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ナシラがラグラウス邸でのメイドの仕事に慣れるまでにさほどの時間かからなかった。
始めのうちこそ不慣れな仕事に小さなミスを繰り返していたものの、新人メイドのやることの基本はローダン地区のアパートメントで身につけたことが多少大がかりになったというだけである。
周りの使用人仲間は皆、ログレスで生活慣れていないナシラに対して寛容で、優しくサポートしてくれるし、もとよりナシラは飲み込みの悪い方ではない。
それに実際のところ、他の使用人達が話している内容だって当然に理解できているのだ。
それだけではなく、パナパウ人の女の子に成りきってのメイド仕事は、ナシラにとって新鮮で刺激に満ちた体験なのである。
一生懸命に仕事に取り組むナシラの様子は、周りの使用人からすれば健気で愛おしく感じられるに違いなかった。
例えばナシラがダイニングルームで食器を並べていると、それとなく先輩のメイドがその様子を眺めている。
しまう場所が判らないものがあったりして、戸惑っていると、すぐに近づいてきて教えてくれる。
「ナシラ、それはこっち側に置くのよ」
ナシラは笑顔を作って、先輩メイドの方を見つめる。
「ありがと……すぐに、直すです」
生真面目に返事をし、テキパキと身体を動かす。
その様子を見て、先輩メイドは感心したように微笑むのだった。
そんなふうにして、ナシラは次第に同僚たちの輪の中に溶け込んでいった。
とりわけ先輩のメイド達は、外国人の年下の同僚に対するもの珍しさも相まってなのか仕事の合間をぬってはナシラに話しかけ、また仲間内での雑談にナシラを呼びつけ、様々な話題を問いかけるのだった。
その輪の中で、少女らしいか細い声でもって、拙い言葉で一生懸命に答えるナシラの姿は、彼女たちの庇護欲を刺激するようであった。
「ナシラの話し方は本当に可愛らしいわね」
あるメイドは心底からそう思っている風にそう言った。
言いながらナシラに向けるその視線には彼女のことを愛おしむような気配に満ち溢れている。
そんな視線にナシラが覚える気恥ずかしさも、やがて少しずつ居心地の良さに変わっていく。
あれこれと会話することによって、不自然な点を晒してしまうことを恐れ、始めは極力控えめにしていたナシラであったが、傍ではいつもイムレがフォローしてくれるし、周囲の人々がナシラとの会話での受け答えを楽しみに話しかけくれていることに気がつくと、少しずつ積極的に口を開くようになっていった。
日が過ぎていくうちにナシラのぎこちなさは遠のいていき、歓談するその様子は、生来の女の子が会話を楽しんでいる様子と少しも変わらなくなっていた。
ーーーーーーーーーー
そんなある日、ホールの掃除を終えて、使用人のダイニングルームに戻ってきたナシラが、仕事の合間の束の間の休憩を取っていると、同じように休憩中のメイドのひとりが、ナシラにふと話しかけた。
周りの何人かも加わっての雑談は、ナシラがこの屋敷を訪れる前の暮らしに及んでいた。
「じゃあ、イムレとふたりで部屋をシェアしていたのね」
「そですね……家のこと、みんなイムレといっしょに、やてました……とても、楽しかった、です」
メイドの多くは地方からのつてで屋敷の使用人となる。
それまでは家族とともに過ごしていたわけで、ログレスの都市での自由な生活……それがごく慎ましやかなものであっても……には憧れのような気持ちを持っているようであった。
「あ、それじゃあふたりでパナパウのお料理とかを作ったりもしたの?」
ナシラは先輩メイドの問いにこくんと頷いた。
横から別のメイドが口を挟む。
「え〜、パナパウ料理って、私、食べたことないわ。ね、どんなものなの?一度食べてみたい」
興味津々といった感じの彼女の様子に、ナシラは少し戸惑いながらも、おずおずと答えた。
「わたし……パナパウの料理、少しなら作れるけど……」
そう答えた瞬間、雑談に加わっていたメイド達の様子が少し浮きたつように変わった。
「ね、それじゃあちょっと、私達にも一度、作ってみてよ。簡単なやつで構わないわ」
期待に満ちた眼差しに囲まれて、ナシラは思わぬ成り行きに少しの間固まってしまった。
だがナシラには、彼女たちがそんな風に要求することが、自分がパナパウ人の少女として認められたように思え、嬉しい気持ちが込み上げて来た。
ナシラは笑顔を作って周りの人々を見返し、おずおずと頷いた。
「うん……わたし、やってみる」
ーーーーーーーーーー
そして翌日。
ナシラはローダン地区に赴いて市場で買いこんだパナパウの食材を前に、厨房に立った。
イムレに仕込まれたパナパウ料理の作り方を思い起こしながら、大人数向けに比較的作りやすいスープを作り始めた。
ぶつ切りの鶏肉に、タマアや南方系の野菜を入れて煮込み、魚醤や香辛料で味を整える。
素朴な、パナパウのごく普通の家庭料理である。
出来上がったスープの鍋をダイニングルームに運び、個々の器にとり分ける。
集まった使用人達はその独特な香りと味わいに驚きの声を上げた。
そして、その感想を口々に述べる。
「不思議な味ね。でもおいしいわ」
「とても上手にできてるわね、ナシラ」
先輩のメイドが感心したように感想を述べると、ナシラは頬を染め、少し照れくさそうにしながら笑顔を返した。
皆と一緒にスープを味わっていたモリーも、少し驚いたような顔をしていたが、やがてナシラの顔を覗き込むようにして問いかけた。
「ナシラ、郷里でもこうして料理を作っていたの?」
ナシラは一瞬硬直して、モリーの顔を見返した。
自分は何と答えれば、いいのだろうか。
「はい……お母さん、から、ならって……」
ナシラは思わず、そんな風に答えてしまった。
「あら、そうなのね」
モリーの反応には、何か得心がいったような調子があった。
「お母さんはどんな方だったの?」
モリーにさらにそう聞かれ、ナシラは息を飲み込んだ。
何気ない言葉が自分を追い込んでいくかのように感じられ、何の気なしに自分に向けられている周りの視線が急にプレッシャーのように思えてくる。
焦るナシラの脳裏にふと、浮かんだ顔があった。
ほとんどそのことについて考えることもなく、ナシラは思いついたことを口にした。
「お母さんも、ここで、働いて……ました……」
言ってからナシラは、自分が口にしたその答えに驚いた。
ナシラの母親という存在についてなら、疑われることのないような、なんとなくの言葉をいくらでも考えることができたはずだ。
どうして自分はそんな風に答えてしまったのだろうか。
ナシラの答えを聞いたモリーは、しばし黙ってナシラの顔を見つめていた。
その顔にふと、優しげな表情が浮かんだ。
それはもの思いに耽るような表情だった。
「そう……やっぱりそうなのね」
モリーが浮かべる微笑みは、懐かしさと慈愛に満ちたものに変わっていた。
「もしかして、あなたのお母さんは、サミラなの?」
屋敷に長く勤めているモリーがその結論に至るのは、当然のことであった。
パナパウ人の使用人で、ナシラの母親になり得る年回りの人物は、サミラしかいないからだ。
つまりナシラは自分から、自らをサミラの娘であると、宣言したのである。
ほんのりと感じる照れくささのような感覚を覚えながら、ナシラはぎこちなく頷いた。
「はい、そうです……お母さん、サミラ」
ナシラは、自分が口にした答えが、モリーの質問に対する最良の答えであるように感じていた。
もちろんそれは真実の答えではない。
だが、ナシラにとってサミラはかけがえのない存在であり、ナシラがサミラの面影を追い求めることで生まれたということは、真実なのだ。
ナシラの告白を聞いたモリーは、得心したように頷くと、じっとナシラの顔を見つめて微笑んだ。
「やっぱりね……あなた、お母さんによく似ているもの。本当にサミラにそっくり」
モリーの言葉にナシラは虚をつかれたように感じた。
サミラに似ていると言われるのは、ナシラにとって意外なことだった。
もちろんサミラとナシラは実の母娘というわけではないし、顔立ちが酷似しているというわけでもない。
モリーからすれば、当時のサミラと今の自分は同じパウパウ人のうら若い女性ということで、似ているように感じられるのかもしれない。
だがそれがどの程度の気持ちであろうと、ナシラにとってサミラと似ていると言われたことは、意想外のものだった。
「……はい、よく、似ていると、言われます」
ほのかに湧き上がる面映ゆいような喜びを受け止めながら、ナシラは答えた。
モリーはうんうんと頷いて、懐かしそうに目を細めた。
「サミラは本当に素敵な人だったわ。いつも明るくて、皆に親しまれていたのよ。彼女の娘さんがこうして一緒に働いてくれるなんて、とても嬉しいわ」
サミラの思い出を語るモリーの優しげな眼差しに、ナシラは気恥ずかしさを感じながらも微笑みを返した。
モリーも、周りの他の使用人達も、ナシラがかつてこの屋敷に仕えていたメイドのサミラの娘であるということを、違和感なく受け入れてくれていた。
これまでの屋敷での生活の中で、周囲の人々は自分のことを見た目通りのナシラというパナパウ人の少女として認めてくれた。
だが今は、それだけではなく、自分はサミラの娘として認められているのだ。
心の奥に誇らしさのような不思議な気持ちが芽生えるのをナシラは感じていた。
(つづく)