど……剣が重すぎるのかも」
「そうかもしれんな、共通で使う訓練用の剣なんだが……もしかして、実家では木刀を使っていたのか?」
「あ、はい……」
「なるほどな、道理で。慣れの問題だとは思うが、新しい武具があった方がいいだろう。最近レンジとかいう商人があの馬鹿に取り入っている。ちょうどいいから使いやすいものを見繕ってもらえ。これから長く使うことになるからな」
「ありがとうございます!」
元気でハキハキした声が訓練場に響き渡る。やる気があるんだって聞いてるだけでわかる声だ。オリーブ家を背負うことになった気概がわかる。
ちょっとコミュ障なところはあるけれど、ユランの実力は確かだ。だからニトグリンが強くなるのもすぐだろうな。
……そしたらあの骨太な体もさらに大きくなるだろうし、ちょっと味見したいところ。
んふふ、だったら篭絡しないとね。おれは悪魔だ。心の隙間に忍び込んで、好感度を稼ぐくらい楽勝ってこと。
それにおれの魔法があれば、厳しい訓練もちょっとは楽になるよね。
「ニトグリンー!」
おれはハスキーを抱きしめて自分の胸にうずめる。タラタネラほどではないけど、おれだってでかいと自負してる。性癖を曲げてもいいなら、おれだってやっていいでしょ。
「うあっ?! あの、汗だくなので……!」
気にしないよ。そういうのも好きだし、どうせ魔法で綺麗にできるしね。
「んふふ、君が望めば、おれはいつだって契約してあげる。ユランたちみたいに、毎日コースでの契約なら日々の支払いがお得になるよ!」
「ここだけ聞くと詐欺みたいだね……」
「こいつ、本当に契約取るのが下手だな。仮にも悪魔だろうが」
「うるさいうるさい! おれは双方が納得できる最善を模索する悪魔なの!」
大体おれが今まで契約したのユランたち周辺だけだから、片手で数えるほどしか締結したことないんだよ。伸びしろがあるってことで、もうちょっと優しい目をしてほしい。
「おすすめは毎日の回復だね。おれの魔法で訓練の疲れを癒して、訓練効率を上げられる。簡単な魔法だから、一日一射精でいいよ」
「え、射精ですか?! なんで……?」
「お前、まだ魂作成を諦めてなかったのか」
「というか、研究資料だね。魂について研究するためにも、素材はたくさん必要だからさ。人から丸々全部もらうわけにはいかないから、精液に含まれる微量でも必要なんだよ」
「なるほど、それなら俺はとやかく言わん。ニトグリンが決めろ」
「え、ええぇ……! あ、悪魔と契約してもいいんですかっ?!」
「聞いているだろうが、アスモはスウェンガル様から特例措置をもらっている。実際契約によって魔法部で働くこともあるからな。それに、何か粗相をしたら責任をもって俺が首を落すから心配するな」
「そこはかばってよっ!」
ユランなら間違いなくやるという確信があるよ。人情とは最も程遠い存在だからね。
ニトグリンは驚いたまま固まって、現状を頑張って理解しようとしているようだった。そりゃ悪魔がこんなにフレンドリーだと驚くよね。
「も、申し訳ありませんが、カラレス様から契約はしないようにと言われていまして……」
「まあそうだろうな。俺を除外したくてお前を迎え入れたのに、契約なんてしては意味がなくなる。本当は訓練もうちの騎士長に頼む予定だったからな」
そういえばこの前ユランが言ってたな。さすがに跡継ぎになるのだから一番強い自分がやると言って、強引にねじ込んだらしいけど。カラレスからしたら、ユランに絆されるのは避けたいよね。
「ニトグリン」
おれのおっぱいに埋もれたままのハスキーに向ける声は硬い。
「俺はお前があの阿呆と組したところでどうでも良い。爵位など興味はないし、お前が一人前になった後、出て行けというのならすぐにそうしよう」
「いえ、僕は別に……!」
「だが、今はまだ早い。お前は覚えることが多く、腕前も未熟だ。使えるものは何でも使え。あの阿呆のご機嫌を取ることなんて、この世で最もどうでも良いことだぞ」
困ったように耳を伏せて、ニトグリンは黙ってしまった。ユランは真面目に話しているだけなんだけど、圧が強すぎるって。
「あのね、ニトグリン」そっとタラタネラが微笑みながら。「今のはユランなりの気遣いだよ。遠慮して萎縮するなっていうね。わかりにくいよねえ」
「え、そう、なのですか……?」
「うん、友人の私が保証するよ。いきなり伯爵家の嫡男なんて大変だろうから、アスモや私にも、遠慮なく頼っていいんだからね」
初対面でユランの優しさを理解しろっていうのは無理難題なので、ハスキーが困惑するのもしょうがない。ここで暮らす以上早く慣れると良いね。
金の犬も慣れ切った様子で、そのまま会話を続ける構えだ。君はおれとタラタネラの解説に甘えすぎじゃない? ちょっとはコミュ障治そうよ。
「ふん、お前はもう嫡男としての立場を手に入れた。それはスウェンガル様がパーティに来たことからも明白だ。だから考えるべきは、良い当主になること。それだけだ。カラレスの機嫌をうかがうより、お前が見るべきは領民。そこをはき違えるな」
「はい……」
騎士の家系で団長をしてるから王都に住んでるだけで、オリーブ領にはちゃんと人が住んでるもんね。カラレスが管理してるからユランはのびのび騎士ができてるけど、これからそれもニトグリンの仕事になる。
だから見るところを間違えるなっていう意見は本当にごもっとも。ニトグリンの責務は、多分おれが思っている以上に重いんだろうな。
「まあ、男爵家だったお前には不要な助言だったな。だが、決して忘れるなよ」
うーんこの鬼教師。本人が鉄壁で潔癖だからって、みんながそうとは限らないのに。
おれが思うに、ニトグリンには癒しが必要だ。後継者教育も大変そうだし、息抜きはさせてあげたいな。
よし、おれはニトグリンを抱きしめたままグルンと空中で回転して、タラタネラの胸に押し付ける。
「ええっ?!」
そしてからおれらのおっぱいで顔を挟み、むちむちの世界にご招待。服越しとはいえ、むっちり柔らかおっぱいの破壊力は健在。もみくちゃにしてあげよう。
「うあ、ちょ……これ、すごい……なにこれっ!」
「アスモ! ちょっと! こんなことしたらさすがにユランから怒られるよ!」
「平気平気。性癖壊れてもいいって言ってたしね! 子作り時の魔法はサービスするから、今は労わってあげようよ」
「え、ええ……これで労わったことになるかな……」
タラタネラはいまだに自分のおっぱいのすごさを理解してないんだ。最近はちゃんと香水でいい匂いだし、まくらにすると安眠確実なんだ。おれは大好き。
ジギタリスなら即勃起してるおれらのおっぱい攻めに対して、ニトグリンは顔を赤らめて初心な反応を見せる。お、これは童貞だな。えへへ、たぶらかしちゃうぞー。
「揉んでみて。タラタネラのおっぱい、すんごいから♡」
「へ? いえ、タラタネラ様の胸にそんな……! うあっ!」
遠慮しようとする口をおっぱいでぎゅっと。引き伸ばされた服から乳首が鮮明になってるから、しゃぶってみてほしいんだけどな。そもそも乳肉で視界も制限されてるから、下向き乳首に気付くのは難しいか。
手を出すそぶりもなかったので、おれが代わりに揉んであげよう。実のところ、タラタネラがちらちらと期待した目で見てくるからね。この淫乱性で清純きどりはやっぱり無理だよ。
下から持ち上げると、ずっしりした質量を感じられる。ハスキーの顔がさらに乳で埋まってもがくの、溺れてる人みたい。おっぱいで溺れるのいいよね。
「んっ♡」
「もがっ! あの、ちょっと待って……!」
「んへへ、このまま癒されちゃってよ♡」
「アスモ……私はいいんだけど、その、ユランが……」
やりすぎた、そのことに気付いたのは後ろからとてつもない殺気が吹き荒れたからだ。
針というか刃みたいな殺気で首筋がぞくってなる。本能が生命の危機を察知したんだ。
どうしてなんていうのは明白で、さび付いた首をきしませながら回すとそこには……悪鬼羅刹も裸足で逃げ出すほどの圧を纏ったユランがいた。
「ごめんなさいー!」
撤退一択っ! おれは即座に離れてニトグリンをユランに返す。それからタラタネラの後ろにぴゅっと隠れて、最強の盾で生命の保身を図った。
「まったく、予想がついていただけで積極的に篭絡するなら話は別だ。首か一物か、どちらかを切り落とされる覚悟をしろ」
「どっちも嫌だ! おれのちんぽが取れたらタラタネラが悲しむでしょ!」
「私を巻き込まないでくれ!」
おれはタラタネラにしがみついて、死から逃げようとしている。ユランはそんなことしないってわかってるけど、怖いものは怖いの!
解放されたニトグリンは顔を真っ赤にしたままちょっと内股になっていて、何を隠そうとしているのかは明白だ。これは将来有望かも。おれも契約しやすくなってなにより。
「あ、あの、すみません、そろそろカラレス様との食事の時間ですので……し、失礼します!」
そう言って足早に去っていく姿も初々しい。ああいう性格の人、おれの周りにはいなかったからかわいいね。
「アスモ、あんまりからかっちゃかわいそうだよ」
「そんなつもりはないよ。おれはただニトグリンと仲良くなりたいだけだって」
「お前、あれで仲良くなれるつもりなのか?」
殺気を解除したユランが完全に見下した目をしている。だから知らない人が見たら誤解するでしょ。これが君の通常状態だって言っても、人は信じてくれないの。
「こういうのはさ、体の関係を持てば一発じゃない? 君らともそれで仲良くなったんだからさ!」
「言っとくが、俺は違うからな」
まあ確かにユランは肉体関係で絆せるような性格をしてないよね。ユランもそう言いたいのか、タラタネラから一歩距離を取った。
そうすると、リカオンは憮然とした顔になっていかにも心外ですと言わんばかりだ。
「まるで私は体で絆したみたいな言い方じゃないかい……?」
「…………」
「…………」
「何か言ってくれよっ!」
おれとユランでタラタネラに対しての評価は一致している。
すなわち、エッチなことに興味津々だけど自分では認めたがらないってこと。
「でも、それがタラタネラのいいところだとおれは思ってるから、そのままでいてね」
「なんか釈然としないけど……いいさ別に。君らとするの、嫌いじゃないし……」
「そういうところだぞ」
ユランから容赦ない突っ込みが来るけど、雰囲気は柔らかい。この二人はおれが召喚される前から気の置けない友人だったんだ、会話のテンポもいいし、話していて居心地がいい。
タラタネラは気を取り直したみたいで、おれを背中から引きはがして肩の力を抜いた。もう訓練場には誰もいなくなったから、遠慮する必要がなくなったんだ。ニトグリンは立派な貴族だしね。やっぱり気を使っていたんだろう。
「それはそうと、ユラン、早く準備しないと遅れるよ。イーラガッタがせっかく準備してくれてるんだ。待たせるのも悪いよ」
「そうだな、急いでシャワーを浴びてくる。俺の私室で待っていてくれ」
おれのテレポートで向かうから、移動時間を気にする必要はない。だからギリギリまで準備できるってわけ。
「けど、シャワーくらいおれの魔法でぱぱっとやろうか? その方が早いよ」
「確かにな……助かる」
「いつも思うんだけど、もっと普通に頼めばいいのに。対価もらってるんだから、簡単な魔法なら惜しまないよ」
「お前の魔法は便利すぎる。慣れきっては堕落するだろう。今回はイーラガッタらを待たせるのも申し訳ないから頼むだけだ」
「鉄壁で潔癖だ……」
ここまで自分を律せる人、中々いないって。魂の輝きはだてじゃないんだよなあ。
ユランの魂は本当に綺麗。オーラと同じ色した黄金は一点のよどみもなく煌々と輝いている。他の悪魔が見たら喉から手が出るほど欲しくなるだろうね。金銀財宝なんか目じゃないくらい、優しくて暖かい光を放つ魂だ。
対してタラタネラはすごく濃い真紅で、目を引き付ける輝きがある。オーラとして顕現すると、恐怖を抱くほどに綺麗なんだ。魂の色はその人の性質を表すって俗説があるけど、どうなんだろう。学者としての意見を言わせてもらえれば、結局人は育ちの環境だと思ってるけどね。
どちらも魂としては最上級で、大悪魔ですらここまでの魂は持っていないはずだ。聖獣と並べてもそん色ないくらいだから、本当に希少な魂なんだ。
でもまあ、おれにとってはそんなことよりユランとタラタネラってことの方が大事なんだけどね。
「そういえば、食事会が終わったらユランはどうする? タラタネラとはさっき話してて、泊っていくって聞いてるよ」
「俺もそのつもりだ」
「あ、アスモから聞いたんだけど、イーラガッタの屋敷に部屋をもらったみたいだね。拠点にするのかい?」
オリーブ家に入りながら、雑談は止まらない。
ユランの部屋はおれらにとってはもう第二の家みたいなものだから、足取りもよどみない。最初の事件からずっと拠点にしてたし、執事とかも顔見知りだしね。
念のために会話が漏れないように魔法で遮断してるから、何をしゃべっても大丈夫。
だからユランがタラタネラの問いに答えるのも、あっさりしたものだった。
「そのつもりだ。そろそろ俺の居場所がこの家から無くなりつつあるからな。新居探しのために、使わせてもらっている」
「それは……」
雑談の延長線上で爆弾を投げられて、リカオンがひるむ。おれも最初聞いた時はびっくりしたし、気持ちはわかるよ。
「当主を継ぐという役目が無くなれば、俺がこの家に固執する理由もない。結婚をするつもりないとなれば、どこか適当に暮らすのがいいだろう。そうすれば煩わしさも減るからな」
ユランはお父さんと仲が悪いから、理由が無くなれば出ていくのは当然なんだよね。唯一ニトグリンのことだけが気がかりみたいだけど、過度に干渉すれば悪影響が出るとわかってる。
「そうか……だったら私の家に来るかい? ここほどじゃないが、そこまで狭くはないと思うのだけど」
「……お前に知られたらそう言われると思っていた。そこまで甘えるのも申し訳ない」
「私が気にするとでも?」
「思わないから言わなかったんだ」
「じゃあ気にしなくてもいいのに」
「……慣れんのだ」
ばつの悪そうな顔をして、金の犬はそっぽを向く。いつも毅然としたユランには珍しい、愛らしい表情だった。
おれに魔法を頼まないのも同じで、ユランは誰かの力を借りることがすっごい苦手だ。この家庭環境ならそうなるのもわかるけど、それは寂しいな。
だから先導する広い背中を浮かびながら抱きしめた。
「おれはさ、契約を重視する悪魔だけど、ユランの頼みなら大抵引き受けるからね。だからどんどん頼んで。おれの魔法は便利だから、絶対役に立つよ!」
「どうした急に」
「言いたかっただけー」
聖獣の両親から愛されてぬくぬく育ったおれと違って、ユランの方が魔界らしい生活をしてたんだろうな。そう思うとやっぱり寂しい。
きっとタラタネラもそう思ってたに違いない。だって、部屋に着いたとたん、ユランを前から抱きしめておれと挟んだんだから
「なんなんだ貴様ら。盛るなら後にしろ」
「ふふ、ユランは知らないだろうけど、人はこうされると嬉しいんだよ」
「……セックスの誘いということか?」
「うーん、これは重症だねアスモ」
「でも、おれらはこれからずっと一緒だから、いつかユランもわかってくれるよ」
「そうだね、確かに悪魔になっても一緒にいたら、ユランもきっとわかるね」
「……なんだ、何の話をしている」
「「んー別に」」
「むかつくな、殺すぞ」
そう言うわりに殺意は薄い。自分のためだということを、わかっているからだろう。そこには確かな信頼があった。
おれらはずっと一緒。そういう契約だから。
だからカラレスの代わりに、おれがたくさんユランに大好きを伝えるんだ。
今はわからないけど、いつか伝わると信じて。
おれはにへらと笑って、ユランを抱きしめる手に力を込めた。
****
アスモの死体が見つかったのは、オリーブ家の倉庫だった。
オレはイーラガッタと一緒に連れてきてもらって、現場にいる。もう覚えちゃいないが、このジギタリスの体を作ってくれた恩を何も返せないまま、あの悪魔はこの世を去っちまったんだ。
そう思うと悔しくて、拳から血が出るほど握りしめていた。
「ここだ」
ユランの短い声で我に返り、周囲を見渡す。
倉庫には血の濃い匂いが渦巻いていて、思わず顔をしかめる。傭兵時代に何度も嗅いだとはいえ、やっぱり気持ちのいいもんじゃねえんだ。
だけど見ないと駄目だ。そのために、オレらは呼ばれたんだから。
床に滴る赤い血をたどると見えてくる大きな体。いつも元気でやかましく、それでいて人懐っこい、悪魔だなんて思えないほど愛嬌のあった虎がそこにいる。
血だまりの中心に横わたっているのは、まぎれもなくアスモだ。
逞しい黒虎の体はピクリとも動かなくて、命の気配が全くうかがえない。オレだっていっぱしのオーラ使いだ、ある程度の気配くらいは感じ取れる。だからこそ、アスモが本当に死んでいることがわかっちまう。
うつぶせになったまま、そこからあふれた血があたり一面を真っ赤に染め上げている。傍には禍々しい装飾が施された短剣が落ちていて、これが凶器だと一目でわかった。
「……眠っているようだね」
隣に来たイーラガッタが沈んだ声を出して、一歩近づく。荘厳な法衣が汚れることなど構うことなく、もう動かない虎の顔を覗き込んだ。
確かにアスモの顔には苦悶が浮かんでいない。痛かっただろうに、その顔は本当に寝ているようだ。それだけが救いだな。
「一つ、確認させてほしい」
後ろに控える二人に振り向いて、赤龍は問う。
「君らは犯人を見つけたい。そうだね?」
「ああ」ユランの声は硬い。「この国で悪魔を殺すのは法律的に何の問題もなく、犯人が裁かれることはない」
「だから軍を動かせないから、私たちで調査しないといけないんだ」
普段は温和な雰囲気を纏っているタラタネラも、硬い声をしている。記憶を無くしたオレだって悔しいんだ、この二人ならはらわたが煮えくり返るほどに決まってる。
この国にとって悪魔とは敵でしかなく、アスモのような例外に対する法が追いついていないせいで、現状犯人は犯罪者にはならない。ユランから協力を要請されたのも、そういう背景がある。
「そう、だから確認させてほしいんだ。君らは犯人を見つけて、どうするつもりなんだい?」
そうだ、犯人は法でさばけない。オレは犯人捜しをすることばかり考えて、その先を考えていなかった。
「……しかるべき報いを受けさせる」
金の口から放たれた言葉は、心臓が突き刺されそうなほどの殺気を含んでいた。
「アスモはスウェンガル様の協力者だ。それを害したということは、王家に仇なすも同義。絶対に……いや、何でもない。俺は騎士として、王太子の裁量に従うだけだ」
鉄壁で潔癖な騎士、ユランデータは殺気を抑えて取り繕うことに必死だったが、怨嗟が隠しきれていない。騎士の中の騎士という評判通りの奴だが、アスモを殺された衝撃はさすがに処理しきれていないようだ。
でも、オレはそれでいいと思う。こんな状況でもいつも通り不遜な態度を取られたら、オレの方がドン引きする。親しい人が殺されたんだ、本当はもっと取り乱していいんだぜ。
「私は許せないよ……アスモは何も悪いことをしていないじゃないか」
タラタネラは歯を食いしばりながら、うなるようにしゃべった。
「アスモが無実なことは、私たちがよく知っている。こんな目に合う道理なんてどこにもないのに、それを罪と裁くことができないなんておかしいよ」
「……」
普段のユランなら正論を盾に黙らせているところだろうが、何も言わなかった。リカオンの目周辺の毛皮は乱れていて、泣きはらしたのがわかる。きっとオレが来る前に、相当取り乱していたはずだ。
そんな友人の視線を受けても、金の犬は奥歯を噛み締めるだけだった。胸中で行われている正論と感情の拮抗を制御できていねえんだろうな。
「なら、私が力を貸そう」
そこに進み出たイーラガッタは悠然と頷いて、二人の沈鬱とした顔を照らす。
「神殿は独立勢力で、王宮の意向をある程度は無視できる。さらに私は神殿を治める聖獣であり、王家でさえ私には逆らえない。悪魔の死を調査するために君らの力が必要だと訴えれば、無碍にはできないよ」
「だがいいのか、神殿こそ悪魔を敵とみなしているはずだが」
「アスモにはこの手で祝福を与えた。害されたとなれば、私も無関係ではない。それに……私個人としてもアスモには借りがあるし、友人の息子という理由もある。クラリナとアマネには良い報告をしたいからね」
アスモは魔界に下った聖獣を両親に持っている。だからこそ、悪魔でありながら善良に育ったわけだ。もっとも、本人はそのせいで魔界になじめなくて大変だったみたいだがな。
赤い龍はなだめるような優しい声音で言葉を続ける。聞いてるだけで落ち着ける声は、長い年月を経て培われた人徳のようなものだ。
「だから、決して早まってはいけないよ。犯人はしっかりと司法に裁かせる。神殿長の名に懸けて約束しよう」
「……わかった。だそうだぞ、タラタネラ。これで犯人の首を落さなくてもよくなるな」
「本当にね。だけど私は正直、抑えられる気がしないよ」
「その時は殴ってでも止める。お前に人を殺させるわけにはいかんからな」
「自分はいいんだ」
「俺は別に失うものなど何もないしな」
「笑えないって……」
「そうか……」
「え、本当に冗談のつもりだったの?!」
相変わらず冗談が壊滅的すぎる。これで場が和むわけねえだろ。
でも、嫡男としての地位を失ったユラン渾身の自虐ネタはタラタネラの意表を突くことはできたようだ。リカオンの肩から明らかに力が抜けた。
「はあ……アスモがいてくれたら正直につっこんでくれたのに。犯人にはユランの冗談を全部引き受けてもらわないとね」
「人の冗談を刑罰みたいに言うな」
「でもまあ、おかげで私は落ち着いたけどね。今すべきことは悔やむことじゃない。犯人を見つけることだよ」
「わかっているならいい。俺の家でこんなことをしでかして、絶対に許さんからな。殺す」
「君の口癖だってわかっているけど、今はあまりに不適当だよねえ……」
さすがに騎士として働いているだけあって、立ち直りが早い。傭兵でもそうだが、人の死ってのは案外身近だもんな。
イーラガッタは平常時のように会話する二人を微笑ましい目で見つめている。人の死に触れた回数ならこいつが圧倒的に一番だろうし、こういう時は頼りになるな。
「それでも、悲しいことに変わりはないけどね。あの子がいれば魔界は変わっただろうに。私ももっと話したかったよ」
魔界に戻った時はマスター二人の魂を引き連れているだけじゃなく、この聖獣も死後アスモのものになるんだ。そう考えれば、あの善良な悪魔は今でも十分魔界を変えるだけの戦力を有していると言えるよな。
「殺された動機もそこにあるかもしれん」ユランが憎々しげに。「前の騒動でアスモは魔王と敵対の立場を表明した。そんな悪魔が力を持つことは、魔界にいる魔王に従う悪魔たちにとって邪魔でしかない」
「そうだね」タラタネラも頷いて。「しかも魔界に戻ったら聖獣の庇護下になって、うかつに手を出せない。殺すとするなら、確かに今が一番だった」
「魔王がいない今、魔界で聖獣を敵に回すのは愚かだろうしな。……くそ、そこまで考えていなかった俺の落ち度だ」
「それを言うなら私もだよ。もっと気を使うべきだった……」
二人の言いたいことはわかるが、アスモだって弱いわけじゃない。完全後衛型ではあるが、魔法の腕は悪魔の中でも上位だし、聖獣からの加護ももらっている。そんな簡単にやられるとは思えねえんだよな。
なんて考えを口にすると、隣の聖獣が同意してくれた。
「そうだね。私の祝福は肉体も強くしてくれる。それにアスモなら、祝福を組み込んだ魔法を使うのは造作もないはずだ。そこらの悪魔に後れを取るとは考えにくい」
「だったら不意を打たれたんだろう」
全員が同じことを考えていたから、ユランの言葉に反論は上がらなかった。
「現場が俺の家ということもあって、アスモは油断していたはずだ。そして、荒れた形跡がないことから、抵抗はなし。そのことから犯行は顔見知り、もしくはそいつに化けた誰かが行った可能性が高い」
「実際に以前悪魔がスウェンガル様に魔法で変装していた時、アスモは気付かなかったからね。それなら不意を打てると思うよ」
「だがここには結界が張ってあり、悪魔は入ってこれない。破られたらアスモが絶対に気付いているはずだ。以前魔王に裏をかかれたのも、小さな隙間を空けられただけで人が出入りできる大きさではなかった。が、そういう可能性はあるか?」
「いや、低いだろうね」意見を求められた聖獣が首を横に振った。「同じ過ちを繰り返すほど我らは愚かではないよ。私とアスモはあの時の反省を生かして、結界を強化している。悪魔の出入りはもちろん、小さな隙間を空けられても対処できるよう二重構造にしてある。結界の精査はまだだから断言はできないけど、可能性は低いはずだよ」
つまり、犯人は人ということになる。でも悪魔って人をたぶらかすのが得意だから、関係がないとも言えねえんだよな。アスモが例外すぎて忘れそうになるけど、本来の悪魔ってそういう存在だ。
アスモの状況を整理していって、次にユランが指さしたのは血だまりに落ちていた短剣だった。
「イーラガッタから見て、これは何か魔道具かどうかわかるか?」
「ああ、もちろん。禍々しい気配がここまで伝わってきているよ。おそらくは呪いの短剣だろうね。悪魔を殺すにはうってつけだ」
イーラガッタによれば、悪魔は普通に殺しても死なない場合が多い。そもそも悪魔の体は作られた物だから魂さえあれば復活が可能らしい。オレの体もアスモに作ってもらったもんだしな。人を模して造られたから悪魔ほど高性能じゃねえけど。
アスモだって自分が殺された場合を考えて、予備の体とか魂の移動とか準備してるに決まってる。あいつは意外と抜け目ないし、魂を聖獣の両親に飛ばせば復活が確約されるしな。
だから本当に殺そうと思ったなら、こういう魔法がこもった道具を使うしかないってわけだ。
「どういう効果があるのかは?」
「さすがにそこまでは。調べてみないことにはね。君が許してくれるなら、一度神殿に持ち帰りたいのだけど、構わないかな?」
「ああ、構わん。これは犯罪ではないのだから、証拠品が押収されることはない。だから誰にも文句は言わせん」
いつもなら魔法に関してはアスモがなんでも教えてくれた。あいつはひょうきんな割に頭がよかったし、魂研究に関しては魔界でも随一らしい。
家にある研究室にアスモがいた時、質問したらなんでも楽しそうに応えてくれたことを思いだした。強引に分離したオレの魂の経過観察もしてくれていたし、本当に殺されるような悪いことなんて何もしてねえんだよなあ。あくまで人基準でって意味ではあるけどさ。
「一応確認したいのだけど……」
ユランたちが短剣について話している間、アスモを調べていたタラタネラが低くしゃべりだした。遺体をオーラで持ち上げて見聞しているが、その痛ましさは見ているこっちの気が滅入ってくる。
「イーラガッタはここに来る途中で、クラリナさんに連絡したんだよね。アスモの魂が戻ってたりはしてたかい……?」
「いや……あいつによれば死んだことはわかったが、いつまで待っても魂はこなかったそうだ。だから二人からもアスモの魂を見つけてほしいと頼まれている」
「そうか……そうだよね、もし魂が無事だったらアスモが戻ってきてるはずだしね。悪魔を殺そうとしたんだ、それくらいは準備してるに決まってるか」
戻ってこれたなら、怖かったとか言いながらタラタネラに抱き着いてる姿が容易に想像できる。それがないって時点で、復活できてねえんだろうな。
「軽く検死をしてみたけど、傷は胸に刺し傷があるくらいで、この大きさならその短剣と形は合うだろうね。だからそれが凶器で間違いはないかな。でもアスモは後衛型とはいえれっきとした悪魔だ。そんな小さな短剣で刺したくらいで死ぬなんて、絶対何かあるね」
「そうだな。問題はどうしてこれを置いていったのか、だ」
「こんな珍しいもの、出所を探られたくはないはずだろうにね。となれば、犯人にとって予想外の出来事が起こったってことか」
「もしくは、刺したはいいが抜けなくて逃げた後、アスモが自分で抜いたか」
「そればかりはわからないね。でも、短剣から調査するのはありだと思う」
オレも一通りぐるっと倉庫を回ってみたが、血だまり以外はこれといって目に付いたところはなかった。暴れた跡もねえし、本当に油断したところを刺されたみてえだな。
ただ、血痕は部屋の隅から続いている。おそらく壁際で刺されて、力を振り絞って出ようとしたんだろう。
冷静になってみれば、ユランもタラタネラもズボンの膝下が赤く汚れているのがわかった。きっとアスモを見つけた時に膝をついたからだろうな。実際、倉庫の床には二人のものと思われる血の足跡がある。けどこれは足の大きさから確定してるから、不審なことじゃねえ。むしろ、痛ましさが増すだけだ。
二人が死体を見つけた時、どんな気持ちだったんだろうな。
「はあ……いったいアスモはいつ死んだんだ?」
「そうだね」イーラガッタが同調して。「二人がアスモを見つけた時の事、詳しく教えてくれるかい?」
「いいだろう、俺はその日――――」
****
「また今日も物件探しー? タラタネラかイーラガッタの家でいいじゃん」
おれは出ていこうとするユランを玄関で押しとどめていた。
いつも通り鋭い視線が来るけど、予想してたことだ。馬車を呼ぼうとする口を抑えつけたら、勢いよくはたかれた。仲がいいとはいえ、遠慮って必要だと思うな!
休みも毎日外に出てるの体に悪いよ、疲れるから止めた方がいいって。
絶対今日も行くと思って、ユランに家に来てよかった。お昼まで鍛錬してからシャワーを浴びてすぐ出ていくって、体力化け物すぎでしょ。
「悪いだろう。それに神殿長と近衛騎士団長の家なんて、めんどくさいことに巻き込まれること請け合いだ。俺は政治に関わりたくはない」
「はあ、頑固だよねえ。だったらもう新しく建てちゃえばいいのに。お金はあるんだしさ……」
「金の無駄だ。俺はつつましく暮らせるだけの場所があればいい」
「歴代最高の騎士団長がぼろ屋に住んでるって風聞悪くないかなあ」
「そんなことどうでもいい」
「だよねえ……」
うーん、意思が固い。知ってはいたけど、こうなったユランの意思は曲がらない。
「せっかくお休みなんだよ。おれを抱き枕にしたりとか、おれとエッチしたりとか、おれとデートするとかした方が人生有意義だよ」
「殺すぞ。有意義のゆの字もない」
「心外ーーーーっ!」
最近のユランはいつもより気が立っている。こっそりお屋敷内で聞き耳を立てたところ、カラレスとの関係悪化がどんどん表在化してるらしい。
まあそりゃ最高の騎士にして聖獣からの祝福も得たユランを差し置いて、男爵家から跡取りをもらうって暴挙に出たわけだからね。家の繁栄を考えたら、あり得ない選択肢だ。
悪魔憑きという名分を盾にしても、おれはスウェンガルとイーラガッタお墨付きの優良悪魔だ。功績を考えれば嫡男から外すなんて、狂ったとしか言いようがない。
おれが知ってる限りカラレスという人は保守的で、悪く言えば小心者だ。騎士団長時代には自分より才能ある者を蹴落としていた性根でも民からの評判は良かったことを考えると、体裁は取り繕う方だと思っている。
なのにこんなことをしでかした。カラレスがいくらユランを嫌っているとはいえ、オリーブ家にメリットがなさすぎるんだよねえ。貴族って家の繁栄が第一だと思ってたんだけど、違うのかな。
「おっと、どうやら間に合ったようだね」
考えごとをしていたおれの耳に届く、温和な声。誰のものか一発でわかったので、空中でふわりと回転してそっちに目をやった。
「タラタネラー、あとちょっとでユランが出ていくところだったよ」
「お前、確か今日は仕事があっただろう」
私服すがたの薄手のシャツを着たリカオンを見て、ユランは眉をひそめた。勝手に入ってきたことよりも、その方が気になるらしい。まあおれらはもうここの一員みたいなものだしね。ユランからも衛兵たちに素通りさせるよう通達してもらっている。
「アスモから今日は休みを合わせてほしいって頼まれていたからね。スウェンガル様にお願いして早く切り上げてきたんだよ」
「なんだってそんなことを……」
「ふふ、わからないなんて言わせないよ」
ばつの悪そうな顔で顔をそむけたユランは、余計なことをと言わんばかりだ。たれ耳に金の毛皮は温和な可愛さを表現するにはうってつけなのに、いつも表情のせいで怖いんだよ。
タラタネラを呼んだのはユランに少しでも楽しい休日を過ごしてもらうためだ。最近ユランの家は息が詰まりそうな雰囲気に満ちていて、ちっとも気が休まらない。こんなところはさっさと出た方がいいとおれも思うけど、だからって働きすぎは体にも心にも悪すぎる。
「久しぶりに模擬戦でもしようよ。体を動かせば少しはすっきりするよ」
「そうだな……せっかく来たんだ、相手になってくれ」
「ここでするかい? それともイーラガッタの家でもいいけど」
「毎度毎度押し掛けては迷惑だろう。俺の家でいい」
「君は私たちがここに来る分には何も言わないのに」
「俺はいいんだ。お前らの友人だからな」
「あっちもそう思ってくれてるよ」
「……ふん」
人に迷惑をかけることを好まないユランらしいけど、イーラガッタもジギタリスも待ってくれてると思うよ。特に事情を知ってるのはおれらくらいだし、ジギタリスからしても二人に特訓してもらえるのはありがたいはずなのにね。
本当、変なところで頑固なんだから。
でもこれも計画通り。ユランの動きくらいは読めているよ。
ユランには家にいてもらわないといけない。おれのお節介のために。
「ふふ、素直じゃないよね。じゃあ君の家の練習場をお借りしようかな。久しぶりに本気でやろうよ。今度はベルゼにも負けられないからね」
「次は俺がやる。あのレベルの手合いと戦えるのは中々ないからな」
「本当にね。いい経験になったよ。今なら私がユランに勝ち越すかもね」
「言ってろ。悪魔を切った回数なら俺の方が上だ」
「ああ、そういえば今日の鍛錬はしたのかい? だったらハンデくらいあげるけど?」
「お前、わざと挑発しているだろう。そんなことしなくても本気でやってやるとも」
「ならよかった。君の鬱憤は私が全部受け止めるから、遠慮しないでくれ」
オリーブ家の練習場はユランが使っても大丈夫なようにできているから、戦うにはもってこいだね。……まあそれでも壊れるんだろうけど。
だけど今回はユランのストレス発散のために本気でやってほしいっておれが頼んだんだ。終わったら魔法で修復くらいはするよ。
「アスモ」ユランがおれを見て。「見学するのなら茶菓子の用意をさせるが、何がいい。タラタネラと模擬戦なんかすれば、どうせすぐには終わらん」
「あ、おれは大丈夫。ちょっと用事があるから」
「なんだお前、人を焚きつけといて」
「ごめんごめん、でも終わる頃には戻ってくるからさ。そしたら夜は三人でやろうね。ユランにはおれらが付いてるんだってこと、嫌って程教えてあげるよ」
「……勝手にしろ」
呆れたようなため息が来たけど、拒否しなかったってことはいいんだ。駄目ならばっさり切るからね。
多分ユランにもおれの真心が伝わったんだ。そう思うと嬉しい。
おれはふわりと浮かび上がって、鉄板みたいな体を抱きしめる。最近は拒否も弱まってきたし、ユランも慣れてきてるんだね。
「はあ、このままだと公衆の面前でキスでもしそうだな」
「嫌いじゃないくせに」
「首を落されるのと口を縫われるの、どっちがいい?」
「照れ隠しが怖すぎるってさあ!」
殺気が濃すぎてすぐさまぴゅいっと離れるしかなかった。本能が逃げろってうるさいんだよ。
「まあとにかく、おれは野暮用で席を外すけど、楽しんできてね!」
にこやかに二人を送り出して、おれは旋回する。驚かせたくてタラタネラにも秘密にしてるんだ。ばれないよう、慎重にしないとね。
ユラン、喜んでくれればいいけど。
****
「それで……模擬戦も終わってシャワーを浴びた後もアスモが帰ってこなかった」
「ユランの部屋で待ってたけどさすがに遅いなと思ってたところに、メイドの一人から倉庫でアスモを見つけたって報告が入ったんだ。もう晩御飯に近かったから、食事をどうするか話してた時だね」
「そうして、アスモが……死んでいるのを見つけ、お前らを呼んだわけだ」
つまり、アスモがやってきたのは昼過ぎで、死体を発見したのが夜ってわけか。
「そうなるな。見つけたのは大体六時に近かった」
「私たちがアスモと別れたのは一時くらいだったかな」
「ストレス発散とはいえ、やりすぎたな。もう少し早く切り上げてもよかった」
「言っても詮無い事だとはわかってるけどね。一応、終わったのは五時だよ」
ってことはこいつら四時間近くも戦ってたのかよ。よくやるぜ。
「ずっと戦ってたわけじゃなくて、鍛錬に付き合ったりもしてたよ」
「俺についてこれるのはこいつくらいだからな。久しぶりに本気でやった」
……なんか、すっげえ嫌な感覚がある。記憶を失う前のオレはユランに訓練してもらってたらしいし、その時の残滓だろうな。ぜってえいい記憶じゃねえ。
それはさておいて、こいつらの話をまとめると、アスモには何か予定があったみたいだ。今回の事件に関係してそうだな。
「だけど私もユランも、それが何なのかは聞いてないんだ」
「逆にお前らは知らないのか?」
「オレはさっぱり。そもそも今日お前らが会っていたことすら知らなかったんだ」
「……私は見当がついているよ」
全員の視線を背中に受けながら、イーラガッタは血痕をたどって壁に近づいた。それから何もない空間を撫でるような仕草を繰り返している。掌がほのかに光っていることから魔法を使っているのだろうけど、いったい何なんだ。
「ああ、やっぱり。ここにつなげたんだね」
「なんの話だ」
「アスモが用意した、君へのプレゼントだよ」
その言葉と共に、倉庫の壁に扉が急に現れた。綺麗に装飾されていて、場所が良ければ貴族の家にあってもおかしくないくらいだ。いったいなんだこれ。
「付いておいで」
予想外のことにオレらが目をしばたいている間に、イーラガッタは扉を開けて中へ入っていってしまった。
慌てて追いかけると、そこは綺麗な部屋があった。イーラガッタやユランの屋敷とはまた違う、質素ながらも品のいい空間が広がっている。どうやらここは小さなホールになっていて、周りにいくつもの扉が並んでいた。
「……見てごらん」
赤い指が示したのは扉まで続く血痕。清潔な部屋に似つかわしくない赤い血だまりが床にあり、そこからユラン邸の倉庫に向かって足跡のようにつながっていた。
現場は倉庫だと思っていたが違った。アスモはここで刺されたんだ。
「ここはなんだ」
ユランの声はわずかに震えていた。さっきのイーラガッタの言葉から大体把握できているくせに、それでも確かめたくてたまらないようだ。
「アスモから頼まれてね、ユランのために小さな家を作りたいと」
「お前ら二人で作ったのか……?」
「正確に言えば、私らは魔法を使っただけだね。もともとあった小さな家を、山奥まで飛ばしたんだ」
アスモもイーラガッタも魔法の達人だ。空間転移もこなせる二人にとって、小さな家を飛ばすくらい大したことはないのだろう。いやそれでもやべえけど。
「私たち二人ならこの程度は簡単だよ。それから少し手を加えて、空間転移の間を作ったんだ。君の家だけじゃない、タラタネラや私の家ともつながっている。いつも君が寂しくならないようにしたいと、アスモは言っていた」
「そうか」
短い言葉だったが、そこに込められた悲痛な色は全員に伝わったに違いない。
歩く姿も緩慢で、普段の毅然とした態度はどこにもなかった。
「それに、時間が来れば魔法で掃除してくれる自動洗浄や認めた人以外通さない結界、あとは私たちの家の厨房とつなげて料理を配膳するなど、できる限りの備えはさせてもらったよ」
「そこらの豪邸よりずっと多機能だな、それもアスモが?」
「君ならメイドも雇わないだろうし、食事も王宮の食堂だけで済ませるに決まってるからと」
「……あいつは俺の母親か何かか」
「ふふ」聞いていたタラタネラが思わず吹き出して。「日頃の行いだよ。ユランはあまりメイドを部屋に入れないからね」
「あの阿呆にどんなことをされるかわからんから、気を付けていただけだ。……まあ引っ越したからといって、雇う気はあまりなかったがな。身の回りのことくらい自分でできる。これでも遠征などである程度は鍛えられているんだぞ」
憮然としたユランがホールから奥に進むと、イーラガッタが指を振って明かりを灯す。瞬時に煌びやかになったそこは玄関ホールだ。そこから扉がいくつか並んでいて、吹き抜けになった二階にも部屋があるのがわかる。
小さな家とは言ったが、傭兵やってた頃のオレの家よりも断然でけえよ。そういや、イーラガッタは当然として、アスモも聖獣に育てられたってことは相当な箱入りだもんな。オレと価値観が合うわけねえわ。
「なんか……思ったより大きいね」
平民のタラタネラはオレと同じ感想を抱いたみてえで、ちょっと苦笑してる。
「一般的な家よりかは大きいだろうが、ユランは伯爵家の出身だし何よりこの国の騎士団長だ。ある程度の生活水準は必要だと思ってね。それに、どうせみんな泊りにくるんだから大きいほうがいい、とアスモが言っていたよ」
「それはわからなくもないけど……無粋だとは思うが、プレゼントにしては結構高価だね」
「ああ、これは元々クラリナが所有していた別荘だよ。ただ最近は使っていないから、初めての契約祝いにアスモがもらったんだ。初めての召喚でマスター二人に聖獣なんて、類を見ないからね。クラリナも奮発したそうだよ」
「飛ばしたって……魔界からってことかい?!」
思ったより規模がでかかった……。んでやっぱりアスモも箱入りだったわ。両親が魔界学園の学長だし、地位もあるんだろうな。
「ふん……あいつのことだ、ここに居ついていたに決まってる」
ユランはそれっきり黙って、残された血だまりに視線を移す。生きていたら、という言葉を飲み込んだように見えた。
「ああ、ここは私の部屋につながっているんだね」
タラタネラが自分の名前が書かれた扉を開ければ、そこには整理された部屋が広がっている。タラタネラらしい、真面目な部屋だ。
「じゃあなんでユランのところは倉庫とつなげたんだろう。ああいや、そもそもここはユランが暮らす予定なんだから、つなげる意味もないだろうに」
「あの子は……もしかしたら仲直りするかもしれないからと」
「ああ……アスモなら言いそうだね」
「ふん、それで殺されていれば世話ないな。まったく……」
字面だけ見れば死者に鞭打つような発言だが、苦々しい顔で言われてはたしなめるのも憚られた。言葉とは裏腹に、ユランは心底アスモの死を悼んでいる。そんなことくらい、オレだってわかる。
「ちょうどあいつの死体をどうするのかタラタネラと話していたところだ。あの家に置いておけるわけはないし、ここに墓でも作るか」
「そうだね。それがいいよ」
ユランはあくまで冷静な語り口で、血の跡を目で追っている。この小さなホールから扉をくぐって、ユランの家へとつながっているアスモの軌跡。それは当時何があったのか推察する材料だ。
「アスモはここで刺され、扉を通って倉庫に移動した。俺らが来た時には扉はなかったが、時間で消えるのか?」
「ああ、ドアを閉じれば勝手にね。顕現させるには私たちで作った鍵をかざせばいい。おそらく、アスモが持っているはずだよ」
「ということは、だ」
金の犬は顎下に手を置いて、少し試案してから。
「刺されたアスモはうちの倉庫に来て、扉を閉めた」
「考えられるとしたら、私とユランがいるから助けを求めに来たのかな」
「だが力尽きて倒れ、拍子に短剣が抜け落ちて転がった」
「今のところ、それが妥当だね。つまり犯人はこの家に来ることができた人物……いや、悪魔かも。ユランの家が現場じゃないんだったら、その可能性はあるんだけど……」
そう言いながらタラタネラが目線を送ったのはイーラガッタだ。結界など防犯について確認したいんだろうな。
「この家への出入りできるのは私らの作った鍵を持つ者だけだよ。今はジギタリスと君らのため、三つしか作っていないはず。私とアスモは自分で入れるからね。それ以外は、どんな人であれ入れないはずだ」
「なら、確認すべきはアスモがいくつ鍵を持っているか、だね」
「どうせアスモをこっちに持ってくる必要がある。いつまでもあんな場所に放置できん」
「そうだね。現場検証も終わったし、せめてベッドに寝かせてあげようか。血も拭いてあげないといけないし、短剣も回収しないと……」
現場検証は大体終わったんだ、そろそろアスモを綺麗にしてやらないとな。
強がりだとわかる笑顔を浮かべたタラタネラの後についていき、ユランの家の倉庫に戻る。
だが、そこにはアスモの他に、当主であるカラレスとその養子ニトグリンがいた。他にも兵が何人かいて、アスモの死体をどこかに運び出そうとしているようだった。
「待てっ!」
オレでさえ一瞬驚くほどの気迫で、ユランが吠える。やつらは突然現れたオレらに瞠目したが、すぐさまカラレスが侮蔑の表情を浮かべながら前に進み出た。
世間一般では巨躯に分類されるだろうが、ユランよりかは目線が下だ。それでも負けじと睨めあげる根性はさすが元騎士団長か。
「貴様、何をするつもりだ?」
「何、とは野暮なことを聞く。ゴミを片付けようとしていただけだが。ここは私の屋敷、綺麗にするのは私の仕事だろう?」
「ゴミ、だと……!」
うお、すっげえ殺気……。金色のオーラを纏って殺気を放たれると、威圧感がえげつないほど高まっている。並みの兵なら腰を抜かすだろ。
現に倉庫から兵らが蜘蛛の子を散らすように逃げてったからな。ニトグリンも入り口で呆然と突っ立てるだけだ。
「アスモはスウェンガル様にも認められた悪魔だ。それを無下に扱うことがどれほど愚かなのか、少し考えればわかるだろうが」
「だが、悪魔は悪魔だ。この国には、悪魔に対する葬儀もなければ墓もない。それを私が善意で燃やしてやろうというんだ、感謝してほしいくらいだな」
「ゴミのようにか……?」
ユランの殺気は治まることを知らず、倉庫どころか屋敷中の生き物を震え上がらせるほどに膨らんでいる。奥歯を噛み締めて睨む表情は、オレが今まで見たこともないほど怒り狂っていた。
こいつは鉄壁で潔癖な騎士と呼ばれる通り、私情をほとんど表に出さない。不機嫌面が標準とはいえ、常に模範であることを意識している。
だが、今のユランは違う。すぐにカラレスの首を切り落としてしまいそうなほどの本気があった。
「俺を嫡男から除外するのはまだ許せた。阿呆な行いだとは思うが、どうせ俺には関係なくなる話だからだ。だが、俺は昔言ったはずだ、カラレス」
「き、貴様、仮にも当主であり父である私に向かって……」
「タラタネラのことを平民上がりの汚らわしい存在だとなじった時にも、俺は伝えたはずだ。俺が認めた友人に無礼を働くことがあれば、断じて許さないと。すぐさま切られて捨てられる覚悟を持てとな」
例え剣がなくとも、ユランならオーラだけで人を殺せる。いくらカラレスが父とはいえ、あいつほど強いわけはないだろうしな。
それにしてもえげつねえな。オーラと殺気の密度が常人を凌駕してる。おかげで人の形がぼやけて修羅みてえな見た目になってやがる。記憶がなくてもわかる、こりゃ相対した瞬間にオレなら死ぬね。
「忘れているようだから、思い出させてやってもいい。今この場で」
体の芯まで冷えるような鋭い視線に、逆らう気を根こそぎへし折る強者の気配。そんなのを真正面から叩きつけられれば、いくら元騎士団長といえども受け止められねえ。
一歩、自然と下がった足が格付けの証拠だ。生存本能ともいえるだろうが、それを責められる奴はこの場にいねえ……ああいや、タラタネラとイーラガッタ以外だな。
「あ、あんな悪魔を友人だと……オリーブ家の恥さらしめ! だからお前なんぞに、家を継がせられんのだ!」
「知ったことか。アスモは貴様よりまっとうで善良だ。俺が認める友人に、それ以上の無礼は許さんぞ」
普段はそっけないユランだが、アスモのことを好いている。そんなの、少し付き合えば誰だってわかることだ。じゃなきゃ、悪魔になって一緒にいるなんてやらねえよ。この鉄壁で潔癖な騎士様がさ。
「ふん、そんなゴミ好きにするといい。私は忙しい。勝手にしろ」
捨て台詞を吐く余裕があるのはさすがか。ユランと暮らして慣れただけかもしれないが。
カラレスの撤退と共に兵たちも脱兎のごとくいなくなり、ニトグリンだけが取り残された。ハスキーの青年はカラレスの背中とオレらに視線を交互に何度か移した後、ぐっと力んでこちらを振り向いた。
「あの……アスモさんは……」
「おい」
修羅が底冷えするような声で問う。
「そこに落ちていた短剣はどうした?」
言われた気付いたが、確かに凶器と思われるあの禍々しい短剣がねえ。イーラガッタに解析してもらわねえと、アスモの死因がわからねえぞ。
「え、あ、あの……それは……」
「カラレスが持って行ったのか?」
「そ、れは……」
「どうなんだ?」
「……」
ニトグリンは真っ青な顔してガタガタ震え、今にも卒倒しそうだ。こんな濃密な殺気、傭兵やってたオレでさえ苦しいもんな。
やばいな、殺気に当てられて過呼吸になりかけてやがる。さすがにここらが止め時か。
んで、そう思ったのは当然オレだけじゃねえ。タラタネラが二人の間に入って、そのでけえおっぱいで中和しようとした。もちろん、本人にそんなつもりはねえだろうけど。
「ユラン、やりすぎだよ。大丈夫かい?」
「……っはあ! はあはあっ……はい、なんとか」
「ならよかった。でも、あの短剣は本当に大事な証拠なんだ。どこに行ったか教えてほしい」
「それは……先ほど、カラレス様が……」
「そうか」抑えたとはいえユランの声は低い。「隠ぺいを図ったか。どうやら頭蓋をかち割られたいようだ」
「あ、あれは……!」
絞りだすように言葉を放つニトグリンは小さく叫んだ。怖いだろうに顔を上げて、今にも泣き崩れる寸前の顔で二人を見ていた。
それほど言いたいことがあるのだろう、オレらはじっと耳を澄まして、この健気なハスキーが嗚咽交じりにしゃべり出すのを待つ。
「魂を封じ込める、短剣で……それで、悪魔を殺せば、魂は囚われたままで、もう復活しないと……」
「詳しく聞かせろ」
「僕が……悪いんです、僕が、なんで、そんなこと……でも、あ、あの時……僕は確かに……」
ニトグリンの目からは大粒の涙がいくつもこぼれ、合間合間に謝罪が漏れる。
泣きじゃくる顔は今にも壊れそうで、立派な体が幼く見えた。今まで溜めていたものを吐き出すかのように、嗚咽が鳴り響く。
「ごめんなさい、僕が、僕がやりました……」
そして、ハスキーの青年はにじんだ声で告白する。
「僕が、アスモさんを刺しました……!」
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