本番1週間前
リハーサルが終わった翌日。
4人は、蒼の家のリビングに集まっていた。
テーブルの上には、ノートパソコンが3台並んでいる。
画面には、ゲーム『スカイエンジェル』のタイトル画面が表示されていた。
真紀が、パソコンの画面を見ながら言った。
「ねえ、ブースの告知、SNSでやろうよ」
蒼が顔を上げる。
「SNS?」
「うん。エリスが実際にブースに立ってる写真とか、ゲームを遊んでる動画とかあれば、絶対注目度上がるよ」
真紀の言葉に、希美が頷いた。
「それ、いいかも。でも、毎日撮影するのは大変じゃない?」
「だから、1日で5日分くらい撮り溜めちゃうの。それを毎日投稿していく感じで」
真紀が、スマートフォンを取り出して見せた。
画面には、SNSのアプリが開かれている。
「投稿は私が担当するよ。こういうの、得意だから」
由理恵が、少し不安そうに尋ねた。
「でも、私、そんなに長時間エリスを着てるの、まだ自信ないかも」
蒼が、優しく笑った。
「大丈夫。撮影は短時間で済むようにするから。それに、由理恵だけじゃなくて、希美にも手伝ってもらおうよ」
希美が頷く。
「もちろん。私も協力するよ」
真紀が、メモを取り始めた。
「じゃあ、撮影計画を立てよう。まず、外でのロケ撮影。公園とか河川敷とかで、エリスが立ってる写真を何枚か撮る」
「次に、ゲームをプレイしてる動画。これは蒼の家で撮れるね」
蒼が、カレンダーを見ながら言った。
「撮影は、今週末にやろう。土曜日、みんな空いてる?」
3人が頷いた。
「じゃあ、決まりね」
真紀が、嬉しそうに笑った。
由理恵は、心の中で小さく呟いた。
(また、エリスになるんだ)
少しの緊張と、そして、少しの期待。
その両方が、胸の中で混ざり合っていた。
◆ ◆ ◆
撮影当日。
土曜日の朝、8時。
由理恵は、蒼の家に向かって自転車を漕いでいた。
空は快晴。
少し汗ばむくらいの陽気だった。
蒼の家に着くと、すでに希美と真紀が来ていた。
「おはよう、由理恵」
蒼が玄関で迎えてくれる。
「おはようございます」
由理恵は、少し緊張した面持ちで家に上がった。
リビングには、すでにエリスの衣装一式が準備されていた。
テーブルの上に、丁寧に並べられている。
全身タイツ。
エナメルのベストとスカート。
長手袋。
ブーツ。
そして、マスク。
由理恵は、マスクを見つめた。
前夜祭以来、久しぶりに見るエリスの顔。
あの超小顔設計のマスク。
被ると、視界が狭くなって、息が苦しくなる。
でも、同時に、あのマスクの中で感じた、不思議な高揚感も思い出す。
真紀が、撮影の流れを説明し始めた。
「まず、由理恵がエリスに着替える。でも、マスクは被らないで、首から下だけエリスの格好ね」
「その上から、大きなコートを羽織って、衣装を隠す」
「それで、近くの公園まで移動して、そこでマスクを被って撮影」
由理恵が頷く。
「わかりました」
「撮影自体は短時間で済むから。30分くらいかな」
蒼が、優しく言った。
由理恵は、ホッとした表情を見せた。
「じゃあ、着替えよう」
希美が、由理恵に全身タイツを渡した。
◆ ◆ ◆
蒼の部屋で、由理恵は全身タイツに着替えた。
ベージュ色の肌色生地が、全身を包み込む。
足から、膝、太もも、腰へと、密着性の高い生地が這い上がってくる。
腕を通し、肩まで。
首まで覆われる。
顔だけが、タイツから出ている状態。
髪をゴムで束ねて、首のあたりに集める。
フードを被り、首から頭頂部に続くファスナーを閉める。
ジジジ...と、ファスナーが閉まる音。
顔以外が、全てタイツに覆われた。
少し恥ずかしい姿だ。
次に、衣装を着る。
エナメルのベスト。
スカート。
ニーハイソックス。
ブーツ。
ベルト。
全てを身につけると、鏡を見る。
首から下は、完全にエリス。
でも、顔は由理恵のまま。
不思議な光景だった。
蒼が、大きなコートを持ってきてくれた。
「これ、羽織って」
由理恵は、コートを羽織った。
衣装が、完全に隠れる。
「よし、じゃあ行こう」
4人は、蒼の家を出た。
◆ ◆ ◆
近くの公園まで、徒歩で5分ほど。
土曜日の朝、公園には人が少なかった。
犬の散歩をしている人が、数人いるくらい。
蒼が、周りを見渡して言った。
「あっちの木の下、人がいないね。あそこで撮ろう」
4人は、木陰に移動した。
真紀が、カバンからマスクを取り出す。
エリスの顔。
ダークシルバーとエレクトリックブルーの髪が、太陽の光を受けてキラキラと輝いている。
「由理ちゃん、コート脱いで」
蒼に言われて、由理恵はコートを脱いだ。
衣装が露わになる。
真紀が、マスクを持って由理恵に近づいた。
「じゃあ、被せるね」
由理恵は、深く息を吸った。
(あの感覚)
(でも、もう慣れた)
練習やリハーサルで、何度も経験した。
もう、怖くはない。
前面パーツが、顔に当てられる。
ひんやりとしたプラスチックの感触。
スポンジが、顔に密着していく。
目の周り、額、顎、頬
鼻が、少し押し潰される。
後頭部パーツが装着される。
カチッ。
カチッ。
両耳の上で、金具が留まる音。
視界が、暗くなる。
でも、由理恵は慌てなかった。
(すぐに見える)
(わかってる)
自分の呼吸音がハァ...ハァ...とマスクの中で大きく反響する
でも、それも慣れた音。
そして、徐々に、視界が開けてくる。
暗順応。
正面の、小さなスリットから。
外の光景が見え始める。
木の幹。
空。
真紀の顔。
狭い視界だけど、見える。
由理恵は、マスクの中で小さく呟いた。
「うん、大丈夫」
くぐもった声。
でも、落ち着いた声。
真紀が、嬉しそうに笑った。
「よし、じゃあ撮影始めるね」
◆ ◆ ◆
真紀が、スマートフォンを構えた。
「エリス、ベンチに座って」
由理恵は、ベンチの方向を見ようとした。
でも、視界が狭い。
左右が、ほとんど見えない。
顔を動かして、ベンチを探していると、蒼が手を引いてくれた。
「こっちだよ」
由理恵は、蒼に導かれてベンチに座った。
「そう、いい感じ。手を膝の上に置いて」
真紀の指示に従って、由理恵は手を膝の上に置く。
カシャ、カシャ、カシャ。
何度もシャッター音が響く。
「次、木の下に立って」
由理恵は、ゆっくりと立ち上がり慎重に、一歩ずつ歩く。
木の下に立つと、真紀が言った。
「空を見上げて」
由理恵は、顔を上に向けた。
マスクの視界から、青い空が見える。
白い雲が、ゆっくりと流れている。
カシャ、カシャ。
「いいね!次、手を振って」
由理恵は、手を振った。
マスクの中で、少しずつ暑くなってくる。
自分の吐息で、マスク内の温度が上がっていく。
額に、少し汗がにじむ。
でも、まだ耐えられる。
「完璧!あと何枚か撮るね」
真紀が、色々な角度から撮影を続けた。
◆ ◆ ◆
公園での撮影が終わると、4人は河川敷に移動した。
河川敷は、さらに人が少なかった。
広い空。
流れる川。
遠くに見える山々。
真紀が、興奮した声を上げた。
「ここ、すごくいいロケーション!絶対映える!」
由理恵は、マスクの中で、少し疲れを感じ始めていた。
マスク内は、もう完全に湿気が溜まっている。
額の汗が、目の近くまで流れてくる。
呼吸も、少し荒くなってきた。
ハァ...ハァ...
でも、あともう少し。
「エリス、川の方を向いて」
真紀の声。
由理恵は、川の方を向いた。
風が、髪を揺らす。
いや、エリスの髪を揺らす。
マスクの外側に取り付けられた、あの美しい髪が、風になびいている。
カシャ、カシャ。
「次、走って!」
由理恵は、驚いた。
走る?
このマスクを被ったまま?
でも、真紀の期待に応えたい。
由理恵は、ゆっくりと走り始めた。
視界が狭いので、足元に気をつけながら。
でも、慣れない動き。
マスクの中で、呼吸がさらに荒くなる。
ハァ、ハァ、ハァ。
スカートが、風になびく。
髪が、大きく揺れる。
カシャ、カシャ、カシャ。
「最高!すごくいい!」
真紀が、興奮している。
由理恵は、走るのをやめて、大きく息をついた。
マスクの中で、肩が上下する。
(もう、限界かも)
まだ30分も経っていないのに。
こんなに疲れるなんて。
蒼が、気づいてくれた。
「由理ちゃん、大丈夫?」
由理恵は、エリスとして小さく頷いた。
「だい、じょうぶ、です」
声が、少し震えている。
真紀が、申し訳なさそうに言った。
「ごめん、もう撮影終わりにするね。十分撮れたから」
由理恵は、ホッとした。
◆ ◆ ◆
蒼の家に戻ると、すぐにマスクが外された。
カチッ、カチッ。
金具が外れる。
前面パーツが外される。
その瞬間。
「ふぅっ...はぁ...」
由理恵は、まず大きく息を吐き出した。
そして、外の空気を吸い込む。
外の空気が、肺いっぱいに広がる。
冷たい。
新鮮。
気持ちいい。
顔は汗でびしょびしょで、頬が真っ赤になり、髪も汗で濡れている
全身タイツのフード部分も、汗で変色していた。
希美が、タオルを渡してくれた。
「お疲れ様」
由理恵は、タオルで顔を拭いた。
汗が、タオルにたくさん染み込む。
「はぁ...疲れた...」
正直な感想だった。
たった30分。
でも、すごく疲れた。
本番は、何時間もこの状態が続くんだ。
(私、本当に大丈夫かな)
不安が、また心に忍び込んでくる。
蒼が、優しく肩を叩いた。
「由理ちゃん、よく頑張ったね。写真、すごくいいのが撮れたよ」
真紀が、スマートフォンの画面を見せてくれた。
そこには、エリスが河川敷で走っている写真が映っていた。
風になびく髪。
青い空。
美しい光景だった。
(これ、私なんだ)
不思議な感覚。
でも、確かに、あの中に自分がいた。
由理恵は、小さく笑った。
「ありがとう、ございます」
◆ ◆ ◆
昼食を挟んで、午後。
次は、ゲームプレイ動画の撮影。
蒼のリビングに、ノートパソコンが1台セットされていた。
画面には、ゲーム『スカイエンジェル』のタイトル画面。
真紀が、撮影の説明をした。
「ゲームをプレイしてる様子を動画で撮る。これも、SNSで注目されやすいから」
「マスクを被った状態で、椅子に座ってプレイしてもらう」
希美が、手を挙げた。
「私、やるよ」
蒼が頷く。
「希美、お願いね。由理恵は、午前中頑張ったから、休んでて」
由理恵は、ソファに座って、これから撮影される様子を見守ることにした。
希美が、全身タイツに着替える。
衣装を装着。
そして、マスク。
カチッ、カチッ。
金具が留まる。
希美が、エリスになった。
椅子に座り、ノートパソコンの前に。
真紀が、スマートフォンのカメラを構える。
「じゃあ、撮影開始ね」
希美は、コントローラーを手に取った。
ゲームが始まる。
画面の中で、エリスが空を飛ぶ。
敵と戦う。
アイテムを拾う。
希美の操作は、見事だった。
マスクを被っているのに、ほとんどミスがない。
敵を次々と倒していく。
ボスが現れる。
希美は、冷静に攻撃を避けながら、反撃する。
そして。
ボスを、一発で倒した。
「やった!」
希美が、小さくガッツポーズ。
真紀が、撮影を止めた。
「希美...上手すぎ」
蒼も、苦笑いしている。
「これじゃ、攻略動画みたいになっちゃうよ」
希美が、マスクの中から声を出す。
「え〜、でもこれ、私たちが作ったゲームだし」
真紀が、首を横に振った。
「ダメダメ。もっと...こう...普通に遊んでる感じがいいの。ゲームオーバーになったりとか」
「でも、わざとゲームオーバーになるのも変じゃない?」
「じゃあ...」
真紀が、蒼の方を見た。
「蒼ちゃん、あなたが一番下手でしょ?」
蒼が、驚いた表情を見せる。
「え...私...?」
「そう!蒼がいい!本当に下手だから、自然にゲームオーバーになるでしょ?」
蒼が、少し傷ついた顔をした。
「ひどい...」
でも、否定はしなかった。
確かに、4人の中で、蒼が一番ゲームが下手だった。
希美が、マスクを外した。
「はぁ...」
大きく息をつく。
顔は、少し汗ばんでいた。
「蒼、頑張って」
希美が、笑顔で言った。
◆ ◆ ◆
希美は、寝室に戻った。
カーテンを閉めて、着替える。
全身タイツを脱ぐ。
衣装を脱ぐ。
そして、私服に着替えた。
Tシャツとハーフパンツ。
やっと、解放される。
希美は、大きく息をついた。
「はぁ...」
体が、少しずつ楽になってくる。
エリスの衣装とマスクは、テーブルの上に置いてある。
きれいに畳まれた衣装。
丁寧に置かれたマスク。
次は、蒼の番。
希美は、寝室のドアを開けた。
◆ ◆ ◆
リビングには、蒼、真紀、由理恵が待っていた。
希美が、出てくる。
もう私服姿。
「蒼、エリスの衣装とマスクは寝室に置いてあるから」
蒼が、頷いた。
「わかった。じゃあ、着替えてくるね」
蒼は、寝室に入るとカーテンを閉める。
希美は、リビングのソファに座った。
「はぁ...疲れた...」
「お疲れ様」
「希美ちゃん、本当にお疲れ様でした」
◆ ◆ ◆
3人は、リビングで休憩していた。
真紀が、スマホで写真を確認している。
「あ、これいい写真」
画面には、エリスが木にもたれて遠く見つめている写真や、ベンチに座って少し可愛いポーズをとるエリス。
真紀が、小さく笑いながら写真を見ている。
そして、ふと呟いた。
「そういえば、私だけエリス着た事ないんだよね」
由理恵が、真紀の方を向いた。
「真紀ちゃんは、エリスを着てみたい?」
真紀が、少し考えた。
「うーん...1回くらい着てみたい気もする」
でも、すぐに首を横に振った。
「でも、希美や由理恵みたいに着こなす自信は無いから辞めとく」
希美が、笑った。
「真紀なら、絶対似合と思うよ」
由理恵も、頷く。
「本当に。真紀ちゃん、可愛いから」
真紀が、照れくさそうに笑った。
「やめてよ、恥ずかしい」
3人は、しばらく雑談をしていた。
今日の撮影のことを笑いながら話、時間がゆっくりと流れる。
◆ ◆ ◆
蒼が寝室に入ってから20分ほど経った頃ゆっくりと寝室のドアが、開いた。
3人が、振り向くと、そこには蒼が立っていた。
首から下は、エリスの衣装。
ダークシルバーとエレクトリックブルーのエナメルのベスト。
同じ色のスカート。
白い長いブーツ。
白い長手袋。
でもフード部分は、胸元に垂れ下がっている。
蒼の顔が、そのまま見えている。
蒼が、少し恥ずかしそうに笑った。
「マスク被る前に、ちょっとゲームの練習したいんだけど」
真紀が、頷いた。
「うん、いいよ」
蒼は、リビングのPCの前に座るとコントローラーを持つ。
そのまま画面を見ながら操作。
「ここで、ジャンプして...」
エリスの衣装を着たまま、ゲームをプレイする蒼。
少し不思議な光景。
「あ、失敗」
蒼が、小さく舌打ちする。
「もう一回...よし、ここまでは覚えた」
何度も、同じ場面を繰り返す。
操作を確認する。
希美、真紀、由理恵が、その様子を見守っている。
◆ ◆ ◆
10分ほど練習して、蒼は頷いた。
「よし、なんとなく分かった」
「じゃあ、マスク被ろうか」
蒼が、頷いた。
「うん、お願い」
真紀は、テーブルの上のマスクを持ってくる。
エリスの顔。
アイスブルーの瞳。
ダークシルバーとエレクトリックブルーの髪。
蒼は、深く息を吸った。
(さあ、私の番)
まず、フード部分を被る。
蒼の髪が、フードの中に収められると、顔だけが、丸くくり抜かれた部分から出ている。
真紀が、首から頭頂部に続くファスナーを上げる。
ジジジ...
蒼が、小さく息を吸った。
(これで、準備完了)
真紀が、マスクの後頭部パーツを持ちながら蒼の顔を見ると、少し緊張している様子が見えた。
真紀は、優しく声をかけた。
「じゃあ、被せるね。ゆっくりやるから」
蒼が、頷いた。
「お願い」
◆ ◆ ◆
真紀は、慎重に後頭部パーツを蒼の後頭部に当て、次に前面パーツをゆっくりと、できるだけ優しく蒼の顔に当てる。
プラスチックが蒼の肌に触れ、スポンジが顔に密着していく。
蒼の体が少し硬くなった。
真紀は、もっとゆっくりと目の周り、額、顎、頬、全てを密着させていく。
蒼の呼吸が少し速くなっている。
真紀は、小声で言った。
「大丈夫、あとちょっと」
真紀の手が両耳の上で金具を探し、見つけた。
右側。
カチッ。
金具が留まる。
左側。
カチッ。
金具が留まり、マスクがしっかりと固定される。
その瞬間視界が、真っ暗になった。
蒼は、マスクの中で、目を閉じた。
(暗い)
ハァ...ハァ...
呼吸音が、マスクの中で反響する。
でも、蒼は慌てなかった。
希美と由理恵から、話を聞いていた。
(大丈夫、すぐに慣れる)
徐々に、視界が開けてくる。
マスクの目の上の瞼にある小さなスリット。
そこから、光が入ってくる。
真紀の顔が見える。
心配そうに、こちらを見ている。
「蒼ちゃん、大丈夫?」
エリス(蒼)が、頷いた。
真紀が、安心した表情を見せた。
「よかった」
エリスは、マスクの中で、小さく呟いた。
「大丈夫...」
くぐもった声。
蒼が、エリスになった。
◆ ◆ ◆
真紀が、エリスの顔を覗き込んで尋ねる。
「視界、大丈夫?」
マスクの中から、くぐもった声が聞こえる。
「うん、大丈夫。一応ちゃんと見えるけど..」
エリスが、両手をマスクに当てた。
少し左右に動かす。
上下にも、わずかに調整する。
視界の位置を、自分に合わせようとしている。
「これで大丈夫かな」
エリスが、由理恵と希美の方を向いた。
マスクの狭い視界から、2人を見る。
「でもやっぱりこれ、キツイね〜 由理ちゃんも希美もほんと凄いよ」
感心したような声。
マスク越しで、少しくぐもっているけれど。
確かに、蒼の声だった。
由理恵は、少し照れくさそうに笑った。
希美も、優しく微笑む。
椅子に座ると、真紀が言った。
「面白いね。さっきまで希美だったのに、今は蒼がエリス」
「でも、マスク被ってるから、全然分からない」
「椅子に座ってるから、体型も身長も分からないし」
由理恵も、頷いた。
「本当、誰が中に入ってるか外からじゃ全然分かりません」
蒼が、マスクの中から声を出した。
「これ、意外と便利だね!」
少しこもった声。
でも、確かに蒼の声だった。
真紀が、撮影を始めた。
「じゃあ、スタート」
◆ ◆ ◆
ゲームが始まる。
蒼は、コントローラーを握った。
マスクの視界から、画面を見る。
でも、視界が狭い。
画面全体が、一度に見えない。
顔を少し動かして、画面の隅々を確認する。
ゲームが進む。
最初は、順調だった。
練習した通りに、操作する。
ジャンプ。
攻撃。
アイテムを拾う。
でも。
途中で、敵の位置を見失った。
視界が狭いせいで、画面の端にいる敵が見えない。
「あれ...?」
蒼が、慌てる。
敵の攻撃が、画面のエリスに当たった。
ダメージ。
体力が減る。
「あ...」
蒼は、必死に操作を続けた。
でも、視界の狭さと、マスク内の息苦しさで、集中力が続かない。
また、敵の攻撃を受ける。
体力が、どんどん減っていく。
そして。
ゲームオーバー。
画面に、「GAME OVER」の文字。
エリスが、肩を落とした。
マスクの中で、蒼が小さく呟く。
「あ...やっちゃった」
真紀が、撮影を止めて、嬉しそうに叫んだ。
「完璧!これだよ、これ!」
希美も、笑っている。
「蒼、自然にゲームオーバーになったね」
蒼が、マスクの中から少し不満そうな声を出す。
「なんか、複雑...」
由理恵も、思わず笑ってしまった。
◆ ◆ ◆
蒼は、その後も何度かゲームをプレイした。
2回目は、8分でゲームオーバー。
3回目は、12分でゲームオーバー。
どれも、ちょうどいい長さの動画が撮れた。
真紀が、満足そうに言った。
「よし、これで告知動画は完璧!」
蒼のマスクが外される。
「はぁ...」
蒼も、顔が少し汗ばんでいた。
「マスク被ってゲームするの、すごく難しい」
希美が、頷く。
「視界が狭いから、画面全体が見えないんだよね」
由理恵も、前夜祭での経験を思い出した。
(本番も、きっと大変だろうな)
でも、同時に。
(でも、やり遂げたい)
その想いも、強くなっていた。
真紀が、スマートフォンを見ながら言った。
「これで、写真と動画、全部で5日分は撮れたね」
「明日から毎日、SNSに投稿していくよ」
蒼が、嬉しそうに笑った。
「楽しみだね。どれくらい反応があるか」
希美も、頷く。
「本番まで、あと1週間。準備、頑張ろう」
由理恵は、3人の顔を見つめた。
みんな、笑顔だった。
一緒に頑張ってくれる仲間。
(ありがとう、みんな)
由理恵は、心の中でそっと呟いた。
◆ ◆ ◆
その日の夜。
由理恵は、自室で真紀のSNSアカウントをチェックしていた。
真紀が、さっそく1枚目の写真を投稿していた。
エリスが、公園のベンチに座っている写真。
キャプションには、こう書かれていた。
「地域産業フェスティバル、来週土曜日開催!私たちのブースに、エリス・スカイウィングが遊びに来るよ!みんな、会いに来てね!」
投稿から、まだ2時間しか経っていないのに。
すでに、いくつもの「いいね」がついていた。
コメントも、いくつか。
「可愛い!」
「これ、本物?」
「絶対行く!」
由理恵は、画面を見つめながら、小さく笑った。
(みんな、楽しみにしてくれてる)
それが、嬉しかった。
そして、同時に、プレッシャーも感じた。
(期待に、応えないと)
由理恵は、スマートフォンを置いて、ベッドに横になった。
窓の外は、真っ暗だった。
月が、薄く光っている。
(あと1週間)
由理恵は、静かに目を閉じた。
心の中で、何度も繰り返す。
(大丈夫)
(私は、できる)
(みんなが、一緒にいてくれるから)
その想いを胸に、由理恵は、眠りについた。
◆ ◆ ◆
翌日から、真紀は毎日SNSに写真や動画を投稿した。
月曜日は、木の下に立つエリスの写真。
火曜日は、河川敷で走るエリスの動画。
水曜日は、ゲームをプレイするエリスの動画。
反応は、日に日に増えていった。
「いいね」の数が、100を超えた。
コメントも、どんどん増える。
「エリス、本当に可愛い!」
「ゲーム、面白そう!」
「絶対、ブースに行く!」
4人は、その反応に励まされた。
蒼が、嬉しそうに言った。
「すごいね。こんなに反応があるなんて」
真紀が、誇らしげに笑う。
「でしょ?SNSの力、すごいんだから」
希美も、頷く。
「これなら、本番も盛り上がりそうだね」
由理恵は、その言葉に、少しドキドキした。
盛り上がる。
それは、嬉しいこと。
でも、同時に。
(たくさんの人が来る)
(私、本当にちゃんと演じられるかな)
不安が、また顔を出す。
でも、今は、その不安を押し殺した。
(今は、準備に集中しよう)
由理恵は、自分に言い聞かせた。
そして、本番に向けて、心を整えていった。
◆ ◆ ◆
本番当日の早朝
由理恵は、目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。
時計を見ると、午前5時。
まだ外は薄暗い。
窓のカーテンの隙間から、わずかに朝の光が差し込んでいた。
昨夜は、ほとんど眠れなかった。
何度も寝返りを打った。
頭の中で、今日の流れが何度も繰り返される。
朝7時に駅前集合。
会場到着は7時15分。
設営を済ませて。
そして、10時30分。
イベント開始。
エリスとして、ブースに立つ。
由理恵は、ベッドから起き上がった。
鏡を見る。
そこには、いつもの自分の顔。
地味で、大人しくて、目立たない。
でも、今日は違う。
今日は、エリスになる。
由理恵は、深く息を吸った。
そして、静かに呟いた。
「今日、私は、エリスとして、子どもたちの前に立つ」
決意の言葉。
自分に言い聞かせるように。
◆ ◆ ◆
洗面所で顔を洗う。
冷たい水が、顔を刺激する。
少しだけ、目が覚めた。
鏡の中の自分を見つめる。
(大丈夫)
(私は、できる)
何度も、自分に言い聞かせる。
朝食は、ほとんど喉を通らなかった。
母が作ってくれたトーストを、少しだけかじる。
牛乳を、ゆっくりと飲む。
母が、心配そうに尋ねた。
「由理恵、大丈夫?あんまり食べてないけど」
由理恵は、笑顔を作った。
「大丈夫。ちょっと、緊張してるだけ」
「今日、イベントなんでしょ?頑張ってね」
「うん、ありがとう」
母は、優しく微笑んだ。
母には、言っていない。
自分がエリスを演じることを。
ただ、「友達のイベントを手伝う」とだけ伝えていた。
(いつか、話せるかな)
(自分が、エリスを演じたことを)
でも、今はまだ、恥ずかしい。
由理恵は、自室に戻った。
◆ ◆ ◆
カバンの中身を、もう一度確認する。
スポーツ用のブラ。
吸汗速乾のインナー。
タオル。
スポーツドリンク。
全て、揃っている。
由理恵は、すでにインナーを着用していた。
スポーツ用のブラは、胸をしっかりとサポートしてくれる。
吸汗速乾のタンクトップとショートパンツも、汗を素早く吸収してくれるはず。
これで、全身タイツの下の準備は万全だ。
時計を見ると、6時30分。
そろそろ、家を出る時間だった。
由理恵は、カバンを肩にかけた。
部屋を出る前に、もう一度鏡を見る。
(今日は、特別な日)
(頑張ろう)
深呼吸をして、部屋を出た。
◆ ◆ ◆
玄関で、母が見送ってくれた。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「いってきます」
由理恵は、家を出た。
外は、まだ少し肌寒かった。
空は、薄く青く染まり始めている。
朝の静けさが、街を包んでいた。
自転車に乗って、駅に向かう。
ペダルを漕ぎながら、由理恵は考えた。
(今日、どうなるんだろう)
(うまくいくかな)
(子どもたち、喜んでくれるかな)
不安と期待が、心の中で入り混じる。
でも、同時に。
(みんなが、一緒にいてくれる)
(蒼も、希美も、真紀も)
(一人じゃない)
その想いが、勇気をくれた。
駅に着くと、すでに蒼が待っていた。
大きなカバンを二つ、持っている。
「おはよう、由理恵」
蒼が、笑顔で手を振った。
「おはようございます」
由理恵も、笑顔を返した。
◆ ◆ ◆
すぐに、希美と真紀も到着した。
希美は、大きなリュックサックを背負っている。
中には、ノートパソコンが入っているはずだ。
真紀も、カバンを二つ持っていた。
「おはよう!」
「みんな、揃ったね」
4人が、駅前に集まった。
蒼が、時計を見て言った。
「7時ちょうど。じゃあ、会場に向かおう」
4人は、駅から会場に向かって歩き始めた。
朝の街は、まだ静かだった。
土曜日の早朝。
人通りも、少ない。
会場までは、徒歩で15分ほど。
4人は、黙々と歩いた。
由理恵は、心臓の鼓動が、だんだん速くなっていくのを感じた。
緊張。
でも、同時に、高揚感もあった。
(ついに、本番だ)
◆ ◆ ◆
会場に到着したのは、7時15分。
大きな公園の一角に、イベント会場が設営されていた。
すでに、いくつものテントが立ち並んでいる。
他の出展者たちも、早朝から準備を進めていた。
スタッフの一人が、4人に近づいてきた。
「おはようございます。出展者の方ですか?」
蒼が頷く。
「はい。専門学校のチームです」
「承知しました。こちらがあなた方のブースです」
スタッフが、案内してくれた。
ブースは、公園の中央に近い、比較的目立つ場所だった。
6メートル×4メートルの、やや大きめのテント。
白い布で覆われたテーブルと、椅子が用意されている。
「こちらで、設営をお願いします。イベント開始は10時30分です」
「わかりました。ありがとうございます」
スタッフが去っていくと、4人は顔を見合わせた。
真紀が、興奮した声を上げた。
「すごい!けっこう広いね!」
希美も、嬉しそうに笑う。
「これなら、PC3台置いても余裕だね」
蒼が、テントの中を確認しながら言った。
「奥に、着替えスペースを作ろう」
由理恵は、テントの奥を見つめた。
(ここで、エリスに着替えるんだ)
胸の鼓動が、また速くなった。
◆ ◆ ◆
4人は、すぐに設営を始めた。
まず、テントの奥に、簡易的な着替えスペースを作る。
ブルーシートを、2メートル四方くらいに畳んで、床に敷く。
そして、テントの支柱に、目隠し用のカーテンを取り付けた。
布製のカーテンで、中が見えないようになっている。
これで、簡易的な更衣室の完成だった。
蒼が、満足そうに頷く。
「よし、これで由理恵が安心して着替えられるね」
由理恵は、着替えスペースを見つめた。
狭いけれど、十分だった。
(ここで、エリスになるんだ)
次に、ゲーム試遊用のPCを設置する。
手前に、蒼、真紀、由理恵のノートPCを3台並べた。
それぞれのPCに、ゲーム『スカイエンジェル』がインストールされている。
来場者が、自由にゲームを試遊できるようにする。
そして、テントの奥に、希美のPCを設置。
これが、親機となる。
全てのPCを管理し、もし何か問題があった時に、すぐに対応できるようにするため。
配線を確認。
電源を入れて、動作確認。
全てのPCが、正常に起動した。
ゲーム画面が、3台のPCに映し出される。
美しいグラフィック。
主人公のエリスが、空を飛んでいる。
真紀が、嬉しそうに言った。
「完璧!」
◆ ◆ ◆
次に、用意されたパネルを取り付けた。
「スカイエンジェル」のタイトルロゴが描かれた大きなパネル。
キャラクター紹介のパネル。
ゲーム説明のパネル。
それらを、テントの前面に取り付けていく。
蒼が、パネルを見ながら言った。
「これで、だいぶ形になってきたね」
設営が一段落すると、4人は周りのブースを見て回った。
他のブースは、もっと華やかだった。
大きなのぼりが立てられている。
オリジナルの看板が飾られている。
色とりどりの装飾。
風船。
ポスター。
それに比べて、4人のブースは、ずいぶんシンプルだった。
真紀が、少し残念そうに呟いた。
「うち、ちょっと地味かな...」
希美も、頷く。
「他のブース、すごく準備してるね」
由理恵も、心配になった。
(私たちのブース、目立たないかも)
(お客さん、来てくれるかな)
でも、蒼が明るく言った。
「でも、エリスがいるから大丈夫!」
真紀も、すぐに笑顔を取り戻した。
「そうだね!エリスが、一番の看板だもん!」
希美も、頷く。
「エリスが立ったら、絶対注目されるよ」
由理恵は、3人の顔を見た。
みんな、自分を信じてくれている。
(私、頑張らないと)
由理恵は、心の中で強く思った。
そして、声に出して言った。
「私、一生懸命宣伝頑張る」
3人が、笑顔で頷いた。
「うん、お願いね」
◆ ◆ ◆
設営が完了したのは、8時30分。
他の出展者たちは、まだ準備の真っ最中だった。
4人のブースは、装飾が少ない分、早く設営が完了したのだ。
真紀が、スマートフォンを取り出して言った。
「せっかく早く終わったし、告知用にエリスを撮影して発信しようよ」
蒼が頷く。
「それ、いいね。イベント開始前に投稿すれば、注目度上がるかも」
希美も、賛成する。
「うん、やろう」
由理恵が、不安そうに言った。
「私、着替えたほうがいいよね?」
蒼が、首を横に振った。
「由理ちゃんは体力を残しておいて欲しいから、希美お願いできる?」
希美は、すぐに頷いた。
「もちろん!任せて!」
由理恵は、ホッとした。
(そっか、希美ちゃんが)
まだ本番まで2時間ある。
できるだけ、体力を温存しておきたかった。
希美が、カバンから全身タイツを取り出した。
「じゃあ、着替えてくるね」
そう言って、テント奥の着替えスペースに入っていった。
カーテンが閉まる。
由理恵は、そのカーテンを見つめた。
(あと2時間したら、私があそこで着替えるんだ)
緊張が、また込み上げてくる。
蒼と真紀、由理恵の3人は、カーテンの外で待った。
中から、かすかに衣擦れの音が聞こえる。
希美が、着替えている音。
時間が、ゆっくりと過ぎていく。
◆ ◆ ◆
15分ほど経った頃。
蒼が、カーテンに近づいて声をかけた。
「希美、準備できた?」
カーテンの向こうから、くぐもった声が聞こえてきた。
「うん...できた...」
マスク越しの声。
少しこもっているけれど。
確かに、希美の声だった。
蒼、真紀、由理恵が、カーテンを見つめる。
そして、カーテンが、ゆっくりと開いた。
◆ ◆ ◆
そこから、エリスが姿を現した。
まず見えたのは、ダークシルバーとエレクトリックブルーの髪。
長い髪が、わずかに揺れる。
次に、アイスブルーの瞳。
美しい、人形のような瞳。
エリス(希美)が、一歩、前に出た。
エナメルのベストが、光を反射して輝く。
ダークシルバーとエレクトリックブルーのツートンカラー。
体にぴったりとフィットしている。
スカートが、ふわりと揺れる。
同じく、ダークシルバーとエレクトリックブルーのツートンカラー。
長いブーツ。
白い手袋。
そして、完璧な美少女の顔。
由理恵は、息を呑んだ。
(やっぱり、綺麗)
(本当に、ゲームの中のエリスみたい)
真紀も、感動した表情を見せる。
「すごい...完璧...」
蒼も、小さく笑った。
「希美、似合ってるよ」
エリス(希美)が、小さく頷いた。
由理恵が、カーテンの奥を見た。
そこには、希美が着ていた服が、丁寧に畳んで置いてあった。
Tシャツ。
ジーンズ。
靴下。
全てが、きれいに畳まれている。
カバンの横に、整然と並べられていた。
(希美ちゃんらしい)
由理恵は、小さく微笑んだ。
◆ ◆ ◆
蒼が、エリス、由理恵、真紀を自分の方に手招きした。
「ちょっと、こっち来て」
3人が、蒼の近くに集まる。
エリスも、ゆっくりと歩いてくる。
マスクの狭い視界で、慎重に。
4人が、小さな輪を作った。
蒼が、小声で話し始めた。
「これから会場で撮影するけど」
「会場では、エリスは声を出さない方がいいと思う」
エリス、由理恵、真紀が、頷く。
蒼が、続ける。
「だから、エリスはもう喋らずに、サインや身振りだけでコミュニケーションを取って」
「どうしても話す必要がある時は、近くにいる私たちの誰かに、耳元で小声で伝えるようにして」
エリスが、小さく頷いた。
そして。
右手を上げて、親指と人差し指で輪を作った。
OKのハンドサイン。
蒼が、笑顔で頷く。
「うん、わかった」
真紀も、嬉しそうに言った。
「完璧だね、希美」
由理恵も、小さく笑った。
エリスは、また小さく頷いた。
そして、もう声は出さなかった。
◆ ◆ ◆
エリスが、ゆっくりとブースの前に立った。
蒼が、エリスの手を引いて位置を調整する。
「ここに立って」
エリスが、小さく頷いた。
声は出さずに。
ただ、頷くだけ。
真紀が、スマートフォンのカメラを構える。
「いい感じ。じゃあ、撮るね」
カシャ、カシャ、カシャ。
何枚も写真を撮る。
エリスがポーズを取る。
片手を腰に当てて。
もう片方の手を、軽く上げて。
真紀が、興奮した声を上げた。
「完璧!すごくいい!」
「次、会場の入口でも撮ろう!」
蒼が頷く。
「うん、行こう」
◆ ◆ ◆
蒼と真紀が、テントの出口に向かって歩き始めた。
エリス(希美)も、その後に続こうとした時、エリス(希美)の動きが、止まった。
テントの出口の前で、立ち止まっている。
エリスの後ろにいた由理恵は、不思議そうにエリスを見つめた。
(どうしたんだろう)
蒼と真紀が、外に出ようとして、エリスが付いてきていないことに気づいた。
振り返る。
エリス(希美)は、少し俯いていた。
左手を、胸元に置いている。
蒼と真紀が、エリスの元に近寄って小声で尋ねた。
「希美、どうしたの?」
エリスの中の希美は、小さな声で答えた。
「なんか、人いっぱい居るし、緊張する。ほんとに外に出なきゃだめ?」
弱気な声。
マスク越しで、少し震えている。
その言葉を聞いて蒼と真紀が、大笑いした。
「あはは!今更何言ってるの!」
「希美らしい!」
蒼がエリスの右手を掴み、真紀がエリスの左手を掴む。
「さあ、行くよ!」
「ほら頑張って!」
2人が、エリスの手を引っ張る。
エリスが、慌てる。
体が、前に引っ張られる。
その時、由理恵が後ろからエリスの肩に両手を置いた。
優しく、支えるように。
そして、エリスの耳元に顔を近づけて、囁いた。
「大丈夫だよ、私も頑張るから、希美ちゃんも頑張って」
優しい励ましの声と言葉。
エリスがは振り向いて、マスクの狭い視界から由理恵を見る。
そして、エリス(希美)が、由理恵に向かって頷いた。
小さく、でも、しっかりと。
エリスの中の希美は、覚悟を決めた。
深く息を吸って。
前を向いて。
一歩、踏み出した。
◆ ◆ ◆
エリスは、蒼に手を引かれて、会場の入口まで移動した。
視界が狭いため、足元が見えづらい。
蒼が、優しく誘導してくれる。
「段差があるよ」
「ゆっくりでいいから」
エリスは、慎重に一歩ずつ進んだ。
会場の入口に着くと、真紀が言った。
「ここでポーズ取って」
エリスは、入口の前に立った。
両手を広げて、ウェルカムのポーズ。
真紀が、何枚も撮影する。
その様子を、他の出展者たちが見ていた。
特に、女性スタッフたちが、興味津々で近づいてくる。
「わぁ!可愛い!」
「これ、何のキャラクター?」
蒼が、笑顔で説明する。
「私たちが作ったゲームの主人公、エリス・スカイウィングです」
「えー!すごい!写真撮らせてもらっていいですか?」
「もちろんです」
女性スタッフたちが、次々とエリスの周りに集まった。
握手を求める人。
一緒に写真を撮りたいという人。
エリスは、一人一人に丁寧に対応した。
握手をして。
写真撮影に応じて。
手を振って。
マスクの中で、希美は少し疲れを感じ始めていた。
でも、こんなに喜んでもらえるのが嬉しかった。
(みんな、喜んでくれてる)
女性スタッフの一人が、言った。
「これ、SNSで告知しますね!絶対、ブース行きます!」
蒼が、お礼を言った。
「ありがとうございます」
真紀も、嬉しそうに笑っている。
由理恵は、少し離れたところから、その様子を見ていた。
(すごい人気)
(希美、頑張ってる)
そして、同時に思った。
(次は、私の番)
胸の鼓動が、また速くなった。
◆ ◆ ◆
撮影が終わった。
真紀が、撮った写真を確認しながら言った。
「すごくいい写真が撮れたよ!」
画面を3人に見せる。
そこには、エリスが会場の入口で両手を広げている写真。
子どもたちに囲まれて、手を振っている写真。
どれも、美しい光景だった。
蒼が、嬉しそうに笑う。
「これなら、SNSで注目されそうだね」
由理恵も、画面を覗き込んだ。
(綺麗...)
(希美、本当にエリスになってる)
真紀が、エリスの方を向いた。
「希美も、見る?」
エリス(希美)が、頷いた。
真紀が、スマートフォンをエリスに差し出す。
でも、エリスの手は受け取らない。
代わりに。
エリス(希美)が、顔をスマートフォンに近づけた。
マスクの狭い視界。
通常の距離では、小さな画面はよく見えない。
でも、顔を近づければ、見える。
エリス(希美)は、画面に顔を近づけて、写真を確認し始めた。
真紀が、画面をスライドして、次の写真を表示する。
エリスが会場の入口で両手を広げている写真。
エリスの中の希美は、マスクの中でじっと見つめる。
次の写真。
子どもたちに囲まれている写真。
次の写真。
手を振っている写真。
エリス(希美)は、一枚一枚、丁寧に確認した。
マスクの視界から、小さな画面を見つめる。
そして、エリスが、顔を画面から離した。
真紀の方を向く。
右手を上げて、親指と人差し指で輪を作った。
OKのハンドサイン。
満足そうに、何度か頷く。
真紀が、嬉しそうに笑った。
「気に入ってくれた?」
エリスが、また大きく頷いた。
そして、両手の親指を立てて、グッドのサインを出す。
蒼と由理恵も、笑顔になった。
「希美、良かったね」
蒼が、エリスに声をかけた。
「希美、お疲れ様。戻ろう」
エリスが、小さく頷いた。
◆ ◆ ◆
4人は、ブースに向かって歩き始めた。
蒼が、エリスの手を引く。
視界が狭いエリスを、優しく誘導する。
「こっちだよ」
「段差、気をつけて」
エリスは、一歩一歩、慎重に歩いた。
マスクの狭い視界から、足元がほとんど見えない。
蒼の手だけが、頼りだった。
周りの出展者たちが、エリスを見て驚いた表情を見せる。
「わぁ、可愛い!」
「何のキャラクター?」
声をかけてくる人もいた。
エリスは、声をかけてくれた人たちに、手を振って応えた。
声は出さずに。
ただ、手を振るだけ。
由理恵は、エリスの後ろを歩きながら、その様子を見ていた。
(希美、ちゃんとエリスを演じてる)
(声を出さないで、身振りだけで)
感心する気持ちと。
同時に、緊張も込み上げてくる。
(次は、私)
(私も、あんな風にできるかな)
◆ ◆ ◆
ブースに戻ると、エリスは大きく息をついた。
マスクの中で、呼吸が少し荒くなっている。
ハァ...ハァ...
20分ほどの撮影だったけれど。
マスクの中は、すでに暑くなっていた。
蒼が、心配そうに尋ねた。
「希美、大丈夫?」
エリスは、OKのハンドサインを出した。
親指と人差し指で輪を作る。
蒼が、笑顔で頷く。
「じゃあ、着替えよう」
エリスが、頷いた。
蒼が、エリスの手を引いて、着替えスペースに案内する。
カーテンの前まで来ると、エリスは一度立ち止まった。
深く息を吸って。
そして、カーテンを開けて中に入った。
カーテンが、閉まる。
◆ ◆ ◆
3人は、カーテンの外で待った。
中から、かすかに音が聞こえてくる。
まず、エナメルのベストのファスナーが下ろされる音。
ジジジ...
次に、ブーツを脱ぐ音。
トン、トン。
衣装を脱いでいる音。
そして、金具を外す音。
カチッ、カチッ。
マスクが外された。
「んっ...ふぅっ...」
希美の声が、カーテンの向こうから聞こえてきた。
安堵のため息。
そして、深く息を吸い込む音。
蒼が、小さく笑った。
「やっと外せたね」
真紀も、笑顔を見せる。
由理恵は、その音を聞きながら、自分の番を想像していた。
(私も、あと少しで、あのマスクを被る)
緊張が、また込み上げてくる。
◆ ◆ ◆
数分が経過した。
カーテンの中から、衣擦れの音が聞こえる。
全身タイツを脱いでいる音。
私服に着替えている音。
そして、静かになった。
3人は、カーテンを見つめるとカーテンが、ゆっくりと開いた。
◆ ◆ ◆
そこから、希美が出てきた。
私服姿の希美。
いつもの優しい表情だが、顔は少し汗ばんでいる。
額に汗がにじみ、頬も少し赤くなっている。
髪も少し湿っているようだった。
マスクの中で、汗をかいたのだろう。
希美は、カーテンから出ると、大きく息をついた。
「はぁ...」
深呼吸。
外の空気を、たっぷりと吸い込む。
由理恵が、すぐにタオルを差し出した。
「お疲れ様、希美ちゃん」
希美は、タオルを受け取って、笑顔を見せた。
「ありがとう、由理恵」
タオルで、顔を拭く。
額の汗を。
頬の汗を。
首の汗も。
「はぁ...やっと解放された...」
希美の声は、少し疲れていたけれど。
でも、どこか満足そうだった。
◆ ◆ ◆
蒼が、心配そうに尋ねた。
「希美、大丈夫だった?」
希美は、タオルで顔を拭きながら、頷いた。
「うん、大丈夫」
「20分くらいだったと思うけど、けっこう暑いね」
真紀が、驚いた表情を見せる。
「20分でそんなに汗かくの?」
希美が、小さく笑った。
「うん、マスクの中、すごく暑いから」
「自分の息が跳ね返ってきて、顔中熱いの」
その言葉を聞いて、由理恵は少し不安になった。
(20分で、あんなに汗をかく)
(私は、もっと長い時間被らなきゃいけないのに...)
希美が、由理恵の表情に気づいた。
「由理恵、大丈夫だよ」
優しく、声をかけてくれる。
「慣れれば、何とかなるから」
「それに、私も午後は頑張るからね!」
希美の笑顔に、由理恵は少し安心した。
「うん...ありがとう...」
◆ ◆ ◆
希美が、スポーツドリンクを飲んだ。
ゆっくりと、喉を潤す。
「はぁ...生き返る...」
蒼が、笑いながら言った。
「希美、どうだった?エリスとして外に出るの」
希美は、少し考えた。
そして、笑顔で答えた。
「最初は、すごく緊張した」
「でも、子どもたちが喜んでくれて」
「手を振り返してくれたり、写真撮りたいって言ってくれたり」
希美の目が、優しく細められる。
「嬉しかったな」
真紀が、嬉しそうに言った。
「希美、完璧だったよ」
「本当に、エリスそのものだった」
希美が、照れくさそうに笑った。
「ありがとう」
そして、衣装の入ったカバンを見た。
中には、エリスのマスク、ベスト、スカート、ブーツ、全身タイツ。
全てが、きれいに畳まれて入っている。
「次は、由理恵の番だね」
希美が、由理恵の方を見た。
由理恵は、小さく頷いた。
「うん...頑張る...」
緊張した声。
希美が、由理恵の肩を優しく叩いた。
「大丈夫、由理恵なら絶対できるよ」
その言葉に、由理恵は勇気をもらった。
「ありがとう、希美ちゃん」
◆ ◆ ◆
真紀が、スマートフォンを操作しながら言った。
「写真、すごくいいのが撮れたよ。これ、今すぐSNSに投稿する」
画面を見せてくれる。
そこには、エリスが会場の入口で両手を広げている写真。
美しい光景だった。
真紀が、キャプションを打ち込んでいく。
「いよいよ本番!エリス・スカイウィング、会場で待ってます!みんな、遊びに来てね!」
投稿ボタンを押す。
「よし、発信完了!」
由理恵は、その様子を見ながら、深呼吸をした。
(もうすぐ、私の出番)
時計を見ると、9時を過ぎていた。
イベント開始まで、あと1時間半。
緊張が、どんどん高まっていく。
◆ ◆ ◆
9時30分。
蒼が、由理恵に声をかけた。
「由理ちゃん、そろそろ準備しようか」
由理恵は、大きく頷いた。
「はい」
カバンから、全身タイツを取り出す。
手に持つと、その感触が伝わってくる。
密着性の高い、ベージュ色の生地。
(これを、また着るんだ)
由理恵は、着替えスペースに入った。
カーテンを閉める。
狭い空間。
ブルーシートの上に、荷物を置く。
深呼吸をして、着替え始めた。
まず、靴を脱ぐ。
靴下も脱ぐ。
そして、全身タイツに足を通す。
つま先から、足首、ふくらはぎ、膝へと、生地が這い上がってくる。
太ももを通過し、腰まで。
密着する感覚。
次に、腕を通す。
手首、肘、肩へと、生地が包み込む。
首まで覆われる。
顔以外が、全てタイツに覆われた状態。
由理恵は、髪をゴムで束ねた。
首のあたりに、髪を集める。
そして、フードを被る。
首から頭頂部に続くファスナーを、ゆっくりと上げていく。
ジジジ...
ファスナーが閉まる音。
顔だけが、タイツから出ている。
少し恥ずかしい姿。
でも、誰も見ていない。
由理恵は、小さく息をついた。
◆ ◆ ◆
次に、衣装を着る。
エナメルのベスト。
光沢のある、美しい生地。
ファスナーを閉めると、体にぴったりとフィットする。
スカート。
ベルトで、腰に固定する。
ニーハイソックス。
長いブーツ。
ファスナーを上げて、足にしっかりと固定する。
ヒールがあるので、少し背が高くなる。
長手袋。
肘まで覆う、白い手袋。
指先の感覚が、少し鈍くなる。
全てを身につけると、由理恵は、テーブルの上に置かれたマスクを見つめた。
美しいダークシルバーとエレクトリックブルーの髪。
アイスブルーの瞳。
超小顔設計の、前面パーツと後頭部パーツ。
(これを、被るんだ)
由理恵は、深く息を吸った。
そっと、マスクに手を伸ばす。
前面パーツを、両手で持ち上げる。
思ったより軽いが、これから自分の頭を覆うものだと思うと重く感じた
◆ ◆ ◆
由理恵は、マスクを手に取り、前面パーツを両手で持ち上げた。
(これを、自分で被る)
思ったより軽いけれど、これから自分の頭を覆うものだと思うと重く感じる。
深く息を吸いながら、心の中で自分に言い聞かせた。
(大丈夫)
(リハーサルでも、前夜祭でも、経験した)
由理恵は、前面パーツを顔に当てた。
ひんやりとしたプラスチックの感触が頬に触れ、スポンジが目の周り、額、顎、頬に密着していく。
自分で調整しながら正しい位置に合わせると、鼻が少し押し潰される感覚とともに呼吸が少し苦しくなったが、これでいいはずだ。
後頭部パーツを後ろから当てると頭全体がマスクに包まれ、両耳の上で金具を留める。
右側。
カチッ。
金具の感触を手探りで確認し、次に左側も。
カチッ。
しっかりと固定される。
◆ ◆ ◆
その瞬間、世界が真っ暗になり、外の光が完全に遮断された。
(暗い)
呼吸音がハァ...ハァ...とマスクの中で大きく反響し、自分の吐息がマスク内に跳ね返って顔全体に熱い息がかかる。
(落ち着いて)
少しパニックになりそうになったが、由理恵は深呼吸をした。
(大丈夫)
(慣れてる)
少しずつ目が慣れてきて、暗順応現象が起こり、徐々に視界が開けてくる。
マスクの目の部分、黒い瞳のスリットからわずかに光が入ってくる。
ぼんやりと周りが見え始める——ブルーシートの青、カーテンの布。
狭い視界だけど、見える。
由理恵は、マスクの中で小さく呟いた。
「大丈夫...見える」
◆ ◆ ◆
由理恵は、カーテンを開けた。
そこには、蒼、希美、真紀が待っていた。
3人の顔が視界に入る——狭い視界から見る3人だが、確かに見える。
蒼が優しく微笑んだ。
「由理ちゃん、完璧だよ」
希美も、頷く。
「すごく似合ってる」
真紀が、スマートフォンを構える。
「ちょっと待って、写真撮らせて」
カシャ、カシャ。
何枚か撮影する音。
真紀が、画面を見せてくれた。
そこには、エリス(由理恵)が立っている写真。
美しい姿。
エリスの中の由理恵は、マスクの中で小さく息を呑んだ。
(これ、私なんだ)
不思議な感覚。
自分が、エリスになっている。
蒼が、時計を見て言った。
「もうすぐイベント開始だね。それまで、ここで待機しよう」
エリス(由理恵)は、頷いた。
蒼が、椅子を指差す。
「由理ちゃん、座って待ってて」
エリス(由理恵)は、椅子にゆっくりと座った。
エナメルのスカートが、ふわりと広がる。
長いブーツを履いた足を、少し前に出す。
白い手袋をはめた手を、膝の上に置く。
マスクの中で、ゆっくりと呼吸を整える。
深く、息を吸う。
ゆっくりと、吐く。
ハァ...ハァ...
呼吸音が、マスクの中で大きく聞こえる。
(大丈夫)
(落ち着いて)
(私は、できる)
エリスの中の由理恵は、心の中で、自分に言い聞かせる。
でも。
緊張は、消えない。
足が、小さく震えている。
自分でも気づくほど、膝が震えている。
(緊張してる)
(すごく、緊張してる)
◆ ◆ ◆
その時、希美、真紀、蒼の3人が、エリス(由理恵)の元にやってきた。
エリスの前に、3人が立つ。
マスクの狭い視界から、3人の顔が見える。
蒼が、優しく声をかけた。
「由理ちゃん、緊張してる?」
エリス(由理恵)が、小さく頷いた。
希美が、エリスの肩に手を置いた。
「大丈夫だよ」
真紀も、笑顔で言った。
「私たちがついてるから」
蒼も、頷く。
「由理恵なら、絶対できる」
3人の優しい言葉に、エリスの中の由理恵はマスクの中で涙ぐみそうになった。
(みんな...)
エリス(由理恵)は、黙って頷いた。
そして、椅子からゆっくりと立ち上がり、3人の前に立つと深くお辞儀をした。
背筋を伸ばして腰から深く、美しいお辞儀。
顔を上げると、エリスの中の由理恵は小さな声で、くぐもった声で言った。
「私...頑張るね...」
マスク越しでも、確かに聞こえた。
◆ ◆ ◆
そして、エリス(由理恵)はポーズを取った。
片手を腰に当て、もう片方の手を軽く上げる。
顔を少し傾けて、微笑むような表情を作る。
エリスらしい、可愛いポーズ。
その瞬間、3人は何かが違うと感じた。
手の位置が、完璧だった。
腰に当てた手は、ちょうど衣装のラインを美しく見せる位置。
上げた手の角度も、エリスのゲーム内のイラストと寸分違わない。
顔の傾き加減、体重の乗せ方、全てが計算されているかのように自然で美しい。
リハーサルの時とは、明らかに違っていた。
あの時は、ぎこちなさが残っていた。
でも、今はもっと自然で、もっと滑らかで、もっとエリスらしい。
まるで、ゲームから飛び出してきた本物のエリスのようだった。
3人は、息を呑んだ。
(すごい...)
◆ ◆ ◆
真紀が、感動した表情で声を漏らした。
「由理恵...すごく上手...」
希美も、驚きながら頷く。
「うん...リハーサルの時より、ずっと...」
蒼が、何かに気づいたような顔をした。
「あれ...この手の位置...」
蒼は、スマホを取り出して、ゲームのキャラクターイラストを表示した。
エリスのイラスト。
そして、目の前のエリス(由理恵)のポーズと比べる。
完全に一致していた。
手の位置、顔の角度、体の傾き、全て。
蒼の目が、大きく見開かれた。
「由理ちゃん...これ...」
希美も、スマホの画面と由理恵を交互に見た。
真紀が、ハッとした表情を見せる。
「まさか...練習してた...?」
その言葉に、エリスの中の由理恵はハッとした。
(!?)
マスクの中で、顔がカァッと熱くなる。
実は、由理恵は練習が終わってから密かに家で練習していたのだ。
部屋の鏡の前で、何度も何度も。
ゲームのイラストをスマホで見ながら、手の位置を確認しながら体の角度を調整して。
「もっと...こう...」
一人で呟きながら、ポーズを練習した。
最初は恥ずかしかったけれど。
(みんなに迷惑かけたくない)
(少しでも上手になりたい)
そう思って、何度も繰り返した。
◆ ◆ ◆
希美が、優しく微笑んだ。
「由理恵、家でも練習してくれてたんだね」
蒼も、嬉しそうに頷いた。
「ありがとう、由理ちゃん」
真紀が、感動した表情を見せる。
「すごいよ由理恵...こんなに完璧に...」
エリスの中の由理恵は、もう恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。
顔が真っ赤になる。
耳まで熱い。
(なんだか、恥ずかしい...!)
エリス(由理恵)は、慌てて両手を大きく横に振った。
ブンブンブン!
違う違う、という仕草。
そして、首も激しく左右に振る。
練習なんてしてない!
いつも通りだよ!
たまたまだよ!
身振り手振りで、必死に否定する。
でも、その否定の仕草が、あまりにも慌てていて3人は、確信した。
「やっぱり練習してたんだ」
蒼が、笑顔で言った。
エリスは、さらに激しく手を振る。
ううん、ううん!
首を横に振りながら、両手をバタバタさせる。
その動きが、とても可愛らしくて。
希美が、クスッと笑った。
「由理恵、可愛い」
真紀も、笑いながら言った。
「そんなに否定しなくても」
蒼も、優しく微笑む。
「嘘つき〜!」
エリスは、もうどうしていいか分からなくなって。
両手で顔を覆う仕草をした。
でも、マスクがあるから、顔は隠せない。
ただ、マスクの前で手をバタバタさせるだけ。
その姿が、とても微笑ましくて。
3人は、温かい笑顔を見せた。
◆ ◆ ◆
蒼が、エリスに近づいた。
そして、エリスの肩に優しく手を置く。
「由理ちゃん、ありがとう」
「そんなに頑張ってくれて」
希美も、頷く。
「嬉しいよ、由理恵」
真紀も、笑顔を見せる。
「みんなのために、一生懸命練習してくれたんだね」
エリスは、俯いた。
マスクの中で、由理恵は涙ぐんでいた。
(みんな...)
恥ずかしいけれど。
温かい。
嬉しい。
エリスは、ゆっくりと顔を上げた。
そして、小さく頷いた。
今度は、否定しなかった。
認めた。
3人の前で、両手を胸の前で合わせて、小さくお辞儀をする。
ありがとう、という気持ちを込めて。
言葉は発さない。
でも、その仕草だけで、由理恵の気持ちは伝わった。
◆ ◆ ◆
真紀が、感動して目を潤ませた。
「由理恵...」
希美も、温かい表情で見つめる。
蒼が、3人を代表して言った。
「今日1日、みんなで頑張ろうね!」
希美と真紀も、声を揃える。
「頑張ろう!」
エリスは、大きく頷いた。
そして、もう一度、完璧なエリスのポーズを取った。
今度は、恥ずかしさはなかった。
自信を持って。
堂々と美しいポーズ。
3人は、拍手をした。
パチパチパチ。
エリスは、マスクの中で微笑んだ。
(頑張ろう)
(みんなと一緒に)
「頑張ろう!」
エリスは大きく頷き、もう一度、完璧なエリスのポーズを取った。
◆ ◆ ◆
蒼と希美が、それぞれの準備に向かおうとした時。
真紀が、大きな紙袋をテーブルの上に置いた。
ガサッ。
「ちょっと待って、みんな」
蒼と希美が、振り向く。
「ん?」
真紀が、紙袋の中から、何かを取り出した。
小さな、四角いもの。
キラキラと光るステッカーだった。
エリスのイラストが描かれた、可愛いステッカー。
蒼が、驚いた表情を見せる。
「え...これ...」
真紀が、笑顔で言った。
「エリスのステッカー作っちゃった」
希美も、近づいてくる。
「すごい!いつの間に!」
真紀が、少し照れくさそうに笑った。
「昨日の夜、頑張って作ったんだ」
「約300枚」
◆ ◆ ◆
ステッカーは、名刺サイズ。
エリスのイラストが、中央に大きく描かれている。
背景には、ゲームのロゴ。
裏面には、QRコードが印刷されている。
蒼が、ステッカーを手に取った。
「真紀ちゃん...これ...すごい...」
真紀が、続ける。
「お客さんに配ろうと思って」
「特に、子どもたちに」
「エリスと写真撮ってくれた子とか、ゲームを遊んでくれた子に渡したい」
希美が、笑顔を見せた。
「いいアイデア!」
真紀が、説明を続ける。
「裏面のQRコードは、ゲームのダウンロードページにリンクしてるから」
「家に帰ってからも、遊んでもらえる」
蒼が、感動した表情を見せる。
「真紀ちゃん、すごい...」
「そこまで考えてくれてたんだ...」
真紀が、少し恥ずかしそうに笑った。
「みんなで作ったゲームだもん」
「もっと、たくさんの人に遊んでもらいたいから」
◆ ◆ ◆
エリス(由理恵)も、ステッカーを見ていた。
マスクの狭い視界から、ステッカーを見つめる。
自分の姿が、ステッカーになっている。
可愛いイラストで。
(すごい...)
マスクの中で、由理恵は感動していた。
真紀が、ステッカーの束を、テーブルの上に並べた。
「これ、ブース内に置いておくね」
「エリスが子どもたちに渡したい時は、いつでも言って」
蒼が、頷いた。
「わかった」
希美も、笑顔で言った。
「ありがとう、真紀」
真紀が、ウインクした。
「任せて」
3人は、それぞれの持ち場に向かった。
蒼と真紀は、ブース内のPC設営の最終確認へ。
希美は、エリスの隣に立つ準備をする。
◆ ◆ ◆
9時55分。
会場のアナウンスが流れた。
「まもなく、地域産業フェスティバルを開始いたします」
「出展者の皆様、準備はよろしいでしょうか」
蒼が、由理恵に声をかけた。
「由理ちゃん、準備はいい?」
由理恵は、大きく頷いた。
マスクを被ってから、もう10分。
マスクの中は、少し湿気が溜まり始めている。
自分の吐息で、温度も少し上がってきている。
でも、まだ大丈夫。
これから、本当の戦いが始まる。
希美が、由理恵の手を握った。
「一緒に行こう」
由理恵は、マスクの中で小さく微笑んだ。
(ありがとう、希美)
2人は、ブースの外に向かった。
視界が狭いので、足元が見えづらい。
希美が、優しく手を引いてくれる。
「段差があるよ」
「ゆっくりでいいから」
由理恵は、慎重に一歩ずつ進んだ。
そして。
ブースの前に、立った。
10時30分。
イベント開始のアナウンスが流れた。
「地域産業フェスティバル、開始いたします」
「皆様、どうぞお楽しみください」
会場に、拍手が響いた。
由理恵は、マスクの中で、深く息を吸った。
(いよいよ、始まる)
胸の鼓動が、激しく打っている。
でも、同時に。
不思議な高揚感もあった。
(私は、エリス)
(子どもたちを、笑顔にする)
その想いを胸に、由理恵は、ブースの前に立ち続けた。
◆ ◆ ◆
イベント開始
会場に、人が流れ込んできた。
家族連れ。
カップル。
友達同士のグループ。
色々な人たちが、次々とイベント会場に入ってくる。
各ブースが、来場者を呼び込み始めた。
「こちら、無料で試食できますよ!」
「ゲーム、やってみませんか!」
「お子さん、風船いかがですか!」
賑やかな声が、会場中に響き渡る。
エリス(由理恵)は、ブースの前に立ったまま、その様子を見ていた。
マスクの狭い視界から見る、会場の光景。
たくさんの人。
たくさんの笑顔。
(すごい、こんなに人が)
エリスの中の由理恵は、心臓の鼓動が、どんどん速くなるのを感じた。
緊張。
でも、同時に、期待もあった。
◆ ◆ ◆
しばらくすると、一組の親子が、4人のブースに近づいてきた。
母親と、5歳くらいの女の子。
女の子が、エリス(由理恵)を見つけて、目を輝かせた。
「ママ、見て!あのお姉ちゃん、きれい!」
小さな声だけど、エリスの中の由理恵の耳に届いた。
母親が、優しく微笑む。
「本当ね。きれいなお姉さんね」
女の子が、恥ずかしそうに、エリスに近づいてくる。
エリス(由理恵)は、女の子の方を向いた。
マスクの視界から、女の子の顔が見える。
大きな瞳。
少し緊張した表情。
でも、好奇心に満ちている。
エリスの中の由理恵は、リハーサルで学んだことを思い出した。
(子どもには、目線を合わせる)
ゆっくりと、膝を曲げて、屈む。
視界が、女の子の顔の高さになる。
女の子と、目が合った。
エリスは、手を振った。
ゆっくりと、優しく。
女の子の顔が、パッと明るくなった。
「わぁ!手を振ってくれた!」
嬉しそうに、母親に報告する。
エリスの中の由理恵は、マスクの中で、小さく笑った。
(よかった)
(喜んでくれた)
◆ ◆ ◆
母親が、優しく尋ねた。
「握手してもらえますか?」
由理恵は、頷いた。
マスクの中で、大きく頷く動作。
そして、女の子に手を差し出した。
長手袋に包まれた手。
女の子が、恐る恐る、エリスの手を握る。
小さな、温かい手。
由理恵は、優しく握り返した。
力加減に気をつけながら。
強すぎず、弱すぎず。
女の子が、笑顔になった。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
そう言って、母親と一緒に去っていった。
由理恵は、その後ろ姿を見送った。
マスクの中で、深く息をついた。
(よかった)
(最初の子、笑顔になってくれた)
安堵感が、胸に広がる。
でも、同時に。
マスクの中の状態を、意識した。
(はぁ...はぁ...もう、息が...)
まだ、10分も経っていない。
でも、呼吸が、少し荒くなっている。
マスクの中は、すでに湿気が溜まっている。
自分の吐息で、顔全体が湿っている。
額に、汗がにじみ始めている。
(まだ、10分なのに)
(これから、何時間...)
不安が、頭をよぎる。
でも、由理恵は、その不安を振り払った。
(頑張らないと)
(子どもたちのために)
◆ ◆ ◆
次々と、子どもたちが来た。
3歳くらいの男の子。
エリスを見て、少し怖がっている。
でも、興味津々。
由理恵は、優しく手を差し出した。
男の子が、恐る恐る手を握る。
そして、笑顔になった。
7歳くらいの女の子。
「エリスちゃん、写真撮ってもいい?」
由理恵は、大きく頷いた。
女の子が、母親と一緒に、エリスの隣に立つ。
母親が、スマートフォンのカメラを構える。
「はい、チーズ」
カシャ。
写真が撮られる。
女の子が、嬉しそうに笑った。
「ありがとう!」
由理恵は、手を振って見送った。
でも、その時。
由理恵は、ふと思いついた。
(そうだ、ステッカー)
真紀が用意してくれた、エリスのキャラクターステッカー。
子どもたちにプレゼントするためのもの。
でも、エリスは声が出せない。
どうやって伝えよう。
由理恵は、ブース内にいる真紀の方を向いた。
手を上げて、手招きする。
おいで、おいで。
◆ ◆ ◆
真紀が、気づいた。
「ん?」
エリスの元に、駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
エリスは、ブース内のテーブルを指差した。
ステッカーが置いてある場所。
真紀が、理解する。
「あ、ステッカー?」
エリスが、大きく頷いた。
そして、さっきの女の子が帰っていった方向を指差す。
真紀が、すぐに察した。
「あの子にあげたかったんだ」
エリスが、また頷く。
真紀が、笑った。
「わかった。次から、近くに置いておくね」
真紀は、ステッカーを数枚持ってきて、エリスの手に渡した。
エリスは、ステッカーを受け取って、小さく頭を下げた。
ありがとう、という仕草。
真紀が、優しく笑う。
「どういたしまして」
◆ ◆ ◆
次々と来る子どもたちに、エリスはステッカーを配った。
写真を撮ってくれた子に。
握手をしてくれた子に。
ゲームを遊んでくれた子に。
エリスは、一人一人に丁寧にステッカーを手渡す。
子どもたちが、ステッカーを受け取って、嬉しそうに笑った。
「わぁ!エリスちゃんのステッカーだ!」
「ありがとう!」
「可愛い!」
喜びの声が、あちこちから聞こえてくる。
マスクの中で、由理恵は嬉しくなった。
(みんな、喜んでくれてる)
(真紀、ありがとう)
ステッカーを配ることで。
子どもたちとの触れ合いが、さらに深まった気がした。
◆ ◆ ◆
マスクの中で、少しずつ疲労が溜まってくる。
呼吸がさらに荒くなってきた。
ハァ...ハァ...
マスク内の温度が上がり、湿気もどんどん増えている
汗が額から流れてきて目の近くまで来る
由理恵は瞬きを繰り返したが、それがかえって視界を悪くする
(見えづらい)
視界がぼやけてくるが、まだ耐えられる。
(もう少し、頑張ろう)
◆ ◆ ◆
エリスがブースに立って、15分が経過した。
由理恵は、マスクの中で、明らかな疲労を感じ始めていた。
呼吸が荒く、ハァ...ハァ...ハァ...とマスクの中はびしょびしょだった。
自分の吐息と汗で完全に湿っていて、顔全体が熱く、視界も汗で滲んでいる。
(もう、限界かも)
でも、まだ15分。
たった15分で、こんなに疲れるなんて。
由理恵は、心の中で自分を叱咤した。
(頑張れ)
(まだ、これからなのに)
その時、ブースに一人の女性が近づいてきた。
首から、「地域産業フェスティバル広報」と書かれたネームプレートを下げている。
蒼が、対応に出た。
「こんにちは。何でしょうか?」
女性が、笑顔で答えた。
「広報担当の者です。こちらのブース、とても人気ですね」
蒼が、少し驚いた表情を見せる。
「え...そうですか?」
「はい。エリスちゃん、とても可愛いですし、このゲームも素晴らしいです」
女性が、ゲーム画面を見ながら言った。
真紀が、嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます」
◆ ◆ ◆
広報担当の女性が、続けた。
「実は、地域広報誌でイベントの特集を組む予定でして」
「エリスちゃんの登場シーンを撮影させていただけないでしょうか?」
蒼が、驚いて声を上げた。
「本当ですか!?」
「はい。次のエリスちゃんの登場時に、カメラマンを連れて撮影に伺いたいのですが」
真紀が、興奮した声で答える。
「もちろんです!喜んで!」
希美も、嬉しそうに頷いている。
由理恵は、少し離れたところで、その会話を聞いていた。
マスクの中で、少し緊張した。
(広報誌に載るかも)
(もっと、ちゃんとしないと)
プレッシャーが、また増える。
でも、同時に。
嬉しさもあった。
(認めてもらえた)
(私たちのゲームが)
広報担当の女性が、去っていく。
蒼、希美、真紀が、顔を見合わせた。
そして、小さくガッツポーズ。
「やった!」
由理恵も、マスクの中で小さく笑った。
でも、その笑顔は、すぐに汗で曇っていった。
(はぁ...はぁ...暑い...)
マスクの中の過酷さは、時間とともに増していく。
◆ ◆ ◆
11時。
エリス(由理恵)がブースに立って、30分が経過した。
蒼が、エリスの元に近づいてきた。
エリスの耳元に顔を近づけて、小声で言った。
「由理ちゃん、30分経ったよ。休憩しよう」
でも。
エリス(由理恵)は、蒼に向かって首を左右に振った。
それを拒否する仕草。
蒼が、驚いた表情を見せる。
「え...?まだ、やるの...?」
エリスは、蒼の耳元に顔を近づけた。
小さな声で、くぐもった声で言った。
「今は...お客さんも増えてきて...みんな楽しんでる...」
「もう少し...エリスのままで...外に居たいです...」
真剣な声。
蒼は、少し迷った。
でも、由理恵の決意を感じた。
「わかった...でも、絶対に無理しないって約束して」
エリスが、大きく頷く。
蒼が、続けた。
「あと15分だけ。15分経ったら、必ず休憩。いい?」
エリスは、また大きく頷いた。
そして、右手で親指と人差し指の輪を作る。
OKのサイン。
蒼が、小さく笑った。
「わかった。頑張って」
エリス(由理恵)は、再びブースの外に戻った。
子どもたちが、エリスを見つけて駆け寄ってくる。
「エリスちゃん!」
「握手して!」
エリスは、一人一人と握手をし、手を振り、写真撮影に応じた
マスクの中で、由理恵の呼吸は荒くなっている。
ハァ...ハァ...
でも、まだ頑張れる。
(もう少し)
(もう少しだけ)
◆ ◆ ◆
ブースの奥では、希美が蒼のところに来た。
少し怒り気味の口調で言った。
「蒼、なんでエリス引き上げなかったの?」
蒼が、困った表情を見せる。
「それが...由理ちゃんが、もう少し頑張りたいって聞かないから」
「あと15分だけお願いしたの」
希美は、ため息をついた。
「もう!由理恵ったら、仕方ないわね」
でも、その顔は、少し笑っていた。
「3回目は私が着て出るから、ゆっくり休ませてあげてね!」
蒼が、頷く。
「うん、わかった」
希美が、ブースに戻る。
◆ ◆ ◆
蒼が、再びエリスの元に来た。
「由理ちゃん、今度こそ休憩だよ」
今度は、エリスも頷いた。
蒼が、手を引いてくれた。
「こっちだよ」
エリス(由理恵)は、蒼に導かれて、ブースの奥に向かった。
視界が狭く、足元がほとんど見えない。
足が、少しふらついた。
でも、蒼がしっかりと支えてくれる。
着替えスペースに入ると、カーテンが閉められた。
希美が、マスクの髪を掻き分ける。
両耳の上の金具を探す。
そして、金具を外す。
カチッ。
カチッ。
金具が外れる音。
前面パーツが、外される。
その瞬間。
「ふぅ...はぁ...はぁ...」
由理恵は、ゆっくりと息を吐き出した。
そして、外の空気を吸い込む。
冷たい。
新鮮。
激しい呼吸が、続く。
ハァ、ハァ、ハァ。
肩が、大きく上下する。
◆ ◆ ◆
希美が、タオルを渡してくれた。
「お疲れ様。由理ちゃん、頑張りすぎだよ」
由理恵は、タオルで顔を拭いた。
顔は汗でびしょびしょで、頬が真っ赤になり、髪も汗で濡れている
全身タイツのフード部分も、汗で変色していた。
タオルが、すぐに汗で湿る。
「はぁ...はぁ...ごめん...なさい...」
呼吸が、まだ荒い。
蒼が、心配そうに尋ねた。
「大丈夫?」
由理恵は、小さく頷いた。
「だい、じょうぶ...です」
声が、少し震えている。
真紀が、冷却材を持ってきた。
「首に当てるね」
冷たい冷却材が、首に当てられる。
ひんやりとした感触。
「はぁ...気持ちいい...」
由理恵は、目を閉じた。
希美が、スポーツドリンクを差し出す。
「ゆっくり飲んで」
由理恵は、少しずつ飲んだ。
冷たい水分が、喉を潤す。
体の中から、少しずつ涼しくなっていく。
◆ ◆ ◆
由理恵は、椅子に座った。
希美が、長手袋を外してくれる。
次に、長いブーツ。
そして、エナメルのベスト。
スカート。
最後に、全身タイツ。
首から頭頂部に続くファスナーを下ろす。
ジジジ...
フード部分を脱ぐと、由理恵の髪が現れた。
汗で濡れて、ペタンと頭に張り付いている。
全身タイツを脱ぐと、ようやく由理恵の姿に戻った。
インナーの上に、Tシャツとハーフパンツ。
汗で濡れている。
希美が、タオルを渡してくれた。
「お疲れ様」
由理恵は、タオルで顔を拭いた。
顔は汗でびしょびしょで、頬が真っ赤になり、髪も汗で濡れている
「はぁ...はぁ...ごめん...なさい...」
呼吸が、まだ荒い。
蒼が、心配そうに尋ねた。
「大丈夫?」
由理恵は、小さく頷いた。
「だい、じょうぶ...」
声が、少し震えている。
真紀が、冷却材を持ってきた。
「首に当てるね」
冷たい冷却材が、首に当てられる。
ひんやりとした感触。
「はぁ...気持ちいい...」
由理恵は、目を閉じた。
希美が、スポーツドリンクを差し出す。
「ゆっくり飲んで」
由理恵は、少しずつ飲んだ。
冷たい水分が、喉を潤す。
体の中から、少しずつ涼しくなっていく。
蒼が、外されたマスクの内側を見る。
「これ...すごく濡れてる」
マスクの内側は、びしょびしょだった。
顔に密着していたスポンジが、汗を吸収している。
独特のにおいもする。
汗と、呼気と、プラスチックの混ざったにおい。
希美が、驚いた声を出した。
「こんなに...」
真紀も、心配そうな顔をしている。
「由理恵、本当に大丈夫?」
由理恵は、少しずつ呼吸が整ってきた。
「うん...大丈夫」
「無理しないでね」
蒼が、優しく言った。
由理恵は、頷いた。
「はい...次は、12時からですよね」
蒼が、時計を見る。
「うん。今10時50分だから、あと1時間ちょっと休憩できるよ」
由理恵は、ホッとした表情を見せた。
「ゆっくり休んでて。私たちでブースを回すから」
希美が、笑顔で言った。
「ありがとう...」
由理恵は、椅子に深く座り、目を閉じた。
◆ ◆ ◆
10時50分。
蒼、希美、真紀の3人が、ブースの外に出た。
由理恵は、着替えスペースで休憩している。
ブースには、エリスの姿がない。
4人だけで、ブースを運営する時間。
来場者たちが、次々とやってくる。
ゲームをプレイする人たち。
子どもたち。
そして、一人の子どもが、周りを見回して尋ねた。
「ねえ、エリスちゃんは?」
小さな女の子。
さっき、エリスと握手した子だった。
蒼が、しゃがんで、女の子の目線に合わせた。
「エリスちゃんは、今ちょっと休憩中なんだ」
「お昼になったら、また会えるよ」
女の子が、残念そうな顔をした。
「そうなんだ...」
でも、すぐに笑顔になった。
「じゃあ、また来る!」
そう言って、母親と一緒に去っていった。
◆ ◆ ◆
真紀が、小さく笑った。
「エリス、人気だね」
希美も、頷く。
「由理恵、頑張ってたもんね」
蒼が、少し心配そうな顔をした。
「でも、すごく大変そうだった」
「あんなに汗かいて...」
真紀が、頷いた。
「マスクの中、本当に過酷だよね」
希美も、思い出す。
自分が告知撮影で着た時のこと。
たった10分でも、暑くて息苦しかった。
「由理恵、45分も着てたんだもんね」
3人は、しばらく無言で、ゲームのサポートを続けた。
来場者たちは、ゲームを楽しんでいる。
エリスがいなくても、ブースは賑わっている。
でも。
やはり、エリスがいる時とは、少し違った。
子どもたちの目が、時々、周りを探している。
エリスを探している。
◆ ◆ ◆
11時。
蒼が、時計を見た。
「そろそろ、由理恵の様子を見てくるね」
蒼が、着替えスペースに向かった。
カーテンの前で、声をかける。
「由理ちゃん、大丈夫?」
中から、由理恵の声が聞こえた。
「うん、大丈夫」
少し元気になった声。
「もう少ししたら、着替え始めるね」
蒼が、安心した。
「うん。無理しないでね」
◆ ◆ ◆
11時15分。
ブースは、相変わらず賑わっていた。
希美が、来場者にゲームの説明をしている。
真紀が、サポートをしている。
蒼が、写真撮影の対応をしている。
4人での運営。
エリスがいなくても、回っている。
でも。
やはり、エリスがいた方が、華やかだった。
子どもたちの目が、輝いていた。
蒼が、小声で言った。
「やっぱり、エリスがいると全然違うね」
希美も、頷く。
「うん。子どもたち、すっごく喜んでたもんね」
真紀が、笑った。
「由理恵、頑張ってるよね」
3人は、由理恵への感謝の気持ちを、改めて感じていた。
◆ ◆ ◆
11時30分。
蒼が、着替えスペースに向かった。
「由理恵、そろそろ着替え始めよう」
カーテンが開く。
由理恵が、立ち上がった。
「はい」
少し休憩して、体力が回復してきた。
でも、まだ少し疲れは残っている。
蒼が、エリスの衣装を準備する。
「じゃあ、着替えよう」
由理恵は、深く息を吸った。
(また、エリスになる)
(また、あの暑さと息苦しさに)
でも、怖くはなかった。
1回目で、少し慣れた。
(大丈夫)
(私は、できる)
◆ ◆ ◆
まず、インナーを確認する。
汗を吸収するスポーツ用のインナー。
すでに着ている。
次に、全身タイツ。
蒼が、タイツを広げてくれる。
「足から入れていくね」
由理恵は、全身タイツに足を入れた。
ベージュの生地が、足を包む。
腰まで引き上げる。
腕を通す。
体全体が、タイツに包まれる。
そして、フード部分。
由理恵は、髪をゴムで束ねて、首のあたりに集める。
蒼が、フードを被せてくれる。
顔だけが、丸くくり抜かれた部分から出ている。
首から頭頂部に続くファスナーを、蒼が上げる。
ジジジ...
「きつくない?」
「大丈夫」
全身タイツの密着感。
体が、しっかりと包まれている感覚。
◆ ◆ ◆
次に、エナメルのベスト。
蒼が、ベストを持ってくる。
ダークシルバーとエレクトリックブルーのツートンカラー。
光を反射して、輝いている。
由理恵は、腕を通した。
ベストが、体にフィットする。
エナメルの締め付け。
全身タイツの上からでも、きつく感じる。
蒼が、背中のファスナーを上げる。
「これでいい?」
「はい」
次に、スカート。
同じく、ダークシルバーとエレクトリックブルーのツートンカラー。
ウエストに装着する。
ふわりと広がるスカート。
そして、長いブーツ。
由理恵は、椅子に座って、ブーツを履いた。
白いブーツ。
膝上まである、長いブーツ。
履くのに時間がかかる。
でも、2回目だから、少し慣れた。
最後に、長手袋。
白い手袋を、両手にはめる。
指先の感覚が、少し鈍くなる。
◆ ◆ ◆
そして。
最後に、マスク。
蒼が、テーブルの上のマスクを持ってきた。
エリスの顔。
アイスブルーの瞳。
ダークシルバーとエレクトリックブルーの髪。
でも。
マスクの内側は、まだ湿っている。
先ほどの汗をある程度拭き取ってあるけれど。
完全には乾いていない。
由理恵は、少し躊躇した。
(また、あれを被る)
蒼が、優しく声をかけた。
「由理恵、準備いい?」
由理恵は、深く息を吸って、頷いた。
「はい」
◆ ◆ ◆
蒼が、まず後頭部パーツを由理恵の後頭部に当て、次に前面パーツを慎重に由理恵の顔に近づけていく。
マスクの匂いが鼻に届く——プラスチックと汗の、独特の匂い。
さっきまで自分が被っていたマスクには、その匂いが残っている。
スポンジが顔に触れると、湿っていて気持ち悪い。
額、頬、顎、鼻の周り、ひんやりと湿ったスポンジが顔全体に密着していく。
由理恵は、思わず眉をひそめた。
(気持ち悪い)
でも、我慢する。
そして、蒼が両耳の上の金具を留める。
カチッ。
右側。
カチッ。
左側。
金具が、しっかりと固定される。
◆ ◆ ◆
その瞬間。
視界が、暗くなった。
(また)
ハァ...ハァ...
呼吸音が反響し、自分の吐息がマスクの中に籠もって湿ったスポンジに跳ね返り、顔全体に熱く湿った空気がかかる。
不快だが、由理恵は慌てなかった。
(大丈夫)
(慣れてる)
暗順応が、前より早い。
2回目だから。
徐々に視界が開けてきて、小さなスリットから光が入ってくる。
蒼の顔が見える——心配そうに、こちらを見ている
「由理ちゃん、大丈夫?」
エリスが、頷いた。
蒼が、安心した表情を見せた。
「よかった」
エリスは、マスクの中で、小さく呟いた。
「大丈夫...」
くぐもった声。
でも、確かな声。
◆ ◆ ◆
蒼が、エリスの手を取った。
「じゃあ、行こう」
エリスは、ゆっくりと立ち上がった。
スカートが、ふわりと揺れる。
長いブーツの重み。
マスクの重み。
でも、1回目より、バランスが取りやすい。
少し、慣れてきた。
蒼が、カーテンを開けた。
希美と真紀が、振り向いた。
「由理恵!」
エリスが、2人に向かって、小さく手を振った。
希美が、笑顔を見せる。
「頑張ってね」
真紀も、頷く。
「応援してるよ」
エリスは、大きく頷いた。
そして、蒼に手を引かれて、ブースの外に向かった。
◆ ◆ ◆
12時。
エリス(由理恵)が、再びブースの前に立った。
2回目の出演。
マスクの中で、由理恵は、もう一度決意を新たにした。
(頑張ろう)
(みんなのために)
でも、同時に気づいた。
(あれ...?)
(少し...慣れてきたかも)
マスクの視界。
最初は真っ暗に感じていたけれど。
今は、周りがはっきり見える。
呼吸も。
最初はすごく苦しかったけれど。
今は、リズムがつかめてきた。
足元も。
最初は全く見えなかったけれど。
今は、顔を少し下げれば、なんとなく足の位置が分かる。
(私、少しずつ、エリスになってきてる)
エリスの中の由理恵は、小さく微笑んだ。
疲れはする。
暑いし、息苦しい。
でも、もう怖くない。
◆ ◆ ◆
12時10分。
2回目の出演が始まって、10分ほど経った頃。
ブースに、数人のスタッフが近づいてきた。
大きなビデオカメラを持っている。
テレビ局のクルーだった。
ディレクターらしき男性が、蒼に声をかけた。
「あの、すみません」
蒼が、振り向く。
「はい、何でしょうか?」
「地元のケーブルテレビの者なんですが」
男性が、ネームプレートを見せる。
「こちらのブース、取材させていただけませんか?」
蒼が、驚いた表情を見せた。
「え!テレビ...ですか!?」
「はい。地域イベント特集で、学生さんたちの素晴らしい取り組みを紹介したくて」
真紀が、興奮した声を上げる。
「本当ですか!?」
ディレクターが、頷いた。
「もちろんです」
蒼が、即答した。
「もちろんです!喜んで!」
希美も、嬉しそうに笑っている。
エリス(由理恵)は、少し離れたところで、その会話を聞いていた。
マスクの中で、少し緊張した。
(テレビの取材...)
(私、ちゃんとできるかな)
でも、同時に、嬉しさもあった。
(テレビに映るかも)
◆ ◆ ◆
ディレクターが、撮影の流れを説明し始めた。
「まず、ブースの全体を撮影します」
「次に、代表の方にゲームの説明をお願いします」
「そして、エリスちゃんにもカメラに向かって可愛い仕草をしていただければ」
蒼が、頷く。
「わかりました」
カメラマンが、ブース全体を撮影し始めた。
大きなカメラが、ゆっくりとブースをパンしていく。
ゲームデモ画面。
パネル。
そして、エリス。
由理恵は、カメラを見つめた。
マスクの狭い視界から見る、大きなカメラ。
レンズが、こちらを向いている。
(緊張する)
心臓の鼓動が、速くなる。
でも、エリスとして、堂々と立たなければ。
由理恵は、姿勢を正した。
◆ ◆ ◆
ディレクターが、蒼に促した。
「それでは、このゲームについて説明をお願いします」
蒼は、カメラの前に立った。
少し緊張した表情。
でも、すぐに笑顔を作る。
「このゲーム『スカイエンジェル』は、私たち4人で1年かけて制作したRPGゲームです」
蒼の声は、しっかりしていた。
「主人公のエリス・スカイウィングが、仲間たちと共に世界を救う物語なんです」
そう言って、蒼は隣に立つエリスを指差した。
「こちらが、主人公のエリスです」
エリスは、カメラに向かって、片手を腰に当てるポーズを取った。
リハーサルで練習したポーズ。
もう一方の手を、軽く上げて。
ディレクターが、感心した声を出した。
「エリスちゃん、とても美しいですね」
蒼が、嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
次に、希美がゲーム画面の前に立った。
「実際に、ゲーム画面を見ていただきます」
希美が、コントローラーを操作し始める。
画面の中で、エリスが空を飛ぶ。
翼を広げて、青い空を駆け巡る。
敵と戦う。
アイテムを拾う。
美しいグラフィック。
希美が、説明を続ける。
「グラフィックも、全て私たちで作りました」
「プログラムも、デザインも、音楽も、全部手作りです」
カメラが、ゲーム画面を捉える。
◆ ◆ ◆
エリスは、希美の説明に合わせて、動作を加えた。
画面を指差したり。
大きく頷いたり。
カメラに向かって、手を振ったり。
マスクの中で、由理恵は緊張していた。
(カメラに映ってる)
(私、ちゃんとできてるかな)
でも、同時に。
不思議な感覚もあった。
(私、テレビに映るんだ)
(エリスとして)
自分が、エリスになっている。
その実感が、少しずつ湧いてくる。
ディレクターが、満足そうに頷いた。
「素晴らしいですね」
そして、続けた。
「あの、もし可能であれば」
「エリスちゃんが実際にゲームをプレイしている映像を撮りたいのですが」
蒼と希美が、顔を見合わせた。
少し驚いた表情。
(え...私が、ゲームを...?)
由理恵も、マスクの中で驚いた。
ディレクターが、続ける。
「大丈夫でしょうか?」
蒼が、エリスの方を見る。
由理恵は、少し躊躇した。
(マスクの中から、ゲームを...?)
でも、せっかくの機会。
断りたくない。
由理恵は、マスクの中で決意した。
(やってみよう)
大きく、頷いた。
◆ ◆ ◆
エリスは、椅子に座った。
希美が、コントローラーを渡してくれる。
由理恵は、長手袋をはめた手で、コントローラーを受け取った。
(重い)
手袋越しで、コントローラーの感触がほとんど分からない。
どこにボタンがあるのか、手探りで確認する。
画面を見ようとした。
(近い)
(画面が、近すぎる)
マスクの視界は狭い。
画面全体を、一度に見渡すことができない。
顔を少し動かして、画面の隅々を確認する。
ディレクターが、言った。
「それでは、スタートしてください」
ゲームが始まる。
画面の中で、エリスが空を飛び始める。
由理恵は、コントローラーのボタンを押そうとした。
(あれ...どのボタン...?)
手袋越しで、ボタンの位置が分からない。
手探りで、ボタンを探す。
やっと見つけて、押す。
画面の中のエリスが、動き出した。
でも。
(操作が...思うように...)
視界が狭いため、敵の位置が分からない。
グローブのせいで、ボタンを押すタイミングがズレる。
画面の中のエリスが、敵にぶつかる。
ダメージ。
由理恵は、焦った。
(あ...)
必死に操作を続ける。
でも、視界の狭さと、手袋の感覚のなさで、うまくいかない。
数秒後。
ピロリロリン...
ゲームオーバー。
画面に、「GAME OVER」の文字。
◆ ◆ ◆
由理恵は、マスクの中で、小さく唇を噛んだ。
(くやしい)
自分たちが作ったゲーム。
なのに、うまくプレイできない。
悔しさが、込み上げてくる。
でも、ディレクターは満足そうだった。
「もう一度、お願いできますか?」
由理恵は、頷いた。
(今度こそ)
もう一度、ゲームが始まる。
今度は、少し慣れた。
ボタンの位置も、少し覚えた。
でも、やはり視界の狭さとグローブの感覚のなさで、すぐにゲームオーバー。
(また...)
悔しさが、また込み上げる。
でも、ディレクターは、とても満足そうだった。
「ありがとうございます!素晴らしい映像が撮れました」
「エリスちゃんが一生懸命プレイしている姿、とても良かったです」
由理恵は、マスクの中で、少しホッとした。
(良かった...のかな)
蒼が、エリスの肩を優しく叩いた。
◆ ◆ ◆
ディレクターが、最後の撮影を提案した。
「最後に、4人で並んで、一言お願いします」
蒼、希美、真紀、そしてエリスが、カメラの前に並んだ。
4人が横一列に。
蒼が、代表して言った。
「私たち4人で、このゲームを一生懸命作りました」
希美が、続ける。
「多くの人に遊んでもらえると嬉しいです」
真紀が、笑顔で言った。
「エリスちゃん、可愛いでしょ?」
エリスは、大きく手を振った。
両手を上げて、元気よく。
4人が、カメラに向かってお辞儀をした。
「ありがとうございました」
ディレクターが、満足そうに笑った。
「こちらこそ、ありがとうございました」
「素晴らしい取材ができました」
◆ ◆ ◆
撮影が終わり、クルーが機材を片付け始めた時。
ディレクターが、真紀に近づいてきて、尋ねた。
「ちなみに、エリスさんを演じている方も、ゲーム制作に携わったんですか?」
真紀は、少し考えた。
そして、笑顔で答えた。
「はい!エリスを演じている子は、同級生の女の子で、私たちの大切な仲間であり友達です!」
ディレクターが、感心した表情を見せる。
「そうなんですね。素晴らしいチームワークですね」
「放送日が決まったら、ご連絡します」
「ありがとうございます!」
4人が、クルーを見送った。
クルーが去っていくと、4人は顔を見合わせた。
そして、小さくガッツポーズ。
「やった!」
蒼が、興奮した声を上げる。
「テレビに出られる!」
真紀も、嬉しそうだ。
「これ、すごい宣伝になるよ!」
希美も、笑顔で頷いている。
由理恵は、マスクの中で、少し照れくさかった。
(テレビに映る...私...)
(エリスとして)
不思議な感覚。
でも、嬉しい。
(みんなで作ったゲーム)
(もっと、多くの人に知ってもらえる)
その想いが、胸に広がった。
でも。
同時に、マスクの中の状態も意識した。
(汗が...)
撮影中、緊張していたこともあり。
額から流れる汗が、ひどくなっていた。
マスクの内側。
スポンジの部分。
全て、汗でびしょびしょ。
視界も、汗で滲んでいる。
由理恵は、近くにいた蒼の肩を、軽く叩いた。
トン、トン。
◆ ◆ ◆
蒼が、振り向いた。
「ん?どうしたの?」
エリスは、自分のマスクを指差した。
そして、外す仕草。
両手で、マスクを持ち上げる真似。
蒼が、すぐに理解した。
「あ、マスク、一度外したい?」
エリスが、大きく頷いた。
蒼が、優しく言った。
「わかった。じゃあ、着替えスペース行こう」
蒼は、エリスの手を引いて、着替えスペースへ案内した。
真紀と希美も、気づいた。
「由理ちゃん、汗拭くのかな」
希美が、頷く。
「撮影、緊張してたもんね」
◆ ◆ ◆
着替えスペースに入ると。
蒼が、すぐにマスクの金具に手をかけた。
カチッ、カチッ。
金具が外される。
前面パーツが外される。
「ふぁっ...はぁっ...」
由理恵は、長く息を吐き出した。
顔全体が、汗でびしょびしょだった。
頬が、真っ赤になっている。
蒼が、すぐにタオルを差し出した。
「はい」
「ありがとうございます...」
由理恵は、タオルで顔を拭いた。
額、頬、顎
たくさんの汗が、タオルに吸い込まれていく。
そして、マスクの内側も拭いた。
スポンジの部分。
びしょびしょになっている。
タオルで、丁寧に拭き取る。
「はぁ...少し、楽になった...」
蒼が、笑顔を見せた。
「大丈夫?ちょっと休む?」
由理恵は、首を横に振った。
「ううん、大丈夫」
「すぐに戻るね」
深呼吸を、何度かする。
外の空気を、たっぷりと吸い込む。
「じゃあ、また被ろうか」
蒼が、マスクを持つ。
由理恵は、頷いた。
◆ ◆ ◆
蒼が、再びマスクを装着してくれる。
後頭部パーツ。
前面パーツ。
カチッ、カチッ。
金具が留まる。
視界が、また暗くなる。
でも、今度は少し楽だった。
汗を拭いたから。
マスクの内側も、少し乾いている。
由理恵は、マスクの中で小さく呟いた。
「ありがとう、蒼ちゃん」
くぐもった声。
蒼が、優しく笑った。
「どういたしまして」
2人は、着替えスペースを出た。
◆ ◆ ◆
12時頃。
ブースに、4人の若い女性が近づいてきた。
同じくらいの年齢。
専門学校の制服を着ている。
蒼が、その顔を見て、驚いた表情を見せた。
「あ...!」
4人は、蒼たちの同級生だった。
「蒼ちゃん!」
一人が、手を振りながら近づいてくる。
「みんな!来てくれたんだ!」
蒼が、嬉しそうに迎えた。
「うん!SNS見て、絶対行こうって話してたの」
「すごいね、このブース!」
同級生たちが、ブースを見回す。
真紀も、希美も、嬉しそうに笑っている。
「ありがとう。来てくれて」
同級生の一人が、ゲームデモ画面を指差した。
「ゲーム、やらせて!」
「もちろん!」
真紀が、椅子を勧める。
同級生たちが、ゲームを始めた。
コントローラーを操作しながら、興奮した声を上げる。
「これ、面白い!」
「グラフィック、すごくきれい!」
「エリスちゃん、可愛い!」
喜んでプレイする様子を見て、4人は嬉しくなった。
◆ ◆ ◆
ゲームをプレイしていた同級生の一人が、ふとブースの外を見た。
そこに、エリスが立っていた。
「あ...あれ、エリスちゃん...?」
驚いた声。
他の同級生たちも、視線を向ける。
「本物...?」
「すごい!本当にいる!」
同級生たちが、興奮し始めた。
ゲームをやめて、エリスに近づいていく。
「エリスちゃん、握手してもらえますか?」
由理恵は、マスクの中で少し驚いた。
(同級生...)
(知ってる人たちだ)
でも、エリスとして、応えなければ。
由理恵は、大きく頷いた。
そして、手を差し出した。
同級生たちが、次々とエリスと握手する。
「可愛い...!」
「すごい、本当にゲームのエリスだ...」
感動した声。
写真を撮る人もいる。
由理恵は、マスクの中で、少し複雑な気持ちだった。
(この人たち、私のこと知ってるのに)
(気づいてないんだ)
でも、それは当然だった。
マスクを被っているから、中の人は分からない。
◆ ◆ ◆
同級生の一人が、蒼に近づいてきた。
そして、耳元でこっそり尋ねた。
「ねえ、蒼ちゃん。エリスを演じてるの、誰?」
声を潜めて。
他の人には聞こえないように。
蒼は、少し迷った。
(由理恵だよ、って言いそうになった)
でも、由理恵は恥ずかしがるかもしれない。
蒼は、笑顔で答えた。
「今度、教えてあげる」
同級生は、少し不思議そうな顔をした。
でも、それ以上は聞かなかった。
◆ ◆ ◆
同級生たちは、ゲームを楽しみ始めた。
真紀が、操作方法を説明する。
希美が、サポートする。
その間、エリス(由理恵)は、少し離れたところで立っていた。
同級生たちは、時々エリスの方を見る。
「かわいいね」
「すごい完成度だね」
そんな会話をしながら。
でも、ふと。
同級生の一人が、気づいた。
ブースを見回す。
蒼がいる。
希美がいる。
真紀がいる。
そして、エリスがいる。
4人。
でも、何かがおかしい。
「あれ...」
同級生が、もう一度、ブースを見回した。
蒼。
希美。
真紀。
エリス。
(あれ...?)
(由理恵ちゃんは...?)
◆ ◆ ◆
同級生が、小声で他の友達に言った。
「ねえ、由理恵ちゃん、いなくない?」
他の同級生も、ハッとした。
ブースを見回す。
確かに、由理恵がいない。
4人組のはずなのに。
由理恵の姿が見えない。
同級生たちが、顔を見合わせた。
そして、ゆっくりと、エリスの方を見た。
蒼がいる。
希美がいる。
真紀がいる。
由理恵がいない。
ということは。
「もしかして...」
同級生の一人が、小声で呟いた。
でも、すぐには確信が持てなかった。
(由理恵ちゃんが...エリスを...?)
(そんな...)
由理恵は、いつも控えめで。
人前に出るのが苦手で。
発表の時も、いつも小さな声で話す。
そんな由理恵が。
こんなに堂々と、キャラクターを演じている...?
◆ ◆ ◆
同級生の一人が、エリスに近づいた。
「エリスちゃん、写真撮ってもいい?」
エリスが、頷いた。
そして、ポーズを取る。
片手を腰に当てて。
もう片方の手を、軽く上げて。
同級生が、写真を撮った。
「ありがとう!」
エリスが、お辞儀をする。
その仕草を見て。
同級生が、ハッとした。
(この、お辞儀の仕方...)
(どこかで見たことある)
丁寧で。
少し控えめで。
でも、心がこもっている。
(あれ...由理恵ちゃんの、お辞儀みたい...)
◆ ◆ ◆
別の同級生が、エリスに話しかけた。
「エリスちゃん、握手して!」
エリスが、手を差し出す。
同級生が、握手をした。
その時。
エリスが、小さく手を握り返した。
優しく。
温かく。
その握り方が。
(あれ...この感じ...)
同級生は、何度も由理恵と握手をしたことがあった。
文化祭の時。
体育祭の時。
いつも、こんな風に。
優しく、温かく、手を握ってくれた。
(もしかして...本当に...?)
同級生たちが、再び顔を見合わせた。
そして、一人が、小声で言った。
「ねえ...エリスちゃんって...もしかして...」
他の同級生も、小さく頷いた。
みんな、同じことを思っていた。
◆ ◆ ◆
同級生の一人が、エリスの近くに来た。
そして、小声で話しかけた。
「ねえ...エリスちゃん...」
エリスが、その同級生の方を向く。
「もしかして...由理恵ちゃん...?」
小さな、小さな声。
他の人には聞こえないように。
エリスは、一瞬、固まった。
マスクの中で、由理恵の心臓が、ドキッと跳ねた。
(バレた)
(バレてる)
エリスは、どうしていいか分からなかった。
頷くべきか。
首を振るべきか。
でも、体が動かない。
同級生は、その反応を見て、確信した。
小さく笑った。
優しい笑顔。
「やっぱり、由理恵ちゃんだ」
◆ ◆ ◆
エリスの中の由理恵は、恥ずかしさが込み上げてきた。
顔が、熱くなる。
でも、マスクを被っているから、顔は見えない。
同級生が、もう一度、小声で言った。
「すごいね、由理恵ちゃん」
「完璧だよ」
その言葉に、由理恵は救われた。
エリス(由理恵)は、小さく頷いた。
そして、小声で答えた。
「ありがと...」
くぐもった声。
でも、確かに由理恵の声。
同級生は、嬉しそうに笑った。
そして、他の同級生たちに、小声で伝えた。
「やっぱり、由理恵ちゃんだって」
同級生たちが、驚いた表情を見せた。
でも、すぐに笑顔になった。
「すごい...」
「由理恵ちゃんが、こんなに堂々と...」
「信じられない...」
◆ ◆ ◆
同級生の一人が、エリスに近づいてきた。
「由理恵、すごいよ!」
小声で。
でも、嬉しそうに。
「全然気づかなかった!」
別の同級生も、続けた。
「本当に、完璧に演じてるね!」
エリス(由理恵)は、マスクの中で、涙ぐみそうになった。
(みんな...)
(認めてくれてる)
恥ずかしさもあった。
でも、それ以上に。
嬉しさが、込み上げてくる。
エリスは、同級生たちに向かって、深くお辞儀をした。
丁寧に。
心を込めて。
同級生たちも、笑顔で応えた。
◆ ◆ ◆
一人の同級生が、エリスの耳元に顔を近づけた。
「由理恵、本当にかっこいいよ」
小さな声で。
でも、心がこもっている。
「私たち、応援してるから」
エリス(由理恵)は、マスクの中で、声を出せなかった。
涙が、溢れそうになる。
ただ、小さく頷くだけ。
次の同級生も、耳元で囁いた。
「ずっと憧れてたんだ、由理恵のこと」
「控えめだけど、優しくて」
「今日、もっと好きになった」
その言葉に、由理恵の心が震えた。
エリスは、その同級生の手を握った。
ぎゅっと。
ありがとう、という気持ちを込めて。
同級生も、握り返してくれた。
◆ ◆ ◆
同級生たちは、ゲームを楽しんだ後。
ブースを離れることにした。
去り際、全員がエリスと握手をした。
一人一人。
丁寧に。
「由理恵ちゃん、頑張ってね」
「また来るね」
「本当に、すごいよ」
「かっこいい!」
みんな、小声で。
でも、心を込めて。
エリス(由理恵)は、一人一人に、お辞儀をした。
そして、最後の一人が、去り際に振り返った。
「由理恵!大好き!」
そう言って、手を振った。
エリスも、大きく手を振り返した。
同級生たちが、笑顔で去っていく。
由理恵は、その後ろ姿を見送った。
マスクの中で、涙が溢れそうになるのを、必死に堪えた。
(嬉しい)
(本当に、嬉しい)
心の中が、温かくなった。
◆ ◆ ◆
でも、同時に。
マスクの中の過酷さは、変わらなかった。
呼吸が、荒い。
ハァ...ハァ...ハァ...
マスクの中は、もう完全にびしょびしょ。
汗が額から流れ続け、視界も汗で滲んでいる。
(はぁ...もう、きつい)
2回目の出演が始まって、もう25分。
合計で、55分もマスクを被っている。
体力が、どんどん削られていく。
でも、まだ頑張らなければ。
(もう少し...)
エリスの中の由理恵は、歯を食いしばった。
◆ ◆ ◆
13時。
真紀が、声をかけた。
「エリス、休憩だよ」
エリス(由理恵)は、大きく頷いた。
もう、限界だった。
蒼が、手を引いてくれる。
「こっちだよ」
由理恵は、ふらつきながら、着替えスペースに向かった。
足が、重い。
視界も、ほとんど見えない。
汗で、目が開けられない。
着替えスペースに入ると、すぐにマスクが外された。
カチッ、カチッ。
金具が外れる。
前面パーツが外される。
「はぁっ...ふぅっ...っ...」
由理恵は、荒く息を吐き出した。
何度も、何度も。
そして、外の空気を深く吸い込む。
外の空気。
冷たい。
新鮮。
呼吸が、止まらない。
ハァ、ハァ、ハァ。
肩が、大きく上下する。
顔は、さらに赤く、汗の量も増えていた。
頬が、火照っている。
髪は、完全に汗で濡れている。
全身タイツのフード部分も、汗で完全に変色していた。
◆ ◆ ◆
希美が、タオルを渡してくれた。
「お疲れ様」
由理恵は、タオルで顔を拭いた。
汗が、どんどん出てくる。
拭いても、拭いても、汗が溢れてくる。
「はぁ...はぁ...もう...きつい...」
正直な感想が、口から出た。
蒼が、心配そうに言った。
「由理恵、無理しないで」
真紀も、冷却材を持ってくる。
「首、冷やそう」
冷却材が、首に当てられる。
冷たい。
気持ちいい。
「はぁ...」
由理恵は、目を閉じた。
呼吸が、少しずつ落ち着いてくる。
希美が、スポーツドリンクを差し出す。
「ゆっくり飲んで」
由理恵は、少しずつ飲んだ。
冷たい水分が、体を潤す。
少しずつ、体力が回復してくる。
◆ ◆ ◆
由理恵は、椅子に座った。
全身タイツと衣装は、まだ着たまま。
マスクだけを外している。
蒼が、優しく言った。
「由理恵、午後は希美に交代しよう」
由理恵は、少し驚いた。
「で、でも...」
「無理しないで。由理恵は、もう十分頑張ったよ」
希美も、優しく笑う。
「午後は、私に任せて」
由理恵は、迷った。
(まだ、頑張りたい)
(でも、もう限界かも)
正直、体力はもうほとんど残っていなかった。
呼吸も、まだ荒い。
足も、ふらついている。
由理恵は、涙目になった。
「ごめんね...午後、お願い...」
希美が、由理恵の肩を優しく叩いた。
「任せて」
力強い声。
由理恵は、小さく頷いた。
全身タイツと衣装を脱いで、私服に着替えた。
やっと、解放される。
汗だくの体。
全身が、汗で濡れていた。
インナーも、汗でびっしょり。
由理恵は、椅子に座って、大きく息をついた。
疲労困憊。
でも、達成感もあった。
(午前中、頑張れた)
◆ ◆ ◆
13時。
昼休憩が始まった。
イベントも、一時中断される。
4人は、お弁当を食べることにした。
蒼が、コンビニで買ってきたお弁当を配る。
「はい、由理恵の分」
由理恵が、お弁当を受け取る。
「ありがとう」
でも、あまり食欲がない。
疲れているせいだろうか。
希美が、心配そうに見る。
「由理恵、ちゃんと食べないと」
由理恵は、頷いて、少しずつ食べ始めた。
真紀が、スポーツドリンクを差し出す。
「水分、しっかり取ってね」
「はい」
由理恵は、ゆっくりと水分を取った。
◆ ◆ ◆
13時15分。
4人は、ブースの外に出た。
昼休憩中だけど、ブースは開けておく。
来場者がいれば、対応する。
でも、昼休憩なので、人は少ない。
蒼、希美、真紀、由理恵。
4人だけで、ブースに立っている。
エリスの姿は、ない。
希美が、小さく笑った。
「今日、ずっとバタバタしてたね」
真紀も、頷く。
「本当に。朝からずっと忙しかった」
蒼が、由理恵の方を見た。
「由理ちゃん、大丈夫?」
由理恵は、頷いた。
「うん。少し疲れたけど、大丈夫」
でも、顔色は少し悪かった。
希美が、心配そうに言った。
「無理しないでね」
「午後は、私が頑張るから」
由理恵は、小さく笑った。
「希美、お願いね」
「うん、任せて」
◆ ◆ ◆
13時30分。
数組の来場者が、ブースに来た。
「あれ、エリスちゃんは?」
子どもが、尋ねる。
蒼が、笑顔で答えた。
「エリスちゃんは、今お昼休憩中なんだ」
「午後2時半から、また会えるよ」
子どもが、少し残念そうな顔をした。
「そうなんだ...」
でも、母親が優しく言った。
「じゃあ、また午後に来ようね」
「うん!」
子どもが、嬉しそうに頷いた。
来場者が去った後。
真紀が、小さく笑った。
「エリス、本当に人気だね」
希美も、頷く。
「午後、頑張らなきゃ」
蒼が、励ました。
「希美なら、大丈夫だよ」
◆ ◆ ◆
13時45分。
由理恵は、ブースの奥で休んでいた。
椅子に座って、目を閉じている。
疲労が、まだ残っている。
蒼が、様子を見に来た。
「由理ちゃん、大丈夫?」
由理恵が、目を開けた。
「はい...少し、休ませてもらってます」
「無理しないでね」
「はい」
由理恵は、また目を閉じた。
(午前中、頑張った)
(午後は、希美が頑張る番)
(私は、しっかり休まなきゃ)
◆ ◆ ◆
14時。
蒼が、希美に声をかけた。
「希美、そろそろ着替え始めよう」
希美が、頷いた。
「うん」
希美は、着替えスペースに向かった。
テーブルの上には、エリスの衣装が準備されている。
全身タイツ。
エナメルのベスト。
スカート。
ブーツ。
長手袋。
そして、マスク。
エリスの顔。
アイスブルーの瞳。
ダークシルバーとエレクトリックブルーの髪。
希美は、深く息を吸った。
(久しぶりに、エリスになる)
告知撮影以来。
あの時は、たった10分。
でも、今回は。
75分。
(大丈夫)
(私は、できる)
希美は、カーテンを閉めた。
◆ ◆ ◆
カーテンの向こうで、希美が着替え始める。
真紀が、カーテンの前で待機している。
中から、衣擦れの音が聞こえる。
ジジジ...
ファスナーを上げる音。
真紀が、小声で尋ねた。
「希美、手伝う?」
「大丈夫、ありがとう」
希美の声が、カーテンの向こうから聞こえた。
しばらくして。
希美の声が聞こえた。
「真紀、マスク、お願い」
真紀が、カーテンを少し開けた。
中には、全身タイツと衣装を着た希美が立っていた。
全ての準備が整っている。
あとは、マスクだけ。
真紀が、テーブルの上のマスクを持って、中に入った。
◆ ◆ ◆
真紀が、マスクを慎重に扱う。
「じゃあ、被せるね」
希美が、深く息を吸った。
(午後は、私が頑張る番)
(由理恵が、午前中頑張ってくれた)
(今度は、私が)
希美は、決意を込めて頷いた。
「お願い」
真紀が、まず後頭部パーツを希美の後頭部に当て、次に前面パーツを希美の顔にゆっくりと当てる。
スポンジが触れる。
(この感覚)
額、頬、顎、鼻の周り、密着していく。
(久しぶり)
告知撮影以来だが、体は覚えている
真紀が、両耳の上の金具を留める。
カチッ。
右側。
カチッ。
左側。
マスクが、固定された。
◆ ◆ ◆
その瞬間。
世界が、暗くなった。
(また)
呼吸音がハァ...ハァ...と反響する。
でも、希美は動じず、目を閉じて深呼吸し、落ち着いて待つ。
暗順応が始まり、徐々に光が見えてくる。
小さなスリットから、真紀の心配そうな顔が見える。
でも、希美は大丈夫。
エリス(希美)が、しっかりと頷いた。
真紀が、安心した表情を見せた。
「よかった」
エリスは、マスクの中で、決意を込めて呟いた。
「頑張る」
くぐもった声。
でも、力強い声。
◆ ◆ ◆
真紀が、カーテンを開けた。
エリス(希美)が、ゆっくりと外に出てくる。
蒼と由理恵が、振り向いた。
「希美!」
エリスが、2人に向かって、手を振った。
蒼が、笑顔を見せる。
「似合ってるよ」
由理恵も、頷く。
「希美、頑張ってね」
エリスは、大きく頷いた。
そして、椅子に座って、待機することにした。
時計は、14時10分を指していた。
あと、20分。
14時30分になったら、ブースの外に出る。
◆ ◆ ◆
エリス(希美)は、椅子に座って、待機していた。
スカートが、ふわりと広がる。
長いブーツを履いた足を、少し前に出す。
白い手袋をはめた手を、膝の上に置く。
マスクの中で、ゆっくりと呼吸を整える。
深く、息を吸う。
ゆっくりと、吐く。
ハァ...ハァ...
(大丈夫)
(私は、できる)
蒼が、エリスの隣に来た。
「希美、大丈夫?」
エリスが、頷いた。
蒼が、笑顔を見せる。
「無理しないでね」
エリスは、また頷いた。
そして、マスクの中で、小さく呟いた。
「頑張る...」
◆ ◆ ◆
14時25分。
蒼が、声をかけた。
「希美、そろそろだよ」
エリスが、ゆっくりと立ち上がった。
スカートが、揺れる。
長いブーツの重み。
マスクの重み。
でも、希美は慣れている。
リハーサルで、何度も練習した。
蒼が、手を差し出した。
「行こう」
エリスは、蒼の手を取った。
そして、ブースの外に向かった。
◆ ◆ ◆
14時30分。
エリス(希美)が、ブースの前に立った。
午後の部。
来場者たちが、エリスを見つけて、歓声を上げた。
「エリスちゃんだ!」
「やっと会えた!」
子どもたちが、駆け寄ってくる。
エリスは、一人一人と握手をし、手を振り、写真撮影に応じた
マスクの中で、希美は決意を新たにした。
(頑張ろう)
(午前中、由理恵が頑張ってくれた)
(今度は、私の番)
エリス(希美)の、午後の出演が始まった。
視界が、開けてくる。
(見える)
蒼が、エリスに尋ねた。
「希美、大丈夫?」
エリスは、大きく頷いた。
マスクの中から、小さく声を出す。
「大丈夫」
少しこもった声。
でも、確かに希美の声。
由理恵は、ソファに座って、エリスの姿を見つめた。
(希美、頼んだよ)
心の中で、そっと呟いた。
◆ ◆ ◆
第3章 重大なトラブル
14時30分。
エリス(希美)は、ブースの前で子どもたちと触れ合っていた。
握手。
ハイタッチ。
写真撮影。
次々と来る子どもたちに、丁寧に対応している。
由理恵は、エリスの隣で、サポート役として立っていた。
子どもたちを誘導したり。
保護者に説明をしたり。
エリスが安全に動けるように、気を配っている。
蒼と真紀は、ブース内でゲームの試遊対応をしていた。
3台のPCで、来場者たちがゲームをプレイしている。
どのPCも、順番待ちの列ができるほどの人気。
「すごい!このゲーム、面白い!」
「グラフィック、きれい!」
「エリスちゃん、可愛い!」
喜びの声が、あちこちから聞こえてくる。
蒼は、嬉しそうに笑っていた。
(みんな、楽しんでくれてる)
1年かけて作ったゲーム。
多くの人に遊んでもらえている。
その喜びが、胸に広がる。
真紀も、来場者の対応をしながら、笑顔を見せていた。
◆ ◆ ◆
その時。
一人の男の子が、エリスに近づいてきた。
8歳くらい。
少し恥ずかしそうに、でも好奇心いっぱいの顔。
「ねえ、エリスちゃん」
エリスは、男の子の方を向いた。
身を屈めて、目線を合わせる。
男の子が、尋ねた。
「エリスちゃんって、このゲームの主人公だよね?」
エリスは、大きく頷いた。
男の子が、続ける。
「ゲームの中では、どこに住んでるの?」
エリスは、一瞬、固まった。
(え...どこに...?)
マスクの中で、希美は焦った。
(私、ストーリー細かく覚えてない...!)
ゲームのストーリーは、主に蒼と真紀が作った。
希美は、プログラムとグラフィック担当。
(どうしよう...)
エリスは、困った様子で、首を傾げた。
男の子が、期待の眼差しで見ている。
◆ ◆ ◆
希美は、慌てて蒼の方を見た。
蒼は、ブース内で別の来場者の対応をしている。
エリスは、手を上げて、蒼を呼んだ。
おいで、おいで。
蒼が、気づいた。
「ん?」
エリスの元に、駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
エリスは、男の子を指差した。
そして、困った様子で、両手を広げて首を横に振る。
わからない、という仕草。
蒼が、すぐに察した。
「あ、質問に答えられないんだ」
エリスが、大きく頷いた。
蒼が、男の子に向かって、優しく笑った。
「ごめんね。エリスちゃんは、お話ができないんだ」
「代わりに、私が答えるね」
男の子が、頷いた。
「エリスちゃんが住んでるのはね、空の上の浮遊島っていう場所なんだ」
男の子の目が、輝いた。
「わぁ!空の上!」
蒼が、続ける。
「そこで、お花を育てたり、小動物と遊んだりしてるんだよ」
男の子が、嬉しそうに笑った。
「すごい!エリスちゃん、かっこいい!」
エリスは、マスクの中でホッとした。
(蒼ちゃん、ありがとう...)
そして、男の子に手を振った。
男の子も、手を振り返してくれた。
蒼が、エリスの肩を軽く叩いた。
「大丈夫。困ったら、いつでも呼んでね」
エリスは、小さく頷いた。
◆ ◆ ◆
その時だった。
ブース内のPC、3台のうち1台の画面が、突然フリーズした。
ゲームをプレイしていた子どもが、声を上げる。
「あれ...?動かない...」
蒼が、駆け寄った。
「え...?」
画面を見る。
ゲーム画面が、完全に止まっている。
エリスが、空中で静止したまま。
動かない。
蒼は、マウスをクリックした。
キーボードを叩いた。
でも、反応がない。
「あれ...おかしいな...」
蒼が、焦り始める。
真紀も、気づいて近づいてきた。
「どうしたの?」
「画面が...フリーズしてる...」
真紀が、PCの電源ボタンを確認する。
「強制終了して、再起動してみよう」
電源ボタンを長押し。
PCが、シャットダウンされる。
そして、再起動。
起動音。
画面が立ち上がる。
ゲームを起動。
タイトル画面。
スタート。
ゲーム画面が、表示される。
エリスが、空を飛ぶ。
「よかった...直った...」
蒼が、ホッとした表情を見せた。
◆ ◆ ◆
でも。
数分後。
別のPCでも、同じ症状が発生した。
画面が、突然フリーズ。
動かなくなる。
「また...?」
蒼が、驚いた声を上げる。
真紀も、焦り始めた。
「おかしい...何かバグがあるのかも...」
そして。
さらに数分後。
3台目のPCでも、フリーズ。
全てのPCで、同じ症状。
蒼が、青ざめた。
「全部...フリーズしてる...」
来場者たちが、困惑した表情を見せる。
「あれ...?」
「ゲーム、できないの...?」
蒼は、謝罪した。
「すみません...今、確認しますので...」
でも、焦りが隠せない。
◆ ◆ ◆
真紀が、すぐに奥に置かれた希美のPC(親機)に駆け寄った。
画面を確認する。
エラーログを見る。
そこに、見慣れないエラーメッセージが表示されていた。
「メモリリーク...?」
蒼が、駆け寄ってくる。
「メモリリーク...?」
「たぶん...ゲームのどこかで、メモリを解放し忘れてる...」
「長時間プレイすると、メモリが溢れてフリーズする...」
蒼の顔が、青ざめる。
「どうしよう...」
ブース内は、混乱し始めていた。
来場者たちが、困惑している。
「ゲーム、できないんですか...?」
「せっかく並んでたのに...」
子どもたちの、残念そうな声。
◆ ◆ ◆
由理恵が、ブースの中に入ってきた。
エリス(希美)も、一緒に。
「どうしたの?」
蒼が、状況を説明した。
「ゲームに、重大なバグがあった」
「メモリリークで、フリーズしちゃう」
由理恵の顔が、青ざめた。
エリス(希美)も、マスクの中で、状況を理解した。
真紀が、考え込んでいる。
「このまま、ゲームを止める...?」
蒼が、苦しそうな表情を見せる。
「でも...せっかく来てくれた人たちに...」
由理恵も、悩んでいる。
その時。
エリスが、一歩前に出た。
蒼、真紀、由理恵が、エリスを見る。
エリス(希美)が、マスクの中から、くぐもった声を出した。
「直せないの...?」
◆ ◆ ◆
真紀が、驚いた表情を見せた。
「直す...?」
「今、ここで...?」
エリス(希美)は、大きく頷いた。
「メモリリークなら、原因を特定して、修正すればいい」
希美の声。
マスク越しで、少しくぐもっているけれど。
確かに、希美の声。
蒼が、困惑した表情を見せる。
「でも...希美...今、エリスの格好してるよ...?」
エリス(希美)は、真紀の方を向いた。
「真紀、お願い」
「私が指示出すから、真紀がコードを直して」
真紀が、ハッとした。
「それなら...!」
蒼も、理解した。
「そうだね、それがいい」
エリス(希美)は、由理恵の方を向いた。
「由理恵、午前中、あんなに頑張ってくれた」
「私も、頑張る」
その言葉に、由理恵の目が潤んだ。
◆ ◆ ◆
エリス(希美)は、真紀の後ろに立った。
真紀がPC(親機)の前に座る。
外から見ると。
真紀が画面を見ながら作業をしている。
エリスが、その後ろで画面を見守っている。
そんな風景。
でも、実際は。
エリス(希美)が、真紀の耳元で、小さな声で指示を出している。
「エラーログ、開いて」
真紀が、エラーログを開く。
エリス(希美)は、マスクの狭い視界から、画面を見た。
顔を真紀の肩越しに近づけて、画面を確認する。
「敵キャラのスポーンルーチン...確認して」
真紀が、該当のコードを開く。
エリス(希美)は、画面を見つめた。
何千行ものコード。
視界が狭いけれど、何とか見える。
「そこ...スクロールして...」
小さな声で指示を出す。
真紀が、画面をスクロールする。
2人は、完璧に息が合っていた。
◆ ◆ ◆
ブースの外の来場者たちは、その様子を見ていた。
エリスが、真紀の作業を見守っている。
時々、真紀が何か操作する。
「エリスちゃん、お仕事してるの?」
子どもが、母親に尋ねる。
「みたいね。ゲームを直してるのかな」
母親が、優しく答える。
来場者たちは、エリスの声は聞こえなかった。
エリスは、非常に小さな声で、真紀にだけ聞こえるように話している。
マスク越しの声は、外には届かない。
◆ ◆ ◆
でも。
エリス(希美)の口元は、真紀のすぐ近くにあった。
真紀の耳元に、エリスの口が近づく。
エリスの口から、希美の呼吸音が鮮明に聞こえてくる。
ハァ...ハァ...
マスクの中での、苦しい呼吸。
そして、時折。
唾を飲み込む音。
ゴクッ...
「次...その下...はぁ...」
吐息混じりの、艶っぽい声。
真紀は、だんだんむず痒くなってくる。
(希美...すごい声出してる...)
キーボードを叩く手が、少し震える。
エリスの呼吸音が、また聞こえる。
ハァ...ハァ...
それに混じって、小さな吐息。
「んっ...はぁ...そこ...その行...」
真紀の顔が、だんだん赤くなってくる。
(もう...集中できない...)
コードを見ているのに、頭に入ってこない。
エリスの呼吸音ばかりが、耳に響く。
ハァ...ハァ...
「はぁ...もう少し...」
ゴクッ...
◆ ◆ ◆
エリス(希美)は、画面に顔を近づけてコードを確認し、また俯いて手元のキーボードを何度も確認する動作を繰り返していた。
画面を見る。
俯く。
また画面を見る。
また俯く。
その度に、マスクの中で希美の汗が滴り落ちていく。
真紀がふと気づいた。
エリスのマスクと首の境界線が、徐々に色濃くなっている。
全身タイツの首元が、汗で濃く変色し始めていた。
(希美...すごい汗かいてる...)
そして、エリスが手元のキーボードを確認しようとして深く俯いた、その瞬間。
ポタッ。
エリスの口元から、水滴が落ちた。
真紀の手元に、小さな水滴が落ちる。
(え...?)
真紀が、思わずエリスの口元を見上げた。
そこには、衝撃的な光景があった。
エリスのマスク、口元の小さなスリットから。
透明な液体が、にじみ出ている。
希美の汗が、マスクの口のスリットから外に出てきていた。
エリスが、涎を垂らしているように見える。
真紀の目が、大きく見開かれた。
(希美...限界なんじゃ...)
◆ ◆ ◆
真紀は、手を止めて立ち上がった。
「ちょっと待って」
カウンター下から、タオルを取り出す。
そして、エリスの口元に、優しくタオルを当てた。
汗をそっと拭き取る。
「希美...」
真紀が、小声で尋ねた。
「マスク、外したほうがいいんじゃない?」
「もう限界でしょ?」
エリスが、首を横に振った。
マスクの中から、くぐもった、でも強い意志を感じさせる声が聞こえた。
「ううん...大丈夫...」
「今...集中できてるから...」
「手を止めたく...ない...」
息を切らせながらも、はっきりとした声。
真紀は、少し迷ったが、頷いた。
「...わかった」
「でも、無理はしないで」
エリスが、小さく頷いた。
真紀は、タオルをエリスの口元に軽く当てたまま、もう一度座った。
そして、作業を再開する。
◆ ◆ ◆
真紀は、緊張している空気を少しでも和ませようと思った。
いや、正直に言えば。
自分が集中できないから、何か言わずにはいられなかった。
意を決して、声をかけた。
「ねぇ、希美」
エリスが、反応する。
「はぁ...はぁ...な、何? どうしたの?」
息を切らせた声。
真紀は、一瞬手を止めて、エリスを見つめた。
そして、笑いながら言った。
「さっきからエロい声出してるけど、希美もそんな声出せるんだね」
◆ ◆ ◆
その瞬間。
エリス(希美)の動きが、止まった。
マスクの中で。
希美の顔が。
カァッと。
熱くなった。
(え...えろ...!?)
耳まで、真っ赤になる。
「え、えろ...!? そんな...!」
声が、上ずる。
「そんなわけ...! 私、別に...!」
慌てた声。
マスクの中で、顔が燃えるように熱い。
真紀が、ニヤニヤしながら言った。
「いやいや、めっちゃエロかったよ?」
「『はぁ...もう少し...』とか」
真紀が、希美の声真似をする。
エリス(希美)は、マスクの中で顔を真っ赤にしながら、叫んだ。
「ちょっ...や、やめて...!」
そして。
バシッ!
エリスの手が、力強く真紀の肩をひっぱたいた。
「ふざけてる場合じゃないでしょ!」
エリスの声が、ブース内に響いた。
小声ではなく。
はっきりと。
強く。
◆ ◆ ◆
蒼と由理恵が、驚いて振り向いた。
「え!?」
蒼が、ビクッとする。
由理恵も、目を丸くした。
「な、何!?」
真紀は、肩を押さえて、少し痛そうな顔をした。
「いたた...」
でも、笑っている。
エリス(希美)は、ハッとした。
(やば...つい...声を張り上げちゃった...)
マスクの中で、さらに顔が熱くなる。
恥ずかしさと。
怒りと。
焦りと。
全てが混ざり合って。
エリスは、体を小さく縮こまらせた。
肩を丸めて。
少し俯いて。
両手で、顔を覆うような仕草。
でも、マスクがあるから、顔は見えない。
(恥ずかしい...)
(なんで私、あんな声出してたの...)
マスクの中で、希美は小さくなっていた。
◆ ◆ ◆
蒼が、心配そうに近づいてきた。
「希美...?どうしたの...?」
エリス(希美)は、小さく手を振った。
大丈夫、という仕草。
でも、体は縮こまったまま。
真紀が、笑いながら言った。
「ごめんごめん、ちょっとからかっただけ」
エリスは、真紀の方を向いた。
でも、何も言わない。
マスクの中で、顔が熱くて。
恥ずかしくて。
言葉が出てこない。
真紀が、少し反省した。
「本当にごめん。でも、希美、すごく頑張ってたから」
エリスは、小さく頷いた。
そして、小さな声で言った。
「...もう、真紀のバカ...」
くぐもった声。
でも、怒っているというより。
恥ずかしがっている声。
真紀が、クスッと笑った。
「はいはい、バカでごめんね」
◆ ◆ ◆
由理恵が、心配そうに言った。
「希美、大丈夫...?」
エリスは、由理恵の方を向いて、頷いた。
そして、マスクの中で、小さく呟いた。
「...私、そんなに...エロい声...出してた...?」
不安そうな声。
真紀が、即座に答えた。
「めっちゃ出してた」
エリスの体が、ビクッと震えた。
そして、また縮こまった。
蒼が、慌てて言った。
「真紀ちゃん、もうやめてあげて」
真紀が、笑いながら手を上げた。
「はいはい、もうからかわない」
でも、すぐに付け加えた。
「でも本当に、集中してる時の希美の声、すごくセクシーだったよ」
バシッ!
またひっぱたかれた。
「いたっ!」
真紀が、笑いながら肩を押さえる。
エリス(希美)は、マスクの中で顔を真っ赤にしながら言った。
「もう...知らない...!」
声が上ずっている。
恥ずかしくて。
でも、少し笑ってしまいそうで。
複雑な感情。
◆ ◆ ◆
でも。
その一瞬の出来事で。
緊張感のある作業が、一気に和んだ。
蒼が、クスクス笑っている。
「希美、可愛い」
由理恵も、微笑んでいる。
「希美、頑張ってたもんね」
エリス(希美)は、マスクの中で、まだ顔が熱かった。
でも。
少し、気持ちが楽になった気がした。
(もう...みんな...)
真紀が、深呼吸をした。
「よし、じゃあ真面目に集中しよう」
そして、再びキーボードに手を置いた。
カタカタ...
エリス(希美)も、気を取り直した。
「...じゃあ、続き...お願い...」
小さな声。
まだ少し恥ずかしそうな声。
真紀が、笑った。
「はいはい。今度はエロい声出さないでね」
バシッ!
また肩をひっぱたかれた。
「いたっ!」
でも、2人とも笑っていた。
◆ ◆ ◆
でも。
その一瞬の出来事で。
緊張感のある作業が、少し和んだ。
真紀が、深呼吸をした。
「よし、集中しよう」
そして、再びキーボードに手を置いた。
カタカタ...
今度は、作業が速い。
さっきまでより、格段に速い。
エリス(希美)が、また指示を出す。
「次は...この関数も...」
真紀が、すぐに反応する。
「わかった」
カタカタカタ...
スピーディに、コードを修正していく。
エリス(希美)は、その速さに驚いた。
(真紀...速い...)
そして。
真紀が、突然言った。
「待って...希美、ちょっと思いついたんだけど」
エリス(希美)が、画面を見る。
「何...?」
真紀が、説明し始めた。
「この処理、一つ一つメモリ解放するより」
「まとめて管理する配列を作って、一括解放した方が効率いいんじゃない?」
エリス(希美)は、ハッとした。
(そうか...!)
(その方が、処理が軽くなる...!)
希美は、その発想に思い至らなかった。
一つ一つ解放することしか考えていなかった。
でも、真紀は違った。
もっと根本的な、効率的な解決方法を思いついた。
「それ...すごくいい...!」
エリス(希美)が、小声で言った。
真紀が、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、そうしよう」
そして、真紀は、天才的な速度でコードを書き始めた。
カタカタカタカタ...
配列を作成。
メモリ管理の仕組みを構築。
一括解放の関数を実装。
全てが、スムーズに。
迷いなく。
エリス(希美)は、ただ見守るしかなかった。
希美が指示を出す前に。
真紀が、次々と実装していく。
(真紀...すごい...)
(私より...ずっと...)
エリスの中の希美は、自分と真紀の技術力の差を痛感した。
自分は、基礎的な修正しか思いつかなかった。
でも、真紀は。
もっと根本的な、美しい解決方法を見つけた。
(私、まだまだだ...)
マスクの中で、希美は小さく唇を噛んだ。
悔しさと。
でも、同時に。
真紀への尊敬も、込み上げてきた。
◆ ◆ ◆
そして。
5分後。
真紀が、キーボードから手を離した。
「できた...!」
エリス(希美)が、画面を見る。
美しいコード。
効率的な処理。
完璧な実装。
「真紀...すごい...」
エリス(希美)が、小さく言った。
真紀が、照れくさそうに笑った。
「希美のおかげだよ」
「希美が原因見つけてくれたから」
エリスは、首を横に振った。
「ううん...真紀の発想が...すごかった...」
小さな声で。
でも、心から。
◆ ◆ ◆
蒼と由理恵は、その様子を見守っていた。
(希美と真紀...すごい...)
由理恵は、感心した。
蒼が、画面を確認する。
修正されたコード。
「すごい...完璧だ...」
エリス(希美)が、小さく言った。
「コンパイルして」
蒼が、すぐにコンパイルを実行した。
プログラムがコンパイルされる。
数秒後。
コンパイル成功。
「成功した!」
蒼が、嬉しそうに叫んだ。
◆ ◆ ◆
修正されたゲームを、3台のPCに配布する。
蒼と真紀が、手早く作業する。
そして。
ゲームを再起動。
3台のPCで、ゲームが立ち上がる。
タイトル画面。
スタート。
ゲーム画面。
エリスが、空を飛ぶ。
敵と戦う。
敵を倒す。
そして。
フリーズしない。
何度敵を倒しても。
フリーズしない。
蒼が、興奮した声を上げた。
「直った!完璧に直った!」
真紀も、喜びの声を上げる。
「やった!希美、すごい!」
由理恵も、涙を流しながら笑った。
「希美...本当に、ありがとう...」
由理恵は、エリスを見守り続けた。
◆ ◆ ◆
第3章 重大なトラブル
午後1時。
エリス(希美)は、ブースの前で子どもたちと触れ合っていた。
握手。
ハイタッチ。
写真撮影。
次々と来る子どもたちに、丁寧に対応している。
由理恵は、エリスの隣で、サポート役として立っていた。
子どもたちを誘導したり。
保護者に説明をしたり。
エリスが安全に動けるように、気を配っている。
蒼と真紀は、ブース内でゲームの試遊対応をしていた。
3台のPCで、来場者たちがゲームをプレイしている。
どのPCも、順番待ちの列ができるほどの人気。
「すごい!このゲーム、面白い!」
「グラフィック、きれい!」
「エリスちゃん、可愛い!」
喜びの声が、あちこちから聞こえてくる。
蒼は、嬉しそうに笑っていた。
(みんな、楽しんでくれてる)
1年かけて作ったゲーム。
多くの人に遊んでもらえている。
その喜びが、胸に広がる。
真紀も、来場者の対応をしながら、笑顔を見せていた。
◆ ◆ ◆
その時だった。
ブース内のPC、3台のうち1台の画面が、突然フリーズした。
ゲームをプレイしていた子どもが、声を上げる。
「あれ...?動かない...」
蒼が、駆け寄った。
「え...?」
画面を見る。
ゲーム画面が、完全に止まっている。
エリスが、空中で静止したまま。
動かない。
蒼は、マウスをクリックした。
キーボードを叩いた。
でも、反応がない。
「あれ...おかしいな...」
蒼が、焦り始める。
真紀も、気づいて近づいてきた。
「どうしたの?」
「画面が...フリーズしてる...」
真紀が、PCの電源ボタンを確認する。
「強制終了して、再起動してみよう」
電源ボタンを長押し。
PCが、シャットダウンされる。
そして、再起動。
起動音。
画面が立ち上がる。
ゲームを起動。
タイトル画面。
スタート。
ゲーム画面が、表示される。
エリスが、空を飛ぶ。
「よかった...直った...」
蒼が、ホッとした表情を見せた。
◆ ◆ ◆
でも。
数分後。
別のPCでも、同じ症状が発生した。
画面が、突然フリーズ。
動かなくなる。
「また...?」
蒼が、驚いた声を上げる。
真紀も、焦り始めた。
「おかしい...何かバグがあるのかも...」
そして。
さらに数分後。
3台目のPCでも、フリーズ。
全てのPCで、同じ症状。
蒼が、青ざめた。
「全部...フリーズしてる...」
来場者たちが、困惑した表情を見せる。
「あれ...?」
「ゲーム、できないの...?」
蒼は、謝罪した。
「すみません...今、確認しますので...」
でも、焦りが隠せない。
◆ ◆ ◆
真紀が、すぐに奥に置かれた希美のPC(親機)に駆け寄った。
画面を確認する。
エラーログを見る。
そこに、見慣れないエラーメッセージが表示されていた。
「エラー...?」
真紀が、エラーメッセージを読む。
「メモリリーク...?」
蒼が、駆け寄ってくる。
「メモリリーク...?」
「たぶん...ゲームのどこかで、メモリを解放し忘れてる...」
「それで、メモリが溢れて、フリーズした...」
真紀の説明に、蒼の顔が青ざめる。
「そんな...」
「テストの時は、問題なかったのに...」
真紀が、考える。
「短時間のテストでは気づかなかったんだよ」
「長時間プレイすると、メモリがどんどん溜まって、最終的にフリーズする...」
蒼が、頭を抱えた。
「どうしよう...」
真紀が、ソースコードを確認し始める。
画面をスクロールしながら、コードを読んでいく。
数分後。
「あった...!」
真紀が、声を上げた。
「ここ...敵キャラのスポーンルーチン...」
「メモリを確保してるけど、倒した後解放してない...」
蒼が、画面を確認する。
「本当だ...」
真紀が、すぐに修正を始めた。
キーボードを叩いて、コードを追加していく。
◆ ◆ ◆
10分後。
真紀が、修正を完了した。
「できた...!」
コンパイル。
数秒後。
コンパイル成功。
蒼と真紀が、修正されたゲームを3台のPCに配布する。
手早く作業する。
そして。
ゲームを再起動。
3台のPCで、ゲームが立ち上がる。
タイトル画面。
スタート。
ゲーム画面。
エリスが、空を飛ぶ。
敵と戦う。
敵を倒す。
そして。
フリーズしない。
何度敵を倒しても。
フリーズしない。
蒼が、安堵の声を上げた。
「直った...!」
真紀も、ホッとした表情を見せる。
「よかった...」
来場者たちが、再びゲームをプレイし始める。
◆ ◆ ◆
15時。
メモリリークの問題は解決した。
ゲームは、再び正常に動作していた。
来場者たちが、3台のPCでゲームをプレイしている。
もう、フリーズすることはない。
蒼と真紀は、ホッとしていた。
「よかった...何とか直った...」
蒼が、ホッとした表情を見せた。
真紀も、大きく息をついた。
「本当に...よかった...」
◆ ◆ ◆
15時。
メモリリークの問題は解決した。
ゲームは、再び正常に動作していた。
来場者たちが、3台のPCでゲームをプレイしている。
もう、フリーズすることはない。
エリス(希美)は、ブースの外で、子どもたちと触れ合っていた。
握手。
ハイタッチ。
写真撮影。
一人一人に、丁寧に対応する。
マスクの中で、希美は、まだ頑張れると感じていた。
(疲れてる)
(でも、まだ大丈夫)
バグ修正の間、エリスのままでいたことで。
かなり長時間、マスクを被っていた。
でも、希美は諦めなかった。
(もう少し)
(もう少しだけ)
◆ ◆ ◆
15時15分。
エリス(希美)は、まだブースの前に立っていた。
子どもたちが次々とやってくる。
「」
「」
エリスは、一人一人と写真を撮った。
可愛いポーズ。
手を振るポーズ。
ハートマークを作るポーズ。
子どもたちが、嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ると。
疲れも吹き飛ぶような気がした。
蒼が、エリスの隣に来た。
「希美、大丈夫?」
小声で尋ねる。
エリスが、小さく頷いた。
「まだ...大丈夫...」
くぐもった声。
でも、確かな声。
その時。
真紀が、ブース内から声をかけた。
「ねえ、ステッカー、もう残り少ないよ」
蒼が、振り向いた。
「え、もう?」
真紀が、ステッカーの束を持ち上げる。
「300枚用意したけど、あと50枚くらいしかない」
蒼が、驚いた表情を見せる。
「そんなに配ったんだ」
真紀が、笑顔を見せた。
「みんな、すごく喜んでくれてる」
「特に子どもたち」
蒼も、嬉しそうに微笑んだ。
「真紀ちゃん、ステッカー作ってくれて本当にありがとう」
真紀が、照れくさそうに笑う。
「どういたしまして」
「残りは、最後まで大事に配ろうね」
◆ ◆ ◆
15時30分。
エリス(希美)の呼吸が、少し荒くなってきた。
ハァ...ハァ...
マスクの中は、もう完全にびしょびしょ。
汗が額から流れ続け、視界も汗で滲んでいる
でも、まだ頑張れる。
子どもたちの笑顔が、希美を支えていた。
真紀が、心配そうにエリスを見ている。
(希美...もう限界に近いんじゃ...)
でも、エリスは止まらない。
次々と子どもたちに対応する。
その姿を見て。
真紀は、希美の強さを感じた。
◆ ◆ ◆
15時45分。
蒼が、エリスの元に来た。
「希美、休憩しよう」
エリスは、大きく頷いた。
もう、限界だった。
蒼が、手を引いてくれる。
「こっちだよ」
エリス(希美)は、ふらつきながら、着替えスペースに向かった。
足が、重い。
視界も、ほとんど見えない。
着替えスペースに入ると、すぐにマスクが外された。
真紀が、金具を外してくれる。
カチッ、カチッ。
金具が外れる。
前面パーツが外される。
「っ...はぁっ...はぁっ...」
希美は、短く息を吐き出してから吸い込んだ。
何度も、何度も。
そして、外の空気を深く吸い込む。
「はぁ...はぁ...」
顔は汗でびしょびしょで、頬が真っ赤になり、髪も汗で濡れている
◆ ◆ ◆
真紀が、タオルを渡してくれた。
「お疲れ様」
希美は、タオルで顔を拭いた。
「ありがと...」
呼吸が、まだ荒い。
蒼が、スポーツドリンクを差し出す。
「ゆっくり飲んで」
希美は、少しずつ飲んだ。
冷たい水分が、喉を潤す。
真紀が、長手袋を外してくれる。
次に、長いブーツ。
そして、エナメルのベスト。
スカート。
最後に、全身タイツ。
首から頭頂部に続くファスナーを下ろす。
ジジジ...
フード部分を脱ぐと、希美の髪が現れた。
汗で濡れて、ペタンと頭に張り付いている。
全身タイツを脱ぐと、ようやく希美の姿に戻った。
希美は、椅子に座って、大きく息をついた。
「はぁ...やっと...」
疲労困憊。
でも、達成感もあった。
(頑張った)
◆ ◆ ◆
15時50分。
希美は、私服に着替えた。
Tシャツとハーフパンツ。
体が、少しずつ楽になってくる。
蒼が、心配そうに尋ねた。
「希美、大丈夫?」
希美は、小さく頷いた。
「うん...疲れたけど...大丈夫」
真紀が、笑顔を見せる。
「希美、本当にお疲れ様」
希美も、笑った。
「ありがとう」
そして。
希美は、由理恵の方を見た。
「由理恵、次、お願いね」
由理恵が、驚いた表情を見せた。
「え...私...?」
蒼が、頷いた。
「うん。最後は、由理恵にお願いしたい」
由理恵は、少し戸惑った。
でも。
希美が、優しく言った。
「由理恵なら、できるよ」
その言葉に、由理恵は決意を固めた。
「わかりました」
◆ ◆ ◆
15時55分。
希美が、ブースの外に出た。
もう私服姿。
蒼、真紀、由理恵も一緒。
4人だけで、ブースに立っている。
エリスの姿は、ない。
来場者が、少し残念そうな顔をした。
「エリスちゃんは?」
蒼が、笑顔で答えた。
「エリスちゃんは、今休憩中なんだ」
「もうすぐ戻ってくるから、待っててね」
子どもが、嬉しそうに頷いた。
「うん!待ってる!」
◆ ◆ ◆
希美は、ブースの中で、ゲームのサポートをしていた。
来場者にゲームの説明をする。
操作方法を教える。
真紀も、一緒にサポート。
蒼は、写真撮影の対応。
由理恵は、ブースの整理。
4人での運営。
エリスがいなくても、回っている。
でも。
やはり、エリスがいた方が、華やかだった。
真紀が、小声で言った。
「エリスがいると、全然違うよね」
希美も、頷く。
「うん。子どもたち、本当に喜んでたもんね」
蒼が、笑った。
「由理恵、頑張ってね」
由理恵は、小さく頷いた。
◆ ◆ ◆
16時。
蒼が、由理恵に声をかけた。
「由理恵、着替え始めよう」
由理恵が、頷いた。
「はい」
由理恵は、着替えスペースに向かった。
カーテンを閉める。
テーブルの上には、エリスの衣装が準備されている。
全身タイツ。
エナメルのベスト。
スカート。
ブーツ。
長手袋。
そして、マスク。
由理恵は、深く息を吸った。
(また、エリスになる)
4回目。
でも、もう怖くはなかった。
(私は、できる)
◆ ◆ ◆
まず、インナーを確認する。
すでに着ている。
次に、全身タイツ。
由理恵は、全身タイツに足を入れた。
ベージュの生地が、足を包む。
腰まで引き上げる。
腕を通す。
体全体が、タイツに包まれる。
そして、フード部分。
由理恵は、髪をゴムで束ねて、首のあたりに集める。
フードを被る。
顔だけが、丸くくり抜かれた部分から出ている。
首から頭頂部に続くファスナーを、自分で上げる。
ジジジ...
全身タイツの密着感。
体が、しっかりと包まれている感覚。
もう、慣れた。
◆ ◆ ◆
次に、エナメルのベスト。
由理恵は、ベストを持ってくる。
ダークシルバーとエレクトリックブルーのツートンカラー。
腕を通す。
ベストが、体にフィットする。
背中のファスナーを上げる。
少し大変だけど、何とか自分で上げられた。
次に、スカート。
ウエストに装着する。
ふわりと広がるスカート。
そして、長いブーツ。
由理恵は、椅子に座って、ブーツを履いた。
白いブーツ。
膝上まである、長いブーツ。
4回目だから、もうスムーズに履ける。
最後に、長手袋。
白い手袋を、両手にはめる。
◆ ◆ ◆
そして。
最後に、マスク。
由理恵は、カーテンから顔を出した。
「蒼ちゃん、マスク、お願い」
蒼が、すぐに駆けつけた。
「うん」
蒼が、テーブルの上のマスクを持ってくる。
エリスの顔。
アイスブルーの瞳。
ダークシルバーとエレクトリックブルーの髪。
マスクの内側は、先ほどまで希美が使っていたもので、ある程度拭き取ってあるけれど、まだ少し湿っている。
由理恵は、深く息を吸った。
「お願い」
蒼が、後頭部パーツを当て、次に前面パーツを由理恵の顔に当てる。
スポンジが密着し、湿った感触が伝わる。
でも、もう慣れた。
蒼が、金具を留める。
カチッ、カチッ。
固定された。
◆ ◆ ◆
視界が暗くなる。
由理恵は、落ち着いていた。
(これが、最後)
呼吸音がハァ...ハァ...と響き、暗順応がすぐに始まる。
4回目だから、もう全てが慣れている。
蒼の顔が見える。
「由理ちゃん、大丈夫?」
エリスが、大きく力強く頷いた。
蒼が、笑顔を見せた。
「よかった。最後、頑張ってね」
エリスは、マスクの中で、決意を込めて呟いた。
「最後まで...頑張る」
確かな声。
もう、迷いはない。
◆ ◆ ◆
16時30分。
エリス(由理恵)が、ブースの外に出た。
来場者たちが、エリスを見つけて、歓声を上げた。
「エリスちゃんだ!」
「やっと会えた!」
子どもたちが駆け寄ってくる。
エリスは、一人一人と握手をし、手を振り、写真撮影に応じた。
マスクの中で、由理恵は決意を新たにした。
(頑張ろう)
(最後まで)
エリス(由理恵)の4回目の出演が始まった
◆ ◆ ◆
16時45分。
エリス(由理恵)は、まだブースの前に立っていた。
子どもたちとの触れ合い。
握手。
ハイタッチ。
写真撮影。
一人一人に、丁寧に対応する。
マスクの中で、由理恵は疲労を感じていた。
呼吸が、荒い。
ハァ...ハァ...
視界も、汗で滲んでいる。
でも、まだ耐えられる。
(もう少し)
(もう少しで、イベントが終わる)
その時。
一人の小さな女の子が、エリスに近づいてきた。
4歳くらい。
少し泣きそうな顔をしている。
母親が、優しく女の子の背中を押す。
「ほら、勇気を出して」
女の子が、恥ずかしそうに、エリスを見上げた。
エリスは、すぐに膝を曲げて女の子の目線に合わせ、優しく手を差し出す
女の子が恐る恐るエリスの手を握る——小さな、温かい手
エリスは、もう一方の手で女の子の手を優しく、ゆっくりと包み込んだ
女の子の顔が、パッと明るくなった。
「エリスちゃん、優しい...」
小さな声だが、エリスの耳に届いた
マスクの中で、由理恵は涙ぐんだ。
(こういう瞬間のために)
(私は、頑張ってるんだ)
女の子が、笑顔になって、母親の元に戻っていった。
エリスは、その後ろ姿を見送った。
◆ ◆ ◆
16時50分。
由理恵は、マスクの中で、喉の渇きを感じていた。
(喉が...渇いた...)
さっきから、ずっと呼吸が荒い。
口呼吸で、口の中がカラカラに乾いている。
由理恵は、近くにいた希美の肩を、軽く叩いた。
トン、トン。
希美が、振り向いた。
「どうしたの?」
エリスは、自分の喉を指差した。
そして、飲む仕草。
希美が、すぐに理解した。
「あ、お水飲みたいんだ」
エリスが、大きく頷いた。
希美が、笑顔を見せる。
「ちょっと待ってて」
希美は、ブース内から、ペットボトルの水とストローを持ってきた。
「はい、これ」
エリスは、マスクの口元のスリットに、ストローを差し込んだ。
マスクを外さなくても、飲める。
ゆっくりと、水を吸う。
冷たい水が、喉を潤す。
「んっ...」
マスクの中で、小さく息を吐く。
(美味しい...)
何度か、水を飲んだ。
喉が、少し楽になった。
エリスは、希美に向かって、小さく頭を下げた。
ありがとう、という仕草。
希美が、優しく笑った。
「どういたしまして」
◆ ◆ ◆
◆ ◆ ◆
17時。
イベントの終了時刻になった。
アナウンスが流れる。
「本日の地域産業フェスティバルは、これで終了いたします」
「ご来場いただき、誠にありがとうございました」
拍手が、会場に響く。
エリス(由理恵)は、最後の子どもと握手をした。
「エリスちゃん、ありがとう!」
子どもが、笑顔で言った。
エリスは、大きく手を振った。
そして、子どもが、母親と一緒に去っていった。
エリス(由理恵)は、大きく息をついた。
(終わった)
蒼が、駆け寄った。
「由理恵、お疲れ様」
エリス(由理恵)は、小さく頷いた。
真紀も、笑顔で近づいてきた。
「由理ちゃん、すごかったよ」
そして、嬉しそうに報告した。
「ステッカー、全部なくなった!」
「300枚、全部配り切ったよ!」
蒼が、驚いた表情を見せる。
「え、全部!?」
真紀が、頷いた。
「うん!みんな、すごく喜んでくれた」
「最後の方は、取り合いになってたよ」
希美も、笑顔を見せる。
「すごいね、真紀」
真紀が、照れくさそうに笑った。
「みんなのおかげだよ」
「エリスが可愛かったから、みんな欲しがったんだもん」
エリス(由理恵)は、マスクの中で、嬉しくなった。
(300枚、全部...)
(みんな、喜んでくれたんだ)
温かい気持ちが、胸に広がる。
◆ ◆ ◆
第4章 イベント終了・片付け
◆ ◆ ◆
第4章 イベント終了・片付け
17時。
イベントが終了した。
会場は、少しずつ静かになっていく。
各ブースが、片付けを始めている。
出展者たちが、機材を運んでいる。
来場者たちも、帰り始めている。
賑やかだった会場が、静けさを取り戻していく。
◆ ◆ ◆
エリス(由理恵)は、着替えスペースに向かった。
ゆっくりと歩く。
ブーツの音が、床に響く。
蒼が、声をかけた。
「由理ちゃん、お疲れ様」
エリスは、振り向いて頷いた。
希美と真紀も、笑顔を見せる。
「本当に、お疲れ様」
「由理恵、すごく頑張ってたよ」
エリスは、もう一度頷いた。
そして、着替えスペースのカーテンを開けて、中に入る。
◆ ◆ ◆
カーテンを閉める。
静かな空間。
外の音が、少し遠くなる。
エリス(由理恵)は、椅子の前に立った。
そして、ゆっくりと腰を下ろす。
スカートが、ふわりと広がる。
自分の手を膝の上に置き、長いブーツを履いた足を、少し前に出す。
マスクの中で、深く息を吸った。
ハァ...
ゆっくりと、吐く。
ハァ...
自分の呼吸が、マスクの中で反響する。
マスク内の熱気、湿気。
自分の吐息が、顔に跳ね返ってくる。
(この感覚...)
由理恵は、マスクの中で目を閉じた。
この視界の狭さ。
息苦しさ。
この中で、今日1日、頑張っていた。
子どもたちと触れ合った。
握手をして。
写真撮影に応じて。
マスク越しでも感じられた子どもたちの笑顔。
みんなの手の温かさ。
◆ ◆ ◆
(これで、終わりなんだ)
由理恵は、そっと思った。
エリスとしての役目が、終わる。
(少し、寂しいな...)
エリスの着ぐるみは、破棄するわけじゃない。
これからも活躍の場面はあるはず。
また、誰かがエリスになるのかな。
でも。
今日1日は、特別だった。
この楽しさ。
この頑張り。
この感動。
由理恵は、マスクの中で、小さく息を吐いた。
◆ ◆ ◆
由理恵は、右手のグローブに手をかけた。
ゆっくりと、引き抜くとグローブが外れる。
手首から先は、切り取られていて、そこから自分の手が露出している。
汗で、湿っている。
由理恵は、自分の手を見つめた。
素肌。
エリスの手袋の中から、現れた自分の手。
(希美も...)
由理恵は、思い出した。
◆ ◆ ◆
希美も、同じようにこのグローブをはめていた。
同じマスクを被って。
同じ視界の狭さと息苦しさの中で。
ブースを繋いでくれた。
バグ修正の時に、マスクの中で必死に指示を出していた希美。
汗がマスクの口元から滴り落ちていた。
それでも、手を止めたくないと言った。
(希美ちゃん、ありがとう)
これも、大切な思い出。
由理恵は、グローブを再び手にはめた。
指先まで、しっかりと入れる。
由理恵の手がエリスの手に戻ると、そのまま椅子から立ち上がった。
マスクは、まだ被ったまま。
エリスの姿のまま。
カーテンに、手をかける。
(まだ、エリスでいたい)
(もう少しだけ)
由理恵は、カーテンをゆっくりと開けた。
外の明るい光が、差し込んでくる。
◆ ◆ ◆
ブース内では蒼、希美、真紀が、片付けをしていた。
テーブルを片付けて。
機材をまとめて。
看板を外そうとして。
そこにエリスが出てきたことに、3人が気づいて振り向く。
「え...?」
蒼が、驚いた表情を見せる。
「あれ、由理恵...?」
希美も、目を丸くした。
「まだ着替えてないの...?」
真紀も、不思議そうな顔。
◆ ◆ ◆
エリスは、何も言わずに歩き始めた。
3人の方に向かってゆっくりと。
ブーツの音が、床に響く。
スカートが、揺れる。
蒼が、エリスに駆け寄った。
「由理ちゃん、どうしたの?」
希美と真紀も、続く。
「どうしたの? 大丈夫?」
でも、エリスは何も答えない。
ただ、ブースの外に向かって歩き続ける。
その先には「エリス・スカイウィング体験ブース」と書かれた看板。
エリスは、その下に立った。
そして、3人の方を向く。
蒼、希美、真紀が、エリスの前に立つ。
「由理ちゃん...?」
エリスは、身振りで伝えた。
両手で、四角を作る。
カメラの仕草。
そして、4人を指さす。
蒼が、ハッとした。
「あ...! 写真、撮りたいんだね」
エリスが、大きく頷いた。
(今日1日、ずっと慌ただしかった)
(4人で記念撮影する時間なんて、なかった)
(だから、最後にみんなで、写真を撮りたい)
希美が、笑顔を見せた。
「いいね、撮ろう!」
真紀も、嬉しそうに頷く。
「そうだね。今日の記念に」
◆ ◆ ◆
真紀が、近くで片付けをしていた女性に声をかけた。
「すみません、写真を撮っていただけませんか?」
女性が、振り向く。
「ああ、いいですよ」
真紀が、スマホを渡した。
「お願いします」
女性が、スマホを受け取り、看板の前に4人が並んだ。
エリス(由理恵)が、中央に立つ。
蒼が、エリスの右側に。
希美が、エリスの左側に。
真紀が、希美の隣に。
女性が、カメラを構える。
「はい、みんな笑って」
「チーズ!」
カシャッ。
4人の笑顔。
エリスも、マスクの中で微笑んでいる。
「はい、もう一枚」
カシャッ。
もう一度、シャッター音。
女性が、スマホを真紀に返す。
「はい、どうぞ」
真紀が、受け取った。
「ありがとうございました!」
女性が、笑顔で去っていく。
真紀が、撮れた写真を確認する。
「わぁ、いい感じ!」
蒼と希美も、覗き込む。
「本当だ、いい写真」
エリスは、満足そうに頷いた。
(よし、これで本当に着替えよう)
◆ ◆ ◆
着替えスペースに向かって、歩き出した。
カーテンを開けて、中に入ろうとした。
その時。
「ちょっと待って!」
真紀が、後ろから声をかけた。
エリスが、振り向くと同時に真紀が、着替えスペースに入ってくる。
蒼と希美も、真紀に続いて入ってくるとカーテンが、閉められた。
4人だけの、小さな空間。
由理恵は、マスクの中で首を傾げた。
(何...?)
3人とも、何か企んでいるような笑顔。
真紀が、エリスの後ろに回った。
「じゃあ、外すね」
エリスの髪を、かき分ける。
ダークシルバーとエレクトリックブルーの髪。
その奥に、金具がある。
カチッ。
金具が外れる。
もう一つ。
カチッ。
前面パーツを、ゆっくりと外す。
マスクが、外され、中から由理恵の顔が現れる。
汗で、びしょびしょ。
顔が、真っ赤。
髪の毛が、汗で額に張り付いていて、頬にも、顎にも、汗が流れている。
「んっ...ふぅっ...」
由理恵は、長く息を吐き出した。
マスクの中の熱気を、全て吐き出すように。
そして、外の空気を深く吸い込む。
「はぁ...」
◆ ◆ ◆
真紀が、少し困ったような笑顔を見せた。
「この状態、流石に他の人に見せるわけにはいかないよね」
希美と蒼も、笑いながら頷く。
「うん、確かに」
「でもね」
真紀が、エリスのマスクを由理恵の手に渡した。
「ちゃんと4人が写ってる状態で、撮ろう」
由理恵は、マスクを受け取った。
両手で、抱える。
エリスの顔が、自分の胸元にある。
不思議な感覚。
「え...でも...私、こんな顔...」
由理恵が、恥ずかしそうに言う。
汗びっしょりで、髪もボサボサ。
蒼が、優しく言った。
「大丈夫だよ」
「今の由理恵、すごく可愛いよ!」
希美も、頷く。
「頑張った証だもん」
真紀が、スマホを自撮りモードにした。
「はい、じゃあ撮るよ」
4人が、カメラに向かって並ぶ。
由理恵は、エリスのマスクを胸元に抱えたまま。
中央に立つ。
蒼が、由理恵の右側に顔を寄せ、希美が、由理恵の左側に。
真紀が、スマホを持って、少し前に。
4人の顔が、画面に収まる。
「はい、笑って!」
真紀が、声をかける。
蒼、希美、真紀が、笑顔になる。
由理恵も、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに微笑む。
カシャッ。
◆ ◆ ◆
真紀が、撮れた写真を見せる。
画面には、4人の笑顔。
そして、由理恵が抱えているエリスのマスク。
アイスブルーの瞳。
ダークシルバーとエレクトリックブルーの髪。
エリスの中の人が明らかになった写真。
汗びっしょりで、顔が真っ赤な由理恵。
でも、その笑顔は、満足そうだった。
「いい写真だね」
蒼が、嬉しそうに言った。
希美も、頷く。
「これ、宝物だね」
◆ ◆ ◆
真紀が、写真を3人に送った。
蒼、希美、由理恵が、それぞれスマホで受け取る。
通知音が、3回鳴る。
全員が、自分のスマホで写真を確認する。
外には出せないエリスの秘密の写真。
でも、4人だけの、大切な思い出。
由理恵は、マスクを見つめた。
エリスの顔。
今日1日、この中にいた。
そして、3人を見た。
蒼
希美
真紀
「みんな...ありがとう...」
小さな声。
でも、確かに届いた。
◆ ◆ ◆
蒼、希美、真紀が、由理恵を囲むようにハグした。
4人の温かさ。
「ありがとう...」
もう一度、呟いた。
蒼が、優しく言った。
「こちらこそ、ありがとう」
希美も、頷く。
「由理恵が頑張ってくれたから、成功したんだよ」
真紀が、笑顔を見せる。
「最高の1日だったね」
◆ ◆ ◆
しばらくして由理恵が笑顔を見せた。
「はい...最高の1日でした」
蒼が、由理恵の肩を軽く叩いた。
「じゃあ、今度こそ着替えよう!」
由理恵が、頷く。
3人が、着替えスペースを出てカーテンが、閉められる。
◆ ◆ ◆
由理恵は、エリスのマスクをテーブルに置いた。
そして、ゆっくりと衣装を脱ぎ始める。
長手袋を外す。
ブーツを脱ぐ。
スカートを外す。
ベストを脱ぐ。
最後に全身タイツを脱ぐ。
エリスの姿が、消えていく。
そこには、いつもの由理恵。
地味で、大人しくて、目立たない女の子。
でも、今日は違った。
今日は、エリスだった。
◆ ◆ ◆
由理恵は、私服に着替えた。
Tシャツとスカート。
鏡を見る。
そこには、いつもの自分。
でも、何かが変わった気がする。
表情が、少し明るくなった気がする。
由理恵は、小さく微笑んだ。
そして、カーテンを開けて外に出た。
蒼、希美、真紀が、片付けをしていた。
由理恵も、一緒に片付けを始める。
機材を片付けて。
テーブルを片付けて。
看板を外して。
エリスの衣装を、丁寧にケースにしまう。
マスクも、専用のケースに入れる。
全てが終わった頃には、日が傾き始めていた。
会場は、ほとんど人がいなくなっていた。
◆ ◆ ◆
4人は、会場の外に出た。
夕焼けが、空を染めている。
オレンジ色の光。
蒼が、振り返った。
「みんな、本当にお疲れ様」
希美が、笑顔を見せる。
「お疲れ様でした」
真紀も、頷く。
「最高のイベントだったね」
由理恵も、小さく頷いた。
「はい...最高でした」
そして、4人は、笑顔を交わした。
夕焼けの中。
4人の影が、長く伸びている。
今日1日の疲れ。
でも、それ以上の充実感。
達成感。
そして、友情。
由理恵は心の中で思った。
(今日、私は、エリスになっていた)
(そしてみんなと、最高の1日を一緒に過ごせた)
(この思い出は、ずっと忘れない)
夕焼けが、4人を優しく照らしていた。
【完】