「まさかヴィラン組織に履歴書持ってくるような奴がいるとはな……」
げんなりとつぶやいて、牛は目の前で座っているヤギの男を見やる。だが、当の本人は真面目そうな顔で身じろぎひとつせず、声がかけられるのを待っているようだった。
着込んだビジネススーツには多少のしわがあり、ここまでの道中が孕んでいた苦難を物語っている。しかしその佇まいは堂に入ったものであり、散らかったビルの一室には場違いなほどだ。ここは一般社会の面接会場じゃねえんだぞと、牛は吐き捨てそうになるのを何とか抑えた。
ヒーローの対とされるヴィランが運営するアングラ組織、ヤギはここに拾われたのだ。
「来て早々パソコンを貸してほしいって言うから何かと思えば……」
「申し訳ありません。なにぶんヴィラン組織に就職するのは初めてだったので、何を持ってくればいいのかわからず……」
「だからって履歴書はねえだろ。俺が拾った時点でお前はうちの組員で、就職は決まったようなもんだってのに。そもそもうちは流れ者の最終地点みてえなところだし、就職って単語が使えるほどお堅い組織じゃねえ」
「存じております。御社のことについては、書くついでにきちんと調べてまいりました」
「だから面接じゃねえっての! あと存じてるとかさらっと失礼だろうがよぉ!」
「……すみません」
そこでようやくヤギは言葉を少しだけ崩して、顔を伏せる。その表情には悲しみがなみなみと湛えられていた。
「なにせ、本当にあっという間でしたから……ちょっと、まだ整理がついていなくて……ヴィラン組織についても、どうしたものかと……」
「あーまあ、そうだよな。この間まで普通に暮らしてたのに、いきなりヴィラン呼ばわりだもんな。でもほっといたらヒーローどもに逮捕されてただろうし、唐突な誘拐は許してくれよ」
「わかってます、カサブランカさんのおかげで、捕まらずにすんだんです。感謝してます。でも、申し訳ないのですが、いきなりヴィランとして活動するのはちょっと、難しいかもしれません」
「そりゃそうだ、いきなり悪役ができるなら、そもそも普通に暮らしてねえ。お前にそこまで求めてねえよ」
カサブランカと呼ばれた巨体の牛は、手を振って気にするなと笑った。ヤギと比べてラフすぎる格好であり、緩いタンクトップの開放的な空間からたくましい肢体が覗いている。褐色の毛皮を膨らませる胸筋の谷間には、うっすらと赤い毛が生えていた。
太い眉にラウンド状の髭も赤く、そこに金の鼻輪がぎらぎらと輝いている。町で出会ったら思わず道を譲るだろうとは、ヤギの第一印象だった。
「では、研修なんかも……?」
「悪いがんなもんねえからな。これから体で覚えてもらう。お前はもう、俺ら『バスケット』の一員だ」
「あの、どうして私を助けたのですか? 私は見ての通り、まともに戦えませんけど……」
「戦う必要はねえだろ。お前はそこにいるだけで、人を狂わせるんだから」
事実を突きつけられ、ヤギは言葉を失った。実際その通りであり、だからこそ彼はヴィランに認定されたのだから。
駄目押しかのようにカサブランカがテレビを点けると、そこにはヤギが聞きたくないニュースが流れていた。
「派手にやったよなあ。ヒーロー支部真昼の大乱交。犯人はどこへ……そんな強大な能力を持ってて、よく今まで普通に生きてこれたよな」
「自分も能力がこんなに強くなっているとは思いませんでした……今でも抑えるのに一苦労で……外に出る時は金玉が空になるまで抜いてれば、こんなことにはならなかったはずです。この能力は私の性欲に呼応するので……」
「あー……たまにあるんだよな、時間がたつと能力が急に成長するパターン。そういう時は制御が難しくて、お前みたいに大体暴走する。まあ、訓練してけばいつかは慣れるだろ。俺はそういうの得意だから、何でも聞いてくれよ」
「助かります……」
「おっ、ヒーロー本部は犯人のコードネームを『カルセド』として指名手配か……ちょうどいい、お前もヴィランネームが必要だったしこれにしとけ」
牛は渡された履歴書をテーブルに放り投げてニヤリと笑う。もう逃げられないぞと圧を感じて、カルセドと名付けられたヤギは目を伏せた。
「俺らは表社会では生きられない。だから本名なんて捨てちまえ。これからお前のことはカルセドと呼ぶからな」
「わかりました……」
名前を捨てさせるということは社会とのつながりを切ることに他ならない。この時をもって、カルセドは社会からはじかれたのだ。ヴィランになった男は胸中にくすぶる不安を持て余し、瞳孔を揺らしながらスーツの裾を握った。
だが対面の牛は飄々としたもので、足を組んでぶしつけな視線を注いでくる。救ってはくれたがあの牛はヴィラン、反社会的な存在だ。何をされるのかわからず、ヤギは思わず身構えてしまった。
「んで、これはただの確認なんだが、改めてお前の能力を教えてくれ。これから仲間になるんだからな、隠し事はなしだぜ」
「わかってます……そもそも、私の能力は隠し切れませんから。だからこんなことになったので……」
この世界に存在する物理法則から解放された個人技能、それが能力だ。生まれ持った才能とも言い換えることができるが、ヤギにとってそれは呪いに近い。おかげでヴィランに身をやつしたのだから。
「私の能力『繁栄の停滞』は簡単に言えばラッキースケベを引き起こす能力です。私の意思に関わらず、エッチなイベントが起きます」
「分類とランクは?」
「分類は概念干渉系、ランクは……あの事件で危険特級、社会悪(パブリックエネミー)になりました……」
「概念干渉の危険特級……本質的には因果律操作ってところか。そんだけ強かったらなんでもできるだろうな。エロに関しては。支部のヒーローどもをホモにして乱交させるくらいだ、因果律もびっくりだろうよ」
「……」
反論の言葉もなく、ヤギは口を噛んで顔を伏せる。自分の油断が招いたことであり、批判を受け止める覚悟はできていた。
能力のランクは五から一、そして最上とされる特級がある。そして、被害を大きくできるものや扱いが難しいものなどには接頭語として危険が付く。危険特級とは、世界の中でも最高に危ない能力にしか与えられないのだ。
前まではまだ二級くらいで済んでいたのだが、今回の事件で危険性の見直しがされてしまった。
既婚者やノンケも多数いたはずなのだが、すべからくホモにし、常識を無視させるのだ。そんな能力が制御できないとなれば、この評価も妥当だと本人も理解している。
「や、やっぱり今からでも自首した方が……」
「その場合、お前は能力を封印されてあれやこれやと実験されるだろうなあ。なにせ因果律操作とかいう希少性に加えて、危険特級というバケモンだ。去勢されて解放されればいい方だが……確率はかーなり低い」
「う、でもヒーローがそんなこと……」
「する。あいつらは絶対にする。何のためにお前をヴィランに指定したと思ってる。ちょっと非人道的なことをしても、悪人だと許されるからだ。正義なんて傲慢を振りかざす民意の怪物が、お前を助けることはまずない」
「そんな……」
突き付けられた現実に色を無くすカルセドは瞳孔を揺らす。ヤギの耳には無機質なニュースの音声が素通りしていたが、とある内容に耳が小さく反応を示した。
それに気づいたのか、カサブランカも視線をテレビへと移し変える。画面の中のキャスターはとあるヒーローが事件解決に任命されたと、淡々と伝えてきていた。
「うげ、『コンカドール』が来るのか……厄介だな……」
「もともと視察に来る予定で、インタビューイベントの告知もありましたしね。あの支部にもコンカドールさんのポスターがありましたよ……」
「だからってよりにもよってあいつが来るとか……最悪だ」
カサブランカが忌々し気につぶやくのも無理はない。コンカドールは単独捜査権や公的機関への情報請求権限などの優秀な者に与えられた特権を持つ『冠(あたま)付き』、通称『優美のコンカドール』である。
その能力は戦闘だけではなく捜査にも多大な貢献をし、今やトップヒーローの一人と名高い。そんなヒーローが来るのだと聞いて、カルセドは高鳴る胸を抑えきれなかった。
「お前……なんでそんなに嬉しそうなんだよ……」
「え、漏れてましたか……? 実は自分、コンカドールさんの大ファンで、一度でいいから拝んでみたいと思ってまして……」
「はあ、自分の状況わかってるのかよ。あいつの顔を見た瞬間に、お前なんて気絶させられて終わりだ。性欲に呼応するってことは気絶してたら発動しないんだろ、お前の能力」
「はい、おっしゃる通りです……」
意外なほど鋭い指摘にヤギは虚を突かれ、瞳孔を丸くする。だが牛にとってはなんてことないようで、トップヒーローへの対策に頭を悩ませたままだった。
「あいつなら何か隙を見せたらすぐにここを突き止めるだろうな……マレロにも注意するよう言っとくか。視察はもう少し先か?」
「はい、任命された時期から考えても、この街に来るには時間がかかるはずです」
「ならいいか。今のうちに対策しとかねえとな」
これ以上頭痛の種はごめんだと、牛は荒い手つきでテレビを落とす。急に無音になった部屋に憮然としたため息が響き、それはヤギへと吹きかかった。
「んで、お前は元々なんの仕事をしてたんだ? 戦闘員が駄目なら、裏方で働いてもらうことになるぞ」
「それなら大丈夫です。能力の関係上、できるだけ誰かに会わないために、匿名の探偵業をしていました。一人事務所でしたから、事務作業なども得意です」
「探偵か、諜報に使えそうだな。悪くねえ。匿名の探偵ってことは、裏社会……ヴィラン組織にも詳しいのか?」
「ほどほどには。探偵と言っても情報収集特化な能力ではないので、情報屋の方々と比べると劣るとは思います……ですが……」
「ですが、なんだよ」
少し後ろ暗い話だったので躊躇したヤギだが、自分はもうヴィランなのだと思い切って告白することにした。
「自分は概念干渉……因果律を操る能力者です。例えばターゲットとセックスしたいと思えば、勝手に接点を生み出すことができます。しかもそれは誰がどう見ても完全な偶然を装えるので、怪しまれずに調べることができるんです」
「ほーん、それは確かに精神感応系の能力者にはない利点だ。能力への対処を万全にしている人物でも、因果律から変えられちゃどうしようもねえ。言い換えれば偶然を操る能力ってことか。セックスするだけの能力かと思ったが、なるほど、なかなか使い勝手がいいかもな」
「一応それなりに名は通っていると思っています。『ナイトライダー』って名前なんですけど……」
その名前に反応したのは牛ではなく、ちょうど部屋に入ってきた大柄な虎の男だった。
手に持ったお盆には三人分のコップが乗っており、湯気からかぐわしい香りが漂っている。隣の部屋でお茶を淹れていた虎は、大体の話を聞いていた。
「ナイトライダーっ! え、マジっ?!」
「これまた大物が出てきたもんだ」
「ナイトライダーっていや、情報を引き抜かれた相手でも正体がつかめないせいで、実在すら疑われてるこの街一番の探偵! まさか本物にお目にかかれるとは!」
素肌にレザーのジャケットを羽織った巨漢の虎は目を輝かせてヤギへと詰め寄った。一般的な虎種より橙に近い毛皮は明るく、尻尾の動き具合からも本心で興奮しているのがわかる。
カサブランカと共にカルセドを誘拐したヴィラン、マレロは筋肉の山のような男だ。
肉薄すると嫌でも盛り上がった胸筋の作る谷間がヤギの視界を埋める。俯瞰になるといっそう分厚さがよく分かった。
隆々とした虎に気圧されたカルセドは求められるがまま握手をしながらも、その手の大きさに少しの喜びを抱く。雄々しい雄がヤギの大好物なのだ。
先ほど支部で乱交したため落ち着いていた性欲が、またどぎまぎと脈動するのを感じた。彼らを巻き込まないようにと、目を伏せて視界から排除する。
「いえ、私の場合は能力の問題で、ただ人と会わないようにしていただけです。そのせいで憶測が飛び交って、正体を現すタイミングを完全に逸してしまって……」
できるだけ人と会わないようにと選んだ仕事なのだが、ヤギの思惑より軌道に乗っていたのは確かだ。ヒーローやヴィランも関係なくスカウトの連絡ももらっていたが、能力の制御に不安があるため組織に所属することはためらわれた。こんな事態にならなければ、弱小組織に来ることもなかっただろう。
カサブランカと名乗る牛と、マレロと名乗る虎。カルセドが来るまでは、『バスケット』はこの二人だけの組織だった。
「こりゃ大当たりだったかもな。いい人材を確保できた」
「なら、ヴィランネームもナイトライダーでいいんじゃないか? そうすりゃおれらの組織にも箔が付くぜ」
「いや、さっきヒーロー本部がカルセドとして指名手配してたから、そっちでいいだろ。折角育ててきたナイトライダーの名を、ヴィランにして貶めることはねえ」
「そりゃそうか。ナイトライダーはヴィランでもヒーローでもないから、逆にいろんな人の悩みに寄り添ってきたんだもんな」
カサブランカの配慮はヴィランとは思えないもので、ヤギは困惑に言葉を詰まらせる。少し喋った程度だが、彼にはこの二人がヴィランには見えなかった。
「あ、ありがとうございます。そう言ってもらえると助かります。ナイトライダーには思い入れもあるので……」
「だろうな。金が欲しいなら有名人とベッドインして強請るなり、スキャンダルを捏造したりと、お前の能力ならどうにでもなる。それでも探偵なんてやってんだ、信念がないとできねえよ」
「そんな大層なものはないのですが……ただ、できれば真っ当に稼ぎたいと思っただけで……自分の能力で社会貢献するとなるとこれくらいしか……」
「社会貢献ねえ……つくづくヴィラン向いてねえよ」
憐れむような声をかけた後、カサブランカはカップに口を付ける。粗暴な見た目の割には所作が綺麗だと、カルセドはなんとなく感じた。
「まあでも、時間の問題だろうけどな。お前に関する調査が行われれば、ナイトライダーってのは確実にバレる。事務所にある調査記録は、ヒーローどもにしてみれば宝の山だろうな」
「そうなんですよね……あそこには今まで調べたことをまとめてあるので、依頼者の個人情報の塊なんです。ですがもちろん、いくつか対策はしてます。そんなに早くばれることはない……と信じたいですが……」
匿名の探偵業をしているのだ、いくつか偽の事務所もブラフとしてしっかり構えている。高名になってきたこともあり、カルセドはリスクを抑えるための対策を万全に行っていた。
「それに、今抱えている依頼も何とかしたいんです……支部に行ったのはそのためだったんですが、こんなことになってしまい……」
「なるほどな、じゃあ落ち着いたら手伝ってやるよ。今はまず、自分の状況を落ち着かせるのが先だ。ナイトライダーの調査記録は俺らにとっても有用だろうし、当面の目標は事務所の資料を確保するってことで」
「そうしてくれると助かります……」
当然のように手伝うと言い放つ牛は、少し思案してから頭を掻きむしって赤い毛を乱す。
「でも、あいつが来るんだよなあ……マレロも聞いてただろうが、コンカドールが来る」
「そうみてえだな……だったらここを引き払うか?」
「いや、無駄だろ。カルセドはあいつのファンらしいからな。俺らがどうあがいても、コンカドールはカルセドとセックスする。すでにそういう因果が組まれつつある」
「うっ」申し訳なさそうにヤギが膝をくっつけて。「一応……能力制御装置を付ければある程度は緩和できますよ。それに性欲を溜めなければなんとか……」
「壊れてんだろそれ。新しい物、しかも特級を抑えるほど強いものなんてここにはねえよ。お前を誘拐したのだって、たまたま見かけたからだからな」
至極真っ当な指摘をされて、ヤギは右手にはめたリングを撫でる。カルセドは自身の能力が強まっていることに気付いていなかった。二級を抑える程度では、到底足りなかったのだ。これさえあればと油断していたせいで、あんな事件が起きてしまった。
それに制御装置を付けていても完全に無効化できるわけじゃない。それができないからこそ、ヤギは探偵をしていたのだから。
コンカドールの強さをファンであるカルセドはよく知っている。今攻め込まれでもしたら、この二人では太刀打ちできないだろう。
「あの……だったらやっぱり私がここにいても迷惑ですよね……自首します」
「あのなあ、ほっぽりだすくらいなら最初から助けてねえ。お前はもう仲間だ。もっと図々しく居座るくらいでいろ」
「なんでそこまでして……初対面ですよね?」
それに応えたのはマレロだ。にやにやとした誇らしげな顔で、胸を張って教えてくれた。
「ボスはこう見えてお人好しなんだよ。あんたを助けたのだって、支部で迷子みたいな顔してたから放っておけなかったからだ。最初はカルセドがナイトライダーだってことも、危険特級ってことも知らなかったしな」
「お人好し……ヴィランが……?」
あまりに似つかわしくない単語の羅列だったため、ヤギは目を点にして反芻した。だが確かに、ここまでのことを思い返せばこの牛は優しかった。共通認識としてあるヴィランとしては、似つかわしくないくらいに。
慣れたものなのだろう、猜疑を向けられたカサブランカはめんどくさそうに嘆息し、尻尾を振りながら補足を投げる。
「はあ、ヴィランっつっても種類があるんだよ。ただ単に悪事が好きなだけな奴とか、ヒーローが嫌いな奴とかな。んで俺は後者。ヒーローが死ぬほど嫌いだから、こんな組織をやってる。お前を助けたのは、ただ単にヒーローどもに一泡吹かせてくれたからだ。俺はそこまでお人好しじゃねえ」
ならばこの組織の目的は何なのか。カルセドは聞こうと口を開いたが、それよりも牛の方が早かった。
「まっ、俺らについては追々わかってくるだろ。ひとまずはコンカドール対策だな。そうじゃなきゃ、落ち着いて話もできねえ。どうせセックスするにしても、対策は必須だ」
「どうすんだよ、ボス」
「まずは兎にも角にも能力制御装置だ。これがないとカルセドの制御ができねえ。予想外の事態が起こる確率も高くなるし、最悪俺らも巻き込まれる」
「じゃあ研究所に行くか?」
「頼んだ。試作品がいくつかあるはずだから、それを持ってきてくれ。だが、怪しまれるなよ。支部ひとつを機能不全に追い込む能力だ。どの組織も狙うに決まってる」
「わーってるって。おれがそんなへまするわけねえだろ。ボスはただ、きちんと任務を果たした可愛い子猫をどう可愛がるかを考えときゃいいんだよ」
「なら折角だ、カルセドと3Pでもするか」
「ははっ悪くねえ! 入団祝いで裸の付き合いといこうじゃねえか」
なんだか今すごい会話が頭を通り抜けていったと、カルセドが驚いて瞠目していると、二人はにぃっと口角を上げる。あれだけヴィランらしくないと思っていたヤギだったが、今向けられる捕食者のような姿はまさにヴィランそのものだった。
「俺らがなんでお前の能力を聞いても敬遠しないかわかるか?」
「そりゃもちろん、おれらがホモセックス大好きだからに決まってんだろ♡」
「へ、え、えぇ……?」
「だから、お前がどれだけ因果を操ろうが関係ねえんだ。お前が望めば、いつだって股を開いてやる♡」
「性欲処理もばっちりおれらに任せとけよ♡そう考えたらうちは天職かもしれねえな♡」
分厚くたくましい肉体が二人分、ヤギへとじりじり距離を詰めていく。ジャケットだけ羽織ったマレロの分厚い胸板と、タンクトップの空白から覗くカサブランカの膨らんだ胸板。
甲乙つけがたいおっぱいが両方お仲間だと知って、ヤギは急に自身の欲望が肥大化していくのを感じた。長く能力と付き合ってきた経験上、これは駄目だと警報すらなっている。
「お、どうやら一発出した方がよさそうだな。歓迎会の予定は前倒しにするか♡」
「そうしようぜ♡コンカドールよりおれらのことが大好きになりゃ、ちょっとは能力も収まるだろ♡」
「本当に……今から……?」
「なんだ、俺らじゃ不満か?」
「これでも体のごつさならヒーローにも負けてねえぜ♡」
カルセドに不満などあるはずもなかった。能力の関係上好みの雄を食うことは得意だったが、それでも彼らは最上だ。決して経験不足ではないが、あまりに突発だったせいで虚を突かれたにすぎない。
いつの間にか牛虎が左右を挟むように座っており、ヤギのスーツを脱がせている。慣れた手つきから、こういうことを幾度となくしてきたのだろう。どうすれば男が喜ぶのか、わかっているものの仕草だ。
「俺らは組織としちゃ弱小もいい所だからな、潰されないためにも強い所には媚を売る必要がある♡」
「だから身の振り方はしっかりしとかねえと駄目だぜ♡ま、あんたの能力なら問題ないだろうけどさ♡」
「ああ、そういう……」
わざわざヴィランなんてしているのだ、ヒーローの加護を拒んだ彼らは自分の身は自分で守る必要がある。だからこその処世術なのだろう。
カルセドが入ってもたった三人。組織とも言えないほど小さな寄り合いに所属して、今後自分はどうなってしまうのか。
なんて不安が一瞬だけよぎったが、それでも助けてくれたことには変わりない。できるだけ恩返しをしようと、押し倒されながらヤギは思うのだった。
****
「俺の組織は主に、能力や器具の解析を行っている」
性欲を鎮め、シャワーも浴びた後、カサブランカは組織について説明をしてくれた。
突発的に誘拐されたためカルセドには服もなく、牛と同様全裸で寄り添いながら解説を聞いている。なんでこんな仲睦まじい体勢なのかと問われたカサブランカ曰く、ピロートークも含めてセックスだから、らしい。そのピロートークに入社時研修みたいな会話はいいのかと、カルセドはちょっとだけ思っている。
能力制御装置の確保と服の買い出しに行ってくれたマレロが戻るまでの間、牛のオリエンテーションは続く。
「解析、ですか?」
「そう、例えば新人ヒーローの能力やベテランの隠し玉、もしくは新開発された能力器具について、痕跡から内容を推察する。依頼人は主に他のヴィラン組織だが、一般人からの依頼もたまにある」
「……探偵みたいですね」
「まあ、能力の探偵ともいえるな。ヒーロー対策はヴィランならどこも必須。それぞれ能力解析担当がいるだろうが、俺らは第三者機関って感じだな。向こうが立てた仮説の検証や、器具の再構築など手伝うことが多い」
ここだけ聞くと真っ当すぎると、カルセドは感じていた。ヴィラン組織と銘打っているだけで、悪事には何も絡んでいないのだから。
「ここ、本当にヴィラン組織なんですか?」
「ヒーローと敵対してるって意味じゃそうだな。実際指名手配はきちんとされてるぞ」
「そうなんですね……能力の探偵ってことは、お二人のどちらかが情報解析が得意な能力なんですか?」
「いや、できないことはねえが、俺もマレロも別にそっちが本命じゃねえよ。俺は物質操作系で、マレロは肉体強化系だ。でも大体は痕跡や証言を聞いてけばなんとなくわかるだろ」
「確かにそうですね、私もそういう仕事をしてましたから」
「それに、俺の本職は見ての通り研究者だからな」
「なんて?」
褐色の毛皮と部分的な赤い毛を持つ雄々しさの権化みたいな牛から出ていい言葉ではない。カルセドは思わず礼儀も忘れてつっこんでしまった。
素の反応を引き出せたことが嬉しかったのか、カサブランカはヤギの背中を叩きながら大笑いをしてみせた。
「あはは! だよな、みんな初対面だとお前みたいな反応するんだ」
「す、すみません、つい……確かにさっきも研究所と言ってましたね」
「いいっていいって、俺鉄板のジョークだからな。俺の仕事は研究。つまりここは能力を研究するヴィラン組織ってことだ」
「……つまり私も?」
「おう、想定外だったがいい拾いもんだな。ま、ヒーローどもより丁寧に扱ってやるから、心配すんな」
「それなら……」
ここまで恩をもらっている手前、拒むのは憚られた。カルセド自身も自分の能力については詳しく知りたいという欲求もあり、利害は一致している。
話をまとめると、カサブランカというヴィランはマッドサイエンティスト系らしい。そういうヴィランがいるのはカルセドも知っているが、あまりに像がかけ離れている。
そこまで含めて定番のやり取りなのか、牛は笑いながらヤギの肩に手を回して抱き寄せる。
「残念ながら、俺は世間一般が想像するマッドサイエンティストじゃねえみたいだな。これでもこわーいヴィランなんだけどよ。でもまあ、さっきお前の上であんだけよがっちまえば、もうあんまり怖くねえか。あははっ!」
反対側から頬の毛皮を指でくすぐられ、ヤギは曖昧にうなずいた。抱かれているときのカサブランカはエロスの塊で、こうして近寄ると嫌でもそれが思い出されてしまう。牛と虎に何度も中出ししたにもかかわらず、カルセドの股間は次を求めてうずき始めていた。
「おいおい、またムラついてんのかよ。さっきはおマンコだったし……今度はパイズリで気持ちよくなってもらおうじゃねえか♡」
「い、いいんですか……?」
「当然♡俺もマレロも性豪で、ほっとくとすぐ金玉がパンパンになっちまうからな♡適度なセックスは研究にもいいんだぜ♡」
カサブランカはわざとらしく豊満な胸をぴくぴくと動かして、ヤギを誘う。谷間には薄く赤い毛が点在し、触り心地は他と変わらないが見た目の雄らしさが高い。筋肉と脂肪のついた胸筋は大きく、さっきしゃぶりまくったカルセドはすっかり虜にされていた。
「いい目じゃねえか♡俺に欲情して早くブチ犯してえって書いてある♡コンカドールのファンなんだ、俺のことも好きに決まってるよな♡あいつも俺と同じ牛野郎だ♡」
図星だったのでヤギは真っ赤になってしまった。たくましさと優しさを兼ね備えているコンカドールは、カサブランカと似た牛の男性だ。
「あんな奴より俺の方を好きになっちまえよ♡その方がお得だぜ♡このおっぱいをいつでも揉み放題♡お前も能力が暴走しなくていい♡だろ?♡」
「そう、ですね……でも……」
「二人一緒に犯してえってか?♡」
「そんな! いえ、できたらいいなとは思いますが……さすがにそれはちょっと……」
「あはは! 正直だなお前! 真面目そうな顔で取り繕ってても、根はどスケベか♡あんな能力があって童貞とかあり得ねえし、結構遊んできてたんだろ?♡さっきの腰使いでわかるぜ♡」
「ええ、まあ……ほどほどに……性欲の解消は能力を制御するにも必須でしたから……」
「ははっ♡んで次はコンカドール狙いか♡あのすました顔を喘がせられるなら、お前に協力するのも悪くねえよな♡俺らで色狂いにして、ヴィランに引き込んじまおうぜ♡♡」
牛はヤギの手を握り、強引に自分の胸を揉ませてくる。シャワーを浴びたばかりのせいで少し湿ってはいたが、その下にある肉感は変わらない。手形が付くほど膨らんだおっぱいを揉みながら、カルセドは牛にキスを送った。
「ん♡……それじゃあ、マレロが帰ってくるまで、またたくさん盛ると――」
「悪いが、それはお預けだよ」
毅然とした声だった。カサブランカのような低くも親しみやすいものとは違う、何者も寄せ付けないような鉄壁を思わせる声音。
その声をカルセドは知っている。聞き間違えるわけがない。
なぜならそれは彼のあこがれなのだから。
「コンカドール……」
部屋のドアを開けて入ってきたのは、カサブランカと同じような褐色の毛皮に青を混ぜ込んだ牛の男だった。カサブランカとは違い髭はないのだが、伸ばした青髪を結んで、肩越しに前へと垂らしている。背後に視線をやればドアノブは壊れており、強引に開けてきたのだとわかる。
肉体は隆々としており、今ヤギに絡んでいる牛とそん色ないほどにたくましく、白シャツの胸部を冗談みたいに盛り上げている。黒いジャケットとスラックスにはストライプがあり、知らない人が見ればヒーロースーツとは思わないだろう。
細身のネクタイを止めるピンがカメラになっていることも、白手袋の中には糸が仕込まれていることも。ファンであるカルセドは当然知っている。そしてまだまだ知らない機能が眠っていることも想像に難くない。
改めて実物を前にして、ヤギは彼の冠を理解させられた。
彼こそまさにトップヒーローの一人。単独捜査権を持つ『冠(あたま)付き』、『優美のコンカドール』その人だ。
「君がカルセド……いや、ナイトライダーだね」
「なんでそれを……!」
「少し、事情があってね……本当なら今すぐ君を確保したいところなのだけど……やっぱりこの人と一緒なんだね……」
そう言ってコンカドールはヤギの隣へと苦々しく視線を送る。当の本人はすました顔で、ヤギは渡さないと抱き寄せたままだ。
「よう、久しぶりだな。まさかこんなに早く来るとは思わなかったし、見つかるとも思わなかったぜ。能力の使い方が上手くなったんじゃねえのか?」
「これでも努力はしてるつもりだよ。兄さんこそ、まだヴィランなんてやってたのか。おとなしく二人とも捕まってほしいのだけど……」
「兄さん?!」
そんな状況ではないというのに、衝撃の事実が出てきては聞き逃せない。ヤギが驚いて二人を見比べれば、なるほど、確かに似ているかもしれないという結論に至る。
片方は赤い髪を持つ雄らしさ満載の牛。
片方は青い髪を持つ凛々しさ満載の牛。
どちらも屈強であるが、胸の大きさは兄の方が上のようだ。弟の方は硬い胸板みたいだと、思わずスーツ下の妄想に花が咲く。
「やなこった。お前らヒーローの世話になるくらいなら、この場で死んだほうがましだね。カルセドについても諦めな。お前の能力じゃ俺に勝てないのは知ってるだろ」
「……試してみるかい?」
「どこからでもこいよ」
一瞬にして空気が固まり、ヤギの肌を殺気が刺す。総毛立つほどの威圧感は、荒事に慣れた探偵をも驚愕させた。
だが、コンカドールがため息とともにガス抜きをすれば、一気に空気が弛緩する。
「止めとくよ。カルセドさんが無事じゃないだろうしね。でも、君は本当にこのままヴィランになるつもりかい? 監視カメラの映像を見ていたが……あれは事故のようなものだ。情状酌量の余地は十分にあると思う」
「え、でも、私はもうヴィランに認定されて……しかも社会悪までもらってしまいましたし……」
「あれは支部が大打撃を受けたことで、本部が神経質になりすぎてるだけだよ。私の方からも説明すれば、きっと取り下げられるはずだ」
「本当に……?」
「ああ、約束しよう」
社会悪はヴィランの中でも特に凶悪とされる者に与えられる称号だ。対処にはコンカドールを始めとした『冠(あたま)付き』が出ることも多く、およそ平凡とは程遠い暮らしになるだろう。
それを取り下げられるなら、カルセドはかなり生きやすくなる。なにより、カサブランカ達に迷惑をかけずに済むのだ。
コンカドールが拳を下げたのも、まずは説得から入るためだろう。この弟牛はカルセドを助けようとしている。それがヤギの胸に淡い熱を灯す。
「はんっ、嘘ばかりつきやがって。ヒーローってのは人を絆すのがお上手だよな」
しかし、そんな希望を兄牛が否定する。
「一度社会悪としたものは取り下げられない。んなことすれば本部は批判を免れねえ。それよりもこいつの能力を調べた方がずっと有意義だ。ヴィランにしちまえば、何をやったって民意が許してくれるもんな」
「……兄さん、それは昔の話だよ。今のヒーローはそんなことをしない。いや、私がさせない。だから信じて、カルセドさんを渡してくれないか?」
そう訴えるコンカドールの顔には決意がある。カルセドはこの兄弟の間に何があったのか知らない。ヒーローとヴィランに道をたがえたのには理由があるのだろう。
「ふん、相変わらずやる気だけはあるよな。でもいいのか、こいつの能力は知ってるだろ。お前、どうせ処女のくせにこいつの性欲を管理できるのかよ?」
「……で、できるとも! 言ったからには責任を持つさ! 私がヒーローになったのは、能力の暴走に苦しむ人を一人でも救うため! 兄さんと同じだ!」
「ふーん……」
そこでカサブランカがにやりと口角を歪める。カルセドの背中をものすごく嫌な予感が駆け抜けたが時すでに遅く、ヤギの体は弟牛に向けて押し出されていた。
「え、うわ……!」
「大丈夫かい!」コンカドールがとっさに抱えて。「兄さん、どういうつもりだい?」
「俺らの姿を見りゃわかるが、今から盛る気満々なんだ。んで、こいつを満足させないまま外に出せないってことは、お前も知っての通り」
ヤギを抱く腕が緊張でこわばった。その意味するところを察して、カルセドも思わず口元が硬くなる。カサブランカは弟に、今ここでヤギに抱かれろと言っていた。
「できんだろ?」
「当然……」
「ならいい。んじゃ、俺は逃げる準備するから、後は勝手に盛ってろよー。じゃあなカルセド。お前はヴィランに向いてねえから、こっちの方がいいだろ」
誰憚ることなく巨根をぶらぶらと揺らしながら、カサブランカは部屋の奥へと去っていく。
そうすると残されたのは全裸のヤギと、スーツを着たヒーローだけ。コンカドールは突然のお誘いにどうしたものかと言葉を探しあぐねているようだった。
「あの……カサブランカさんを追わなくていいんですか?」
「いいんだ。今一番優先すべきは君を落ち着かせることだよ。今の君は能力が不安定で、誰かが傍にいるべきなんだ。登録されている君の能力は調べてある。性欲に呼応するのだから、私がそれを受け止めるよ」
あれだけぎこちなかったくせに、誰かを助けるための言葉はすんなりと口にできる。コンカドールは紛れもなくヒーローで、カルセドを救いたいという意思を光らせていた。
「でも、私のような男に興奮してくれるのかは……兄さんとしようとしていたらしいけど、無理矢理じゃないよね?」
「あ、大丈夫です! 自分、コンカドールさんのことは全然普通に抱けると思います」
「そ、そうかい、ならいいのだけど。私が抱かれる側、なんだね……うん、わかったよ。だったらソファに行こうか。その方がいいよね」
「はい、そうしましょう」
あれだけ堂々としていたコンカドールだが、初夜を前に緊張を隠しきれていない。ソファに座ってからも体は硬く、自分から動く気配がなかった。
でもそれはカルセドも同じであり、急に降ってわいた推しとのセックスを前に、脳みそがパンクしている。間近で横顔を眺め、その精悍さにときめくだけ。優美と言われるだけあって、角の曲線から鼻先までいたるところすべてが、彼の造形美を際立たせていた。
「無理なら自分で処理するので大丈夫ですよ……?」
「いや! 兄さんにあれだけ大口を叩いだんだ、できないなんてばれたらなんて言われるか……! それに、私の決意は嘘じゃない。君のような人を助けるためなら、私の純潔なんて大した問題にならない」
気を使われたことで覚悟を決めたのか、コンカドールはカルセドの手を握る。そして向ける視線は緊張にうるんだ愛らしさがにじんでいた。
そのあまりに初心な仕草にときめいて、カルセドはこのまま任せてしまいたい気持ちと、リードしてあげたい気持ちがせめぎ合う。自分よりずっと大きい男性、それもトップヒーローに詰め寄られてヤギはにやけないように我慢するので必死だった。
「ぬ、脱いだ方がいいかな、いや、そうだよな……すまない、当然のことだよね」
「だったら脱がせましょうか?」
「え……? いや、確かに、君がそうしたいのなら……」
思わずヤギの口から煩悩が飛び出したが、コンカドールは握った手を離してくれた。自由になったヤギが膨らんだ胸筋を押せば、スーツ姿の牛がソファへと倒れこむ。
カサブランカともまぐわえるだけのソファは、弟の巨躯をもしっかりと支えている。ジャケットのボタンを外して広げると、まるで花が咲いたようだとカルセドは思った。
次にネクタイを緩めれば、コンカドールの瞳が不安気に揺れる。ヤギは安心させようと笑いかけるが、胸元が明らかになるにつれてそれは影を濃くしていった。
「う……」
シャツのボタンを上から外せば、押さえつけられていたおっぱいが弾む。牛らしいと言えばそうだが、それでも彼の胸筋の大きさは一般的な牛種よりずっとずっと大きい。
(でもカサブランカさんの方がでかいかな。あっちは絶対アピールのために鍛えてそうだけど……あれ?)
だが、シャツの下に巻かれたものを見て、カルセドは目を疑った。
「さらし……?」
窮屈そうに巻かれたさらしが、シャツの下にあった。それはコンカドールの巨乳を押さえつけ、着やせするように見せていたのだ。
「わ、私の胸は男性の割にはでかいからね……ヒーローとしてデビューした時にいろいろ言われたから、それ以来こうしてサイズをごまかしているんだ……この方がシャツのボタンがはじけることもないし……」
「そ、そうですか……」
先ほどから不安そうだった原因はこれなのだと、ようやくヤギは知る。
ファンであるカルセドも知らない事実を突きつけられ、動揺のあまり声が上ずってしまう。大きさは兄弟なのだと思ったが、言っていいものかわからないから噤んでおくことにした。
さらしを解くと、ついにヒーローコンカドールのおっぱいの全容がさらされる。
それは兄であるカサブランカに負けずとも劣らないほどの大きさで、さらしが無ければシャツどころかジャケットからも形がわかるだろう。しっかり鍛えてあるため張りが強く、先端に付いた乳首は男を知らない綺麗な色をしていたがやはり大きかった。
「すごい、ですね……」
「ひいたかい?」
「いえ! 私はこういうの、端的に言ってしまえば大好きなので……あの、触っても?」
「……どうぞ」
まだ脱がしきっていないのに、カルセドは抑えきれなくて聞いてしまう。シャツからはみ出す巨乳に手を沈めると、その密度に驚かされる。やはりこれは筋肉の塊なのだ。
「んあ……♡」
「すごい、コンカドールさんのおっぱい、手に吸い付いてくる……」
「気に入って、くれたかい……?」
「はい、とても……夢みたいです。自分はコンカドールさんの大ファンで、だから……支部に行った時、あのポスターを見てしまって、それで……」
「私のポスター? 確かに視察に行くからと宣伝用の物は作ったが……まさか、支部で能力が暴発したのはそのせいなのかい?!」
「……すみません」
言うつもりなどなかったが、憧れの人物に跨って胸を揉むというシチュエーションに、うっかり口が滑ってしまった。
あの時、難しい依頼を受けたカルセドは性欲を処理する暇がなかったが、能力制御装置があれば大ごとにはならないだろうと高をくくっていた。そんな状態で支部にあるコンカドールのポスターを見てしまい、憧れと欲望が混ざり合った結果能力が暴発し、今に至るのだ。
「コンカドールさんが悪いとか言うつもりは全然ありません! あれは本当に、自分の管理が悪かっただけですから!」
「いや……今回は私がきっかけだが、そこまで強い能力なら遅かれ早かれ管理などできずに暴走していただろう。でも、それならよかった……君が私に興奮してくれるなら、性欲の管理も大丈夫そうだ……」
恥ずかしそうにしながらも、青牛はヒーローの役目に忠実だ。自分が管理できると言えば、恩情が通るだろう。コンカドールはそれを考えて、嬉しそうにはにかんだ。
「嫌じゃないんですか……? 今だって私の能力のせいでこうなっているかもしれないのに……」
「構わない。私が決めたことだ。君のような人が安心して暮らせるようにすることこそ、私の役目なんだよ。兄さんが嫌うのはしょうがないけれど、私はヒーローで、君を救いたい。だから遠慮しなくていいよ」
問われると笑いかけるのはヒーローとしての癖だ。こんな状態でも安心感を与えようとするコンカドールは、そっとヤギの頬に手を添えた。
誰かを救うためなら、自分の純潔もいとわない。その覚悟が牛にはある。
しかし、そこで白い体が急に引きはがされた。
「うえっ?!」
「時間稼ぎご苦労さん、カルセド。とっとと逃げるぞ」
タンクトップ姿に着替えたカサブランカがヤギを抱きかかえ、一目散に窓を目指す。抱かれてみろと発破をかけたこともすべて兄の策だったのだと、ようやく弟は気が付いたのだ。
慌てて飛び起きれば解放された胸が弾み、シャツの隙間から零れ落ちる。兄牛はすでに窓際に足をかけていて、部屋を抜け出す寸前だった。
「兄さんっ!」
「悪いなコンカドール。お前のことは嫌いじゃねえが、やっぱり俺はヒーローってやつが大嫌いなんだよ。カルセドを預けてほしかったら、司令ぐらいにはなってもらわねえとな」
「まったく、無茶を言う……兄さんはいつもそうだ。だったら実力行使で……!」
コンカドールが白手袋に包まれた指をパチンと鳴らすと、部屋の中で爆発が起きる。それは指向性であり、振動する空気が兄を吹き飛ばそうと襲い掛かった。
「おいおい、忘れたのか弟よ」
しかし、衝撃はカサブランカの前で止まる。兄は勝ち誇った顔でヤギを抱きしめて、トロフィーを見せびらかすように牙を光らせた。
「お前の『振動』じゃ俺の『固定』には敵わねえ。簡単な相性の問題だろ」
「え、あの、ちょっと待ってください! 私まだ裸なんですけど、このまま外に出るつもりなんですか?!」
「いいじゃねえかヴィランらしくて。その立派なもんを見せつけてやろうぜ」
「嫌です! しかもこのままだと落ちるじゃないですか! ここ確か五階ですよね!」
「それは問題ねえよ……見せてやる」
コンカドールの攻撃をいなしながら兄が一歩踏み出すと、その足は宙を踏みしめて止まる。まるでそこに道でもあるかのように、鼻歌を歌いだしそうな気軽さで牛は歩いていく。
「俺の『反響反定位』は物を固定する能力だ。物質操作系二級な。停止に近いと思ってくれりゃいい。厳密にはちょっとちげえけど」
「だから足を固定して、空を歩いているんですか……」
「そういうこと。んで、コンカドールに空を歩く能力はねえ……だろ?」
言われてヤギもビルに目を戻すと、窓からコンカドールが悔しそうににらみつけているのが見える。攻撃が効かないなら、空に逃げたヴィランを追うすべがないのだ。
「兄さんは本当に……本当にヒーローと敵対するつもりなのか! カルセドさんだって今なら私が確保すれば、きっと上層部と交渉できるのに……!」
「信用できねえ。あいつらに任せるくらいなら、俺が面倒を見る。それに……気になることもあるしな……」
手を振りながら離れていく兄を見ることしかできない弟。だが、それでも自分の決意を伝えようと、あらん限りの声を振り絞る。
「カルセドさん! もし困ったことがあれば、いつでも私を訪ねてほしい! 私は君の味方だ! ヒーローは絶対に、君を見捨てない!」
遠ざかるコンカドールの目はいつまでも力強くカルセドに向けられていて、決してあきらめないから信じてくれと語り掛けている。
まさにそれはカルセドが想像するヒーロー像であり、不信どころか信頼してもいいとすら思ってしまう。先の抱かれようとする仕草といい、カルセドにとってコンカドールを疑う理由は一つもない。
だが兄は違う。ヤギは自分を抱える牛を見上げながら、この兄弟に何が起こったのかを考えずにはいられなかった。
****
しばらくして、二人は別のアジトにたどり着く。マレロはすでに待機していて、カルセドはようやく服と能力制御装置を身に付けることができた。どうやらカルセドをあてがっている間に、ここに来るよう指示を出していたようだ。
「ふーやばかったなあ」
ずっと能力を起動していたカサブランカがソファにどかりと座り込む。次の隠れ家は地下にあるため薄暗いが、設備はしっかりしていた。簡単な応接間のような造りは先ほどと変わりないものの、こちらの方が家具のグレードはいい。
だが安全地帯に逃げられたというのに、カルセドの顔は暗い。シャワーを浴びて綺麗になった体には、マレロが選んだであろう簡素なシャツとズボンが似合っていた。
「ううぅぅ……死にたい……」
「悪かったな。逃走中にお前の能力が暴走されるのは防ぎたかったんだ。折角逃げたのにまたコンカドールとかち合ったら面倒だからな」
性欲が昂ったままだと何が起こるかわからないため、カルセドは空中でしごかれまくった。ぼたぼたと白濁を振らせながら歩く姿に変態のヴィランだと後ろ指を指され、メンタルは壊滅的だ。
日が落ちかけた赤い世界の中、牛に奉仕されて喘ぐヤギ。記憶を消す能力があるのなら、今すぐにでも使ってほしかった。
「あんな人前で堂々と……死にたい……」
「ま、今この街はごたついてて、それどころじゃねえからすぐ忘れ去られるって。尾行はされてねえから安心しろ」
「何を、安心しろと……」
支部が一時的な機能不全に陥った結果、この街は治安が悪化している。そのことに心を痛めているカルセドは、当然素直に喜べない。ヴィランに認定されたとはいえ、そこまで外道になったつもりはなかった。
「お疲れボス。カルセドを救ってくれてありがとな」
「救った……ええ、そうかもしれませんね……」
「カルセドも元気出せって。もう能力制御装置があるから、あんなことは起こらないからさ」
「そうですね、前向きに考えましょう……」
マレロが冷蔵庫から水の入ったペットボトルをカサブランカに渡し、カルセドの背中を撫でて慰めている。見た目で誤解されやすいが、この虎は結構気が利く性格をしている上に世話焼きだった。
「ほら、食事も買っておいたから、これ食って元気出せよ。好きなものがわからなかったら適当に買ったんで、勝手に選んでいいぞ」
「あ、ありがとうございます……」
「じゃあ俺は……」
「ほい、ボスはいつもの牛丼特盛とハンバーガーとフライドチキンな」
「さんきゅー!」
「あとサラダ大盛りな。ちゃんと栄養は考えねえと駄目だぜ」
「さんきゅぅ……」
露骨すぎるテンションの違いは好物を明確にした。どうやらこの牛は肉食らしい。
体格からつけられる想像通り、カサブランカの前に並べられたのは山盛りの料理だ。ヤギなら半分も食べられない量で、これが自称研究者の食事かなといぶかった。体格といい、完全に戦闘をメインジョブにしている人のルーティンだ。
だがそれよりも、カルセドはマレロの食事が気になった。量は確かに多いのだが、内容は米やサラダといった菜食中心だ。じっと見ていたことに気付いたのか、虎は少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「実はおれ、肉が食えねえんだよ。だから基本は野菜ばっか食ってる」
「すみません、職業柄いろんなことが気になってしまって……」
「いいよ、どうせばれるし。でも、ちゃんとプロテインとかサプリとか飲んでるから体つきに関しては心配しなくていいぜ。カルセドもおれの筋肉好きだもんな♡」
「ええっと……はい……」
否定することもできなくてヤギは曖昧にうなずいた。それでもマレロは嬉しかったらしく、力こぶを作ってトレーニングの成果を見せびらかした。
ヤギの倍以上はある上腕筋を始めとして、全身筋肉で膨らんだ大男だ。まさか菜食主義だと思わなかったカルセドは、意外そうに、しかし嬉しそうにアピールを受け取った。この虎は体を合わせることに積極的なので、これは次の誘いでもあった。
ただ、カルセドは先ほど空中でしごかれたばかり。どうしたものかと思っていれば、あれだけの量を速攻で完食した牛までもが乗ってきた。
「ここならコンカドールも来ないだろうし、ゆっくり盛れるな♡でも、相性の問題でなんとかなってるが、あいつに本気で来られるとかなりめんどいんだよなあ。途中であきらめてくれてよかった」
「コンカドールは能力の幅が広いからな。ボスと違って」
「俺もそこまで悪い能力じゃねえぞ。実際ここは周囲の壁を固定したから、コンカドールにばれることはねえ。あいつは声の振動を記録して、しかもそれを探知してきやがるから、対策をしとかねえとまたすぐばれちまう」
コンカドールは振動を操る能力者であり、特級の称号をもらっている。その使い勝手の良さと能力操作の腕前は、彼をトップへと押し上げる一因となっていた。
「あのアジトはもう使えねえな。もっと遅く来るものだと思って油断した。視察の予定は先じゃなかったのかよ」
「事件が起きてから、対応が早すぎますよね……監視カメラで私のことを見たって言ってましたし、多分視察のために前倒しで到着していたと思われます」
「真面目過ぎるところは変わってねえなあ。当日に着いてればいいだろうが。おかげで心音もばれただろうな……めんどくせえ」
「心音、ですか?」
「あいつが良くやる手だよ。振動の察知だけならかなりの広範囲まで調べられる。だから普段は声から探すんだが、声を抑えても心音を記録されたらもう終わりだ。どこにいたって隠れられねえ。俺なんかは全部記録されてるから、最善を考えるならこの街を出た方がいいんだが……」
だからあんなにあっさりと見つかったのだと、ヤギは感心しきりだ。能力情報は武器であるため、ファンであるカルセドもコンカドールについては振動使いとしか知らない。
物質操作系特級『驚振動地』。探索から戦闘まで、大抵のことを万能にこなせる能力であり、だからこその冠(あたま)付きだった。
ペットボトルの中身を一気にあおり、牛はようやく落ち着いてきたようだ。褐色の毛皮に汗が浮かんでいることから、かなり慎重に能力を使ってきたのだとわかる。少しの油断がコンカドールを引き寄せるのだ、神経を使って当然だ。
「ん、なんだよ。まだこの街に用があるのか? ヴィラン組織から頼まれた仕事は終わってるし、いつ出ていってもいいだろ」
「カルセドが事務所の資料を破棄したいとさ。あれは個人情報の塊で、ヒーローの手に渡すのも確かに癪だ。だから明日は早くに動くぞ」
「了解……そういやそうだった。でも真面目だよなあお前。もっと自分の身を第一に考えろよ」
「これでも考えてるつもりなんですけど……」
カルセドにとって資料は大事な顧客情報だ。それを流出なんてことになればナイトライダーの信頼に大きく関わる。大事な名前のために、なんとしてでも破棄したかった。
「皆さんにはご迷惑をおかけします」
「気にするなって。おれは構わねえよ。お前にとって大事なものだもんな」
縞模様の尻尾を揺らす仕草は自然体で、危険な目にあう可能性をすんなりと受け入れている。もう仲間だと思われているのだと、ヤギは静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。そういえば、カサブランカさんはさっき気になることがあるって言ってましたね。私も実は……」
「ん、ああ、あれか……カルセドは探偵をしてるだけあって気付くか。実はなマレロ、コンカドールがここに来た時、カルセドのことをナイトライダーって言ったんだよ」
「……んん? つまりコンカドールはナイトライダーの正体がカルセドだって知ってたってことか?」
「そうしたら、どこで情報が漏れたって話になります。おそらく、ですけど……」
ヤギの言葉をカサブランカがさえぎることはない。どうぞと譲られて、カルセドは自分の考えを口にした。
「私の依頼人だったんじゃないでしょうか。私は匿名探偵ですけど、依頼人と話すことがないわけではないので。そういう時はたいてい音声を加工しているのですが、気付くことができるなら、可能性はあります」
「あいつはできる。元の音声振動との一致率から大本を割り出せるよう訓練してるはずだ。だから厄介なんだよなあ」
「でもコンカドールが? なんでまた。ナイトライダーに頼らなくても、あいつならさまざまな特権を持つ冠があるし、ヒーロー組織を使えばいいじゃねえか」
「ですので何か個人的なことを頼んだんじゃないでしょうか。それこそ、ヒーロー組織には言えないような……私は気付いていなかったので、あの人が何を依頼したのかはちょっとわからないんです。相手も匿名なことがありますし……」
推しのコンカドールが依頼してきたと知ったなら、カルセドは絶対に覚えていたはずだ。いったい彼は何を依頼したのか。必死に頭を漁って違和感を探そうとしていたが、今更出てくることはなかった。
しかし、兄にはひとつ考えがあるようだ。その名前を口にした時、ヤギの脳にある引き出しが開く。
「……丑満時 蹄石(うしみつじ ていそく)、あいつが依頼するならこれだろ」
「え、それはちょうど私が今引き受けている依頼ですが……!」
「やっぱりな。それで大体説明が付く。あいつが早くに到着したのも、お前の正体を知ってたのも、全部」
「早く来たのは私の調査結果を聞くために、正体を知っていたのは依頼人だったから……依頼はその人を探してほしいというものです。確か二人の息子がいたはずですが……まさか」
そこまで言われるとカルセドも想像がつく。
カサブランカはため息を吐いてから、それが正しいと教えてくれた。
「ご想像の通り、俺らの親父だよ。ヒーローに捕まった、な」
「……そうみたいですね。それからの消息は不明となっていて、だから探してほしいと……」
「はあ、あの馬鹿はまだ親父が生きてると思ってんだ。だからヒーローになって出世して、情報を手に入れようとしてやがる……どうせもう死んでるに決まってんのに」
ラウンド髭について水滴を荒々しく手の甲で拭い、吐き捨てるようにつぶやいた。そこには隠し切れない憎しみがあり、カルセドはそこにこの兄弟の軋轢を見た。
「なあ」おずおずと虎が間隙を縫って。「聞いていいのかわからねえんだけど……その丑満時ってのがボスの父さんなのか? んで、コンカドールはその行方を捜している……」
「別に隠してるわけじゃねえから構わねえよ。カルセド、ついでにお前の調査結果の答え合わせといこうじゃねえか」
「わかりました……じゃあお願いします」
ヤギからバトンを渡されて、カサブランカは語り出す。
丑満時 蹄石は危険特級の能力者だった。カルセドと同じように大人になってから能力が発達したタイプであり、そのせいで使いこなすのに苦労していた。
そんな能力が解き放たれるのは本人にとっても、周囲の人にとっても良いことはない。能力制御装置があったとしても完全に抑えきれるものではなく、ついにヒーローに捕らえられてしまった。
「……まあ、しょうがねえとは思うけどな」牛の言葉は嘆息交じりだ。「あいつの能力は不安定だった。能力制御装置があっても、外を歩くだけで周囲が被害を受けるくらいにはな。そんな奴を野放しにしてたら、俺らも死んでたかもしれねえ」
「そんなにやばかったのか、どんな能力だったんだ?」
「殺傷能力過多、範囲は広大、誰がどう見ても危険ってわかる能力だよ。そんなのが制御できねえんだ、当時は捕まるのも当然のことだと思ったよ。でも、それから会えないとは思わなかったがな……」
「ヒーローに捕まってからの消息は不明です。一応いくつか調べたことから推測は立てられますが……」
「どうせ死んでる。でも、コンカドールはそれを認められてねえんだ」
「私もヒーローがそんなことをするとは思えませんが……しかし……」
「その様子じゃ、何か掴んでるみてえだな」
「あくまで噂の段階ですが、とあるヒーロー支部に極秘裏に能力を研究する場所があると……どういうものかはわかりませんが、いい話は聞きません」
それを聞いたからこそ、カルセドは支部を調べようとしていた。だが今はまだ不確定なもので、依頼主に情報として渡せるものではない。それを確認する前に、自分の能力が暴走したのだから。
探偵として不確定なものを口にすることへの躊躇が、歯切れの悪い態度を取らせる。だが、そんなヤギの背中を押すように、確信は隣にいた虎からあっさりと飛んできた。
「あるぞ、そもそもおれはそこいたからな」
「マレロさんが、そこに……?」
「おう。おれの能力は危険一級。隔離研究棟に連れてこられてからボスが助けてくれるまで、ずーっとそこにいたぞ」
「……その話、詳しく教えてもらっても? あとメモを取ってもいいでしょうか。職業柄、こういうのは書き留めておかないと気が済まなくて……」
返事を聞く前だが、ヤギのスマホを持ち上げる手は高速でフリックしている。これまでの話も書き留めてあるようだ。画面を見てはおらず、何も逃さないように耳や目はしっかりとマレロの方を向いている。さすが本職の探偵だと、カサブランカはこっそり感心していた。
「別にいいぞ……って言っても、おれは実験体だっただけだからなあ。ボスの方が詳しいだろ。なんたって元ヒーロー本部所属研究員なんだからさ」
「うええ?! 本当に研究者だったんですか?!」
いまだに半信半疑だったカルセドが驚けば、牛はしてやったりと笑いだす。さっきまでは鬱屈とした感情が表に出ていたカサブランカだが、今はそれも制御できているようだった。
「あははっ! 疑いすぎだろ! 最初から俺は嘘なんてついてねえよ。俺も最初はコンカドールと同様、ヒーロー本部に就職して調べてたんだ。俺は裏方の研究員として、コンカドールは表に出るヒーローとしてな」
「ヒーロー本部って研究員も戦闘訓練とかするんですね……」
「しないしない、俺が優秀なんだよ。俺とコンカドールは能力的にも相性がいいから、たまーに現場があったくらいだ。現場検証って名目で荒事に駆り出されたりな」
だからカサブランカは厳密に言えばヒーローではなく、ヴィランネームしか持たない。カルセドは仕事柄ヒーローについても詳しいが、今までカサブランカという名前を聞いたことがなかったのも当然だと頷いた。
元ヒーロー本部研究員のヴィラン。これは肩書だけ見ればマッドサイエンティストだと、ヤギは認識を改める。
「現場もできる研究員は貴重だからな。俺は順当に出世したよ。……だから、本部にある隔離研究棟の話も来た」
「隔離研究棟……さっきもマレロさんが言ってましたね。それが危険能力者を研究する場所ですか」
「その話を聞いた時、俺はようやく来たと思った。あの親父の消息がこれでわかるってな……でも、そうじゃなかった」
そこで牛は言葉を溜める。視線はマレロに向いていて、躊躇が色濃い。
隔離研究棟の実験体だったマレロがどういう扱いを受けていたのか、カルセドは知らない。だが、決していいものではないということくらい察している。
「マレロ、聞きたくないなら無理しなくていいぞ」
「はっ、別に平気だって。いつまでも引きずってられねえからな」
「そうか……あそこは日々熾烈を極めるヴィラン被害を無くすために作られたってのが建前だが、簡単に言えば人体実験をする場所だった。危険能力者たちを隔離して、その性質を研究する。要は正義の名の下に、好き勝手にしてた場所なんだ」
「噂は……」乾いた舌を引きはがしながらヤギが。「本当だったのですね。あまり信じたくはありませんでしたが……」
「奴らからしたら危険能力者ってのは爆弾なんだ。いつ爆発して世間に被害が出るのかわからねえ。だから研究して、処分する。特に親父やマレロみたいな高ランクの危険能力者は生かしておくだけで損。それがヒーロー本部の考え方なんだよ」
「で、でも、能力制御装置があれば人並みの生活は送れるはずです……」
「それが壊れて暴発したら周囲の被害は尋常じゃねえだろうが。実際親父の能力は破壊特化で、本気をだしゃ町ひとつくらいは消せる。お前と同じ特級だからな。リスクを考えれば、野放しなんて無理なんだよ」
「……なら、マレロさんも? マレロさんには制御装置がないようですが……」
「こいつは別種なんだ。制御に問題があるんじゃなくて、単純に能力がまずい。こいつがその気になれば金銀財宝レアメタル、何でも作れるからな。捕まってヴィランの資金源になられても困るから、危険扱いなんだよ」
「実際おれが隔離研究棟でやってたことは金を産むことだったからな。だから余計に表に出せなかったんだよなあ。おれとかそういうやつらはまだ待遇がいいとは思うけど……」
制御のできない危険能力者がどういう扱われ方をするのか。想像するだけでカルセドは毛皮が逆立った。捕まってしまえば自分も確実に収容される。それがわかってしまうだけに、なおさら身につまされた。
「……でも、待遇がいいとは言いますが、それでもカサブランカさんはマレロさんを連れて研究所を抜け出したんですよね?」
「まあな、おれは結構な速度で産めるから、金もだいぶ溜まってな。これ以上は値崩れするし不要だって言われて、研究内容が変わったんだ」
「俺も隔離研究棟の内容に腹が立ってたし、どう考えても親父は死んでるってこともわかった。そこにきてマレロの実験内容がくそすぎたから、堪忍袋の緒もぶっちんだ。ひと暴れして抜け出したってわけ」
「だからおれらも社会悪の称号はもらってるぞ。そこも仲間だな」
ひどい扱いを受けたのに、それでもマレロは明るく振る舞おうとする。自首しようとするカルセドに気にするなと言いたいのだろう。ヤギはむず痒くも嬉しくなって、なんて返せばいいのかわからず笑って頷くだけだった。
もちろんその間も指は入力を続けている。名の知れた探偵になるだけあって、私情と切り離した行動はお手の物だった。
「……お人好しと言う意味では、マレロさんもなかなかですよ」
「そうかもな。おれは元々ヒーロー志望で自分から受けたんだよ。そこでの能力チェックで隔離されたけど、本当はおれ、ヒーローになりたかったんだよなあ」
もう叶わない夢を語るマレロの声には、隠し切れない寂しさがにじんでいた。
夢を抱いてヒーローの門を叩いたが、待っていたのは実験体の日々だ。しかも今は社会悪のヴィランであり、追われる立場にもなっている。
だが、それでも虎は笑顔を絶やさなかった。
「まあでも、ボスの下でも似たようなことはできてるし、おれは満足してる。カルセドを助けたりな。この組織はおれがいれば資金難にもならねえし、安心していいぞ」
「そうですね……ありがとうございます。でも、資金は潤沢なのに他のヴィラン組織とは協力するんですね?」
そう聞けば、牛はおやつのシュークリームを頬張っているところだった。マレロのメンタルに問題がないとわかったからか、反応は気さくだ。
「ん? まあそっちは趣味みたいなもんだよ。さっきも言ったが、俺は研究者。バスケットは能力の研究がメインの組織だ。他のヴィランの能力も調べる上で、交流は欠かせねえ。能力の探偵として依頼は受けているが、能力制御に関しても相談されることがあるしな」
「やっぱり元ヒーロー本部所属研究員って肩書が強いんだよなあ。ボスはヒーローが死ぬほど嫌いだから、いやがらせ目的の側面もあるぞ」
「あとはコネ目的だな。あると便利だぞーコネ」
ヴィラン組織の顔色を窺って抱かれているくらいだ、カルセドが知らないだけでかなりの情報を持っている。だからこそ、弱小組織でありながら上手く立ち回れているのだ。
「それに、俺は二級でマレロは一級。そこそこ戦えるけどやっぱり本物の特級相手はかなり厳しい。コンカドールの例からわかる通り、特級はそれこそ規格外の世界だ。ヒーローどもをぶっ潰してもらうには、他のヴィラン組織に頼るのが一番なんだよ」
「ボスなら本気を出せばもっと上を目指せると思うんだけどなあ。結構無法できるくせに」
「ま、能ある鷹は爪を隠すってこと。この世界は手の内をばらした者から負けるんだよ。対策さえできれば、どんな能力も怖くねえからな。コンカドールだって、隠し玉の一つや二つくらい持ってるだろうよ」
牛の言葉はカルセドも理解できる。因果律操作でラッキースケベを起こす能力は不意打ちにはもってこいで、何度か窮地を脱したこともあった。特にカルセドの能力はバレづらい上に対策が困難という特徴がある。できるだけ相手にしたくないとは、カサブランカの評だ。
メモを取りながらカルセドは考えをまとめていく。
特級を抑えるほど強い能力制御装置をあっさり持ってきたのも、そういう事情だった。カサブランカが能力研究をしているのは、自分の父親のことがあったからなのだと想像がつく。だからこの兄弟は自分を助けてくれるのだということも。
「んで」没頭するヤギに牛が語り掛ける。「答え合わせは十分か? 仕事を手伝うって言ったからな。これでコンカドールに報告する分には問題ねえだろ」
「はい、ありがとうございます。これなら調査報告書は問題なく作れそうですが……コンカドールさんも知ってるようなことばかりでしょうね」
「実際俺は何度もあいつに言ってんだ。隔離研究棟のことも、親父がもう死んでるだろうってことも。でもあいつはずっと、自分の目で見ないと信じないって聞かねえ。だからヒーローとして上り詰めて、閲覧権限を得ようとしてる。頑固なやつだ……」
「まあボスの弟っぽいけどさ」
「優秀って意味だとそうかもな。でも俺はマレロもカルセドも、ヒーローに渡す気はねえ。手柄は別のところで立てるといいさ」
ヒーロー嫌いではあるがお人好しなのは間違いない。それはヤギが少しの付き合いでわかったカサブランカという男だ。
「よーし、それじゃあいい時間だし、今日はもう寝るか。明日にはカルセドの事務所の資料を破棄しに行って、それで晴れて町からおさらばだ。コンカドールへの調査報告は、適当にメールかなんかで済ませとけよ。どうせ既知の話しかねえんだから」
「そうですね……」
「おっとそうだ、雑魚寝になっちまうが、勘弁してくれよ」
「あ、私は平気です。仕事で張り込みとかもしてたので」
「さすが、なら問題なさそうだな。ムラついたらいつでも襲っていいぜ♡」
「う……」
わざとらしくタンクトップを脱ぎ捨て、牛は褐色と赤の混ざった体をさらけ出す。その胸のでかさはやはり垂涎もので、しかも乳首はコンカドールより肥大化しているときた。弟と違い、兄は雄を誘うことに特化している。
ヤギの反応を満足そうに眺めた牛がソファに寝転ぶと、虎が即座に歯ブラシを突きつける。しっかり新しいものも買ってあったようで、カルセドはありがたくいただいた。
こうしてヤギも毛布にくるまれば、ヴィランに認定された激動の一日が幕を下ろす。
――――わけではなかった。
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時間を少し巻き戻して、日が暮れる前。カルセドを確保しそこねたコンカドールは、支部に戻っていた。
ヒーロー支部は文字通りヒーローたちの駐在所のようなところであり、多数のヒーローが在籍していた。だが今はカルセドによってホモ落ちしたヒーローたちは検査に送られているため、人手不足にあえぐ職員たちが慌ただしく行きかい事態の収束に努めている。
「あ、コンカドールさん! おかえりなさい! どうでした……?」
巨躯の牛を見つけた職員がすぐさま聞いてくる。コンカドールは申し訳なさそうに眉を下げ、事の経緯を報告することにした。
しっかりスーツを着こなしたコンカドールは注目の的だ。人よりずっと高い背丈に分厚い肉体、それを彩るフォーマルな雰囲気は牛の相貌を涼し気にしている。服を脱げば兄弟似たような濃い顔なのだが、衣服が程よく中和してくれていた。
それから支部長らと軽く会話し、現状を確認。単独捜査権を持っているとはいえ、支部でも捜査は行われている。情報共有も立派な仕事なので、疲れていてもコンカドールは手を抜かない。
職員たちにとって冠(あたま)付きは希望であり、憧れでもある。向けられる瞳の輝きには慣れているつもりだったが、今日は真正面から受け止めるのは少しためらわれた。
結局仕事を切り上げたコンカドールが部屋に戻ったのは、日が沈んでからだった。
本部から派遣されている冠(あたま)付きともなれば、それ相応の対応は与えられる。支部の中でもいい部屋をあてがわれており、生来の真面目さで部屋は綺麗にしたままだ。
いつもならスーツを脱ぐのだが、牛はそのままベッドに倒れこむ。しわになりにくい素材とはいえ、こんなことをするのは珍しい。
「……はあ。結局取り逃してしまった……兄さん、いつになったらヒーローを信じてくれるんだ」
隔離研究棟の存在を知ってからヒーローそのものへの憎悪を募らせた兄を想い、弟は寂しそうにつぶやいた。母を亡くしたコンカドールにとって、カサブランカは会える唯一の肉親だ。いつか和解できたらと思っているが、その時はまだ来ていない。
「父さんを見つけたら、兄さんだってきっとわかってくれる……きっと……」
自分に言い聞かせるようにつぶやいて、シーツを握る。尻尾がうねるのは死んでいるかもしれないという弱気を振り払い、それから自分の尻を叩くためだ。自分が諦めたら、きっと父親は悲しむに違いないから。
「ん……」
だが尻尾は徐々に勢いを無くし、緩くうねるだけになる。
次に吐かれた息は少し甘く、シーツの上で巨躯がもだえた。
「カルセドさん……」
さらしで隠した胸、ヤギの手が沈んだ部位はいまだ熱を持っている。真剣な、だけど優しい顔で自分を抱こうとした雄を思うと、コンカドールの体に甘い痺れが走るのだ。
あの時、コンカドールは抱かれる気だった。信頼を得るためでもあり、性欲を処理するためでもあるが、本気で抱かれてもいいと思っていた。それが中途半端に終わったことで、欲求不満が牛を内側からじらし続けている。
「後ろ……使ったことはないけど、準備しておいた方がいいのかな……」
優美の冠を持つが、コンカドールとて一人の雄だ。気持ちいいことに興味はあるし、恋人だっていたらいいなと思うことくらいある。イメージを守るためにしていないだけで、嫌いではないのだ。
「ん、これが因果律操作の結果なのかは……わからないけど、でも、私は君を守れるなら……」
もう二度と父のような人を出したくない。だからコンカドールはカルセドに抱かれることをためらわない。性欲の管理さえできれば、自分の父と違う道を行けるはずだと信じている。
「しごくだけでいいのかもしれないけど……多分そんなことしてても、いつか能力で抱かれることになるだろうし……だったら、まあ……」
さらし越しに自分の胸を揉むと、火照った呼吸が漏れていく。他人に揉まれたことなどなかったために、あの感覚は鮮烈だった。
デビュー時に巨乳を揶揄されて以来隠してきたこともあり、ヤギの嬉しそうな顔はコンカドールのわだかまりを少し薄めてくれた。当時の兄が勿体ないと言っていた理由が、今ならわかる。
しかしいくら思い出をなぞっても、それで欲が治まるわけもない。
もぞもぞと大きな臀部が動き、シーツにいくつもの波を立てる。匂いでばれたくないから抑えてきただけで、胸はずっと火照っていたのだ。
「困ったな……今日はこれから予定があるのに……」
とは言いながらも指はジャケットへと伸びていた。それが明白な答えであり、本人にも抑える気はもうない。
ひとまず脱いでしまおうか。なんて考えたコンカドールがボタンに手をかけた時――
「コンカドール、いるか?」
ノックと共に牛を呼ぶ声がした。
「あ、ああっ! すぐ開ける!」
飛び起きた牛が鏡で身だしなみを確認すること一瞬。問題ないと判断して出迎えれば、扉の向こうにいたのは獅子の男だった。
人目を引くたてがみはともすれば顔を大きく見せがちだが、筋肉を付けた体にはちょうどいい塩梅に収まっている。コンカドールに匹敵するほどの分厚さは金の毛皮で覆われており、蛍光灯の下でもまばゆさを失っていない。
ラフな上下赤ジャージ姿だが私服というわけではなく、これが彼のヒーローとしての正装。本部から提案された衣装を拒否して、自分の好きなものを着た結果だ。
そんな同僚は片手を上げて、軽い挨拶をした。
「よっ、明日から我もここで出勤することになったから、挨拶をしにきたぞ」
「アレゴリーか。君も派遣されたんだね」
「まあ我、百人力だしな。人手不足の支部に送るにはうってつけだろ」
「確かにそうだね。じゃあ現状の情報はどれくらい把握してる?」
「いや、今着いたばっかでな。だから、お前から教えてもらおうと思って」
「ああ、なるほど。それならさっき支部長に報告した内容をまとめたものが……」
部屋に置かれた資料を取ろうとした牛だが、それより早く獅子の手が伸びた。
「いい、めんどくさいからな。こいつに聞く」
「あ、待ってくれ……それを使われると……!」
金色の手はコンカドールのネクタイに触れると細い布はみるみるうちに形を変え、小鳥の姿に変わる。質感はネクタイのままで、色も黒から変わっていない。まるでぬいぐるみのような小鳥は獅子の耳元まで来ると、くちばしを開閉し始めた。
「ふんふん……は? お前さらし巻いてるのか? なんと? そんなに胸がでかいのか? うわ、抱かれる気満々か……しかもさっきも……あーこれはタイミング悪かったな。悪いことをした」
「アレゴリー! も、もういいから! そこから先はプライバシーだ!」
「コンカドール」
「な、なんだい真剣な目をして……?」
「我は巨乳が好きなんだが、代わりに揉んでやろうか?」
「アレゴリー!!!!!」
真っ赤になったコンカドールが叫ぶのも無理はない。アレゴリーが聞いたのは今日体験したすべて、カルセドに抱かれようとしたことも、部屋でオナニーしようとしたことも、すべて筒抜けになっているのだ。
正確には動物となったネクタイが見聞きしたことだが、四六時中着けていたせいで大体全部把握されている。
これがアレゴリーの能力『鳥獣戯化』。物質操作系一級の、物を動物に変えて操る能力。そしてその物質が見聞きしたことはすべて把握できるため、戦闘だけでなく広域の情報収集などにも適性が高い。人手不足の支部で指名手配犯を追うなら、まさにうってつけの人材だ。
故に彼に付けられた冠は『君臨のアレゴリー』。同じ冠(あたま)付きの中でも、コンカドールとは仲の良いヒーローでもある。
「お前、我が巨乳好きと知っていながら、ずっとそのおっぱいを隠していたのか? 不敬罪だろ!」
「何が不敬なのかわからないし、君は女の子の胸が好きだって言ってたじゃないか!」
「大きかったら男でも女でも我は一向にかまわん! 正直お前の兄も狙っていた」
「知りたくなかったなあ! それに、肝心の情報が集まったならネクタイを返してくれ。出張だからそこまで予備を持っていないんだ」
「少しさらしを解いてくれたら……」
「絶対に却下だ!」
「ちっ」
獅子は舌打ちしながらも小鳥を牛に返し、ネクタイに戻す。着直しながら、コンカドールはこの同僚がいつかセクハラで捕まらないことを祈っておいた。豪放磊落な獅子は兄に近いところがあると心配している。
「とまあ冗談はさておいて、だ」獅子の目が鋭くなった。「お前、カルセドを救うつもりか?」
「ああ、そのつもりだよ。君なら理由もわかるだろう?」
「……だが、そんなことをすればお前の目標からは遠ざかるだろうに。本部からの心証を悪くすれば、父君の行方を掴むのはいつになるのか。ただでさえ、お前は兄の件で目を付けられているんだぞ」
「それでもだよ。私は全員助けたい。それこそがヒーローなんじゃないかい」
二人のヒーローが無言で視線をぶつけ合うと、獅子の方が口角を緩めて折れた。
「がははっ! いいな。我はお前のそういうところが気に入っている。丁寧な物腰のくせに誰よりも傲慢。全員救わないと気が済まない頑固者。さすがこの我の友をするだけはある」
「君の友人になるには傲慢が必要なのかい……?」
「我を通せないヒーローに価値などないだろ。人気取りに必死な阿呆どもにはわからんだろうがな」
「……自分で言うのもなんだけど、私は結構人気取りに頑張ってる方だと思うよ」
アレゴリーと違い、本部から提案された衣装を着こなして、優美のイメージを守り続けている。常に人当りよくを意識し貞淑を心掛けていることで、ヒーローの中で人気投票をすれば確実に毎回上位に食い込むほどだ。
「はん、お前のそれは目的のためだろうが。自己顕示欲で動いている他の奴らに、爪の垢でも飲ませたいくらいだ。その調子で司令になれ」
「簡単に言うなあ……兄さんも君も」
「我も隔離研究棟の存在は疎ましく思っている。必要悪という甘えなど、ヒーローに不要。お前が司令になってくれるなら、願ってもない。我は群れの長ではあるが、人の頂点に立つのはめんどいから嫌いなんだ」
誰にでも人当りのいいコンカドールと違い、アレゴリーは人の好き嫌いが激しい。物おじしないせいでヒーローの中でも浮いているところはあるが、それらをすべて実力で黙らせてきた。
だけど、彼も歴としたヒーロー。人助けに躊躇はない、お人好しだ。
「だから……いいだろう、協力してやる」
「助かるよ。君がいてくれるなら百人力だ」
「その方が確実だ。お前にもすぐ報告が行くだろうが、今回の事件、我を始めとした冠(あたま)付きが複数投入されている」
「……そうなのか。まあ、私だけとはさすがに思ってなかったさ。支部がこんなことになったんだ、本部にも面子というものがある」
「ヴィランに舐められたら終わりだからな。だが、カサブランカがいるならその判断も間違いではない。あれは手ごわいぞ」
「わかってるよ。だから本気で行く」
逆に言えば冠(あたま)付きの中で手柄を上げれば出世が、すなわち父に近づくのだ。コンカドールの引き締まった顔を、獅子は満足そうに見つめていた。
「いい顔だ。おそらく他の冠(あたま)付きは、あいつらが街から逃げ出すと考えるだろう。お前はカルセドがナイトライダーだと報告はしていない。だから奴の捜査資料を手に入れるなら、今が最も好機だ」
「……そんなことまでばれてるのかい」
「いい友人を持っただろう?」
「確かにね」
それだけ言えばもう十分と、アレゴリーはかかとを鳴らす。すると床から大鷲が生まれ、コンカドールの肩へと止まった。床材と同じく白の光沢ある外見に生気はうかがえないが、仕草は完璧に動物のそれだ。
「貸してやる。上手く使え」
「助かるよ」
「いい報告を期待してる。さて、我はもう寝る。お前はこの街一番の探偵とやらの実力を確かめてみるといい」
コンカドールが何をするのか理解していながらも、すべて任せて獅子は帰路に就く。ヒーロー本部の意向より、コンカドールの意思を優先してくれた形だ。
「……ありがとう」
牛は友人にお礼をつぶやいて、支部を後にする。ヒーローにはまだ、やることがあった。
そうしてたどり着いたのは人気のない工事現場だ。
コンカドールが振動であたりを探っても生き物の反応はなく、待ち伏せなどされていないことを確認。兄は振動を防ぐことはできてもごまかすことはできない。夜の暗い場所で、スーツ姿のまま毅然と待ち人を出迎えた。
「こんばんは、約束通り来てくれて嬉しいよ」
「いえ、こちらこそ。でも本当に、場所の指定は私がしてよかったんですか?」
「うん、私はこの街に来たばかりで、君の方が詳しい。信頼を示すにもいいかと思ってね」
暗がりから現れたのはラフな格好をしたヤギ、カルセドだった。
手には大き目の封筒を大事そうに抱え、ゆっくりと牛へと近づいていく。
「呼び出した私が言うのもなんだけど、本当に兄さんたちには黙ってきたんだね」
「……それについては申し訳なく思いますが、私にも仕事がありますので」
コンカドールは逃げられてからすぐに依頼したルートで連絡を送り、直接会いたいと伝えた。調査報告を聞くためでもあり、説得するために。
無理矢理捕まえることはないと書いたが、信じてくれるかは半信半疑だった。だからこうして来てくれたことが、コンカドールの胸を沸き立たせた。カルセドはまだ救える、それを確信できたことがとても嬉しいのだから。
最初向かい合った時は突然の事態に困惑が強かったヤギだが、今は闇夜に負けない意思を宿した目で牛を見つめている。そこには推しに対する昂揚はみじんもなく、すべてを見透かすような視線だ。
だから、目の前の彼こそがナイトライダーなのだと、コンカドールは肌で理解した。
「一つ確認させてください」ヤギが封筒を掲げて。「貴方が依頼主で間違いありませんか?」
「ああ、その通り。丑満時 蹄石の行方を頼んだのは、他ならぬ私、コンカドールだよ」
「かしこまりました。それではこちらをお受け取りください」
それを確認できれば十分とヤギは頷いて、封筒を指し出す。そのためだけに危ない橋を渡り、事務所からこれを持ち出したのだ。
例え自分の身が危険にさらされても、仕事には責任を持つ。その真面目さをコンカドールは高く評価する。
「……今は暗くて読めないね。口頭で聞いてもいいかい?」
「そうですね……では調査報告をしましょう」
声も振動であり、防音などコンカドールには朝飯前だ。索敵のソナーも継続的に続けており、カルセドが本当に丸腰で来たこともわかっている。だからこそ敬意を表し、捕まえないつもりだった。
今の二人は探偵と依頼人。それだけの関係だ。
「丑満時 蹄石の居場所は隔離研究棟とされていました。それは貴方も、カサブランカさんもご存じのはずです」
「……そうだね。兄さんはそこで父さんは死んだと思っている」
「その経緯は教えていただきましたが、それは結局、公然の秘密であり未知ではありませんでした」
「まあ、私も同僚も知っているくらいだからね……実際入ったことはないけれど、知ってる人は知ってるね」
「しかし、それこそが隠れ蓑だと言ったらどうでしょう?」
「え……?」
新たな可能性を提示されて、牛は口を開ける。ナイトライダーを頼ったのは藁にも縋る気持ちであり、駄目でもしょうがないと割り切っていた。視察の予定があるから、そこにいる優秀な探偵に依頼してみよう。本当にそんな軽い気持ちだった。
「隔離研究棟は確かに実在します。ですが、本当に大事な研究はそこで行われてはいません。利用価値のなくなったマレロさんしかり、あそこはどちらかといえば、サブプランに近い場所なのです」
「しょ、証拠はあるのかい……!」
「いくつか証言が取れています。コンカドールさんには私の能力がばれているから言ってしまいますが、私が『隔離研究棟の職員と寝たい』と能力を使った時、引っかかったのは本部の職員だけではなく、ここの支部の職員もでした」
「因果律操作……そんな使い道が……って待ってくれ、と言うことは隔離研究棟はここにも……」
「その通りです」
想像もしていない情報にコンカドールは狼狽を隠せない。あれだけ自分が探しても見つからなかったものを、このヤギはあっさりと見つけてしまったのだから。
概念干渉系とは文字通りの能力であり、世界の法則を自由にするものだ。カルセドは自分に都合のいい情報を持つ者を世界に見つけてもらうことができる。例えどれだけ情報を規制したところで、ヤギからは逃れられない。
「カサブランカさんは見落としているようですが、隔離研究棟を調べるのなら本部に行けばいい話です。なぜ私がここの支部を調べようとしていたのかを、考えていないようでした。きっと蹄石さんは隔離研究棟で死んだと確信を持っていたからでしょう」
その思い込みに気付いていながらも、カルセドはあえて訂正しなかった。真っ先に情報を伝えなければならないのは、目の前の牛だからだ。
カサブランカは元ヒーロー本部所属の研究員。だから知っているのは『本部の隔離研究棟』だけ。
「ここの支部には第二隔離研究棟があります。私の能力で引っかかったのがその二つだけですので、間違いないかと」
「よく今までばれなかったものだ……いや、ここはそれを見つけた君の手腕を褒めるべきだね」
「表向きはヴィランの収容所とされていますが、マッドサイエンティストに属するヴィランが多いんです。おそらくは何らかの取引をして、実験をしているのだと思います」
「非人道的な研究をさせるんだ、そういう人らじゃないと無理だろうね。多分兄さんが離反した件が尾を引いてそうだな……」
「ただこれはあくまで証言などをもとに考察しただけであり、実際に確認したわけではありません。その前に私の能力が暴発してしまいましたから……だから蹄石さんがいるかどうかはまだわかっていないというのが調査結果です」
どれだけ『丑満時 蹄石と寝たい』と願ったところで、因果は応えてくれなかった。カルセドの能力に引っかからないということは、死んでいるか、出会うことができないかのどれかになる。
「私の能力も万能ではありません。性欲に呼応するので……その、見た目が好みかどうかで、かなり精度が変わるんです。お力になれず、申し訳ありません」
コンカドールの大ファンであるカルセドだが、蹄石は少し年上すぎた。そのせいでストライクゾーンから外れてしまったが、そこまでは言えないのでぼかす形になった。
「そんなことはないよ。第二のことを教えてくれただけで十分。後は私だけでも大丈夫。兄さんにはこのことを?」
「伝えてません。この情報はあくまで依頼主であるコンカドールさんの物であり、私には守秘義務があります。ですが……」
そこで目を伏せて言葉を濁らせる。そうしてコンカドールは目の前の人物がナイトライダーからカルセドになったと感じた。
「カサブランカさんにはお世話になりましたから、コンカドールさんさえよければ教えてあげたいんです。どうでしょうか?」
「うん、そうだね。兄さんも知っていいはずだ、けど……」
少しだけ間を空けて、コンカドールは続けた。
「少し待ってくれないかな。今から一か月くらい」
「それは、コンカドールさんが調べるからと言うことでしょうか」
「兄さんにばれたら突貫されてしまうだろうし、そうなったら警備が厳重になる。兄さんはやると決めたら一直線で、私は準備を万全にしたい性格だから、出遅れそうなんだよねえ」
その様子をカルセドはありありと想像できる。行動力という点でこの兄弟は似た者同士だが、勢いで言えばカサブランカの方が強い。ヒーローとヴィランという立場の違いもあり、コンカドールは自分なら準備に時間がかかると想定している。
「わかりました、では来月に伝えておきましょう。それと依頼料ですが……結果が中途半端な形になってしまったため、料金は割引させていただきます」
「ふふっ、いいよ気にしないで。私はこれでも結構稼いでいるんだ、遠慮なく受け取ってほしい」
「いえ、そんな……」
「これから大変だろうからもらえるものはもらっておいた方がいい。だけど、本当にヴィランとして暮らしていくつもりかい? 兄さんの側にいれば間違いはないだろうが、何が起こるともわからないんだ」
「それは……」
この真面目さだ。カルセドは自分にヴィランが務まるとは思っていない。
能力で行為はしているが、あくまで同意の範囲内で出会い目的に使っているだけ。もちろん匿名探偵としてグレーゾーンにいる自覚はあれど、積極的に犯罪をしたいとは思っていない。
「父さんのことを調べたなら、自分がどうなるのか不安になるはずだ。けど、私がいる。君を隔離研究棟なんかには行かせない。あんなところがあってはいけないんだ」
牛が自分のジャケットの襟を少し左右に広げると、解放された胸部がシャツを押し上げて弾む。雄にしてはあまりに大きな胸にヤギは目を奪われ、驚きを隠せなかった。
「うえっ?! コンカドールさんはさらしを巻いているのでは……」
「君が喜ぶと思って、は、外してきた……だから胸が苦しくて……」
「そ、それはそうでしょうね……そんなにでかければ……しかしどうして」
「君に知ってほしいんだ。私が本気だということを」
恥ずかしそうに赤らんだ顔でも、コンカドールはためらわない。
「わ、私には君の性欲をすべて受け入れる覚悟がある。君が能力の制御を安定させられるまで、どれだけだって付き合える。二級から特級まで上がった今は特に不安定だろうが、いつかきっと慣れるはずだ。それまでは……私の体を好きにしていい」
憧れの肉体、しかも想像よりずっと豊満な体を見せられて、カルセドの思考が停止する。なにせコンカドールの衣装はさらし前提で作られているため、枷から解放された今はシャツのボタンがはじけ飛びそうになっているのだ。
引き伸ばされたボタン同士の間は歪に口を開けており、褐色の毛皮がはみ出している。暗くてカルセドが気付かなかっただけで、コンカドールの胸元はさっきからずっと限界だった。
「だから、戻れなくなる前に私について来てほしい。君はヴィランになってはいけないよ。人はやり直せるはずだ」
「あ、あの、コンカドールさん……私は……」
少し悩んでからヤギは何かを言おうと口を開く。
だがその前に、コンカドールの耳がピクリと動いた。彼のソナーに引っかかったのは、なじみのある風体だ。急いでジャケットを戻せば、胸部が窮屈そうに圧迫される。
「この反応……どうやらばれていたみたいだね」
「え……?」
カルセドもコンカドールと同じ方向へ視線をやれば、そこにはにやにやした牛と苦笑する虎がいた。
「まったくよお、お前の真面目さは美徳だが、さすがに時と場所を考えろって言ってもいいよな」
「おれもボスも、本気で心配してたんだからな。まあコンカドール相手なら変なことはされないとは思ってたけど」
「しかも情報を隠してやがった。なんだよ第二隔離研究棟って。んなの俺は知らねえぞ」
「なんで会話が……振動は私が遮断しているはず……?」
コンカドールがいぶかるのも無理はない。ソナーで周囲の人影もカルセドの武装も把握しており、周囲に声が広がらないように防音までしていたのだ。盗聴器の存在も確認できておらず、彼の能力をかいくぐって盗聴するのは、あの二人では無理なはずだ。
「……そういうことか」
何かに気付いたコンカドールが封筒を探せば、そこには小さな機械があった。カルセドの驚いた顔を見れば、彼が入れたものではないことがわかる。これが盗聴器だ。
カルセドが持ってきた封筒の中身をコンカドールは知らない。だから不審なものがあっても気付けなかった。夜の暗い工事現場では中身の精査もおぼつかず、完全に見逃されていたし、二人もまさか封筒に細工がされているとは全く思わなかったのだ。
「しかしどうして。この封筒は私が事務所から持ってきたもので、そんなものを入れる暇などなかったはずですが……」
「ああ、兄さんは固定の能力者だから。君を固定して、その隙に入れたんだろうね。カルセドさんは泳がされていたんだよ」
「それはもう固定というか停止の範囲では……そういえば、本人も似ていると言っていましたね……うかつでした」
カサブランカは対象の時間を固定することもできる。その時間はごくわずかだが、盗聴器を仕込む程度造作もない。後は二人の会話を聞いて、タイミングよく現れるだけでよかった。
つまり、カサブランカは最初からカルセドの行為を気付いていて、その意図も把握している。ここまで放置したのはただ仕事を全うさせようという善意と、後は弟を驚かせようといういたずら心に他ならない。
種明かしをされた兄はしてやったりと腹を抱え、明るい声を響かせる。鮮やかな赤が混じった毛皮が薄明りに映え、彼の周囲はいつだってにぎやかだ。
「あはは、その通り! 時間停止AVの真似がしたかったら俺に頼めばいつでもやってやるぞ。ま、できて数秒程度だけどな」
「兄さんがそれで二級止まりなのはおかしいんだよ。本当に、上手く立ち回ってる」
「俺が二級なのは単純に出力が足りねえからだよ。だから頭を使ってんのさ。んでどうする、やりあうなら構わねえぞ」
「遠慮しとく。今はヒーローじゃなくて、依頼人として来てるからね。今夜はわざわざ危険を承知で来てくれたカルセドさんの顔を立てるよ」
「お前もカルセドと真面目さではいい勝負してんな。じゃあ頑張ってくれよ。俺らは明日には町を出ていくから、好きに調査でもなんでもすりゃいい」
「……父さんを探さないのかい? せっかく第二隔離研究棟の存在がわかったのに」
「何度も言わせんじゃねえよ」
そこで兄の笑みが性質を変える。口は笑っているが目は全く笑っていない、ちぐはぐな顔へ。現れたのはどうしようもない苛立ちであり、隠し切れない憎悪だ。
「親父は死んだ。例え第二隔離研究棟があったとしてもそれは変わらねえ。お前のやってることはただその事実を固める作業にすぎねえんだよ」
「例えそうだとしても、私は父さんに会いたい! 生きていてくれればいい。けど、そうじゃなくても、私は探してあげたいんだ! 確認しないとお墓も立てられない……そんなのはあんまりじゃないか……!」
「…………」
弟の悲痛な叫びに兄は唇を噛んで言葉を飲み込んだ。言いたいことはわかっているが、ただの希望的観測だということを兄は知っている。だがそれを口にすることはなく、乱暴に踵を返すだけだった。
「帰るぞカルセド。後のことはあいつが勝手にやるだろ」
「は、はい……あの、カサブランカさん、マレロさんも、見守っててくれてありがとうございます。心配してたのに、私の仕事が終わるまで待っててくれたんですよね」
「お前は想像以上に真面目だから、途中で切り上げたらまた勝手に行動されるだろうしな。想定外のことが起こるリスクは減らしておきたかったんだよ」
「とかなんとか言ってるけどさ、ボスはずっと飛び出すタイミングを見計らってたんだぜ。特にコンカドールがおっぱい見せつけてきたところとか、尻尾がせわしなくて……」
「そりゃ俺の方がいいおっぱいだから、負けたらむかつくだろ。今後はあんな奴になびかねえように、帰ったらたっぷり教育しねえとな♡」
「えと、お手柔らかに……?」
工事現場を去っていこうとするヤギの背中を、コンカドールは呼び止められない。さっきの質問の答えがあの起立した背中に書いてある。カルセドはヴィランとして生きるつもりなのだ。それが不向きだとわかったうえで、兄に付いて行こうとしていた。
「どうして……」
カルセドがヴィランに向いていないなんてことは、コンカドールもよくわかっている。短い付き合いではあるが、彼の善良さは理解しているつもりだった。兄が世話を焼くということは、そういうことなのだから。
遠ざかる背中を見ながら、コンカドールができるのは自分の力不足を心の内で攻め立てることだけ。
カルセドもマレロも、本来ならヴィランにならずとも暮らしていけるはずなのに、自分に彼らを助ける力がないせいで、それしか道がないのだ。
能力の暴走は事故として処理できるはずだ。性癖こそ歪んだが、人的被害はいまだ確認されていない。支部の運営も、自分のような冠(あたま)付きが投入されることで、落ち着こうとしている。
「それでも……彼らの信用は得られていない……」
父の生存を信じてくれない兄に、自分の手からこぼれていくヤギと虎。
冠(あたま)付きだなんだのともてはやされているくせに、こんなにも無力じゃないか。そうコンカドールは奥歯を噛みしめる。
「もっと強くならないと駄目だ……もっと……!」
その時、自分の無力さを歯がゆく感じている牛の前に白く硬い物が落下し、粉々に砕け散った。
わずかに識別できる破片から、元は鳥の形をしていたのだとわかる。コンカドールはそれがアレゴリーのくれた大鷲だとすぐに気づいた。
「これは……なぜ。上空に待機させていたはずなのに……」
日中の出来事を確認したアレゴリーが今度は空を追えるようにと渡してくれたのに、今は何者かによって無残に破壊されている。つまり、ここには他に敵対勢力が潜んでいるということに他ならない。
そのことに思い至ったコンカドールはすぐさま声を張り上げた。
「兄さん……待ってくれ! すぐに周りを警戒して――」
「ほっほっほっ、なあに、慌てることはない。わしはお主の味方じゃからの」
落ち着いた声がしたかと思うと、耳をつんざく発砲音が無数に響き渡る。工事現場にいくつもの弾痕が生まれ、火花が夜に散っていく。コンカドールが鉄筋の上へと視線を送ると、機関銃を構えた龍が月を背後に打ち続けているのが見えた。
「セプタードさん! 君も来てたのか!」
「すまんのお。無粋な盗み聞きをしてしまった……む?」
龍が眉を顰めるのも無理はない。無数に放った麻酔弾は、すべてヴィランに当たる前に止まっていたのだから。空中で静止した弾薬の向こうでは、牛が顔をしかめていた。
「固定か……やはり守りに回られると分が悪い。隙を突いたつもりじゃったが、やはり優秀よのお」
「カルセドだけじゃなく、お前までつけられてたのかよ。ちょっと注意散漫なんじゃねえのか特級さんよ」
「す、すまない……まさかセプタードさんまで招集されているとは思わなくて……」
「いえーい。『号令のセプタード』じゃぞー。カサブランカは知っておるじゃろうが、そこの二人はお初じゃな。短い間じゃが、よろしく頼むぞ」
軽いノリで挨拶をした龍が鉄筋の上から飛び降りると、その全貌がさらされた。
セプタードは白く長いひげとたてがみを生やした緑龍であり、そのどちらも太い三つ編みにしてまとめている。かっちりとした黒の袴とベージュの羽織を着こなしているが、足元は機能性を考えたブーツになっていた。
そこだけ見ればおしゃれのようだが、背中にあるいくつかの重火器と、腰の武骨なポーチが戦う雄としてのいかつさを強調する。
恰幅は広くたくましく、羽織姿が山のような男。
彼こそ冠(あたま)付きの一人、『号令のセプタード』だ。
「いやーすまんのお。隠れておったらそこの鳥が襲ってきて、壊してしもうた。アレゴリーの能力で見張りをさせておっただろうに、申し訳ないことをした」
「……いえ、大丈夫だよ。ですが、私のソナーにセプタードさんは引っかかっていなかったはず……」
「ふん」応えたのは兄牛だ。「そいつの能力ならできるだろ。大方『コンカドールの振動は自分を素通りする』とかそんなことを定義したんじゃねえの? そいつは概念干渉系の一級、その程度の改変はお手の物だろうしな」
「ほっほっほっ、さすがカサブランカ。能力においては一家言持ちだな。ならば隠し立てもできぬか。初対面の彼らを驚かせたかったというのに、つまらんのお」
言葉のわりにさして残念がるふうでもなく、龍は掌を兄牛へと向ける。暗くてわかりづらいが、そこには確かに指摘された通りの文面が書かれていた。
「これがわしの能力『訓令御符レ書』。書いたことを現実にする能力。と言っても、限度はあるがの。銃に『絶対に弾が当たる』と書いて撃ったところで、カサブランカに止められてしもうたのがいい例じゃな」
「冗談、跳弾込みで四方八方から狙ってきやがって。止めるの大変だったんだぞ」
「残念じゃのお、一発でも当たればいい夢が見れただろうに。本部特性の麻酔弾じゃ。安心して食らうとよい。とはいえ、じゃ……」
そこで龍はヤギをじっと見つめ、三つ編み状の髭を撫でる。探偵であるヤギは、その目は自分を見透かそうとしていると察した。
「なるほど、良い若者じゃな。先の話も聞いておったが、探偵として優秀で責任感もある。これをヴィラン認定とは、まったく本部も無粋なことをするものじゃの」
「ありがとうございます……? いえ、自分はただ仕事をしただけですので……」
「ほっほ、謙虚なのもよいのお。コンカドールがお主に執心するのも致し方ないこと。その気持ちはわしにもわかる。だから協力してやろうと思っての」
「強力ですか……?」
「左様。お主の能力は性欲に呼応する。だとしたら、わしがお主の体にこう書けばよいだろう、『性欲が枯れた』と。そうすればその能力が発動することもなく、お主は能力制御装置も不要のまま元の暮らしに戻ることができる」
「で、でも、それは永久に効果があるというわけでは……」
「当然ない。じゃが、慣れるまでコンカドールが手伝ってくれるみたいじゃしな。能力の制御さえできれば、危険の文字は消せるんじゃ。わしの補佐もあれば、本部を説得するには十分だと思わんか?」
先ほどコンカドールが提唱した道を再度示し、龍は笑いかける。決して目の前の人を見捨てはせず、最善の道を模索してくれる。カルセドはヴィランになって初めて、ヒーローとはまぶしいのだと痛感してしまった。
まずは説得から入り、和解を目指す。ヒーローとはヴィランを倒す存在だと人は思っているかもしれないが、その根底には救いたいという気持ちがあるのだ。
「説得するのは結構だけどよお」兄牛は口をとがらせて。「銃ぶっ放しといて綺麗ごと言ってんじゃねえよ」
「ほっほっほっ、お主が起きとると邪魔されるのが目に見えとったからの。いい機会じゃからお主も改心して戻ってこんか? マレロのことも、わしらがなんとかするぞ」
「信用できねえっつってんだよ。本部の司令が頭を下げるなら考えてやらんこともねえがな。カルセドもマレロも俺の部下だ。てめえらには一人だってやらねえよ」
舌を出して吐き捨てるカサブランカには交渉の余地がないように見えた。セプタードはこの兄弟の事情を知ってしまったため、何とかしてあげたいという気持ちはあるが、コンカドールほど甘くはない。
背中から銃を持ち出して構えれば、一気に空気が張り詰める。能力によって百発百中になっている重火器の恐ろしさを、カサブランカはよく知っていた。
「残念じゃのお。自首の方が罪は軽くできるんじゃが……こうなったら実力行使かの。コンカドールは下がっておるといい、兄弟で戦うなどわしも好みではない」
「し、しかし、このまま見ているだけというのも……」
「なあに、構わんよ。お主の能力は相性も悪い。逃げられぬようにしてくれるだけでよいぞ。ほらわしって、手柄独り占めしたいタイプじゃしー?」
のんびりとした口調で冗談を言いながらも、手つきは迅速だ。両手にマシンガンを装備して銃弾を発射すれば、能力によって自然と整った軌道へと変わり、それは絶対に相手を逃がさない武器になる。
跳弾したところで狙いはぶれない。一発でも食らえば眠りこけるような麻酔弾を、カサブランカは必死に固定する。
「くそ……読みづれえ!」
「どれどれ、いつまでもつかの。わしの弾薬はたんとあるぞ」
「あいつ、『弾切れしない』って書いたな……このままじゃまずいか」
「食らっても死にゃせんが……まあハチの巣になれば一週間は起きんかもな。安心せい、その頃にはすべて終わらせとく」
自由自在に跳ねまわる銃弾をカサブランカが固定で止めたところで、すぐに次が来る。牛の能力は守りには強いが、攻めるのは得意ではない。こうしていれば、じり貧になるのは明らかだった。
「ボス、ここはおれが!」
「わ、私も……!」
マレロが銃弾の雨の中を突っ走り龍との距離を詰め、カルセドが能力によって不測の事態を願う。虎の体表には黒く硬質な鎧が生まれており、銃弾をはじいていく。いくら確実に当たるとはいえ、当たったところでマレロにとっては痛くもかゆくもなかった。
「駄目だ、マレロ! これは誘ってんだよ! あいつの能力は――」
カサブランカが止めようとするが、身体能力の高い虎には届かない。あっという間に龍と肉薄し、黒く硬い物で覆われた拳を振るっていた。
「ほっほ、リーダーの忠告はちゃんと聞くものだぞ、若いの」
セプタードは待ってましたとばかりに身をかわし、片手の銃を捨てて素早くポーチから短冊を取り出す。そこには『セプタードの味方になる』と書かれていた。
「さて、まずは一人。わしのキョンシーになってもらおうかの」
これを体のどこかに張るだけでいい。そうすれば、相手はセプタードによって現実を変えられる。掌を見せて能力を説明したのも、札への警戒をさせないため。直接書く必要があると思考を誘導するためだった。
龍にとっては慣れた動作。ヒーローになってから何百回としてきたことだ。彼はこの能力で幾度となくヴィランを下してきた。
だが、虎を叩こうとした手は一瞬だけ途中で止まり、タイミングがずれる。札を持った手は宙を切り、その隙にマレロが和装に包まれた腹部を殴りつけた。
「ほう、固定か……銃弾を止めながらよくやるものだ」
「ちぃ、あんま効果ねえか……マレロ! 大丈夫か!」
「平気だけど、おれの拳が効いてない! なんでだよ!」
「ほっほ、さあてなんでじゃろうなあ」
「くっ……!」
虎が後ろに飛んで距離を取りながら、腕を振るって黒色の刃を飛ばす。龍がそれをあっさりとかわせば、また均衡状態へと戻っていく。
ヒーロー志望だけあって、マレロの体術は確かなものだ。能力を組み合わせて行われる攻撃は苛烈で、その防御力は並大抵のものでは砕けない。札を警戒しながらの巧みな動きに、龍は感嘆を吐いた。
「ほっ、思ったよりやるの。きちんと鍛えておる」
「当然だろ! 今度こそおれはボスとカルセドのヒーローになるんだよ! おれはもう普通のヒーローにはなれねえけど! せめて、あの二人のヒーローになりてえ!」
「……そういえば、ヒーロー志望じゃったの。可哀そうに。はあ、気が進まん戦いじゃのお。この能力なら現場でも十分活かせたじゃろうに」
だが龍もまた冠を戴くヒーローの一人。虎の攻撃をいなしながら札を張る隙を狙っている。しかも片手はまだマシンガンを持ったままで、でたらめに撃ち続けている。どれだけ適当に撃ってもそれはカサブランカたちを狙うため、向こうを見る必要すらなかった。
「工事現場をあまり荒らしては怒られると思うのだけど……」
観戦を強いられているコンカドールが振動でいくつかの弾を防ぎながらため息をついた。セプタードの能力で『絶対に弾が当たる』となっている銃だが、誰に当たるのかは明言していないようだ。
かなりの数が襲ってきているのだが、指先ひとつで銃弾を防ぐ姿に焦りは全くない。カサブランカと違って、対象を取る必要がないため振動で壁を作れば事足りる分、防ぐのも楽だった。
「それにしても、マレロさんの戦っているところを見るのは初めてだけど……なかなか手ごわそうだ。さすがは兄さんか。能力の使い方に関して言うなら、トップクラスだからね。カルセドさんが兄さんの手ほどきを受けたら……考えるだけで大変そうだなあ」
こうして見ているしかできないもどかしさを感じながらも、相手の観察は怠らない。
虎の能力はデータベースに登録されているため、コンカドールも当然知っている。しかし、こうして実際の光景を見ると、その出力と使い方には舌を巻くばかりだった。
マレロは手を変え品を変え、セプタードを追いつめていく。黒く硬質な物体を弾丸にして飛ばしたかと思えば、次には腕が鏡のようになり反射で龍の動きを阻害する。綺麗な橙の毛皮からは、無数の武器が飛び出してきた。
札を付けられたところですぐさまその部位をパージし、また新しい鎧を浮かび上がらせる。一度登録してしまえば、マレロはどれだけでも同じ物質を体表に作り出すことができた。
尻尾の先を鋼鉄の槍に変え、爪を爆薬に変えて飛ばし、口から炎を吐くことさえできる。もはやマレロ自体が武器庫そのものであり、能力の許す限り無尽蔵に様々な物質を生み出すことが可能。
それこそ、危険一級として隔離された『食物連鎖を食らう者』。自分が食べたものを力にし、生み出す能力。この虎さえいれば、どんな物質だろうと湯水のように使うことができるのだ。
「やはり、単純な身体強化系とタイマンは厳しいの。わしの銃弾も効かんみたいじゃし、はて、困った困った」
「その割には余裕だな! そういうやつは奥の手があるから油断するなってボスが言ってたぜ!」
「ほっほっほっ、ちゃんと教育されておる。その通りじゃよ。この程度の危機など、何度も経験しとる」
マレロがどれだけ攻撃を打ち込んでも、龍に効果があるようには見えない。呼吸の乱れもなく、淡々と攻撃を繰り返していく。マシンガンでカサブランカたちの足止めをしながら、片手でマレロの相手をしているのだ。何発か食らうのは当然とばかりに、クリティカルな攻撃を見分けて的確にさばいていた。
「何度打ち込んでも効いてねえ……! これでも結構本気なんだけどな! あんた頑丈すぎる! 多分自分をそう定義してんだろ! さっきコンカドールの振動を避けた時みたいにさ!」
「ほっほ、その通りじゃよー。『攻撃を食らわない』と体に書いておけば、お主の技はわしに効果を及ぼさん。まあただ、何が起こるかわからんし、防げるものは防がせてもらうがの」
セプタードは書き込むことで現実を改変する能力者だ。袴の下にはびっしりと文字が書かれており、それによってカサブランカやカルセドの能力を防いでいる。
また、そこには筋力向上など肉体能力についての記載もあり、今の龍は身体強化系能力者とそん色なく振る舞うことができていた。
決して尽きない弾薬に、決してダメージを負わない体。セプタードは自分にとって都合のいい現実をマレロに押し付けて戦っていく。
二人の攻防はカルセドの目で追うことはできても、反応するのは難しい。しかも、カルセドがどれだけ願ってもセプタードに不測の事態が起きる気配はない。能力制御装置を外したところで、何も変わらなかった。
「どうして……」
「ちぃ、お前のもやっぱ効かねえか。俺の能力も一瞬しか効いてねえみたいだったしな。あいつ、自分の体にいろいろ書きこんでるんだよ。堂々と前に張ってんだ、対策くらいはしてるよな」
「ほっほ、まったく、もう少し驚いてくれてもよいのにのお。種がばれとる相手だと、反応がつまらんの。わしと初対面の人らはもっといい反応で慌ててくれるんじゃがなあ」
「あの、それで一級なんですか……? ここまで強力なのに?」
ここまでの現実改変能力があれば、特級でもおかしくない。セプタードの前では、どんな常識も通じないというのに。
三人のヴィランを相手にしながらも龍は涼しい顔だ。ヒーローとして経歴が長いセプタードにとって、この程度は困難とも言えない。冠(あたま)付きはたった三人で揺るがせるほど、甘い勲章ではないのだ。
「稼働限界があるんだよ。能力を発動すればするだけ、文字が薄くなって効果が弱まっていく。だからあいつは重火器をいくつも持ってんだ。能力が切れても次の銃で狙うためにな」
「なるほど、出力の問題ですか……」
「それに、カルセドと違って書き込むっていう動作がいる。だからこういう突発的な戦闘だと、使える範囲が自分の周囲限定なんだ。札でごまかしてはいるが、得意距離が狭い。逆に罠張って待ち構えたらほぼ無敵だから、そういう時は撤退一択だな」
「ほっほ、興ざめの種明かしじゃのお。もうちょっと引っ張ってくれてもいいじゃろうに。元ヒーロー本部にいただけあって、わしらの能力には精通しとるようじゃの」
種明かしをされても痛くもかゆくもないと言わんばかりに、飄々とした態度で龍は笑う。冠(あたま)付きということもあり、知る人ぞ知る能力だ。有名税のようなものだと、セプタードは割り切っている。
そして、それでも勝つ自信があった。高ランク能力者三人を相手にしながらも、ヒーローは揺るがない。
「ああもうじれってえ! 攻撃は食らってねえみたいだけどな、ぶっ飛ばしちまえばいいだろ!」
虎の片腕が急速に肥大化し、黒く硬質な物質で覆われる。腕をかたどった物質を龍へと向ければ、ロケットパンチが火を噴いた。
「どれだけ殴っても死なねえってことは、本気でやってもいいってことだもんな! ぶっ飛べ!」
「ほっほ、こりゃすごい。確かにこれだとダメージは食らわんが、場外にはなりそうじゃのお。本当に……本部の阿呆は惜しいことをする」
漆黒の腕部はすでに虎から切り離され、セプタードへと向かっている。拳は龍の体躯よりも大きく、当たれば途方もない衝撃が来ると予想できた。
だが龍は動じない。ポーチから札を一枚取り出すと、それを襲い掛かる拳に張り付ける。
すると、あれだけ強い勢いが失われていき、鼻先で完全に静止する。『止まる』とだけ書かれたお札によって現実は上書きされてしまった。
「まじかよ……そこまであっさり止められると自信なくすぜ」
「ほっほ、この程度なら造作もないの。しかしこの物質はなんじゃ……? 登録によればこやつの能力は、食ったものをそのまま吐き出すものじゃったはずじゃが……」
「おれだって強くなってんだよ! だから……こんなこともできるんだぜ!」
「ぬ……?」
止めたはずの拳にひびが入っていく。それは瞬く間に広がり、割れ目からは何やら液体が溢れているようだった。拳の中に何かが入っている。
「なんと、これは……」
すぐさま逃げようとしたが、それよりも拳が壊れる方が早い。ロケットパンチはブラフであり、こっちが本命だったのだ。
「おれ特性のオイルだ。体に付いたもん、全部洗い流してやるよ!」
なんでも作り出せるということは液体もしかりだ。セプタードはそのことを失念したと気づいたが、その時にはもう大量のオイルが降り注いでくるところだった。
黒い袴もベージュの羽織も、オイルに侵食されていく。戦闘にも耐えられるよう薄手の生地にしてあるせいで、張り付いた布地が龍の肉体を誇張する。ずんぐりとした山のような巨躯から、オイルがぽたぽたと滴った。
「なるほど、わしの体に書かれた文字を消しさえすればいいと……ほっほっほっ、やりおるのお……あと、このオイル少し甘いのじゃが、蜂蜜みたいじゃな」
「食っても害はねえはずだ、多分。そういう風にしたからな」
「ふむ、なるほどの。食べたものをそのまま出すだけではなく、それをもとに新しく作り出すわけか。それは登録になかったの。成長しとる……いいのお」
「そういうこと。おれは自分が食って登録したものを組み合わせて、新しい物質を作れるんだ。へへ、これはボスが教えてくれた、おれの新しい力だぜ」
「カサブランカは研究者として優秀じゃし、こういうところが厄介よの。じゃが、一瞬強酸か毒物か何かかと思って身構えたが、優しいものよ。はあ……そうならわしも心が痛まなかったというのに」
「……どういうことだよ」
崩れない余裕に不信を抱く虎に対し、答えを示そうと龍は腕を持ち上げる。そのまま振り下ろせば、マレロが生み出した硬質物体の破片が鈍い音を立てた。だが、龍の腕には怪我ひとつなく、肉体強度が維持されているのは明白だった。
「な、解けてねえのかよ!」
「対策ひとつで敗れるようなら冠はいただいておらんよ。わしに除光液やら何やらをかけて文字を消そうとする輩なぞ、ごまんと見てきたわ。対策しておらんわけがあるまいて」
「ああくそ! まだ足りねえか!」
「じゃがいい手じゃったぞ。おかげで銃が使えんくなってしもうた……が、もうおしまいじゃのお」
「どいうこと……はあぁ?!」
いぶかったマレロの顔がすぐさま驚愕に覆われる。虎の体は完全に動きを封じられており、身動き一つできなくなっていたのだ。
巨体の虎は先ほど攻撃した体勢のまま、必死に動こうと歯を食いしばるが、びくともしない。押さえつけられているのではなく、動作そのものが封じられている感覚。黒い鎧の隙間から見える毛皮は逆立っており、四肢には血管が浮かび上がっているはずだ。
「うぐ、体……動かねえ……なんだよこれ!」
「マレロ!」牛が慌てて能力を起動するが龍には効かない。「どういうことだ、札もペンも使ってねえのに……」
「ほっほ、さあてなんでじゃろうなあ。わしの能力は知っての通りじゃぞ。さて、カサブランカらに邪魔される前に、お主をわしのものにしてしまおうかの」
牛が見ていた限り、龍に不審な行動はない。書き込みや札を張るというわかりやすい動作があれば、見逃したりはしなかった。
だが現実は、マレロは動きを封じられ、セプタードは悠々と札に手をかけている。固定では時間稼ぎにしかならないが、牛もヤギも前衛ができる能力ではない。
「さて、これで一人と。安心せい、ひどいことはせんよ……むう、オイルで札が取り出しづらいの」
「くそ……動けおれの体……! ぐうううぅぅ!」
このままでは敗北は必須。何とかしなければと牛が頭を回し、一つの結論に達した。
「……そうだ、カルセド、お前のストライクゾーンは何歳だ? 親父は対象外だったよな」
「え?! あの、そうですね、カサブランカさんとかコンカドールさんくらいが……」
「だったらまだいけるだろ、あいつ、ああ見えて親父より年下だぞ。白髪と喋り方でごまかしてるが、俺より少し上くらいだ……どうだ?」
「……そう言われると、その」
ヤギの頭にデカパイを置いて、雄臭い肉体に抱き寄せながらカサブランカはささやきかける。性欲をくすぐって、能力を暴発させるために。
年齢の話を聞いてから、改めてヤギはセプタードを見た。
恰幅の良さとマッチしている和装が、どっしりとしたシルエットを形成している。指の付け根近くに白い毛があることから、体毛が豊かなのだとわかった。いろんなところに生えているのだろう。
戦闘中は動きのキレに気を取られていたが、よくよく思い返せば袖から覗く腕の太さは鋼のように硬そうだった。牛兄弟と違い、脂肪が少ないマッシブな体かもしれない。
なんて想像して、ヤギは小さくつぶやいた。
「ものすごく、好みかもしれません……!」
「よし! ならそれを全部あいつにぶつけろ。お前は特級、出力で負けるわけねえんだからな」
「は、はい……やってみます!」
カルセドは自分の性欲を開放して、セプタードへと発動する。脳内は袴の中の妄想で埋まり、現実になれと希う。
因果が巡り巡り、それは龍へと襲い掛かった。
だから、札を取り出したセプタードが足を踏み出したとたん――――
「なんとっ?!」
『オイルに足を取られて滑ってしまう』。慌てて踏ん張ったが体勢は崩れ、そのまま尻からこけていく。
本来ならあり得ないことだ。セプタードは決して油断などしていない。戦闘中に足元をすくわれるなど、長きにわたるヒーロー生活でも片手で足りるほど。
しかも周囲には先ほどマレロが壊した拳の残骸が散らばっている。体は能力によって強化されているため無傷だが、袴はそうではない。
なぜか『鋭い破片が股間周辺にあり』、なぜか『それは袴の股間部分を切り裂いてしまう』。
その結果、カルセドに向けてM字開脚を披露し、オイルで滴った純白の陰毛とそれに覆われたスリットを見せつける形になってしまった。
わずかに覗く恥骨部分には黒いインクで何か文字のようなものが見えている。それは大部分こそ無事だったが、オイルでにじんだ部分もあった。だがなぜか『溶け流れたインクがハートを描いており』、陰毛の上に卑猥な模様を作り上げていた。
「な、なんじゃと……?」
乱れた和装から胸元がのぞき、そこからはヤギの想像通り豊かな体毛がうかがえる。きつく帯を締めていたはずなのだが、なぜか『緩んだ上着が肌襦袢共々ずれて片乳が丸出しになっていた』。上部は胸毛に覆われていてわかりにくいが、下乳は牛兄弟より角ばっている。そして乳首はヤギの想像より大きかった。
しかもタイミングが悪いことに、『月明りの角度がちょうどセプタードをスポットライトのように照らす時間』だった。おかげで胸毛や陰毛に滴るオイルの艶までもが、はっきりと見られてしまう。
全身をぬるりと光らせた屈強な龍が、全く意図していないセックスアピールをヤギへと行う。今すぐ抱いてくれと言わんばかりの体勢を取ったことに、セプタードは動揺を隠せない。
「よし!」牛が拳を握って喜び。「いまだマレロ! 抜け出せるか?」
「何とか……やってみる!」
何をされたのかわからないが、セプタードの能力がどこかにあるのだ。
マレロは全身を固めた黒物質をパージしたりと、どうにかして文字から離れようと試みる。
このままでは解かれるのも時間の問題だが、龍に構っている余裕はない。
急いで立ち上がって距離を取り、ポーチからペンを取り出す。本部特性のインクが詰められたそれは、オイルの上からでも書くことに不便はない。手の甲に防衛の文言を書き連ねながら、わずかに赤らんだ顔でカルセドを見つめた。
「さすがじゃのお……特級になるだけはあるか。こんな醜態をさらしたのは、新人の時以来か……」
「何とか効いてよかったですけど……本当なら棒状のかけらが中に入ったりしてもうちょっと、その、ひどいことになってるはずなんですが……かなり軽減されてます」
「これでかの……いやはや、特級は恐ろしいわい。わしが招集されるのも納得じゃ」
もし仮に何も防御術がない場合にカルセドの攻撃を受ければ、こんなものでは済まなかった。セプタードだからこそ、この程度で済んでいる。
だが、概念干渉系の能力に対抗する手段を持つ者は多くない。そしてその数少ない中でも上位であるセプタードですらこうなのだ。ヒーローの中でまともに抵抗できるものが果たして何人いるのか。
「じゃがまあ、所詮は時間稼ぎ。マレロが動けなければ変わらん」
股間を丸出しにしながらも、羞恥よりも任務を優先する。自分の恥など知ったことかと、あくまで目標はヴィランの確保だ。彼にとって一番恥ずべきことは、自分の誇りのために悪を見逃すことなのだから。
「だったら私がまた……!」
「ほっほ、さすがに同じ手は二度も食わんよ。今度は防御を固めたからの。何か起こるにしても、今ほど強くはあるまいて」
手の甲に書かれた文言と、着直した袴に札を張り、今できる最善の防衛を整えてある。
それでも一歩でも動きたくない龍は、味方を作る札に新たな文言『マレロの額にまで飛んでいく』、『カサブランカの能力は受け付けない』、そしてパージですぐにはがされないよう『能力使用禁止』と書き込み、そっと風に乗せた。
「マレロ、動けるか?!」
「やってるけどっ! 体が全然、言うこと……聞かねえ! どこに文字があるんだよ!」
札は糸でつながっているかのような正確さで、マレロへと向かっていく。
三人の中で唯一前衛を張れる虎がいなくなれば、勝てる見込みはない。カサブランカはマレロを助けてくれた恩人だ。自分のせいでヒーローに捕まることがあれば、申し訳が立たない。
そして何より、マレロはあの地獄に二度と戻りたくなかった。
「あーもう畜生! これはあんまり使いたくなかったけど、しょうがねえ!」
マレロが心底苦々しい顔になり、札をにらむ。使いたくなかったと言っていたが、今使わねば他二人に迷惑をかけることになる。虎は天秤を傾け、自ら封じていた能力を解禁した。
「――――『爆ぜろ』!」
その瞬間、札が爆発した。耐火性が高いはずの札は霧散し、文字どころか形すら残さず塵へと変わる。
「なんじゃと! ……口から爆薬でも出したか? いや、そんなそぶりはなかった。それに、札は火に強い素材を使っておる。生半可な火力ではこうはならんのじゃが……」
「うるせえうるせえ! おれだって使いたくねえよこんな能力! でも、やらなきゃ……いけねえんだよ!」
セプタードの目から見ても、突然爆発したようにしかわからない。場数を踏んだヒーローの勘が、警鐘を激しく打ち鳴らす。危険一級として隔離されていた能力。食べたものを生み出すだけではないのではないか。龍は虎の底知れなさに、警戒のレベルを引き上げる。
だが、そんな張り詰めた空気の中、小さな震える声が待ったをかけた。
「……兄さん、どういうことだい? それは……その能力は……」
コンカドールは兄を見つめている。茫然とした顔で。
「――――父さんの能力じゃないか」
今度はマレロがあ然とする番だった。顔色から一気に血の気が無くなって、耳と尻尾がしおれていく。戦意は失われ、今にも泣きそうに顔を歪ませた。
「…………え?」
「今のは父さんの能力だ。『誤爆侵地』危険特級の、ありとあらゆるものを爆発させる能力。ただ、似たことをしただけかもしれないが……だけど私が見間違えるはず……」
「コンカドール!」
弟の言葉を兄は叫んで打ち消した。
虎の元へ駆けつけるカサブランカの顔は、ヤギが見たこともないほど怒りに歪んでいる。それ以上しゃべることは許さないと、本気の憤怒で押しとどめる。
マレロは牛の手が触れた瞬間に能力が切れたのか、自由になった体で縋り付いた。それは今まで戦っていた頼りがいのある姿ではなく、弱り切って今にも消えていきそうなほどもろい。
「ぼ、ボス……今の、本当か? これ、ボスの父さんの能力なのか……?」
「違う! いいから考えるな! 思い出さなくていい。いいんだ、マレロ」
「でも、おれ……おえぇ、げぇ……もしかして……」
何度もえづきながら、虎は体を丸めて震えるばかり。嗚咽の合間にごめんなさいとつぶやく姿を見ては、セプタードも手を出すことはためらわれた。
「うぅ……ごめんなさい……ボス、ごめん、ごめんよぉ……」
「お前が悪いわけじゃねえ! ほら、落ち着いて深呼吸しろ。大丈夫、大丈夫だから。ここはもう隔離研究棟じゃねえ。誰もお前にひどいことはしねえ、俺がいるだろ。な?」
マレロのおびえ方は明らかに異常だった。大きな体は遠くからでもわかるほど震え、目を見開いて過呼吸の様相を呈している。カサブランカを掴む手はきつく食い込んでいるが、本人にその自覚はない。
牛が抱きしめて、背中を何度もさする。彼らを捕らえなければならないヒーローたちも、何が起こったのかわからず困惑するばかりだった。
「でも、おれ、おれが……」
なぜそんなにもおびえているのか。その答えは本人が口にする。
「――――ボスの父さんを食っちまったんだ」
あまりにも衝撃的な告白に、誰もが耳を疑った。だが、確認したくとも、虎はただえづきながら泣くだけで、まともに会話できる状態ではない。
「ボスは、気付いてたんだ……おれの能力、全部教えたから……ああ、違う、そうか……だからボスはおれを助けてくれたんだな……ボスはおれが、おえ、食っちまったこと、最初から全部、知ってたんだ……」
「いいから! 思い出すな! 俺はお前を恨んでねえ! ……カルセド!」
「は、はい!」
「こっち来て、マレロの手を握ってくれ……畜生、最近は薬が無くても安定してたのに。ほらこれを飲め。そうすりゃちょっとは落ち着くから」
カサブランカが頓服を差し出している間にヤギが急いで傍に近寄って、虎の手を両手で包む。世話焼きで優しいマレロは、見開いた目を不安定に揺らしながら、ただうわごとをつぶやき続けている。
二人が必死にマレロをなだめている光景を、龍と弟牛は茫然と見ていた。これまで開示された情報をつなぎ合わせれば最悪な想像を描くのは容易で、だからこそ、虎が壊れかけた理由もわかってしまう。
「……こやつ、人を食ったのか?」
「お前らが食わせたんだろうが!」兄の慟哭は悲痛だ。「こいつの能力は食ったものを生み出す! だから、本部のくそ野郎どもは! 『能力者を食わせれば無数の能力を得られるのでは』とか、馬鹿みてえなことをマレロで実験しやがったんだ!」
「なんと……」
その結果マレロは新たな能力を持つことに成功している。人を食らって無限に強くなれる。だからこそ危険一級なのだ。
立ち尽くす二人のヒーローはどうしてカサブランカが裏切ったのか、その真意をようやく知った。父親を食われ、食らった相手をかくまっているのだから、ヒーローに下れるわけがない。
特にコンカドールの衝撃はすさまじかった。死んでいるかもしれないと覚悟は決めていた。だがこれはあんまりではないか。胃の中が波打って、不愉快な衝動にめまいが止まらない。
「じゃ、じゃあ、父さんは、もう……」
「俺はずっと言ってきたぜ。あいつはもう死んでるって」
「だったら、なんで……そのことを言ってくれなかったんだ……!」
「言ったところで信じたか? 俺らの親父は実験のために食われて、もう身体すら残ってねえって。自分の目で確認しないと信じないって言ったのはお前だ。じゃあマレロに証拠を求めるか? お前が食った証拠に能力を見せてくれって。こんな状態のマレロに」
「それは……」
「こいつ、抜け出した時はひどくてな。食べ物は食えねえし、人におびえるし、緩やかに死にかけてたんだ。闇医者に通わせて、ようやく落ち着いてきたってのに……」
カサブランカはできるだけマレロを刺激しないようにしていた。虎はただの被害者であり、トラウマを掘り出すことで傷つけたくなかった。
食らった人の能力を使うようになったのも少し前からのことで、助けた当時はこんな能力はいらないと泣きじゃくっていたのだから。そんなマレロに自分の父を食われたコンカドールを会わせることは、絶対に避けるべきだった。もし少しでも責められたなら、マレロのメンタルは完全に壊れていただろう。
その結果、弟を説得できないとしても、いつかわかってくれると信じた。
なんてことはない、いつかきっとと思っていたのは兄弟どちらもだったのだ。
「……お前はカルセドに対してもそうだ。救うなんて傲慢振りかざして、結局その意味をわかっちゃいねえ。こいつらをヒーローに渡すことが何を意味するのか、マレロを見たらわかるだろ」
「兄さん、私は……」
「だからもう一回聞いてやる」
牛はヤギと虎を――ヒーローに渡せない人たちを両手で抱きしめて、弟に問うた。
「お前、本当に自分が二人を救えると思ってんのか?」
射殺しそうなほど鋭い視線に突き刺され、コンカドールは何も言うことができなかった。以前であればできると断言しただろう。だが、父の死に様とそれによって憔悴したマレロを前に、これまで抱いてきたヒーローとしての矜持は何の役にも立ちはしなかった。
「わ、私は……」
ヒーローだと名乗ることも憚られた。今の彼らにとって、その名は残酷を意味している。
兄がずっと訴えてきた本当の意味を知り、コンカドールは愕然と固まったまま。人々のため、父親のため、そう信じて邁進してきたコンカドールにとって、現実は脚から力を奪っていくだけで希望など与えてはくれない。
そんな弟を見るカサブランカの目は険しい。夢に溺れた愚か者に構っている暇はないと、虎の肩を抱いて立ち上がる。
「……救えねえと思うんなら、俺らの邪魔をすんじゃねえよ。マレロもカルセドも連れて帰る。邪魔するなら、てめえらの心臓を固定してでも押し通るぜ」
どうすればいいのか、コンカドールはわからなかった。ヴィランを見逃してはならないという義憤は、救えないという現実に押しつぶされている。ヒーローとしての根幹が揺らいでいる牛に、立ちはだかる力は残っていない。
「仕方ないのお……」
龍が札を取り出して何かを書き込み、カサブランカに渡す。そこには『気持ちが落ち着く』と書かれていた。
「今夜は見逃してやるしかなさそうじゃの」
「……ふん、同情でもしてくれたか?」
「まさか。事情など大なり小なり誰にでもあるわい。まあ、わしもヒーローとして申し訳なく思うがの。じゃがここで無理に捕まえたところで、コンカドールは納得せんじゃろう。大事な冠(あたま)付き、それも良識あるヒーローを失うのはわしとしても避けたいのでな」
とは言うものの、同情してないといえば嘘だ。
無理を押し通して三人を捕まえて、何かあろうものならコンカドールはカサブランカと同じ道を歩むだろう。復讐とは連鎖するものなのだと、セプタードは知っている。だからここで断ち切ろうと、龍は後輩の背中を押した。
「コンカドール、今夜の出来事についてわしは黙っておくから、この件はお主に任せる。これからこの三人を捕まえるのか逃がすのか、お主が決めるといい」
「私が……かい?」
「左様。お主がしたいことを今一度考えてみる良い機会じゃろ。なに、責任くらい分担してやるわい。アレゴリーも乗ってくれるじゃろうて」
「でも、私は当事者だ……冷静な判断をできる気がしない……今だってどうしていいのかわからないのに……」
「するんじゃよ。お主の頭にある冠は何のためじゃ。お主は何のために冠を被ってまで、ヒーローをしている?」
「それは……」
「よーく考えるんじゃな。相談くらいは乗ってやるからの」
オイルにまみれた髭を撫でながら、セプタードは目を細めた。迷子になった後輩をなだめるための顔は、包容力に満ちていた。
すでに夜は深くなり、誰にも戦いを継続させる気はない。札のおかげで安定したマレロがバツの悪そうな顔でカサブランカの背中に顔を隠しているが、揶揄する人はいなかった。
兄弟の亀裂が表在化した空気は重い。選択を委ねられたコンカドールは兄に対して何も言えず、広い肩を丸めて自身の答えを探しあぐねている。ここで答えを間違えれば決裂は必須。もはやただ一人の肉親となった兄すらいなくなれば、自分は何のためにヒーローを目指したのか。もうコンカドールにはわからない。
「あの……」
だが、そっと控えめな声が思考の沼に落ちていく牛の手を引いた。
この場にいる全員の視線がカルセドへと集まる。ヤギは一瞬だけ目を伏せたがすぐに上げて、意を決して語り出す。
「だったら、探ってみませんか?」
「なにをだい……? 私の父さんはもう……」
「そうかもしれません。でも、コンカドールさんは確かめたくはありませんか? 第二隔離研究棟に行けば、蹄石さんの記録があるはずです。カサブランカさんは蹄石さんの研究経過を見たんですか?」
「いや、俺が知ってるのはマレロが……」わずかに逡巡したが、札を信じて牛は続けた。「食った結果能力を発現したってことだけだ。お前の言いたいことはわかる。要はマレロが食ったのは全部じゃないかもしれないってことだろ。俺が知らないってことは第二にあるんだろうし、間違っちゃいねえ」
「はい、それに死んでいたとしても、死因がわかっていません。ヒーローに殺されたのか、能力の暴発で亡くなったのか。それがわかるだけでも、コンカドールさんの道しるべになると思うんです」
ヤギにとってマレロの話は衝撃的だった。肉が食べられないのだと笑ったあの時、この虎はどんな気持ちだったのだろうか。カルセドは考えることしかできないが、ひどく悲しくなった。
だけど、これで得心がいく。アジトで隔離研究棟の話をした時、カサブランカは父親の能力の詳細について言及を避けていた。
それは父についてあまり触れてほしくないからだとヤギは思っていたが、本当は違った。
カサブランカは父親の能力をマレロに知られたくなかったのだ。
「コンカドールさんからの依頼が中途半端なままですし、このままこの支部に関する調査を続行すれば、新しい情報がわかるかもしれません」
「いいのかい……それは、君にとっても危険なことだと思うけど」
「もちろんです。依頼を引き受けたからには、しっかりと責任を持ちます」
それがナイトライダーとして活動してきたカルセドの矜持だった。生来の真面目さと相まって、名声を高めてくれている。
だが、カサブランカにとっては看過できることではない。憮然と鼻輪を鳴らしながら、ジト目をヤギへと注ぐ。
「真面目なのは結構だけどよ。ってことはつまり、ヒーローたちと正面戦争するってことだぞ?」
「……やらないんですか?」
意外そうに首をかしげられると、カサブランカは言葉を詰まらせる。牛の気持ちを知った今、このヤギは絶対に来てくれると信じていた。
「カサブランカさんにとっても、気になる情報のはずです。この機会に解決してはどうでしょう」
「簡単に言ってくれる。収容所とはいっても広い、研究棟がどこにあるのかわからねえんだぞ。大雑把な把握で突撃していい場所じゃねえ」
「なので、私が捕まろうかと思います」
「はああぁ?!」
騒動だにしない提案を受けて、カサブランカはもとより、ヒーローたちも驚愕に目を見開いた。
「私が捕まれば十中八九、第二隔離研究棟に送られるはずです。なので、発信器を仕込んでおけば、最短で到着できるかと思います」
「いや、お前さ……マレロの話を聞いただろ。あんな目に合うかもしれねえんだぞ」
「覚悟の上……ではありますが、できるだけ早く来てくれると嬉しいです」
「……はは」
お手上げだと肩をすくめて、ボスは笑った。
「しょうがねえ部下だな。そこまで信頼されちゃ行くしかねえ。捕まえて一日だってのに、えらく信頼されたもんだ。マレロは……」
「おれも行くにきまってるだろ!」牛の背中から虎が声を出して。「おれだって、ボスの父さんを全部食っちまったのか気になるんだ、自分で確かめたい……おれがしないと駄目なんだ……」
「そうか……じゃあ頼んだぜ。前線張れるのはお前しかいねえんだ」
「へへ、任せとけって」
札のおかげか、マレロは牙をむいて笑っており、分厚い胸を叩いて覚悟を決めているようだ。後輩にばかりいい恰好はさせられないという意地もあるが、二人を守れるのだという決意が虎の心に活を入れた。
「ほっほ、わしらの目の前で襲撃の算段とは、いい根性しとるのー」
セプタードが心底愉快そうに弾んだ声をあげながら、ひげを撫でている。その気になれば今すぐにでも三人を捕まえられるだろうが、龍がとった行動は静観だった。
「しかし、わしは先ほど黙っておくと言ってしもうたし……困ったのお。ヒーローが約束をたがえるなど言語道断。これではヴィランのたくらみを阻止できん」
次に弟牛の背中に手を当てると、コンカドールはその意を察して戸惑った。
「セプタードさん……」
「じゃからカルセドはお主が捕まえるといい。それからどうするのかは、お主に任せる。良い結果になることを祈っとるぞ」
「ありがとうございます……」
「道に迷うことなど誰しもあること。お主はまだ若い。好きなようにやってみて、それから決めても遅くはあるまい」
「えっと、セプタードさんも兄さんと同じくらいだったと思うんだけど……」
「ふむ、これは内緒なんじゃが……プロフィールに書いてあるのは肉体年齢の話でな、体に老化を止めるよう書けばそこそこごまかせるんじゃよ」
「ええぇっ?! じゃあ、本当はいくつなんだい?!」
「それは秘密じゃよー。ほっほっほっ」
突然の告白に全員があんぐりと口を開ける中、龍は茶目っ気強くウインクをした。見た目と行動がそぐわないことが多く、確かに年齢がわかりづらいことが信ぴょう性に拍車をかけていた。
「冗談だろ」カサブランカが辟易と。「そんな能力の使い方ができれば、特級……いや、それどころか隔離研究棟行きでも不思議じゃねえ」
「えと、じゃあセプタードさんはどうしてそんなことを?」
「こいつ、見た目のわりにひょうきんでな。すーぐ人をからかうんだよ。だからこいつの言ってることは話半分くらいに聞いとけ」
「ほっほ、だからお主はつまらんと……もう少し乗ってくれてもいいではないか。カルセドも嘘じゃと思うかの?」
「いや、えっと……正直判断つかないといいますか……」
「ならわしの体の隅々まで探ってみるかの。お主はわしに欲情するようじゃし、好きなだけまさぐってもよいぞ」
「うえぇ?!」
驚いて毛を逆立てたところで龍はにんまりと笑い、からかわれたと知る。少し期待してしまっただけに、カルセドの恥ずかしさも一入だった。
「ほっほっほっ、わしもまだまだ捨てたものじゃないの。コンカドールに飽きたら、わしが性欲の管理をしてもよいぞー」
「確かに、二人でやったほうが確実かもしれないね」
「ええっ! あの、それは……私がもたないかも……」
「ほっほ、冗談じゃよ。お主もコンカドールと同じで、からかいがいがあってええの。さらに、その勇気に免じて一つ助言をしてやるかの」
ヒーローとはいえ、この場に限ってセプタードはカルセドの味方をしてくれる。彼にとっても隔離研究棟は目の上のたんこぶであり、復讐の連鎖を止めることは同僚であるコンカドールのためになるとの判断だ。
龍もアレゴリーと同じ、必要悪などヒーローにとって不要だと考えていた。
「一人で支部一つを壊滅まで追い込んだ危険特級に対し、様々なところから冠(あたま)付きが投入されておる。わしとアレゴリーはちょうど近くにおったからほぼ一番乗りじゃが、時間がたてばたつほど警備が厳重になるじゃろうし、やるなら早いほうが良いぞ」
「ありがとうございます。でも、セプタードさんはいいんですか……?」
「ほっほ、よいよい。あんなのはないほうがいいのじゃよ。正義の名の下に横暴なふるまいをしては、ヒーローの看板は張りぼても同義。お主らがお灸をすえてくれるなら、願ってもない」
ヒーローの中には隔離研究棟について肯定する者もいるだろうが、セプタードは違う。しかもそこで生まれた悲劇を目の当たりにすれば、背中を押すのもためらわない。
「さて、わしはここらでお暇しようかの。コンカドール、あとは任せたぞ」
「わかったよ、ありがとうセプタードさん」
そうして龍が去っていけば、ヤギの前には牛が立つ。
瞳にはいまだ迷いが色濃いものの、やるべきことは怠らない。
「それじゃあ……本当にいいんだね?」
「はい、お願いします」
「兄さんも……」
「好きにしろよ。お前がさんざん救えるって言ったんだ、試しにやってみてもいいんじゃねえの?」
「そうだね、私は……」
自分がこれからどうしたいのか、コンカドールはわからない。死地に行こうとしているカルセドを止めるべきなのか、どんな理由があれどヴィランを捕縛するべきなのかも決められない。
あいまいなままでヒーローらしくないなんて、自分が一番わかっている。内心では己の弱さに辟易しているほどだ。
だけど目の前の光だけは逃してはいけないと本能が告げているから、ヤギに向けて手を差し出した。
「君を捕まえる、カルセド」
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